Essay

<相撲部屋のちゃんこ-Cyberchat>

 (^_^)(^_^)(^_^)(^_^)まだ小学生の頃でした。相撲が好きでテレビを見ていた祖父が私に、

 見て見ろ、こんな面白い商売があると思うか。人を押し出したり、転ばして、それが仕事になっている。おもしろいだろう.....
  そのときは「この人はなにを言っているんだろう」くらいにしか思いませんでした。しかし、最近この言葉を何回も思い出します。相撲という産業が作り出している大きな雇用、楽しみ、そして伝統。どれも素晴らしく、捨てがたいものです。人間は本当にいろいろな職業を作るものですね....だから面白い。

 1998年の1月9日に年最初の大きな行事として全日本鍋物研究会の方々と一緒に、夕方から両国の大島部屋に行き、「ちゃんこ」を食べさせてもらいました。集まったのは全員で30名弱。大島部屋は元大関旭國を師匠に、力士20人弱の部屋。実際には大部分の大相撲相撲部屋がそうであるようにビルになっていて、その入り口に大きく写真の通り「大島部屋」と出ている。その一階に土俵があって、二階は見せてもらえなかったのですが、食事は3階でした。

 この日の「ちゃんこ」は写真の通りですが、入れるものは同じでも味付けが毎日違うのだそうです。我々が食べたのはちょっと「きむち鍋」に近いベースにちゃんこの具を入れたもの。これをしょうゆ味にしたり、また別のモノにしたりと目先を変えて食べているという。とにかく凄いボリューム、そして味の良さです。ちゃんこだけではない。刺身あり、肉団子あり、肉じゃがありで、それだけで凄いごちそうです。しかも我々が食べている周りに若い衆が立って待っていていろいろサーブしてくれる。やはり独特の雰囲気です。

 力士の朝は早い。(^_^)(^_^)朝早く起き、稽古をし、昼飯を食べて2~3時間昼寝。午後は思い思いだそうです。この日も、旭鷲山以下幕内の3人は途中からちょっと六本木に出ていって、また直ぐ戻ってきた。支援者との付き合いもあるのでしょう。午後の暇なときは何をしているか。「パチンコが好きな人が多い」と旭弁天。そういえば、私が住む杉並区にも相撲部屋が多いのですが、街のパチンコ屋にはちょくちょく相撲取りを見かける。

 不思議なスポーツである相撲の起源はいつでしょうか。日本相撲協会のこの歴史のページに詳しいのですが、ちょっと引用すると次のように書いてある。

(1)神話・伝説による力くらべ

 ■出雲の国譲り
  わが国の神話の中に、相撲にまつわる有名な話がある。「出雲の国譲り」である。『古書記』によれば、天照大神は出雲国を支配していた大国主命に、出雲の国を譲るよう使者を遣わした。 大国主命の子の建御名方神は、使者の建御雷神に対し、”力くらべ”によって事を決しようと申し出た。 そこで二人の神は、出雲国伊那佐の小兵で相撲を取り、建御雷神が勝ったので、平和裡に国譲りが行われた、 というのである。
  この神話は、重要なことを決めるにあたり、相撲を取ることによって神の意志がどちらにあるかを 知ろうとしたこと、つまり相撲の起こりは神事にあり、神占と深い関係があったことを物語っている。

  めちゃめちゃ古いわけです。相撲には独特の形式美があるのには十分な理由があるわけです。

 (^_^)(^_^)大島部屋の現在の出世頭はモンゴルから来た旭鷲山です。日本語はほぼ完璧にできる感じでした。若い衆を日本語でからかっていた。力士も「幕内」になると身なりから、立ち居振る舞いまでまったく違ってきます。風格がある。主に我々のパーティーの世話をしてくれたのは、幕下11枚目の「旭弁天」さんでした。22才、大阪出身と言っていました。15才の時に大阪から出てきて、あとずっと部屋で過ごしているのだそうです。「そろそろ十両ですね」と声をかけたら、「はい」と。まあ番付を見ても、彼が若手の頭領のような存在で、我々の食事の手伝いをしてくれた若い連中を指図していました。

 我々が食事をさせてもらった3階の大きな部屋には、チンギス・ハーンの壁掛けが掛かっていた。後で考えたら当然ですよね。モンゴル出身の力士が出世頭なのですから。我々は夕方うかがって8時ごろまで食事をして、あと退散(といっても土俵を見せてもらったり写真を取りましたが)したのですが、我々をサーブしてくれた若い力士達は、その後その場所で食事をし、それを片づけてそこで全員で寝るのだそうです。(^_^)(^_^)まあ、想像しただけで神経が細くては生き残れない世界であることが分かる。きっと「いびき」「はぎりし」「寝相の悪さ」を壮絶なモノでしょうね。これも一回見てみたい。

 お相撲さんと何回も握手をし、肩ももんでみましたが、その肉の厚みには圧倒されます。例えば握手をすると、手の骨がどこにあるのかわからない。自分の手が埋まる感じがするのです。ずぶずぶずぶと。肩ももみました。実に柔らかい。肉は厚いのに、柔らかい。不思議な感じですね。でも、15才から大体25くらいまでの男性社会ですから、特に20才未満の連中はかわいい感じですね。まるっこくて。顔も幼い感じがした。旭鷲山がい(^_^)(^_^)るからでしょうか、何人かモンゴルから若い人が来ている印象でした。相撲も国際化したということです。
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  相撲部屋で一番神聖な場所は当然土俵です。これも、しばらく見させてもらいました。今の土俵は15尺。直径が4メートル55センチとありました。昔は14尺、一場所だけ戦後アメリカ軍の要請で16尺にしたことがあると相撲協会のページに書いてありました。その土俵ですが、朝力士達に踏まれることを待ちながら、静かに信仰の対象になっていました。「土俵」の中央には盛り土がしてあって、神主が普段は手に持つような板が綺麗に飾ってあった。朝になると、あれが片づけられ神聖な場所が一挙に厳しい稽古の場となるのでしょう......

(^_^)(^_^)  女将さんと親方は、それぞれ風格のある方でした。素人考えでも、部屋運営はなかなか大変だろうと思う。女将さんはやり手(でも印象の良い方でした)という感じ。全部で恐らく30~40人いる部屋を仕切るには、手際がよくなくっちゃできないと思います。親方は、もう50才を越えていますからそれだけで風格がある。行って直ぐに挨拶しましたが、貫禄でしたね。でも結構気さくで、写真の中にも気楽に入ってくれました。

 大相撲と言えば、どんな天候になるか分からないのに、横綱貴乃花はあの極寒の長野で10分間土俵の上の装束になって土俵入りを行うという。「鍛えているから大丈夫」ということらしいのですが、吹雪にでもなったら大変でしょう。多分、我々が夕刻に見た信仰の対象にもなっている土俵と、日頃の稽古が貴乃花を守るのでしょう。大島部屋であった力士にはもっていった資料に○を付けて帰ってきました。また相撲を見る目が変わりそうです。
ycaster 98/01/10)



 ところで、時間もたって2003年です。1月のある日、ある先輩と電話をしていたら、「貴乃花は今私が注目している日本の三人の若者の一人なんだよ」という話をしていました。彼によれば、皇太子、貴乃花、そしてイチローに日本の青年の理想をずっと見ていて、貴乃花の昨日(2003年1月26日)のインタビュー(フジテレビ EZ!TV)はその思いを深くするものだった、というのです。

 私もずっと見ていましたが、それは見事なものでした。インタビューの内容(笑顔で饒舌だった)以外で一つだけ非常に感心したことがあった。テレビには映らなかったので番組の中で言ったのですが、一時間近いインタビュー(背広姿での初めてのナマ)を終えてスタジオから出ていくときです。私はその時はスタジオ内にいて出口近くの椅子席で他のスタッフと一緒に座って見ていた。

 親方は終わって出口に向かって歩いて来た。そのまま出ていくのかなと思ったら、出口にもうちょっとというところで止まり、180度振り返ってスタジオのセットに向かって一礼した。あたかもそこに土俵があるかのように。帰ったのはその後です。

 私が記憶する限り、こんなゲストは初めてです。その後に8人の親方の付き人がぞろぞろ出ていったのですが、彼らは無愛想で、振り返って礼をすることもなかった。まあ付き人はスタジオでは花を親方に渡しただけですから、貴乃花のように「インタビューという土俵」がそこにあったという印象はなかったかもしれないのですが。しかし彼のこの礼節は素晴らしい、と思ったのです。

 だから、その先輩の意見には賛成できるところがある。写真はインタビューの直前に横綱の許しを得て一緒に撮ったものです。大きかった。