日々のライブな情報ページ

2011
04/02
Sat

2011年04月02日(土曜日) あまりに広域な

day by day
EOF; } ?>

 (23:20)木曜日の番組のゲストに、「ボランティアは、最低一週間、望ましくは2週間くらい続けて働ける人でないと」「だって、土日に来て頂いたってスケジュールが立てられないじゃないですか」と言われた瞬間から、今週は「ボランティアは難しい」と決めていました。

 しかし「seeing is believing」がモットーの私としては、角度が限定されるテレビの画面からではなく実際に自分の目で見なければという気持ちから、金曜日の夜8時過ぎに東京を出て東北道を北上、宮城県に入った白石近辺で一泊。

 朝を待って仙台に入り、その後塩竃、松島、石巻、そこから北に片道高速の三陸自動車道(私のナビには入っていなかった)を使って気仙沼に出て、そこから海岸線を南三陸町に下って、というルートで被災地を移動しました。

 ルートは大学生の時に友達と東京を夜8時に出て朝の4時に松島に着いた時とほぼ同じ。その時は夜通し運転して8時間かかった。高速道路が無く、4号線でしたか、ひたすら走った記憶がある。仙台は2月にも講演会をやった場所だし、何回も来ているので、思い入れもある。

ちょっとした高さの差が大きい。上の家は一軒なにも津波の被害を受けていない  それにしても被災地を走っていて、ほんとに涙が出てきました。壊れたものはみんなここに住んでいた人が必要だったり好きだったりしてお金を払って買ったものです。家でも車でも、家具でも、ふとんでも。しかしそんなことはお構いなく津波は無残にそれら全部を破壊した。か、使えなくした。全部に思いが入っているのに。

 ビデオにとってありますが、気仙沼はまだ港や市場(いちば)のあった辺は入れなかった。川の手前で止められた。まだ潮が引いていないそうで、人が一人歩けるくらいの幅の通路しかない、という。警備の人に「車が壊れてもいいんなら入って良いよ」と言われて、諦めました。

 家や車の残骸が延々と続く場面はテレビで見ていたのと同じですが、実際に自分で走ってみると、いろいろなことに気がつく。
  1. 津波の被害に遭うか遭わないかは、ほんの少しの高さの差だということ。気仙沼から南三陸を海岸線をずっと走ってみましたが、あの道は高低を繰り返しているのです。で、津波は一定のところから上には全く影響をしていない。当然ですが、道を走っていると、津波の被害が酷いところと、ちょっとそれより上で何も被害のないところ(地震の被害はあったでしょうが)が入れ替わり出てくる
  2. 神戸・淡路はもっぱら地震の被害でしたが、そもそも地震の多い三陸地方など東日本の太平洋側は、地震によってはそれほど痛んでいないように思う。仙台の街などしっかりしていたし、既にかなりの部分に最後まで通じなかったガスが戻りつつある
  3. そういう意味では、今回の被害はかなりの部分津波によるものであって、特に南三陸町などは本当に街の奥まで津波が侵入しているのが分かる。山際の家がかろうじて床下で済んでいるくらい
  4. 神戸・淡路の時に比べて、本当に被災地域が広い。既に電線の設置やがれきの後片付けなどがほんの少し始まっているが、復興には本当に時間がかかると思う。「災害派遣」「災害支援」の自衛隊の車、消防や警察(警視庁の車もあったな)が一杯出ているが、それらの存在感は大きいと感じた
  5. 地震そのものからの立ち直りは素早いと感じる。仙台市のかなりの部分は既に十分都市機能を回復しているし、町並みも綺麗だ。問題は津波のあった海岸の土地で、どのような街作りをするかを含めて、早急に「復興・復旧のガイドライン」作りが必要に思えた

 車で走ると、今自分が走っている右に、そして左に何があったのかを表示してくれる。だから南三陸町を走っていると、ナビに「南三陸役場」とか出てくるのです。海岸から内陸に向かう道の左側です。津波が到達した山際までの距離と海岸とのちょうど真ん中くらいでしょうか。「誰もここまで津波がくるとは思っていなかったんだろうな」と思いました。しかし来てしまった。凄い勢いで。。

 神戸の復興をした人が、後片付けの時の「アスベスト問題」を指摘していましたが、それを含めてあの膨大ながれきをどうやって、どこに片付けるのかが非常に大きな問題だと思いました。燃やすと有毒なガスを出す物もあるでしょうし、所有権の問題もある。特別立法しかないのではないでしょうか。

 南三陸を離れた後は、距離にして170キロほど離れた天童に移動しました。2001年の鍋大会以来、何か天童には親しみがあって、その後も何回も訪れている。今回も天童のホテルに泊まりましたが、それにしてもガラガラ。地震の影響の「自粛」でキャンセル続出だそうです。

 山一つ超えているし(まだ道のすぐ脇は雪でした)、天童なんて津波と関係ないし....と思うのですが、世の中そうではないらしい。困ったものです。こんな「自粛続き」だと、今年の日本のGDPは大幅マイナスになってしまう。

 なお物資全般はまだ非常に不足していて、お弁当やおにぎりはたくさんあるが、その他の物資の棚が半分くらい何もないコンビニも多かった。東北道で一杯トラックを見ましたが、まだまだ物資不足は続いているようです。

 ガソリンは現地では非常に長い列ができているスタンドと、そうでもなく給油しているスタンドの両方を見ました。私は仙台に入る前に高速道路のスタンドで一回満タンにし、その後は宮城県を出てからまた一回入れました。早め早めの満タンがいいと思います。こういう時にハイブリッドは役立つ。

 今回はご迷惑になってはいけないので、避難所はどこにも寄りませんでした。何か他の形で貢献したい。

23:13
EOF; } ?>
ページの先頭へ
twitter
伊藤洋一公式Twitterアカウント

サーチ


カテゴリー


最新の記事

カレンダー

キーワード