Essay

--------------------------------------------------------------------------------  この論文は、新潮社の国際経済雑誌「FORESIGHT」の1996年12/21→1/17日号に載った「特別論文=デジタル革命で何が変わるか」の原型となったものです。 -------------------------------------------------------------------------------- 「デジタル」と本格的に付き合いだして一年半。私自身の行動パターンが確実に変わってきている。「デジタル革命は生活パターンを変える」と思う。よって、経済も変わる。(見出しの部分) 一年半前にパソコンに手を染め、一年前にインターネットを始め、そして半年前にホームページ(http://www2.gol.com/users/ycaster)を作って、実際に何が変わったか。 新聞を既に何紙かやめ、さらにやめつつある 鞄の中身が紙から数枚のフロッピー・ディスク(FD)に変わった 読む資料の分量は大幅に増えた 増えた大部分はデジタル情報(HTML=注1=ファイルなど)である 文章を仕上げる速度は著しく速くなった 電子メールの数はかなり増えた 従って、顔を知らないメール友達(先輩、同僚、後輩)が増えた 生活のペースは速くなった ネット上での買い物を始めた そして…視力が落ちた(半分冗談ですが)  一年半の間に、身の回りで実際に発生した「デジタル革命」の影響(良いも悪いも含めて)には、驚くことが多い。新聞を二紙をやめた。英字紙一紙と日本の金融専門紙。インターネットでほぼ全部見れる。残っているのは、英字紙二紙、邦字紙三紙だが、一年以内にこれも半分に減らそうと思う。合間合間にネット上で記事を読んでいるから、決まった時間にしか来ない「新聞」を見ても、斬新さを感じない。  鞄の中からは、「紙」はほとんど消えた。朝6時には起きて、「昨日のニューヨークで何が起きたか…その時点までのニュースは」とインターネットを見る。大部分読み流すが、残しておきたい長い記事があると、そのままフロッピー・ディスクにHTMLファイルで「名前を付けて保存」する。あとで使うため。鞄の中には紙ではなく、FDが増えた。  朝から、ウォール・ストリート・ジャーナル、ニューヨーク・タイムズからイギリスの新聞まで全部読める。巡回は増える一方だが、要領も良くなる。グリーンスパンが何かしゃべれば、インターネットのどこかに必ず全文が載っている。米政府機関は言うに及ばず、日銀や大蔵も資料をかなりネットに載せ始めた。  電子メールの数は増えている。インターネット・メール、Niftyserveメール、Niftyserveフォーラム(FKINYU)の会議室メール、そして社内メール。多い日で二十通くらい。顔は知らないが、名前(時にハンドル名)を知っているメール仲間が増加した。   ○HPはデータベース  一番収穫だったのは、趣味と試しで作った筈のホームページが自分にとって非常に便利なデータベースになった点。書いた文章はほぼ全部プロバイダーのサーバーに残してあるから、いつでも簡単に引き出して使える。分からないことが起こると、自分のホームページのリンク・ページからあちこちに渡って調べる。FRB(http://www.bog.frb.fed.us/)にも行ける。分からないことがあれば、誰かに質問メールを出せる。夜の会合を企画しようとすれば、自分のレストラン紹介のページ(http://www2.gol.com/users/ycaster/eating/index.html)から店を選べ、案内状の作成も容易だ。  電子メールをやりとりしていると、どの問題には誰が答えてくれるか分かってくる。問題を投げる。答えが返ってくる。それにまた返信を打つ。一晩に何回でもやりとりしていると、問題の所在がすぐに明らかになる。電子メールの相手は、自分にとっての「データベース」だ。  デジタル情報のもとをなす「ビット」(情報の最小単位)は、いくらでも圧縮し、電送できるし、簡単にコピーできる。これまでの「データ」の意味を変えてしまう。デジタルカメラを使い始めて、映像とデータが一体化しつつあるのを実感できる。実は、この文章を書くことに関しても、インターネット仲間やパソコン通信仲間に意見を募集した。  今までの自分自身のデジタル革命への「実感」や、これらの意見を参考にしながら「それが社会や経済に与える影響」を四つのキーワードにすると、次の通りである   《無リーグ化》( leveling of playing field)  インターネット上では、個人のホームページも、大企業のホームページも、勝負は中身。一つ代表的な例を挙げよう。私もよく訪れる「とくとくページ」(http://www.tokutoku.com)。日経新聞がインターネット上で毎月実施している「読者が選ぶ人気ホームページランキング」で「よく利用するホームページ」部門の一位に選ばれ続けている。九月もそう。朝日新聞(二位)、NTT(三位)、マイクロソフト(五位)など大所のホームページを押さえての堂々の人気トップ。  この「とくとくページ」、実は個人が全くの趣味でやっている。作者は山本恭弘さん。奈良の方。一日当たりのアクセス回数は、九月の平均で七千二百件。月にして約二十一万回。それだけの人がこのページを見に訪れている。内容は、インターネット上の懸賞情報を集めたリンク集が主体。つまり「行っておとくなページ」を集めたサイトである。「おすすめのリンク・検索ページ」部門でも第二位になっている。  アナログの「紙」の世界ではこれは無理だ。なぜなら、人気が出れば出るほど印刷代がかかるためだ。デジタルはこの壁を越えた。山本さんは「実際にお財布からでていくお金は、わずかに一万五千円」とおっしゃている。  もう一つの例がある。ソ連邦が崩壊し、ロシアも弱体化している中で、軍事力ではアメリカが段違いの、かつ唯一の超大国になったと一般的には考えられている。しかし、アメリカの軍事専門家の間では、ある意味で世界の軍事バランスの「 leveling of playing field」が進んでいると見る向きが多い。それは現在が、「information warfare」の時代だからだ。この「情報戦争」に使われる武器は、「ロジック爆弾(logic bomb)注4」「コンピューターの虫(computer worm)注5」など、巨額の資金や核兵器、大きな国土を必要としないソフトウエアや、それに対する破壊活動が大きなテーマになる。テロリスト集団、弱小国家でも容易に作ったり、手に入れることができる。デジタル革命は、軍事の世界でも「リーグ」の境目を曖昧にし始めた。   《スピードの経済》(economy of speed)  80年代までは、「規模の経済」などとよく言われた。だが、コンピューターの時代は「スピード」が重要になる。コンピューター通信技術の普及により、情報の流布速度は上がってきている。消費者はそれに反応し、嗜好が変わり、売れ筋も変わる。その速度は、徐々に早まっている。速い流れに付いていけるかどうか、がポイントになる。電話、ポケベルなどもこの流れを加速している。  「今の時代、大きな企業より小さな企業の方が有利」と言われるのが、この問題の本質は「意志決定の速さ」にある。小さな企業はラダー(経営階層)が少ない。古く、大きな企業はラダーが多い。何を決定するにも時間がかかる。色々な肩書きの人間がいる。結果的に遅くなる。だから今のこの「スピードが命」の時代には、大企業は動きに遅れる。  逆に言えば、大きくても「意志決定の速い、動きの機敏な企業」なら、この通信革命を伴ったデジタル革命の世の中を、「有利」と言われる小さな企業並に、いやそれ以上の有利さで渡っていけるはず。しかし、大企業でこうした環境を準備するには、周到な用意と仕掛け、強い意志、それにマネッジメントの将来に対する展望・知識がいる。  実際のところ、ネットワークに入ると地球の裏側とも一晩に何回もメールのやりとりができることから、情報交換のペースが速くなり、伴って意志決定が猶予される時間が短くなる。情報を共有化すれば、なおさらだ。今までは、情報を握って決断を先延ばしにしていられた。しかし、情報を共有化すると、いやが上にも決断を迫られる。わがままな消費者や取引先は、デジタル社会の下では「quick response」を必須条件にするだろう。これが競争条件における「速さ」の重要性を著しく高める。   《主体的参加の時代》(poly-agent society)  「無リーグ化」し、経済の回転速度が上がってくるなかでは、個人であれ会社であれ主体的参加意志を持つこと、さらに持っている意志を発露することがネット社会への重要な参入条件である。法人も個人も、またいろいろな団体、会議主体がインターネット上にホームページを作っているのは、言ってみればネット社会での「ホーム建設」をはかり、「homeless」状態からの脱却を狙っているといえる。  規格品を大量に作っていれば良い産業社会においては、ルールや手順、管理手法などがきわめて重要だった。そうしないと、製品の生産を継続できないし、性能・品質にばらつきが生じてしまうからである。しかし、流動的な商品・サービス、絶え間ない変化の時代には「定型」がなく、それぞれの経済主体が、時には他の主体と協力しながら商品・サービスで模索を続けるしかない。価格もスピードも、スペックも常に競争にさらされ、さらに新たな参入者も入ってくる。こうした中では、主体性を持つ参加主体が機敏にネットワークを組みながら事業を組むのが早道である。  産業界では、既に「ファブレス企業」といった新しい企業群が生まれつつある。コンピューターのアキアなどは良い例である。この会社はどこにも自社工場を持たない。内外を問わず、各種メーカー、流通業者とネットワークを作っている。やるのは企画と販売だけ。従って本社は「60人」と小さい。創業から一年もたたないうちに、秋葉原で最も売上高の大きいコンピューターの小売店「ラオックス」で、売り上げナンバーワンになった。同社の飯塚社長は、「最初からファブレス企業を狙ったわけではない。一番効率的な企業形態を考えたら、ファブレスになった」と述べている。  慶応大学の高木晴夫教授のグループは、コンピューター、通信革命下の新しいシステムの概念として、「ポリエージェントシステム(poly-agent system)=複雑多主体システム」を提唱しておられる。   《経路拡大の経済》(economy of multi-options)  デジタル革命の面白さは、結局のところデータ、音、映像などおよそ「01」のコンピューターに乗るデジタル信号がすべて一緒に扱え、融合できるという点だと思われる。実際に、インターネット上で自分のホームページを作るときに、文字情報と映像情報を対等に扱えることを体感したときは、感動した。コンピューターは、明らかに人間がコントロールできる領域を著しく拡大した。  私自身はコンピューター・メーカーであるエプソンが「カメラ」を出していることを知ったときは驚いたが、考えてみればデジカメの世界では当然だ。音、データ、映像が共通に「01」で扱える世界では、いろいろなメーカーがお互いの領域に侵入しあうことになるだろう。これは産業界の広い範囲で起こってくるはずだし、既に起こっている。  コンピューターと通信の時代は、「何かをしたい」と思ったときに、目的地にいろいろな経路を選んで行ける時代である。個人でも「とくとくページ」のような「スーパーホームページ」を作れてしまう。これはあたかも、コンピューター上で「コピー」という作業一つとっても、実に様々なやり方があるのに似ている。選択肢の幅は、著しく広がった。  「コンピューター」「通信革命」と聞いただけで尻込みする人は多いが、デジタル革命は一人一人の人間の可能性を著しく高めるものだ。個人にとってはたとえばインターネット上のホームページはその第一歩だし、企業に取ってみればデジタル技術の導入やそれに伴う社内改革は、新しい分野、新しい仕事の手順に対する挑戦となる。   ○「物価抑制革命」  デジタル革命は、「物価抑制革命」である。面白い話がある。機械を中心とするドイツの輸出産業と言えば、誰もが認める揺るがない実力があると思われていた。しかし、最近受注が減ってきた。「なぜか」と調べたら、インターネットの影響だったという。  94年に徐々にインターネットが普及する前は、ドイツの輸出産業の顧客たちは、ドイツ以外のメーカーの製品・価格を調べることは容易ではなかった。従って「ドイツなら...」と発注していた。しかし、去年あたりから「比較」が実に容易になった。インターネットが普及したからだ。世界中の競争相手がホームページで製品・性能・価格を公表し始めた。その結果、顧客の供給元を選ぶ範囲は広がった。ドイツ以外にも良いメーカー、良くて安い製品はあった。今までドイツに来ていた注文のいくつかは海外に流れた、という。ドイツ卸売・輸出業協会のミヒャエル・フクス会長は   「ドイツの輸出産業は、世界的なコンピューター網(インターネット)が価格比較を容易にし、競争を厳しくして いる結果、市場を失いつつある」  と述べている。96年の3月のファイナンシャル・タイムズに載っている話である。  これは、ドイツの輸出産業だけが直面している問題ではない。また、もっぱら国内を市場とするメーカーも、海外からの参入者、新規参入者がいる業界では同じである。この結果、「原材料価格が上がっても、労働賃金が上がっても製品価格は上げられない」環境ができてしまっている。今年の夏にアメリカのトウモロコシ価格が急上昇したときにも、「コーン・フレーク」は全く値上がりしなかった、という有名な話もある。アメリカでは労働賃金が上がっても、製品価格は値上がりしない。できないからである。上げれば競争力が低下して、シェアを失う。  そして、それを可能にしているのはまたデジタル技術なのである。コンピューターの生産・管理・企画・広報現場への導入は、生産性の引き上げに役立ち、この結果多少の原材料価格、労働賃金の上昇を吸収してしまっている。コンピューターの性能比価格は、引き続き著しいペースで下がっている。  90年代に入っての先進国共通の著しいインフレ沈静化傾向は、一つにはベルリンの壁が崩壊し、それまでOECD中心の10億人の世界経済だったのが、労働賃金の安い30億人が新たに投入されたこと(メガコンペティション=大競争)に起因しているが、もう一つの理由は「デジタル・通信革命」である。モノの生産コストを著しく引き下げ、情報の流布を容易にして競争を激化させ、価格引き上げを著しく困難にした。この数年の間に、世界中の金利が著しく低下し、先進国の長期金利は一段と低位に収斂してきている。コンピューター・通信革命は、世界的に物価水準をより低いところに平準化させる役割を果たそう。   ○「富」への接近  インターネットについて言えば、技術としてもまだ「富に十分接近した」とは言えない面がある。日本のインターネット人口は300万とも500万とも言われているが、その内訳は圧倒的に20代、30代の、しかも男性。「高学歴」ではあるが、日本人の人口構成の中でも「可処分所得」の比較的小さい人々である。しかもそのうちのかなりの部分を「理科系人間」が占めている。「とくとくページ」のような懸賞ページが人気になる理由の一つはこれである。  しかし、こうした環境は急速に変わってきている。まず企業がインターネットに積極的に取り組み始めた。そして女性とより高齢の男性に広がり始めた。裾野は、日本の社会の中でも「お金」のある部門に広がってきている。苦戦はしているものの、ネット上の商売の領域は広くなっており、最近は本までネット上で簡単に買える。筆者も、本は既に何冊かネット上で買った経験がある。便利だ。ネット商売はこれからだろう。インターネットは、デジタル革命の一翼を担っているにすぎない。身近で、かつちょっとSEXYだからここまで伸びたが、デジタル技術の裾野はもっと広い。  「デジタル技術」はあくまで「技術」であり、「技術」は「手段」である。良くも使えるし、悪くも使える。パソコン通信の掲示板などを見れば確かにその汚さに目を背けたくなるが、それは人間社会の投影そのもので、「デジタル技術」のマイナスでもなんでもない。「技術」は、上手に使いこなさなければならないということだけだ。「マイナス」の部分も当然出てくる。実際問題として、私の身の回りにも、優秀でもキーボードにどうしてもなじめないという人はいる。人間嫌いがいるのと同じだ。時代に「向き」「不向き」はどうしても出てくる。適応度の違いもあるだろう。時代に乗れる人と、乗れない人と。こうした中で、富の格差も生まれる可能性もある。しかし、そうした格差はデジタル以前の社会にもあったことで、ことさらデジタル社会の「マイナス」ではない。  一つ誤解があるのは、「デジタル社会」というと、すべての富がそこで生まれ、すべての富がそこを通過するように思われていることだ。しかし、美しい女性は、それだけで大変な価値の源泉であるし、京都やグランドキャニオンの景観もそうだろう。匠の技、すばらしい製品.....。「モノ」(アトム)が持つ魅力は、連綿と続く。デジタルの領域以外のところで生まれてくる価値の方がまだまだ多い。インターネットに載っていようがいまいが、結局は中身である。ビットは食べるわけにはいかない。  しかし、一つはっきりしているのは、可能性を探ろうという人間、会社、団体にとっては、デジタル社会は大きな可能性を与えてくれる、という点だ。デジタルは、安くて効果的で、かつスピーディである。何よりも、デジタル社会になって著しく増加しているベンチャー企業の数がそれを示している。  ホームページを作って半年。面白かったし、まだいろいろなことができるような気がする。「デジタル」は「技術」に過ぎない。しかしこれは、生活、経済、社会のかなりの部分を大きく変える可能性を持つ「大物の技術」である。 注釈 注1)HTML=インターネット上の閲覧ソフト(ネットスケープなど)に文章や絵柄を表示するための簡単な言語 注2)LAN=Local Area Networkの略 注3)ブラウザ=閲覧ソフト 注4)ロジック爆弾(logic bomb)=決められた時間、または特定の命令を出したときに起動(爆発)し、データを破壊、または書き換えてしまうコンピューター・ウイルス 注5)コンピューターの虫(computer worm)=ディスク・スペースやメモリーを食いながら自己増殖し、最後はコンピューター・システムをダウンさせるコンピューター・ウイルス                                   以上(96年11月記)