日々のライブな情報ページ

2011
03/12
Sat

2011年03月12日(土曜日) 続出した高層階難民

day by day

 (04:25)日本にとって、何とも凄まじい12時間の経過です。テレビで刻一刻と報道される被災地の状況は、本当に心が痛みますが、それとは別に私がこの半日に経験したことを書き残すことは、やはり意味のあることなのでしょう。都会でこの大きな地震に遭遇した人は多かったし、今後の参考になると思う。

地震直後にビルを出て、周囲を不安そうに見渡す人々  書き残しておくべきだと思うことはいっぱいあります。

  1. 都心のほとんどの道路での地震から数時間での大渋滞発生と、一瞬にして消えたタクシーの空車。つまりタクシーに乗った人も、ほとんど移動できなかったのではないか
  2. 都心の歩道を埋め尽くした人の波のすごさ。これは都心のJR、私鉄、メトロが止まって動かないと判明したあとも続いた。「皆さん、どこに向かっているのだろう」という疑問を持った
  3. 皆が携帯で情報をとろうとしているが、実際にはつながっている電話がいかに少ないか。auが音声を扱えたケースが多かったが、私が持っているドコモとソフトバンクの音声は、両者が緊急用に枠を開けたために、通話はほとんどできなかった。長い間
  4. それに対して、地震後もっとも素早く通信が再開できたのはデータ通信で、私の場合はドコモのポケットwift が稼働し、それによるツイッター発信、フェースブック書き込みは地震後しばらくして開始できた(それを見た私の友人や仕事関係者も多かった)
  5. 夕方には都心のほとんどのコンビニの弁当売り場、パン売り場などの棚は全くの空っぽになった。開いているレストランには人が並ぶところもあったが、「こういう状況なので」とキッチン・クローズを9時にしたレストランもあった
  6. つまり、ほんとに大地震が起きたときには、直ぐに食糧を手当てして安全な場所で交通機関などが動き出すのを待つのが良いことを今回の地震は示した

 ということだったかもしれない。個人的体験としては、携帯が音声、メールとも非常に長い間つながらなかったので、放送関係を含めて、連絡は自分の足によって行ったが、それは普段の瞬時通信からの大きなtime-consuming matter となった。ツイッターやフェースブックでお互い連絡とれる人の数は限られていた。

人があふれ出し、道路を大渋滞となった赤坂見附付近  昨日の午後3時前からの揺れは、ビルの28階に居た身にとって実に恐ろしかったが、問題はその時点でエレベーターが長い間止まったこと。28階から徒歩で降りたが、もっと上の階の方々はたぶん大仕事だったと思う。

 東京の大きなビルのほとんどのエレベーターが止まったので、やはり懸念されたように「高層階難民」が生じたこと。聞くところによれば、子供を園に迎えに行ったはいいが、高層階に戻れなかった人、上の階でビルやマンションの中に閉じ込められた人が実に多かったと聞いた。

 「高層階難民」だけでなく、大地震はいろいろんな難民が生ずることを示した。帰宅困難者も言ってみれば「交通難民」であり、家族と連絡が取れない人たちもそうだ。家に帰れないと分かった段階で、食糧を買いに走った物の、確保できなかった人は地震による買い物難民と言える。

夕刻には弁当もパンも、直ぐに食べられるものがなくなったコンビニの棚  今でも入ってくる地震速報は今回の地震が実に大きなものであることを示している。マグニチュード8.8なんて今まで聞いたことがないし、日本の観測史上でも例がないそうだが、「想定外の事は起きる」んだと思っておいた方が良さそうだ。

 力強いと思ったことは、いち早く復旧したツイッターを通じて、実に多くの方が情報を転送したりして流していてくれたこと。地震直後からの12時間において、むろんテレビ、ラジオは大量の情報を流したが、そのかなりの部分が「繰り返し情報」だったのに対して、ツイッターの情報は安否情報、交通機関の運行情報、どこそこの学校や公共施設が臨時宿泊所になったなどまで、実にすばらしい役割を果たした。

 むろん、電話会社の緊急伝言版で安否を確認できた人もいただろうが、ツイッターで安否を確認した人も多かったことは、今後の参考になる。情報をとれた人が、周りの人に伝える姿も良かったし、「お互いできることでお互いを助けよう」というシーンがあちこちで見られたことも良かった。

 被害は甚大だ。しかしお互いの協力によってこの困難を乗り越えられればいいなと思っています。

06:04
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伊藤洋一公式Twitterアカウント

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