2002
10月

2002年10月の日記

日記

2002年10月31日

 (07:32)言葉の使い方は難しいですな。多分今日から「骨抜き」という言葉が頻繁に登場するのでしょう。しかし、そう言った瞬間に、「ではその骨が犬にとって栄養になったのかならなかったのか」という重要な問題意識が done deal になってしまう。

 過去の例を見ても、「骨抜き」という言葉が使われる時には、「骨」の中身は忘れられて骨が抜かれたことだけが記憶に残る。bookshelf で見ると「骨抜き」には以下の意味がある。

  1. 〔気骨のないこと〕
    反論一つ出来ない骨抜きの男  a man so 「spineless [lacking in guts] that he is unable to argue back at all
  2. 〔大切な部分を抜き去ること〕
    利権のからんだ議員たちがこの法案を骨抜きにしてしまった  The Dietmen whose own interests were involved 「took the teeth out of [emasculated] this bill.
 

2002年10月30日

 (12:12)確か昨日だと思ったのですが、午後7時から渋谷文化村で試写会があったので、その前にタウンウォッチングと思って午後の5時半にオフィスを出て、青山3丁目から表参道、そこから原宿の方向に折れてシャネルまで行き、そこを左に折れて渋谷に向かうルートを取ったのですが、なかなか面白かった。全部で1時間10分くらい歩きましたかね。

 気づいたのは、ブランドブームだと言われながら、表参道の各ブランドショップにはお客がほとんどいなかったこと。わずかにルイビトンに少し客がいた程度。あとの店にもちょっと入ってみたけれども、本当に客は少なかった。あれれ、ブランドブームというのはどこにあるのだろう....と。

 次にシャネルから渋谷の公共駐車場につながる道、あそこは今後一段と魅力的な商店街になる兆しがひしひしとしました。何よりも良いのは、車が入ってこないことです。数ヶ月前に行ったときに比べて店が増えているし、かつより良い店が増えている。表参道道りが大きな道に分断されていて、例えばあの例のアパート(同潤会)も建て直しが決まったようですが、あれだけ大きな道があればちょっと現在以上の面白い街にはならないのでは、という感じ。対して、シャネルから公共駐車場につながる道は面白くなる可能性が高い。

 渋谷では暫くタワーレコードを見て歩いたのですが、あそこは品揃えがいいですな。上の階にも人がいっぱいいて、活気がある。渋谷も駅の片方と別方向で街の感じが全く違った地域、新宿のような地域になりつつあるような気がしました。新宿は西と東と全く別の街です。
 ――――――――――
 試写会は、この映画。日本とイランの合作。プレミアで、三国連太郎、工藤夕貴、榎木孝明、柳生美結、それにイランの男優などなどが舞台挨拶して、映画もなかなか面白かった。日本とイランの両方の家族の家族愛、それに子供同士、大人同士の交流、文化の違いとそれを乗り越える努力。

 アクバルというイランサイドの主役が出てくるのですが、これが傑作で「大丈夫.....」が決まり文句。ははは、いいやつなんですが。来年の春に封切りだそうで、我々が見たのも東京国際映画祭に間に合わせる仮完成のフィルム。ですから、出来上がりはちょっと違ってくる可能性が高い。

 面白かったのは、工藤夕貴さん(アシスタント・プロデューサー)を含む日本の女性陣が映画製作の先頭に立っていること。松田さんという方が試写会終了後のパーティーで挨拶していましたが、ぜひ成功して欲しいと思いました。うーん、しかしもう一つ「爆発」とはいかない感じ。良い映画なのですが。

 題名はいいですよね。「風の絨毯」というのが、情緒があって。映画を見ながら、「ああ、絨毯というのはこうして織るのか.....」と思いました。(12:27)

2002年10月30日

 (08:59)年内あと二回。来週の6日と12月の10日。以下の消費者信頼感指数の急落によって、来週の利下げの可能性は高まったということでしょう。ワシントン・ポストのジョン・ベリーもその可能性を強く示唆している。

 夕べ寝る前は、ニューヨークの株は大幅安だった。このニュースを背景に。しかし、目を覚ましたら、ダウはもちあい。強いと言うことです。

WASHINGTON -- Consumer confidence in October experienced its second-biggest drop in a decade, under the weight of falling stock values, deteriorating job prospects and the threat of war with Iraq.

The report suggests household spending, the bedrock of U.S. and world economic growth this year, could weaken sharply and adds to the case for the Federal Reserve to cut interest rates again, perhaps next week.

"It seems people have finally been shaken," said Lehman Brothers economist Drew Matus, noting the decline in sentiment occurred even though stocks had rallied sharply from their early October lows. "Maybe Christmas is canceled this year."

The Conference Board said its widely followed index plunged to 79.4 in October, a nine-year low, from 93.7 in September. The 14-point drop was far larger than economists were expecting, and was the second largest since 1990, exceeded only by the 17-point drop after last autumn's terrorist attacks. Only once since 1970 has so large a drop occurred outside a recession -- after the 1987 stock market crash. Within the overall index, the index of attitudes on the present situation fell to 77.5 from 88.5, and the expectations index declined to 80.7 from 97.2.

2002年10月29日

 (17:08)ある人が、こんなサイトの存在を教えてくれました。「凍死家」ね。ほんまに凍死しそう、今のようなマーケットでは。(17:09)

2002年10月29日

 (16:54)多分子供には人気なんでしょうね。いや、何かというといつも行くコンビニに立ち寄ったのです。コーヒーが欲しくて。そしたら、コンビニの一番目立つところに「恐竜のたまご」という変わったものがある。

 完全に「たまご」なんです。私が手にとったのは茶色いやつ。白いやつやブルーのやつもあった。うーんなんだろうな...と考えて、面白いから買ってみようと。まあコンビニの一番目立つところに置いてあるものというのは、それなりきに意味があるのでしょう。

 買って開ける前によく見たら、「3Dパズル」とある。なるほど、もしかしたら恐竜を組み立てる子供用のおもちゃ ?

 その通りでした。「3Dパズル」ね。よく考えた名前ですが、ははは、「6歳以上」で私も対象です。しかしきちんと注意書きがしてある。小さいピースがあるから口の中には入れるな、窒息の危険性があるとか、3歳未満の子供には誤飲の危険性があるから注意とか。

 見ると、いろいろな恐竜がある。集めるのが、子供達の間で流行っているのですかね。(17:07)

2002年10月28日

 (09:54)野球好きの私には、昨日の日本シリーズ第2戦の桑田のバッティングの一部始終が今でも鮮烈に残っています。ああいううまい野球は西武がすると思われていた。しかし、お株を奪ったのは巨人です。桑田の野球センスは素晴らしい。

 投手は石井。西武ベンチでは、「上原と桑田は気をつけろ」とおふれが出ていたそうだ。だから石井の投球がそれほど気を抜いたものだったとは思わない。対して桑田は、初球、二球目とすっごく後ろに立って、外角に投げられたら絶対バットが届かないようなスタンス。簡単にツーストライクになった。

 そこからだ、桑田の技が発揮されたのは。西武バッテリーは当然外角に投げる。桑田のバットが届かないところに投げれば、ヒットが出る確率はない。しかし桑田は、打つ直前に、つまり石井が投球をするちょうと寸前だと思ったが、スッと前に出た。テレビを見ていてはっきり分かった。そしてちょこっと当ててライト前ヒット。「一二塁間が空いていたので」と。

 私には桑田の足よりも上半身が大きく前に動いたように思えた。つまり、外角の低めに球が来るのが桑田には読めていたのである。テレビ中継していた人たちはそれに気づかない。何を見ているんだろうと思ったら、VTRが流れてやっと一人が気づいた。

 こうして、巨人の3回の大量得点はスタートした。投手が打者の役割を果たす巨人と、最初から投手は打者としては役立たないパの西武。このところセがずっと日本シリーズを取っている。やっぱし、投手も打者というのが自然なのでは。桑田は投げる不動産屋などと言われて評判は良くないが、あの野球センスは抜群といって良いと思う。(10:04)

2002年10月28日

 (01:54)あらら。フジテレビの番組を終えて寝る前にちょっとチェックとネットを見たら、ワシントン・ポストにこの記事。今までの報道と随分違う。

 テロリストは二人を射殺した後、恐れをなして出口に殺到する人質に向かって銃を乱射したため、特殊部隊が突入したというのがこれまでの説明だった。私も番組の中でその情報を紹介した。しかし、日本時間の28日零時37分過ぎのこの記事では、人質117人の死者のうち一人を除き全員はガスで死んだとなっている。これだと随分話が違う。

 日本の新聞サイトも28日午前1時30分くらいからこの情報を載せている。話す直前までネットはチェックしているのですが、番組がこのロシアの人質事件を取り上げたのは10時30分のスタート直後。間に合っていない訳です。まあでも改めて、生ものの扱いはなかなか難しいと思いました。

 このニュースでプーチンの評価は変わるかどうか。分かりませんが、人質の死に関しては今まではガスで嘔吐したものが喉に詰まってという話が多かった。神経系の問題で死んだとしたら、「そのガスは何か」という話になる可能性がある。その場合は、「もっと他に手段がなかったか」という話になるだろう。

 「テロリストに対策を教えてしまうから」とこのガスの名前をロシア当局は公表していないが、人質にこれだけガス被害が出ると好評を余儀なくされる可能性が高いんでしょう。一方、同紙には

An anesthesiologist, Yevgeny Yevdokimov, said the fatal effects of the unspecified gasses were exacerbated by the weakened condition of the hostages, who had spent 58 hours in captivity under high stress and with little food or water, Interfax reported.
 という記述もある。つまり、食料も水も与えら得なかった人質の体力の弱体化が原因で死んだのかもしれない、という解説だ。この辺は解明が待たれると言うことだろう。(02:13)
 

2002年10月27日

 (18:08)土曜日のネクスト経済研は、映画好きの小生にとっては非常に面白かったのです。ハリウッドの映画はたいした映画でもないのに、なぜ売れるのか、そしてアメリカがなぜ産業としての映画を成長させ続けられるのか。昨日の番組のあと、番組のHP用に一つエッセイを書きましたので、それを掲載します。エッセイと言うには長いのですが。
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 映画は好きである。暇さえ有れば、「何か良い映画はないか」と探す方だ。2時間前後の心地よい空間共有。ハシゴもいとわない。しかし、はっきり言ってハリウッドの映画には「当たりは少ない」と考えている人間である。特有の鼻につく臭いがあるし、それと繰り返し使われる「一定のパターン」があって、「またか」と感じられるからだ。

 登場人物の配置からしてそうだ。白人、黒人、子供、老人。明確に与え過ぎられた役割と、その幾通りかの組み合わせの繰り返し。ストーリーも悪者が出てきて、それに対抗する良い人間がいて、そこには家族の愛があり、大体がハッピーエンドで、どこかに見え見えのアメリカ賛美で終わる。アルマゲドンなど、途中で出てしまおうかと思った。

 だから最近はイランなどを含めてアジアの映画が好きなのだが、それでもハリウッドの映画やそのキャラクターは我々の身の回りにひたひたと迫っている。最近は日本のパチンコ屋にジュラシック・パークが台として進出しているのを発見した。メーカーはロイヤリティーを払っているに違いない。身の回りのハリウッド・キャラクターは数知れず、大阪にはユニバーサルがあり、東京にはディズニーのランドとシーがある。

 「ハリウッド映画の成功の秘密は何」が今回のテーマだった。ゲストは豪華で、日本人で唯一ハリウッド・ギルドの producer licenseをお持ちの菅野冬樹さん(メディアデザイン研究所)、ロサンゼルス特派員の経験もあり「ハリウッド 巨大メディアの世界戦略」の著書もある業界通の滝山晋さん(日経新聞国際部次長)、それに北野武監督とずっと映画を作り続けてきたオフィス北野の社長、森昌行さん。

 むろんハリウッドにも失敗作はある。番組はそれから入ったのだが、具体的に言うとダントツは制作費171億円を掛けて40億円しか回収できなかった(北米統計)「ファイナルファンタジー」。日本のゲームの映画版だが、ハリウッドの仲間内である菅野さんがおもしろいことをおっしゃった。「最初から(ハリウッドで)総スカンだったのですよ」、と。何かというと、この映画はCGで全部作った。ということは今までのハリウッドの制作システム(脚本、俳優、各種スタッフなどなど)を大枠においてパスしている。つまり最初からハリウッドで浮いていた、と。赤字映画の共通項は「水、未来、CG」だとか。

 しかし、こうした失敗作の存在にもかかわらず、「ボックス・オフィス」と呼ばれる「(アメリカ映画の興行収入で見る)売り上げは右肩上がり」と滝山さん。彼がお持ちになった歴代黒字映画ランキングを見ると、

 スター・ウォーズ(1977、562=黒字、576=興業収入、14=制作費)、E.T.(1982、530、544、14)、タイタニック(1997、501、751、250)、スター・ウォーズ・エピソード1(1999、395、539、144)、ジュラシック・パーク(1993、367、446、79)(単位は億円 統計は北米)

 と凄まじい成功=黒字がずらっと並ぶ。この数字は圧倒的である。トップ2はほぼ丸儲けの映画だったことになる。タイタニックは異色の制作費が特徴。それでも圧倒的な興行収入で儲けランキング3位。アメリカにとって、映画がいかに大きな産業になっているかがわかる。

 もっとも、最近のハリウッドの映画は「制作費の高騰」でそれほど儲かってはいないそうだ。菅野さんも入っているハリウッド特有のギルドのシステムがあってあらゆることで最低賃金のようなものを設定している上に、スター俳優のギャラが高騰しすぎて、それだけで足が出かねない。ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグ監督は、わざと大物俳優を最近は外すという。制作費の抑制が今は大勢だとか。

 では、ハリウッド映画成功のパターンは。菅野さんは、「勧善懲悪、家族愛、笑い、涙、アクション」と解説してくれた。私が「臭い」と感じるハリウッド映画の繰り返し使われるパターンこそ、世界中でその映画が売れる理由になっているということである。その謎解きは森さんがしてくれた。重要なのは、「マーケットの違い。最大公約を見つけようとしたらそうなる」、と。「だから、この最大公約数と映画のクロリティーとの間でいつも悩む」(同)とも。森さんが「マーケット」というのは、日本映画が市場をまず「日本」と考えるのに、ハリウッドは最初から世界を念頭に置いていることを指す。

 日本では映画は文化だとよく言われる。だから作り始めたら制作費もどんぶり勘定。しかし、「ハリウッドは違う」と菅野さん。

  「徹底的なバジェット管理とスケジュール管理」
  「ビジネス感覚を評価される監督、プロデューサー」

 が特徴という。番組の中で菅野さんに実際のバジェット(予算)表とスケジュール表を示して頂いたが、最初からびっしり決まっている。それをその通りに映画作りするのが、監督、プロデューサーの仕事だと。彼らはまた、「ファイナンス」をきちんと考えなければならないとも。良い悪いは別として、今成功しているハリウッドのシステムがそうなっていることは念頭に置いて置いた方がいいだろう。

 さて、日本映画。低迷が言われて久しい。森さんはこうしたハリウッド成功の方程式をふまえた上で、日本の映画産業にも、?ビジネス感覚の導入 ?フィルムコミッションなどを通じた産業育成――などを提唱する。またファイナンスの問題も重要だ。アメリカの映画の製作費は大体今は60億円だそうで、これに対して日本映画の製作費は普通は3億円程度だそうだ。しかし、「産業としての映画」にお金が回るシステムが作れないと、日本映画はこのまま衰退する危険性がある。

 ソフト傾斜が進み、デジタル化の波が押し寄せる経済の中で「コンテンツ」として重要性を増す映画。二次、三次利用が可能で、良い映画を作れば何十年と利用できる。重要なのだ。その中で、日本の映画は「リング」などリメークされてアメリカ発で大ヒットの兆しを示している。鉄腕アトムも出る。しかし、そのリメーク権利は驚くほど安く売られている。日本の「絵」や「脚本」が下請けを脱するためには、ハリウッドの「勝利の方程式」を学び直す必要がある、と感じた。

2002年10月25日

 (01:41)日本の株式市場が「竹中・金融改革案」を評価しない理由を考えていて、一つには「社会主義の臭い」なのではないか、という気がする。むろん、現在の案のまま実施に移されると、日本経済には強いデフレ圧力が出てくるのに、それへの対応が出来ていないといった解説にも一理ある。

 しかし、市場というのは当面の日本経済の苦境(デフレ圧力)を見ても、その先に力強い経済の姿を見れるなら、それを素直に評価するものだ。普通の状況においては、市場こそ「ハードランディング路線」を志向する。今回の場合はその気配が全くない。なぜか。

 報じられている竹中プラン読むと、「ああ、この人達は銀行を国有化したらすべてうまく行くと思っているのだろうな」と思える箇所がいくつも出てくる。「国有化」という言葉に、あたかも夢や美しさを見ているかのように。

 しかしそうだろうか。竹中プランには、「国有化のあと」が全く書かれていない。分解して外資に売るのか、どこかから経営陣を連れてきてどういう経営させるのか.....。

 銀行が国有化されるとする。一方で、小泉政権では「郵政の民営化」に向け大きな努力が支払われている。日本の株式市場には、民営後の郵政の株が上場され、銀行の株(銘柄)が著しく減少するという想像を絶する状況が生まれかねない。

 「国有化」は万能薬だろうか。国有化された企業には、株式市場は発言権を持たない。市場の論理は通じなくなる。であるが故に、世界中で国有企業の行き詰まりが起こり、世界中で「民営化」が行われてきた。確かに国有化・国営化で機敏に素晴らしいことが出来るかもしれない。もし素晴らしい銀行経営案を持っている人がいたら。しかし実体は、世界中の銀行が「新たなビジネスモデルの構築」に呻吟している。マジックがあるとは思えない。

 株式市場が望むのは、「活力ある企業組織」である。国有化されたあとの銀行から、市場のニーズを読みとった適切な資金供給が行われるだろうか。むしろ、「政策、またはそれに名を借りた金融」「裁量金融」が横行する危険性はないのか。政治家が活躍する場が増えたりはしないのか。国有化はどの程度の期間するのか。  だから、今の竹中プランの「国有化ありき案」に対しては、私も市場も「for what ?」と問わざるを得ないのだと思う。一方で、トヨタなど大企業の大株主には日銀がなる。日銀の株買い取りの案を当初歓迎した株式市場もその後は話題にもしなくなった。金額が小さいという面もあるが、市場はそうした案に「強い違和感」「これは市場は本当は歓迎してはいけない案」だと考えているのではないか。

 今の日本は、史上例を見ない建前資本主義・実質社会主義国になりつつある。これでは株式市場は燃えない。竹中案では、新勘定を受け継ぐ国有化後の新銀行には、「利益目標を課す」という。本来予測不可能性の中の生き物である経済の中で、「利益目標」というのは、いかなる位置づけになるのか。それを達成できなかったら、銀行の経営陣をまた入れ替えるのか。疑問符が付くことばかりだ。

 最初にも書いたとおり、株式市場には一方でハードランディング志向がある。それがうまく行きそうなら、それに市場は乗る。韓国の例が良い例だ。しかし、竹中案に市場が乗らないのは、本来資本が嫌がる動き、昔の日本がそうであった何にでも国が容喙するシステムが出来つつあるからではないか。

 永田町の政治家達が、急に台頭してきた竹中2役大臣にやっかみの気持ちから非難を浴びせている面があるのは、見ていて気持ちの良いものではない。「俺に相談がない」というのも、大人げない話だ。今まで何をなさっていたのか。今まで動かずに日本経済が閉塞に陥るのを防ぐ手当を怠ったのは、もっぱら彼等の責任であるからだ。小泉さんの指導力のないのも今更言うまでもなく問題。その意味では、竹中さんは気の毒な面もある。

 しかし、市場が評価しない案はダメだ。市場が燃えない案もダメだ。やはり、市場が素直に評価でき、株価が将来を見ながら上がれる案にすべきだろう。運用に困っているお金はヤマほどある。そのお金が動き出して株価が上がれば解決する問題も多い。竹中さんはかつて「マーケットが評価するかどうか」という言葉をよく使っていた。今回もそうすべきだろう。(02:00)

2002年10月24日

 (01:41)こんなHPがチリには出来たようです。懲りない人ですが、タレント性は確かにある。(01:43)

2002年10月24日

 (00:55)デジカメ話の続き。内藤さんが実際に調べてくれたのですが、「高級なデジカメでフォーマットという機能がある機種でフォーマットすると完全に消えます......」と。

 なるほど。でも、きいつけましょうね。デジタルに関する基本的知識がないと、自分が損するばかりでなく、他人をも巻き込む。僕は昔から、一定程度の「デジタル技術に関する知識の普及」は、国民教育の一環にしなければならないと思っている人間です。

 なぜなら、読み書き算盤以上の重要性、たとえば security などに関連した非常に重要なファクターをデジタル技術は持っているからです。でないと、知らない人は非常な不利益を被る。それはあまりにも可哀想です。あとは、その人その人の感度でしょうか。これが鈍いと、いくら教えてもダメですが。(01:18)

2002年10月23日

 (17:32)今日も大学で授業がありました。で、先週だかに休講したことを一言謝ったのです。「突然で迷惑掛けました....」と。私が大学生の頃は、休講は大学に行って掲示板を見てやっと分かった。

 しかし、女子学生達は「えっ」という顔をする。どうしてかな、授業を受けようと思って学校に来てから、「なんだ」休みかと思った人がいるはずなのに...と思ったのです。

小生 ああそうか、誰か速く気づいた友達から、メールもらったんだ....
生徒 違います、学校から
小生 へえ、学校から電話もらえるの
生徒 違います、学校から登録しておくと携帯にメールが入るんです
小生 ........(なるほど)

 ということは、彼女らは私が学校に「この日は休講します」と連絡して直ぐに、何時限が休講かを同報通信で知っているということになる。ははは、随分と便利になったもので。(17:24)

2002年10月23日

 (09:32)そりゃ、少なくとも寄り付きは下げますわな。竹中さんが自民党の総務会に報告に行った段階で、もの凄い抵抗に遭うだろう事は予想できたし、私の近くに居た人にはそう予言していた。しかしそこで夜の会合に行って、「中間報告見送り」を知ったのは23日になってから。それでも唖然としました。先週のサンデープロジェクトにおける中川さんの発言は何だったのか、と。

 まあ今朝の新聞が書いている通り、小泉さんの指導力の欠如は甚だしい。国会質疑を全部聞いているわけではないが、確かに今国会の小泉さんは元気がない。想定問答を読み上げるだけなのです。しかし、自民党も「選挙の顔」としての小泉さんを捨てられていない。決断しないんだった、指導者とは言い難い。

 がしかし、あえて思うのです。今の日本はあまりにも政府ベースの話が多すぎる。政府がこうしないから、政府が方針を決めないから、ここは補正で、ここは公共投資で.....とくる。今の日本政府に、やるべき事がないとは言わない。確かにやった方が良いことはある。

 それはそうなのだが、実際には経済を支えているのは、「今度はあれが必要、あれが欲しい」という消費者と、「これを出したら売れるかもしれない、これをこういうデザインで出そう」といったモノとサービスの供給者との出会いです。これが、GDPの最低6割を占める。いくら公共投資を政府がやっても、GDPの2割にも達しない。

 だからあえて言うと、今でも日本経済を支えているのは政府ではなく、消費者です。ところが、今の議論は政府部門にばかり集まっていて、聞いていると「政府には何でも出来る」思考になっている。そもそも政府が出来ることには限りがある、という前提を確認しながら行かねばならないのに、まるで社会主義国の議論のように、「政府が万能であるかのような議論」だけが先行する。

 はっきり言えば、あまり新聞も本も読まなくなった高校生や大学生(特に女子)の嗜好が日本の流行を決め、ブランドが欲しい大人の女性のニーズが日本の消費の核を占める。デパートに行けば、今の日本の消費のいかに大きな部分を女性が担っているかが分かる。

 まあ、彼ら、彼女らは新聞の一面などあまり関係ない世界に生きているのでしょう。それでいいのです。経済を支えているのは、口角泡を飛ばして議論している人間というよりは、実際にお金を使ってモノやお金を動かしている人たちのなのですから。黒塗りの車に乗って議論ばかりしていないで、デパートで買い物でもしたりしたらどうだい、とも思う。もっと何を買ってもらえるか、を中心に考えねば。

 それにしても、銀行は国有化され、大企業には日銀のお金が入り....となんという資本主義国なんでしょうね。国有化して、何をするんでしょうかね。世界的にも難しくなってきている銀行経営を、国有化のあかつきには誰が経営するんでしょうかね。ビジネスモデルの構築は、今では世界的にも難しいのに。

 大手術の前の患者の体から、血の気を引かせるような株安惹起の経済政策運営手法。民間経済の血液の流れを良くする手法への視点が欠けた議論は、そのうち市場からあくびをもって迎えられるでしょう。

 まあ良かったのは、昨日の海外市場で円相場が下げなかったこと、東京の株も昨日に事態を先取りして下げてしまっていたこと。議論などどうでもよくて、「アレが欲しい」という消費者と、「これは売れるかもしれない」という企業家がいれば、日本経済はまだまだ大丈夫です。議論は重要。しかし、それをしている人たちが経済の主体ではないことだけは、しばしば想起したい現実だ。(10:09)

2002年10月22日

 (08:57)今朝の日経金融新聞の一面に「株式運用時代の終焉」というコラムがある。複眼独眼のコーナーだ。「おや」っと思ったので目を移したのですが、なぜ「おや」っと思ったかというと、しばらく前にこの問題を考えたことがあるのです。

 そした私が出していた結論は、「運用はすべて株式で」という意味での「株式運用の時代」は世界的に見れば終わった可能性が高いし、実際のところここ数年の株式投資実績は悪い。しかし、だからといって今後の「株式投資」に魅力がなくなったということはないと考えるし、相場レベル論から言うと日本の株式市場には強い魅力があるというものでした。

 つまり、私はこのコラムの問題意識を共有はしている。しかし、結論は違うのです。同じ問題を考えながらも、結論が違ったのは「デフレ時代」の中身についての認識の違いにあると思う。

 なぜ「今がデフレの時代か」については、ここでは書きません。私はこの本を書いたときから「インフレは終わった」と主張してきた。これに関連して言うと、デフレは金融現象であるという意見が分からないわけではない。しかし、もしドイツ、アメリカがデフレになったら「日銀が金融政策を間違えたから」との「デフレは金融政策の失敗」論は、かなりの程度行き詰まる。私は本に書いたように、グローバライゼーション、テクノロジー革命の方に原因を求めたい。

 で問題は、デフレの時代になったらすべての企業がその波に飲み込まれるのか、という問題です。コラムには捨象があるかもしれないが、そうした認識に立っている。もし本当にそうだとしたら、「株式運用の時代は終焉」というこのコラムの主張は正しい。

 しかし、筆者はそうは考えない。それは、デフレ時代にも「インフレの局地戦」はあるし、それを起こせる企業もある。また、デフレ時代に勝ち残れる会社はあると考えるからです。もし「債券投資の時代」を言うなら、それは別に今に始まったことではなくて、90年代の初めから続いている現象です。とっくに債券投資の時代は始まっている。この間の利回りの低下は著しい。ということは、債券相場は何度かの中断を挟みながらも継続的に上昇してきたということです。

 しかし、その債券投資の時代にあっても、株式投資の時代はあった。それは、2000年までの数年間です。アメリカでもヨーロッパでも、株式投資が挙げた投資効率の高さは特筆すべき水準だった。つまり、株式投資の時代と債券投資の時代が共存していたのです。

 これからを考える時に「どちらへの投資を主体に考えるか」という問題は常にある。しかし、株式投資は基本は銘柄投資ですから、債券と違ってある国の、そしてその国が存在する世界の経済状況、物価状況全体を反映する債券とはかなり異なった背景がある。それは国によっても違う、という点を考えることが必要です。

 「相場のレベル」という発想からすると、筆者は日本は再び株式投資の時代に入ってきたが、欧米はまだしばらく債券投資の時代ではないか、と考えています。だから日本では債券投資がゼロでいいと言っているわけではない。重要なのは、投資とは常に組み合わせであって、「どちらが良い、悪い」の短絡的な結論だけでは意味がないということです。

 今の日本の相場レベルから言えば、筆者は債券は買わない、株なら銘柄を選んで買う、というスタンスです。ただし、欧米の債券はまだ買えるとも思う。(09:21)
 

2002年10月21日

 (01:57)日曜日に見た一番「あれ」っていう記事は、「夕刊フジ」のネット版に載っていた、「裏インターネット事件簿」の vol.52の記事。そう言われて見れば、PCのハードディスクデータでも復元できるソフトはもうあるわけだから、可能だな......と。気をつけましょう。

裏インターネット事件簿 vol.52

Oct.19,2002

デジカメ画像の「消去」は消えてない

 みなさんがデジカメで撮影した画像の中には、人に見られたくない写真が1枚や2枚はあるだろう。そうした画像は当然、「消去」するわけだが、消去したつもりでも本当は消えていないという事実はあまり知られていない。そして、その特性を利用して悪さをする者もいる。他人が消したデータを復活させ、それをコレクションしているのだ。

 “秘蔵画像コレクター”と名乗るのは、ある地方に住む大学生のJ君。彼は現在、デジカメを7台も所有している。その理由は、他人に貸し出し、戻ってきたデジカメからデータを復活させるためだ。

 「ある日ネット上で、消したデータは復活させることができることを知ったんです。その時ふと思いつき、以前、女友達に貸したデジカメのデータ復元を試したら大成功。なんと、その中から彼氏と本人が出演する×××画像をゲットできたんですよ。主に学校の友人たち、それも、彼氏のいる女の子をメーンに貸し出しています」

 彼は今まで100人以上にデジカメを貸し出したが、借りた人の大半は撮影画像を消去して返却するという。しかし、データを復元することで、消したはずの画像が彼の手元で見事に復活するわけだ。

 注)×××のところは、このHPに相応しくない単語だったのでそう処理しました。(01:50)

2002年10月20日

 (12:57)BSでアメリカのワールドシリーズを見ていましたが、新庄君は出られてよかったですね。DHでの出場という、明日からはでれるかどうかわからない出方でしたが、ヒットも打ったし(1−3、三振、3ゴロ)。

 しかしアメリカのワールドシリーズらしい試合。両チームで入った7点のうち、なんと6点はホームランでの点。タイムリーヒットは1点だけ。でも見ていて、アナハイムの球場は日本の球場に比べて少し小さいのではないかな、という印象がしました。特に1塁側、3塁側のファールグラウンドが小さい印象がする。

 ボンズ(ソロ)、サンダース(ソロ)、グロース(ソロ2本)、スノー(2点本塁打)という内容ですが、知っているのは前の二人でした。つまり、ジャイアンツの4点は全部ホームラン。まあでも何か似たようなチームの印象で、おもしろいのではないでしょうか。日本のシリーズは土曜日からでしたかね。(13:04)

2002年10月18日

 (16:46)今日読んだ一番強烈な新聞記事は、FT(18日付け)の「JAPAN'S RETAIL ZOMBIE HAS CHANCE OF LIFE」という記事。この記事に付いている絵がまた凄いのです。

 まあそうでしょうね。私には昨日のこの発表は、「小泉政権はどちらをお向きで....」という疑問にぶち当たりましたが、海外の連中は当然そうでしょう。しかし、この写真を選んだ人も、選んだ人だ。(16:49)

2002年10月18日

 (14:22)155回国会における小泉首相の所信表明演説を全部聞いていましたが、凄く物足りなかったですね。何が足りなかったと言って

  1. 北朝鮮の核兵器開発に関する具体的言及がなく、抽象的な表現にとどまっていた
  2. 内閣をなぜ最近改造して、その改造した内閣で前の内閣と違って何をするのかの説明がなかった
  3. 改革後の日本の姿として何を描けるかを何も言っていなかった
 などが要因だったような気がします。まあ、あくまで私の印象ですが。全体に言葉が肝心なところで細切れであり、一週間以上前に出来ていたものを読み上げただけの、小泉さんの気持ちが伝わらないものだった印象がする。北朝鮮の核兵器開発に関しては、国民の関心も極東地域全体の関心も極めて高いだけに、一言言ってしかるべきでだったのではないでしょうか。演説を「核」で検索すると、一カ所しか出てこない。

 一部中小企業の頑張りやノーベル賞受賞者が3年連続・今年だけで二人出たことなどを日本人が自信をもっていい証拠として挙げる手法も、小泉さんが今までの所信表明演説で使っていたやり方で、新鮮味が足りない印象がする。

 何よりもつい最近になってなぜ内閣を改造したのか、それで何を目指すのかについて言及がなかったのは、小泉内閣の evolve というか、進化というかそういうものがなくて、総理大臣になったときのそのままの主張で、スローガンで政権が動いている印象がする。一貫していると言えばそうだが、情勢の変化を説明できない、変化に適切に対応できない印象も強い。

 日本という国が内外で大きな試練に直面している時期だけに、もうちょっと一つ一つの問題に丁寧に考え方を述べた方が良かったのではないか。小泉さん流と言うには、かなり寂しい。(14:35)

2002年10月17日

 (23:22)ニューヨーク・タイムズにあったこのやりとりが実に生々しい。

At first, the North Korean officials angrily denied the allegation, according to an American official who was present.

The next day the North Koreans acknowledged the nuclear program and according to one American official said they, "have more powerful things as well."

 核兵器開発をしているだろう、との証拠を突きつけられたときの北朝鮮の当初対応とその後(これだと翌日)の言ってみれば開き直り。アメリカは多分、大量の電力を食うウラニウムやプルトニウムの濃縮施設を特定し、それを北朝鮮が否定できない形で提示。これに対して北朝鮮は取り敢えず憤激したふりをして席を立つ。

 席を立った交渉団は金正日総書記のもとに問題を持ち帰って相談し、否定しがたいとの結論に達した後、アメリカを交渉に引き出すには「核兵器開発」を認める手があるし、「more powerful thing as well」といって一段と脅す手もある、との考えに落ち着いたのでしょう。

 ただし、日本との拉致カード切りでもそうでしたが、北朝鮮サイドの認識が甘くなっている印象がする。つまり、日本との場合は拉致を認め、生存している人を帰せば日本の世論は北朝鮮に対して甘くなる、と読み間違えたのではないか。そうではないでしょう。また、今回はアメリカに対して読み間違えの外交攻勢を掛けている可能性もあると思う。クリントン政権とブッシュ政権では政権の色合いが全く違う。

 それにしても、帰国された5人を見ていてつくづく「被害者」だとの思いを強くする。本来彼等が流している涙は流さなくて良かったものだ。5人が真実を語っていないだとか、洗脳されているのではないかとか、という声が聞こえる。そうかもしれない。しかしそれは彼等の責任ではない。置かれた立場からすれば、今の彼等の対応は精一杯だろう。完全に自由にして上げたいと思う。

 もともとは北朝鮮の拉致という非人道的な行為から出発している。また北朝鮮の核兵器開発は米朝の問題ではなく、近い国としての日本自身の問題であるし、韓国、中国、ロシアなど近隣諸国の問題でもある。北朝鮮が核を持つことを歓迎する近隣の国は一つもない。これらの国々とも協力することが必要だし、日本のお金が現在も未来も決して日本と日本人の安全を脅かすような形で使われないことの保証を得ることも必要だろう。

 その点、日本の新聞が多くの場合「北朝鮮の核開発」と言っているのは気になる。明確に「核兵器開発」と書くべきではないか。核開発には平和開発も含まれる。しかし、現在の北朝鮮の意図は違う。北朝鮮の核兵器開発が成功したかどうか、つまり「bomb」を持つに至ったからについてはアメリカ政府も明言していない。

 しかし、時間の経過とともに北朝鮮が核兵器を持つ可能性が高いことを考えれば、北朝鮮は直ちに査察を受け入れ、核兵器開発を止めるべきだろう。それが日朝交渉の出発点だ。(00:24)

2002年10月17日

 (06:55)夕べの朝日夕刊の「戦国時代 本当の姿は ?」はなかなか面白い記事でした。時代劇に頻繁に登場する白兵戦というのは例外で、「戦場の負傷、大半は飛び道具」という内容。

 大勢の軍隊が刀を持って切り結ぶ白兵戦は、どの戦国時代劇でも一番の圧巻ですが、あんなことは実際にはほとんどなかった、と。とすると、我々はずっと例外的な戦いの姿を、代表的な戦いの姿として見せられてきたことになる。本当は「タイムマシン」で見に行かねば分からないのですが、歴史的資料を照合していけばかなり正確なことは分かるのでしょう。だとしたら、歴史ドラマは作り替えさねばならない。

 しかし、相も変わらずこれからも戦国時代の時代劇といえば、ここぞという合戦場面にはあたかもそれが当たり前であったかのように白兵戦が登場し続けるんでしょうな。今我々が「昔活躍した」と思っている人も、実はその後の、例えば江戸時代に作られた物語などによって作り上げられたケースが多いのではないか。

 いろいろな理由があるのですが、NHKの大河ドラマというのはこの10年くらい見たことがない。作り話が多いのと、殿ー部下という訳の分からない上下関係が当然のごとく永遠と演じられることが見ていて耐えられないのです。まあ、これからもそういう知識を持ちながら見ていく必要があるのでしょうね。(07:10)

2002年10月16日

 (01:05)そうだ、思い出した。先週のBSジャパンの番組の収録中です。「指南役」という単語が書かれた紙があって、その時に「しなん」という日本語はどうして「指南」、「南を指す」と書くのだろうと思ったのです。北、西、東ではいけないのか。収録開始の直前だったが、スタジオにいる全員に、ゲストを含めて聞いてみた。しかし誰も知らなかった。その時はそれで終わっていた。

 で、今日思い出したのです。なぜだい.....と。手軽なところで、bookshelf を引いてみました。そしたら、直ぐに分かった。指南という言葉は、中国にその昔あった「指南車」という車から来ているらしい。bookshelf の説明は以下の通りです。

しなんしゃ【指南車】

  1. 古く中国で用いられた方向をさし示す装置を設けた車。車の上に人形を置き、その人形の手がいつも南をさすようにつくられたものという。一説に、磁針を車上に装置しただけの車とも。黄帝(伝説上の帝王)が戦闘で使用したとも、周公が初めて作ったともいわれる。
  2. 転じて、手引きとなる物事。指針となるもの。
 なるほどってなものです。そういう戦闘に使った車があったと。そうでしょう。だだっ広い平原で自分の軍隊が一体どちらを向いているかを知らなければならない。まあ一方が分かれば、あとは北も東西も直ぐに割り出せる。

 そうですか、指南とは中国の伝説王の時代からの言葉でしたか。(01:15)

2002年10月15日

 (10:25)へえ、この人は結婚するんですか。「しまった、聞けば....」と誰かが言ってましたが。

 どういう人と結婚するんだろうと思っていたら、テレビでちょっと「今年1月に9年ぶりに会った人、前をバンドをやっていたが、今は会社員」と言っていた。なるほど。

 このコーナーで直前に紹介した彼女の8月の書き込みと照らし合わせると、かなりの符合が見えるような気が私にはする。9年ぶりということは、少なくとも彼女がメジャーになる前。つまり、自分を「普通のねえちゃん」と見てくれる男性なのです。その人と1月に再会して、そして恐らくこの8月の会にも居たのでは、と。そして、「その人たち前だったたらいつだってスッピンでいられる感覚とゆうか....」という感覚を楽しみながら、そして頼りにしながら結婚に踏み切ったのでしょう。

 アイドル、カリスマのイメージを残して結婚したくはなかった、自分を等身大の自分で見てくれる人と気兼ねなく、ということでしょう。しかし男性との相対的な関係はすっごく変わっている。そこを乗り切れるかどうかでしょう。なにはともあれ、

 Congratulations !!! 末永いお幸せを !!!(10:31)

2002年10月14日

 (10:35)朝、「久しぶりだから」と思って、hitomiさんのHPを見たら、先週だったですかねEZ!TVに出たときのことが「a day」のコーナーにいきなり出てきた。  

■ EZTV!! Date: 2002/10/08(Tue) 20:17

いやあ〜緊張したなあ〜。でも、なんだかとっても
たのぴかったです!
とてもあったかく迎えてくれたスタッフのみなさん
モリモトさんなっチャンイトウさん、ありがとお〜!
なあ〜んて届くかニャ?私は結構ニュースとか
よく見てて、自分にとってみたらキャスターの方
とかってカッコエエ〜って感じなんデス。
ミーハーなことになっチャン大好きなんです...
ハハハ....恥ずかしいっ。
緊張もしたケド、とにかく楽しかった。
あの日帰ってから、なかなか寝つけなかったジェ〜。
どうもれしたっ!

 「楽しかった」と。そりゃ、良かったですね。呼ばれた方が緊張しているのは直ぐに分かりました。で、あたしゃリラックスしていたのですが。ははは。「なあ〜んて届くかニャ?」なんておっしゃっているので、届きましたとメールでもと思ったらBBSが繋がらない。で、ここで書いておきます。

 彼女の歌は「love 2000」で知っていてた。しかし「By Myself」は最近知って、彼女らしくない曲想だな...と。珍しく静かな曲なんですな。若手の女性歌手では実はNHKの番組に出ていたのを見たときから、鬼束ちひろが好きで、特に彼女の「Back Door」は好きなのですが、hitomi の曲では「BY MYSELF」はなかなか良い。それをスタジオで歌ってくれたのです。

 番組の中で彼女が話すのを聞いていて、「素直な子だな」、と。この「a day」のコーナーのバックナンバーを番組の前に読んでいて、その中に

Date: 2002/08/17(Sat) 07:00

デビュー前に夜遊びをしたり、一緒に遊んだみんなに
再会...なんかこういうのは本当にタイミングなんだケド
なあ〜んもお互いかわりはなくて、さすがにあのころみたいに
クラブ通いなんかはしなくなったケド.....
なぜか今すごく会いたくなってしまったので、いきなり
クルージング&バーベキューに行ってきた☆
あんな感覚は久しぶりだったネ。本当に楽しかった。

また久しぶりに、たくさん遊びたいなあ〜とかって思ってる。
なんて気が楽なんだろうって....
こういう仕事はすごく先入観だとかで見られがちだから....
本当の意味で友達って時間が必要だし、なかなか難しい。
まっ、それでも友達作ろう大作戦はしてるケドね....
だけど、思ってることをマジで言ってくれる関係ってゆう
のはなかなかネ.....

だから、なんも気にせず一人の普通のねえちゃんだっていう
気分はサイコ〜にイイ
。その人たち前だったたら
いつだってスッピンでいられる感覚とゆうか....
しかし10年っていうひびきはスゴイケド、そんなに
変わらないもんだネ....さすがにこれから10年後は
努力次第ですナっ!!でもいい意味で変わって
いい意味で変わらないでいたいネ.......

 というのがあって、赤くした二つの場所が気になっていたのです、私には。一方でアイドル、カリスマという彼女がいて、もう一方では「先入観に悩み」「普通のねえちゃん」でいたい彼女がいる。多分、この両方を使い分けれる、というか、普通でいることが実はカリスマの条件かもしれないと割り切れたのが割合と最近なんでしょうね。私にはそう思えた。番組の中でも聞いたわけです。

 彼女が帰ってから、番組の最後で「彼女は、抜けたんじゃないですかね」と言ったのですが、当たっているかどうか。それから、これは1日くらい経ってからですが、その「抜けた」コメントのあとに「by myself で」と付け加えれば良かった、と。ははは、出来すぎですか。(10:41)

2002年10月14日

 (10:10)お誘いがあったので、日曜日は特に予定もなかったので平成14年度自衛隊記念行事として行われた「航空観閲式02」を見に茨城県の小川町(石岡から40分ほど)の百里基地に行って来ました。この種の式典を見るのは始めて。

航空観閲式02 2002年10月13日百里基地  「百里」っていうのは面白い名前だなと思って、近くにいた自衛隊員に「なぜ」と聞いたら、2〜3人知らない。次に聞いた人は自信なさそうに、「九十九里に対抗して....」とあとの言葉は小さい。あとでちょっとネットで調べたが、昔の「百里ヶ原」と言ったらしい。まあだだっ広いことだけは確か。まあ、そんなところでしょうか。

 警備は厳しかったですね。まるで飛行機に乗るときのように厳しいチェックが。そして、入れるのは招待客だけという、ちょっと観衆の数から言えば寂しい観閲式でしたが、天気はよく晴れて、各種の飛行機は実によく見えた。

 この種の式典では世界各地で事故が起きているせいか、各国の武官や招待客からはやや離れたところで観閲飛行や展示飛行(ショー)が行われた。ブルーインパルスのショーはテレビで何回も見たことがあるので、「ああこれか」という感じでした。本当は4機のブルーインパルスが登場するはずだったと思ったのですが、3機でのショー。どうしちゃったんだろう、一機は。案内が「4機が...4機が」と繰り返すので、気になったのです。

観閲式で正面を通過するP3C  一番私にとって迫力のあったのは、F-15のスクランブルですかね。2度見せてくれたのですが、ある高度になると上昇角度を一気に上げるのが鮮明に記憶に残っています。あの上昇角度は45度以上だったと思う。乗ってみたいような気がしましたが、まあ操縦席の人間には体重の6倍とかなんとかの圧力がかかると言っていましたから、まあ無理でしょうね。日頃鍛えていないと。

 全体にもっと凄まじい音がするかと思ったら、やはり万が一の事故を警戒してでしょうか、ショーが展開する地点と観客の間には距離がある。その間に地上展示機エリアを置いているので、はやりちょっと遠いのです。しかし、F-4の対地攻撃などはなかなか迫力があった。

 一つ非常に強く印象が残ったのは、石岡の駅からそうなのですが、シャトルバス、会場、あらゆるところで自衛隊員の挨拶が徹底していること。少しでも国民の印象をよくしよう、ということでしょうか。「仕事さえしてくれればいい」みたいな感じがあるのですが、あまり愛想ばかりよくてもな、という印象もした。

 基地内には入れなかったようですが、大勢の航空ファンが基地の近くに来ていて、それぞれに撮影したり、写真を撮っていました。式典の会場ではカメラを撮っている人も、ビデオを回している人も少なかった。なぜでしょうね。私は両方回していましたが。

 各国の武官が来ていたのですが、なぜかインドの武官のターバンが非常に気になりました。どうしてかわかりませんが。(10:25)

2002年10月13日

 (00:10)この館は今年6月にリノベートを完了して、例えばソニーの製品発表会などにも使われたそうです。なかなか興味深い会場だった。まだ一部はどうも工事中でしたが。

 ははは、何があったかというと会場の模擬カジノで使われたbanknote八潮さんと金子さんの結婚式。テレビ東京のアナウンサーとサッカー作家。とっくに入籍やその他もろもろは済んでいるのですが、改めて親族向け結婚式と披露宴があった。披露宴は午後6時開演。

 会場を聞いたときに最初に思ったのは、「聞いたことないな....」と。調べたら見つけたのが最初に紹介したURLで、その下のここで経緯が分かった。知らなかったのも無理はない。営業を開始してあまり時間も経っていない。

 大きな会場がなくて、招待客が一同に顔を合わせるスペースがなく、PDP(いや、普通のテレビだったかな)で各部屋をつないでの宴で、それにちょっと違和感があったのですが、まあそれは会場の制約。それを乗り越えたのが、その分かれた部屋を利用したアトラクションとしての模擬カジノ。

 参加者にはこの模擬紙幣が20枚、従って2000ドル配られて、ブラックジャック、ルーレットなどの場が立った。カジノ好きの小生は直ちにブラックジャックについてそうですね、一時間ほど。持ち金を3倍程度に増やして終了。それがあとで賞品に転嫁するとは知りませんでしたが。

 楽しい式でした。結局最後まで居て、白石さん、吉野さんと打ち上げのお茶をして、家に着いたら11時を過ぎていました。うーん、しかしあの会場はなにかに使えそうだな。お二人には、お幸せに。(00:25)

2002年10月12日

 (17:10)「今まで、私たちはめったに呼ばれなかったのですよ....」というゲストお二人の、収録語の話が面白かったな。

 何かというと、土曜日のネクスト経済研。今週一週間、見るも無惨に下げた世界の株式市場に関して特集を組んで、お二人の株式市場の専門家をお呼びして話を聞いたときの事。お呼びした二人は、木野内栄治さん(大和証券SMBCテクニカルアナリスト)と藤原尚之さん(JPモルガン証券テクニカルアナリスト)という二人のチャーチスト。

 普通、今までのテレビは株式の特集をするときは、ファンダメンタリストのアナリストやエコノミストを呼ぶ。頻繁にテレビに登場するエコノミストの殆どがそうだ。しかし、今回のネクスト経済研では、このお二人のチャーチストを呼んだ。違った角度から株式市場を見てみようと言うのが狙いだった。

 私は知らなかったのですが、お二人がこういうのでハッと気が付いた。「地上波テレビでは相場チャートは綺麗に写らない。で、我々にはいままで声がかからなかった」と。番組のスタッフも言う。「そうなんですよ、BSで初めてチャートが綺麗に写るようになったんですよ」と。

 株式市場でチャーチストが果たしている役割は大きい。相場形成の一大勢力だ。市場関係者の間では、時にはファンダメンタリストのエコノミストより注目される。それはチャートが市場参加や退出のタイミングも示すからだ。時に、マクロ系のエコノミスト、評論家は「止まった時計」(それでも、一日に2回は正確な時刻を刻す→10年に二度くらいしか当たらないエコノミスト)でも非難されない。というより、マスコミは「あの人を呼べばこう言ってくれる」と、「止まった時計」をむしろ頻繁に呼びがちだ。

 つまり、これまでは市場では重きをなしていたのに、マスコミの世界ではチャーチストは割を食っていた、ということである。チャートが星占いほどに一般の人には眉唾に見えることも影響しているが、画像処理の限界も彼らのメディアへの露出を抑制していた。

 。ところが映像の鮮明度が圧倒的に違うBSデジタル放送が登場して、画面にチャートを表示してもはっきり分かるようになった。映像的にもチャーチストが株式の番組に呼ばれて活躍できる場が確保されたということだ。だからお二人は、「思いっきりチャートが出せて、思いっきりしゃべれて良かった」と言って帰られた。

 ナイスじゃないですか。技術革新が、ゲストの幅を広げた。また地上波では呼べないこうしたゲストを頻繁にBSデジタル番組としては呼びたいものだ。(17:25)

2002年10月10日

 (17:10)東京株式市場の一部時価総額がいくらになったのかと思ったら、240兆円割れとCNBCが報じていた。日本のGNPの1.5倍前後がピークだったと思ったので、よう下がったと言うことです。ピークは700兆円を上回っていたとも思いました。

 東京は海外より先行して下げていたから、下げは小さいと言われていたのはこれまでの話。ここ数日の下げは海外市場の下げ幅と遜色がない。つまり、先行して下げていたかどうかに関係なく下げている。懸念されるのは、売っているのは海外勢という今までの見方がどうも誤りで、国内の機関投資家のキャッシュ需要から売っている向きが多くなっていること。

 まだ暫く世界の株式市場は不安定な動きを続けるでしょうが、心配なのは日本もそうですが、スタビライザーになるべき政府がなすべきことを見いだせないでいることです。市場のスピードに付いていけていない。(17:15)

2002年10月10日

 (16:59)上海取材関係の記事はこのページに集めつつあります。写真が徐々に入ってきているので、選んで徐々にアップしていく予定です。

 2001年の中国紀行に関しては、ここ

 2000年の中国紀行に関しては、ここ

 にあります。あと、中国関係ではこのページも面白いと思います。この写真のモデルであるファンちゃんとは、水曜日に会いました。ちゃんと自分がネットに載っていることは知っていた。誰かが見せたんでしょう。いつかフルバージョンで載せましょう。(17:05)

2002年10月09日

 (13:59)9日の朝日新聞のネットサイトに、さもありなんというニュースを発見。

日本より緩い基準でも、米国人の3人に1人は太りすぎ――。米厚生省が8日発表した最新の国民健康栄養調査で、米国の大人の肥満人口が6000万人に近づいていることが分かった。

 99年から00年にかけて8000人を調査。体格指数(BMI=体重〈キログラム〉を身長〈メートル〉で2回割って算出)が30を超え、「肥満」と判定された大人は31%を占めた。ここ10年で10ポイント上昇し、総数は5900万人に達したと推定される。

(11:35)

 私の以前からの意見は、「肥満はアメリカの国民病」というもの。この意見を言うと、アメリカ人でも大体が賛成する。私がいた70年代の後半に比べれば、最近のアメリカでは本当に明らかに肥満と思える人が多い。

 この調査によると、男女別では女性が33%と、男性の28%をやや上回っているという。これも私の見方と同じ。調査で面白いのは、アフリカ系の女性の場合はほぼ半数の人でBMIが30を超えていたという。エクササイズの時間が短いんでしょうかね。

 大人と違う基準で計って6〜19歳の子供は15%(900万人)が肥満で、これは80年代の3倍に増えていたという。また、乳幼児も10%が体重過剰だった。政府のトミー・トンプソン厚生長官は「わずか20年間で、肥満人口が2倍になってしまった。太りすぎは糖尿病や心臓病、脳卒中のリスクを高めるだけに、状況はきわめて深刻だ」と話しているという。

 日本ではBMI25以上が「肥満」という定義。うーん、私も実は怪しいレベル。体重のアメリカ化を避けるためには、ちょっと何かをしなければ。もっとも日本もこのアメリカより厳しい基準で01年の国民栄養調査では、成人の約3割が肥満だったという。(15:10)

2002年10月09日

 (09:59)昨日のニューヨーク株が上がったので、今日の東京はと見ていたら、また100円以上の下げ。昨日の上げはほんのお印程度で、今日はまた大幅下げというのは、株式市場には「当面の日本経済の持ち直し」への期待が薄いと言うことでしょう。

 市場には確かに行き過ぎはある。しかし、市場というのは自分が間違ったと思ったら、利害が絡む世界だけに直ちに立場を変える性格のものです。そこが「市場の間違い」と「政府の間違い」の違うところです。「政府の間違い」は頭で考えたものであり、体面もあるからなかなか変わらない。社会主義が崩壊するには80年もかかった。その間に、旧ソ連や東欧諸国、中国などその他共産圏諸国の人々の被った被害は計り知れない。

 小泉改造内閣発足後の日本の株価の下げは、新内閣の政策がどこか間違っていると言うことでしょう。市場は政策の先行き、その結果に明るい兆しを見たら、必ずそれを先取りしようとする。今までの見方を直ちに捨ててもです。今の市場にはそれがない。

 ということは、改造して政策が貫徹しやすくなったとしても、それが市場から見て間違った方向にあるか、貫徹できていないと見ているか、そうでなければ政府の意図が伝わっていないということでしょう。口の軽い大臣と、殆ど単語しか発しない首相の組み合わせは、「割れ鍋に綴じ蓋」のごとく良くできているようで実は危険です。

 危機になると、アメリカでもどの国でもトップに立つ人間が国民に向かってきちんと喋る。何をしようとしているのか、その先に何があるのか。企業や個人は何を覚悟し、何をしなければならないのか。政府と個々人の仕事の分担の理想はどこにあるのか。

 何も伝わってこないままに基本政策の変更がなし崩しに行われ、そこにトップの意思と考えがどのくらい入っているのかも分からない。8500円が接近してきましたが、今の小泉政権では一体誰が何を考えているのか。(10:16)

2002年10月08日

 (08:45)今朝の新聞記事では、二つが目に付いた。一つは朝日新聞のお詫び。忘れもしませんな、日韓共催ワールドカップの最中6月5日の一面トップに近いところだったと思った。「中田、日本代表として最後のプレー」とか何とか。

 「大会はこれから」という時期に。日本全体のムードを壊す記事だったことを覚えている。「中田選手の決意がチームリーダーとしての活発なプレーにつながっていることを描こうとした」と。その意図は伝わってきていなかったな。

 「数ヶ月にわたる取材に基づく報道」だったそうだが、たとえそうだとしても人の気持ちなど直ぐ変わるし、せいぜいスポーツ面の小さい記事であるべきだったでしょう。中田英寿は、今回のジャマイカ戦にも参加。勇み足だった。
 ――――――――――
 もう一つ。日経金融だったか、最後のページに知り合いの写真が。江川さんでした。外銀のMAをやってらっしゃるとばっかり思ってました。それも、新しい丸の内ビルにオフィスがあるとは。

 アメリカ以外のビジネス・モデルを研究すると。特に日本では、日本の強者の企業、例えばトヨタなどの経営を調べて、海外に発信するらしい。まあ地味だが、重要な仕事だと思います。(08:44)

2002年10月08日

 (08:23)夜寝るときは70ドルくら上げていたニューヨークのダウは、起きてみれば100ドル以上の下げ。対イラク戦争、景気の先行きや収益に対する懸念で今まで下げていたと思ったら、週明けからは西海岸の港湾労働者のストが大きな下げ材料。

 ブッシュ大統領が仲介に乗り出す見通しながら、「(ストの損失は)アメリカ経済に一日当たり2億ドルの損失」と言われる中で、また同国経済にとって一番重要な消費の季節(クリスマス)を控えてのストで、「消費全体が冷え込むのではないか」との懸念が台頭しているようです。事実主要小売り業者からの報告は芳しくない。ウォール・ストリート・ジャーナルには以下の文章。

The work stoppage poses a threat to retail sales during the crucial holiday season in a stretch during which consumer spending, not business spending, has kept the economy limping along.
 それにしてもニューヨークの株安は7週目に入ったようです。下の文章にも示されているように、「(ブラックマンデーの年以来)終わったばかりの第三・四半期は過去15年間で最低」だったという。SPは大恐慌以来3年連続の下落はないそうだが、今年は今のまま行けば「下げ」。大恐慌以来ということになる。
The just-completed third quarter was the worst on Wall Street in 15 years, since the Black Monday stock-market crash of October 1987. The Standard & Poor's 500 appears headed for its third straight losing year, something that hasn't happened since the Great Depression.
 日本やアメリカも酷いが、もっと年初来下げという意味では深刻なのはドイツ。つられて欧州全体も下がっている。DAXの下げは厳しい。「日本と同じ長期停滞の懸念」というのが、ドイツの株式市場の市況によく出てくる解説。

 「あの口はどうにかならんか」と誰かが竹中経済財政・金融担当大臣について言っていた。まことに無神経な発言が目立つ。市場を知らない。今までのノリで金融担当大臣も兼任したとの印象を振りまいている。

 意図があって、その先を読んで言っているのであるとすれば、相当勇気がある。発言しないですっとやることが必要なときもあると思うのだが。(08:35)

2002年10月07日

 (13:23)私は彼女ら、彼等を「45度の人々」と呼ぶことに決めました。

 何かというと、電車に乗っていても、街で立ち止まっていても彼等の掲げる携帯電話の上半分が頭から地面に引いた線に対して、45度下方に傾斜しているからです。むろん、正確ではない。しかし、それ以上角度を小さくすると自分に見えにくくなり、それ以上角度を大きくすると、隣の人から見えてしまう。

 「上半分」というのは、折り畳み式の携帯電話の上半分という意味です。むろん、折り畳み式でない携帯電話も日本にはいっぱいある。それらの方がより50度に近いかもしれない。しかし、自分で見えて、人に見えないというのは同じような角度だと思う。折り畳みかどうかには関係ない。

 携帯電話と呼びながら、彼等がしているのはメールからみの作業です。地上の電車の中ではリモートメールをチェックしているのかもしれない。地下鉄では、地上で受けていたメールに返事を打っているのかもしれない。でもそれだけではなさそうだ。

 では彼等は何をしているのだろうか。手持ちぶさただから、夕べのメールの意味をもう一度チェックする時間が欲しいから、楽しいメールを何回も読み直したいから.....。でも、皆難しい顔をしてメールを見ている。笑っている人はいない。そりゃそうだ、電車の中で笑っていたらおばかさんだ。

 「90度の人々」もいる。携帯電話を手に握って歩いている人たちだ。なぜ地面に対して平行に携帯電話を持っているのか。折り畳み式だったら、直ぐに開けるように。平行なのが持ちやすいから。それとも、ポケットに入れると歩きにくいから。

 「45度の人々」が一番多いのは、立っている人が少々くらいのやや空いた電車だ。座っている女性の半分、時には三人並んで座っている女性が全員「45度の人」だったりする。彼女らが前を向いて直面している携帯電話の中の現実とは......。

 ははは、私もしばしば「45度の人」になります。特に地上の電車では。でも地下鉄では四谷駅くらいかな。あまり長くはしないようにしないと。σ(^^)

2002年10月07日

 (03:01)思い出しました。森ビルの竹内総経理が「10年後のプートン(浦東)の姿」はこんなんではないでしょうか、と私たちに見せてくれた想像図。今まで忙しくて、スキャナーにかけるのを忘れていた。

 真ん中にあって、上の方が丸く抜けているのが97階建てだったかな、森ビルが上海で建てる第二のビル「環球金融中心」。私は絶対に小型飛行機かグライダーで抜けようとする奴が出てくると森ビルの方々には言っている。その右に、既に立っているハイアットがある。全体にどこかに似ていませんか。そう、マンハッタンに。下はバッテリー・パーク ?



2002年10月05日

 (00:35)音を回復するのに、結構時間がかかりました。何かというと、時々のぞくwindows update に従ってXPのサービスパックの1だか2だかをダウンロードしたのです。そしたら、VAIOの一台から音が出なくなってしまった。「おかしいな」ってなもんです。

 リブートの時によく見ると、「yamaha ac......がwindows を不安定....」とかなんとか書いてある。その先に進むと、つまりデバイスの衝突が起きていることが分かった。VAIOの型式に従ったページに飛んで、修正プログラムを二つダウンして、それを入れてやっと音がコンピューターに戻ったときにはほっとしました。

 私にとってコンピューターは音響機器そのもの。それから音が出ないのでは、役割の半分も果たしていない。音には苦労しましたが、絵では一歩前進。金曜日の昼は赤坂で内藤さんと食事をしながら、懸案だった画像の重さを調節する(大部分が軽くする)ソフトの photoimpact の使い方を教わりました。

 ははは、実に簡単でした。デジタル・カメラが徐々に高感度になっていくのは良い。しかし、それにともなって絵がほっておくと重くなる。ネットで使うのは、実は昔のデジカメの方が使いやすいことがある。

 恐縮していたのは、今までこのサイトに載せていた写真がしばしば重かったことです。特に電話回線の人には絶望的なまでに重かったのではないか、と思う。光やADSLの方にはそれほどではなかったでしょうが。で、サーバーを覗いて、重い絵をチェックした。全部で10くらいありましたかね。それをいったん全部こちら側にダウンして、photoimpact で軽くして、それを再送して上書きした。

 それで10月01日の写真も軽くなった筈です。これからは最新式のデジカメで撮った写真も、これで軽くしてネットに載せる予定。撮るときは焼いたときのことを考えて、重く撮りますから。いままで、「なんだこれは、重いぞ」と思っておられた方には、ご寛恕を。(00:55)

2002年10月03日

 (18:35)東京大学の神野先生のところで古いお金のコレクションをせっかく見せていただいたので、ついでに双璧の日銀のコレクションも見てしまおうと、本石町に行きました。昼飯を白塚さんとしてしばし話をした後、私は貨幣博物館に。

 この日は午後1時30分からツアーがあって、担当者が解説してくれるということを彼から聞いていましたので、それに合わせて。日銀は1882年が開設で、今年は120周年だそうです。この博物館もそれを記念した催し物をしている。

 聞いているといろいろ勉強になる。「貨幣」のもそうですが、お金に関する漢字には財貨、資産などなど貝殻のを使った漢字が多い。なぜか。それは昔中国では南洋の海で大量に取れる奇麗な貝殻を貨幣の代わりにしたので、財を扱う漢字に「貝」が大量に使われるようになったのだそうです。

 あと言葉の関係で言うと、「びた一文やらん」という場合の「びた」ですが、これには漢字があることが分かりました。知らなかったのは私だけかもしれませんが。「鐚」と書くようです。字を見ると、おいとある。

 これは何かというと、江戸時代かそれ以前か官製の銭が足りなくて十分流通しないときに、商人達が作った粗悪品のお金があった。それを「鐚銭」(びたぜに)と言ったらしいのですが、「鐚一文やらん」というのは、そんな粗悪品のお金でこれっぽっちも払わないということらしい。

 あとコンテンツで面白かったのは、日本では物々交換の時代が長くて、貨幣経済がなかなか出来なかったというもの。為政者は中国にならってなるべく早く貨幣経済を日本に導入しようとした。しかし、日本人はなかなかこれを使わない。物々交換がうまく行っていれば、必要ない。

 そこで為政者がしたのは、貨幣をたくさん持っている人間に階位を与えたり、交換に貨幣の使用を義務付けたり。日本に貨幣経済が普及するのに時間がかかったというのが面白かったな。山々で地方が分断されていた日本では、結構地域経済が信用を含めてうまく機能していたかもしれない。

 貨幣博物館は、むろん見学無料です。何回も見るものではないが、一度は見る価値があるかもしれない。(18:59)

2002年10月03日

 (09:17)考えたら、昨日は一つは締め切りに追われて、もう一つはその気になったので1000文字程度のエッセイ風の文章を二つ書きました。そして、考えたらその二つのなんと離れた、対照的なことか (^-^)ニコ。自分で、ほとんど笑ってしまいました。

 一つは日経ビジネスの為に書いた書評。ゆっくり生きるを取り上げた。今月中の同誌に載る予定なのですが、書店でふっと手が伸びた。上海から帰ってから。反感を持ちながらも、読んでいて魅力的な本でした。9月25日発売とあった。

 ところが、もう一本共同通信向けに書いたのは正に上海のスピードから判断した日本像。主には、「上海スピード」の背景と、そのスピードから日本を診断したのですが、そこではやはりスピードは欠かせないという結論になる。まあ北緯十度(カオハガン島)と北緯三十五度(日本)では違うのですが。

 この二つの共存がね、どうできるのか。イタリアのスローフードはなかなかナイスな考え方だと思いますよ。まあ、出来うる限り夕食は2〜3時間くらいくちゃくべりながらしたいもので......(09:25)

2002年10月01日

 (23:17)珍しいものを見せて頂きました。アダム・スミス「諸国民の富」初版本先週の木曜日にテレビ東京の番組でご一緒した神野先生(東京大学)のオフィスにBSの番組の三浦さんとお伺いし、日本や中国の古銭、藩札に加えて、アダム・スミスの「諸国民の富」や、カール・マルクスの「資本論」などの初版本を。

カール・マルクス「資本論」初版本  アダム・スミスの本はしばらく眺めていたのですが、英語が今の英語と違う。「s」が「f」表示になっているのです。英語がアダム・スミスの活躍していた時代からも変わってきていることが分かる。本は分厚いもので、今では考えられないような重さです。あれでは、寝ころびながら上に掲げてというような読み方は出来なかった。

 改めてアダム・スミスが「倫理学」の先生であることを想起しました。人間関係に関する学問をしていくなかで、「wealth of nations」が生まれた。日本はこれを「国富論」と訳した。

 カール・マルクスの「Das Kapital」は、聖書、アルプスのハイジに次いで、世界で最も売れた本だそうで、まあ元はといえばマルクスはジャーナリストですから、彼はもっとも成功した本を書いたジャーナリストだということです。

 そもそも見せてもらいに行った古銭、藩札は、小生がいつも持ち歩いている世界各国の紙幣をお見せして番組の前に話をしていたら、「私のところにはこういうものが...」ということで実現したもの。大学と言うところには、いろいろな方が寄贈をするもののようで、その背景には

  1. 大学に預けたら離散しない
  2. その価値が分かって大事にしてくれる
 アダム・スミスの蔵書の前で。赤帯がそうなどの理由があるようです。もっとも実際に今に残るまでにはいろいろあったようで、第二次世界大戦の時にはあちこちに疎開して、それでも危機にさらされながら、それでも免れて残ったというようなものがいっぱいある。そうそう、新渡戸稲造が寄贈したというアダム・スミスの蔵書というのがいっぱいありました。その前で写真を一枚。

 各時代の大判、小判を見せて貰いましたが、やはり古い金の鋳造貨幣ほど素晴らしい。写真に掲げたのは上代方金(四角い金貨)と上代判金ですが、ともに墨で書き込みがしてある。膠を使って、消えないような処置を施されているそうです。上代判金の方には作者の署名まであって、「後藤家」と書かれているとのこと。

 「後藤家」というのは、足利将軍の彫金師だったそうで、天正大判の前身になったものと言われるようです。この天正大判というのは素晴らしい。いかにも丁寧に作ったということが分かる作りになっているのです。慶長大判なんかよりも、出来が良い感じ。

 神野先生は最近人間回復の経済学という本を出された。買おうかなと思っていたら、頂いちゃいました。人間回復といえば、最近新潮社の「ゆっくり生きる」を読みました。ははは、読むだけでちょっと安心する本です。(23:45)