(05:01)あの緊張感は一体なんなんでしょうね。本来ならこの季節は木々の緑が深く、人々は穏やかに過ごし、訪れた人を和ませてくれる筈の土地。その綺麗な土地を「こんな嫌な緊張感が漂う場所にしてはいけなかった」と改めて思いました。
先週末から東北に旅行に行っていたので、その帰りに原発事故エリアを少しながら見ようと思って、東京に戻る途中で福島から左に折れて115号線に。9.11の後は気仙沼など津波エリアには4~5回仕事もあったし、プライベートでも行ったのですが、福島の太平洋岸はなかった。
常磐が全線開通は知っていたので、予定になかったのですが「今はどうなっているのか」という気持ちもあり。常磐にはスタンドが長い距離ないと思い出して、事前に燃料補給して。走りながらずっと、「何なんだ、この緊張感は」と思っていました。
とにかく115号線は工事が今も大規模に続いている。復興道路の建設が進められていて、大きなトラックが頻繁に行き交う。まだ道路は建設していませんでしたが、出来上がったら太い輸送路になるのでしょうが、それまでに福島県の太平洋岸には施設的に何が出来るのか、と思っていました。
常磐に入って直ぐに高速道路のサービスステーションに寄ったら、写真の看板。バイク走行禁止のエリアがあると初めて知りました。「危険、もしくは場合によっては危険になるので」という意味合いでしょう。確か南相馬のそれでした。馬追の大きな写真が入り口に。
出て少し南下すると、放射線の表示板が。これは日本の他の高速道路にはない。それが記憶しているだけで全線で10弱くらい。今も放射能という人間に緊張を強いるものの存在感が大きいんだと思いました。
南相馬、双葉、浪江など事故の際に数多く聞いた名前が次々に出てくる。北から南まで本当に広いエリアです。一つの事故がこれだけのエリアを汚染した、その脅威がまだ残っていることに改めて驚愕。
常磐は同エリアは基本片道一車線で、時々追い越しを可能にする片道2車線がある。要するに簡易高速道路。走りながらずっと、「もう5年以上になるのに。事故は繰り返してはならない」と思いました。
ずっと激しい雨。高速を降りてみようと思いましたが、あまりに雨が強いので、それはまたこの次としました。「双葉町の一部エリアに帰還できるのは22年」とか、とにかく人間の寿命から見ても長い、長い時間がかかる復旧。「Never Again」と強く思いました。