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2007
11/03
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2007年11月03日(土曜日) 貧しき発想

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 (23:55)与党または連立与党が衆参両院の多数を握り、最後には国会で法案を通せた古き良き時代から、衆参がねじれ、加えて与野党が対立姿勢を強める中で重要法案が一本も通らない今の状況へ。新事態への対処は大きな課題だ。なぜなら、「ねじれ」は民主党が衆議院で多数を取らない限り最低6年続く可能性があるからだ。

 今の日本の政治のトップに座る二人の人間として、「ねじれ」という新しい事態への解決策を考え、ともに模索したことは理解できる。二人に日本の政治への責任感はあったと思う。しかし、福田首相と小沢民主党代表は、「大連立」という納得性に欠けるルートを先ず密室で話してしまい、国民は全くの蚊帳の外に置かれたというのが今回の騒動だろう。そんなことが可能なら、我々の選挙での投票の意味はどこにあるのか。

 これは自民党と民主党の両方で指導部の若返りを促す可能性が高い。「では誰が」というところで人材不足が露呈する日本の政治の現状だが、少なくとも二人がとても古い政治観の持ち主であることが明らかになってしまったからには、世代交代はあまり時間を置かないで起こるだろう。

 思い返してみると、安倍政権の一年間には強行採決の連発が見られた。「数の力」が前面に出たあの国会の姿は異常だったが、そこから一転して、今度は衆参の多数派がねじれたことによって、重要法案が一本も通らないという事態になっている。どっちも正常ではない。今の日本は戦後の人口増加時代から減少時代への切り替わり期にあり、いろいろな制度が方向転換を必要とする時期にある。ハンドルは動かさざるを得ず、それに必要な法案はいっぱいある。

 今の事態を正確に予測していたかどうかは別にして、「ねじれ」を選択したのは国民である。スキャンダルもあったが、「なんでも強行採決」の安倍型政治手法への不満・不安から、国民は民主党に参議院選挙で大きな議席を与えた。国民の側に「参議院だからいいや」という軽い気分もあっただろうが、それでも国民が選んだが故の「ねじれ」だ。ということは、国民は「ねじれ」の中で政治をやってみなさいと日本の政治家に求めたと言うことだ。

 だから今の日本の政治に必要なことは、すべて政局に結びつけてあらゆる法案で与野党が対立するということではなくて、合意形成ができるものから成立させる、「ねじれ」の中でも日本の政治が法律を生み、予算と通すことが出来ることを示すことだった。私の理解も、与党(連立を含む)が衆参両方を握り、最後は野党を押し切れた緊張感なき時代に決別し、まったく違った緊張感を日本の政治が持たされたことは良いことだ、というものだった。

 しかし二人の政治家が一週間に二回(三回とも言える)も密室で何を話しているのだろうと思っていたら、日本の政治にもたらされた新たな、そしてある意味では歓迎すべき緊張感からの、安易な脱出方法だった。もちろん「大連立」という単語が先行していて、では二人がどの段階まで話していたのかは詳らかではない。密室で行われていたのだから。しかし一説には「閣僚の割り振り」までしていた、という。

 小沢民主党代表の責任は、党内で厳しく問われるだろう。まず第一に彼はアメリカのシーファー駐日大使との会談をテレビの前でしてみせてまで、「密室では政治はしない」「談合はしない」と宣言した。その舌の根が乾かないうちの一週間に二度三度の福田首相との非公開会談である。その内容は漏れ伝わってくるだけだ。原則を打ち出しておいてそれを覆すのは国民に示した姿勢に合致しない。細川政権の末期に出た小沢さんの政治手法を思い起こした。

 多分小沢さんの頭には既に「代表辞任」の文字がちらついていると思う。状況証拠から言えば、民主党の鳩山幹事長などは「与党の情報操作」と呼んでいるが、「連立」は福田さん以上に小沢さんの頭の中にあって、それが顕在化したのだろう。かなりの確率で、小沢さんが持ち出したものとも考えられる。

 そうでなかったら、連立の話を「党の持ち帰る」なんてことはしない。小沢さんは「持ち帰って、他の民主党の幹部を連立でまとめられる」と考えたのだろうし、恐らく福田首相にもそう言っているに違いない。福田首相は「大丈夫ですか」とも聞いたという。普通の政治感覚ではそうだ。しかし小沢さんは「できる」という腹づもりだったようだ。そこが良く分からない。

 そこには「次の衆議院選挙では勝てない」との彼の読みがあったのかも知れない。国民の感覚で言えば「もう一つある」議院である参議院での3年に一回の選挙では国民は議席をくれたが、国政により大きな発言権がある衆議院ではそうはいかないかも知れない、という代表としての焦り。

 「それだったら連立もある」という思いと、もう一方には「6年間も政局絡みだけで日本の政治が展開し、結果的に日本の政治停滞を招くのも政治家としていかがなものか」という真摯な考え方も、小沢さんの中にはあったのでしょう。しかし民主党が「まかせられる」政党であることを示し続ければ、私は次の衆議院でも民主党が勝つチャンスはあると思っているのです。

 しかし逆に小沢さんは、自分の党への自信のなさを示してしまった。しかも連立の実際的な実現可能性は極めて低かった。今の小選挙区制では難しい。連立したら選挙区では連立として一人の候補者を絞らねばならない。これは自民、民主、それに自民と連立与党を組む公明党の議員達にとって非常に大きな不安材料だ。逆に、社民党や共産党には伸びるチャンスだった。だから中選挙区制への復帰論が出てくるのだろう。しかしこれは安易だ。仮にだが、小沢さんが辞めた後の民主党の代表選びは難しい

 連立構想の立役者と噂されるは某新聞社の最高幹部だ。日本のプロ野球の人気を低迷させる数々の騒動の立役者でもあったが、この幹部がどの程度影響力を及ぼしたのかは私は知らない。しかしそんなところから出てきた発想に、国民から選ばれた政治家が右往左往しているのを見るのは寂しい限りだ。

 もっとも、福田首相が連立の発想を持ったのは前回の参議院選挙結果が出た頃からだという。「ねじれ」の乗り切りには、確かにアイデアが必要だ。そして首相になり、インド洋における自衛隊の給油活動継続に関する法案も通らない状況で、一段と「連立」の魅力は高まっていたのだと思う。一方の小沢さんには、「自衛隊派遣に関わる恒久法」の発想があった。しかしこの二つを簡単にエクスチェンジしていいものだろうか。

 恐らく今の日本の政治に必要なのは、「ねじれ」の中でも法案を通し、予算を通す枠組みを作り出す知恵だろう。それが生み出されるまでは、インド洋の給油活動中断は、日本が国際社会の中で何を期待され、どうやって生きていけるかを見る上でも、多少長引いてもかまわないと思う。

 日本はアフガニスタンでもっと出来ることがある。アフガニスタンが安定を取り戻さないのは、まともな産業がなく、雇用が生み出されていないからだ。だから若者がテロやけしの栽培、それに雇ってくれる軍閥に走る。既にこの点で日本が貢献を開始していることは評価できる。条件が整えば、給油も再開したらよい。

 二大政党があって、それが時に対立しても政治が進む、というのが理想である。なぜなら「ねじれ」は今後6年間だけでなく、継続的、断続的な存在かも知れないからだ。それが二大政党制の意味でもある。その二大政党が連立してしまったら、国民の選択肢は貧しくなる。またもや大連立与党の横暴が生じかねない。

 今の段階では、二人の間から出てきた「大連立」は貧しい発想である。自民、民主両党には「ねじれ」の中でも日本の国益と将来の為に政治が出来る形と実績を示して欲しいものだ。恐らくそのためには、政局と政策の分離が必要だ。

23:55
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