Essay

<Mother-Cyberchat>

 母親が倒れたのは、7月6日(土曜日)の午後7時半ごろだったようです。食事の用意を終えてしばらくして、机に向かって頭を垂れてうなだれ、父親に「気持ちが悪い」と言ったそうです。しばらくして意識がもうろうになり、近所の人が救急車を呼んでくれ、直ちに諏訪日赤に入院。初期診断もその後の診断も「くも膜下出血」。

 高円寺の家に知らせが来たのは、その日の夜10時ごろだったそうです。子供が直ちに私の移動電話に電話したものの、番組(東京マーケット・フォーカス)収録中はいつもoffにしておくためつながらず、留守電に登録。私がそれを聞いたのは、テレビの収録を終えて、レギュラーの中山、田中両氏と懇親の最中の午後11時半ごろ。何か虫の知らせというか、電話をonに戻して知りました。

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 「くも膜下出血」。そのほとんどは、誰しにもある「動脈瘤」の破裂によって生じます。年齢は問わない。この病気で若い人も命を落とします。瘤の破裂によって頭に血が流出し、それがいろいろな悪さをして、他の血管を圧迫し、髄液の流れに変調をもたらします。ものの本には、約4割の人は直後かその後しばらくして命を落とすと書いてある。疲れていたり、ストレスがたまっている人に生じやすいと言われていますが、詳細はわかっていないらしい。お袋も、回りから「働き過ぎ」と言われていた。

 ただし母親の場合は急速な回復を示しました。7日(日曜日)の午後には、自ら医者に向かって「私の病状はいかがでしょうか」と聞き、四肢を動かし、背伸びをした。8日(月曜日)には、見舞いに来た人とほぼ普通の会話を交わし、父親に入院に関する指図するまでに。このため、予定より早く体力が回復し、状態も安定との判断で8日午後には手術を実施。目的は

  1. 破裂脳動脈瘤に対するクリッピング措置
  2. 再出血予防
  3. 脳血管れん縮を軽減させる

 の3点。おかげさまで、この手術も順調に終わり、現在は集中治療室(ICU)に入っていますが、10日現在の経過は順調です。

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 この異常事態の中で色々なことを思いました。

 まず感じたのは、「本当に多くの方に助けてもらっている」ということです。父親を助けて入院まで手伝ってくれた近所の方々、近くの親戚の方々。私を含めて3人の子供は東京に2人、一人はインドネシアという状況でしたから、これらの方々のお力添えがなかったら、ちょっと耳の遠くなりかけた父親だけでは大変だったと思います。人のつながりの温かさ、重要さを改めて感じました。人のつながりの関係には、いままで経験したことのないような新しい世界が開けているように思いました。

 第二は、日本という国の抱える老人問題の深刻さです。頭では分かっていましたし、その場合は大変だとも思ってもいましたが、実際に母親が倒れた場合のまず私個人、そして家族が直面する問題の深刻なこと。いままで「二人とも元気だから」ということで、子供達はそれぞれ選んだ場所で生きてきました。しかし、どちらかが倒れた場合に生ずる問題は深刻です。職場の問題、子供の学校。公的セクターに頼る気はありませんが、個人だけで解決できる問題でもないような気がしました。そして、私の身の回りを見ただけでも、お年寄りの多いこと。そして自分もいつか年寄りになる。

 第三は、しかしそうした中でも「しなやかな生き方」ができる世の中になりつつあるのかも知れない、という明るい予感。たしかに今週の月曜日から今日(10日)まで出社はしていません。しかし、このちっぽけな携帯パソコン(コンパック)のおかげで、東京にいるのとほとんど同じ情報・連絡網の中で生きることができます。唯一違うのは、ポケット・ロイター(為替相場の変動を刻々知らせてくれる)の電波が届かないことくらい。

 インターネット(通信速度はパルスですから遅いのですが)で、ニューヨークやロンドンの市場の動きは逐一分かります。今週月曜日の「住信為替ニュース」(公式版ではないのですが)も書いて、インターネットを通じて私のホームページにもアップしましたし、銀行にも提供しました。移動電話ももっていますから、どこでも電話も通じます(病院の中は駄目です)。電子メールやパソコン通信もちょっと電話代がかさむ程度で済みます。

 本当に情報化社会は「空間」の制約をかなりの程度越えてくれると思います。今思っているのは、この諏訪の家にもISDNを引こうと言うことです。そうすれば、プロバイダーを選べば、通信料は東京にいるのとほとんど変わらない状況になる。夏は最高ですよ、この諏訪は。そう言えば、「東京マーケット・フォーカス」のプロデューサーの広瀬も、彼の言葉を借りれば諏訪に「小屋」を持っていて、次週の番組の打ち合わせもあり、10日の午後2時に茅野の駅で待ち合わせることになっている。彼も近く、ウィンブックでインターネット武装、情報武装します。

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  母親が倒れてから5日目ですが、色々なことを学びました。看護婦さんも本当によくやってくれる。お医者さんもモラルが高い。近所も親戚も頼りになる。「まだまだほっとできることはたくさんある」というのが実感です。こんなことを書いているうちに、長渕 剛に「mother」という曲があるのを思い出しました。なかなか良い曲ですよ。       (96年7月10日正午記)                       

《後記》多くの方にご心配頂きましたが、その後経過は順調で、7月14日現在食事も順調で、後遺症も少ないようです。有り難うございました。さらにその後の経緯を書きますと、96年10月には監視下ながら退院し、97年初め現在右足がわずかに不自由なことを除けば、口達者な元気者になっております。                                  (ycaster