Essay

<歌、酒、太陽と緑、そして抑圧と貧困(2016年夏 キューバ)-Cyberchat>

 キューバは緑とともに音楽が溢れる国です。やや良いレストランでは無論のこと、お土産屋さんの前でも、ミュージアムの前でも3人一組のトリオ(ギター、マラカス、太鼓などトリオを形成)で楽しそうに体を揺すりながら音楽を聴かせてくれる。むろん、「気に入ったらお金を入れてね」というスタイル。

 それに違和感がない。周囲との関係性において。どこか繋がる。キューバと音楽はよく合う。ついちょっと聞いてしまい、そして体が動いてしまう。ホテルのロビーでも毎晩プロだったり、従業員のグループがやっている。

キューバの配給所 いろいろな場所にある トリオの構成は入れ替わる。有名レストランやホテルのロビーでは、しばしばピアノが加わる。日本の旅館の中には和太鼓をやったりする従業員グループがいることもあるが、全体から見れば極めて希有。しかしキューバで音楽のないまともなレストラン、ホテルを探すのは無理。「どこにでも音楽があること」が日本と比べた場合のキューバの一つの特徴だ。キューバのタクシーの運転手は、会話が途切れると必ず手を伸ばして音楽を車内に響かせる。

 なぜそれほど音楽が好きか。気候もあるし、民族性もあると思う。しかしやはり労働との関係だと思う。昔から酷暑の中でサトウキビの収穫(それ以外もそうですが)をしてきた人々にとって、少し涼しくなった夕刻から夜にかけての時間の歌と踊りは、疲れ克服と気分転換にとって最高だったのではないか。

 スペインの音楽にアフリカから運ばれた奴隷が持ち込んだ音楽が融合し、独特の音楽が生まれたのだと思う。とにかくキューバは一日に何回もトリオの音楽をどこかで聴くことになる。別にキューバに限らずラテンの、そして中南米の特徴ですが、「暮らしの中に音楽がある」「それが一つの産業になっている」というのが面白い。

 「産業」と書いたのは、それを生業、ないし副業にしている人が結構多いのではないかと思えることだ。趣味と実益。月々の給与が低いなかで、また今後の年金が少ない中でガイドのオスワルドは真剣に「歌手の道」を探しているようだった。実際に彼はバスの中で良く歌を歌ってくれた。

一方のスーパー 品数が少ない 酒だけ豊か 音楽に付きものの食べ物はどうか。はっきり言ってキューバでは食事より音楽の方が楽しい。バラエティがある。後半のハバナの結構有名なレストランは例外として、それまでに食べたものはどこでも似ていた。明らかに社会主義体制の残滓だった。以前は中国もそうだった。

 それにとても塩辛い。野菜の煮込みもスープも。きっと体が塩分を欲っしたのだと思う。後半のハバナ滞在中にホテルのイタリアレストラン(イタリア大使館に近い)と、サンフランシスコ・ターミナル(船の 今は閉鎖されていた)の近くのスペイン料理の店は、「まずまず」だった。比較の問題だが。

紙幣やコインになったチェ・ゲバラ 何せ、生野菜に安心できるものが少ない。全体にしなびている。農薬は使っていないかも知れないが、流通の問題でしょう。しかし最後のスペイン料理屋では店の雰囲気を見た上でシーザーサラダを頼んだ。これは美味しかった。キューバに来て初めて食べたナマに近い野菜の食べ物だった。

 スペイン料理をうたっているので「イベリコ豚はあるのか」(好きなんですよ)と聞いたら、私の発音が悪かったのか係の人はキョトンとしていた。メニューを見てもそれらしきものがない。ちょっとがっかりしたな。

 7人の会話の中で何回となく出てきたのは、「何でも日本が一番美味しい」だった。私がキューバにいて「これは日本よりうまい」と思ったのは、そうですね、フローズンダイキリだけかな。でもイタリア料理屋は全体的には良いバランスだった。ペペロンとラザーニャはいけた。

《とっても緑、緑した国》

 それにしてもキューバは「緑の国」です。国旗に緑が一つも使われていないのはおかしい。読み進んで頂くと「緑の砂漠」という文章が書いてありますが、ハバナの近郊でも「これは絶対日本にはない」という緑溢れる木が一杯ある。写真の通りです。

兎に角緑が広く、そして深い 国旗に使われているブルーはキューバにはある。海、そして空。しかしキューバは結構曇りも多い。ハリケーンもある。その時はブルーはなくなる。しかし緑は晴れても曇っても、そして雨が降っても緑です。だから私はキューバが国旗のメインの色を緑に変えることが理にかなっていると思う。

 繰り返しますが、世界遺産になっているというロス・インヘニオス渓谷の緑はほれぼれするほど美しい。かつてそこに万を超える奴隷がサトウキビを作っていたらしいが、それは残念なこととして、あの渓谷の緑は一見の価値がある。

日本にない果物 マメイ 渓谷は世界中にある。アメリカ大陸にもアフリカ大陸にも。しかし通常はどっちが主流かは別にして、土色と緑のミックスです。しかしキューバのこの渓谷は、緑一色だ。淡い緑、濃い緑....とグラデーションが凄い。

 なぜそんなに緑が目立つのか。その一つの原因は「人口の希少」にあると思う。キューバの面積は日本の本州の半分。そこに1126万(2013年の統計)の人口が住む。日本に比べれば極めて少ない。故に自然が放置され、一度人間の手が入ってもその後しばしばまた放置されて緑の楽園が生まれるという仕組みになっているのだと思う。

 変わった木が一杯ある。ハワイなどでモンキーツリーと言われるあの幹が重なり合ったような木が一杯あって、それがまたでかいし、一旦上に伸びた枝が一斉にもう一度下降しているような木もある。名前も知らないが、とっても目立つ。

民芸品も多数 もっとゆっくり見たかった キューバの内政、経済状態、外交に関しては今までの日々の記述の中で触れてきましたからあまり繰り返しません。岐路に立たされている国です。キューバについて強く感じたのは

  1. 思っていた以上に社会主義丸出しの国である
  2. 警察が強い国である
  3. 一般の人々の生活が貧し過ぎる国である

 ということか。「社会主義の残滓」はどこでも見れる。要するに国家独占なのだ。タクシー、バスなどなどが顕著。運転手は全員公務員だ。ホテルはどうなっているのか知らない。しかし民間資本が跳梁跋扈している兆しはない。キューバが持つ「カリブ海の楽しい国」というイメージとかなり齟齬する。

 「警察が強い国」はちょっと見では分からない。しかし数日すると「あ、この社会では彼等はエリートなんだ」と分かる。容姿、態度、物腰から。大使館通り(CELLA)では日曜日の朝だけで交通関連の摘発を3件目にした。チケットを切られているようだった。彼等は今の政権、体制をどう思っているのか。

 「一般の人々の生活が貧し過ぎる国」についてはもう何回も触れてきた。別に外国人の私が言うことではないし、「教育、医療はただ」にしても、「一般のキューバの人達の生活は大変」というのは、見ていても分かる。あまりに大変なので、キューバの人達の顔色は悪い。

 その一方で、貨幣価値にして24倍の「兌換ペソ経済」があり、より多くの人がその経済圏で生活を成り立たせている。ここにはチャンスと高い収入が転がっている。同じモノが右から左に動かしただけで24倍の価値がある。そのフォールアウト(貿易収益からチップまで)は大きい。今のところその膨大な価格差で一番儲けているのはキューバ政府のように見える。

 外に笑顔を振りまく兌換経済のキューバ人と、日々の生活に追われる人民ペソ経済圏のキューバ人達。その矛盾を解決できるのは多分「カストロ兄弟」ではない。キューバは新しい指導者が必要だ。

 しかしそれが誰なのか、それはキューバ人さえも知らない。「ラウルは既に85才だ」とキューバ人。兄のカストロが権力を手放した年齢に近づいている。彼はもう90才だ。


 日々書いた文章は、以下の通りです。
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2016年08月29日(月曜日)

 (12:09)「どえらいことになった」と焦ったのですが、出てきたウォッチを見て「動くんだ」と。

 朝一旦走りに出たのです。しかし雨が激しくなって、デバイス(iPhoneとウォッチ)を二つ持っていたので「壊れても困るな.....」と思って家に戻ったのです。その際にウォッチは濡れていたので乾燥したタオルに包んで机の上に。

 暫くたってもういいか、と思ったら、タオルがない。何と既に回っている洗濯機の中。全自動のドラム式なので止めるわけにもいかない。「どえらいことになったな。もう駄目やろう.....」と。

 終わって出して見たら、電源が切れた状態になっていた。回っている間に何回もパスワードを間違った状態になって、自然にスリープ状態になっていたらしい。電源を入れたら何と入る。

 パスワードを入れようとしたら、「15分待て」と。おおおおお....動くかも、と。15分たってパスを入れたら、あら不思議。ちゃんと情報を拾い、正常に動いているように見える。

 午前中に伊勢丹に行く用事があったのでアップルの店で起こったことを説明して、「どうですか、今から海外なんですが10日くらい動きます」と聞いたら、「多分大丈夫」と。防水なんですって。知らなかった。

 しかしドラム式の洗濯機の中で回っていますからね。1時間。ま、大丈夫でしょう。その後問題ない。落胆し、そして驚愕した。運が良かっただけかも知れませんが、ま、この時計と一緒に行ってきます。

 皆さん、お元気で。


2016年08月30日(火曜日)

 (01:09)キューバの夜の第一印象は「暗い」です。トロントで乗り換えて着いたのは10時ちょい過ぎ。着陸の直前の飛行機の中からハバナの街を見ても、そして空港に降りてホテルまでの街中移動(30分ちょい)の最中も。それが強い印象。口の悪い私の隣のお姉様が「灯火管制じゃない」と。

 バスの中でガイドさんに聞いたら、「政府の要請でエネルギー節約運動中です」と。「ここまでしなくても」と思うのですが、街路灯とか全て消されている。着したホテルも外見は暗くて「どうなることやら」と見たときは思った。

 もっとも中に入るとまあまあきらびやか。しかし政府の要請は生きているようで、ホテル着の時点では深夜だったと言うこともあるのかも知れないが、3台あるエレベーターのうち1台は止まっていた。「石油は安いし、これだけ観光客が来ているのだから外貨もあるだろうに」と思って聞いたら、「そうですよね」とガイドさんが気のない返事。

 二重通貨制です。外国人に適用される兌換通貨と人民通貨。兌換通貨は人民通貨の4倍の価値だそうで、外国人はそれで買い物をする。政府はそこで働く従業員に人民通貨で給与を支払う。ガイドさんが「政府にお金がないはずがないのですが...」と。

 対米緊張の中でキューバはずっと石油のほとんどをベネズエラに依存してきた。そのベネズエラの経済はめちゃめちゃ。それと関係があるのかも知れない。キューバの今時(ちょっと希有です)の「エネルギー危機」は。

 自然と空港や街中の車に目が行く。今の日本のテレビは暇さえあれば「40年代、50年代のアメリカの車が今も走っている」と取り上げているので。しかし空港のタクシーはニューヨークのイエローキャブと何ら変わらないし、クラシックカーもあるが数ある車の中では珍しいくらい。空港で一台、そして街中で一台を見掛けた。要するに観光のツールになっている........ということか。

 でも空港で思ったのは、インドの空港で感じるような「たむろしている人々の厳しい目」はない、ということ。皆穏やかな表情をしている。何かの待ちをしているのでしょう。ガイドさんが言うので。「キューバは中南米で一番治安の良い場所です」と。

 しかし同時にガイドさんが、でも繁華街に行ったら「スマホをしっかり持ち、鞄は背中ではなく前に抱え.........何しろモノ不足の国ですから」と警告。ま、日本が安全すぎるということでしょう。加えて、「忘れ物をしないように。取りに戻っても絶対にありません」とガイドさん。ははは。

 通信事情は厳しい。ドコモの契約社はキューバにはないし、WIFI事情も悪い。ホテルも「ロビーのみ。一時間2ペソ」と。1ペソは115円くらいですかね。まそれも「使用前」の証拠。データ通信をオフにしたらブルーツースもオフに。ウォッチはどないするねん。WIFI通信時かな。情報を送るのは。

 うーん、楽しみだな。どんな街にどんな人々が、どんな表情で住んでいるのか。ロビーでこの文章をアップロードし、隣のバーでモヒートでも飲んで寝ます。


2016年08月30日(火曜日)

 (06:44)ははは、「灯火管制」の次は「WIFI管制」ですわ。実はこの前の(01:09)の文章を書いて「さあ、アップしよう」と思ってロビーにおりていって、2ペソで買ったWIFIカードの番号を入れて繋げようと思っても、繋がらない。「ロビーの中で一番WIFIが繋がる場所はどこ ?」と聞いてやったのに。

今でもとっても人気がある。正直のキューバ人は「カストロより好き」と言う フロントのお兄ちゃんに「どうして繋がらないの」と聞いたら、「うーん、時間切れだよね」と。どうもこのホテルのWIFIカードは「買った時点から1時間」らしい。買って一旦部屋に戻ってシャワーを浴び、そして文章を書いている間に時間が過ぎてしまっていたらしい。でもカードを見れば「最初の接続から1時間」と書いてあるのに...。

 「?????」と思いながら、しょうがないから、「じゃもう一枚WIFIカードを売ってよ」と言ったら、「もう夜は遅い。明日の朝8時からの売り出しです。次は...」と。

 すげえショックでした。カルチャーショック。WIFIに時間制があるって。その時点で私は覚悟しました。こりゃ、ショックを楽しむしかないな....と。だって楽しいでしょう。あまりにも日本と違いすぎて。

 パケ放題もないので、スマホは「機内モード」にしたまま。危うくリリースすると、どこかに繋がって大変なことになりそう。兎に角日本の電話会社(ドコモ)と契約している電話会社はないので、繋がった瞬間にどえらいことが起きかねない。よって、今の私のスマホは、「ただの写真機」となっております。しかもWIFIは時間制 ?

 しかしブルーツースだけは「ON」にして、ウォッチとの電波更新だけはしている。じゃないと、スマホとウォッチの情報交換ができない。朝の6時半を過ぎたというのに、まだ外は真っ暗。よって灯火管制の街(?)では、まだ何も見れない、スマホは情報を送ってこない......」と。暗くて危ないし、雨も降っているので走りにも出られない。

 だから確信を深めたので。「ここはとっても日本と違う」ことを楽しむ絶好の場所だと。ぜひ皆さんもキューバに。まだ到着して半日もしない印象です。

 結局ここの楽しみは、人間と街と景色と酒(各種ある)と音楽(同)か....と。旅の醍醐味」でんな。ははは。


2016年08月30日(火曜日)

 (22:44)総勢7人の旅団によるキューバ初日が終了。朝方最初に思ったの「緑が多い、豊かな島だ」ということだ。バナナがなり、あちこちにマンゴーの大きな実を付けた木が見れた。アメリカから厳しい制裁を受けながらも、今の今まで持ちこたえてきたのは「島の豊かさ」にあると思いました。

モロ要塞とハバナの新市街 ちゃんと緑を育む雨が降る。今は雨期だそうで、これが11月ごろまでと。今はハリケーンにまで発達していない低気圧が時速7キロでフロリダに向かって去っている最中だそうで、よって大西洋に面しているハバナも今日は一日雨。日本では珍しい「雨のハバナの写真」が結構撮れました。明日からは天気が回復とか。

 そのアメリカとの関係ですが、国交は回復しても「せいぜい文化交流の程度」(ガイドさん)ということです。二つ問題がある。20世紀の初頭にアメリカがチューバをスペインから奪った際に設けたグアンタナモ基地の返還問題。もう一つはアメリカによるキューバ経済制裁の解除に関する問題。

 この二つが解決しないので、国交が回復してもキューバは不満。なので「中味が伴っていない」という。アメリカ人はまだ正式にはキューバに渡航できない。そういう意味では今がチャンスです。まだアメリカ人は少ない。「使用前」です。

 しかし中味が伴った交流への道筋は徐々に出来つつあるらしい。もう暫くしたら、アメリカ人は国内の携帯電話契約でキューバで自分の携帯電話を使うことが出来るようになるらしい。

ヘミングウェーがカジキマグロを釣るのに使っていた船 聞くところによると安倍首相は11月にキューバに来るとのこと。その際に日本の携帯各社とキューバの電話会社との契約が結ばれることを期待したい。しかしもしかして、「キューバにはレアもののモンスターがいるかも知れない」などと思っている人がいたら、それはお門違いです。

 今日は初日とあって結構「観光」をしました。まずモロ要塞に行き、その他の要塞も見て、その後はヘミングウェイが四番目の奥さんと20年暮らした瀟洒な屋敷に行き、そして市内のラム酒(ハバナクラブ)博物館を見学し、歴代3代のローマ法王がミサを行った大聖堂を見て、クラシックカーに分譲して乗り、そしてモヒート発祥の店で夕食をし...。

 ヘミングウェイの邸宅は「全てが当時のまま」に残されていて面白かった。彼が使っていた書斎、ベッドなどなどそのまま。実に多くの本が各部屋、それにトイレにも置いてあった。本好きだったんだ。

ラム酒博物館のカウンター それにアフリカでの狩猟とともに彼がもっとも入れ込んだ釣り(カジキマグロ)に使った船が、港から上げられて邸宅の竹林の中に。この船は何回も写真で見ている。そう言えば。この邸宅は本当に面白かったので「一日くらい滞在させてくれないかな」とも思いました。

 ラム酒博物館で興味深かったのは、今のアフリカ系、混血系のキューバ人の由来に関するもの。キューバには数十万人と言われる先住民が住んでいたが(今大聖堂の近くで彼等が残した遺跡が発掘中)、スペイン統治下で全員が短期間に死滅したとされる。主にスペイン人が持ち込んだ新種疫病やウイルスによるものとされる。

 よって農場などで使役されるために連れてこられたのが北アフリカ系の黒人。実に大量に奴隷として導入され、そのうち四分の一は移送中の大西洋の船の中で、さらに四分の一が農場での激しい使役で死亡したとされる。

歴代三大のローマ法王がミサを行ったハバナ大聖堂の中 これはガイドさんがそう言ったのですが、「よって、今の残るアフリカ系のキューバ人は強靱である」と。生き延びた半分の子孫達、という意味のようです。それが本当かどうか知りません。しかし確かに体格は確かに立派です。

 面白かったのは、クラシックカーライドでしょうか。プログラムの中にそれが入っていて、「ええ」と思ったが、乗ったら面白かった。1955年製のフォード・ダッジ。リッター4キロ走るとのことだが、本当にポンコツ寸前。3台に分譲したのですが、我々が乗ったそれは片方のワイパーが途中で止まり、一回直したがそれでも直らず、結局運転手がワイパーを回収して、片ワイパーで目的地まで。

 その様子は「伊藤 洋一」でユーチューブに挙げておきましたから、ご興味のある方はどうぞ。クラシックカーについて昨日「実は少ない」と書きましたが、それよりは昼間の街中では見掛けたかな。多分台数的には20台に一台程度なんでしょうが、目立つ。

 一日移動していて思ったのは、「交通インフラの欠如」かな。とにかく移動手段は車しかない。庶民はバス。しかしそのバスはあまり来ない。皆何をしているかというと、当然のようにヒッチハイクに出る。道を走っていると10メートル間隔でハイカー(といっても普通の人)がいるケースもある。路面電車もなければ、地下鉄もない。必要だと思うがな。その話もして欲しいな。安倍首相の来訪時には。

思っていたより少ないが、兎に角目立つ クラシックカーでない車は、実は「これはどこの車だ」というのが多くて不明なのですが、それほど多くない比率で韓国車が走っていた。バスはほとんどが中国製。「宇宙なんとか」というメーカー。

 日本は全般的にキューバで「出遅れている」という印象がしました。ミャンマーで走っている中古車の90%以上が日本車であることを想起しながら、「キューバに日本車がもってこれたら売れるのに......」と思いました。アメリカから当面回す、という手もある。無論経済制裁が解除された後の話しですが。


2016年08月31日(水曜日)

 (07:44)今日は一旦大西洋に面するハバナから離れて、カリブ海側の古い街であるトリニダーに行きます。「まるで時間が100年ほど止まったような」と表現される砂糖貿易で栄えた古都です。

 さすがに島を北東から南東の方に大きく移動するので、どうやら3時間くらいのバスの旅になりそうで、その間にちょっと面白い街、雄大な景色を見ながらの移動になりそう。またガイドさん(オズワルドさんと言います)の車中歌謡が聴けるかな。

 歌といえば、昨日の夕食に行った「モヒート発祥の店=LA MODEGUITA DEL MEDIO」は面白かった。カテドラル=大聖堂の直ぐ近くで、陽気な酒と歌と、そして落書きの店でした。なにせ入ったときにはビックリ。壁という壁に、トイレの壁も含めて落書きだらけ。「日本 茅崎 祐子」といった落書きも見付けた。

壁中落書き 誰が何を書いても良い、という規則だそうで、面白かったのはメンバーの一人である若者の両親がカリブ海で結婚式を挙げた(20数年前)後にこのレストランに立ち寄り、落書きしたそうな。今回のメンバーの中では彼は、彼の従姉妹の女子(ともに就職控え)とともに最年少組。二人でその落書きを探したが「見つからなかった」と。

 彼はそのほぼほぼ10ヶ月後に生まれているので、「もしかして、私はここの仕込みなんですよ」と。がはは。古い。確か1942年から営業していると。そのプロセスで「モヒート」が生まれたと。

 食事のことをあまり書かないのは、「うーん、やはりかな」ということだったので。旅の今までの経験から社会主義国、そこに変化が起きたとしてもその影響が残っている国の料理は、全体的にメニューが少なく、味も横断的に(国全体という意味です)画一的ということを知っているからです。

ちょっと薄かった キューバはばりばりの今でも社会主義国。決してまずくはない。しかしキューバという「個性溢れる国」と思われる国の料理としては、「ちょっと物足りない」というもの。その代わり酒があり、何よりも陽気な歌、バンドの演奏がある。

 早めに食事をスタートしたのですが、「来ますよ」と言われていたバンドが来ない。「どして」と思ったら、入り口のバーで彼等は止まっていた。そこが大盛り上がりで、奥のテーブル席に来れる余裕がなかった...と。

 万事、ちょっとアバウトな、ティピカ・ラテン的な国です。キューバは。そこが良い。


2016年08月31日(水曜日)

 (18:44)ハバナから専用バスで南東に走り、カリブ海に面したトリニダーに来ています。キューバ島の南海岸のほぼ真ん中。思ったより時間がかかって、午前9時にハバナを発して、着いたのが午後3時半過ぎ。もっともかなり長い間休みましたし、その間に昼飯も食べましたから。

全部同じバス 面白かったのは「キューバという島は種子島を横に伸ばしたような島だな」(無論、はるかに大きい)ということ。種子島は隣の屋久島と比べると遙かに平地の多い島ですから、その点が似ている。

 もともと海底の隆起とか火山で出来た島ではなく、珊瑚礁が長い年月の間に島になったと言われている。その名残は海岸に直ぐ近かったハバナのホテルの海に見ることができました。サンゴの固化したものが独特の模様を海岸に作っている。

 ハバナからトリニダーに移動して面白かったのは、キューバ島のど真ん中に水田が広がっていたこと。無論サトウキビ畑の方が多いのですが、ところどころに水田がある。「キューバの主食はお米です」とガイドさんのオスワルド。納得。手入れは悪いが、日本で言う水田です。

キューバの中部にある水田 移動していていろいろな事が分かってきた。それは「個性溢れる島、個性溢れる人々」という印象とは別に、様々な産業で「国家」の役割が非常に大きい、ということです。例えば観光バスは全部同じデザインで、サイズが違うだけ。全部「中国宇通」と書いてある。だから観光客は間違う。「観光バスを各会社が経営している」ということではなく、多分国家管理です。

 イエロータクシーの側面を見ると全部「AGENCIA de TAXI」と書いてある。これを私の勘で訳すと「タクシー局」となる。それもどこに行ってもこの表示です。ということはタクシーは公営で、運転手は皆公務員ということになる。

 更にWIFI管理。トリニダーのホテルに着いて「ここは駄目だろうな」と思って飛んでいるWIFIを調べたらこのホテルのそれがある。「あるじゃん」と思ってカードを買ったら、同じ2ペソでハバナのホテルと全く同じカード。  ということは、キューバ政府が全国のホテルのWIFI化を先頭に立って急速に進めているということです。その証拠にキューバのあちこちで「ETECSA」と書いた工事車が走っている。ということは外に門戸を開くに当たってWIFI化を急いでいる。日本で調べたときには、「トリニダーのホテルにWIFIはない」というサイトが多かった。

タクシーも公営? しかも驚いたのは、ハバナのホテルで買ったWIFIカードの余りでトリニダーのホテルのWIFIに試しにゲットインしたら出来た。ということは、キューバのホテルのWIFIは政府が一元的に同じ料金で進めている、ということです。

それともキビ葺き そう言えばオズワルドが面白い事を言っていた。「今日初めてアメリカからの直行便がキューバの中部の空港に着きます」と。もっともそこに乗っている観光客は選別された50人ほど。試し運転です。「キューバにアメリカ人が大量に来るのには時間がかかる。まだ問題ありますから、と。日本の皆さん、その前に.....」と彼。

 話を聞いていると、キューバの人達の生活は表面的には大変です。普通の働き人は月額300とか400ペソしかない。ということは、兌換ドルで3万ちょっと~4万円ちょっとですが、実際の支払い給与は人民ペソなので実際にはその四分の一。

 ただし教育費、医療費は社会主義の国なのでただ。それをどう勘案するかです。徴兵制があり、人によって男性は2年から3年。女性はその代わり3年とかは最低の225人民ペソでインターン的に働くのだ、と。

 しかしメンバーの一人が、「その割には皆太っているわね」と。肥満と貧困はしばしば共存するので「その問題意識、どう」とも思うのですが、表面とは別にキューバにも社会主義国共通の「裏経済」があるのかもしれない。


2016年09月01日(木曜日)

 (04:44)時差的に13時間も遅れているのですが、やっとキューバも9月に入りました。こちらにいる間に、関連する動きが結構あったようです。

 まず昨日も書きましたが、キューバとアメリカの定期航路に基づく第一便がキューバに到着。NHKは「米とキューバ結ぶ航空会社の定期便 半世紀ぶりに運航」との見出しで、次のように報じている。

 「アメリカとキューバの歴史的な国交回復を受けて、両国を結ぶ空の定期便が、およそ半世紀ぶりに運航を始めました。アメリカの航空会社、ジェットブルーの旅客機は31日、フォックス運輸長官などを乗せて、南部フロリダ州フォート・ローダーデールをたち、キューバの都市サンタ・クララに到着しました。」

 ははは、このサンタクララというキューバの都市は、私たちがハバナからトリニダーに移動する際に近くを通ってきました。つまり直ぐ近くで歴史的な着陸が行われたことになります。多分トリニダーから車で2時間くらい。

 しかし繰り返しますが、ハバナではなく地方空港に降りた、しかも来たのがメジャーではない航空会社の飛行機というのが一つのヒントです。「キューバの土地の80%は政府が所有」と先日書きましたが、アメリカは革命の際に接収された土地の持ち主への返還を求めているらしい。キューバ政府はそれには易々とは応じられない。「試運転が続く」とオスワルド

 もう一つ。まぐまぐの担当者からメールがあって、「弊社の新サービスmineですが、 本日11:00にリリースいたしました。下記が伊藤様のページになります。https://mine.place/user/7fb43009-d3f8-4d52-9b0c-2cbdeeb5b00c 」と。二ヶ月前ほどですが「まぐまぐ」さんから提案があって、「たまには面白い」と思って参加することにしました。現時点で3本アップしておきました。

 お世辞かも知れませんが、「また、ひとつご相談がございます。伊藤様の記事が社内でもとても評判がよいので、1号分だけ短期間(3日~1週間)無料公開させていただくことはできないでしょうか」とのこと。それもokしておきました。

 この関連は「第一線のクリエイターと読者をつなぐ新サービス「mine(マイン)」スタート」といった形で新聞ニュースにもなっているようですが、以上のような経緯で私も参加します。これまで一杯提案があったが、「じゃ、やるか」と思ったのは今回が最初かな。良かったら読んで下さい。

 あ、それから安倍首相がキューバに来る事に関して私は「11月」と書きましたが、どうやら今月の、私が帰国した直後のようです。兎に角この国はインフラが酷い。また書きますが。なので日本にとっても、キューバにとっても実りある訪問にして欲しい。


2016年09月01日(木曜日)

 (18:44)トリニダーは本当に100年前にタイムトリップしたような街でした。「何年手入れしていないんだ」と思う石畳の道、そこを観光用ではなく実際の庶民の運搬手段として使われている馬車。ゆうに100年は立つと思える建物群。狭い道。

トリニダーの石畳の道 スペイン人は植民地の街を作る時にまず広場を作り、その周りに教会を含めて重要な建物を作っていったそうで、旧市街のマイヨール広場もその形式。綺麗に花植された広場があり、その周りに教会とか市の重要な建物が出来ている。

 こうした広場はキューバの場合、概ね高台にある。海からの風を感じることが出来る。とっても暑いが、海からの風は気持ちよかった。街を歩くと「チノ ?」と聞かれることが多い。「中国人か」という意味です。

 その度に「ハポネ」と訂正する。しかし存在感は多分中国の方が上なんでしょうね。かつては同じ体制だったし、今でも表面的にはそう。中国製のバスはよく走っている。車は日本車もありますが、今風の車は韓国車も多い。古い車はアメリカ製。それが有名です。タクシーによく使われている。

 本当に自分で作っているのかどうか知りませんが、テーブル・クロスとかシロモノをお土産として沢山売っている。街のあちこちで。ネゴシアブルですが、私は面倒だし、その手の店で買い物をして今まで成功したためしがないので、もっぱら行き交う人々を見ていました。

 顔がしわくちゃになった痩身のおじいちゃん。70代の半ばくらいだろうか。買い物のビニール袋をぶら下げて、何か小声で喋っている。何を言っているのかは不明だ。かと思うと、「これを買わないか」と言ってくるオジさんも。

 見たら「チェ・ゲバラが肖像の3人民ペソ紙幣」だった。我々旅行者は普段は目にしない人民ペソ。1兌換ペソでどうだ、と。彼の顔は怯えていて、周囲を気にしている。多分違法なんだろう。はいはい...と。

トリニダー旧市街の中心マイヨール広場 普通の人々が食糧を手にする「配給所」も見ました。入った瞬間にベルリンの壁が落ちた当初のポーランドの商店を思い出した。要するに何もないのです。我々のようにスーパーにモノがこれでもかと並んでいるのを普通に見ている人間には。

 そうした風景を見る度に、「キューバは社会主義国なんだ」と思う。もう一つ「社会主義国」を想起させるのは、ホテルの従業員の態度です。 キューバのWIFIカード 全国共通 一枚2ペソ何をするにも「やる気なし」が態度と顔に出ている。そりゃそうだ。別に愛想良くしても給料が増えるわけではない。

 トリニダーのホテルに今は居ますが、もともと2台あるエレベーターのうち一台は動いていなかったが、残るもう一台も先ほどダウン。ホテルの従業員が「今日中はもう無理かも」と。この染みついた社会主義の根性を直してもらわないと。とっても良い国なんだから。人々は愛想が良い。体制が彼等を怠惰にした。


2016年09月03日(土曜日)

 (05:44)ははは、遂に予想以上の「事件」が起きました。2日金曜日のトリニダーからハバナに戻る最中。車の調子が悪くなって「あとハバナまで30キロ」という地点(高速道路上)で遂に運転席の下部から煙が出始め、そして運転手さんもついに運転を諦めて車はダウン。我々は高速道路から少し離れたところで迎えのバンと荷物運搬車など3台を待つ羽目になりました。

パトカーが来てしまいました。高速道路の立ち往生 車の不調は、その前から出ていました。坂の上り下りをちょっと繰り返す行程だったからかも知れないが、まず警告音とともにエアコンが切れた。その前はタイヤ周りが少しボルトの破損や油漏れなどあって、途中で一度修理したのですが(我々が昼飯の間に)、別の危機が発生したわけです。

 もう大変でした。パトカーは来るは、同じ会社のバスは何台か止まってくれたりもしたのですが、スペース不足で乗せてはくれない。結局1時間30分以上待って、バス会社が派遣してくれた迎えのマイクロ、荷物車などを待った。

 エアコンが止まったときに(車はまだ動きました。ただしドアを開けて走行 だって暑い)運転手が下を指して「チノ」「チノ」と。中国製だから壊れやすい、という意味です。それは笑えたのですが、止まっれ動かなくなったこと、エンジン部分から煙が出たこと、高速道路沿いでの車待ちは冗談ではない。

 「こういうことは良くあるのか」と聞いたら、「キューバの観光バスは全て中国製。ごく普通」と運転手。とっても笑えた。しかし男ども(といっても私ですが)はキューバ人の真似をして高速道路で札を出して車を止める練習をしたり遊んだのですが、女性がかわいそうだった。

晴れた、暑い日差しの日でした ま、道路も悪いんですよ。最高時速100キロの高速道路といっても、時々道に穴ぼこが空いていますから。それにしても、まだ車が動いていてトリニダーからハバナに向けて移動中の時ですが、走っていて思ったのは「この国は緑の砂漠だ」ということです。

 「緑の砂漠」というのは言葉の矛盾のように聞こえる。しかしそういう感じがする。見渡す限りの緑。私は日本は世界の中でも「緑の国」だと思っているのですが、キューバの緑は実に緑色の濃いサバンナの感じ。日本のように林の林立ではなく、緑の砂漠の中に背の高い木がところどころ生育している、という感じ。

 道路でなく、街ではない場所は見渡す限りの緑。それがキューバです。高い木、灌木、そい低木と草。トリニダーからの移動は来る時とは違ってサンタクララという街経由で移動したのですが、その緑のアンジュレーションの綺麗なこと。世界遺産の渓谷もあって、とっても「来て良かった」と思った。

 サンタクララではチェ・ゲバラの霊廟と記念館を鑑賞。記念館には彼が小さかった頃の品々や写真が飾られていて面白かった。2~3才の頃の写真は可愛い。アルゼンチンで医者になったころに着ていた白衣もある。

 彼が野球のバットを構えた写真もあったし、彼の軍服も飾ってあった。無論使った銃も。殺人もあったのでしょうね。革命家はそれが仕事であるにしても、その前後のドラマは後々見て見たい。

 実はキューバ建国後はゲバラはカストロから疎まれていた、と言われる。ゲバラはアルゼンチン人ですから、新政府ではたいした役割も与えられずキューバでは居場所がなかった。なのでボリビアなどにゲリラ戦に出かけたとも言われる。二人の確執は面白い。

 それにしても、チェ・ゲバラはキューバにとってモンゴルにとってのチンギス・ハーンです。どこにでもその肖像が飾ってあり、絵があり、人々はTシャツの図柄にしている。明らかにカストロより人気がある。それは彼が背負ったはかない人生に対する哀惜なのかもしれない。


2016年09月03日(土曜日)

 (07:44)移動しながら、体験しながら書いているので、いろいろ訂正があってすみません。WIFIカードのことです。1日の記事の最後に載せたカード群がそれですが、一部の比較的良いホテルは「別システム、別料金」「ロビーだけでなく、お部屋でもネットが使える」というシステムを取っていることが分かりました。

ココナツに似ているので「ココタクシーというそうです」 ハバナに戻ってきたのですが、当初泊まったホテルとは別の、一ランク上のホテルに今投宿中。そこのWIFIシステムは、「一時間なんぼ」で変わりはないのですが、あの緑のカードではなく、ホテル独自のシステムです。お部屋でも出来る。快適。

 それから先日「1兌換ペソは4人民ペソ」と書きましたが、それは私がガイドさんの説明を一部聞き間違えたのであって、「1兌換ペソは24人民ペソ」だと判明しました。つまりキューバの人達がお給料をもらっている225人民ペソとか600人民ペソというのはとっても低い金額ということになる。

 しかし繰り返しますが、教育費ただ、医療費ただ。その分をどう勘案するかです。しかし安いでしょう。キューバ野球の若い、有望な若者がアメリカに亡命して高い給料をもらおうとするのは分かる気がする。

 その関連ですが、キューバ人が言うのです。「とっても不安だ」と。何のことかというと「ラウル後」です。つまり指導者の名前から「カストロ」が消えた後の事。

 彼によれば、「ラウルは85才、フィデルは90才。もう二人とも年金生活者だ。今のままでは若者が出て行ってしまう。若者いなくなったら、国の将来はない」と。その通りだな、と思いました。

 体制が社会主義で、指導者が大変なお年寄り。確かにキューバの若者の顔に輝きを見ることはあまりなかった。笑うがこぼれるような笑顔はない。それは国への不満、将来に対する不安、仕事がないことへの不満、所得が低い事への不満、移動さえ苦労する交通事情などだろう。

フローズンダイキリ発祥の店 実際に「カストロ」以外のキューバの政治家の名前を聞いたことはない。不勉強なんでしょうが。85才の指導者が率いる国にいる国民は、確かに不安だろう。これから徐々に社会主義を脱するにしても、誰がどう舵取りするのか。

 いろいろあって2日の夜はハバナ旧市街の「フローズンダイキリ」の発祥の店」であるFloriditaに行きました。確かに美味しい。酒よし、料理よし、音楽よし。モヒート発祥の店より数段上で、モヒートもその発祥店よりこちらのモヒートの方が良かった。ちゃんと味がした。

 ヘミングウェがよく来た店らしく、カウンタの手前奥に彼の銅像が。だれからとなくそこで写真をとっていました。キューバでは珍しく生き生きした店です。


2016年09月03日(土曜日)

 (18:44)土曜日、雲一つなくとてつもなく晴れたピーカンの天気、そしてハバナ。そりゃもうクラシック・オープンカーに乗るしかないでしょう。旧市街まで行きはイエロー2台を使い、その後ちょっと見学したあと、午後から2時間ほど白、赤、そしてブルーの3台を調達して旧市街をしばらく周り、そして最後は新市街のちょっと西のホテルに送ってもらった。

直ぐ後ろにお姉様達、その後ろに彼等の孫達 めちゃ楽しかったし、面白かった。古い街並みと古い車。しかし車は磨き上げて立派です。そしてブルーの海とブルーの空。多分革命前のキューバには砂糖などで儲けた連中が一杯いた。そして彼等はハバナにとっても似合うオープンカーを大量に所有していた。むろんアメリカからの輸入です。それが今観光資源として生きている。

 例のクッションのように乗り心地が良すぎるオープンカーです。しかしエンジンの音は大きい。多分古いか、ディーゼル化で音が大きくなっている。3台つらねたので、ちょっと目立ってしまったかな。私はおとなしく乗っていましたが。ははは。

なかなか良い気分です その3台でアルカポネも投宿したナショナル・ホテルに行き、そして革命広場に行き。ハバナではオープンカーもいいものだ、と思いました。湘南なんかでは良いが、都内ではその手の車はあまり乗る気がしない。やはり空が開けていないと。そしてピーカンの天気。値段は高くない。だってそれだけ乗って、一台当たり25兌換ペソ。つまり3000円くらい。バリューでしょう。

 面白かったのは、メンバーの中に一人だけ「30年前にキューバに来たことがある」という方がいて、その方に「30年前と今では何が違いますか」と聞いたら、「そのまま」と。つまり全く変わっていない、というのです。これは笑えた。やはりアメリカの経済封鎖のパワーは凄かったんだな...とその時。

 60年近く生きているオスワルドに同じ質問をしたら、「その通り」と。彼も言う。「何も変わっていない」と。なぜ変わらなかったのか。経済封鎖もあるし、キューバのシステムもあった、と彼。最近はちょっと違うが、とにかく引っ越し禁止だったらしい。同じ場所で生まれ、同じ場所で生活していた。

うーん、風景に似合っているよ 新しいビルもあまり出来なかった。だから街が変わりようがない、というのです。30年って凄いですよ。東京の30年前なんて今とどれほど違うか。しかしそこがアイロニーというか、「だからハバナ、そしてキューバは観光資源が豊か」なのです。

 スペイン南部を思わせる石畳の、高層ビルのない昔ながらの街並み、そして1962年以前に製造され、キューバに持ち込まれたアメリカの車群。私が乗ったオープンカーは1947年製と書いてあった。

 だから思う。キューバは大変な観光大国になる、と。30年前の姿を残している大都市なんて世界にない。重要なのは、ハバナは50年前はとっても栄えていたし、観光資源になりそうな館を作った金持ち連中も一杯いた、ということです。大西洋とカリブ海に囲まれたキューバ。周りの島々に比べればその観光都市、観光国家としての優位性は明らかです。

船着き場の近くにあった変わった彫刻 面白かった そうそう、オープンカーライドを終えてホテルに帰ったら、日本国旗を付けたベンツが正面玄関に。「あれあの関係」と思ったら、いかにも外務省の女性職員という黒スーツの日本人女性と、ちょっとだらしない背広の服装をしたこれまた「日本の役人」という感じの数人が。

 別の一団がホテルの中にもいたので近寄って、「お疲れ様です」とわざと声を掛けたら、「ああ」とか気のない返事。「そりゃ中味は言えないですよね....」とからかっておきました。でもあれじゃ見え見えだな。

 安倍さんが泊まるのか、随行員が泊まるのか知りませんが、数日後にはもっと日本人が増えそうなホテルでした。


2016年09月04日(日曜日)

 (06:44)容易に想像できることがある。それは外周りの仕事(貿易、観光など)をしている人々と、国内周りの仕事(農業でもなんでも)をしている人の収入格差は、キューバが外に国を開けば開くほど(制裁が緩和されればされるほど)大きくなる、ということだ。

フローズンダイキリ発祥の店のカウンターに今も座るヘミングウェ なぜなら、外周りの仕事について回る兌換ペソと、国内絡みの仕事について回る人民ペソの価値は、同じペソでも24倍違うからだ。例えば外国人客を2時間乗せて5ドルのチップをキューバのクラシック・オープンカーのタクシー運転手がもらったとする。

 それは人民ペソに換算すると120人民ペソをもらったということだ。仮に月間で働いた20日の間毎日5兌換ペソ(ほぼ等価なので5ドルでも良い)をもらったとする。それは月ベースだと5×20で100兌換ペソ。それを人民ペソの価値にすると2400人民ペソだ。

 聞いていると、どうやらキューバでの政府が決めた一番低い給与や年金の額は月225人民ペソらしい。タクシーの運転手(公務員)だと月額給与は400ペソ程度。とすると、例えばクラシック・オープンカーのタクシーの運転手がチップでもらう2400人民ペソ相当の月100ドルは非常に高い価値があることになる。

なんもなかったなかでサンペリだけは。だから買いました それを裏付けするように、タクシーと書いてあるクラシックカー、クラシックオープンカーの運転手の愛想はことさら良い。それは商売の仕方次第で月額400人民ペソとは別の、そしてしばしば膨大な兌換マネーが入ってくるからだ、とも思える(シェアシステムがあるのか、どういう人がチップ周りの仕事に就けるのかは知りません)。

 見ているとキューバにはレストランでチップを置く習慣は普通はないように見える。それゆえか知らないが、総じてレストランのお姉さん、おばちゃん達の愛想は悪い。そこには「社会主義経済の残滓」を感じる事が出来る。

 ラウル大統領はアメリカのオバマ大統領と会談した際に、キューバがアメリカより優れている点として、「国民皆保険制度」と「同一賃金制度」、それに「貧富の格差の程度が低いこと」を挙げたとされる。しかし最初はその通りとしても、後の二つは眉唾だ。なぜならそれは、もらった平等に近い人民ペソの所得では生活できないほど低いし、格差が開く要因は醸成されているからだ。

 医者でも公の給与は月600人民ペソと聞いた。それを24で割ると25兌換ペソに過ぎない。1兌換ペソ=1米ドルと考えると、それは25米ドルに過ぎず、それは今の為替レートでは円貨にすると月2600円に過ぎない。

要塞の中の有名な葉巻屋さんで。85メートルのギネス葉巻あり 一部のホテル、一部の有名レストラン、そしてハバナの街の一部にはきらびやかな場所(もっとも昼間だけですが。夜は灯火管制下)はある。しかし「経済が回っていない」と確認出来るのはスーパーだ。

 別に「これでもか」と商品が並ぶ日本や欧米、最近ではロシアや中国のスーパーが素晴らしいとは思わない。しかし写真の通りキューバのスーパーは棚がすきずきし、「所狭く」ということがない。

 空き棚が多いのに加えて、長い一つの棚にあたかも商品があるかのごとく同一商品が長く並べてあるだけの棚が多い。多分品数は恐ろしく少ない。明日もうちょっと大きなスーパー、市場に行きますから違う景色を見ることができるかも知れないが、初めてキューバのスーパーに入って感じたことは、ベルリンの壁崩壊直後に東ドイツやポーランドで見た、そして3.11の直後、夜の都心のコンビニで見た光景だ。あまりにも衝撃的だった。

 見ているとキューバは本当に面白い。明日一日いて、明後日は帰国です。もうちょっと見ていたい国です。50年近くをタイムスリップして、そして今になってかつての姿を我々に見せているキューバ。中国人、韓国人と増えてはきたが、まだ「アジアからは日本人が一番多い」とオスワルド。ま、キューバは見て感じる価値はある。

 彼が直前にアテンドしたのが、以前私が彼女司会の番組にも出たことがあるテレ東の佐々木明子アナだとひょんな事で分かって、笑った。彼女もとってもキューバを楽しんだそうだ。オスワルドと彼女本人から聞いた。ナイス。


2016年09月05日(日曜日)

 (21:44)我々が泊まっているホテルの前の前の通りは「セーラ(CELLA)」と名付けられていて、とっても綺麗な通りです。右側車線2車線、左側車線2車線があり、その真ん中がまた2車線分くらい空いていて、そこが自由に走れますよという感じでずっと続いている。綺麗にデザインされていて、「この通りがキューバで一番綺麗なのでは」と思う。

この通りの女性警察官は皆綺麗だ 朝そこに行くと「世界、どこに行っても仲間はいる」と思える。ランニング・アタイアで走っている人、カップルで早足歩きしている人、実に様々です。暑いので皆汗だく。しかし「オレ」と挨拶をすると、ほぼ90%の確率で同じ返事が返ってくる。

 ちょっと違ったスタイルで片手を軽く挙げてみる。すると同じような挨拶が返ってくる。非常にしっかりと挨拶が出来る人達なんだな、と思う。恐らくここで朝運動をしている人の半分は私のような観光客、それに大使館勤めの人なんでしょう。しかしキューバ人も挨拶を忘れない人々です。ナイス。

 この通りには実に多くの警察のポストが置かれている。そして実際にその多くには警察官が配備されている。そして実に見事に、その通りで見掛ける女性警察官は背が高く、足が長く、そして美人です。なかなか良い。キューバの警察車両のバイクは「黒バイ」です。写真の通り。

今でも大きな顔写真はチャベスだ なぜか。それは左右に各国の大使館が並ぶからです。高さではロシア大使館が一番目立つのですが、各国大使館の中で誰が見ても「あ、あの国だ」と直ぐに分かる建物がある。なにせチャベスの大きな顔が張ってある。写真の通りです。もう死んだのに、「ベネズエラの象徴はチャベス」なのです。

 実はチャベスはキューバではチェ・ゲバラ、フィデル・カストロに次いで顔がしばしば登場する。高速道路を走っていると「Amigo」の文字を挟んで左にカストロ、右にチャベス。ともに反米を掲げていた。チャベスはキューバに実に温情溢れる条件で石油を輸出した。そりゃキューバにとって「Amigo」(友達)です。

酒のコーナーだけは品数が多い その彼は2013年03月05日死去した。なのにハバナのベネズエラ大使館に飾ってあるのはチャベスのでかい絵です。チェ・ゲバラはそれにずっと先立つ1967年10月9日、満39歳の時にボリビアのバジェグランデ地方イゲラで死去している。

 つまり上位3人のうち、二人はもうこの世にはいないし、残るカストロも90才。そういう意味ではキューバもベネズエラもそれぞれのイメージとしては「過去に生きた国」「まだ現在と未来を作れていない」と言える。滞在中にラウル・カストロやニコラス・マドーロの肖像を見たことは一度もなかった。つまり現政治家は両国国民の関心の対象外なのです。

 だからキューバの人達の心配がよく分かる。ベネズエラからAmigoが去り、加えての経済危機で石油は破格の条件で貰えなくなり、今キューバは世界的にも珍しいエネルギー危機の最中にある。故の「灯火管制」です。

野菜市場は面白かった 世界には正確に知られていないが、キューバの国民の暮らしは実は世界でももっとも貧しい部類に入る。「ハイチは貧乏で有名だが、隣のキューバも同じくらい貧しい」とあるキューバ人。「このままならは危ないよ...。暴動起きるね...」と。

 実は今日、一つだけでは駄目と思ってちょっと大きなスーパーに行ったのです。器はでかい。一見商品は前回よりあるように見える。しかしやはり空の棚が多かった。朝10時の開店と同時に大勢の人が入って牛肉などを買い占めるそうです。残ったのはチキンなど。なぜか酒のコーナーだけは商品が多かった。

 その中に家電コーナーあって、ドラム式の洗濯機が売っていた。上に兌換ペソ、下に人民ペスの値段が入っていて、その下の値段を月給の300で割ったら「48」前後が出た。つまり庶民は洗濯機一つ買うのに48ヶ月分の給与を貯めなければならない、ということです。飲まず喰わずで。

 もう一つ。野菜市場に行った。3人民ペソから20人民ペソの値段が付いている。1パウンド当たりです。ほぼ全ての商品が日本円にして10円から50円の範疇に入る。しかしキューバ人が「ここは配給所より高い。ここでちょっと買い物すると一ヶ月の給料がなくなる」という。300という数字を想起して、「そうだな」と思いました。しかし野菜買って給料がなくなるって.........と思いました。

 不満は抑えられている、と見ます。先日見たアメリカの新聞に「キューバでは毎年数千人が政治逮捕されている」と書いていた。実際に現場を見たことはないが、キューバ人は道路でも警察を恐れる。警察のポストの前では確実にスピードを落とし、オープンカーで立っている客がいれば座らせ......と最大限の注意を払う。ラテンのノリとはやや違った面がある。

 とにかくこの国では現地の新聞もなかなか読めないので分からないことが多いのですが、じっと目を凝らすと見えてくることもある。実体は「警察が幅を効かす国家」なのかもしれない。
 


2016年09月05日(日曜日)

 (04:44)ついに「その日の朝」が来てしまいました。あと1時間くらいかな。朝5時にホテルを出発して空港へ。そしてトロント経由で羽田へ。「羽田へ」というのが良い。家に近いので。

 はっきり言って「おなごりおしい」。まだ帰りたくない。でもまあ、いろいろ待ってますし、恋しくなったものも沢山ある。また数年後に「その後」を見に来れば良いと思っています。

 50年をタイムスリップしている面があり、その一方で大きな時代の波に洗われている印象もする。人々は印象的で、いくつも思い出す顔がある。トリニダーの街で出会ったおじいちゃんとか、人民ペソを売りに来た男の怯えた目とか。オープンカーの陽気な運転手達。景色も鮮明。

 でもまあ、みんな力強く生きていたかな。「このままで良い」とは思わないでしょう。この国では何か大きな変化が起きる。間違いなく。カリブ海の他の島々に比較して人口も多く、人材もいる。平地もたっぷりあり、農業生産も盛んだ。

 飛行機の中で日々書き切れなかった事をまとめて、多分「矛盾をはらんだ国=2016年の"使用前最後のキューバ"」という文章を書いて、一応のまとめとします。なるべく飛行機の中で。そして仕上げは帰ってから。

 では皆さん、ご機嫌よう。


2016年09月06日(月曜日)

 (12:44)トロントの空港に着いて「機内モード」を約8日ぶりに外せたときは嬉しかったな。だってキューバは日本との電話会社契約のない国なので、下手にオープンにしておくとどこかに繋がって、あとから変な請求が来るかわからない。なので基本キューバ滞在中はずっともっていった各電話は「機内モード」です。

 しかしiPhoneの場合、使用モードを通常から「機内モード」に切り替えると、モバイルデータ通信が「機内モード」になるだけでなく、WIFIもオフになり、おまけにブルーツースもオフになる。

 ブルーツースがオフになってしまうとウォッチとiPhoneの情報交換が出来ない。なので機内モードにすると同時に通常はブルーツースをONに戻し、さらにWIFIが出来る場所ではWIFIもONにするというややこしい手順が必要です。

 それにしてもキューバの通信事情は、日本の電話会社との契約がない、パケホもないということで不便このうえない。良い写真を取ってもWIFIがあるところでしか送れない。しかもWIFI接続が結構不安定で、PCでもスマホでもIDとパスの入力画面に到達するのに時間がかかるケースが多い。

 気がついたのは「大きいマシンほど、WIFIの電波を拾いやすい」ということです。小型のiPhoneでやってなかなかWIFIをキャッチできない場合、プラスでやると案外素早く出来る。PC(Mac)だともっと楽にアクセスできるという仕組み。なぜだか知りません。受信機が大きい ?

 うーん、正直言って自分でも困ったのはゴーロスになったことかな。ははは。日本は本当に良い。LTEがあるので、言ってみればWIFIさえいらないケースが多い。それでインターネット共有をすればどんなネット環境問題も解決。

 そりゃ、山あいの温泉宿とか日本でも通信事情が悪い場所もレアにはありますよ。しかし人がそこそこ住む場所ではまずない。キューバは大都市でも日本の山あいの温泉宿です。通信環境的には。

 いわゆるキューバの「WIFI広場」をあちこちで見掛けました。それは本当に公園だったり、有名レストランのWIFI電波が漏れてくる近くのベンチだったり。いろいろだった。でもこうした環境も直ぐに変わるような気がする。ハバナで一番有名な観光地であるモロ要塞に、キューバの電話会社のETECSAの車が止まっていました。きっとWIFIの設置に来ている。その種の車はそこら中で見た。

 キューバに行くときは、「情報発信は何回できるかな」と思って行った。それが、なんだかんだ毎日出来た。「トリニダーは無理」と思っていたが、ホテルに着いたら走っていた。ということは、そういう面ではキューバも急速に変わりつつある、ということです。


2016年09月08日(木曜日)

 (00:44)7日午後のフジテレビさんの仕事を終えた後、同日中に名古屋に移動してきました。キューバでのバス移動に比べて、夕暮れの新幹線移動がいかに確実で快適か。ははは。

 8日に名古屋でのビジネスマン相手のやや大きな講演があるため。名古屋なので当然当日移動と思っていたのですが、主催者さんが「台風が来ていても開催の予定を変えませんが、足(新幹線)の混乱が予想されるので、出来たら前日入りでお願いします」ということだったので。夜の予定がなくて良かった。

 30階からの名古屋の深夜の眺めは、相変わらずちょっと平板で夜目には変わっていない。しかしここには灯りが鮮明にあちこちに見える。灯火管制はない。かつ名古屋の駅回りを考えると過去30年での変化は凄まじい。

 ドーンと世界どこにでもあるブランドショップが並ぶ駅のサイドは、「これでええのか」とも思うが、でも「名古屋という街」の変化は、ここ数年を見てきただけで顕著です。ハバナとは違う。善し悪しの問題は別にして。

 ほぼ2週間ぶりの日本のホテルは、そりゃ快適ですわ。キューバのどのホテルよりも。コンビニで間違って二つ買ってきたアイスクリームの残り一つが、冷凍庫がないが故にゆるくなってしまった以外は完璧。

 シャワーの強さは良く、部屋の温度はよく管理されていて、家具の構造のずれもなく、お部屋は綺麗。WIFIは使いたい放題。時間気にせず。ははは。こりゃ海外の人が来るのは頷ける。

 こんな快適な世界にいるのに、それでも海外に行くのは、「日本にない何か」を見たい、体験したいということなんですな。きっと。世界では圧倒的に日本以外で生きている人間の数の方が多い。帰ってくると直ぐに、「次はどこ」と考えている。

 それにしても、広島はまた勝った。最近ほとんど負けていない。一度は4ゲーム近くに接近されてのに、今や巨人と14.5ゲーム差。新聞には「8日にも優勝決定」と。ちょっとスピード違反でしょう。こんなにスピーディにマジックが減ったチームは、私が知っている限り過去にない。

 鈴木誠也に送られた言葉が「神ってる」ですが、最近はカープというチームそのものが「神ってる」。不思議ですよね。それほど大きな戦力アップがあったわけではない。監督の手腕もそれほど凄いものではない(と思う)。きちんと必要なクレームを出す程度。にもかかわらず。

 なんなんでしょうね。やっぱり変わったのは「いつまでも負けていられるか.....オレ達だってプロなんだ」という選手の気持ちの高ぶりかな。それにファンの願い。新井(貴)なんて、阪神時代の彼とは別人みたい。でも広島に戻ったから、今の彼があると思う。

 今年オバマが来た広島。優勝したのが四半世紀も前の広島。時間の経過の中で選手の気持ちが醸成し、「一丸」が生じていると思う。楽しみだな。クライマックスと日本シリーズ。多分クライマックスは超えられる。その後 ?

 でも、今年の日本シリーズはセリーグ、つまり広島が優勝するような気がする。なんの根拠もないが。これで広島が例えばクライマックスで折れたら、ストーリーが成立しない。日本シリーズは力と力、それに監督達の知恵比べになる。それは大丈夫か ?

 個人的な希望としては、今年の日本シリーズでは広島か、そうでなければ日本ハムが優勝して欲しい。そうなるかどうかは知りませんが。新井が戻って、黒田がいる。ベテランが若手の菊池、丸、鈴木らとかみ合っている。もしかしたらそのバランスが来年は崩れる。

 広島にはストーリー完成を願う。しかし恐らく"試練"はこれからです。
ycaster 2016/05/05)



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