2000
01月

2000年01月の日記

日記

2000年01月31日

 大勢の方からのコングラ・メールtks。また参加している掲示板の皆さんからも、「今度食べさせて」との書き込みを頂きました。はい、機会が有れば。ここに詳報を掲載しました。また、鍋大会主催者サイドが今回出品された鍋全体についての順位と、その内容をここに掲載しています。まあ、毎年こんなことをしているわけです。

 本当に鍋鍋鍋の毎日で、土曜日は家でキムチ鍋。日曜日は昼に鍋コンテスト、そして月曜日の今日も何故か水木、今西、本間、それに私で入谷まで行って鍋を食べました。ははは、今日のように寒いと飽きない。
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 翻訳もだいぶゴールに接近してきた印象。やっぱしこれは大変な仕事ですよ。これを職業としている人は尊敬する。自由になる時間は出来る限り訳をしたり、人にやってもらったやつをまた見直したり。でも、この一ヶ月くらいで体力が落ちたような気がする。

 まあでも、本ってやつは出来ると嬉しいんですな。3月のいつ頃になるかまだ決まっていませんが、そのころには本が出ます。

2000年01月29〜30日

 
 うーん、だんだん考え方が変わってきました。以前は「一位になりたい」と思っていたのですが、最近は「うーん、出続けることが重要....」と。年に一度ですが、まあ結構楽しい。面白い鍋が並びますから。
 と書いたのはつい金曜日でした。ところがところが、優勝してしまったのです。我々が提唱して、作った鍋が。で優勝の賞として頂いたのが、この見事な「鍋」という書というわけです。おもしろいですね、もう優勝はいいやまたで....と思ったその瞬間に優勝する。無欲の勝利 ? いや、同情票が集まった事による勝利 ? でも、おいしくなければ、票を入れてくれるような方々ではないので、やっぱり美味しかったのだと思います。(^-^)ニコ

 名誉ある優勝チームのメンバー97年が第一回で、確か4位。98年の第二回が3位。99年の第三回に2位になるはずが、確か6位とか8位(10チーム中)だった。2000年の優勝は狙っていたのです。少なくとも、去年までは。しかし、2000年になったら、28日に書いたような心境になった。ところが....という訳です。矛盾しますが、実に嬉しい。チーム全員の勝利だと思います。

 主催は過去3回と同じく、全国鍋物研究会。今年で4回目です。去年から新宿の東京都健康づくり推進センターで開催されている。その前は銀座の辻クッキング・スクールでした。今年の参加チームは全部で八チーム。そこから出てきた鍋の数々は以下の通りです。名簿順で

  • リコンビナント(組み換え)ねぎま鍋
  • ゴールデン街の秘密鍋
  • タイ風テバ鍋
  • 海の逢いびき鍋
  • 上総国ふるさと物語鍋
  • ダンゴ鍋
  • 癒し鍋
  • 湯煙おかゆ鍋
 ははは、想像するだけで楽しいでしょう。大体8チームからそれ以上でもう4年もやっていますから、それだけで30以上もの創作鍋が出来ていることになる。各鍋のレシピーはそのうち鍋研のホームページに載ると思いますので、それを参照していただければ良いのですが、我々の鍋、輝く優勝鍋は「癒し鍋」で「白菜、ホタテ、豚の三枚肉、ザーサイ、ネギ、片栗粉」という極めて簡単な材料で作りました。作り方は、tasteのコーナーに詳報を掲載したときにアップします。

ロビーでの全員写真  結局人気投票ですから、あまり良い材料とかを使うと「いい味が出て当然」ということで票が集まらない。結構大変なんです。今回は27日に試作して、肩の力を抜いて臨んだのが良かったのだと思います。いや、私や内藤君も結構アイデアだして、作業も実際にやって大いに今回は貢献しましたよ。

 でも4年も連続してやっていると、顔なじみが出来て、大部分が一年に一回しか会わない人が多いんですが、いやに親しみが沸くんですな。また来年会えるといいなみたいな。鍋研の会長の水木さんが開会の挨拶で、「大の大人が鍋の為に4年も続けて....」とおっしゃっていたので、私は優勝スピーチの中で「まあ4年もと言わずに、末永く開催してください....」と頼んでおきました。

 メンバーは去年までのメンバーから一人代わって荒井さんの代わりに、木村さんが入ってくれた。会を主催した側の方々、水木さん、辻さん、石田さん、木下さんらの方々、ご苦労様。また来年も宜しく。<^!^>

 (あれ、千葉ちゃんと木原某がなぜ入っているの....)

2000年01月28日

 鍋コンの季節が近づいてきて、それの為の準備を始めています。といっても、いかんのですが全般はお姉さま達任せで、小生と内藤君はちょこちょことしたアイデアを出したり、味見をしたりの役。

 うーん、だんだん考え方が変わってきました。以前は「一位になりたい」と思っていたのですが、最近は「うーん、出続けることが重要....」と。年に一度ですが、まあ結構楽しい。面白い鍋が並びますから。今週木曜日に一つ会合を済ました後に10時頃から「試食会」をしましたが(結局二回食事した)、どうでしょうか。ビリにはならない自信がある程度。
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 クリントンの一般教書演説は、なかなか凄い書き出しになっている。

We are fortunate to be alive at this moment in history.

Never before has our nation enjoyed, at once, so much prosperity and social progress with so little internal crisis or so few external threats.       ・
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The fastest economic growth in more than 30 years; the lowest unemployment rates in 30 years; the lowest poverty rates in 20 years; the lowest African-American and Hispanic unemployment rates on record; the first back-to-back budget surpluses in 42 years.

Next month, America will achieve the longest period of economic growth in our entire history.

We have built a new economy.

 グリーンスパンが一生懸命「new economy」に妥当なレベルの疑念、懸念を振りまいて、「世の中そんなにうまく回らない」と言っているときに、クリントンは8年前に自分が就任したときに比べてアメリカは天国になったと言ってしまっている。彼は又、グリーンスパンが「政治家は財政黒字の使い道に慎重であるべきだ」と言っているときに、「減税」(一段の需要喚起につながる)を言っているのですが、この辺の温度差は大きいと読んでいて思いました。

 温度差が大きいと言えば、日米の温度差ですかね。「fortunate」「prosperity」「little crisis」で出てくる単語が勇ましい。日本の首相の言葉として出てくるのはせいぜい「回復の兆し」くらいでしょうか。G7の声明のごとく、「不均衡」がここでも出てきている。小渕首相も施政方針を読み上げた。読み比べると面白いと想う。

 ただし、まだ全部読んでないのですが、今まで読んだ中ではクリントンの言っていることに無条件で賛成できることがある。彼は一般教書演説の最初の大きな項目として「教育における機会と責任」ということを言っているのですが、これは本当にその通りだと想う。これからの国家の役割の中で、「教育」は非常に重要になる。「子供達の将来にとって鍵になるのは教育だ。すべての子供達がその鍵を持てるようにしなければ.....」というクリントンの考え方は、「knowledge」をベースとする社会の到来と、それに対処するために必要な「教育」の「量と質」の必要性を当然ながら説いている。彼は欠点も多いが、先を見る目は持っているようだ。

2000年01月27日

 人口動態を調べる必要があって国連のサイトに行ったのですが、あまりにも膨大でなにがどこにあるか分からない(情けない)。で、諦めて青山に国連の日本事務所があったことを思い出して、そこの電話番号を104で聞いて、大体の文章の性格を言ったら、「そうなんですよ。よくここまで膨大にすると私どもも思うのですが....」とそこの担当者。では「10分後にお電話下さい。調べておきますから」と。親切な方がいらっしゃった。

 昨日の「気象と経済」の話とは違って、今力を入れて調べているのが「人口と経済」。経済成長(規模の増大)においてもっとも力があったのは、人口増加です。需要が増える。それを満たすための経済の規模が拡大する。で、今後の日本経済の少し長期的な動きを予測するためには、人口動態を調べなけばならない。

 いろいろな資料にぶつかったのですが、これなどは、紀元最初の1000年間は世界の人口はほとのど増えていなかったのが分かる。どうやって調べたか知らず、多分推量だとは思うのですが。生産力が上がらなければ、人口は増えない。これは今後の地球の人口トレンドに関する三つのシナリオ。上に行かないのが望ましいように思う。一番欲しかった資料はこれですが、ドイツ、イタリア、日本などは人口の減少が顕著で、労働力人口を維持するためにはかなり大量の移民が必要という予想。少し長い目で考えて見たい問題です。

2000年01月26日

 ほぼ半日アメリカのネット最新事情や新しい企業の設立に関する話を聞く機会があったのですが、凄まじいと思う一方でメチャメチャ面白いと思いました。日本人の方ですが、もう25年もアメリカでネットがらみの仕事をしている。

 一番興味があったのは、「起業」に対するこの人の発想でしょうか。特にネットがらみの。この人の頭の中では完全にネットが起業と結びついている。私もそうですが、日本人はまだどこかで個人や企業、国などの利用可能性の問題であったり、競争力の問題であったり、面白いことが潜んでいるかもしれいないといった発想の延長線上にネットがある。

 ここで詳しく書いている時間はないのですが、彼の頭は完全に「起業可能性」の中でネットが位置づけられている。それが私には非常に新鮮だったのです。良い悪いの問題は別として、「遊び」の世界のネットは非常に楽しいのですが、そろそろもっと「企業化」の発想もあちこちに持ち込んでも良い時期ではないかと思っているのです。

 彼が具体的に持ち込んできたプロジェクトもあったのですが、また紹介することもあるでしょう。一つだけめちゃおもしろい単語を聞きました。話の中に「ネットのキャッシング...」という単語が出てきた。普通「キャッシング」というと、「cashing」を思い浮かべる。この単語が出てきたときには、頭の中がちょっと「パニック」になった。

 しかし、違うのです、「cache」の「ing」形なのです。cache をリトリーブするプロセスはネットの高速化の一つのネックですが、それを最終利用者により近いところで保持する...という発想。
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 夜はこの番組の新年会があったのですが、このサイトの主唱者である森田さんと話をしていて、誕生日が2ヶ月ちょっと違いの完全な同世代ということや「気象と経済」の関係について話が盛り上がりました。私は知らなかったのですが、年末の某雑誌で彼はヒーローだったそうで。ははは。

 1月13日に取り上げた岩見さんのコラムがここにあることが判明しました。ネット嫌い、キーボード処女の岩見さんが知らないうちに毎日新聞が作った岩見さんのHP。ははは、岩見さん27日の朝も「インターネットで予約すれば航空料金が安くなる.....なんてのはけしからん」とかおっしゃっていましたが......(^-^)ニコ

2000年01月25日

 松山でいつも泊まっていたのは便利さで勝る全日空ホテルですが、今回は泊まれず。事前に予約しておかなかったと言うこともあるのですが、「今回は一杯です....」と。その理由は、「愛光の入試で....」。愛光(多分、ここだと思います)というのは、愛媛県で一番の中学・高校一貫校で結構四国全体から受験生が集まるのだそうです。

 でホテルが一杯になったという図式。小学生、中学生ごとき<^!^>が親につられてホテルに宿泊して受験するなんざ、私なんかには想像の範疇を越えている。「そうか、そういうことでホテルが一杯になるってこともあるんだな」と思いました。ということは、毎年この時期の東京のホテルもかなり受験生が押し掛けると言うことでしょうか。

 で、宿泊は大和屋(だったと思うのですが)という全国どこにでもあるような名前の道後温泉の近くにある旅館ホテルになった。道後温泉本館の本当の近くで温泉もあるというので楽しみだったのですが、部屋にはネットに使える電話口がなくて困った。風呂も湯質が淡泊であまり良くない(私には)。まずまずの良い旅館なのだそうですが、温泉は道後に行けば良いわけで、「やはり宿泊は施設が重要」というのが印象でした。
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 今回の出張では初めて「しまなみ海道」(西瀬戸自動車道)を伯方島往復で使ってみましたが、とても産業道路とは呼べない。片道一車線のところも多いし、何しろ料金が高い。海道が開通した5月1日からバス会社5社くらいが観光バス(四国から広島などへの)を運行させたのだそうですが、そのほとんどは直ぐに運行を中止したのだそうです。つまり、お客さんが集まらなかった。

 ただし、しまなみ海道を見ていくと、一種の先祖伝来「産業の道」のようなものを感じることができる。松山→今治→大島→伯方島......尾道とつながるルートは言ってみれば海の産業海道のようなもの。日本一の造船会社や大きな船舶運行会社がずらっと各所にある。四国に近い島と島の間を流れる海流の早さを見ていると、その昔には水先案内人のような人達が必要だったことは容易に理解できるし、その案内料を支払わなかった船に対しては、海賊行為もあったに違いない。

 伯方島に行ったら「村上性」が異常に多い。数年前為替のセクションで一緒に働いていた「村上君」(今は金利担当)はまさにこの島の出身で、彼のお父さんがやっているガソリン・スタンドも見てきましたが、彼も水軍の流れというわけです。

 松山への帰りに道沿いに「鈍川温泉」という温泉もあって、本当に四国は温泉が多い。見ていて面白かったのは、午後2時頃だったのですがすごい人が来ている。しかも、竹で出来た箱というか、カゴのようなモノに必要なものを入れて通ってくる。あれは他のことろではあまり見られないと思います。

2000年01月24日

 松山に来ていますが、やはり暖かい。街を歩いている人も半分くらいは夜でもコートを全く持っていない。きょうがたまたまそうなのかどうかは知りませんが。

 松山から今治、瀬戸内海の島々、それを渡って尾道とここら辺は造船、海運で昔から世界を相手に商売してきた土地柄。独立独歩の事業主さんが一杯いる。で、結構昔から好きな地方の一つで、来ることが楽しみな場所の一つです。

 まあ最近の明るいニュースと言えば、船価、海運運賃ともやはり海外諸国の景況改善で上向いてきていることだそうです。一方で、円高は船を造っている向きには打撃。G7の直後と言うこともあって、その話をしました。

 何回となく来ているので、存じ上げている方が多い。講演の最中の「この辺では眠くなる人」とか、「いつも前に座って熱心に聞いてくれる人」とか。聴衆の特徴まで覚えてしまった。ははは、一回眠くなってもあとで起きる人はほっておく。そうでない人が首を垂れたら、「おや、話がちょっと退屈になったかな」と思う。<^!^>

 パーティーの席やなにやらで、そういう方々と話すのが楽しいですね。でも、お互いにあまり変わっていない。今度「進水式」に機会を見つけて来ることにしました。船の進水式。昔から船が好きで、一回は海運会社に就職が決まっていた小生ですが、まだ昔ながらの進水式は見たことがない。そうあのシャンパンが割れる奴です。今はああいうことをするのは、比較的小さな船だけと戸田さんが言っておられた。松山の北一時間半くらいのところに今治造船があって、今回は行けないのですがかつて何回が行ったことがあって、その会社の方々も見えられていたのですが、この会社世界の造船総トン数の5%というシェアを今持っているそうです。株は公開してないのですが凄い会社がこの地方にはある。日本で見ると、今造は12%のシェアだそうです。「マザーズでも何でも上場を...」と言ったら、「そういうことはいっさいいたしません」と。
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 外は良くなってきているのですが、「内」はまだまだのようです。タクシーに乗って「どうですか」と言ったら、「あきません...」と。「今日売り上げが4万2000円にならないと、手取りが10万に欠けるんですわ....。大学に行く息子がいるのにですよ...諦めてます」と。その額に行くと、手取りは12万に増えるのだそうです。結構生々しい話でした。地方で生活費が安いとはいえ、それはなかなか辛い。まあ、ストックはお持ちかもしれないですが。

 タクシーは、建設業とともにこれまでの日本で一番雇用を吸収してきたセクターですが、都会でも地方でもかなりピンチになっている印象がする。まあモータライゼーションが進展したことや、お年寄りから若い人まで「歩け歩け」の風潮があることなどが原因でしょう。また、タクシーも増えすぎた。景気だけの問題ではないような気がしますが、もしかしたらタクシーは「先行」から「同時」「遅行」に指標が変わったのかもしれない。

 夜軽く数人で飲みに行きましたが、その店は月曜日なのにメチャ混んでいて入れなくて帰った人もいた。その店は我々が大量に行ったと言うこともあるのでしょうが、「外」の環境改善を受けているような雰囲気でした。かつて一緒に仕事をした懐かしい年賀状マニアのお嬢さんも参加して、多分周りの方々にはうるさかったと思う。すんません。(__)

2000年01月23日

 写真は、昨日イタリアから届いたメールに添付されていたもの。もう数年前だと思うのですが、誕生日をその種のサイトに登録しておいたら、今でも一杯メールが届く。その一つで、写真が貼付されていたのが珍しいのと、その写真が結構旅情があって良い雰囲気なので、借景させてもらいます。写真だけを楽しませてもらおうと。a scene from italy

 海外からのメールという点では、同じく昨日ベトナムから届いたメールには笑いました。

 長らくお待たせいたしましたが、このたびメール・デビューの運びとなりました。どうぞよろしくお願いいたします。(これがうまく届けば、あたしゃもう、兄上のいうところの『こちらがわの人間』ということなんでしょうか?)

 昨日朝、日本の友人から電話があり、「あのさー。あたしいつもTBSのラジオ聴きながら仕事してるんだけどね。毎週金曜日の朝、森本さんのお相手をしている伊藤さんっていう人がいてね。その人が今朝口走るのにね。ベトナム・・・とか、甲府の学校・・・とか、中田・・・とか言ったような気がしたのよ。あたしも何気なく聴いていたし、伊藤って言う苗字はよくあるから・・・とは思うんだけど、世の中ここまで思い当たるふしもめったにないんで電話したわけ・・・」ということでした。

 娘にこの話をしたところ、「もし万が一、中田がそのラジオを聴いてたらどうしてくれるのよー。まったくもうー!」と焦っておりました......

 金曜日の「スタンバイ」での話題の一つは中田のベルマーレへの個人CM(NAKATA.NET が選手の背中に)提供だったのです。その中で私が姪(高校生で甲府在住)に熱心な中田ファンがいて、今回のことで中田ファンは増加するのでは....という話をした。メールの主は弟の嫁さん。彼女の友達が放送を聞いていてベトナムに電話し、そのベトナムからは「デビュー・メール」が届いたというわけ。

 あっちゃこっちゃからメールが届く時代ということです。
 

2000年01月21〜22日

 ほう、いつもホームページの更新では日銀に負けている大蔵省も、さすがに「G7」となって頑張ったですね。日本時間の22日10時過ぎに見たら、G7声明「仮訳」が出来上がっていて、それじゃ英語もあるだろうと思って同省の英語サイトにいったら、元の英語バージョンも掲載してありました。HTMLとPDFの両バージョンで。これで、去年9月の声明と読み比べれば、今回のG7の特徴が出て来るというわけです。今回のG7については、月曜日の朝までにはこのセクションに最新分析を掲載する予定ですが、とりあえず為替の部分だけ見ると昨年9月と今日の違いは.......

(22日東京G7)Exchange Rates

6. We discussed developments in our exchange and financial markets. We welcomed the reaffirmation by the Japanese monetary authorities of their intention to conduct policies appropriately in view of their concern, which we share, about the potential impact of yen appreciation for the Japanese economy and the world economy. We will continue to monitor developments in exchange markets and cooperate as appropriate.

(昨年9月G7)The international monetary system and exchange rates

6. We discussed developments in our exchange and financial markets. We shared Japan's concern about the potential impact of the yen's appreciation for the Japanese economy and the world economy. We welcomed indications by the Japanese authorities that policies would be conducted appropriately in view of this potential impact. We will continue to monitor developments in exchange markets and cooperate as appropriate.

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 新しいレストランがテレ朝通りを入って直ぐの右側のビルの二階に出来ました。今日は午後からここの開店パーティーに行きましたが、どんなレストランになるか楽しみです。

2000年01月20日

 ははは、今日はお遊び。Enjoy !。N 君 tks

2000年01月19日

 懐かしいメンバーが多かったですな。中村さん、山岡さん、鳥山さん、小原さん、島口さん。無論初めてお目にかかる方もいらっしゃいましたが、広中さんのように小生のサイトの熱心な読者もいらっした。山田さん、井上さんはこれなくて残念でしたね。

 久しぶりに今現在為替のビジネスをやっている各社の方々と懇談。といっても最初にちょっと私が喋って後は食事をして、その後場所を変えて軽く飲んだだけですが。まあG7(22日)の直前ですから、その話をちょっと。

 以前はこの手の会は大規模、かつ頻繁に行っていた。まあ80年代の後半だったからというのもありますが、100人を優に越える方々を招いたパーティーも4年連続でやりました。その後は直接的にはカスタマーの担当ではなくなったのであまり縁はなくなっていたのですが、久しぶりの人たちの顔を見て、「昔一緒に仕事をした人たちと会うのは良いもんだ....」と。

 日本では「為替」は銀行と言うより「商社」の方が先駆者なんですな。商売に直結していたし、人もいらっした。だから80年代の半ばに為替の実際の仕事を始めたときには例えば伊藤忠の久保田さんだとか、住商の石川さんだとか、丸紅の坂本さん、商事の水野さんには大変教わることが多かった。

 久保田さんとはこの前も4人組をしましたから近況は存じ上げているのですが、昨日他の方々も何をしていらっしゃるか今日大体分かった。ははは、そのうち会いにでも行きますか。
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 いろいろ話をしていて、「市場環境も変わったな」と。一番は流動性ですかね。最近は時間もあるが昔だったら難なくはけた玉も、処理に時間がかかる。80年代の「大ディーリング時代」は、今はアメリカの株に移った。マシンが入ったことも一因でしょうが、やはり根本的な原因は参加者のリスク許容度の低下でしょう。

 「過度な流動性」は問題ですが、売りたいときに売れ、買いたいときに買えるというのは市場経済の最低条件で、これがないと言ってみれば「市場がない」ということですから大きな問題です。まあ、為替は各種市場の中でメジャー通貨に付いて言えば一番 liquid で市場らしい市場でしたが、最近はかならずしもそうはなっていないようなのが気がかり。

 気がかりと言えば、市場参加者の中で何があっても「原文」に目を通さないという人が増えているそうな。川村さんが言っていたな。へえ、それでその文章を出した人(グリーンスパンだったり、G7だったり)の考え方全体が分かるんですかね。あの手の文章は知恵を絞って書かれているはずで、良く読めば非常に面白いのですが。

 22日のG7に興味のある人には、ここで前回のG7コミュニケを読んでおくと、22日のワーディングを見るのが楽しいかもしれない。

2000年01月18日

 「こんなのはどうだろうか」というのが、昨日の私の発想でした。トヨタが新しい車を発表した。「Will Vi」でしたっけ。なかなか面白い形をしている。最近は日本のメーカーが作る車も、楽しそうなものになってきた。それもいろいろな種類で。

 で、あの手の車を実用で使いながら、しかも一応全部乗るにはどうするか。今は方法があまりないんですよ。レンタカー会社には、なかなか新しい車は回ってこないようだし、借りるたびに手続きするのは面倒。買った瞬間に値下がりが始まる車を次々に買うというのは、現実的でない。

 で、リースです。例えばこういうリースを作る。「毎3ヶ月ごとに車を希望に添う形で代えます」と言う。メーカーをまたげれば最高。それが難しかったら、一つのメーカーの中で。最初の三ヶ月はセダンでもちょっと変わった形の車、次の三ヶ月はスポーツ・カー、その次は SUV など。3ヶ月だと一年間に4種類の車に乗れることになる。

 リースとレンタカーはどう違うか。最近ちょっと調べたことがある。どうも期間の差らしい。一年未満のリースというのはないらしい。商品として。で例えば「3ヶ月リースしたい」といったらどうなるかというと、非常に割高になる。数ヶ月単位の借り入れだと、レンタカーが有利で、レンタカーは月単位になると何時間何日単位よりは非常に安くなる。一月という単位だと、乗用車の最低クラスは10万円程度になると言う。

 でこれは素人考えなのですが、あの車ならしばらく乗ってみても良い、その次はあれに乗りたいという要望を満たしてくれる方法が今はないので、ではそういうシステムを作ったらどうだろうかということで。それでああいう発想になった。車は実用とともにファッションの面が強くなっていて、そういう形でデザインされるケースが増えている。ファッションだったら、3ヶ月置きに代えるのは合理的でしょう。

 おそらくいろいろ障害があるのでしょう。法的にも、また貸す方にしてもシステムのメンテが大変だとか。しかし、運転すること自体があまり好きでなく(でも免許は18になった瞬間に取って運転はちゃんと出来ますよ、念のため)、所有意識が希薄な私も、「あの車なら乗っていいな...」というのがある。そういう要望を満たしてくれるところはないかな....と思うのです。

 火曜日に某日本の最大手自動車メーカー・ファイナンス会社の専務さんや旧知の財務マンと食事をしていて、そういう話をしていた。特に反対はされませんでした。ははは、実現したら車庫があるのに車庫を遊ばせている私は、早速実用してみないといけないですね。どこかの神奈川でも、東京でも、千葉でもいいんですが、そういうのをやってくれないですかね.....

2000年01月16〜17日

 グリーンスパンも辛いでしょうな。私が今訳している本にもそう出ているし、その他の点では賞賛されるFRB議長でありながら、こと株式市場に対する警告だけは全く聞いてもらえない。市場から。17日のウォール・ストリート・ジャーナルには、「When Greenspan talks,market.....listens ?」と疑問符が付いている。

 96年の12月5日です。グリーンスパンが「irrational exuberance」(根拠なき熱狂)という言葉を使ったのは。彼は注意深いから、その当時のニューヨークの株式市場が「そうだ」などとは言っていない。しかし市場はそうとって、一時的には株価を下げた。グリーンスパンも「市場はそうとるだろう」と思って、その言葉を使っている。これは駆け引きですが、その時の下げも短期間しか続かなかった。当時のダウは6400ドル台。

 それから何回グリーンスパンが間接的に株価に警告を発したか正確には忘れましたが、大きなものだけで二回はあったと思う。97年の2月には、「excessive optimism」と言い、99年10月には「bursting bubble」と。そのいずれも株価は短期的に下げに転じただけで、あとは上がっている。今やニューヨークの株価はグリーンスパンが96年に懸念を持ち始めたのではないかと思われる96年当時の二倍(ダウで見て)になっている。NASDAQは当時1300ドルを下回っていた。今は4000以上だから、三倍になっている。

 もうこうなれば、「When Greenspan warns,.........market will rally !」となる。オオカミ少年もよいところで、「グリーンスパンが株価に警告したときは、マーケットは一時的に下がるが、それは絶好の買い場」ということになって、むしろ株価の上昇が連想されるようになる。先週の金曜日などその良い例で、明らかに議長の株価に対する懸念が高いと思われるときに、ダウは史上最高値を更新、NASDAQも急騰した。のちの上昇が経験則で予想されるから、下げもせずに上がった。

 ベビーブーマーたちの大量の資金が流入しているというのが一般的な解釈である。年初はニューヨークの市場ではよく有る現象だが、ここ数年の特徴は一般投資家が極めて強気なこと。ある調査によれば、アメリカの投資家の実に75%は「市場は急騰を続ける」と考えているという。この数字は確かに異常である。それを示すように、最近(過去二ヶ月)の特徴としては、証拠金貸付が急増していること。

 もっとも、グリーンスパンも「当面はオオカミ少年で良い」と考えているふしもある。株価が上がること自体は経済にとって悪いことではない。経済活動の要のポジションにいる企業の活動を助け、経済を活性化させる。問題は、株の上昇が生み出す「wealth effect」が総需要、雇用需要を過度に押し上げ、それがインフレ圧力を醸成することである。FRBは基本的には株価に「none of my business」という立場で、あくまでも立脚点は「一般物価」である。この一般物価は安定している。

 「市場とは常に不安定なものだ」というのはジョージ・ソロスの名言で、それは資本主義というよりも、人間の社会そのものが持つ不安定さだと思うのだが、その不安定さはまた人間にとっての楽しみでもある。「安定」が常態だと思うのは間違いで、市場というものから、また人間の社会から「不安定」というものがなくなることはない。その中で、中央銀行というのは「安定」の要になろうとする。その意味では、最初から難しい仕事に取り組んでいるわけで、そのくらいの事はグリーンスパンも百も承知でしょう。

 「楽しみながら、心配する。心配しながら、楽しむ」。グリーンスパンの今の心境はそんなところか。まあだから最初に「辛いだろう」と書いたのは、おそらく当たっていない。綱引きの綱は、今はグリーンスパンが最も大切にしなければならないと言っている市場のサイドにある。中央銀行家たるグリーンスパンは、あまり片方の力が弱くなって市場サイドが引ききってしまわないように、本来ある「不安定さ」が過度なものにならないように fine-tuning をしているというのが当たっているかもしれない。

2000年01月14〜15日

 なんじゃこりゃって事が二つ。普段はネットスケープのメーラーを使っているのですが、久しぶりにユードラでメールのグループ送信をしたんです。あるグループへの。そしたら、一通しか今日は作ってないのに何かもう一通が出ていったような気がした。調べたら、12月31日に作成して送ったつもりでいた年末・年始の挨拶メール。

 おかしいな、送信トレイにメールを置いておくことなんかないのに。なんかの加減で、送信トレイに入ってしまったのです。すみません、そういうわけで、何人に行ったか調べてないのですが、今頃間抜けなメールが届いたかもしれません。木之内さんからさっそく「ケープタウン経由だったからでしょうか.....」と。ははは、お許しを。

 次に、久しぶりにウィルスに遭遇。ある会社から送られてきたファイルを開こうとしたら、コンピューターがどすんと落ちて(そのように見えて)、次に真っ赤になってウィルス警告。選択肢が5つくらいありましたから、直ぐに「削除」を選択。それでも心配だったので、直ぐにノートンの antivirus の定義を更新して、それをコンピューター全体にぶっかけて安全を確認。やれやれ。ウィルスは猛威をふるっているようです。ロンドンのインフルエンザだけでなく。
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 今日の土曜日の日経の朝刊にも2面の新聞広告(右下)で掲載されていましたが、新潮社の政治・経済雑誌「Foresight」が2000年の最初の一号からイメチェンして新登場。私もこの雑誌では久しぶりに、ちっちゃなコラムを担当することになりました。

 創刊から4年間くらいですかね。確か「キーワードの核心」というタイトルの1ページもののコラムを担当した。その後は、年に2〜3回長い論文を掲載するだけでしたが、今年からまたコラムを担当するというわけ。「雄弁な数字」という最後のコーナーで500字くらいですから、発想すれば直ぐ書ける。しかし、タイムリーで意味のある題材を見つけるのがなかなか大変そう。

 金曜日に家に送られてきたのでその中のいくつか論文を読んだのですが、今のところ一番面白かったのは、『「人体の商品化」にノーと言えますか ?』。人体の部品化は想像する以上に進んでいるようで、人類はここでも「どこまで許すか」という問題に直面していると思いました。

 巻頭のピーター・タスカの論文は確かにそうなのですが、もう財政赤字の膨らみによって「格差是正」がさすがに日本でも徐々に出来なくなっていることを忘れている。そういう意味では、私の方が彼より日本の将来に楽観的かもしれない。一番「へー」と思ったのは、「迷走するイトーヨーカ堂銀行構想」でここには私が知らなかったことが一杯詰まっている。よく取材していると思った。

 しかしほぼ同じ時期に発表されたソニーの銀行設立構想については何も触れられていない。私としてはこの二つはやはりパッケージで日本経済・金融の方向性を示すやり方もあったのではないか。ソニーの銀行設立に関するフォローがあればと思った次第。アルビン・トフラーの論文は読み出したところですが、なかなか面白い。

 『人口予測が分かつ米ロ「21世紀の明暗」』もおもしろかった。ロシアの人口は激減、一方アメリカの人口は大幅に増えるという調査。人口という点では、世界銀行でしたっけ、日本は今後年間60万の移民を受け入れないと労働力を維持できないと言っていた。金曜日のスタンバイでも取り上げましたが、日本の「3年だけの移民受け入れ」は早晩行き詰まる。今からこの問題は考えておいた方が良いでしょう。

 グリーンスパンの翻訳が終わったら、書きたいことがいっぱいある。「Foresight」にもまた長い論文を載せられたらと思っています。

2000年01月13日

 サンデー毎日に毎週掲載される「サンデー時評」は連載が101回になる人気コラム。執筆者は人気政治評論家の「岩見 隆夫」さんですが、今店頭に並んでいる1月23日号を読んでいたら、突然私が年末年始にTBSラジオで言ったことが登場している。

 この番組では毎年年末年始は各曜日のコメンテーターを集めて座談会をするのです。去りゆく年にあったこと、新しい年にありそうなこと。今のコメンテーターのラインアップは

  • 月曜日=日経ビジネス編集長 小林 収さん
  • 火曜日=毎日新聞社会部長 朝比奈 豊さん
  • 水曜日=ジャーナリスト 嶌 信彦さん
  • 木曜日=政治評論家(毎日新聞顧問) 岩見 隆夫さん
  • 金曜日=私
 というもので、今年も年末年始の座談会は面白かった。

 岩見さんが取り上げたのは、1月4日放送分の「今年のキーワード」の部分。私の記憶では、それぞれのコメンテーターの今年のキーワードは小林さんが「二つのボーダーレス」、朝比奈さんが「個人情報」、嶌さんが「構想力と志」、そして岩見さんが「政界ビッグバン」だったと思う。私が何を2000年のキーワードにしたかというと「i」なんですよ。

 私はこの「i」に二つを掛けた。一つはむろん、「interactive、internet、information technology」などの「i」。もう一つは、どうも日本人は自分、自分の仕事、自分の国を冷笑しすぎる。一つこうしたものに「惚れ直してみて」、つまり「愛情」を持って接するのが必要ではないかという意味の「アイ」。てらいはあると思う。しかし、それが過ぎるから、周りから見ていても、内部から自らを変える力の低下という意味でも、今の日本は問題が多いと考えたからです。必要なのは、「惚れ直し」だと。この二つの「i」が重なればナイス。

 私と岩見さんは、ことハイテク機器の利用という点ではコメンテーター仲間の中では対極。一方は全くやらず、私は何でも新しいものは使って試してしまえと思っている。でも、考え方は似ていることも多いんです。「日本人には冷笑癖がある」と残念そうに言ったのは、実は岩見さんが最初なんです。私は、「いいことをおっしゃる」と思った。例えば、ハイテク機器にしても使える人間と使えない人間がお互いに「冷笑」しあっている。これでは、社会の「cohesion」(つながり)が生まれるわけがない。行き着く先は分裂社会です。

 この時評によると、岩見さんも「今年は思い切ってパソコンをはじめるか」というところまで来たらしい。先週の木曜日に海外の株が大きく落ちて、その時にスタンバイに電話出演したのですが、その後岩見さんから家に電話があって、いろいろ話した後

「岩見さんこれは本気ですが、あれはツールなんですから岩見さんがその気になるんだったらお教えしますよ....」
 とオファーをしておきました。

 時評では、まだ迷ってらっしゃる。<^!^> でも、岩見さんの自転車の話は面白かったな。あそこで出てくるお転婆さんが、他の人より早く自転車に乗れるようになったからと言って、特に社会でメリットを受けたというようなことはないような気がする。しかし、自転車では bicycle divide という単語は生まれなかった。デジタルには、digital divide という言葉が生まれた。デジタルには、それだけの力がある。

 岩見さんには、「こちら側」に来ていただきたいし、多分来年の今頃は「伊藤君.....あれはなかなか便利だね....」てな事をおっしゃっているのでは....と思うのですが....さて。<^!^>。

2000年01月12日

 11日が鏡開きだと知っていて、そのお餅を食べさしていただこうと思って頼んでいたのに、その日はつい忘却。で、12の今日行ったのですが、ちゃんととっておいてくれていてtks。穂積さんにはお世話になっているんです。

 3人で食べていたら、女将さんが「こんな本が」「こんな本も」と本を二冊も持ってきてくれて、一冊は「テーブルマナーの本 日本料理」(柴田書店)、もう一冊は「京の配膳さん」(向陽書房)。ぱらぱら見ていたら、結構面白い。前者の本は箸から話が始まる。他人様の事は言えないのですが、私の周りでも凄いのがいますからね。持ち方からして。  

  1. 天削箸(てんそげ)
  2. 利休箸
  3. 柳箸
  4. 割り箸
  5. 両細(りょうぼそ)
  6. 中節(なかふし)
  7. 止箸
  8. 黒文字(くろもじ)
  9. 塗り箸
 などまず箸の種類の説明があって、使い方についてはみっともない使い方として、「刺し箸」「涙箸」「ずぼら箸」「押し込み箸」「渡し箸」「寄せ箸」「迷い箸」「振り上げ箸」と出てくる。むろん、「箸うつし」はよろしくない。「涙箸」というのは、しるをたらしながら何かを取ることです。

 子供がよくやるので、「こういう食べ方を何ていうんだろう」と思っていたら、「犬食い」と。かがみ込んで食べる食べ方。最近知ったのでは、「ばっかし食い」。これは出てきた品を均等に食べていくのではなく、何か一品を一気に食べる食べ方。みっともない。
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 へえ、と思ったのは弁当の名前の由来。

  1. 「松花堂弁当」江戸初期の僧侶で、画家としても有名であった松花堂昭乗が使っていた十文字に仕切った絵の具箱をヒントとして使われるようになった
  2. 「信玄弁当」武士が鷹狩りの時に持ち歩いた信玄袋から来たもの。上下の二段になっていて、下段が飯、上段がおかず。上段の中蓋が酒の杯、外蓋が汁碗
  3. 「幕の内弁当」歌舞伎の役者や裏方の人達が、芝居の幕の間に食べたご飯を主体にしたお弁当
 などなど。一番意外なのは、というか私が知らなかったのは「松花堂弁当」でした。僧侶の名前だったのですか。息抜きにこういう本に目を通すのも良い。もう一冊は少し先の楽しみ....

2000年01月11日

 ニューヨークの二日分の上げの影響がたまっていた東京市場が上げるのは分かっていましたから、関心事項は「どのくらい」ということと、その継続性。前者に関しては、600円超という答えが出た。まあそんなところでしょう。継続性の答えは、時間が必要です。

 それは待つとして、11日はアジア全体を見ると結構面白かった。中国市場のDJ CHINA88という指数は4.83%下げいて、台湾の株価も1.93%下落している。確かこの二つの指数は、先週後半は上げていた。

 11日に中国市場が下げた理由を見ると、「利食い」と「国家による株価放出」の噂。中国系の株式市場は世界と一風変わった動きをしていて面白い。どのくらい流動性があるか知りませんが、世界の株価が先進国では in tandem に動いている中で、今後注目しても良いかもしれない。

 ニューヨークや東京の株価上げの継続性はどうでしょうか。NASDAQはあと150ドルも上げれれば、史上最高値である。本当は、もっと休んで上げれば良かったのに。火がついてしまった。ファンド・マネージャーが一人電話してきて、難しい展開に嘆いていました。撤退すれば負ける。乗るには高い。他人のお金を預かるのは大変だ。
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 世界的な株価上昇の背景、つまり「火付け」となった「対等者同士の合併」とされるAOLとタイム・ワーナーのそれは、実は株価の動きを見ているとAOLによるタイム・ワーナーの救済合併のように見える。タイム・ワーナーの株価は急騰、逆にAOLの株価は下がった。

 いつでも大きく伸びるのは「うさんくさい産業だ」、というのは東洋経済の大橋さんから聞いて忘れない名言だが、インターネットも「うさんくらい」世界の出目ながら、そのアメリカにおける寵児がタイム・ワーナーを実質合併できる立場まで来たのは大したものである。我々の気持ちの中でも、AOLに対する見方は決して高くない。タイム・ワーナーの経営者達も、AOLを「a lowbrow medium」とか、「training wheels for the internet」と見ないしていたという。確かに。

 AOLの41歳の若き創設者である Stephen Case が偉いのは、ソニーの盛田会長がそうであったように、企業を徹底的にマーケッティングのところから考えたことだろう。Caseは、昨日の合併発表の中で

It is not about technology,it is about making this a mass medium and becoming part of the everyday habits of ordinary cunsumers
 と言い切っている。その意味では、キーボードと英語の両方でハンディを持つ普通の日本人の「ネット世界への誘致」では、われわれもやれることがまだいっぱいありそうだ。インターネットはまだ日本では、「a highbrow medium」と見なされている。
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 その意味でより多くの人がネット上にサイトを持つことは良いのだが、ここの人が午後私のオフィスに来て、wiondows のネットスケープ上での表示を見て頭を抱えていた。彼はマックでサイトを作っている。IEではうまく見れるのですが、ネットスケープでは字が小さくなってしまうのです。私はもう忘れましたが、彼のサイトのソースをいじってやってネットスケープでもうまく見れるように出来る方がここの読者に居れば良いのですが。

 私はネットをより「a lowbrow medium」にするために、i mode 上にカラーサイトを設け、リンク先も eating の部分だけ掲載しました。ちょっとした努力ですが。

2000年01月09〜10日

 3連休なんてあっという間に過ぎてしまいますね。引き続き翻訳を続けているのですが、「グリーンスパンの続投決定」というナイスなニュースで、ちょっと余裕が出たのか(出てはいけないのですが)休み中に本を2冊ほど読みましたので、それを紹介しましょう。

 一冊は、「金融政策の理論と実践」(東洋経済新報社 1800円)。著者は1994年から96年までFRBの副議長だったブラインダー。現在は、プリンストン大学教授。この本の題名が、「理論と実践」と付いているのが、非常に論理的に見える。なぜなら、彼自身が本の中で言っているように、「学問と中央銀行業務の両面から金融政策にどっぷりつかってきたものは、世界中にもそういない」、つまり彼以外にはそういないからである。

 全体で150ページにも達しない薄い本ですが、中味は示唆に富んでいる。3回に渡る講演をまとめたもので、第一回が「政策目標と手段に関する基本的な考え方」、第二回が「金融政策手段の選択と利用」、そして第三回が「中央銀行の独立性」。

 日本でも中央銀行の果たす役割と、その社会的影響力に関しては多くの議論が出ている。こうした一連の問題を考える上でも、本書は参考になると考える。役者の一人は、私のフレンズのコーナーにも登場する河野龍太郎君です。
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 もう一冊。このサイトの運営者である久保田博幸君が書いた「マーケットサバイバル」(パン・ローリング社、1800円)。10年間以上もマーケットでサバイブしてきた著者が、その方策やコツを論じているのがこの本のミソ。

 債券市場の初心者でも、この本を読めば知らずに債券や広く市場全体に関しての知識を得ることが出来ます。私も読んでいて、「思い当たるふしがある」ところが多かった。第五章の「コーヒーブレーク」のような息抜きのコーナーもあって、なかなか良くできている。特に初心者には推薦です。

2000年01月08日

 このページの i mode 対応を計ることにしました。http://www.ycaster.com/diary/icont.htmlというページを設けました。ここを i mode の bookmark に入れていただければ、例えば7日分くらいの分量の文章でも、 i mode の携帯電話から十分に読むことができます。

 あの小さな窓からURLを入れるのは大変でしょう。私がいつも使っている方法は、URLや電話番号をメールに載せてパソコンから携帯電話に送り込むのです。そうすれば、URLやメールアドレス、電話番号をいちいち入力しなくて良い。文章は、余分な分を切り落としただけです。電車の中でも、「day by day」が読めるようになるというわけです。

 サイトといえば、新しいサイトを一つ紹介しましょう。「日本のカイシャ、いかがなものか !」というのです。まだ発展途上ですが、まあ志はナイス。有力雑誌社を辞めて、「退職パーティー」を開き、そしてサイト開設のファンファーレが今年の初め。私も文章を一つ寄せました(まだ掲載されていない.....BUTUBUTU)。

 これからの発展に期待しましょう。
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 今年の年賀状の処理は終了。一番びっくりしたのは、木の賀状が来たことです。京都から。厚さ2.5見るくらいの板が賀状の大きさに綺麗に切られていて、なかなかびっくらしました。

 今年来た賀状の話の中で一番仰天したのは

 美尚t久北青山2−11−3

 という宛先。最初何だろうと考えた。しかし、分かりました。「美尚t久」はなんらかの理由で「港区」の変換がうまく行かなかったのでしょう。どうすればこういうものになるのか知りませんが、それでも〒番号があっているので、ちゃんと届いている。小林 忍さん、あなたの賀状でしたよ。(^^)(^^ )(^ )( )( )( ^)( ^^)(^^)

2000年01月07日

 年初ですから、一句。

 「結局は、で終わった株市場」
 どへたで済みません。ハイパーリンクを使った五七五。これが一日前は、「あらららら、真っ赤になった株市場」だった。7日のニューヨーク市場の上げは凄まじい。ダウは269ドルも上げ、NASDAQも155ドル高。4000ドルまで120ドル強。つまり、NASDAQも新値更新が近い。

 本当は私は5日のこのコーナーで書いたように「もうちょっと時間をかけて調整した方が良い」と考えているのですが、それもあそこで書いたとおりの「べき論」で予想通りに大きな反発に既に転じようとしている。週末の放送で、「一週間経てば、あれは何だったのかと言われるようなことになるのでは」(上げに転じているという意味で)と言ったのですが、まあそんな感じですかね。

 多少是正されたのはNASDAQが大幅調整を続けた間にダウ構成銘柄のような nonteck stocks が買われ続けたことで、「上げのベースが広がった」ということです。小生はもうちょっと足踏みして上げればと思うのですが、マーケットは「先取り」が原則だから、この先上げると見れば足場を固めるなんて事はしない。「一極集中」と言われた状況が、「multi-polarization」化してきたわけです。

 一つ付け加えると、5日に紹介した「市場内資金の移動」の記事の最後にはちょこっとこう書いてあったのです。<^!^>

"We'll always be in tech, but we're throwing a word of caution out there now," says Van Wagoner's Mr. Kris

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 株の話で思い出しました。先週いつだったか忘れましたが、久保寺さん、内藤さん(おや、フロント変えましたね)、内田さん、大北さん、大竹さんなど業界の大先輩に誘われて株式市場に関する勉強会に出たのです。驚愕したのは、つい最近まで「私にはファックスで....」とおっしゃっていた久保寺さんが、ちゃんとメールを始められていたこと。「メール・アドレスがないと、資料が来ない」というのが久保寺さんの解説。そりゃ、オンライン証券の時代はそうでしょう。

 同じようなことは、この番組の金曜午前8時からの小沢さんも言っていた。ということは、ここでも「multi-polarization」が始まっている。利用者の多層化。久保寺さんが、受けることは出来て出すことが....と。でも新しいものの利用には「time lag」が必ず伴うと私は僭越ですが勇気付けさせていただきました。<^!^>

 これは私の話ですが...と携帯電話(i mode)と私の例を挙げたんですな。買ったのは出た日ですから、2月の何日かです。しかし、「ああ使い方がかなり身に付いたな」と思ったのは、実は昨年の末なんですよ。あんな小さな機械なのに、機能てんこ盛り。これはIT機器と生産性の「生産性パラドックス」の議論にも繋がるのです。買ったときに一応マニュアルを見て覚える。しかし、結局は実際にその機能を使わないと忘れる。あとで、見直したり、「こんなことが出来るはずだ」というところから、利用領域が広がる。

 だから久保寺さん、ご心配なく。だって久保寺さんはつい最近ですから、PCを買ったのは。

2000年01月06日

 5日の夜に家に来ていた賀状を、6日朝に会社に来ていた賀状を見ましたが、「あれれ、ひょっとしてベビー・ブーム」というのが第一印象。「二人目が生まれた...」「二人目が生まれる....」、「突然双子が生まれた...」「ミレニアム・ベビーが欲しい...」などなど。

 まあたまたまかもしれませんよ。しかし、重なっているんですねこれが。突然双子が生まれたと言ってきたのは「さとちゃん」。ずっと犬を子供代わりに暮らしていたのに、突然。彼女は小さいのに、大変だったのでは...と。もしかしたら読者の皆さんも知っている人では、95年頃私と「東京マーケット・フォーカス」(テレビ東京)を半年間やっていた岡山さん。今は2ヶ月の子供が。確か彼女は名古屋で、「玲子のおしゃべりサロン」って番組をやっていたはずですが、どうしたか。

 実は私の周りにも expecting な人がいる。この番組のアシスタントの小野さん。宇野君の二番目も春に生まれるそう。「ミレニアムだから、子供が欲しい」というメール賀状も見た。まあ止めはしません。きりの良い年に生まれると、子供も年を数えやすい。<^!^>

 しかしちーと考えると、今年はミレニアム記念で明らかに子供の数は増える。正確には知りませんが、記憶だと99年に生まれた赤ちゃんの数は115万前後ではないでしょうか。ミレニアムで、10万、20万は直ぐ増えるでしょう。なにやかやと少し「狭き門」になる。子供にとっては良いのか悪いのか。ミレニアム・ベビーブーム後を狙おうと思ったら、来年の4月以降に出てくるように作るしかない。
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 Y2Kがなぜ大事にならなかったのかの私の見方は先に紹介しましたが、「SEの目から見て」という文章を清水さんがアップしてくれましたので、それを紹介しましょう。ははは、一緒に年越しした仲ですわ。

 文章はここにありますが、「比較的手慣れた作業だったこと」というのは専門家しか言えませんね。最後の「責任の所在がはっきりしている」というのも、なるほどと思わせる。

 彼によれば、1月末、3月末、6月末など「注意を要する日」はまだ残っているらしい。あと小生が聞いているところでは、閏年の関係から2月末。しかし、私が心配した人命に関わるようなY2Kはもうなさそう。

2000年01月05日

 ちょっと長く休みを頂いていて、諏訪から帰ってきたのは5日の午後3時くらいでしたが、中央線の電車の中で私がしたことと言えば、グリーンスパン本の翻訳見直し作業を続けたことと、取引のあるオンライン証券会社に電話をしての投信の買い増しでした。またしても、明かしたら笑われるような金額ですが。

 前回はインターネットでやった。今回は電話を試してみたかったからです。IDを入力し、パスワードを入れ....と。ネット取引とあまり変わらない。回線は混雑してました。実際に何回かやらないと、その種の話も「どこかから聞いてきたような」ものになってしまうでしょう。doing is believing というわけです。

 相場を長くしていた人間としてはみんなが売っている時は買えば良いケースが多く、その逆もまた真なりというのが経験。それを理論付けできないわけではないのですが、まあここはそれをする場でもないでしょう。相場の醍醐味とでもいうんでしょうか。失敗するかもしれない。しかし、自己責任ですから自分の思ったとおりにできる。
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 普段はオンライン証券会社がいろいろ送ってくるメールなどの資料にはあまり詳しく目を通さないのですが、今日読んでいて面白かったのは、東京市場も日経225が460円くらい下がったのですが、上げ銘柄数と下げ銘柄数を比べると前者の方が多かったのだという。上げ銘柄数は661、下げ銘柄数は554。上げ銘柄数の方が100も多い。にも関わらずの代表的指標の下げ。

 日経225は文字通り225銘柄で出来ていますから、指数の上げ下げはその中で動きとなる。しかし5日の場合はTOPIXも85ポイント強下げていますから、一部の銘柄の下げが極めて大きく、その下げが指数の下げを誘ったと言えるでしょう。対して、上げは銘柄数は多かったが、個々の銘柄の上げは控えめだった。今まで上げていたソニーや京セラ、ソフトバンクなどが派手に下げ、対して銀行株は上げている。しかし、総じて上げ銘柄の上げ幅は小さい。

 今回の株価の動きについて私の見方は、「調整」というものです。これははっきり言ってもうちょっと続いた方がいい。各市場で10%を越える下げになると、今年の世界経済や株式市場の見通しも明るくなる。中途半端にまた上げ始めると、今年の後半に落とし穴が待っているような気がするのです。

 「であるべき」はそうなんですが、相場はそうはいかない。5日のニューヨークの寄り付きはダウが既に70?高。その後直ぐに下げたりしてもの凄く不安定で引値は予測できませんが、ちょっと反発が早すぎる。かつこの巨大な格差が少し埋まった方が良い。その意味では、寄り付き段階でNASDAQがまだ下げているのは健全です。

 ウォール・ストリート・ジャーナルによれば、Garrett Van Wagoner ( Van Wagoner Funds)、 Robert Stansky (the giant Fidelity Magellan Fund)、 Drew Cupps ( Strong Enterprise Fund)、 Bob Smith ( T. Rowe Price Growth Fund )などの投資の著名人達は4日の株価急落の前に、ネット・情報関連株から資金を nontech stocks に向けたという。ニューヨークの5日午前の株式市場はこの記事をなぞったような動きになっている。

 ハイテク株に対する私の見方は、去年の12月13日に書いてあるのですが、誰よりもニューヨークの株をはらはらしながら見ているのはグリーンスパンでしょうね。この処理を間違うと、「神話」は一挙に崩れる。

2000年01月04日

 4日の夜中にブルームバーグをちょっと眺めたら、以下のニュース。グリーンスパンの再選は、私としてはもっとも歓迎するニュースです。なぜって、グリーンスパン本を翻訳している私としては、彼に辞められては困る<^!^>。

Clinton to Renominate Greenspan as Fed Chairman, White House Official Says

Washington, Jan. 4 (Bloomberg) -- U.S. President Bill Clinton will renominate Alan Greenspan to a fourth term as chairman of the Federal Reserve, a White House official said today.

Greenspan first took office as head of the U.S. central bank Aug. 11, 1987. His current four-year term as chairman ends in June, though he can continue to serve until Congress acts on the nomination.

Clinton will meet with Greenspan in the Oval Office at about 10:30 a.m., and an announcement is likely about 11:15 a.m., the official said.

 ここまで通信社が書いたら確定でしょう。クリントンとグリーンスパンの会談は日本時間の0時30分に始まって、4期目再任は午前1時15分に発表されるという。日本の新聞の朝刊の締め切りは多分1時30分くらいでしたから、入る。まあ入れてくるのでしょうね。

 就任が78年の8月11日。直ぐにブラック・マンデーがあって。その後は順調な「神話」が生まれるほどの議長生活ですが、いつも感心するのは年に似合わない感性と知識欲でしょうか。これだけは見習いたいと思う。ところで、本の方はやってはいるのですが、その他の用事もいろいろあって、そうですねちょっと遅れ気味といったところ。
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 別にY2Kということでもないのですが、小生のコンピューターのソフトウエアにも多少おかしいのがある。例えば ftp ソフト(データをプロバイダーに送るソフト)。Ws Ftpを使っているのですが、ここの文章に対するファイル名を従来の「991220」(1999年12月20日)のような年号の下二桁、月、日で入れていたのを踏襲して今年最初の4日の分を「000104」とつけてプロバイダーに送ったのです。

 そして、このソフトウエアの中の「date」のところを見たら、なんと「1000104」となっているのです。これが何を意味するか知りません。99の次だから100だと思ったのか。いずれにしても date を正確には読みとっていない。で、思ったのです。まだメモリーが高かった時代に 「1975」と打たずに「75」としてしまったのは、当然だろうと。そういう私もファイル名を付けるときには今までずっと「991220」とか付けていた。

 どうなんでしょうかね。いままでも年号を全部入れていたら1999から2000へは並びも良くなる。しかし、99で年号を入れていたのを00にするにしろ、2000にしろ、並びはおかしくなるわけです。で、どうしようかと迷っているのです。99年までのことなど直ぐ過去の事になるといえばそうですが。ファイル名が長くなるのも嫌なのですが、やはり年号は「2000」と表示すべきでしょうかね。

2000年01月03日

 Y2Kも悲喜こもごもですね。誰も正確な数字は知らないでしょう。しかし、世界の国、企業などなどがY2K乗り切りに費やしたお金は2500億ドルとも伝えられる。ちょっと小さな国のGDPくらいが使われている。しかも、何らかの形でY2Kに動員された技術者は、コンピューター関連の全技術者の4分の一とも三分の一ともで言われ、さらに大量の古い技術しか持たない技術者も職場復帰した。中には、監獄から。

 技術者だけでなく、総務から何からあらゆる部門の人間が動員された形跡がある。これほど騒ぎ、メンタリリーに準備したのに世界がなぜこの大きな節目を切り抜けられたのか、という謎解きが既に始まっている。

 一つは騒ぎすぎたのでしょう。ヤルデニ君などの功績(?)です。その他で今までに出た回答は以下のようなものである。

  1. 今まで共通の敵に一致して当たることがなかった世界中の国、企業が最後は蟲取りに最大の注力をした
  2. そのために、惜しみなくお金と人を投入した
  3. 特に最後の数ヶ月の追い込みが効果を発揮した
 など。しかし、どうもそれだけではないようです。世界でも一番心配されたのはロシアとか中国とかパラグアイとかY2K後進国での深刻な問題発生。例えばパラグアイなどは停電などは確実に起こるくらに言われていたようです。しかし、何もおこらなかった。で出てきた見方は、 late comers はもともとコンピューターに社会のインフラをそれほど依存していなかったのではないか...との説だという。ロシアも中国も。

 一方、コンピューターへの依存度が高い先進国では政府の企業との協調により、的確な措置が取られて、問題が起きたとしてもマイナーな問題にとどまったと。いずれにせよ、「テクノロジーに対する信頼」が戻ったことにより、世界の株式相場は軒並み上昇している。ブルームバーグの世界の主要指標表を見ると、これを書いている時点で、すべて数字は緑(アップ)です。
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 悲喜こもごもと最初に書いたのは、「reverse Y2K problem」が起こりそうなこと。企業も政府も、例えば80年代にプログラマーなどとして活躍していたものの、90年代は職に溢れていたような人を大量に雇った。古いプログラムを書き換える為である。彼等は役立った。しかし、何もなく世界がY2Kを通過したら、そうしたY2K要因雇用者はどうなるのか。

 むろん、企業の中でY2K担当者になって企業の業務全体に詳しくなって出世の糸口をつかんだという人もいるそうである。ナイス。しかし、プログラムを書き換えていただけの人はかなりの程度「明日からの仕事」に困る。「実は何か起きて欲しかった」という近くレイオフが確実な老練プログラマーの話が新聞に載っていた。

 Y2Kに関しては世界は最初の数日を無事通過した。しかし、副次的な問題はまだまだ出てきそうです。

2000年01月02日

 ヤルデニ君の話を元旦に書いたら、聞こえたのか(<^!^>)以下の文章が2日に送られてきました。

Y2K: I am impressed and pleased by the smooth transition into 2000 so far. At this time, there are no significant Y2K problems around the world, especially in the late starters. As a result, the risk of disruptions to global just-in-time supply chains, which has been my number one concern, seems less likely. Nevertheless, the risk remains that some of these systems might still experience malfunctions and failures in coming weeks.

If no significant problems occur by the end of January, then I will concede I was wrong about a Y2K global downturn and change the odds of a recession-vs-expansion from 70-30 to 30-70. The IT community deserves most of the credit for the uneventful century date change. John Koskinen, the US government's Y2K man, was especially effective in coordinating the Y2K remediation process both in the United States and around the world.

Looking back, I certainly don't regret my efforts to raise awareness. Y2K was a big problem. Hopefully, it has been mostly fixed.

 確かに、late starters (ソ連とか)にも問題が起きなかったのは慶賀にたえないし、まだ1月の最初の週において、問題が起こる可能性はある。しかし、世界的に水、電気、食料、ATMなど主要な機能が維持されている今の段階で、大きな関門は通過したというべきでしょう。だから彼が「I was wrong」と言わざるを得ない可能性は高いと思う。

 私がずっとY2Kの問題に楽観的だったのは、先日も書いたとおり時間軸の問題と、人間の能力に対する信頼と、それに相場でもそうですが「大騒ぎした問題ほど、人間は消化する。本当の大事件、事故というのは予想もしないことから生ずる」という考え方からです。Y2Kは、世界中が十分騒いだ。としたら、それを回避するための十分な努力が支払われる筈です。
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 正月に結構笑えたニュースは、ニューヨーク・タイムズの発行部数が去年までの100年間以上も実際より500号も多かったという記事でしょう。へえ、英語では「暗算」のことは、「mental arithematic」って言うんだ。(赤は私が入れました)

A Correction; Welcome to 51,254

 For those who believe that in the good old days -- before calculators, before computers -- people were better at mental arithmetic, The Times offers a sobering New Year's message: Not necessarily.

 On Feb. 6, 1898, it seems, someone preparing the next day's front page tried to add 1 to the issue number in the upper left corner (14,499) and came up with 15,000. Apparently no one noticed, because the 500-issue error persisted until yesterday (No. 51,753). Today The Times turns back the clock to correct the sequence: this issue is No. 51,254.

  Thus an article on March 14, 1995, celebrating the arrival of No. 50,000 was 500 days premature. It should have appeared on July 26, 1996.

  The error came to light recently when Aaron Donovan, a news assistant, became curious about the numbering, which he updates nightly when working at the news desk. He wondered about the potential for self-perpetuating error. Using a spreadsheet program, he calculated the number of days since The Times's founding, on Sept. 18, 1851.

  Through the newspaper's archives, he learned that in its first 500 weeks, The Times published no Sunday issue. Then, for 2,296 weeks from April 1861 to April 1905, the Sunday issue was treated as an extension of the Saturday paper, bearing its number. In the early days, the paper skipped publication on a few holidays. No issues were published for 88 days during a strike in 1978. (During five earlier labor disputes, unpublished issues were assigned numbers, sometimes because catch-up editions were later produced for the archives.)

  Finally, by scanning books of historic front pages and reels of microfilm, Mr. Donovan zeroed in on the date of the 500-issue gap.

  ''There is something that appeals to me about the way the issue number marks the passage of time across decades and centuries,'' said a memo from Mr. Donovan, who is 24. ''It has been steadily climbing for longer than anyone who has ever glanced at it has been alive. The 19th-century newsboy hawking papers in a snowy Union Square is in some minute way bound by the issue number to the Seattle advertising executive reading the paper with her feet propped up on the desk.''

  As for the other number on the front page -- the volume, in Roman numerals -- it remains CXLIX. It will change to CL on Sept. 18, when The Times enters its 150th year.

 ははは、日本じゃまず起きえない問題だと思う。例えば、日本人は少なくとも今までは数字にはうるさかった。もう私は長い間毎週長いレポートを書いていますが、今も昔も「伊藤さん、間違ってますよ」という指摘で一番多いのは、「号数が違います」というもの。ニューヨーク・タイムズの場合は、1898年2月6日に間違いは起こったいう。その日の号は14499号。これに1を足すと翌日分の号数になり、当然14500号とすべきだったが、担当者は早とちりして15000としてしまったし、他の誰もそれに気が付かなかったという。いかにもアメリカらしい。日本だと、まず数字を見る奴がいそうなものですがを。

 24才のドノバン君、見つけたときは驚喜したでしょうね。その後「これを誰にどうやって話すかの心配」をしなければいけなかったにしてもです。

2000年01月01日

 明けましておめでとうございます。心配されたY2Kも人命に関わるような大事は世界を眺めても何も報告されていない。1日の早朝に街を目撃した人間としても、何も異常もなくむしろあれだけ騒いだが拍子抜けの感じでした。

 むろん、準備万端だったから何もなかったとは言えます。タクシーの運転手に1日の早2000年突入を示すシャンパンかぶりの時計
朝聞いたところでは、都内のあらゆる交通信号設置交差点には「こんなところまで」と思うようなところまで31日の午後の11時ごろから必ず一人警察官が配置されていたそうで、担当部署は相当緊張していたのでしょう。

 世界的に見ても、日本とニュージーランドでY2Kとは関係なく混雑して携帯電話がかかりにくくなっただとか(事実そうでした)、システムの大きな異常ではなくて個々のコンピューターのレベル、ソフトウエアのレベルではいろいろなトラブルが報告されている。しかしそれらは皆容易に修復が可能なタイプの事故。まあ1月第一週を経過しないと本当のところは分からないのでしょう。工場もオフィスも稼働は世界的には3日からですから。

 私は従来からずっと医療現場の問題は別にして、「Y2Kは問題ない」というのが主張で、Y2Kで世界経済がリセッションになるなどと言っていたヤルデニなどをパラノイアと思っていた人間ですが、今朝ニューヨーク・タイムズを読んでいたら彼も相当見方を変えてきたようです。

 Y2Kを経済や社会に関してあまり大きな問題としていなかったのは、所詮時間軸の問題だろうと思っていたからで、つまり問題が起こっても短い時間の経過の中で解決すると。例えば、電車が数時間止まったとしても、その後動き出せばその国の経済活動にはこれといっった問題は生じない。まあでも、 so far 何事もなくて良かったということでしょう。
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 31日は紅白歌合戦のもろ裏番組を一つやったあと、カウントダウンに参加しましたが、やはり良かったと思いました。会場によって違いがあるのでしょうが、やはりそれなりきの感慨はある。「the House of 1999」の責任者の鳥飼さんによればこのレストランには180人が集まったという。まあ、全員で20秒前からカウントダウンをしたわけです。直前に鳥飼ちゃんからマイクをもらって、ちょっとおしゃべりしたりして。ははは。Just after the midnight at the House of 1999

 終わった後は日枝神社にお参り。一部は帰って、参加したのは4人ですが、ここは他の有名な神社と違ってあまり混雑にはならないのと、近くのホテル(東急キャピトル)が31日の夜は一晩中ロビーの各店を営業していて、何でも食べられるというメリットがある。

 笑っちゃったのは、私たちのところに来たホテルの従業員に「毎年こうなの」とちょっと意地悪な質問をしたら、「私ら、もう30年も正月はやってないんです.....」と。かわいそうに。確かに、この夜中にと思える時間でも、客足が絶えなかった。直ぐ隣が日枝神社ですから、そこの参拝客が終えて入ってくる。私たちもその仲間でしたが。

 で驚いたのは、何でもある。年越しそばからおでん、樽酒、ケーキ、むろん各種のカクテルなどの酒。31日の夜中ににちょっと食事をしたいと言うときは、あそこにいけば良いということが判明しました。日枝神社を下ったところにある「じゃんがらラーメン」も超満員でしたが。都内の他のホテルで、31日に12時を過ぎて営業しているのは数少ないのだそうです。そりゃ、ホテルマンだって正月くらいはゆっくりしたいでしょう。
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 1日の午後からは諏訪に移動してきています。例年より暖かい感じがする。どんな年になるのでしょうか。とまれ、みなさまには良い正月をお過ごし下さい。