1999
11月

1999年11月の日記

日記

99年11月30日

 我が家には、居住していることを確認され、かつ歓迎されている命が十個あります。そのうち三つは、家から出たり入ったり。落ち着かない。つまり人間です。家に常駐しているのは、手乗りの白文鳥1羽と、ハムスター6匹、だった。今から考えると、それらは微妙で、良好なバランスでした。

 月曜日に文鳥が逝去。寿命はどのくらいか知りませんが、もう7年くらい人間(われわれ)と一緒だった。我が家に来た最初のペット(むこうから飛び込んできたのです)で、ハムスターよりはずっと古株だった。10も命があるのだから、一つのペットの命など大したことはないだろうと思っていたら、亡くなってみるとその存在感の大きさに気が付いた。実に寂しいのです。

 で思ったのは、ペットでもこうなのだから、一つ家にいる人間が一人でもいなくなったらその存在の喪失感は膨大なものだろうな.....ということです。文鳥は「また来ていただこう」ということでかなり埋め合わせがきくのですが、人間はそうはいかない。最近そういう事件があっただけに、親御さんの気持ちを考えると凄まじいものがある。

 ハムスターは元気です。「伊藤ハム」や「伊藤忠」、それに彼等の子孫です。こいつらは夜活躍する。声は出す、動き回る、滑車は回す。毎晩が運動会です。家というのはどこかで音がしていた方が良い。何も音がしない家は寂しい。彼らがいると、夜も家が生きている感じがする。
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 我が家の遠縁で、希望者から何らかの写真を送ってもらって、それをセーターなどに仕上げているニットの会社がある。サトーというのですが、写真なら何でも3色にしてそれをコンピューターにかけてセーターに縫い込むのです。

 テレビに出ているタレントなどが来ているセーターのいくつかはこの会社の生産だと聞きましたが、一度この会社に行って「皆さん、どんな写真を送ってくるのですか.....」と聞いたときのこと。子供の写真、亭主の写真、夫人の写真、恋人のそれなどなどいろいろあるのですが、圧倒的に多かったのが「ペットの写真」だというのです。犬とか猫とか。

 そこで私も考えた。そうだ、これからは歴代のペットの写真をどこかに残しておこうと。何年かたって見るのは懐かしいかもしれない。実は、亡くなった鳥ちゃんの写真はほぼゼロなのです。いつでも同じ場所に居ましたから。(*_*)

99年11月29日

 ここで当局(日米殴)の介入のパターンを三つ想像しましたが、予想されたこととはいえ介入したのはどうも日本の通貨当局だけ。これだとドルとユーロが本格的に回復するのは難しい。巨額の対外黒字を出している日本の通貨が安くなるためには、資本の流出が必要。

 しかし、それは今は起きていないし、日本の経済に対して悲観論が強いわけではない。むしろ海外の投資家は楽観的である。今年は特殊要因もある。2000年を控えて、資金をあまり動かさない、手元に置きたいという意識を強くしている投資家がいる。資本が本国回帰するとしたら資本輸出国の通貨は強くなる。

 月曜日の市場では、ユーロとドルはパリティーに近いところでずっと推移した。市場もパリティーをブレークするには躊躇している様子。介入する気持ちがあるのならこういうときにすれば有効なはずだが、欧州の通貨当局は動かなかった。動いたのは日本だけである。サマーズ財務長官の日頃の言動を見れば、「この人は介入には基本的には消極的だ」と分かる。

 一つ先週までと変わったことと言えば、月曜日の海外市場では株式市場と債券市場が「ドル安を気にし始めた」ということである。ダウ、NASDAQとも低下。債券は、指標30年債の利回りで6.292%に上昇。この程度が激しくなれば、アメリカも市場安定かの為に市場への容喙を考えなければならなくなる。
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 経済状態が良くないせいでしょうか、親しみのない名前の宗教団体が跳梁跋扈している。そのいくつかは訴えの対象になっている。人々が癒しをほしがるのは分かる。しかし、癒しを欲するにしても、事件になったケースでは信じられないような巨額の資金を団体に吸い取られていたりしている。

 お金を払い、多少の言葉や雰囲気を与えられても、その癒しは一時的である。法規制だけでは片が付かない問題だけに、一人一人が強くなることも必要だと思うが、では処方箋はと言われるとただちにはないのが実状。

99年11月26〜28日

 日経トレンディーの今年の「ヒット商品」を10位まで紹介したら、「だんご3兄弟が入っていないのは意外ですが....」と疑問に思った人がいたようなので、30位まで紹介しましょう。まあそうですね、日経トレンディーを定期購読している人は少ないでしょう。私もラジオ局のスタッフから見せてもらった。

200万画素デジカメ
たれぱんだ
ファイナルファンタジー?
コミュニケーションパル
カリスマ美容師
ファービー
スーパー チューハイ
買ってはいけない
だんご3兄弟
ケアガーデン
s2000
スペシャルティー・コーヒー
AIBO
大観覧車
健康エコナクッキングオイル
エゴイスト
松坂大輔
カシオペア
高級ブランド巨艦店
愛する二人分かれる二人  だんごは19位という位置取り。知らなかったのは「ケアガーデン」「健康エコナクッキングオイル」など。高級ブランド巨艦店は新宿のグッチを外から眺めたことがある。ブランドにはあまり興味がないので、なぜ皆同じロゴの商品を持つのかなと思うのですが、巨艦店が出来るというのはそれだけ消費者がいるのでしょう。しかし、「高級ブランド巨艦店」というのはどう考えても「言葉の矛盾」の気がしますが。

99年11月25日

 ふっと気が付いたら、当たり前ですが来週は12月。ほんまに迫ってきました。なんか2000年という年が楽しみなんですよ。31日は金曜日で、この放送の収録があるので、末日まで東京にいることになりましたから、どう過ごすか考えないと。

 で2000年を考える前に1999年とはどういう年だったのかということですが、先日「日経トレンディー」という雑誌の記事を見せてもらったら「99年のヒット商品」というランキングがあって、面白いことに気が付きました。

  1. 宇多田ヒカル
  2. i mode
  3. 10万円パソコン
  4. リアップ
  5. 五体不満足
  6. cdmaOne
  7. 着メロ
  8. ヴィッツ
  9. スター・ウォーズ
  10. ダンスダンスレボリューション
 2位、6位、7位に携帯電話関係が入っている。ヒット商品の三つまで。ヒット商品という観点から見ると、99年は「携帯電話の一年」だったということです。ちなみに大阪のビル街で見かけた「大観覧車」は24位かなにかに入っていました。宇多田ヒカルの「addicted to you」に引っかけると、日本中が携帯電話に夢中になった、携帯中毒になった一年と言うこと。

 今週のニュースによれば、いま大体6100万台日本にある据え置き型の電話は、3年後には4700万台になるという。一方で現在5000万台に迫っている携帯(ピッチを含む)は、来年の早々には5000万台を越える。完全にモバイルの時代に日本も入るというわけです。
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 二つ契約しているプロバイダーのうち、一つから以下のメール。ネットの世界で頻繁に生じている「吸収・合併」が身近で起きたようです。

ユーザーの皆様へ

いつも GOL をご利用いただきましてありがとうございます。

さて、突然ではございますが、グローバル オンライン ジャパン株式会 社は、11月24日をもって、高度なインターネットホスティングサービス や管理サービスで業界をリードする米エクソダス・コミュニケーション (Exodus Communications Inc:www.exodus.net) に吸収合併されること となりましたのでご報告申しあげます。

新会社として設立されるエクソダス・コミュニケーション株式会社では、 現在のGOLの組織編成のまま運営する予定です。

新会社では、引き続きGOLブランドでの高品質なダイアルアップ接続サー ビスの提供を続けると共に、法人顧客の皆さまを対象とした高度なホス ティングサービスやインターネットシステム、ネットワーク管理のソリ ューション、プロバイダーサービスの分野を拡張してまいります。

インターネットシステムやネットワーク管理ソリューションなど、法人 向けのインターネットサービスにおいて業界をリードするエクソダスは、 ヤフー、メリルリンチ、サン・マイクロシステムズといった1,700社を超 える顧客を有し、全米の主要ウェブサイトの38%に対して高セキュリティ のホスティングサービスを提供しています。米国カリフォルニア州に本 社を置く同社は、今年末までにインターネット・ウェブサイトの管理を 行う拠点をを全世界で22ヵ所に増やす予定です。エクソダスの傘下に 加わることにより、GOLがアジア初のインターネット データ センターの 管理を行います。

この度のエクソダスによるGOLの吸収合併は、当社にとっても顧客の 皆さまにとっても大きなメリットをもたらすものと確信しております。 日本国内での当社の広範なネットワークならびにインターネットサービ スでの経験もつGOLが、エクソダスの世界規模のバックボーンネットワー クや最先端のネットワーク・インフラストラクチャを提供することによ り、法人ユーザーから個人ユーザーの皆様にまでこれまで以上の多種多 様なサービスをご利用いただけることになります。これを機に、GOLはイ ンターネットプロバイダーとしてだけではなく、高度なインターネット ホスティングのプロバイダーとしての地位をも確立してまいりたいと存 じます。

事業計画の詳細が決定し次第、改めて報告をさせていただきます。皆様 のご協力に感謝いたしますとともに、今後もかわらぬご愛顧をお願い申 しあげます。

エスソダス コミュニケーション社の詳細につきましては、同社ホームペー ジ(www.exodus.net)もしくは、弊社ホームページ(www.gol.com)をご 覧ください。

 URLもFTPも変わりそうもないので今まで通りと言うことですが、今後もこういった合併は続くでしょう。

99年11月24日

 ほんまに、世の中いろいろ起こる。もうしばらく長い時間電車に乗ることはないだろうと思っていたら、諏訪の親父が調子が悪くて、ついでに入院したというので24日はお昼の予定が入っていたのですが、それは失礼してお休みを頂き諏訪へ。片道2時間ちょっと。病名が特定されているわけではなくて、調子がおかしいので入院したという。

 車窓から外を見るとやっと木々が色づいて良い感じ。行きは雨も降っていましたから。ただあの線の残念なのはトンネルが多いので、楽しんでいると突然真っ暗になる。全行程の何割がトンネルなんでしょうか。

 通過するのは山梨県ですが、ここは実験しているリニアが走っている県でもある。以前この近くのゴルフ場に来たときに、線路だけは見ました。500キロ対500キロでしたっけ。すれ違わせも揺れなかったとかニュースで言っていましたが、この見るに値する楽しい景色もリニアでは全く楽しめないんでしょうね。大体、リニアの場合は外を見せないんじゃないかな。

 実は「のぞみ」が嫌いなのはスピードが速すぎて feel nice ではないのです。「のぞみ」が走り始めたときに当時3才くらいだった子供の要請で乗ったんですな。ちっとも面白くなかったし、熱心に外を見ていた子供も30分もしたら寝てしまった。一車両にはたくさんの子供が居たのですが、全員そう。

 そりゃ、あのスピードで通過する乗物から止まっている景色、特に近景を見ていたら気分が悪くなるか、眠くなる。大人は遠景を見ますが、子供は近景。だからリニアは恐ろしく楽しくない乗物になるんでしょうね。寝るしかない。目的地に早く着くのは良いのですが。

 列車は、「あずさ」とか「踊り子」が良い。楽しめる。コンコルドはいつまでたっても人気が出ない。ただし、乗りたくはないがリニアのような新しいものの実験を続けることには賛成です。副次的な技術がいろいろ生まれてくる。アメリカも月に人間を送ったいろいろな計画のおかげで、様々な分野で多くの副次的成果の恩恵に預かったし、人も育った。ファイナンシャル・テクノロジーもそうでしょう。

 話はずれましたが、私が行ったせいか(^o^)ハハハ、オヤジも夕方には退院した。まあいろいろな検査は残っているらしいのですが。
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 少し目を離していたら、1ドルが104円台の時に、1ユーロが106円台になっている。ユーロは対円で新安値でしょうこれは。また1ユーロが1ドルに接近している兆候でもある。「99 in 99」が今年の初めの私の予想でしたからそれに少し接近してきた。ここまで来ると介入もあるかもしれません。ユーロは対ポンドでも新安値。

99年11月22〜23日

 22日は朝9時前に家を出て9時半ごろ東京発の新幹線で大阪に行き、午後一つ仕事を片づけて夜は大阪の知り合いと食事をし、午後9時18分の最終上り(嫌いな「のぞみ」でした)で帰ってくるという一日。日帰りはめったにしないのですが、23日が中途半端になるのも嫌だな....と思ったので帰ってきたのです。

 しかし、往復で6時間の列車移動は難儀です。かなり寝ているのですが、体が動かせない。23日は午前中は死んでおりました。つもりはなかったのに、結局23日は中途半端な一日になったというわけ。それにしても、かつては新幹線に乗るのは時間、事故とも心配なかったのですが、最近は本当に事故なくちゃんと着くのかいなと思う。日本もどうなってしまったんでしょうかね。
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 全然知らなかったのですが、大阪にはユニバーサル・スタジオが進出してくるそうな。ロスにあるあれのようなものらしい。ジョーズをここで撮影したと言われたときにはショックでしたが、あんなのが大阪に出来るという。

 そしてこれも知らなかったのですが、大阪は「国際集客都市」というのを目指しているらしい。つまり、世界中からお客さんに来て欲しいということ。大阪はもっと宣伝がうまいと思ったら、下手というか.....全然知らなかった。この二つは絡んでいるでしょう。ユニバーサル・スタジオも来るし、世界中から大阪に来てもらおうと。また、大阪はオリンピックの誘致もしている。

 しかし、そういう情報は東京にいても全然伝わってこない。日本国内でも宣伝不足なんだから、海外では全く進展していないのでしょう。なんと呑気なことか。ある時にわっと盛り上げるという作戦らしいが、どうですかね。作戦としてもあまり関心しない。もっと事前に宣伝しないと。

 大阪と言えば、梅田で高速にのって新大阪に向かい始めたらビルの谷間に突如大きな観覧車が登場した。本当にビルに挟まれてあるのです。結構新しかった。いついっても、大阪ななかなかおもろい街です。景気はまだ良くないようですが。

99年11月20〜21日

 金曜日だったと思ったのですが、おもろいパーティーに出ました。「退社記念パーティー」というのです。今まである出版社に勤めていた O 君が行く当てもないままにその会社を退社したのですが、とにかく人脈が豊富な彼。「この際、今までお世話になったり縁のあった人に一同に会してもらってパーティーを」と考えた。

 「退社」もいよいよ一種めでたいことになったということです。だってそうでしょう。パーティーは大体めでたいことを理由に開く。一般論的に言うと、転職や転社が珍しくもなく、個人がどんな人生を選んでも周りの人はあまり驚かない環境が日本でもできあがったと言うことです。事実彼が会社を辞めると言っても全く驚かなかったし、パーティーをやるからとメールが来たときも、「はいはい...一人一人に挨拶するのは面倒だからということもあるだろうが、あいつらしいナイスな企画」と思いました。

 面白かったのは彼自身が「これから自分は何をするのだろう」と思っている段階で、少なくとも表面的には深刻さはないし、周りも特に心配している様子がない点。まあ独身貴族でけっこう図太いから、周りも心配しても....と思ったのかもしれない。

 土曜日だったかメールを送ったのです。「良いパーティーだったよ」と。私も彼が主催する各種の会合でしか会えない人に一杯会えましたし、雰囲気も良かったんですよ。でも本人も喋っているうちにちょっと感情が高まっている様子はありましたが。

 でも思ったのですが、大勢の友達を持っているというのは本当に宝だな、と。四国から出てきて、最初の一ヶ月は秋葉原で買ったテレビが友達だっというのです。今の彼の人脈の広さからは信じられないような話ですが、その時の経験が今の彼へのバネになったのかな...と。

 だから今回の失職環境を将来へのバネにして欲しいと思うのです。しばらくは「仕事とは何か」を考えるそうです。うーん、しかしそれだけじゃな。メシはくえん。「君にはやはり文章を書いたり、その素材を集めるコンテンツ・ビジネスだろうね」とメールで。エネルギーはすごい。彼にはどうせコンテンツ・ビジネスをするなら国際的にやって欲しい。日本という枠を出て。

 まあそのうちホームページをインターネット上に作りたいと言っていますから、それを楽しみにしましょう。メシに困ったらいつでも何回でもおごってやりたいと思っているのですが、彼の体躯を見ると今はその気が起きない......。もうちょっと痩せたらねσ(^^)

99年11月18〜19日

 今の日本の携帯電話には便利している一方で大きな不満があり、それは過去数日間のこのコーナーでも書いたのですが、今後数年を展望するとかなり事情は変わってきそうです。過去数日間で一番関心がある問題だったので、ちょっと調べたのです。いろいろな資料を。いろいろ分かってきた。

 話の前に、実は昨日も女性経営者を集めた会合で一つ講演をした。そして、そこでも活躍したのはピッチであって携帯電話ではない。今の携帯電話は9600で通信速度が遅くて通信には使い物にならない。ピッチもドコモは64kのサービスを始めたと宣伝しているものの、これに対応している地域は都内山手線の中だけだし、肝心なのは64kに対応しているプロバイダーが非常に少なくて、結局611sでも電話番号の最後に「#32」を書いて32kで使っているケースが圧倒的。つまり、今は携帯もピッチも中途半端。

 しかし、ネットワークの主舞台が急速に「ワイヤレス」に進む中で、携帯の役割は非常に大きくなるし、機能もかなり今後数年間で上がりそうです。肝心なのは携帯電話で先を行っているのはヨーロッパであり、日本であるという点。アメリカは一歩遅れている。インターネットを携帯に取り入れたという意味では、日本の i mode が一番早い。

 また携帯はインフラの整備が比較的容易であるために、途上国においては固定電話より普及が早いらしい。たとえば、日本では携帯台数が固定電話台数を抜こうとしている段階ですが、たとえばミャンマーでは全電話台数の中で携帯電話の占める割合が既に70%を越えているという。数年前北京に行ったときも、同じような話を聞いた。

 ある調査によれば、99年末における全世界ベースの携帯電話加入者は、前年比で5割増加して4億5000万人になる見通し。93年末時点は3400万人しかいなかった。これが今後は急増。2002年には加入者は8億7000万人になるとの予想もある。冷戦終結前の「OECD加盟国の人口」に等しい。

 私にとって興味があるのは、当たり前ですがどのくらい使い勝手が良くなるか。次世代機種としては「IMT-2000」(IMT=International Mobile Telecommunications)のサービスが注目されていて、その中にもいろいろな方式があって代表的なのは「W-CDMA」(Wideband Code Division Multple Access)と「cdma2000」。後者は、今の「cdmaOne」の後継機種になる。

 でその使い勝手ですが、将来の携帯電話は「多モード切替可能式」となっていくつかの方式を同時に使え(ドコモのドッチーモのようなものです)、かつ

  1. 規格では最大2M bps(現在の64kのISDNの約30倍のスピード)、NTTドコモの当初サービスでも384kの早いデータ電送速度が得られる
  2. そのサービスが各国で始まれば(2004年くらいらしい)、世界中どこでも使える
  3. このIMT-2000のサービス開始を世界で一番早く予定しているのは日本で2001年の春(欧州は2002年初め)
 という。これはナイスです。ベトナム、シンガポールでは遊んでいた小生の携帯電話も、どこに行っても電話に、通信にフル稼働ということになる。おっと、今は日本で使うときには「03」とか「06」を入れていましたが、全世界で使えるとなると、すべての電話には、カントリーコードが付与されることになるのですかね。たとえば、小生の携帯電話番号のどこかに「81」が入ったり。

 ベトナムでもシンガポールでも持っていった携帯電話をPCやその他のネットワーク端末に繋いで作業をすれば良い。。まあ、携帯電話そのものがかなりの仕事を出来るネットワーク端末になるというわけ。料金などいろいろ問題はあるでしょうが、2000年時代の携帯は今と比べものにならないくらい使い勝手の良いものになっているというわけです。

99年11月17日

 大学の時に一年だけ一緒で、その後医者の道を選んだ友人が学会の会合で東京に来たので夕飯を一緒に食べましたが、結構面白かった。会合の行われているビルの名前を聞いていたので、そのビルに行ったら「会合は9時までです....」と。おかしいな、メシの約束は7時だから....さては抜け出すつもりだなと読んだのでわざと、「いや彼は7時には抜けると言っています....」と言ってやったら、受付の人が複雑な顔をしていましたが.....。むろん、そいつもあとで怒っていたな(笑いながら)。ワハハハハハ (^O^)

 興味深かった点は

  1. 医者の数は急激に増えている。彼が医者になったときの倍くらいの数が今は大学を巣立つらしい。で、彼が医者になったときの泊まりのバイト代は、医者の増加の中で20年以上たった今でも少しも上昇していない。(そういえば、司法研修所を卒業する卒業生の数も私が大学の時からは二倍に増えました)
  2. 病院の経営はかなり難しい。国公立病院は2000年に入ってしばらくして独立法人化される予定になっているらしいのですが、そうなると相当立ちゆかなく病院も出てくる
  3. 手術を行う医者のピークはせいぜい40代の後半までで、その後はやはり「術」としてのオペ(手術)の腕は落ちるのだそうです。その原因は、体力もあるが基本的には「目」で、たとえば術後を糸で縫うときなどはもろに来る。微妙な指先の術を必要とする手術は、40代の前半までの医者にやってもらうのが良い
  4. 患者の取り間違いなどが起こるのはやはり大きな病院で、大学病院というのも sounds nice だが患者の立場に立つと勧められない
  5. 日本の医療保険制度は末期患者にも巨額のお金をかけるなどして将来このままいけば立ちゆかなくなるのは目に見えている
 などなど。まあその他にも、いろいろ言っていたし、私も議論もしましたが人の最期をどう扱ってあげられるかというのは難しい問題です。それにしても、有名な人の手術を有名な、しかし高齢な人がしばしばやっていますが、ああいうのは実は微妙なところは若い人がやっているんでしょうね。指が動かなかったり、目が見えなかったりで、オペなどやっていられないでしょう。医学の世界もなかなか大変です。
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 日本の空港から借り受けてアジアで使える携帯電話のサービスがあることを、宮さんが教えてくれました。tks そのサイトは、 http://www.jal.co.jp/jalmile/sky/keitai.html です。そうですね、この次考えます。

99年11月16日

 京都で朝目覚めて外に出たら寒いのなんのって。木枯らし一番と新聞が報じていましたが、コートを持っていない身には寒く感じました。やっと寒くなってきた。ということは、京都の紅葉もやっと本格化する兆しかもしれない。風が強く、日差しもあった。ということは、今週末から少しは見れるかもしれない。京都の紅葉も。

 火曜日の夕方には東京に帰ってきましたが、来週月曜日の大阪まではちょっと出張はなし。多分この時は、京都に寄る時間の余裕はありませんが。ちょっとついとらん。
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 アメリカの中央銀行は、「take-back 利上げ」を完了しました。つまり、去年の秋に続けざまに行った3回の利下げを、16日に発表したフェデラルファンド金利の0.25%の5.5%への利上げですべて取り戻した、take-back したということ。回数も3回です。記憶では、8月、10月、そして今回。今回の利上げでは公定歩合も対象になって、同歩合は5.0%。

 今回のFOMCについては、このコーナー

筆者は、「pre-emptive 」という考え方を貫くならば、利上げをしてもアメリカ経済 が被る打撃が小さい今の段階でFRB が依然として可能性のあるインフレに対して厳しい態 度を取っておくことが賢明な策だと考えていて、「あるのではないか」と見ている人間です。 利上げをしないリスクの方が、利上げをするリスクより大きいと思われる。
 と予想し、それが当たった。ナイス。添付しますが、FRBの利上げ理由も予想したものです。潜在成長力を上回る経済活動が続いていて、労働者の枯渇が生じかねないので、その強い経済の活動ペースを落としたいということ。しかし、株式市場は今後の政策運営姿勢を「symmetrical」、つまり「中立」にしたこともあって大幅に上昇。SPとNASDAQは史上最高値を更新、ダウも171ドルも上昇した。私の記憶では、NASDAQは過去12営業日で11回目の高値更新。すさまじい。金融政策の「成功のジレンマ」状態は続いている。
Release Date: November 16, 1999

For immediate release

The Federal Open Market Committee today voted to raise its target for the federal funds rate by 25 basis points to 5-1/2 percent. In a related action, the Board of Governors approved a 25 basis point increase in the discount rate to 5 percent.

Although cost pressures appear generally contained, risks to sustainable growth persist. Despite tentative evidence of a slowing in certain interest-sensitive sectors of the economy and of accelerating productivity, the expansion of activity continues in excess of the economy's growth potential. As a consequence, the pool of available workers willing to take jobs has been drawn down further in recent months, a trend that must eventually be contained if inflationary imbalances are to remain in check and economic expansion continue.

Today's increase in the federal funds rate, together with the policy actions in June and August and the firming of conditions more generally in U.S. financial markets over the course of the year, should markedly diminish the risk of inflation going forward. As a consequence, the directive the Federal Open Market Committee adopted is symmetrical with regard to the outlook for policy over the near term.

In taking the discount rate action, the Federal Reserve Board approved requests submitted by the Boards of Directors of the Federal Reserve Banks of Boston, Cleveland, Richmond and Kansas City. The discount rate is the rate charged depository institutions when they borrow short-term adjustment credit from their district Federal Reserve Banks.

99年11月14〜15日

 京都に来ていますが、今年の京都は暖かくて、観光客はめちゃ多いのですが紅葉はまだのようです。大部分の方には、「残念」ということではないでしょうか。嵐山とか名所はあるし、高台寺のライトアップなどいろいろと催しがあるのですが、肝心の木々の色づきがなければ、来た人にはちょっと物足りない。今の感じだと、今週末もちょっと早くて、来週の半ばから週末にかけてというのが当たりかもしれない。

 紅葉にはいろいろ必要で、一つは寒くなること、もう一つは日照がなければ駄目なのだそうです。今年は寒いのが遅い上に、日照が少ない。「紅葉」には最悪の条件という訳でした。毎年この時期に会合があって来ていますが、去年は私の記憶では非常に紅葉が綺麗だった。
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 先日香港のキャセーの空港待合室が非常に良いという話を書きましたら、片山さんんという商社にお勤めの方から、以下のメールをいただきました。

 先日、香港のキャセーのラウンジで時間があったのでGRICにつないだら ちゃんとメールチェックもできましたし、伊藤さんの日記も見ることが できました。しかも電話料金は無料。香港自体、市内料金は無料ですか ら。これには感激しました。

 なお、出張先の会社はシンガポール、香港、 台北に店を持ち、その間を行き来していますが、彼らは常に携帯電話を 持ち歩き、どこからでも同じ電話を使っています。便利ですよね。

 やっぱりそうでしたか。私も今度香港の中継でキャセイで行くときは香港のgricを調べていこうと思います。また、電話の件は私は実際に東南アジア全体で携帯電話を使ったことがないので知らないのですが、これも日本は遅れている。韓国なんて隣の国なのですから、共通で使えても全くおかしくないはず。早くそうなって欲しいものです。出張中、日本の携帯電話が一番手持ちぶさたの様子<^!^>でした。
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 また、「コードシェアリング」の航空便に関してはしらさんから以下のメールをいただきました。これは今後海外に行く人は気をつけた方が良いと思います。航空会社はコスト削減でやっているのでしょうが、何せ間違いやすい。
 コードシェア便は結構トラブルが多いみたいです。JALはアメリカン、ANA はユナイテッドとコードシェアしていますが、アメリカン、ユナイテッドが運行 する便をJAL、ANAがコードシェアしていると、成田では第2ターミナルで はなく、アメリカン、ユナイテッドの発着する第1ターミナルから出発するので すが、JAL、ANAの便だと勘違いして第2ターミナルに来る人が非常に多い のだそうです。
 あの第一と第二の間を荷物をもって移動するのは大変です。

99年11月12〜13日

 ははは、金曜日の温度差はきつかった。前日のシンガポールが31度。で、金曜日の夕方の成田が16度。まだこの季節だったから良かったのですが、冬だったらきつかった。いろいろなサービスがあるもので、成田には「ご出張中はコートを預かります...」なんてのがありました。真冬には使った方が良いかもしれない。

 今回の出張で一番心配だったのは金曜日の夕方の収録に間に合うように帰ってこれるかどうかでしたが、なんとかうまく行きました。成田に着いたのが午後の4時。予定通りで、6時過ぎにはなんとか赤坂に着けた。でも、綱渡り<^!^>

 面白かったのは、時間的に最適だったJALの712便がコードシェアリング・フライトとかいう便で、つまりもう一つのコードを持っている。アメリカンの7214という。共同運行と言うことでしょうか。しかし、添乗員は全員がJALサイドでした。香港からベトナムに行くのに使った便もなんかそれに近い。CX なのに乗っていたのはベトナム航空の従業員。これから海外に行くときは便番などでちょいややこしいかもしれませんね。
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 それにしても、ケイタイしたもので一番役に立たなかったのは携帯電話です。海外では日本の携帯電話は電話帳の役割しか果たさない。はよう全世界で使えるようになって欲しいと思う。成田に着いたら直ぐに必要になりますから、置いて行くわけにも行かない。現地で借りるだけの必要性はない。

 聞くところによると、シンガポールの携帯電話は周辺のアジアの国にいっても使えるのだそうです。これは便利です。日本ももうすぐなるのでしょうか。あと印象的だったのは、トランジットの香港の空港の設備の良さです。キャセーのラウンジは非常に整備されている。東京から香港の間で PC のバッテリーを使いきったのでトランジットの約1時間の間にチャージしようとしたら、そのための施設がきちんとできていた。

 ついでに電話線もあったのでこれも試そうとしたが、「インターナショナルは駄目」ということで、香港の gric 加盟のプロバイダーを調べてはいなかったので、これはあきらめ。しかし、電話ジャックは同じで、香港の加盟プロバイダーの電話番号さえ知っていれば、gricに加盟している人なら、このラウンジからメールをチェックすることは可能だったのではないかと思われる。

99年11月11日

 ゾロメの日ね。日本では何か催しがあったとネット新聞に書いてありましたが、シンガポールでは特に何か話題になっているというふうでもありませんでした。気が付かないだけで、何かしていたのかもしれませんが。

 各一時間弱ですし、10日の講演より少ない人数を対象にですが英語で二回も喋った(小講演)ら、やっぱし疲れましたね。思ったことが全部言えないもどかしさがありますから。単語もふっと忘れているケースがある。しかし、まあある程度ずうずうしくならないと、またそういう気持ちでやらないとお他人様の言葉なんかそう簡単には口から出続けてこない。たぶん構文的におかしいところがあったでしょうが、あんまり気にしないことです。<^!^>

 それでも、英語のブラッシュアップの必要性は感じますね。今後は英語でも喋らなければならないケースは増えるでしょう。少なくとも減ることはない。
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 私は実はもう何年か前に来たときと比べて、シンガポールは変わったという印象はあまりありませんでした。ですから、ベトナムではあれほど取った写真も一枚もここでは撮らなかった。構える気にもなりませんでした。別に変わったものがあるわけではないし。

 しかしここで経済活動をしている方々や支店の連中に聞くと、シンガポールもえらく変わってきているらしい。ここに10年活動の本拠をここ置いていたというある方が、「10年前はここの人はもっと自信なさそうに生きていましたが、最近はもう自信にあふれている。それに比べて日本人は自信をなくしている。この10年は日本にとって何だったのか.....」というような話をしていた。

 後段は別にして、確かにこの10年はシンガポールにとって大きな発展の、自信を持てる10年だったに違いない。どうも話を聞いていると、シンガポールの大卒の女子の初任給は、日本のそれと同等のところまで上がってきているようだ。確かに街を歩いても、なんというか自信に溢れる歩き方をしている。彼等のちょっと変わった母国語の英語は、世界を席巻する言語になった。世界の人たちから街の綺麗さは誉められるし、世界経済フォーラムからは「世界一生産性が高い」とも言われている。

 これはベトナムからこの国に入ったので余計その印象が強いのですが、シンガポールの人たちの体位も非常に良い。ベトナムの人たちは総じて言うならば、小柄でスリムです。ちょっと失礼かもしれないが、貧弱な感じがする。女性でも上と下にそれほどしっかりとつくものが付いている印象はしない。しかし、シンガポールは特に女性では立派な人が多い。ホルモンを使っているマレーシアの鶏肉を食べているせいだ...といった俗説を披露してくれる人も居ましたが。"(^_^;)"

 面白いことを言っていた人もいました。過去2年くらいで、シンガポールのトイレが劇的に綺麗になったというのです。私は知りません。2年前にここに来たことはありませんしから。しかし、彼によれば過去2年間くらいでシンガポール中のトイレが綺麗になったというのです。それ以前は、ひどく汚かったと。持ち家比率も、9割くらいになってきているそうです。70年代の後半にニューヨークで知り合いになったシンガポールの記者はその当時、「シンガポールの住宅の6割は government-owned だ」といっていたのを覚えていますが、それから見ると個人の財産形成も進んではいると言うことでしょう。

 あと、埋め立てが凄く進んでいるらしい。これもたまの出張者には分からないのですが、「ここは数年前までは海で.....」というような話が出てくる。私はずっとシンガポールの人口は「300万人」と覚えていましたが、どうもそれが今は380万人くらいになっているらしい。日本で人口が80万増えるのと、シンガポールの80万では率が違う。30%近く増えているわけですから。で土地は常に足りない。ビルは住居でも上に伸びているのですが、それでも海を埋め立てて土地を作っている。遠浅なのだそうです。自信は出てきたが、地震はない。300年に一度だと。でも、来たらパニックでしょうな、この国は。
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 最後に個人的な印象を言うとシンガポールは依然として、「良いけれども惚れるほど好きにはなれない街」です。他のアジアの国から入ってくると綺麗だし、安心できる。しかし、どこかで味がない、においがない。シンガポールはおいしいものがあるという人もいる。しかし、まだ全体的なレベルは低いと思う。中華にしても、やはり香港が多様でうまい。(今回、一つ美味しい餃子屋を教えてもらいましたが、ここは良かった)

 今進んでいるのはオペラ・ハウスの建設。経済発展はかなり進んだ。今度はそういう面でも国のレベルを上げていこうということでしょう。そうですね、あとちょっと「猥雑さ」が必要でしょうか。街として魅力を付けるには。

99年11月10日

 シンガポールで聞いた話は、「経済復活へのかすかな足音」という話でした。それがアジア全体に直ちに広がる話かどうかは不明ですが、少なくともシンガポール市場では労働市場が徐々に締まってきているらしい。転職が盛んになってきているという。辞めても他に行くところが出てきていると言うことです。

 それはここで実際にビジネスをしている人も感じているらしい。モノが動き出している、という印象も数多く聞きました。しかし、日本のビジネスマンの「日本経済評価」は実に辛い。彼我の差というようなものを毎日感じているからでしょう。日本経済の先行きに対する危機感で溢れている。

 聞こえてくるのは、GEをはじめとして力を付けてきたアメリカの企業に対する畏敬の念であり、そのシステム思考のすばらしさに対する賞賛です。日本は局部の製品や部品では依然として強い力を持っていることを認めながらも、全体を見る、全体を組み立てる力の弱さ故に、ビジネスを失うケースが多いと。たとえば光りケーブルの単品の性能、出来具合ではどこにも負けない。しかし、それを使ったシステムとしての受注は、単品としてみればそれほど大したことはないアメリカのメーカーなどに負けるというのです。

 その業界の人がたまたま居たということかもしれませんが、アメリカの企業で名前が挙がってきた、最近強さを示しているそれとして名前が挙がってきたのは、GEやルーセントでした。ATTの子会社として出発したルーセントは、たとえばシンガポールではほとんど人員構成の面で現地化している。しかし、今はそうした現地化を進めた中でも、今は世界で連戦連勝だというのです。
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 今日もそうでしたが、明日も講演をこなしながら多くの方に会うことになっている。出張が良いのは、一挙にいろいろな方と会えることです。

99年11月09日

 バイクが多いハノイ市内の交通予定表を改めて見て「ハノイからシンガポールに行くのに何でこんなに時間がかかるのか」と思ったら、チケットでは気が付かなかったものの、ホーチミン市で乗り換えだったのです。しかも1時間半以上もの待ちで。ハノイでのデパーチャーが国内航空ロビーに誘導されたので、「ありゃ」と思ったことから分かった。チケットなんかあまり事前には見ませんから。

 おかげで、空の上からですがベトナムを北から南まで見る機会が出来ました。全体的な印象は「なんと川の多い国か」という点です。洪水が起きるほど雨が降ったのでその印象が強いのかもしれませんが、河、川が蛇行してあちこちを流れている。しかも、上からですからよく分からないのですが明らかに冠水していると思われる畑や田圃が見える。飛行経路から見て右側には山があるはずですが、それは見えない。広々とした平野が広がっているわけです。ホーチミンが作戦会議に使った机と言われている。質素な住居の下にある
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 ホーチミンシティー(旧サイゴン)の空港(ちゃんとした名前がありました)には1時間半くらいしかいなかったのでその印象しかないのですが、空から見るとこの街はハノイよりも明るい感じがする。建物がシロを基調としているのです。ハノイは茶色だったように思う。まあ温度が違いますわね。ホーチミンに降りるときに、「今31度」と言っていましたから、ハノイとは随分と違う。直前のハノイは21度くらいだったと思う。

 ホーチミン市の空港の周りはハノイの空港より雑然としていて、何をしているのか分からない人間達がいっぱいたむろしている。しばしばホーチミン市に来る弟の話だと、町を歩くと「お」が付く職業の方々が列をなすのだそうです。その列が自分に付いてくる(誇張もあるでしょうが)。ハノイでは、その種の方は小さな子供を抱えた物乞いの子供が一人いただけです。それにしても田圃が丸く抉られているようなところが多い。空から落ちてきた爆弾が爆発して出来た窪みのようにも見える。人影も少ないハノイの空港のデパーチャー用のビル

   結局ベトナムには70時間弱しかいなかった。また来たいところです。たぶん、この国は5年たったら大きく変わっていると思う。ここで工事で大勢の人間を使っている弟によると、人々のプライドは高い。しかしベトナム的非効率がまだまだ跋扈しているそうです。非効率が良いか悪いかの議論は別にして、こうしたものも徐々に変わっていくのでしょう。
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 ハノイからシンガポールは1時間15分だとアナウンスが言っていました。ハノイからホーチミンが2時間、ホーチミンからシンガポールが1時間ちょっと。ダイレクトなら3時間ちょっとで行けるということですが、乗り換えが入ってまるで一日仕事でした。

 チャンギに降りて入獄、おっと「入国」手続きをしていたらカウンターの上に飴が置いてある。これは食べて良いのかと聞いたら「どうぞ」と。飛行機の中に長い間閉じこめられた乗客(観光客が多いのでしょうが)にまずは飴で甘くお出迎えということです。そこら辺が、シンガポールのシンガポールたる所以でしょう。まあ正直言って、向こうの出方まで想像が付くという意味では、シンガポールに到着すると安心します。ベトナムでは少なくとも街中に軍人が難しい顔をして大勢いた。彼等の行動は必ずしも予測できない。

 出迎えてくれた熊沢君やホテルのレストランで一緒になった伊藤君の顔を見たら、シンガポールはますます懐かしくなりました。

99年11月08日

 ベトナム、特に北のハノイは日本で予想していたほど暑いところではなかった。季節が冬に入ってきたということはあるのですが、長袖がないと夜は寒いし、現地の人々は今はかなり厚でのものを着ている。CNN の天気予報で温度を比べていったら、最高温度は東京の方が高いくらいで、ハノイの温度域は上海ともあまり違わない。まあ、この数日間ハノイが晴れたのは一瞬で、ずっと雲が垂れ込めているという事情もあるかもしれませんが。油断したら、ちょっと風邪気味になってしまいました。

 フエの洪水は CNN でもかなり大きくやっていましたが、実際に今年のベトナムは異常気象なのだそうです。ハノイには小さな日本人学校があるのですが、「秋は一番雨の確率が少なく晴れるだろうから」と先週の日曜日に大々的な運動会を国立競技場を借りて、 rpt 国立競技場を借りて大々的に催す予定だったら、見事に裏切られて雨。で、今週の水曜日と木曜日に借り直してやるそうなのですが、今の天候だったらそれも危ない。初めての私にとっては、ハノイは雨と凄い湿度の印象が強い。

 少し郊外に出てみましたが、いろいろ面白いことを発見した。ハノイというのは漢字では「河内」と書くのだそうです。実際にそうで、二つの河に囲まれている。で重要なのは、河の水位の方がその囲まれた地域(つまりハノイ)の地面より高いという点。だから、大きな堤防が築かれていて、そこが道になっている。そして、その道に立ってみると、いかにハノイがあぶなっかしい立地条件に立っているかがわかる。両方の河が洪水して、ハノイが水浸しになる危険性は非常に高いように見える。ガイドが言うのです。ハノイは首都だからフエのようにはならなかった、と。つまり、地理的な事情は同じだというのです。

 たぶん、ベトナムの歴代王朝にとっては治水が大きな課題だったのでしょう。川底は河が上流からさらってくる土砂でコンスタントに上がってくる。河の流れを変えようとしなければ、堤防を高く立派にする必要がある。それが続くと、河の水位が高くなる。ベトナムでは河の中の両岸、中州などに家がいっぱい建っているのですが、それらの家は堤防の外の家よりかなり高く聳えている。堤防を降りて、堤防外の家に行く形になっている。むろん、違法建築だそうですが土地の所有権は国が持ち、住民は家の所有権を持つ国ではあまり「どこどこに建築してはいけない」ということはないらしい。
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 ベトナム戦争と97年のアジア危機の影響はまだかなり強く見ることが出来ました。田圃の中に大きな水たまりが時々見える。アメリカ軍が爆弾を落とした後であることが多いという。むろん不発弾もかなり見つかっているらしい。ハノイに繋がる多くの橋はベトナム戦争中に空襲で破壊された。で、ある橋は1988年にソ連との協力で完成したとかいった状況。経済発展が遅れたのも無理もない。

 アジア危機は、通貨ドンの相場を見る限りでは、あまりベトナムに大きな影響を与えていない。しかし、たとえばアジアが活発な動きを見せ、ベトナムが注目された90年代の半ばに立案されたプロジェクトは98年とかに完成したものもおおいそうですが、それらはホテルなどにしろかなり苦しいらしい。日航とか大宇とかいろいろ出来ているのですが、夜に明かりがついている部屋は数えるほどしかなく、「従業員を泊めている」といった噂が流れているところもあった。

 しかし町そのものには、活気があります。道路を行き交う無数のバイク。よく見るとかなり良いマシンも徐々に入ってきているようで、皮ジャンパーを着て後ろに女性を乗せて夜遅くまで乗り回している。商店も結構夜9時頃まで開いている。乞食はあまり見かけない。いないわけではないが、プライドは高い国民で「なかなか使うのは難しい」という声も。

 壮絶なのは、交通事情です。海外の日本人学校を慰問して歩いている永 六輔さんがつい一ヶ月くらい前にハノイに来て日本人の集まりで講演して、「道路事情には驚いた」と言っていたそうですが、事実その通りでなんというか凄い「あんうんの呼吸」で皆運転している。一応右側通行なのですが時に逆流してくる車もあれば、数では圧倒的に多いバイクが2車線を寡占状態で走っていることも多い。

 危険だからクラクションが終始鳴っている。で、それを聞いてもベトナムの人々は特に驚く様子もない。このクラクションのラッシュは、朝の6時過ぎには始まります。ホテルの部屋にも入ってくる。昼に実際に町に出ると、もっと凄い。永さんは、「本当に接触する直前まで相手を信頼する....っていうこの....」というような話をしたらしいのですが、確かにその通りであと2センチ(で事故だった)といったようなことは日常茶飯事なのです。それでも、町全体とすれば動いているという印象はする。

99年11月07日

 ベトナムはお金と言えば、「紙幣」しかない。つまり、「硬貨」がない。確かに、作るとなればコインの方がお金がかかるでしょう。しかし、正直なところ私は硬貨のないある国の通貨というのは今まで知らない。オストマルクを使っていた東ドイツでも、ひどくちゃちだったものの、コインはあった。

 100ドンが一円弱。日本だって一円が硬貨の最小単位ですから、たしかに50ドンとかいう硬貨を作る必要はないのかもしれない。で、その1円に相当する100ドンには、硬貨ではなく、ちゃんと紙幣があるのです。非常に少数ながら。私も一枚ゲットしましたが、この紙幣はあまりにも少ないが故に、ベトナムの人も「ある種のお守り」として持っているという。

 では端数、つまり100のドン以下の数字はどうなるのか。たとえば何でも良いのですが、5450ドンというようなときに、6000ドンを出したとする。100ドン以下はもともとないので、全部切り捨てになるケースが多いようです。ホテルで食事をして、端数が出てもお釣りが帰ってこないことがある。100ドン以下はなしなのですから。逆に、消費者が得をするときもあるらしい。

 これは考えようによっては、旅行者にとってなかなか便利です。あの硬貨群が重い。で、旅行をするとそれがたまる。持って帰っても、改めてその国に行くときにその硬貨を最初からポケットに入れて持っていく気はしない。ベトナムにはそういう心配がない。紙幣なら、軽くて良いというわけです。その代わり、紙は汚く、デザインは全部ホーチミン。数字をよく見ないと、間違える。まあ、ベトナムではいつまでたっても、ポケットの中の硬貨は日本の100円玉や50円玉で、その他の硬貨は増えない。

 ハノイのタクシーの初乗りは14000ドンとか15000ドンとかです。つまり、140円とか、150円。結構乗っていられる。南のホーチミン市に行くともっと安いそうだ。8000ドンとか、10000ドン。80円から100円。物価はメチャ安いので、「ではいったい年間いくらあれば暮らせるのか.....」。中国は大体100万円で一年間暮らせると数年前に中国に行ったときに聞いた。ベトナムでは大体50万円あれば、メードを雇ってまずまずのところに住んで暮らせるそうだ。なかなか魅力的なプライスですね。
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 人々は何によって生活を支えているのか。軍隊あり、公務員あり、まあいろいろな産業は出てきているのでしょう。タクシーも多かった。軍隊は、ベトナム戦争が終わってからあまりやることがない。で集団で農場を手伝っていたりするそうだ。それでも、キャッシュの入る職業の人は多くはない。で何が盛んかというと、「物物交換経済」。ハノイもちょっと出ればあちこちにある市場ではコメを持ってきた人が、野菜を売りに来た人と交換して帰る、といった光景が展開しているのだそうだ。

 ハノイはちっちゃな商店の集合体のような町です。それが面白いのはホテルの周りもそうなのですが、家電製品の店は集まっている。ケーキ屋はまた集まっている。葬儀屋も集まっている。何でもある程度集合するのだそうです。でも一つ一つの店は非常に小さい。そこに一人、二人の店員を置いて営業している。全体的な印象は良い悪いの問題は別にして、40年前にタイムスリップしてきたような印象です。

 人々は親切です。どうも聞いていると、ベトナムの人々はベトナム戦争を戦い、あちこちに爆弾を落とされたアメリカに対してよりも、中国に対して依然として敵対意識を強く持っているようです。敵対期間の長さの違いでしょうか。ベトナムのエリートは昔は東欧諸国やソ連に留学した。今は大部分はアメリカに行くのだそうです。日本に対する接し方は全体的には良いようです。日本人はどこでもそうですが、お金離れはよいし、あまりしつこくない。良いお客様という訳です。

 そういえば、ベトナムでは商品に値札というのは付いていない。タクシーが明確に出ているのが不思議なくらいです。大部分の商品はネゴが効く。「ここは fixed price ですから」といっていた店に行って値切ったら、ちゃんと安くしてくれた。交渉しないと損な国なのです。というか、お互いに片言の英語か何かで交渉をするのは、なかなか楽しいものです。

99年11月05〜06日

 まずベトナムに移動してきています。ハノイは香港から1時間半くらいでしょうか。ハノイからホーチミン市(旧サイゴン)までは2時間だそうですから、いかにこの国が南北に長いのかがわかる。気候も特に暖かいと感じることはないのですが、これがホーチミン市に行くとかなり違うらしい。つまり南北で温度差がかなりある。

 「ハノイ国際空港」は、小さな空港で右手に今新しいターミナルを建設しているのですが、建設関係で1年くらい前からここに赴任している弟の話では「まあ、5年後くらいに....」という話。のんびりしたものです。現ターミナルの印象は、サイパンの空港とまでは言わないが、日本の地方都市の空港の方がまだ整備されている感じ。

 空港からハノイの市内までは30分ほど。今年はフエで大きな洪水があるなどベトナムは異常気象で雨が多いらしいのですが、この日も雨。結構な降りなのですが、ベトナムの人たちはノンと呼ばれる頭に乗せた帽子をかぶってカッパを着ているだけでバイクに乗ったり、歩いたり、自転車に乗ったり。歩いている人でも、傘をさしている人はほとんど見かけなかった。

 道路は市内に向かう途中ではすいていたのですが、ハノイの市内に入るともの凄いバイクの数。四輪自動車1台に対して20台くらいのバイクが走っている。ベトナムではバイクのことを「セ・ホンダ」というらしい。スズキなどなどのメーカーの車もなくはないが、圧倒的にホンダが多い。年収が12万円とか20万円の国で、バイクは一台20万ぐらいするものが多いらしいのですが、中古で買ったり。手先が器用で、直しがうまいのだそうです。

 ドイモイ(ベトナム版改革解放)で外資がベトナムに入り始めたのは、90年代に入ってからだそうですが、その結果ここ4〜5年で様相は大きく変わってきているらしい。確かにハノイの市内のあちこちには高層ビルが建ち始めている。つい一年前にはハノイの市内にもほとんどなかった「交通信号」のここに来てかなり出来てきているようで、その信号の変化と同時に一斉に走り出すバイクの数は凄まじい。

 それでも、町の印象は「つい最近まで社会主義の国だった」ことを想起させるものです。まだ一般の店にならんでいる商品は少ないし、1990年に行った東ドイツやポーランドを思い出しました。貨幣単位も当時のポーランドの商店でチョコレートに何万ズロチと値札が付いているのを思い出しました。今大体1円が130ドン。で、1万円をベトナムの通貨に換えてもらったら、130万ドンですから、壮絶な厚さになる。

 最高紙幣が5万ドン(500円)ですが、ベトナムの人たちはこの5万ドンの紙幣もあまり使わないらしい。当時のポーランドや東ドイツ(今はどうなっているか知りませんが)を想起しながら思ったことは、「たった40年、50年という人類の歴史の中では一瞬の時間の中での体制の違いが、人々の生活をこれほど大きく格差のあるものにしてしまうのか」ということです。幸せかどうかというのは、主観が入るから推し量れない点がある。しかし、社会主義が世界中でその圏内に済む人々の生活を貧しくしたことは間違いない。
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 ベトナムには、インターネットのプロバイダーが一つしかない(ようです)。私が調べた範囲では。で、弟が使っているプロバイダーにつないで情報の取得は全く問題なくできましたが、最初メールの返信(受信はできる)とFTPがなぜかできなかった。まあ、メールは直ぐにホットメールに切り替えましたが、FTPにはまいった。その後 digiweb だけは回復しましたが。まあこれは、ベトナム側の事情と言うより、私が使っている日本のプロバイダーの問題でしょうが。ベトナムにはあと2日くらいいる予定です。

99年11月04日

 なんだか、一日中メールを打っていたような。今週の土曜日から行くシンガポールとのやりとりが一番多かったのですが、通信事情は日本とかなり違うみたいですな。まあ、行ってからのお楽しみですが。ピッチとかはないみたいですし。

 イングランド銀行、ヨーロッパ中央銀行が相次いで利上げを実施。今週はオーストラリアも利上げをした。90年代のデフレの時代から、「インフレ警戒の時代」に入ったと言うことでしょう。しかし、昔から統計を取るとデフレの時代からインフレ警戒的な時期に株は一番上がるという。そういう展開に一応はなっているということです。水曜日から木曜日にかけては、世界中の株が上昇。NASDAQ の 3000 ドル乗せが大きかった。

 {[(-_-)(-_-)]} ...zzZZZ 〜♪直前にちらっと見たら、利上げにも関わらずヨーロッパの主要市場の株価は軒並み上げている。上がっても低い。経済活動は活発化してきた。株、特に出遅れていた株には良い時代というわけです。

99年11月02〜03日

 「日本銀行は少し変わってきたのかもしれない」と思う文章に出会いました。日本銀行のウェブサイトには2日にアップされたのですが、講演そのものが行われたのは10月8日か9日。山口副総裁が講演する予定が行けなくて、吉國ロンドン駐在参事が代読したというちょっと複雑な代物。「古い」「代読」と悪条件が重なって、新聞記者が見つけても、直接的な記事にするのは難しい。

 現物はここにありますが、私は二つの点で興味を持ちました。第一は日本経済がここに立ち至った背景について日本銀行としてかなり突っ込んだ分析を行っていること、第二は金融政策の限界を明言して、その限界の中で日本銀行ができることを明確に示したこと。

 私がずっと思ってきたのは、日本の経済政策策定で一番大きな問題は、どの機関がどのような機能と限界を持つかはっきりせず、従ってそれぞれの機能を持つ機関の間でそれぞれの責任分野に立脚した対等な議論が行われず、従って問題点が摘出されなかったと言い点です。問題点が摘出されないから、当然解決に向けた努力をするにしてもそのポイントがずれる。

 経済政策の両輪は、財政政策と金融政策です。これは本来車の両輪で、もう一方の出方と別の一方の出方との組み合わせの中で、ある国の経済政策の枠組みが決まっていく。その政策が、本来の経済の主役である企業とか、個人とかの行動に影響を与えて行くわけです。

 財政政策と金融政策の間には、常に緊張関係がなくてはいけない。私は今までは、大蔵省と日本銀行の間に良い意味での対話(お互いが日本の経済政策全体を考えた上での)が行われてきたとは言い難かったと思っている。それは、多分日本銀行が、いろいろなことに明確な見解を示してこなかったことが大きい。経済政策の一方の担当者として、財政政策には言うことがあった筈です。しかし、それをしてこなかった。そういう背景があるから、9月の大騒ぎの時のように、日銀さえ政策を動かせば日本の景気回復は確実になるかのような議論になってしまう。
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 文章はご自分で読まれるのが良いと思いますが、私がさっと読んでいく中で興味をもった部分は、

 持続的な経済成長という点でもっとも重要な要因は生産性の上昇であるが、個々の企業単位の行動に置き換えて議論するとすれば、生産性の上昇は「企業の変化への対応能力」によって規定される....

 1990年代の日本経済に影響した大きな環境変化としては、アジア諸国との分業関係の変化、急速な高齢化の進展等も挙げられるが、最も大きな変化は、コンピューター、情報・通信技術の飛躍的発展と、その結果としての経済・金融市場のグローバル化、統合化の動きであったと思う....

 金融政策は必要な構造政策や構造調整を代替することは出来ない

 1990年代の日本経済の経験を振返ると、経済の構造変化を速やかに認識し、その性格を正確に分析し、それを世の中に説明していくことが、中央銀行の重要な責務のひとつになっていると感じている(最後の〆の文章です)

 それぞれかなり重要なメッセージが込められていると思うのです。最初の文章は、90年代の日本経済不振には政府の政策以上に企業の問題が深くかかわっていることを指摘しているし(私も変化を渋った企業セクターの責任は大きかったと思う)。第三は、日銀の責任範囲を明確にしている。この認識を明確にしてこそ、初めて議論の土台が出来てくると思う点で、一歩前進だと思うわけです。こういうことをはっきり言うということが重要です。最後の文章は、今までしてこなかったことへの反省があるのでしょう。

 問題なのは、10月の初めに行われた講演が11月2日になって日銀のウェブサイトに掲載されているという小首を傾げたくなる大きなラグと、こうしたグリーンスパンの講演にも劣らない問題提起をきちんとした講演が、日本のマスコミで取り上げられることがない、という点です。前者は日銀の問題、後者は日銀の広報姿勢のまずさに加えてマスコミの問題ですが、この山口講演については私としてはあちこちで紹介し、議論の輪を広げていきたいと思っています。

99年11月01日

 一つの言葉を知るのにも、非常に難しいケースがある。その国の人々には子供の頃の絵本に登場するある人物の名前だったり、テレビのコマーシャルだったり、お笑いのグループのある台詞で「当然の常識」であっても、他の、他の言語の人々には全く案内のないケースがあるからだ。

 最近のアメリカの経済に関する記事には、盛んに「Goldilocks」という単語が登場する。「Goldilocks economy」「Goldilocks paradigm」などの表現である。ここにも書きましたが、辞書、例えば BOOKSHELF2.0 を引くと「《しばしば皮肉》金髪の美女.?英国の昔話に出てくる女の子の名から」と出てくる。しかし、それでは意味が通じない。

 実はこの「Goldilocks」はアメリカのこの絵本に登場する女の子なんです。「ゴールディロックスと三匹の熊」という名前の。小生はアメリカにいるときに子供がいなかったので、子供をアメリカで育てたことのある人に聞いたら、「絵本を見たことがある」ということから分かってきた。

 想像するに、アメリカではまあ一般的な絵本なんでしょうな。だから、少なくともアメリカ人は誰でも知っている人物と言うことです。で問題は、なぜその子の名前が、堅い経済の記事に盛んに登場するかです。このインターネットのサイトが紹介している範囲では良く分からないのですが、実はこういう話らしい。  

 あるところに三匹の熊が家を構えて住んでいた。その熊たちが外出中に、家の近くを通りかかった Goldilocks ちゃんが良いにおいをかいで家に入りました。テーブルの上には、熱いスープ、頃合いの良いスープ、冷めたスープがありました。Goidilocks ちゃんは程良い暖かさのスープを頂きました。その部屋には椅子が三つありました。大、中、小。Goldilocks ちゃんは中くらいの椅子に座りました。ふと見ると、ベットも三つありました。大、中、小。中くらいの大きさのベットに......というところで熊たちが帰ってきました。彼女はびっくりして逃げ出しました.....
 てな感じの。どうもこの最初のスープの頃合いからきているようなのです。つまり、熱いスープ(インフレが更新するような成長率の高い経済)は駄目、冷めたスープ(失業が増加するような低成長経済)も駄目、頃合いの良いスープ(インフレを引き起こさない程良い成長率の経済)が良い....という。椅子やベットの話も念頭にあるのかもしれないが、スープの話が一番例えとしては使いやすい。

 つまり、「Goldilocks economy」というのは、「インフレが惹起されない範囲の高い成長率を実現した経済」であり、「Goldilocks paradigm」というのはそういう経済を作り出す仕組み、枠組みということです。ですから、成長率が第三・四半期で4.8%にも達しながら、インフレが顕著には高進していない今のアメリカ経済を指すというわけです。

 ある国でその時点その時点で使われている言葉や会話は、大部分が歴史的な使い方を引きずりながら、例えば1週間前に始まったコマーシャルの言葉や発音のイントネーションを取り入れたりする。コマーシャルだから、他の言語(国)で流れることは希。それぞれの国には、新しい言葉や言葉が持つディメンションの変化が生じているわけです。そういうのを全部把握しようとしたら、それは難しい話ですな....。だから、言葉は難しい。通訳や翻訳をするのには、古きと新しきを両方知らないと....というわけです。

99年11月01日

 一つの言葉を知るのにも、非常に難しいケースがある。その国の人々には子供の頃の絵本に登場するある人物の名前だったり、テレビのコマーシャルだったり、お笑いのグループのある台詞で「当然の常識」であっても、他の、他の言語の人々には全く案内のないケースがあるからだ。

 最近のアメリカの経済に関する記事には、盛んに「Goldilocks」という単語が登場する。「Goldilocks economy」「Goldilocks paradigm」などの表現である。ここにも書きましたが、辞書、例えば BOOKSHELF2.0 を引くと「《しばしば皮肉》金髪の美女.?英国の昔話に出てくる女の子の名から」と出てくる。しかし、それでは意味が通じない。

 実はこの「Goldilocks」はアメリカのこの絵本に登場する女の子なんです。「ゴールディロックスと三匹の熊」という名前の。小生はアメリカにいるときに子供がいなかったので、子供をアメリカで育てたことのある人に聞いたら、「絵本を見たことがある」ということから分かってきた。

 想像するに、アメリカではまあ一般的な絵本なんでしょうな。だから、少なくともアメリカ人は誰でも知っている人物と言うことです。で問題は、なぜその子の名前が、堅い経済の記事に盛んに登場するかです。このインターネットのサイトが紹介している範囲では良く分からないのですが、実はこういう話らしい。  

 あるところに三匹の熊が家を構えて住んでいた。その熊たちが外出中に、家の近くを通りかかった Goldilocks ちゃんが良いにおいをかいで家に入りました。テーブルの上には、熱いスープ、頃合いの良いスープ、冷めたスープがありました。Goidilocks ちゃんは程良い暖かさのスープを頂きました。その部屋には椅子が三つありました。大、中、小。Goldilocks ちゃんは中くらいの椅子に座りました。ふと見ると、ベットも三つありました。大、中、小。中くらいの大きさのベットに......というところで熊たちが帰ってきました。彼女はびっくりして逃げ出しました.....
 てな感じの。どうもこの最初のスープの頃合いからきているようなのです。つまり、熱いスープ(インフレが更新するような成長率の高い経済)は駄目、冷めたスープ(失業が増加するような低成長経済)も駄目、頃合いの良いスープ(インフレを引き起こさない程良い成長率の経済)が良い....という。椅子やベットの話も念頭にあるのかもしれないが、スープの話が一番例えとしては使いやすい。

 つまり、「Goldilocks economy」というのは、「インフレが惹起されない範囲の高い成長率を実現した経済」であり、「Goldilocks paradigm」というのはそういう経済を作り出す仕組み、枠組みということです。だかて、成長率が第三・四半期で4.8%にも達しながら、インフレが顕著には高進していない今のアメリカ経済を指すというわけです。
 ある国でその時点その時点で使われている言葉や会話は、大部分が歴史的な使い方を引きずりながら、例えば1週間前に始まったコマーシャルの言葉や発音のイントネーションを取り入れたりする。コマーシャルだから、他の言語(国)で流れることは希。それぞれの国には、新しい言葉や言葉が持つディメンションの変化が生じているわけです。そういうのを全部把握しようとしたら、それは難しい話ですな....。だから、言葉は難しい。通訳や翻訳をするのには、古きと新しきを両方知らないと....というわけです。