
(06:58)麓から急な山道と階段を使って標高差300メートル弱の山道を登ってブータンの聖地であるタクツァン僧院(最初の写真)を目指し、
そこで参拝をし、そして下って来るという合計6時間のきつい歩行を展開しながら、再び「宗教的熱意」とは一体何ものか、と考えていました。
それは「熱意」と呼ぶことも出来るし、「思いこみ」とも、そして時には「狂気」と呼ぶこともできる気がする。このタクツァンはブータンの人々が「聖地」と呼び、時には遠方から五体投地でお参りに来る人もいるという聖なる僧院ですが、それはそれは恐ろしい場所に立っている。断崖絶壁の上、というか途中。
ほんのわずかに出来た人が通れる場所とその先の狭い平地の上に、上下の岩に挟まれるように白と茶色の堅牢な建物で出来上がっている。そしてその回りにはいくつかの僧侶の宿舎、瞑想部屋などがある。それぞれが天空に聳える館のように美しい。
僧院への行程はまず一貫して3時間(人によって違う)ほど上がった後、一回谷底に向かってつかまる場所を探さねばならないほどの人がすれ違うのがやっとという狭い、急な階段の山道を谷底に向かって40メートルほど(勘です)下り、そしてそのあと同じだけ上がって僧院に着くというもの。
上がりはもともと標高2900メートル近くにあるので、実にきつい。少し歩くと息が切れる。暫くすると足ががくがくする。足が笑うと言ったらよいか。しかし笑えないのは、ちょっと目線を左右にずらすと(下りは右目線でしたが)、それは実際に断崖の上を歩いているので、恐怖との戦いなのです。
一歩歩を進めるごとに、体が「恐怖」と「谷に吸い込まれるような不思議な感覚」を覚える。そういう場所です。それを一歩一歩気を付けながら、谷底を見ないようにしながら降り、その行程の底にある滝が左横を落ちる谷の前の橋(水飛沫がかかる)を渡って今度は急な階段を上がる。
ずっと思っていたのは、「誰がこんな場所に僧院を作ろうと思ったのか」「その一種の狂気の提案に、なぜ人々は従っていったのか」ということです。出来てしまえばそれは「聖地」と呼ばれることは間違いない。ブータンに仏教をもたらしたサンババなる人物が空を飛ぶ虎に乗って飛来し、この僧院の中にある洞窟で瞑想をした、という伝説もそうだが、その存在する場所によってです。
しかしその為の資材の運び上げ、そして工事には多大な、そして多年に渡る人々の労働提供が欠かせなかったはずだし、資材は馬の背に乗せて途中までは行くが、あとは人による担ぎ上げですから、その過程の中では谷底に落ちた人も沢山いただろうし、建設も絶壁の上ですから危険なことが一杯あったに違いない。
それはもう「熱意」(zeal)を超えて、生命提供の覚悟でしょう。一人一人が。国全体がその宗教的熱意に取り憑かれていた時期があった、と言える。そしてブータンでは今でも、この宗教に対する強い熱意が残っている。それが今も何故残っているのか、が疑問なのです。私には。
インドで強く思ったのですが、「輪廻転生」の考え方は、支配者、統治者、支配階級にとって結果的に極めて便利な考え方です。今貧しい、身分の低い人間、民衆の一人であっても、祈り、そして今の与えられた仕事を懸命にやれば、「転生」したときには望む存在(人間であったり、その中でも身分の高い人間)になれる、と説く。現状に文句を言わずに、今の身分に甘んじ、そして懸命につくせという考え方。つまり階級の固定化効果がある。「今」に反抗しないわけだから。
私はたった数日間しかいなかったから分からないが、ブータンも階級社会だという。インドとはまた違った形で。実際にはブータンにはミャンマーから入ってきた人々、チベットから南下してきた人々、そしてインドから北上してきた人々が実に複雑な、言葉も違う社会を作っている。その社会をまとめ上げていたのは仏教です。今は静的に見える仏教も、「熱意」溢れる、当時は実に荒々しい教えだったに違いない。
それが悪いと言っているわけではなく、なぜそのような形で社会が大きく動くのか、その過程で一人一人の人間は何を考えて、何を望み、何を願っていたのかに興味があるのです。もちろん簡単に答えが出てくる話ではない。しかし興味がある。
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ブータンに数日でもいて、人々の生活や表情に接していると、「立ち位置」の問題を考えます。我々は先進国と言われる日本から来ている。自分たちと同じような顔をした人々が、急峻な山間の国で非常に特異な生活モードを持っているというので、人々に会い、風景を眺め、そして歴史的建造物や踊り・歌を視聴しに来ているのです。別に上下という思いはないが、「こんな生活は面白いのだろうか」と思っている面もある。ブータンはやっと街が出来はじめたところです。
しかしブータンの人々は英語を含めて数カ国語を話しながら、しかし国民一人当たりGDPで1000ドルにも達しない生活をしていながら、それを恥ずかしがっていないし、むしろ誇りにしているような所がある。る。ポブジカの例ではないが、「それで良い」「電気もいらない」「鶴にいつも通りの越冬生活をして欲しい」という考え方の生活を続けているわけです。
少なくとも私は、「そういう生活も分かるしいいな」と思いながら、「でも今更出来ない」とも思うわけです。たった65万人(正確にはカウントされてない)の国ですが、ブータンの人々が自分たちを見に来る先進国の人間に対しても自分たちの生活を誇りに思っていることは明らかです。表情を見れば分かる。多くの途上国にある刺すような目がない。子供達も実に明るい。
その「溢れる自信」に、今の日本の生活に慣れきっている我々は”たじろぐ”わけです。今の我々日本人の生活で良いのだろうか。ブータンの人々のような生き方(GNHのような)、考え方、宗教を何事もの中心に据えた生き方があるのではないか、とも思う。環境を破壊したのは誰だろうとも。地球温暖化の影響で、ブータンでも冬は雪が降らなくなっているという。
しかし例えば私は、ブータンを去って日本に戻ればこれまでの生活に戻るわけだし、それが面白いと思っている面も間違いなくある。まあ私はこれを「立ち位置」の問題として表現しただけです。これも直ぐには解けない。
写真の通り、一軒の農家を訪ねました。大勢で。ご主人が出てきた。バター茶と焼酎を頂いた。床がサフラン色に染まっている。もともとは入り婿さん。しかしこの家の奥さんとは離婚。にもかかわらず、入り婿さんが今でもこの家の大黒柱。
どうしてそんなことになっているのか。その家の母親(言ってみればおばあちゃん)が婿さんを気に入っているからで、娘は離婚して首都ティンプーで生活しているという。その入り婿さん、13人兄弟・姉妹の一人だと。しかし今は妻が去った後も、二人の子供の世話をしている、という。39才。
「夢は?」という質問に、「人生の半分は終わった。あとは子供が愉しみ」「子供を大学には出したい」と。ブータンの平均寿命は65くらい。ははは、一同に一瞬衝撃が走った瞬間であった。
たった数日の滞在でしたが、ブータンについてはもっと書きたいことがいっぱいあるし、写真も一杯ある。料理、街並み、そして何よりも山の雄大さ。本当に山また山の国です。そして山が全部急峻なのが印象に残った。しかし中国のような山が禿げているということはない。中国と違って人口圧力がなく、よく自然が残ったからでしょう。そうい意味でも大事にしたい国だと思った。
いずれこのchat のコーナーにまとまった文章を書きます。文章、写真など新たなコンテンツを集めて。放送などの縛りがないので、自由に出来る。
それにしても、実に気分の良い、かつユニークなメンバー16人との旅でした。その点に関しても感謝。来年の行き場所もほぼ決まりで、愉しみです。



