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2008
07/13
Sun

2008年07月13日(日曜日) 湯島・いづ政

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 (10:59)ど暑いですな。にもかかわらず、土曜日も、そしてこれから日曜日もなんやかやとある。土曜日は午後に丸ノ内で講演・セミナー、日曜日はこれからNHKでベトナム取材番組のスタジオ撮りです。7月19日午後夜10時過ぎからNHKBSで放送。土日はあまり働きたくないんですが。

 まあでも予期せぬ面白いこともある。金曜日の夜はこのサイトの持ち主と久しぶりになんとはなしに飲んだのですが、今回は店を彼に選んでもらった。そしたら、湯島の「いづ政」(文京区湯島3-38-3、電話03-3832-3210)の指定があった。

 「いづ...」と見たときに「あれ...」とちょっと思ったのです。というのは、「カウンターから日本が見える」に書いたのですが、大阪・西区新町の「浜作」を発祥とする日本のカウンター文化の中にあって、「(出井)いづい」は初期に東京に進出してきた関西割烹の名店の一つで、今は銀座と京都にある「浜作」とも縁の深い店だからです。本を書くときにけっこう調べた。

 しかし私が本を書き始めたときには、「どうも調子悪いらしいですよ」(塩見さん)ということで、ご主人にも店の人にも取材できなかった。その後ご夫妻が夜逃げして、店を潰したと聞いていた。しかしずっと気になっていたのです。それが「出井=いづい」だったので、「いづ政」と聞いたときに胸騒ぎがした。「いづ」なんて変な名前、表記じゃないですか。

 店に入って暫く。最初その事を忘れていた。何の拍子にその話になったのか忘れました。確か前日に新橋の西さんの店に行ったというようなことを言っていたときだと思う。私が「ところで、この”いづ”というのは、銀座の”いづい”さんの......」と言ったらぱーーーーーと話が盛り上がってしまった。

 「いづ政」のご主人は、15年間「いづい」で修行した方だったのです。箱守さんとご主人はおっしゃる。江戸で3代続いた商家だったが、私の代は15から修行に出ました、と。江戸の三代目が関西割烹に修行に出る。ははは、そこが面白い。

 「いづい」での修業時代の話も聞きましたし、「出井」が潰れた経緯もうろ覚えだが聞いた。浜作の塩見さんも出井さんも関西から出てきて初めて店を持つときに、どうして今の場所を選んだかなどもいろいろ話していて分かった。4丁目から電通通りを見ながら、「おまえは左(浜作)、俺は右(いづい)」といった決め方をしたらしい。

 二つの店とも、味の素の鈴木三郎助の支援があったらしい。銀座の「浜作」が鈴木さんの支援を得ていたことは知っていた。しかし「いづい」までそうだったとは知らなかった。「いづ政」の料理をいただきながら、「うーん、今はなき銀座の出井の料理はこんなだったのか」と。また行きたい店です。

 帰りに名刺を頂いた。その時は気がつかなかったのですが、この文章を書くためにもう一度お店の名刺を見たら右上に「出井出店」とある。ご主人は今でも店が銀座の「出井」の流れをくむ、そこでご自身が修行したことを誇りに思っているんですよ。ナイス。

 あ、そうそう。東京で今年の初秋刀魚が出たのは先週の木曜日でしたが、「いづ政」さんで今年初めて秋刀魚を焼きでいただきました。メニューにはなかったが、「ありますか」と聞いたらちゃんと入っていた。普通初秋刀魚はちょっと細い。脂がもうちょっとなのですが、今年のは凄い。いい秋刀魚でした。

 もうしばらくすると、秋刀魚は寿司でも旨い。

10:16
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