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2010
10/09
Sat

2010年10月09日(土曜日) 反「経済カード」

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 (20:30)チベットで中国中央政府(共産党の支配下)による人権弾圧を間近に見てきた人間として、ノーベル賞委員会が中国で服役中の民主活動家・劉暁波氏にノーベル平和賞を授与したことを知ったときは、「やった」と思わず叫びました。と同時に、これは我々にも問題を投げかけている、と思いました。

 私が注目したのは授与理由です。ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は8日の記者会見で「今、中国での人権抑圧に目をつぶれば、世界での(人権の)基準を下げることに直結する」と述べた。これは、中国が世界第2の経済大国となるに伴い人権批判を弱めがちな国際社会に、改めて警鐘を鳴らすものだ。

 同委員長は「経済などの権益のため、人権という普遍的価値の基準を下げることがあってはならない。だからこそ、我々が声を上げた」と。実際の所、中国は「経済大国カード」を今も切りまくっている。ギリシャに行って「ギリシャ国債を買う」と言い、アメリカに行くと「ボーイングを何十機買う」と言う。

 今の先進国はどこも、職を生む商売が欲しい。日本もそう。その対象国は今伸びつつある中国だ、インドだと喧しい。ノーベル賞委員会はそこに警鐘を鳴らした。「商売や経済的利益だけで、言いたいことを引っ込めていいのか」と。正しい反骨精神ここにあり、という感じだ。

 対する中国の論理は、「ノーベル賞の選定者は中国の平和や団結を望まず、中国社会が無尽の紛争に陥り、ソ連式の分裂に向かうことを望んでいる」(人民日報系列の時事情報紙・環球時報)というものです。「中国がソ連のように崩壊したら、周辺の国には難民が雪崩れ込むし、経済も混乱して世界経済も大きな打撃を被るよ」というもの。

 しかしそうでしょうか。未来の話なので誰も正確には分からない。しかしわたしはこの問題について、そうはならないとの見方を書き、「人々は呆然と体制の変化を受け入れるものだ」と書いた。確かに国は割れるかもしれない。多少の混乱やデモはあるだろう。ソ連崩壊もそうだった。

 しかし、「自国民がノーベル賞を取ったことも知らせられない中国という国の安定」は、そもそも価値があるのか、持続性があるのかは問わなければならない。中国のメディアは劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を報道せず、「劉暁波氏のノーベル平和賞受賞は、同賞への冒涜」という部分だけを知らせているという。当局が「知らせること自体を恐れている」ことを如実に示している。

 筆者には、自国民のノーベル賞受賞を知らせることが恐ろしくて出来ないような体制と、その体制が担保している「中国の平和や団結」はそもそも価値がないし、持続性もないと考える。

 今の中国では、ネットで「劉暁波」は検索できず、携帯メールでも「劉暁波」と打つとメールがそもそも流れないと報じられている。そんなことはあってはならないと思う。

 これはいろいろな人と意見が一致するのですが、中国共産党は戦後の混乱した中国に方向性を与え、時にはその方向性(文化大革命、改革開放など)を変えながら、中国をまずまずの経済的繁栄に導くには大きな力があった。しかし、これからの中国は国民の為にも、世界にコンフォームするためにも「新しい体制」が必要だと思う。そのポイントは民主化だ。

 人権に関しては保守派、開明派など中国共産党の中でもさらに分類できるが、全体的に言えば、「共産党の一党独裁」という体制そのものが時代遅れになっていると理解できる。欧州の共産党がそうであったように。

 国民に情報を知らせず、発言の自由も許さない体制に、未来への持続性はないと思う。劉暁波さんが起草した08憲章を今朝の朝日などで改めて読んでみただ(ネットではhttp://mikitogo.at.webry.info/200812/article_17.htmlなど)、別に過激でも何でもない。普通のことを言っている。

 今回の劉暁波氏のノーベル賞受賞と、それに反発する中国政府の姿勢は、今の中国の体制の異常性を明確に示した。ど同時に、中国に対して「経済で恩恵をもたらしてくれる」という理由で発言を抑え気味な今の世界に、強い警鐘を鳴らしたと言える。我々もこの点は深く考える必要がある。

 

18:46
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