日々のライブな情報ページ

2018
03/11
Sun

ちょうど7年前の今頃でした.....

day by day
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  (14:46)3年前の今日の今頃でしたね。東京でも凄い揺れ。ビルから逃げたものの、揺れが収まらずに紀尾井町から高台の日枝神社に移動したことを今でも鮮明に覚えています。

7何前の今頃でした コンビニの棚が食べ物のセクションだけ空っぽになり、夜まで人の波が切れなかった。車は全く進まず。東京は交通渋滞、コンビニの品不足などが主な被害でした。その時に 「書き残しておくべき」だと思ったことは、当時の記録をたぐると以下になります。

  1. 都心のほとんどの道路での地震から数時間での大渋滞発生と、一瞬にして消えたタクシーの空車。つまりタクシーに乗った人も、ほとんど移動できなかったのではないか

  2. 都心の歩道を埋め尽くした人の波のすごさ。これは都心のJR、私鉄、メトロが止まって動かないと判明したあとも続いた。「皆さん、どこに向かっているのだろう」という疑問を持った

  3. 皆が携帯で情報をとろうとしているが、実際にはつながっている電話がいかに少ないか。auが音声を扱えたケースが多かったが、私が持っているドコモとソフトバンクの音声は、両者が緊急用に枠を開けたために、通話はほとんどできなかった。長い間

  4. それに対して、地震後もっとも素早く通信が再開できたのはデータ通信で、私の場合はドコモのポケットwift が稼働し、それによるツイッター発信、フェースブック書き込みは地震後しばらくして開始できた(それを見た私の友人や仕事関係者も多かった)

  5. 夕方には都心のほとんどのコンビニの弁当売り場、パン売り場などの棚は全くの空っぽになった。開いているレストランには人が並ぶところもあったが、「こういう状況なので」とキッチン・クローズを9時にしたレストランもあった

  6. つまり、ほんとに大地震が起きたときには、直ぐに食糧を手当てして安全な場所で交通機関などが動き出すのを待つのが良いことを今回の地震は示した

 その後、東北自動車道が復旧。その時に車で訪問した東北地方の惨状は今でも記憶に鮮明です。本当に街ががれきの山になっていた。後にいくつかの番組でも使われたビデオも、私が当時のスマホで撮影しましたが、撮りながらずっと悲しかった。

 だってがれきになったものには、全部所有者の気持ちが入っている。それぞれの人にとって貴重なものだったはずです。東北には番組的にも、個人的にもその後も行き続けていますが、最近は山形県が多く、被災地からはちょっと離れていた。

 7年という節目でもう一度南三陸とか気仙沼など強烈な印象が残っている場所を訪れたいな思っています。災害を忘れないために。

15:13
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