隣の国なのに、考えてみたら韓国は2002年末以来約1年半ぶりでした。暫く行かなかった。しかし2004年の初めに羽田ー金浦両空港間が定期便として就航したこと、姜さんから来ないかと誘われていて、内藤さんとも「近く行こう」という話をしていたこと、加えて韓国定点観測の気持ちもあって、5月の22~23日の週末を挟んでソウル訪問をしました。10時羽田、午後2時過ぎにはソウルのホテル、という手際の良さ。
前回のソウル訪問の際にあちこち案内してくれた姜さんの息子さんである信榮(シンヨン)君が金浦空港まで我々二人を迎えに来てくれた。彼とは車の中で話しましたが、今就職が決まりつつある最中だとか。自動車メーカーに一つ決まり、他の可能性も探っているのだとか。日本の大学のように大学が学生の就職に関与して、一つ決まったら「はい君はここ」という決まり方はしないそうです。
韓国の大学生の就職もネット中心。出来の良い学生は、ネット経由でいくつもの企業からokをもらって、逆に出来の悪い学生は一つもokをもらえない、という状況らしい。これは採用する側にとってもリスクです。去年の場合は、中小証券会社の一つは20数人に合格通知を出したのだが、結局一人も入ってこなかったということがあったらしい。
ソウルの街は、1年前とまだあまり変わった印象はしない。しかし、車は整然と道路を走り、かつてみられたけたたましさは感じられない。ワールドカップに来た時よりも、さらに街に落ち着きが出てきている印象がする。もっともこの国の政治は「落ち着き」にはほど遠く、新議員がどっと入ってきたウリ党にしろ、いつまで一体感を保てるのかはかなり難しい状況だと思う。
《浮揚感なき韓国経済》
21日の夜は姜さんがセットしてくれた韓国のエコノミスト、マスコミの方々との会合でした。実りがあった。出席したのは全部で7人。通訳の時間がかかりますから、予定より長くなったのですが、あまり時間は気にならなかった。私たち二人を含めて5人が韓国の政治・経済・株式市場、日本の経済・市場といったテーマで簡単な冒頭報告をして、あとは質疑応答を行うという展開。通訳は日本での永住権を持っている蔡さん。
会合の中で出てきた意見や統計で気になった事項をアットランダムに並べると以下の通りです。
「韓国の株式市場の時価総額の22%」
「全企業の純利益の25%」
「全輸出の16%」
「貿易黒字の三分の一」
を占める。つまり韓国経済はサムスン依存が極めて高い(一方で、同社はデジタル家電、半導体、TFLLCD、携帯の四事業がよくバランスしていて、同社が突出しているだけであって他の韓国企業の影が薄いというわけではない、という意見もあった)
「韓国が全労働者に占める製造業労働者の割合」で見て「製造業の国ではなくなりつつある」という話はおもしろかった。日本では「やっぱり日本は製造業の国だ」という議論が強いのと対をなしている。では韓国は何の国になるのか....という疑問だ。むろん、生産性が上がっている、といった議論は可能だ。しかし、日本の製造業労働者割合(全労働者に対する)がゆっくりしか下がってないのに、韓国のそれがどうしてこんなに急速に下がっているのかは調査する価値があるな、と思った。
《エスカレーター不足 ?》
滞在中に「これからソウルで売れる、増えるのは何か....」とふと思ったら、それはエスカレーターでした。内藤さんとも意見が一致した。なぜって、日本では高齢化社会に事前対応して日本中の駅や上下のある場所、階段のある場所でエスカレーターの設置が進んでいる。最近驚いたのは地下鉄・新宿3丁目駅と伊勢丹を結ぶほんの数歩の小さな階段にもエスカレーターが付いた。こうした現象は日本中で進んでいるのでしょう。
ところが韓国では首都のソウルでも、日本ほどにはエスカレーターがない。ソウルの道路は広くて車に乗っている分には良いのですが、いったん歩行者になると大変なのです。なぜなら横断歩道、歩道橋というものがなくて、大体歩行者は地下道に潜らされるのです。しかし、そこにはエスカレーターがない。皆歩くわけです。日本より平均年齢が低いのでしょうが、出生率1.17を勘案すれば、韓国も急速に高齢化する。だから、いずれ、階段という階段には今の日本のようにエレベーターやエスカレーターが付くだろう....と。それにしてもソウルの道は広すぎる気がする。道路の向こうは別の街のような。
――――――――――
それはそうとして、5月22日の土曜日は信榮君の先導で午後からソウルの市内を見て歩きました。80年代から何回となくソウルに来ているのに、いつも動いていると言えばホテルのある市庁舎の周辺かヨイド(ビジネス街)。今回は車でソウルの市内を移動しました。
発見したのは、ソウルは緑(山が多いせいもある)と坂の多い街だ、と言うことです。ミョンドンも少し坂ですが、市の中心部を出ると本当に緑が多く、かつ坂が多い。まあ季節が良いということもあるのですが、これは発見でした。逆になくなったのは漢字です。ずっと以前に来たときには、商店の看板などには数多く漢字が残っていた。しかし今の韓国では古い寺の門にくらいにしか漢字が残っていない。だから、日本人にとっては、ソウルは中国に行くよりも何が何なのか分からない街になりつつある。
信榮君には、ソウルの新しい街をいくつも紹介してもらいました。2002年末にはCOEXモールを教わりましたが、今回は彼の綴り説明で
Upjohn dongという二つの街。彼の説明によれば、前者は「例えば男が髪をカットする場合に、他の地域よりは三倍は取られる街」ということだった。実際に歩いて見ると、来ている女性は皆瀟洒な感じで可愛く、着ているものもお金がかかっている感じ。「以前ブリトニー・スピアーズが来たときも、ここで遊びました」と信榮君。まあ低層、2階か3階の建物の連続した街で、青山ほど洒落てはいない。しかし、ソウルの他の地区とは雰囲気が違っていた。
Chong dam dong
後者は「これからショップが並ぶのだろう...」という発展途上の、そして坂の街。既にマックスマーラなどブランドショップが出店し始めていました。まだちょっと時間がかかるかな。しかしどの街を歩いていても、女性のメガネがなかなかソウルは洒落ている。日本の女性のメガネよりも多彩です。コーティングが施してある、ちょっと洒落たサングラスタイプのものが多い。
5月23日は姜さんに連れられてソウルから北上、38度線の板門店の手前で右に折れて、38度線に沿って移動。最近ではこのルートが「行楽ルート」になっているようで、確かにレストランなどもあって、車も多かった。韓国の人にとって北が脅威でも何でもなくなってきている、という印象が強かった。道も鉄道も北と統一された時に備えた作りになっている。
最近一般にも開放された新羅敬順王(973年頃)の墓というのを見に行きましたが、そこは少し前だったら「民統線」といって非武装中立地帯の下にある一般市民が決して入れない地帯の中だった。今は韓国の人が持っている身分証明書(国民皆背番号制)があれば入れてくれる。我々は姜さんの証明書で入りましたが、整備されている地帯以外にはどこに地雷があってもおかしくない、という場所。しかし、そこにも多くの韓国の市民がこの場所を訪れていた。
北は脅威ではないが、今の状態で北が崩壊しては困る、というのが韓国の人の本音なんです。韓国はやっと国民一人当たりGDPで1万ドルを取り戻したところ。3万5000ドル以上の日本とは格差があるし、人口も4800万人で北の2200万人に比べてそれほど多いわけではない。今の統合は負担が多いのです。「統一」という看板は引き続き掲げている。しかし、「not now」というのが実情です。
帰国した24日の昼飯は韓国のビジネスマンの方々と一緒しましたが、一人は失職状態でFP(ファイナンシャル・プランナー)を目指して勉強中で、今後は自分で会社を興すことなどを念頭に置いて今「充電中」と言っていましたし、もうお一方は消費者金融の会社を興すことに注力中。韓国のビジネスマンも「さまざま」という印象。日本の同じです。
ホームレスの数も多かった。市庁舎の近くのホテルだったので、どこに行くにも地下道を通らねばならないのですが、朝行ったら段ボールの家がいっぱいあった。女性は見かけませんでしたが。ま、ホームレスの数よりは、友人と連れだって韓国ツアーに来た日本人の女性の方が多かったかな。昔の「焼き肉+エステ」に加えて、「ヨン様ツアー」の方々もいたのでしょうが。
後者が狙いの人は、ソウルで一番と言われていて、隣接地にデパートを持っているロッテ・ホテルがいいですよ。彼はここと契約しているんでしょうね。デパートにもホテルにも、彼の笑顔だらけでした。もっとも、韓国人の多くからは「何で日本ではそんなに冬のソナタが人気があるのか」と聞かれました。私も答えようがなかった。
それにしても、金浦発羽田の帰りは、行きよりも時間が短い(20分程度)こともあって、国際線でありながら一層国内出張という印象がする。近くなった韓国。また行きたいと思う。
(ycaster 2004/06/07)