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2012
02/19
Sun

2012年02月19日(日曜日) マイナス19度

day by day

(02:25)午後4時前に帯広を出て、3時間半ちょっとの時間をかけて旭川にプロジェクト関連の8人ほどで車移動し(ジャンボタクシーなど)、皆で夜の食事を終わって一眠りしたところです。

雪が道にも張り付いて、圧雪アイスバーンに 旭川 帯広→旭川間は最初列車移動を予定していた。札幌に出て、その後旭川に向かうルート。ところが、この事故が木曜日に起きて、帯広と札幌の間の列車がすべて運休になった。JR北海道はたるんでいる。最近事故が多い。

しかし走らない鉄道とはけんかできないので、主催者判断でジャンボタクシー移動となったもの。私としては、「それもよし」です。帯広から基本的には北西に山岳地帯を抜けて旭川に向かうルートは、雪道で運転する人には大変だと思われたが、夕方は夕焼けが綺麗だったし、あれほどの雪原を車移動したのは初めてだし、面白かった。

ジモチーの人々は皆、「今年は雪が多い」という。そうなんでしょう。私たちが移動している瞬間にも、日本の日本海側の広い部分では大雪が続いていた。分かったのは、帯広と比べて旭川は雪も多いし、寒さでも半端なく一段と寒いということです。

車移動の最中に道路沿いで観た温度表示では、私の記憶では「マイナス18」があったと思ったが、他の車で移動した人達は、「マイナス19度」の表示を見た、と言っていた。今この文章を書いている時点での、旭川の外気温は「マイナス19度」とコンピューターが教えてくれている。

移動の途中の休憩の時とか、到着時とか、その後の食事会の時に外に出ましたが、それはそれは寒い。食事をした後の体がポカポカしている段階でも、外に出て1分くらいで体が冷える。「これは凄まじい寒さだ」と思いました。いや、「気持ち良く」。これは多分、私が過去に経験したことのない寒さです。長野県の諏訪もニューヨークも寒かったが、これほどではなかった。旭川は寒い。

知らない土地に来ると、知らない言葉が増える。「圧雪」という雪がアイスバーン状に道路上に圧力を受けてこびりつく状態は初めて観ました。分かりやすい言葉は「圧雪アイスバーン」です。観ると、舗装の上に数センチ雪が圧力(車や人間の移動で)を受けて固まっている。

「かすべ」も初めて知った言葉でした。一応の説明はここにあるのですが、私たちが食べたのは鰭の付け根の部分。こりこりしていて粕漬けのようにしたものを頂きましたが、美味しかった。

旭川で総勢8人で行った店は、暮四季(くらしき)という、地元で「安くてうまい」という評判の店だそうでしたが、本当にいろいろあって美味しかった。

まあでも、全日本鍋物研究会のメンバーとしては、やはり鍋でしょう。メニューを見せてもらって、「今までに食べたことがない鍋」を二つ頼んだ。8人なので、多ければ3種類の鍋を食べられるのですが、ガスホースの口が二つしかないというので、二つにした。「浜鍋」と「きんき鍋」。前者は寄せ鍋の味噌仕立て、後者は文字通り「きんき」をフィーチャーした鍋。

フェースブックにアップしたら、「きんき鍋」の写真にレスポンス(コメント)してきた人が14人ほど、一方「浜鍋」に反応してきた人が6人。(具の、鍋の)売れ行きも実際にそんな感じで、確かにきんき鍋は美味しかった。きんきの油がきらきらと鍋の中に出ている。見た目にも赤基調で綺麗。

しかし「味噌仕立ての寄せ鍋」の「浜鍋」も美味しかったですよ。体が本当に温まって。日曜日の夜は、友人に紹介してもらった別の店に行く予定。

きらきら光る油が出て、美味しかった。鍋の中には芋も それにしても、雪の北海道を4時間弱移動しながらずっと考えていたのは、江戸の最後の時期から明治にかけてここを開墾した人達は大変だったろうな、ということです。雪は11月の終わりから積もり初め、「5月の連休にタイヤを交換する」(運転手さん)ということなので、この地方は半年弱は雪に閉ざされる。

開墾の間は、多分冬が地獄のようだったに違いない。原野を切り開き、農地を作り、道を作った。冬には暖かい家を建て、そして人口を増やしていった。昔北海道を開拓した人達は「冬をどう過ごし、何をしていたのだろうか」と思った。

帯広の空港に到着してからずっと目に付くのは白樺の木です。多分どこにもあるので、もともと自生していたのでしょう。無論、帯広空港の入り口(出口)のように、並木として人が意図的に植えたところもある。降り積もった雪の上にニョッキと出ている白い白樺の木がまた綺麗なのです。

「リゾートマンションを買い上げる中国の人々」「その周りで活発な経済活動を展開するオーストラリアの連中」など、いろいろな話を車の中で聞きました。面白かった。そう言えば、羽田からのフライトでもちょっとなまった英語の人々がいました。まあ、悪さをするのでなければ歓迎すべきでしょう。

車で移動しながら、「これだけ整備されたら北海道開発庁とか呼ばれていた行政機構や予算はいらないじゃない」と思いました。土建業の代わりの産業をいかに育てるのか。北海道に呼ばれる度に「私たちの課題です」と地元の人々から聞いていた言葉ですが、「これだけ食材が豊かなら、一杯考えられるのに」と思いました。

北海道は非常に豊かな大地だと思う。まあこれだけ「くそ寒い」時に札幌以外に来たのは初めてなので、もうちょっと観てやろうかな、と思ってます。その中には、むろん動物園も含まれる。

あそうそう、今年はさすがに寒いのか、ドアを開けて客待ちしている旭川のタクシーは、私が見た限りでは見当たらなかった。

04:18
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