日々のライブな情報ページ

2009
08/31
Mon

2009年08月31日(月曜日) 交通信号ゼロ

day by day

 (06:10)ははは、夜9時半には強制消灯、というのもおつなものですね。あと残るのは、蝋燭の火とヘットライトの明かりだけ。そんななかで、少しPCで文章を書いていますが(一種の体験学習 ?)、絶対日本では経験できない。朝になっても電気は回復していないが、それには分けがある。それはあとで。

 昨日の夕方から「鶴のエベレスト越え」で有名なポプジカに滞在しています。今朝これから出かけるので本当に短い間ですが、鶴がエベレストを越えて一冬を過ごす場所に滞在できている、というのがちょっとエキサイティング。その場所はここから直ぐです。そこは湿地帯になっている。現地の人もその地帯には近づかないというので、当然我々も遠くから臨むだけですが。

ブータンの子供達は実に人なつこい。しかもインドの子供達のように物欲しそうではない。非常に好感が持てる  ポプジカはブータンのGNHの考え方の原点になった場所だそうです。もともと農家が点在しているやや広めの谷間で、主な栽培物は一面の蕎麦畑からの蕎麦(赤蕎麦、綺麗なピンク色をしているらしい)ですが、鶴の越冬地、生息地としては昔から有名。鶴たちは中国の一部とシベリアの一部からエベレストを越えて10月頃来るらしい。ブータン政府はそれを知っているので、最初から電線を引き、この地域に電気を通すことを躊躇したというのです。鶴が引っかかる。

 面白いのは、ポプジカの人々ももともとは農家なので、それほど夜に電気が必要となるような生活をしていないし、「電線を張って鶴の生態の邪魔をしたくない」という意見だったという。農民達は、「いまのままでいい」と。その「今のままで良い」というのが、GNHの考え方のベースになった稲村さんの説明。

 これまでに、「ブータンが電気をインドに輸出しながら国内では電気不足」と書いてきましたが、実はポプジカのような地域もあるし、そもそもブータンには送電線を作れないような場所も多い。で、「それだったら輸出できるだけ輸出して外貨を稼ぎ、上がった外貨で他のことをした方が良い」という考え方だと分かった。これだったら理解できる。ヨーロッパでは豊富な水力発電能力でスイスが電力輸出で外貨を獲得しているのですが、「ブータンもそうなる」とジュルミさん。

 というわけで、ここには今でも外部からの電線による電気が引かれていない。我々が泊まっているホテルは昼間の太陽光発電で蓄電し、それを夜2時間か3時間給電して、あとは午後9時半からは供給停止となった。電気はその後消えたままです。朝になっても。そういう決まりだから仕方がない。その間の明かりは蝋燭と時々使うヘッドライトだけ。あとは朝を待つのみ。

 この文章は電気がある中で書き始めたが、その後電気が消えてしまってちょっとバッテリーで書いて、31日の朝に追加して書いて、同じく電池を持つ衛星アンテナ経由で送っている。

プナカにある実に綺麗なゾン。ゾンとは城と寺が合体したような施設で、今では各地の役所も置かれている。これが実に綺麗である。  30日の行程は首都のティンプーを出てチュラ峠(3050メートル、そこの寺院で集合写真)を超えて冬の離宮と言われるプラカへ。そこに写真に掲載した城(ゾン)があったのですが、これがまた綺麗な城だった。ゾンはもともと城と寺の複合体で、今では役所でもある。そこを経由してポプジカに移動した。どえらい道ですよ。完全に絶壁を走行するつづら折りの狭い一本道。前に座ると実にスリリング。心臓の弱い人は座らない方が良い。(笑)

 今日で二日間ブータンのゾンなど宗教施設を見ながら考えたのは、今でも豊かでない、昔はもっと貧しかっただろう、そして人口が希薄だったブータンでよくこれだけ城塞だ、寺だと施設が作られたものだ、どうしてだろう、というものです。だってブータンは今でも60万ちょっとの国ですよ。こうした施設が出来た数百年前は、せいぜい十数万の人口でしょう。

 今我々が見る歴史の遺産はどれも立派です。むろん19世紀以降に改築はしているし、増築もしている。しかしエジプトのピラミッドほどでなくても、歴史的遺産を作るには人と金がいる。今でもブータンは道路工事にはインド人を雇っている。それほど人が少ないのです。

 しかしプナカのゾンもそうですが、今まで見てきた施設は実に立派なのです。

チュラ峠の3000メートルを超える場所にある戦勝記念碑の前の寺の階段で全員写真 だとしたら、と不思議に思う。「少ない人口の国が、よくこれだけの施設を作れたものだ」と。そこには常軌を超えた宗教的熱意、時には実際の生活との一種の倒錯があったはずです。

 つまり何らかの形で、信心の明かしを示さなければ状況にブータンの人々が置かれた可能性がある。そうでないと、あの多くはとんでもない場所(山の急斜面に実に多くの寺などが建っている)にまで資材を運び、時間をかけて屋敷を造り、そこに寺を維持できるわけがない。仏の教えに背くことは出来ないと、非日常的な宗教的熱意の中で施設を作らざるを得ない状況に置かれていたのだろうと。ブータンの国民にはそういう時期があったはずだと思うわけです。

 タイムマシンに乗って見に行くことは出来ない。だから想像ですが、そんなことを考えながら回っていました。施設を非常に丁寧に説明してもらいましたが、私にはそういう事も興味があった。端的に言えば、ブータンにはその経済力から見てアンバランスに宗教施設が多すぎる。しかしそういう素地があったからこそ、GNHという考え方がこの国から提唱されているのかも知れない、と。

 移動は酷い山道の連続ですから怖いが、この国を見て回るのは「人間は何のために生きるのか」ということを考える上では非常に興味がある。まだ道半ばのブータンですが。

 ああ思い出しました。ブータンは九州ほどの面積だと以前書きましたが、その大きさの中で「(交通整理の為の)道路信号が一基もない」らしい。実際我々も目にしていない。こんなのは世界に例がないと私は思う。

05:59
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