Essay

<中国、先進国への長い道=2004年秋-Cyberchat>

 中国にとって、2004年の秋は一つの橋を渡った時と言えるかもしれない。正式メンバーではないものの、先進国クラブと言われる先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)にアメリカ政府から正式に招待され、正式会合後の晩餐会に参加したのだ。出席したのは金人慶(Jin Renqing)・財政相と中国人民銀行(中央銀行)の周小川(Zhou Xiachuan)総裁。今までのように「中国の事は中国が決める」という頑なな、非開放的な姿勢ではなく、投資過熱の問題、金利引き上げの是非や人民元為替制度の柔軟性拡大の問題を先進諸国と話し合った。今までの中国とはかなり違った姿勢だ。

 世界における中国の位置づけは、今微妙なところにある。その微妙さと、一方での巨大さが、この国を良い意味でも悪い意味でも突出させて見せる。まず中国は、どう見ても先進国ではない。なにせ国民一人当たりのGDPを3000ドルにしたい(それを小康社会と呼ぶ)と言っているのだから貧しい。韓国の同GDPは実績で10000ドルだから、その三分の一が目標と言うことになる。日本は実績で30000ドルに近い。上海や他の大都市の華やかさとは別に、中国は全体を見れば依然として貧しい国だ。それは中国の田舎に行けば直ぐ分かる。

 だから、中国はG7の正式メンバーではない。中国は自らを「巨大な開発途上国」と言っている。何よりも他の先進国に比して異質なのは、経済体制では市場経済を理想にしながら、中国が一般国民による公正な選挙も行っていない社会主義国だと言うことだ。しかし、他の先進国が関心を逸らすことが出来る普通の途上国でないことは明らかだ。中国の経済状況の変化や経済政策が世界経済に影響を与えるまでに至っている。日本を上回る大量の石油を消費し、世界最高額の外資を受け入れ、世界のマーケットを震撼させる。

 2004年の秋(9月11から16日)に、私としては同年3回目の中国訪問を行った。ラジオ局の番組製作に参加する形で行ったもので、前2回(3月と4月)の中国訪問が主に中国の企業(日本との合弁を含む)取材だったのに比較して、中国の経済政策を当局者に聞くための旅だった。この2004年秋の我々の北京訪問と相前後して、中国の軍の指揮権を含む最高指導者には胡錦濤が就任、鄧小平から権力を禅譲された江沢民時代(1990年の10年と2000年から2004年までの14年間)が終わり、文字通り胡錦濤時代の始まりとなった。

 胡錦濤は2004年の第16期第4回中央委員会総会(4中総会)で中央軍事委員会主席の座を江沢民から引き継いだ。今までも党の主席などの地位は持っていたが、軍の主席の地位こそが、中国の最高権力者の証であり、胡錦濤はそれを手にすることによって中国の最高指導者の地位をやっと獲得したことになる。「胡錦濤時代の中国」の始まりである。

《 微妙な、しかし揺るぎなく大きな存在 》

 実は私にとって北京訪問は久しぶりだった。中国の他の都市はしばしば行っているのに、北京に前回行ったのは確か天安門事件(1989年6月)の後だった。その時北京を案内してくれた友達が天安門で地下に通じる通路を指して、「ここから人民解放軍の兵士が大量に上がってきた」と解説をしてくれたことを思い出す。今回の北京でも通訳の人が「私はあの事件の翌日に天安門にいた」と当時のことを話してくれたが、そういう意味では私の記憶にある北京は実は14年前の北京である。

 天安門の前は、当時と変わった印象はしなかった。しかし、驚いたのが天安門の前を走る道路(東長安街)沿いの風景だ。天安門事件の直後に北京に行って宿泊したのは長富宮というニューオータニの関連ホテルだったが、その時かなり上の階の自分の部屋から東長安街を見下ろして、「寂しいところだ。ビルも少ないし、街も茶色っぽい」と思ったことを思い出す。人民服を着た人は普通に見かけたし、人々の表情も暗いものだった。王府井(わんふーちん)も、「これが聞いていた繁華街?」と首を傾げたものだ。何せ片道1車線の道路で、人と車が寄り添うように危なく行き来していた。

 しかし今回はどうだ。東長安街の変貌ぶりには驚いた。天安門から長富宮の近くまで歩いたが、道路が広いのは相変わらずだが、王府井は全面改装されて日・祭日は広い歩行者天国になり、その直ぐ近くにグランド・ハイアット・ホテルが完成し、その先には世界的なブランド・ショップが高いビルの一、二階を占め、人々は綺麗な衣類を身に付けていた。今回北京の街を歩きに歩いて、人民服を着た人に出会ったのはたった一人だった。しかも小綺麗で、当時の普段着としての人民服ではなく、ファッションに近かった。女性の化粧はまだ下手だが、着るものに関してはかなり前進した。

 中国の大都市の変貌・先進国化は、今年だけで私が行った上海、成都、大連などでも見られるものだ。瀋陽のように10年前の中国を色濃く残している都市もあるにはあるが、中国の都市、そこに住む人々、そして彼らの生活様式は限りなく先進国の我々に接近している。中国がただの途上国でないことは明らかである。都市には年収が10000ドルに接近したり、それを超える人が多いのだろうことは容易に想像が付く。でなかったら、ブランド・ショップなど立ちゆかない。一説によれば、個人金融資産が1億円以上の人の数は日本より中国の方が多い、と聞いた。人口が13億で日本の10倍であり、経済も著しい発展を遂げている国・中国で、「日本より金持ちがいる」と言われても、私は驚く気にはなれない。街の比較的値段が高く、美味しいレストランには、数多くの中国の人が家族連れで押し寄せていた。90年代の初めには見られなかった光景だ。

 しかし、繰り返すが中国は先進国ではない。だから、G7にもアメリカ政府の招待でやっと閣僚の金人慶・財政相と中国人民銀行(中央銀行)の周小川総裁が出席することが出来た。今までは中国はG7には次官級しか派遣できなかった。中国から参加した二人にとっても、自らの国が獲得しつつある椅子の大きさを感じた一瞬だろう。他の国の正式メンバーからの参加者、特にカナダのようにGDPで既に中国に追い抜かれていたり、フランス、ドイツ、イギリスなどもうすぐ追い越される国々にしてみれば、中国の参加は何かしら脅威に感じる初G7会合だったのではないか。容易に想像が付くのは、双方にとって居心地の悪い、神経を使う出会いだった筈だ。だから、中国に対する露骨な批判は聞かれなかった。比較的素直にものを言ったのは、招待主であり11月2日に選挙を控えているアメリカだった。

 ポイントは、先進国としてもG7に中国を呼ばざるを得なかったということだ。2004年秋のワシントンにおけるG7の焦点は「石油」と「為替、具体的には人民元問題」だったが、この二つともに中国の欠席では話が進展しない。討議の意味さえなかった。だからアメリカは中国を招待し、中国も世界に自らの政策を説明する責任があり、説明した方が将来にわたって有利と考えたのだろう。

 まず石油。10月に入ってWTIでバレル54ドル(執筆時点)にまで上がった石油の高騰について言うならば、明らかに中国の影が大きい。10月初めの新華社通信の記事に以下のようなものがあった。
溥儀の甥の書家、故宮で私の注文を処理してくれている  

 「中国の今年1~8月の石油対外依存度は40%に達した。2002年は32.6%だった。経済の高度成長にともなって2020年には60%を超えるとの見方も出ており、原油の国際相場を底上げする要因になっている。

  税関統計によると、1~8月の原油輸入量は7996万トンで前年同期比39.3%増、石油製品輸入量は2531万トンで36.4%増だった。」

  前年同期比で4割の石油輸入を増やす中国。しかもその中国の石油消費量は既に2004年の段階で日本を抜き、そう時間を置かずにアメリカに接近すると見られる。中国は1993年に石油の純輸入国になって以来、一貫して輸入を増やしている。中国の今の経済成長が続き、またそのエネルギー使用効率の悪さが改善されないとすれば、中国の需要が増え続けることは容易に想像できる。中国は既に石油輸入量で韓国を抜いている。この「需要増加予想」が世界の石油価格高騰の主要因となっている。現象的にはロシアのユーコスの問題、ナイジェリアの労働紛争、メキシコ湾を襲ったハリケーンの影響など様々な要因が挙げられるが、根本要因は中国の石油輸入増加である。2004年秋のG7が「原油高」を一つの討議材料としたときから、中国の参加は必要だったのだ。

 もう一つの「人民元問題」。これはアメリカが熱心だった。一時は日本も熱心だったが、日本の対中貿易収支は2004年には大幅黒字になって、切り上げ要求のトーンを落とした。対して、中国に対して恒常的に大幅な貿易赤字を出しているアメリカが、大統領選挙とのからみで人民元を切り上させる意図を持って「人民元制度の柔軟性向上」を中国に要請していた。それを国際会議の場に持ち出そうとするなら、G7が最適だ。

 人民元がどこの国の通貨かと言えば、当たり前だが中国である。しかし従来のG7の枠組みでは、中国が入る余地がない。となれば、正式に来て貰って閣僚がいる前で説明して欲しい、というのがアメリカの気持ちだった。当事国がいなければ話し合いも出来ない。つまり、G7が直面している二つの大きな問題において、中国がいなければ当事者のいない会合になってしまって格好がつかなかったのである。だから、中国を呼んだ。

 しかしだからといって、その結果出てきたG7の声明は中国に強く自覚を促すようなものでもなかった。当たり障りのない、新味と言えば原油高に対する産油・消費両サイドへの要望を入れた、それ以外は従来のG7の声明とあまり変わらないものだった。なぜか。中国はしゃくに障る面があるが、だからといって排除できない、先進国にとってむしろ自国のお客さんにしたい国だからだ。

書いてもらった「鍋」の字  では、中国はG7の正式メンバーにはなれないのか。規模は十分である。GDPで見た中国の経済規模は既に正式メンバーのカナダを上回っている。他のG7メンバー国との関係を見ても、日本にとっては既に中国がアメリカを抜いて最大の貿易相手国になった。アメリカにとっては日本以上に赤字を抱えた貿易相手国である。ヨーロッパに目を転じると、スペインでは安い中国の靴に対する暴動事件まで起きている。各国にとって「中国」が実感できる、相手にせざるを得ない貿易相手国、世界経済にとっては重要な構成要素になりつつある。そういう点から見れば、中国は早くG7のメンバーになった方が良いように思う。

 しかし問題はそう簡単ではない。そういう問題意識を抱えながら、2004年の秋に中国経済を動かす人々、その周辺にいる人々にインタビューした結果を以下に報告しよう。中国が時間を置かずにG7の正式メンバーになるのか、という問題意識に関して言うならば、私の結論は「少し先になる」というものだ。この問題を考える上でのいくつかのキーワードは

 「グラデュアリズム」
  「最善よりベストな選択としての次善」
  「安定と効率」
  「合法より合理」
  「信用システムの欠陥」
  「政治的リスク」
  「桎梏としての社会主義」

 の7つである。私はこれを今の中国を経済中心に語るときの「七つのキーワード」と名付けた。2004年秋の北京訪問(9月11日~16日)では

  1. 李揚・中国社会科学院金融研究所所長(元・中国人民銀行貨幣政策委員)
  2. 夏斌・国務院発展研究中心金融研究所所長
  3. 呉軍対外経済貿易大学金融学院院長、丁志杰副院長、何自云副教授
  4. 王元龍・中国銀行国際金融研究所副所長
  の合計6人の方と長時間のインタビューと意見交換を行った。実質二日間でこれだけの方に会ったのできつい日程だったが、「曖昧さの中を突っ走る中国経済の力強さと裏に潜む脆弱性」が良く理解できた。

 まず「グラデュアリズム」(gradualism)。漸進主義。インタビューをした多くの人の口から、「ロシアと比較した場合の、中国の改革の特質」として

 「社会の安定を壊しても急進的なことをするという姿勢は取らない」
  「効率を求めすぎると安定が失われる」
  「最善と思えるものをあえて避け、次善策のなかに最も良い結果をもたらすものがあると考えることも可能」

 との発言があった。中国のインテリには、ソ連やロシアの改革がよほど反面教師に映っているようで、あそこまで安定を失って改革することはない、との思いが強いようだ。なぜ彼等がそう考えるのか。その理由の一つは、ソ連やロシアになくて中国にある重荷、「13億人」という人口である。中国銀行国際金融研究所の王さんの口からは、

 「改革もいい。しかし中国の為政者にとって重要なのは13億人の民をどうやって食べさせるかだ」

 という鄧小平が言った有名な言葉が出てきた。通貨問題の担当者の口からこの言葉が出てきたことの意味合いについては後に説明する。筆者もこの言葉を知っていて、中国の為政者の政策を理解する上では一つのキーワードだと以前から思っていたが、今の政策通の口から出てくるとは思わなかった。斬新主義は時間がかかる。いくら日本やアメリカがいらいらしても、中国は「グラデュアリズム」を選択している。そしてしばらくその方針を変えそうもない。

 ここから、次の二つのキーワードが繋がってくる。

 「最善の策よりベストな選択としての次善の策」
  「安定と効率」

 前者は、最善の道を取るのは望ましい。しかしそれを取ると大きな社会的混乱と、先行き不透明な状態が訪れるとしたら、中国は次善であるかもしれないが社会の安定維持と民を食べさせ続ける道を選ぶ、というものだ。確かにソ連とロシアの改革は騒々しかったし、ロシアは依然として急速な人口減少の中で政治・経済とも混乱状態の中にある。その混乱状態の中で、プーチン大統領の権限拡充が続く。しかも、テロリストの活動も活発だ。「中国はその道は取らない」と多くの人がはっきり述べた。効率を求めて安定を壊しては何もならない。「安定と効率」の両方を大切にするのが中国の政策であり、それは結果的に「漸進主義」になる、というのである。

 確かに今までの中国は「安定と効率」のバランシング・アクト(均衡作業)に成功したし、それ故に今の繁栄があるとも言える。貧富の格差が大きいとか、いくつかの部門で投資の過熱が見られるとか弱点はある。しかし、ほぼ毎年中国のどこかの都市に行っている私のような人間から見れば、中国は着実に豊かになっている。それは世界経済の奇跡というにも等しいと思う。今のところ中国では「漸進主義」は成功している。

 しかし中国が着実に忘れてきたもの、今後しなければならないことはいろいろある。西側のマスコミで良く言われるのは「都市と農村の格差拡大」「農村の失業者問題」だ。しかし、「中国にはもっと重要な問題がある」というのが私の印象だった。

 それは社会主義体制の下でおざなりにしてきた市場経済に見合った法体系の構築の問題である。ちょっと考えれば分かるが、我々の経済行動は法律に守られているから安心なのである。その法律が契約を担保し、それによって所有権が移転する。基本的には市場経済では財産私有制が基本である。土地、建物からあらゆるものに所有権があり、それが移転し、担保として稼動することによって経済が成り立っている。

 しかし社会主義はそうは考えなかった。少なくとも今までは。今でも中国では土地は国のものだ。経済で一番重要な資産の一つである土地が国有なのだから、少し考えても分かるが中国の経済は先進国のそれとはかなり違う。つまり「信用のシステム」が全く違うのである。違うのに市場経済を導入しようとしている。と、どうなるか。法律から見れば曖昧、どちらかというと疑わしいことが一杯出てくる。法的不備が山積しているのである。山積しているが、それを法律問題、政治問題として解決してから前進しようとしたら、ちっとも前に進まない。

 そこで出てくるのが「合法より合理」という考え方だ。これも数多くの中国当局者の口から出てきた。合理とは何か。それは経済の発展、市場経済の普及、そして国民の経済的豊かさだ。その為の政策を選択するときに重要なのは、その政策が「合理」かどうかであって、「合法」が先に来るのではないというのが中国のインテリ達の考え方なのである。

 それはある意味で理解できる。建前としてでも社会主義の政治体制とイデオロギーをとっている国が市場経済を導入して経済活動を活発化しようとしたら、「合法」の部分を意図的に捨象せざるをない。なぜなら、"社会主義的"合法に合致しない部分が一杯出てくるからだ。それを忘れなければ、前に進めない。「将来問題が生ずる」「問題を先送りしている」と分かっていてもだ。WTO加盟で中国の法律作りは進展しているが、まだまだの部分が多い。

2年後に消えるフートンで自転車運転手と  その象徴的問題が土地だ。先にも書いたが、中国の土地はすべて国のものである。それなのに中国ではマンション・ブームが起きているし、土地投機が盛んだというニュースが出てくる。それは何故か。土地を持っている筈の国が商業地は大方50年、宅地については同70年の定期借地権を設定して、それを売っているからである。その定期借地権を基礎に、土地の売買が行われ、マンションが建ち、それが投機の対象になっている。

 しかし、誰も正確にその定期借地権の価値を知らない。タイム・ディケイの問題をどう考えたら良いのかも分かっていないし、だいたい定期借地権の権利がいかなるものであるかも正確には理解されていない面がある。筆者もこの問題を香港H株の浙江滬杭甬(浙江高速)株に投資するときに相当考えた。一体中国の高速道路会社というのは、土地を所有しているのか、定期借地権だとしたらそれがどれほど価値のあるものか、と。しかし結局よく理解できないまま投資し、これまでのところその投資は失敗していない。

《 強さと、そして曖昧さと 》

 この問題に対する夏斌・国務院発展研究中心金融研究所所長の解説が面白かった。野村證券の日本橋のあの長いビルで研修を受けたという夏さんは、以下のように述べた。

  「50年、70年後には今生きている人は誰もいない。はっきりしないことはいっぱいある。しかし重要なことは突破口を開くことだった」

 考えようによっては無責任な発言だが、実際のところ中国の当局が土地や建物に対する投資を活発化させようとしたら曖昧なまま「定期借地権制度」を設けざるを得なかった、ということだろう。例えば「土地を私有に戻す」と言った瞬間に、革命(今の中華人民共和国の成立は1949年10月1日)から55年しか経過していない中国では、「この土地は我が家が代々保有していた」「おじいちゃんが持っていた」といった類の激しい、そして醜い争いが噴出するだろう。それを収める法的システムは今の中国には整備されていない。だとしたら、「土地は国のもの」という建前を崩さずに、しかし「民間の方々も定期借地権は買えるし、それを売買できる」とするしかない。夏さんが言う「突破口」だ。

 「定期借地権とはなにものぞ」という疑念と曖昧さが残る中での、中国における不動産の流動性の増大。上海の土地が値上がりしていると言われても、付きまとう胡散臭さの背景は、バブルに対する恐れ以上に、先進国には存在しない仮住まいのシステムに対する疑念でもある。加えて、「50年、70年と権利の期限があると建前では言われているが、しかし誰もそこできっちりと権利が消滅するとも考えていないのが実情」(北京の事情通)と言われると、システムの曖昧さが余計浮き彫りになる。つまり、50年とか70年とかいう数字さえあやふやだというのである。

 中国の人達の中には、「定期借地権を購入しておけば、いずれ半永久的な所有権に等しいものになる」との見方もあるようだ。例えば今はまだ残存45年とか65年あるから建物(商業ビル、住宅)を建てるが、今から40年経って残存が5年とか15年となったときに建物を建てる人が出てくるのかという問題になったとする。つまり権利のタイム・ディケイの問題だ。再び借りられるという保証がなければ建てないだろう。そして中国の人達は、「多分そうなる」、つまり今の定期借地権は半永久的な使用権、さらには所有権になると予想する。だから残存が5年になっても、ビルを建てる人はいるだろう、と。

 言われてみればそうなるだろうという気はする。しかし、今のところ誰もそれを保証はしない。買う方も売る方も自分たちが死んだ後のことなど考えていないのだ。しかし、そうした胡散臭い、疑念に満ちた法的、社会的システムの中で中国の力強い成長は始まり、勢いを増し、そして世界経済の中で中国の重要性は増している。今後も増すだろうし、だからこそG7は中国を正式協議に招いた。「とりあえずの突破口戦略」はワークしている。

 土地の問題を考えただけで、中国の「信用のシステム」が極めて脆弱であることは明確だ。夏さんも「信用システムは中国が抱える最大の問題」と指摘。なにせ、善し悪しの問題は別にして、土地という私有財産制度で極めて重要なものが、中国では今までその役割を負っていなかった。では今まで中国の銀行は何を基準に企業に貸していたのか。夏さんは「国営企業に貸す場合は、国から保証書をとっていた」と述べた。つまり、国が「これは保証する」とした企業に貸していたというのである。

 保証書がどういう判断基準で出たかは知らない。恐らく政治的な意図で、人的要因も絡んでかなり乱発されたに違いない。だから夏斌さんは「中国の不良債権の大部分がこうしたシステムの中で発生した」「計画経済から市場経済への移行の中で発生した」と明言する。国の保証など、方針が変われば何の役にも立たない。夏さんは、残る不良債権発生原因は

 「景気循環」(先進国にも存在する)
  「ノウハウ不足」(貸し出し・評価・回収などに関わる)
  「意図的不正」(親兄弟への貸し出しなど)

 だとしながらも、これらが全体に占める割合は小さい、と指摘した。ではこうした信用システムの欠陥は、「定期借地権」制度で多少は補完されるのか。これは極めて怪しい。定期借地権制度の曖昧さ故に、50年後、70年後の同権利は無価値と評価して中国企業と取引している、という日本の銀行もあるそうだ。

 どこの国の信用システムも盤石だというようなものはない。土地をベースにした日本の信用システムが晒した脆弱性は記憶に新しい。どこの銀行システムも問題を抱えている。しかしそうした中でも、中国の信用システムは「激しい変動、浮動」の中にある。それでも魅力があるから、海外の銀行は中国の金融機関との提携から中国への進出に熱心なのである。

 最後のキーワードは「政治的リスク」「桎梏としての社会主義」である。政治的リスクに関しては、9月13日のレポート(http://www.ycaster.com/news/040913.pdf)でも少し触れた。「単位から個への中国社会の変質とそれが持つ政治的意味合い」といった話だったが、今回は今でも中国の政策当局者、エコノミストの頭の中にある一つの桎梏について書こう。それは、「13億人という人口の重み」であり、一つの政策が膨大な人口に及ぼすインパクト、それに統治の正統性とマンデートの問題である。

 王元龍・中国銀行国際金融研究所副所長の口から、鄧小平の有名な言葉が出たことは既に書いた。「改革も良いが、13億の民を食べさせるのが先」という言葉だ。王さんと人民元の話をしていたときに彼が「10%の人民元の切り上げによって、例えば3000万人の失業者が増えるとの見通しがあったら、政策決定者はなかなか人民元切り上げに関わる政治的リスクを負えはしない」と言った。

 最初そうだろうか、と思った。日本だってプラザ合意の後の急激な円高局面では、国内に失業者も出たし、行き詰まった産業も数多く出た。政策策定者もそれをある程度覚悟した筈だ。同じ事ではないか、と。中国だって出るのが当たり前だ、と。先進国ではどの為政者もしていることである。それに関してある程度は国民の理解もある。

 しかし、そこはどうやら中国では違うようだ。まず何よりも、彼の国では政策の変更によって影響を受ける人間の数のケタが違う。それが彼等の頭にひっかかる。政策一つの変更で、何千万人もの人が職を失い、それに伴う政治的リスクが発生する。それが長期的に国の為になると思っていても、為政者はなかなか踏み切れない。

 利上げにしても、人民元の切り上げにしても、脆弱性を抱えた中国経済の一部には大きな打撃である。今の日本経済が円高を乗り越えて体質を強化し、それ故に再び日本の時代を迎えようとしていることを説明しても、中国の指導者がそれ(通貨の切り上げ)を素直に自分達の決定に生かせるかどうかは分からない。利上げ説は繰り返し出ていたが、今回会った上記の人達の意見は大方において、「利上げはすべきでない」というものだった。「利上げは投資を冷やさない」「むしろ消費に打撃を与える」「8月の消費者物価の5.3%という高い伸びは、季節的、特殊的な要因」などの主張だった。人民元の切り上げ問題に関しては、周さん自身が「切り上げ圧力は減退した」と述べている。これは既に指摘した。

 選挙というシステムを通じて統治に関して合法性をもらっている日本を含む先進国の政治家は、統治に関わる正統性を明確に主張できる。しかし、前任者からの禅譲と周囲からの推薦で統治に当たっている中国の為政者は、国を発展させ、国民の支持が保てなければやっていけなくなる。中国の指導者には以前は、「革命を指導した」という権威があった。鄧小平までである。江沢民はその鄧小平から権力を譲られた。しかしそれでも自分の権力基盤を作り上げるのに苦労した。彼が主導した愛国教育はそこから出たと言われる。

 中国の指導者は、過去の栄光に頼れない世代に入りつつある。胡錦濤は革命の時にはまだ幼児だった。彼が政治家として評価されるとしたら、今後の活躍と成果如何だ。そうした成果がない時に、失業者だけで何千万にも達するかもしれない金利や為替の政策を動かすとしたら、当然ながら彼等は凄まじいプレッシャーを感じるだろう。今後の中国の指導者はずっとこのプレッシャーと戦わなければならない。

 もう一つ、「国を一つに纏めねばならない」というのも中国の指導者にとって重大な問題だ。中国は多様な地域と、多様な民族(47くらいあったと思う)を内包する国家だ。歴史を見ても、何回も分裂してきた。台湾を併合しようという熱意も、言ってみれば統合の継続とモメンタムを失いたくないための努力とも見ることが出来る。

 実は、中国の紙幣の中で今まで唯一毛沢東の肖像以外の肖像(少数民族の女性像)を使っていた1元紙幣の肖像が、新札で毛沢東に代わりつつある。その結果生じているのは、中国の全紙幣の毛沢東肖像への収斂である。この変化と多様性の時代に、依然として「毛沢東」に頼る中国。いや頼らざるを得ない中国。中国の為政者達は、中国社会の安定と国家体制の継続の象徴として、毛沢東の力を借りざるを得ない。私にはそれは「脆弱性」にも見えるが、中国の人達は「当面は仕方がない」と口を揃えた。

 今の中国の抱えるリスクとして強く指摘できるのは、「安定と効率」のバランス重視、政治的リスクの回避を優先する余り、中国が必要な改革をせずに、その改革の遅延故に将来「安定」を失う危険性がある点だ。中国で鬱積する政府に対する不満は、なかなか表に出てこない。しかし政治的リスクを盾にする政府の現在の行動パターンには、若手インテリの間から強い不満が聞こえた。これには私もびっくりした。それほどまでに中国の研究者の発言は率直になっている。

 例えば対外経済貿易大学金融学院の何自云副教授は、「中国の改革のペースは遅いと思う」とはっきり言っていた。同副教授はさらに中国でも個人の欲求や知識の深まりの中で社会的欲求が形成され、それが高まって政府に対する政治的プレッシャーになっているという現実を指摘した。特に何自云さんが強く指摘したのはインターネットの普及で中国国民も自由に自分のホームページを持ち、発言が出来るようになった点で、「中国政府はいやいや一歩一歩下がっている。重要なことは政府の下がるペースが速まっていることだ」と述べた。社会主義国である中国でも、世論は形成されつつある。北朝鮮にはないものだ。

 中国の民衆がもっとも直近において政府の方針に逆らった例は、サッカー・アジア大会だ。大会運営は混乱し、応援は反日一色になった。これは9月13日のレポートで指摘した。もっと言えば、新聞やテレビは政府管轄下にあるが、インターネットという情報ツールによって、「世論は政府が無視し得ないもの」になりつつある、ということである。その世論のプレッシャー故に、政府もいやいや一歩一歩下がらざるを得ない。

 それが良い方向に向くのか、それとも反日感情の横溢のような良くない方向に行くのかは分からない。中国での新しい世論の台頭が、経済的にどういう意味合いを持つのかも、予測はなかなか難しい。江沢民から政権を受け継ぐ胡錦濤政権の課題は大きい。多くの人から、「胡錦濤になってからの改革の進み具合は遅い」という評価が聞こえた。朱容基の時代の方が速かったというのである。

 中国に関して確実に言えることがある。それは、中国経済が世界で占める重要性は予見しうる将来において減ずることはないが、中国が直面する課題は大きい、ということだ。いつまでも「合理だから良い」とは言っていられない。ではどういう手順で法律を変えていくのか。農村と都市、農村人口の都市への移転、内陸部の発展促進などはどう処理するのか。問題は山積である。

 言ってみれば、今の中国は「カオス」(混沌)である。だから、まだ整然と経済システムが市場経済で整った日本、アメリカなど先進国とは肩を並べられるかというとそれは無理である。だからこそ中国は面白いのだが、経済システムの面から言ってまだ「G7クラス」とは判断できない。当面は「特別なお客様」だろう。
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  ここまで書いて、「中国は先進国か。G7に参加できるか」という問いに帰るならば、答えは「当面はノー」というのが当たっているだろう。土地の私有制という市場経済の根幹があやふやであること、従って中国の信用システムには非常に大きな欠陥が見られること、それに国の基幹的法律(憲法の相当する法律)が社会主義に基づいて出来ていることに伴う法体系の不備があること、選挙がないなど政治システムや政府の政策決定システムも先進国のそれと依然として大きく違う点などが指摘できる。

 これとの関連で、一つ面白いポイントを指摘しておこう。中国のシステムが他の先進国と大きく違う具体例として、中央銀行制度が挙げられる。この点に関しては、中国社会科学院金融研究所所長でありつい最近まで中国人民銀行貨幣政策委員会の委員だった李揚さんの説明が参考になった。中国の金融政策を考える上で参考になるので、ここに記す。

 アメリカ、日本など先進国では長い歴史の中で、「中央銀行の政策決定は時の政府の方針とは独立して行われるべきだ」という教訓が生きたものになっている。政治の圧力で金利が上げ下げされれば、金融政策が中立性を失い経済の長期的安定成長に打撃になるという苦い教訓の上に出来上がっている。むろん社会的、政治的ななプレッシャーは存在するし、中央銀行がそれを気にすることはあるだろうが、日銀の政策決定委員会も、連邦準備制度システムの公開市場委員会(FOMC)も、時の政権とは独立的に金融政策を運営できる法的枠組みが出来ている。

 中国はどうか。中国人民銀行貨幣政策委員会は、日銀政策委員会やFOMCに似たものか。違うのだ。中国人民銀行貨幣政策委員会は、金利に関して決定権のない、諮問のための委員会である。現在13人の委員がいて、構成は主要官公庁から9人、人民銀行から3人、アカデミックから1人という構成になっているという。開催は四半期に一回。日銀政策委員会やFOMCのように議事録を出すのかというと、出さないという。委員会には周総裁が出席しており、総裁は参加者の意見をじっと聞いている。意見を集約することもしないという。そしてもっとも重要なのは、周総裁は温家宝率いる国務院と相談して、国務院の名の下に金利操作を行う。つまり、形の上では中国では金利決定権は中央銀行が握っていないのである。

 つまり、金利決定過程一つ見ても、中国は他の先進国とはシステムが大きく違うのである。社会主義的一党独裁のシステムの色合いを色濃く残しているのだ。しかしそれでも李揚氏は「貨幣政策委員会の設立は第一歩。将来の金利決定の独立性に向けての前進」と語った。先進国並のシステムに向かおうとする中国。しかし、中国人民銀行貨幣政策委員会が金利決定の独立的権限をいつ手にするかは分からない。

《 単位から個人に 》

 政治はどうか。天安門事件の直後に中国に行ったときにはそうは考えなかったが、今回天安門に立って一つ考えたことがある。この相も変わらぬ茶色の門の中央に掲げられている毛沢東の写真を見ながら、「この写真が外れるのは、いつになるのだろうか」ということだ。むろんこれは修辞で、問題意識は中国における共産党一党独裁の終焉の日は何時になるか、という点だった。どう考えても、今のすさまじい勢いで進む市場経済化、そして経済の煌びやかさが体制としての社会主義と齟齬をきたし、共存を難しくする局面があると思えるからだ。革命時の実績を持たない胡錦濤政権の実権掌握は、私には社会主義体制の延命にではなく、終焉を速めるようなものに見える。

 滞在中に北京の知り合い何人かにこの問題をぶつけた。皆笑うだけで、「さあ」で終わってしまう。想像が出来ない、というのです。いや想像が出来ないだけでなく、中国の体制が変わることが世界のために、そして日本のために、さらには中国自身のために良いことなのか悪いことなのかも分からない。この意見には私も賛成です。なぜなら、それはこの巨大な13億を超える民を抱える国が少なくとも一時期は不安定化の状況の中をくぐることになるからだ。

景山から見た故宮
 しかしでは今の中国がそのまま20年後もあるか、といったら確信はない。ごく最近でも中国での変化を強く感じている人が北京には数多くいた。例えば旧知の間柄で、今回で北京を含めて中国駐在が三回目という時事通信の村山支局長は、最近の中国で一番の驚きであり、しかも中国の指導部に深刻な危機意識をもたらしたのは、例の日本と中国がアジア・サッカーの覇権を争ったサッカー場での反日運動だった、というのだ。この騒動の全貌は日本にも伝わっていないし、ましてや中国ではそのごく一部でさえも伝えられていない。

 何が中国の指導部にとってショックだったのか。それはああいう反日の動きが出たことではなく、それを必要に応じて抑えられなかったことだというのだ。以前だったら、指導部が抑えようとしたら抑えることが出来た。中国の共産党支配は国営企業、農村社会など各単位を党ががっしり抑えて、その政治意識を押しつけていく、浸透させていくというプロセスだった。それが今まではワークした。天安門事件のような武力を使って抑え付けた事件もあったがあれは例外で、中国は今までは民衆感情の爆発を抑制してきた。

 しかし今回の事件は違った。重慶のサッカー場での日本チームへの中国民衆の仕打ちは、対戦相手が中国でなかったにもかかわらずモノがピッチに次々と投げ込まれる酷いものだったらしい。あまりにもひどく、そのまま北京の工人体育サッカー場に持ち込まれれば国際的非難を浴びそうだった。で、中国の指導部は北京では日中の決勝戦は整然と行おうとしたし、一部の指導者はそれを日本に約束した。にもかかわらずそれが出来なかった。中国民衆は、日本公使の車までボコボコにした。これにはさすがの中国も日本に謝罪せざるを得なかった。それが中国の指導部にはショックだったというのです。民衆に対する自らの指導力、そしてコントロールする力の著しい低下。

 あのときサッカー場に居て、実際に場内の雰囲気を見ていたと言う友人を持つ住友信託北京事務所の甲斐さんの話を伝聞で聞きましたが、日本で伝えられているような「一部が跳ね上がり、全体を先導した」といった類のものではなく、君が代の段階からサッカー場全体が異様な雰囲気で、とても「一部の人間の」と言えるような状況ではなかった、という。つまりそれは中国民衆の激しい反日感情の横溢が顕著に表れた事件だったらしい。

 中国側の観客席にいた日本人は、あまりの恐ろしさに意に反して中国側のチャンスの時にはそれに併せて手をたたいた。そうしなければ危なかったという。
  ――――――――――
  直前まで北京のサッカー場に来て試合を見る予定だった曽慶紅・国家副主席が来なかったのは、「とても望むような試合会場の雰囲気には出来そうもない」と事前判断した指導部が、「リスクを避けた措置」だったと思われている。国家副主席が来ているのにあの荒れようでは、中国の指導部の権威が問われるし、それを許したとなれば対日関係上だけでなく、中国指導部の統治能力への疑念に繋がる。逆に言えば、最初から「抑えられそうもなかった」「抑えられないと分かっていた」ということだ。

 ではなぜ、サッカー場に集った中国民衆には中国指導部の意向が反映しなかったのか。キーワードは「単位から個」だ。この言葉を使ったのは村山支局長。ポイントは、中国において支配プロセスの中で重要な役割を果たした「単位」が崩壊して、今や若者を中心に「個の時代」に入りつつある、そこではしばしば政府のコントロールが効かない、というのだ。「個」は、日本と同じように独立した行動意識を持つ。持つが、例えば夜中のチャットなどでインターネットを通じて感情を相互に高ぶらせている可能性が高い。彼らは政府の号令より、ネットの共有感情を大切にして生活している。

 「単位」というのは、中国では例えば国営企業とか集団農場などの組織を指す。中国政府はそれらを支配単位にして、支配のピラミッドを形成してきた。むろん毛沢東の紅衛兵運動など思想運動もあったが、日常的には「単位」支配で民衆をコントロールしてきた。その「単位」を通した支配が、効かなくなってきている。例えば国営企業は行き詰まり、大量のレイオフが発生している。また、農村社会の共同体意識は崩れ、大量の農民が都市に出稼ぎに出る一方、農村社会でも利益優先の考え方が支配的になった。中国も「単位」が中心ではなく、「個」が前面に出てきている。

 その「個」が「砂」のように希薄な関係で集合し、しかし時として大衆として集う社会を作り上げている。それを権威である方向に動かそうとするのは難しい、ということだ。先進国では当たり前でが、中国もやっとそうなってきたと言える。それは時代の趨勢だが、コントロールは難しい。「個」は分散しているが、夜中のインターネットでの通信やチャットの中でいくつかの固まりを作って、感情を爆発させる。

 最後には国民をコントロールできる、と今まで思っていた中国指導部には愕然とする事態だろう。愕然としたばかりか、「かなり強いショックを受けている筈だ」という人が多かった。中国の指導部にとって整然と開きたい筈の2008年のオリンピックは、もう目の前だ。

 北京市内を走るとすさまじい建設ラッシュで、選手村の建設、施設の建設はもう始まっている。アテネのように直前まで施設建設が続けられる、という状況は北京では起きそうもない。しかし、今度は「国民がどう動くか分からない」状況に直面している。具体的には日本や台湾が登場する試合がどういう展開を見せるのか。

 中国は「単位から個」への大きな変化の中で、今までとは異なった政治状況に直面しつつある。そしてそれは、少し先の中国の政治意識を思わぬ方向に向かわせるかもしれない。指導部に向けられることもあるかも知れない。先に私の想念として「毛沢東の写真のない天安門」を考えたと言ったが、それは私の勝手な想像とは言えないだろう。

《 抗日戦争の中で育った中国共産党 》

 外からは見えないが、中国の指導部が見直し始めたであろうと思われるのが、愛国教育の中身だ。北京の街を歩いていると、今でも国民が優先すべき事項を指示した立て看板があって、そこには第一に「愛国」がうたわれている。漢字が読める日本人の私には分かる。

 今の中国の体制下において、「愛国」とは何か。これは日本人がよく認識しなければならないと思ったのだが、中国共産党の結党から発展、そして蒋介石を追い出して戦争を遂行し、そして政権を取るまでのプロセスは、「対日戦争、対日愛国運動」と表裏一体だ、という点だ。つまり、中国共産党の権力への道は、反日戦争、反日思想教育の歴史そのものなのだ。

 江沢民が90年代に盛んに行ったと言われる「愛国=反日」教育についても、何人もの人から「もともとあったもの。それを江沢民は強化しただけ」と聞いた。考えてみればそうだ。中国共産党の歴史は、「反日闘争」そのもの。彼らは、今回のサッカー場での民衆の動きを見て、「やりすぎた」とは思っているかもしれない。だから、少し修正しようと。しかし、やり過ぎをどう修正するかは大きな問題だし、反日に繋がりやすいからと言って愛国教育を止めるわけにもいかない。

 なぜか。登場する次のキーワードは「革命後50年」「政権の正統性」だ。中華人民共和国の成立は1949年10月01日ですから、今は既に55年がたとうとしている。革命後50年たって、実際の革命運動での英雄的役割を認められた人々は政界を去りつつある。英雄としてたたえられた毛沢東、周恩来、鄧小平らは、革命運動での戦果や統治で「政治家としての正統性」を与えられていた。しかし、胡錦濤もそうだが、今の指導部にはトップになるまでの強い実績はない。一世代前の、そして鄧小平のお墨付きをもらった江沢民でも、自らの統治の正統性を裏打ちするために90年代に国をまとめる愛国教育をした。その愛国感情が、中国のネットを覆っている。

 村山支局長は、「日本で言えば今の中国は、日本の維新後50年くらいの明治から大正への時期に当たる」との見方をする。指導部も代わり、革命(明治維新も一種の革命です)の理念は薄れ、社会の流動化が進む。日本の大正時代がそうでした。まさに今の中国は、サッカー場での出来事を見ればそうなっている。指導部の意志が民衆に伝わらない、というよりも民衆から無視される時代に入っている。

 中国の指導部には、他の多くの国の指導部がそうであるような「選挙で選ばれた」というような正統性は存在しない。胡錦濤だってなぜ彼が江沢民の後任になったのか自ら説明できない。今はニューヨーク・タイムズの報道をきっかけに、私が北京滞在中には今回の会議では江沢民が辞める、辞めないの話になっていたが、それにしても中国の指導部は自らの権力者としての正統性の担保に苦慮している。彼らはほっておけば「砂」と化しかねない民衆をなんとか政治にとって粘着力の残るものとするためにも「愛国教育」が必要だ。しかし、その愛国教育はどうしても「反日」と表裏一体になっている。

 正統性がない政権が正統性を主張しようとしたら、「その政権でうまくいっている」という証、国民に対する説得材料がほしい。中国の場合それは「経済発展だ」と多くの人が見る。有人衛星を打ち上げるのも入るかもしれないが、日常的に「この指導部で良い」と思ってもらうためには「国民を豊かにする」ことしかない。それが出来れば、国内は治まる。ということは、今後の中国の指導部は、今まで以上に「成果」にこだわるだろう、ということだ。

 もう一度確認しておくと、「中国共産党の歴史は、抗日運動、対日戦争の歴史そのものであり、中国の愛国は直ちに反日に繋がる要素・様相を色濃く持っている」ということである。これは生半可なことでは消えそうもない、日本人が心しておくべき事実だと言える。

 革命での実績という「政権の正統性」を失った中国指導部が、「政権の政治の成果」として国民に提示できる最大のものは経済発展だ。しかしこれは100%保証されものではない。景気は先進国でも制御が難しい。問題の一つは、中央の統制が必ずしも地方に対して効かない、という事実だ。「個」化した民衆に対しても中央政府のコントロール力は弱くなっているが、地方政府に対しても弱くなっている。なぜなら、地方も豊かになることを急いでいる。だから隣の省が製鉄所を作れば我もということになる。それを足し合わせると、国としては過剰投資になる。が、地方はこれを中央政府に隠れてもやろうとする。中国の経済政策はコントロールを失いやすい。ということは、制御が難しいということだ。

 軍の最高指揮権を確保し、中国の実質支配に入った胡錦濤政権。しかし、彼が直面する問題は大きい。

《 渋滞と建設ラッシュと 》

 ところで、経済、政治を離れて久しぶりに見た北京の街の様子を少し記す。まず渋滞。アポをとってあるので決まった時間に移動をしなければならないが、これが凄まじい。週末に時間の制約なしに移動する分には良いが、平日に時間を決めて移動するには極めて難しいのだ。とにかく凄い車の数。日本からすればもの凄く広い道なのだが、やはり車がうまく裁ききれていない。だから凄い渋滞で、タクシーを利用するといったい何時に目的地に着くか全く予想できない。

 具体的に言うと、9月13日に富士通総研経済研究所主任研究員の柯隆(か りゅう)さんとラジオ局の二人が到着した。私は11日から北京入りしていたので、彼らとは合流して同日の午後に天安門に向かった。が、これがえらい渋滞で、「地下鉄の方が良かったな」といった会話にタクシーの中でなった。ホテルからは一回乗り換えると天安門に出られる。それは知っていた。だから私も提案すれば良かったのだが。

 加えて、私が「こんなんで、北京のオリンピックは大丈夫かな.....」と言ったら、柯さんが

 (現在は三路線だが)あと、地下鉄を三本作ります
  タクシーの色を統一する計画を進めています

 などと説明してくれた。北京のタクシーの色は赤が多いのだが、しかしよく見るとシルバーもあるし、黒っぽいのもある。上にそれとわかる突起が出ているので分かることには分かるが、確かに色は統一した方が良い。しかし、地下鉄を三本余計に作ったからと言って北京のこの酷い日中から夕方にかけての交通渋滞が一朝一夕には解消するとは思えない。4年後は凄いことになりそうだ。まあ政策的に一般車の市内流入を規制するでしょうが。

 次に、日本より進んでいるネット事情について。北京のホテルは実に良くネットが整備されている。主要なホテルの主要な部屋には必ずADSLの端子が壁から出ていて、それを日本から持って行ったラップトップのADSL・光端子に入れるとホテルのHPが出て、そこになにがしかのユーザーIDとパスワードを入れると、恐らく一日1000円程度の料金で使いたい放題になる。

 中国社会でネットが果たしつつある役割は大きい。反日感情がネットを通じて増幅されていることは日本でも報道されている。ネットは皆夜やる。夜書く文章は、昼間書く文章よりも先鋭化する。日本のチャンネル2などでは、既存のマスコミではとんと聞かれないような激烈な反中思想などが披露されているようだが、中国のネットも同じような状況になるのだろう。だから、「中国のネットはこうなっている」といった報道をするなら、「日本のネットもこうなっている」という報道をしなくてはならないが、中国の場合は既存のメディアでの言論の自由が封じされている、少なくとも抑制されている分だけ、ネットでの発言が注目されるのだろう。

 中国の世論形成におけるネットの役割に関してもっとも明確に意見を披露してくれたのは対外経済貿易大学金融学院の何自云副教授だった。彼は、中国社会でネットが果たしている役割に関して、「それによって民衆の欲求は多様化し、またインターネットを通じて知識や情報が広がっている。そうして形成されてくる欲求に対して、政府は一歩ずつ下がっているし、その下がるペースはスピードアップしている」と述べた。これは先に一部紹介した。

 既存マスコミが統制と抑制の下にある中国では、例えネットの特定サイトが削除されるような事態があったとしても、ネット全般が世論形成に大きな力を発揮し、その大きな力故に政府もその大勢的意見を無視できなくなっている、ということだろう。繰り返すが、サッカー・アジア大会における反日気運の高まりは、明らかに政府の希望する範囲を逸脱した。それはネットを通じて伝搬したと理解される。今後、この「ネットの世論」が胡錦濤政権をどのくらい動かすかは不明だ。しかし、無視できない大きな力になることは明らかだろう。

 街の様子はどうか。北京に到着した11日から12日にかけての印象として、次のように書き込んでいたので、それを紹介する。

  1. ビルの装飾、ネオンサインなどでカラフルになった
  2. 夜も大勢の人が街に出ていて賑やか
  3. 痩身しかいないと思っていた中国人が、ちょっと太めになった
  4. どこに行っても建設ラッシュ
  5. 首都の貫禄のようなものが出てきた
  など。実は到着したその日に、旧知の時事通信・村山支局長(彼は三回目の北京駐在です)と食事→夜の街探訪というルートで動いた。土曜日ということもあって王府井の近くの老舗羊のしゃぶしゃぶ店はものすごく込んでいたし、その後に行った北京の新しいバー街・三里屯ももの凄く大勢の人が繰り出していた。街には活気がある。

 この三里屯は、我々が宿泊したホテル(スイスホテル)の近く、よって外務省も含めて外交使節が多い場所で、実際に三里屯の各店のお客を見ても欧米人が多い。道の横にオープンカフェ方式のテーブルが出ていて、なかなか良い雰囲気で、我々もそのうちの一軒である「Lily」という店に入ったのです。ナマ演奏をしていたので、それを聞きに中に。女の子三人組が音楽に合わせて歌い、しかし客は聞くでもなく、大部分は自分たちのゲームに興じながらハイネケンを飲み、その飲み終えたハイネケンを何本飲んだと誇示するようにテーブルに並べている。

 彼らは面白いゲームをテーブルの上でしている。それぞれがダイス(さいころ)を四つ入れた黄色いプラスチック・コップのようなものを振ってテーブルの上にかぶせ、自分の四つのダイスをこっそり見る。見た上で、他の人とたぶん合計かなにかを競っているのだと思うのですが、心理ゲーム的にやっているのです。一種のポーカーのようなゲームかなと思いました。永遠にやっているのです。トランプ・ゲームをしているグループも居ました。中国人はゲームが好きなんですよ。パチンコ屋さんにも、中国の人は数多く見かける。北京のシェラトン・ホテル(確か長城飯店といった)のアネックスには、面白い店もありました。

 最後に、中国でも北京的な特徴を。これは成田に降り立って暫くして気付いたのです。「何かおかしいぞ.....」と。いつも成田に降り立つと、向こうで使ったお金、特に硬貨の処理をどうしようと考える。持ってきてしまうケースが多いのです。しかし考えたら、今回の北京への出張では現地で一度として硬貨を受け取らなかった。

 レストランで食事をし、店舗で買い物もしている。しかし、一回として硬貨をおつりの一部としてもらった記憶がないのです。すべて北京でのお金のやりとりは紙幣で片づいた。上海から成都、大連から瀋陽と今年だけでいろいろ行きましたが、成田の着いた時、ポケットの中には結構な数の硬貨が残った。しかし今回はゼロ。

 思い出しました。そういえば、柯隆さんが、「上海は硬貨が多く、北京はそれが少ない」と。その通りだったと言うことですが、しかし私が5日間も北京にいて一度として硬貨を受け取らなかったということは、北京はかなり徹底した紙幣社会になっているということだと思います。私のポケットには全部毛沢東の肖像になった中国の紙幣だけが見事に残った。今まで少数民族の女性の顔を掲載していた1元紙幣も、毛沢東の肖像になった。その意味については既に書きました。北京はまた暫くして行くと面白いと思う。

 最後に付記しておく。講演などで中国の話しをすると必ずと言って良いほど出る質問がある。「中国の体制崩壊はいつ起きるのか」「その時は中国経済は大混乱にならないか」「だとすると、中国に投資するのは安心できないのでは...」と。

 正直言って、体制崩壊がいつ発生するか、どういう理由で起こるかは分からない。2004年10月中旬に重慶で起きたような市民同士の口論が発端になるかもしれないし、そうした発端がいつ開かれるのかは分からない。激震の形ではなく、革命時の成果を持たない胡錦濤政権の「徐々なる自由化」政策の成功が体制転換に最初はゆっくりと、そしてそれが加速する形で繋がっていくのかもしれない。歴史はアイロニーに満ちている。

 では共産党の一党独裁という政治体制が崩壊するときには、中国という国はどうなり、経済はどうなるのか。これも正直言って不確定すぎて言えない。しかし、常識的に考えて、例えば政変発生時に一人当たりGDPが10000ドルに上昇しているとして、政変によって2004年時点の3000ドル未満に落ちるようなことになるか、というとそれはないと思う。政治に何が起きようと、豊かな生活に慣れた中国民衆がそれを手放すとは思えない。むしろ政変を切っ掛けに経済は活況に向かう可能性がある。

 明治維新も敗戦も日本にとって大きな前進の切っ掛けだった。それを見慣れた人間、日本にいる我々もそうだが、変化を恐ろしく見る。しかし、結果はかならずしも実体はそうではない。中国もそうなる可能性がある。

 結論から言うと、筆者は中国の体制転換をあまり心配していない。中国と言えども国際関係の中にあり、その経済は深く日米欧や他のアジアの国々との関係に依拠している。日本の部品が来なければ作れないものもいっぱいある。政治体制の変化がこうした関係をすべてぶち壊す形で進むとは思えない。

 筆者はいつも考える。日本の関東地方を襲うかもしれない地震と中国の体制転換はどっちが早く起き、その影響は両国経済にとってどのようなものになるだろうか、と。私に質問する人が中国への投資を考えている人だったら、結論は見えているように思う。私がいつも考えることだ。

 「投資はいつも、不安との戦いである.....」と。


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  1. (10月24日日経 中国金融、歪み鮮明に)キーワードは「体外循環」=担保のある国有企業は引き締め下でも銀行は貸しやすい。しかし民営企業ははじき出されて資金繰りに窮する。そこで統計数字の外側にある地下金融に走る。地下金融とは、身の回りのお金のある人から資金を集め、それを資金を必要とする企業に貸すこと。これを「体外循環」という。預金者も低い預金金利に不満があり、今の中国では資金が「体外循環」を行っている不法業者に流れやすい
ycaster 2004/10/03)