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2017
03/13
Mon

鬼の手形

day by day
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 (16:32)で、「石」と「岩」です。今回盛岡周辺を見ただけですが、「岩手県は実に巨石の多い県だ」ということに気がついた。

肌つややか盛岡の烏帽子岩 まず皆さん、「烏帽子(えぼし)岩」と聞いてどこを思い出します。普通湘南海岸は茅ヶ崎市の沖にある烏帽子岩を思い出すでしょう。サザンの歌にもこの岩が歌われている。波に浸蝕されて、かなりやせ細っているが、烏帽子の雰囲気はある。

 しかし盛岡の桜山神社(盛岡城址公園の中)のそれは、波に洗われない綺麗な形の烏帽子岩です。写真の通り実に肌つやが綺麗。杜の中の小山の上に屹然と立っている。烏帽子の上が折れているように見えるのがまた素晴らしい。

巨木の上に大木が こんなの見たことない で今日その周辺を回ってみたのです。なにせ盛岡城は「城内に石切場があった」と言われているので、いまだに石がごろごろしているだろう、と思って。そしたらありました。次の写真は烏帽子岩の裏側にある巨大な岩です。そしてその上に木が立っている。石割桜ではなく、石上巨木です。

 「城内に石切場があった」というのが頷ける。だって烏帽子岩にしろ、その裏にあるこの巨大な石にしろ、動かすのはほぼ無理です。だから「そのままそこにあった」と考えるのが自然です。

 実は盛岡城は城郭は既にない。石垣だけが残る城なのですが、その石垣がまた面白い。いろいろな積み方がまざっている。聞くと南部の3代の殿様が石垣を作り続けたそうな。そして石工もまた代替わりした。なので積み方が入り交じっている、というのです。実際に見飽きない。

もとは巨大な石だった筈だ 小豆島からは巨大な石が大阪城築城に際して運ばれたことはよく知られている。しかしどうでしょうか。南部から大阪や江戸の城作りに石は運ばれたのか。多分それは無理でしょう。盛岡からじゃ海に出せない。小豆島と違うところです。なので、良い石、岩を南部が使ったと思われる。

 盛岡で有名な桜と言えば石割桜ですが、私が注目したのは石です。下にある。実に巨大で、加えて良い形をしている。雷が落ちて。そこに種が落ち、そして木に育ち、その過程で木が石を左右に移動させた、というのが石割桜の由来らしい。

 それは南部家の家老の家(北家とか書いてあった)の庭での出来事で、この人は今でいうブログ好きで、その過程をずっと書き残しているそうな。なので雷が落ちて石が割れた、と我々は汁粉が出来る。しかし割れる前は実に大きな石だったと想定できる。

三ツ石神社の三ツ石 それだけではない。盛岡の街を歩くとあちこちに巨石を見付けることが出来る。そうそう、「岩手」の語源になった石が三ツ石神社にある。文字通り三つ。そもそも寺の裏にあったのだが、この石があまりにも立派なので石を御神体に神社が出来た。それが三ツ石神社です。

 その三つの石の入って手前の巨石の裏側に、よく見ると「手形」がある。「鬼の手形」と呼ばれるもので(下に写真が)、「それが岩手の県名の由来」という説だそうな。

 私が昨夜泊まったのは「繋(つなぎ)温泉」(盛岡から車で25分くらい)という御所湖のほとりの温泉ですが、実はこの「繋(つなぎ)」という変な名前も岩と関係している。その昔、源義家が東北成敗に来た際に、その石に馬を繋いだので「繋(つなぎ)」という地名が出来たのだとか。(下の上から二番目の写真)

 その少し下には、「猫石」という大きな石もある。確かに猫に似ている(下から二番目)。興味を持って調べたら、「何故か岩手に巨石が多い」というサイトを見付けた。へえ「姫神山頂上巨石群」を見て見たいな。比較的楽に登れそう。

 最後に盛岡城の石垣の一部の写真も。城はない。しかし石垣だけでも盛岡城は見る価値がある。あ、それから冷麺ですね。実はあまりピント来なかった。もともと冷麺はすきじゃない。「ぴょんぴょん亭」で食べましたが。盛岡では私は「じゃじゃ麺+ちいたんたん」のファンだな。

鬼の手形の部分を写真にして掲示してある 確かに一つは確認出来る

上部真ん中に穴が空いている

この石の下には「猫の足湯」がある

城の石垣の色々な積み方が分かる
17:30
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