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2007
10/11
Thu

2007年10月11日(木曜日) リンク格差社会

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 (14:54)新幹線の行き帰りに読もうと思って二冊買ったうち一冊の「リンク格差社会」を読みました。アマゾンと紀伊国屋の戦いにおいて何故アマゾンが勝利しているのかなど、非常に具体的な例が入っていて面白い本です。言っていることが特に目新しいというわけではないが。

 この本を読むまでもなく、人間の世はすべてある意味で「リンク」の連鎖の中にある。親と子、地域社会、学校での関係、職場での関係、友人関係、趣味の輪など。無数の輻輳化した「リンク」の中で動く。リンクの多い人の方が情報量が多く、いろいろなことでチャンスが多い。自民党で次期総理を狙う人が幹事長のポストをしばしば占めたのは、それが自民党という組織の網の目、言ってみればリンクの要のポストだからだ。情報と資金がそこに集まる。

 ネットが始まる前から、政治をする人も、経営をする人も、ヤクザをする人も、およそ組織を運営する人は網の目、リンクの中心地帯にいなければ実力を発揮できなかった。そういう意味では人間社会は、それをコネと呼ぼうが、学閥と呼ぼうが、同好の志と呼ぼうが、何らかの形で「リンク」しているし、その使い方が事をなせるかどうかで非常に重要だった。

 ポイントは、ネット社会がその人間社会の「リンクの形」をどう変えたのか、という点である。この本は、ネットの中での人間のリンク状態の変化を追っていて面白い。指摘の通り、「もともと知とはネットワーク化された情報」のベースの上に出来ているから、情報を瞬時にしてつなげるインターネットは、今までにない形であちこちで新たな知(プラスもマイナスもあるが)を生む。そして利用者にしてみるとその知が即時であり、刺激的であり、有用であり、そして時に趣味合致的であるほど魅力的なのだ。

 情報が今までになく激しく交差するネットの世界で知が素早く生まれ、そして変化する、そしてそれが世の中のトレンドや全般的なオピニオンを変えていく時代にあっては、一般的にネット利用度が格差を生むというのは当たっているし、それを「リンク格差社会」と呼ぶことは間違ってはいないと思う。所得や情報ネットワークの幅の格差に繋がるからだ。

 ただし、ネットの社会における情報でも明らかに credibility の問題は存在する。人々が何かを買うときに見る目を持たないときについ「ブランド」を頼るように、情報の出所について人々はそれなりきの「信頼感のランク」を持っているはずである。いまだにニュースが何かないかを最初に見るときには新聞社のサイトかそのリンク先を見るケースが多いのがその良い例だ。

 wikipedia の信頼性が常に問題になるのは、ある時はそこには信頼感のおける人が書き込み、次の瞬間にはそうでもないかもしれない人が書き込んでいるのかもしれない、ということかもしれない。その辺は使う人の裁量、判断力に任されている。これまでは新聞社や出版社の編集者がエージェントでやっていた。

 ネット、そしてそれが本来的な機能として持つリンク(知であれ、人間の引きつけであれ)の役割は今後いっそう明確になるだろう。そういう意味では、ネットとリンクは知の体系においての役割は一段と高まるはずだ。しかし最後のそれを使いこなせるかどうかは、一人一人の個人や組織の情報消化力、情報リンク力に依拠すると考えられる。

14:20
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