Essay

<ダナン、フエ、そしてホイアン(2016年GW ベトナム)-Cyberchat>

 「押し合い圧し合い」「一歩でも前に」「しかし最後は周囲を慮り、平和的」というのが、今回ベトナム中部3都市を中心に動き回った際の、私のベトナム人に対する印象だ。3都市とは大きい順から言うとダナン、フエ、そしてホイアン。

 この3都市に滞在したのは4月30日から5月4日夜まで。その内4日はベトナムもお休み、連休だった。4月30日はベトナム戦争勝利の記念日、5月01日はメーデー(社会主義国にとっては特に重要です)、そして月火の5月2日と3日はそれらの振休。つまりベトナムの人達も4連休だった。家々やレストランの玄関に、そしてタクシーの屋根にもベトナム国旗がはためいていた。私たちが滞在した日で平日だったのは実は04日だけだった。

フエの王宮。中はまだ修復中が多い もしかしたら「なので」かもしれないし、私たちが連休中に行ったのがダナンでも人気のバナヒルズ(フランス人達が支配時代に使った標高のある避暑地 今はアトラクションもある一大リゾートエリア 長いケーブルカーは乗る価値がある)だったからかもしれない。長蛇の列に入ったら、いろいろなことが分かった。ベトナムは若い国だ。多分平均年齢が30をちょっと上回ったくらい。だから日本の行列と違いどこで行列が出来ても「若者の行列」になる。

 そこでは常に「押し合い圧し合い」です。少しでも前に.....。列を作っていても、ベトナム人達はちょっと隙間があると後ろから入って前に出ようとする。その結果肌と肌が触れることもしばしば。典型的日本人の私は、「肌が触れるまで後ろから押してくるとは」「ちょっとむっとする」と思うが、実は彼等はそれ(肌が触れあうまでに接近すること)をあまり気にしない。何故分かるかというと、少し私が嫌がっても離れても、結局彼等は「一歩でも前へ」の動きをするので状況は繰り返す。ベトナムの行列では自分の後ろにいた連中がはっと気がつくと自分の3人前にいたりする。しかし彼等を見ていると、全く前の人を無視しているわけではない。気にしながら様子を見ながら、しかしそれでも「一歩前に...」という行動をする。

 多分若い人が圧倒的に多い国であるということは、日本の高度成長期のように「押し合い」「一歩前に」が常態になっているのだと思う。かつ彼等はそれを楽しんでいる。仲間であり、競争相手なのだ。見ているとベトナム人同士は結構仲が良い。いがみ合っている様子はない。もうベトナム戦争は実体験としては知らない世代達の生き方を垣間見た気がする。

まだこうした女性が多い 「押し合い圧し合いしながら、実は周囲に気を遣っている」ベトナムの人達をかい間見ながらふと思ったのは、「ベトナム民族は例えばタクシー運転手による迂回など小悪は働くかも知れないが、民族的大悪は働かないかも知れない」と。この「アジアのチリ」のような南北に細長い国は、ずっとその歴史において大国に振り回されてきた。最初はむろん中国で、長く支配を受けた。今でもベトナムの大乗仏教の寺寺には漢字が刻まれている。歴史文書は全て漢字で書かれている。僧侶しか読めないのに。どの都市にも中国人の足跡がある。中国の支配を離れても、フランス、日本、アメリカの支配を受けた。ベトナムの人達は常に支配民族の機嫌を見ることを余儀なくされてきた。その長い歴史が彼等のなんとはなしの行動の中に出ているような気がする。

 建設会社の従業員としてハノイに長く滞在した弟の話は1999年と2008年の訪問に関して書いたこの文章の中に入れておいたが、要するにベトナム人は民族的特徴としては従順であり、しかし根は強いということになる。根が強いのはあのアメリカに勝ったことに示される。その粘り強さといったらない。しかしそれは「攻めの強さ」ではなく、「守りの強さ」であるような気がする。

日本橋....日本橋とベトナムの人が教えてくれた ベトナム人の特徴が垣間見られるのは、道路だ。ベトナムの道ではクラクションが凄い、というよりうるさい。それは東南アジアからインド、さらには中東に繋がるアジア回廊の特徴だが、ベトナムの人達はクラクションを無視しているようでいて、ちゃんと聞いている。クラクションを鳴らすと顔を向ける。「うるせえなこいつ」という感じ。クラクションを聞いて彼等が何をするかというと、遅いバイクは30センチくらい右にずれる。右側通行で、片道2車線があると大体が真ん中寄りが車のレーン、右がバイクのレーン。バイクは左のレーンに入っても少しなので、少し右に寄ればok。

 だから例えばSUVなどが来て警笛を鳴らすとバイクはやや、気持ち右に移動する。ははは、中国がSUV、バイクがベトナムだとするとその構図は笑える。無視しているように見えて、実は気にしていてちょっと右にずれる。そういう感じなのだ。今でもベトナムには隣国が北の大国・中国初めいくつもある。国の位置関係から言って周囲を気にはせざるを得ないのだ。しかし最後は「going my way」なのがベトナム人の本質の気がする。根は強い民族だしプライドが高いので「気にしていないようで、ちょっと行動で示すというポーズをする」という雰囲気。アジアの中では日本人と相性が良いと言われるが、やはりその辺は「弱小国として揉まれた歴史」がスタンスに生きている感じがする。

《 混乱と共存 》  それにしてもベトナムはまだ混濁の中にある。大体が道路に関して言うと、自分が乗った車の同一車線の先に対向車が走ってくる。どうするんだろうと思っていると、両方の車が微妙に右によって衝突は避ける。けっこうスリリングです。バイクも車も速いのもあれば遅いのもある。それらが渾然一体として走る。カオスです。しかし事故は一回も見ていないし、パトカーというものも一回も見なかった。日本の都市ならちょっと走っているうちにパトカーの一台くらいは必ず見る。自分でバイクを運転して実感しようとしたが、バイクタクシーに乗るのに止めておいた。でも次はバイクに乗ってみよう。レンタモーターバイク屋がいっぱいある。

冷やし大福が高級菓子に 次に「歩道」。ベトナムの歩道は時に「荷物置き場」(主に建設資材)、「バイク置き場」であり、しばしば通行不可能だ。その度に歩行者は道路に降りなければならない。モノが置かれていなくても、歩道にはしばしば雑草が生えていて我々が日本で想像する「人が歩く道」ではない。ある日の朝など人が中央分離帯の近くを悠然と歩いていた。誰もとがめはしない。つまり状態なのだ。

 しかし慣れるにしても、ベトナムでの大きな道の横断は、ある意味リスクと背中合わせだ。なぜなら第1に信号が少ない。歩道の為の信号など本当に少ない。歩道の為の白線が引かれていても、車が丁寧に止まってくれるわけではない。むしろ警笛を鳴らして突っ込んでくる。しかもベトナムの道ではなかなかバイク、車が途切れない。なぜならベトナムではロータリーが多い。信号のある場所と同じくらいある。とどうなるかというと「車やバイクが途切れない」ということになる。ぐるぐる回って出ていく。しかしその中で歩行者は大きな道でも左右を見ながら道を渡らざるを得ない。本当に危ない。おまけに日本人は道路を横切るときに見る方向がしばしば逆だ。

 印象として余暇を楽しめる人々が急速に増えている印象がした。バナヒルズに行ったが、そこは結構高い(標高も各種お代も)リゾート地だったが、多くの人が休日を楽しんでいた。わんさか人がいる。調べたら私が最初に行ったとき(1999年)より人口は1000万近く増えていた。人口が増えて、かつ所得水準が上がる傾向が見られる。いわゆる成長パターンだ。ダナンには家電量販店も出来ていたし、スーパーも入ったがモノはかなり豊富だ。ダナンのVINCOM新しい商業施設で、まずまずのモノが揃っていた。

 ベトナム経済はどうか。消費はまずまず活発のように見える。先に書いたようにベトナムも4連休だったので多くの人が休暇を楽しんでいるのだが、ダナンビーチ沿いの我々が滞在したホテルにはベトナムの人々が大量に宿泊していた。多分ハノイやホーチミンなどから来ているのだと思う。大部分は家族で。まあその話し声の大きいことは別にして、「豊かな層が育っているんだ」という印象だった。それが人口のどのくらいを占めるかは分からない。

捕れた魚は直ぐに処理 外務省のサイトによればベトナムの国民一人当たりGDPは2073米ドルと非常に低い。中国のレベルから見ても四分の1以下だ。しかしそれは平均であって、「かなり豊かな層が出てきている」と思える。走っている車もベンツやBMW、それにトヨタのSUVや中にはロールスロイスも見た。そう言えばマツダのCX5も多かった。良い車がある割にはベトナムの道は良くない。だから皆ほこりだらけ。それらの高級車が道路で無数のバイクと一緒に走っているのを見るのは笑える。ベトナムでは日本の「軽」が売れそうな気がする。

 ただし街の様子を見ると、景気は下り坂のように見える。ダナンビーチで建設途上のビルをいくつも見掛けたが、そのいくつかはスロー建設か、さもなければ建設の中断の憂き目に遭っているように見えた。やはり世界経済の鈍化は影響があるようだ。しかし国民の生活は向上している。ベトナム戦争(1960年代末まで続く)で政策の重心を経済に置くことが遅れた国としては、まずは順調な発展とも思える。発射台が低い分だけ、ベトナムはまだ成長の可能性が高い。人口ピラミッドも下が膨らみ始めている。インドのようにお乞食さんがいっぱいいるということもない。むろん格差は開いているように見えるが、しかしまだまだ人々は「涼み」のために朝早く(しばしば夜明け前)起き、海岸で体操をしたり泳いだりして、午前7時半には家に戻り、そしてまた夕方には「涼み」に外に出る。昼間は昼寝 ? だって5月から乾期に入ったベトナムの日中温度は35度を簡単に超えた。フエに行った日がそうだった。37度だった。慣れる....という問題ではない。

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 それにしてもベトナムは「水との戦い」をずっと余儀なくされている。ダナンの周辺では気がつかなかったが、ベトナムの新聞によれば「早魃」が同国の広い地域を襲っているらしい。そこでは「水不足」が深刻。ベトナムは南は三毛作、北でも二毛作のコメが出来るそうだが、早魃地域では米は出来ない。フォーを初めとしてライス・ペーパーなどが大量に米から作られているベトナムでは、「水不足で米が出来ない」となれば深刻な問題です。

ホイアンの夜には火を使う市が その一方で、ハノイもそうだがベトナムの主要都市では大きなビル、例えばホテルなどは必ずと言ってよいほどビルの一階に至るのに5段とか6段とかの階段がある。つまりビルが elevated されている。なぜそうなのかというと「洪水」です。フエを案内してくれたツアーガイドが、「フエでは毎年洪水で家が流される...」と言っていた。「じゃ、大変じゃない」と言ったら、「いや、貧しいんで何もないので....」と。半分冗談でしょうが、それにしてもベトナムを見ると南北に長い海岸の国だけあって、中国の奥地から流れてくる川を含めて、どの主要都市も「川の中に街がある」という風情。今後もベトナムは「水との戦い」を余儀なくされそうだ。

 今回とっても失敗したことがあって、いつもMacの最新マシンを持ち歩いているので充電一式もそれ対応をバッグの中に入れてあった。しかし最後の最後にUSBポートが使えるからという理由で一つ前のMacAirを旅行バッグの中に。ははは。つまりPCを充電できない事態に成田エクスプレスの中で気が付いた。旅をしている5日間ずっと「電源なし」という事態になりかねなかった。こりゃ大変と、成田で探したが売っていない。iPhoneやiPadの電源コードは売っているに。

 ダナンで探さねばと思ったが、購入の必要はなかった。なぜならホテルに着いてビックリ。フロントに私と同じAirが4台も並んでいる。「これは使える」と。なので夜も更けた頃「ちょっと充電していい ?」と頼んだらokと。ナイス。ベトナム人にはとってもアップルが人気があるらしく、ダナンの街中には結構お店もあって一杯売っていた。しかし旅先だけで必要だからといって何千円かの出費の必要はなかった。ラッキー。

 実際にベトナムの人々が持っているスマホを見ると、大部分がiPhoneで、その次にSamsung。日本のケイタイは見なかったな。泊まったホテルは「アラカルト・ダナン・ビーチ」といって新しい。シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズとちょっと似ていて最上階にプールがある。と言っても全く規模は小さい。しかし最上階からの景色は良い。従業員は若くて親切。由緒があっても施設が古いホテルが嫌いな私としてはナイスだった。WIFIも完璧だったし、施設も良い。風呂の固定シャワーとハンドシャワーの切り替えが不具合だったので頼んだら、直ぐに直してくれた。


2016年05月01日(日曜日)

 (05:30)昨日は出かける直前でばたばたしていましたので、アメリカの新為替政策について記録をストレートにしておきます。

 私が「従来もあった」と思ったのは「為替操作国認定」でした。「監視リスト」は去年新しく設けられた基準で、条件は三つ。「200、3、2」と覚えれば良い。

  • bilateral trade surpluses worth more than $20bn=つまりアメリカとの2国間貿易で年間200億ドル以上の黒字を出している

  • current account surpluses above 3 per cent of GDP=つまりその国の経常収支黒字が年間でGDPの3%以上出ている

  • is making "repeated" net foreign currency purchases equivalent to more than 2 per cent of GDP in any given year=そして特定年の為替介入額がGDPの2%に達している

 という3条件。言って見れば「数値機械的な基準」であって、名指しされた5カ国・地域(中国、韓国、台湾、ドイツ、それに日本)は全て最初の2条件に当てはまる。しかし米財務省は「今現在3条件全部に該当する国はない」と述べている

有名なダナンのドラゴン橋 では過去にはなかったのか。「過去10年間で見ると、中国と韓国がそれに相当した」とFTは報じている。同紙は「過去10年で中国は5回(つまり5年)該当した」と。日本は確かに最近は為替介入はしていないので、「3」の条件には当てはまらない。ECBも為替介入はしていない、と思う。

 「為替監視リスト」はTPP推進の意味合いもあって、去年の立法で新しく設けられた制度だ。これに載せられて、かつ3条件に該当すると判断されると、財務省は以下の対抗措置を発動できる。

  1. the law requires the president to respond by denying access to certain US development loans

  2. banning them from government procurement contracts

  3. calling for stepped-up International Monetary Fund surveillance

  4. and/or excluding them from any trade negotiations

 正直言ってアメリカへの輸出に直ちに大打撃という報復措置ではない。しかし問題は「リスク入りする」という屈辱感だ。「何か不正をしている」とアメリカから指弾されたような形になる。いくつかの記事には「shame」という単語が使われているが、その通りだ。

多人数が乗るベトナムのバイク これらの措置は米財務省に「抑止力」と「義務」を与えるものだ。数値化してしまうことによって、例えば今日本は大震災からの復興にあるから.....とか言った「特殊事情」が勘案されなくなる。「200、3、2」が数値機械的に発動される。

 これはTPP発効を狙う米政府が議会を説得する良い材料になる。TPPを発行させるとアメリカの労働者が保護されなくなるとの議論について、「いえ、制裁は数値機械的に発動します」と説得材料になるからだ。

 その政治的効果は、「最後の3番目の基準では該当したくない」という海外諸国の判断に繋がる。例えば週末の2日間だけで分母が110なのに5円以上も円高になった日本に関しては、「介入したいが今回発表されたリスト入りの状態からすれば(介入は)躊躇される」ということになる。

 むろん為替政策を一方的に決められたくない麻生大臣は「必要ならする」的な事を言っているが、客観的にはこのリストが発表された直後によほど世間の誰もが「それは無秩序と言えるものであった」と同意できなければ介入には踏み切れないし、それでも数値機械的に2%には介入規模が届くことは出来ない、ということになる。

 半期為替報告書はルー財務長官がワシントンでのG20の席で言ったように「(この報告書が作成される直前までの107円への円高局面を含めて)為替市場の最近の動きは秩序的」との判断。だとしたら「106円への急騰」を理由に日本が「リスト入り」の直後に為替介入をするのは難しい。

海岸に一杯有る魚介レストランには、こうした陳列が付きもの ところでどこに出かけているかというと、ベトナムです。ハノイで国内線に乗り換えて今はダナンに居ます。今まで来たことのないベトナム中部の街です。ネットにあるデータによれば人口は100万をちょっと超えたくらい。今までに来たことのあるハノイやホーチミンに比べれば小ぶりの街です。

 まだ着いたばかりで書くに値する印象もあまりないのですが、「とにかくみんな若い」が第1印象。ベトナムには過去2回来ていますが、最後に来たのは2008年かな。その時に確か「国民の平均年齢が30才」と書いた記憶があるので、あまりそれから上がってはいない。

 ハノイの空港にもダナンの空港にもバイクが見掛けられないので、「どうしちゃったのだろう」と思ったのですが、ダナンの街ではぎょうさん。一番多くの人が乗ったバイクには子供を含めて6人。ははは。また面白い事があったらレポートします。

 空港からホテルに来た印象では、「なかなか良い海岸がある」でした。着の日はベトナムは「ベトナム戦争が終結した日=祝日」ということで、ダナンもえらい人出でした。


2016年05月02日(月曜日)

 (07:30)結構面白い発見がいろいろありました。ダナン、いやベトナム全土での「歩道の役割」に関してとか、ベトナムの人がえらく早起きな事とか、グープルマップを起動しておいていらぬ道を走って距離を稼ごうとしたタクシーの運転手を懲らしめたりとか。

 ダナン郊外の避暑地Ba Na Hills(当時支配者だったフランス人達が避暑地とした所 今はケーブルカーで一気に2000メートルを上がる)にも行きましたが、若者達であふれかえっていた。とっても良い場所でディズニーの雰囲気もあるのですが、とにかく祝日だったので人が多かった。

 までも、ダナンは日本では味わえない味のある街です。「こうして生活することも出来るんだ」と思う。ベトナムなのであえて「バイク・タクシー」にも乗りました。下に我々が乗ったバイクタクシーの写真があります。ヘルメットをさせられたが、面白かった。本当は自分でバイクを借りようと思ったが.........。

 水質は知らないが、ハン川の夜は綺麗です。特にドラゴン・ブリッジを中心に。とても「水不足」「早魃」が問題となっているとは思えない場所でした。


海岸目線で見たダナンの朝日

海岸でみかけた物売りの叔母さん パワフル

バイクタクシーはホテルで2台を呼びました

このケーブルカーは凄かった

花ヒルズには綺麗な紫陽花が咲いていました

ライトアップされたドラゴンブリッジ


2016年05月03日(火曜日)

 (10:30)「波乗り」の人達には「使えない」と言われるかもしれない。しかしダナンビーチは言って見れば「100万都市付きの九十九里浜」という感じだ。

地引き網にビックリするような大物が とにかくその海岸線が長い。私も2時間近く歩いたが、それでもごく一部を歩けただけ。先が見えないくらいに長い。それに幅がある。砂は日本のそれに近いが、少し白い。日本に比べてベトナムは大河が多いからかも知れない。兎に角ダナンの海岸はでかくて長い。

ベトナムにはまん丸な漁船が それにすごく遠浅で、相当海に入ってもまだ立てる。つまりどこにもスペースは山ほどある。場所取りの必要もない。ある航空会社がダナン直行便を設けた理由の一つはこの豊かな海岸だろう。

 そしてその豊かな海岸は、街の中心部から15分の距離だ。海岸にはホテルやレストランが一杯出来ている。なかなか将来が楽しみ。おまけにダナンはホイアンやフエ(ともにベトナムの古都です)のヘソ、交通の要衝に当たる。

 豊かな、海水浴に条件の良い海岸なのですが、観光だけに使われているわけではない。お椀のような漁船が一杯置いてあって、私が見た限りでは地引網が盛んに行われていた。つまり漁業と観光業が同居している。私が見た網には、写真のような大物が。

昨日のフエではお線香作りに挑戦。といっても簡単です それにしても、ホーチミンやハノイでは気がつかなかったが、ベトナム人は早起きです。それは多分日中が暑いから。昨日は古都フエに行ったのですが、日中の温度は37度だった。昼間がめちゃめちゃ暑くなるから、その分、朝に涼もうとするのだと思う。

 かつ朝早くは海から上がる水蒸気のせいか、太陽に霧がかかったようになる。つまり朝陽が弱い。これが朝の涼しさを増す。なので今日の場合は朝の5時21分前から人出が海岸で見られるようになって、皆海に入ったり、砂の上で体操したり。ジョギングをする人も。そして午前の7時半になると、もう人が少なくなる。

フエの王様のお墓には綺麗なものも それにしても見て思うのは、ダナンも大開発が行われた後途上国の経済鈍化によって、今は景気が少し下目で、建設中のビルが途中で捨て置かれたり、建設ペースがスローダウンしているように見える。

J  それにしても、私が取材した1999年と2008年に比べれば、ベトナムの人達の所得は確実に上がっているように思う。4月30日がベトナム戦争勝利、5月1日がメーデーで、それが土日に当たったために月火が振替休日。

 ホテルはベトナムの人達が一杯。多分ハノイやホーチミンからベトナム中部3都市に観光に来ているのだと思う。豊かなレジャーが行えるようになっている。ナイス。


2016年05月04日(水曜日)

 (18:30)ダナンからホテルのシャトルバスで30分ちょっとのホイアンは、多くの人が推奨してくれた通り良い街でした。旅心を誘う。哀愁のある。何と言ってもランタンの灯りが悲しげで。

ホイアンでは綺麗な花が咲いていました 何よりも良いのは、この人口13万人前後の小さな街(ダナンやフエに比べた場合)が、昔の国際的港街としての面影を残し、街全体が世界遺産になったこと。なんと戦国時代には、わが国からも多くの人が渡って、暮らしていたという。

 当然、日本人街があったし、当時を伝える来遠橋(日本橋)は、同国の2万ドン紙幣にも印刷されている。私たちも行きましたが、観覧料を取られること以外は、「こんな形で日本が残っているのは珍しい」と思いました。ベトナムと日本の長い歴史がうかがえる。

 私が気になったのは「谷弥次郎兵衛」と言う方です。郊外にあるのでとてもお墓には行けませんでしたが、そういう特徴的な名前の人がこの地に住んでいたこと自体が450年も前のことですから、「どんな生活をしていたのだろうか」と想像力をかき立てられる。

 それに街も努力して主要な通りから人、人力車、それに自転車以外の全ての乗り物を閉め出したことが大成功です。だから観光客は人力車くらいに気を使えば良い。だから観光客は荒々しい、予測不可能な運転を展開するベトナムの数多いバイクや、増え始めている車を気にする必要がない。

 かつ私が見た範囲では3階建ての建物もごく少ない。大部分は低層2階建てで、それが街から威圧感をなくしている。中国の足跡もそこかしこに見える。人力車に乗ればすっと連れて行って貰えます。観光客の比率で言うと、ホイアンはコーカシアンが異常に多い。ダナンやフエに比べるとです。

 間違いなく日本人や中国人、それに韓国人も来ているので、加えて大勢のコーカシアン。「その時その時でこの街にいる人の半分は観光客か」とも思う。それくらい観光客に人気の街であり、かつそれだけの価値がある。

ホイアンの夜はもの悲しくて良い フエは実際に古都で、つい最近まで王宮に王様が住んでいた。1945年までと聞いた。グエン王朝です。その王朝の2代とか4代とか12代の霊廟を見たりするのですが、過去にあまり興味のない私はあまり関心を持てなかった。王宮もベトナム戦争で破壊が酷く、あちこちで修復の最中です。

夜景も綺麗です ダナンは大都会の方向に向いている。しかしホイアンは過去を向いているが、今に繋がる何かがある。そこがこの街の良いところと言える。古き建物が軒を連ねる街並みがあり、商店が続き、特有の料理があり、川や運河がある。

 今回は半日ほどしか滞在できなかったが、次はもうちょっと長く居たい。10年ほど先になるかも知れませんが。とってもしっとりした良い街です。ないす。

 ところで昨日ダナンビーチに関して「なかなか良い」と書いたのですが、はっきり言って水質は良くない。特に沖縄のそれと比べると。それだけは書いておきます。ベトナムは途上国ですから、いろいろな水が海に流れ込んでいる。なかなか綺麗にはならない。


2016年05月05日(木曜日)

 (00:30)ビックリしました。ダナンに日本の温泉施設に近い「花の湯」と言う銭湯が出来ていました。結構立派でサウナもある。

「花の湯」の入り口 「ベトナムには火山はない」というのがベトナム人のツアコンの説明なので、多分自然温泉ではない。しかし、多分わき水か何かを温めているのだと思う。この施設があるホテル(Blossom)の一角に写真のようにあって、中の施設もなかなか充実している。それも写真の通りです。かつこの写真には写っていないが、サウナもある。立派な。

 立派な待合室もあり、風呂上がりはそこで休める。だから我々のようにこのホテルに宿泊していなくても、例えば飛行機の待ち時間などで使える。兎に角ベトナムは暑い。マーブル・マウンテン(五行山)などの登ると汗だくです。その後に市内のこの「花の湯」に入れば飛行機に乗る前に快適・快適。

中も充実 ネットにもあまり載っていない。つまりごく最近の営業開始だと思う。一人当たり300000ドンですが、ベトナムの通貨は下のゼロ二つをとって二で割ると円価が出る。なので1500円です。法外ではない。

 奥の風呂も大きくて温度も40度ちょいかな。サウナも立派です。洗い場も五つくらいあって、従業員も親切。あまりダナンに行く人はいないかも知れませんが、なかなか良い。

 私がひとっ風呂浴びている時も、日本の方が二人入ってきた。兎に角ベトナムでは風呂の浸かるというのがあまりない。ホテルもシャワーが多い。なので、一汗落とすという意味ではナイスです。
ycaster 2016/05/05)


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