2002
01月

2002年01月の日記

日記

2002年01月31日

 やっぱし緒方さんは無理でしたね。そうでしょう。一回断って今回は、という理由はない。ご主人は日本銀行に勤められていたと思う。もうずっと前に日銀を去られて、夫人の仕事に理解を持って見守ってきた。これ以上何を....と考えられたのでしょう。

 さらに言えば、今の仕事を離れて外相になって今以上に日本や世界に貢献できるという保証もない。この週末に世論調査がいっぱい行われる。私の印象では、小泉さんは田中さんを更迭するについて一番悪いタイミング、バックグラウンドで行った。建て直しは容易ではないでしょう。良い面を持った首相でしたから、建て直しを期待したいのですが。
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 久しぶりに赤坂の浅田に行き、私の日経金融新聞のコラムの押し絵を書いてくれている萩原さんと、担当の吉田さんと食事をしました。話していておもしろかったのは、萩原さんは阿佐ヶ谷美術学校の出身だというのです。ははは、以前私が住んでいた杉並区の住所は、それこそ阿佐美からあるいて2分。

 毎年餅つきをするのです、あの学校は。子供が本当に小さいときにその餅つきをしている写真が今でも残っている。まあそのときは既に萩原さんは卒業していましたが。吉田さんは今のお住まいが中野坂上と。これも近い。

 日経金融新聞も今年の4月から活字を大きくするそうです。活字を大きくすると本当にコンテンツが詰め込めなくなる。私が書いているエッセイもかなり収容が難しいとか。去年の9月からだと思うのですが、最低半年と言っていたので3月末まで書けば、私としては義務を果たすことにある。

 まあでもあのコーナーの文章は自分でも楽しみながら書いていますから、続くのならやりたいなと思っています。サンケイが夕刊をなくすことから、新聞休刊日を巡る業界の駆け引きは激烈を極めているようです。今まで競争がなかった日本の新聞業界。やっと競争、といってもまだコップの中の争いですが始まった印象。

2002年01月30日

 大体想像はつくが、辞書で意味を確認した単語が一つあるFOMC声明。中味は予想通りでした。調べた単語は、「prevalent」。「prevailing」などから想像はつくが、知らなかった。しらべたら「優勢な、広く行き渡った」とある。

 声明に文句言っても仕方がないが、「Signs that weakness in demand is abating and economic activity is beginning to firm have become more prevalent.」は頭でっかちの変な文章ですな。新聞社のデスクだったら絶対直す。口で音を出してみると、奇天烈な文章。

 まそれはそれとして、結果は両短期金利とも据え置き、でリスクは「weakness」に向いている。一気に中立は無理だったでしょう。FOMCの判断の正当性を裏書きするように、水曜日に発表になった米第四・四半期のGDP統計は、予想に反してプラスに。ゼロ金利で車が売れたことが大きいのだが、0.2%の増加。12月の耐久財受注の増加(2%)や消費者景気信頼感指数の上昇もプラス。アメリカ経済は一端持ち上がったあとの方が問題でしょう。ガス欠の恐れあり。

Release Date: January 30, 2002

For immediate release

The Federal Open Market Committee decided today to keep its target for the federal funds rate unchanged at 1-3/4 percent.

Signs that weakness in demand is abating and economic activity is beginning to firm have become more prevalent. With the forces restraining the economy starting to diminish, and with the long-term prospects for productivity growth remaining favorable and monetary policy accommodative, the outlook for economic recovery has become more promising.

The degree of any strength in business capital and household spending, however, is still uncertain. Hence, the Committee continues to believe that, against the background of its long-run goals of price stability and sustainable economic growth and of the information currently available, the risks are weighted mainly toward conditions that may generate economic weakness in the foreseeable future.

2002年01月29日

 食事会から帰って一眠りし午前1時過ぎに目を覚ましたら、あらら「田中外相更迭」のニュースが携帯の速報に。テレビを付けたら小泉首相の記者会見をやっていた。NHKなどは特別番組仕立てで、小泉首相、田中外相、野上次官、鈴木宗男各位の記者会見を放送。

 29日の午後の段階では、「野上次官更迭論」が強くて田中外相の話はなかった。「NGOの参加を決めるときに、なんで外務次官が外相に相談しなかったのか。そんな大事なこと外務省の事務当局が外相に相談するのは当たり前だ」という塩川・財務相の発言が局所部分的には的を射ている感じだった。

 それが田中外務大臣も、という話になったのは推測するに官邸サイドの意向が働いたんでしょう。今回の件について言えば、田中外相が俄然有利になってきつつあった。こうした段階で野上次官の首だけ取れば、政権の内部で再び田中外相が首相に並ぶ存在になりかねない.....と考えたのかも知れないし、次々に問題を起こす田中外相がいずれ政権の命取りになると考えたのかも知れない。これは徐々に真相が明らかになるでしょう。

 マーケットをやっていた人間の常として、直ちに外国為替相場を見た。ここですが、30日早朝の段階では東京の夕方に比べてやや円安ですかね。まあ円高材料にはなりようもない事態ですが。更迭された田中外相は、時間の経過とともに必ず speak out するでしょうから、今回の問題が収まったとは思えない。

 まだ最終的には考えをまとめてありませんが、今回の問題に関してはこう考えます。

  1. 大西さんの率いるNGOの出席を外相・首相につながらないラインからの外部圧力によって除外したのは外務省の大きな間違い。最初拒否していたのに後で参加を認めたのも失態
  2. 省庁は基本的には国民の負託を受けた国会議員の集合である国会が選んだ政権の方針に従うべきであって、塩川財務相の指摘は至極当然である
  3. 外務省の意思決定プロセスが本来あってはならない外部の圧力を受けやすいものであったとしたならそれを直すべきであって、喧嘩両成敗で問題を鎮めるのは言ってみれば問題の先送りに過ぎない
 ということです。小泉首相が外相を更迭したのは、当面の問題以上の問題を感じ取ったからだと考えられる。今までの累積もあるし、今後の展開への読みもあったのでしょう。人気二頭立ての政権から一頭が落ちる。「政権基盤への影響はある」と小泉首相。そうでしょう。
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 NIFTYを辞めた山川さんから手紙。はは、この手紙というのがいいですな。メールではなく。今月15日にドコモ・エーオーエルの代表取締役社長兼CEOになられたそうな。「(日本市場で)大きな存在ではないが、可能性を秘めている」と。

 何をなさるのか楽しみですな。書面に書いてあるメールアドレスが、今までのNIFTYのものから「〜〜@aol.com」になっているのが新鮮ですな。

2002年01月28日

 コンピューターの入れ替えをしている間に、「お返事しなければ」と思っていたメールが見えなくなってしまったので、この場を借りてお返事します。このコーナーの読者だと言うことで、きっとお読みいただけると思うので。

 お問い合わせは、私が1月19日に両親を連れて行った「バリアフリーを第一条件に選んだ旅館」に関してでした。奥様だったと思ったのですが、お身内に体の不自由な人がいるので、よかったら教えて欲しいとのことでした。

 私たちが今回使った旅館は、下諏訪町から和田峠に入ってしばらくした左側にある「宮乃湯」という温泉旅館です。あの時にも書きましたが、

 諏訪にはたくさんの旅館があるのですが、親戚に調べてもらったら大部分の諏訪の旅館はちょっと身体が不自由になった老人用にはまだ出来ていない。バリアフリーだけではなく、例えば廊下には手すりなどが必要になりますから、景観は悪くなる。一流の旅館が景観の悪くなるバリアフリーを完備しようとしたら、大きなリスクです。お金をかかるし、健常者には余計なものに映りますから。
 という状況の中で見つかったのがこの旅館です。バリアフリーへの配慮は、それがない旅館に比べて行き届いている。廊下には全部手すりが付いているし、トイレもそれなりきに作っている。しかし、旅館全体としてとても綺麗とは言えない。もう古い旅館です。部屋もあまり良くなかった。しかし、温泉旅館なのに身障者用にベットの部屋がいくつかあって、それを利用しました。風呂はなかなか良かった。

 19日にも書きましたが、多分日本の旅行業界全体として身障者を受け入れることが出来る旅館というのは、数少ないのでしょう。そういう中では、「何とか特徴」をということでそういう設備にしたのかもしれませんが、「もう一度行くか」と聞かれれば、かなり考える旅館です。料金はリーゾナブルでした。ご検討下さい。
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 福岡空港に関して、福岡にお住まいの馬場さんから以下のメールを頂きました。tks

 福岡の馬場です。私もここのところ毎週福岡空港を利用しています。

 戦争のおかげというやつでして、戦後長い間、福岡の人は板付(いたづけ)空港と呼んでいました。今でも年輩の人は「○○時に板付に着くからね」と会話しています。

http://www.pa.qsr.mlit.go.jp/hakata/pages/airport/airport.htm

 盆正月に親類の集まりがあったときの話題に必ず板付の話が出ます。私の叔父(70すぎ)によれば、「俺達が学生勤労奉仕であの飛行場を作ったったい。学校いかんで力仕事ばっかりさせられて頭はちいともよくならんかった。あのころは、とにかくサツマイモくらいしか食うものがなくひもじい思いをしたことだけ覚えとる。板付の近くにはサツマイモが植わっとったんで、帰り道には・・・。」

 その福岡空港は、将来キャパシティーが足りなくなるので、北九州市よりの海、津屋崎町の沖に「新空港」を作る構想が議論されています。全面移転を前提とした議論なのですが、当然今よりも使い勝手が悪くなります。

http://www.confa.jp/kossi.htm

 たぶん今年の秋の市長選の争点にもなると思われます。巨費を投じてやるべき事業なのか、議論の方向を注目しています。ついでに、先週スカイマークの井手社長にお会いしました。4月から東京-鹿児島線を就航することで、今は北半分の運賃しか下がっていないのが、南半分も運賃低下が見込まれて、某マイナー航空会社は撤退させるシナリオだということです。

 九州だけが他の地域と違う格安運賃のフリーエリアのようになるわけです。3年前にスカイマークがテイクオフして、東京・福岡間の年間乗客(全社合計)は600万人から800万人に増えたのだそうです。規制を打破し、新しい需要を創出するモデルとしての実例になっています。私自身も、カウントダウン運賃(2ヶ月前予約)だと往復2万円ですから、毎月ポケットマネーで上京しています。「ゴルフに行こうか、東京に行こうか(東京からなら福岡に行こうかですが)」という選択肢があるということは、もっと知られてもよいかもしれません。

 そうだそうだ、昔は板付空港と言いました。忘れていました。この前亡くなった私の大叔母は山手線のことを「省線」(確かこう書いた。鉄道省の線路 ?)と言っていましたから、福岡のお年寄りが「板付」を今でも使うというのは分かる。

 何かサイトを見ていたら、福岡空港について「市の中心部から10分で行ける世界でも例を見ない便利な空港」という説明がありました。そうでしょうな。手狭になって....次は....という話になる。でも、あの利便性は素晴らしい。成田に比べれば羽田が便利なのと同じです。滑走路を都会の地下に造るっっっっってのは、無理ですね....σ(^^)

2002年01月27日

 この週末に気づいたことと言えば、ウォール・ストリート・ジャーナルのオンラインのページが大幅に改訂されたことですが、同社からメールも来ました。

 The Wall Street Journal Online enters an exciting chapter in its nearly six-year history today, with the introduction of the new, greatly enhanced Online Journal. The site now gives you more control of the news that matters most to you. It also provides new and more effective ways for you to take advantage of the wealth of exclusive news and information that has made us the Web's most successful subscription news site.
 と。そういえば、ウォール・ストリート・ジャーナルは例えばニューヨーク・タイムズなどがサイトを有料を無料に変えて広告重視したあとも、年間5000円くらいでしたっけ、ずっと有料サイトであり続けている新聞サイト。日本の新聞サイトの欠点は、記事が細切れと言うことですが、それもなく毎日チェックするには一番のサイトとなっている。

 URLも今までの「http://interactive.wsj.com/edition/current/summaries/front.htm」から「http://online.wsj.com/home/us」に代わった。まあ同社と契約している方は、新しいページを見ていただければ良いのですが、そうですね今までのサイトに比べて横をうまく使っている印象。

2002年01月25〜26日

 久しぶりに諏訪にも行かずに東京にいますが、寒いですな。まあ大寒が過ぎた直後ですから、寒いのは当然。寒いと鍋ということで、土曜日は第六回鍋物コンテスト。ここ3年くらい毎年やっている新宿健康作り推進センターで。

 正直、今年はあちこちに行っていて私は全く鍋作りに参加できなかった。構想の段階では。ですから、現場ではなるべく蝦の皮むきなどをしたのですが、途中で指の先を切ってしまってその後は水のからまない仕事しかできなくなった。情けない。今回の鍋を発想したのは内藤君ですが、二人のお姉さまが当然ながら完成させた。

 2000年の鍋大会で優勝してからは、あまり優勝せねばという気持ちはなくなって、今年は3位か4位。まあいいかな、という感じ。去年は最下位だったと思った。

 だいたいが作った人が自ら2票をもって投票するという内部投票システムですから、最初から複雑系の投票行動となる。つまり、どこかが非常にうまい鍋を作ったとする。そうすると、その鍋が優勝する可能性が強くなるのですが、投票者は自らも鍋を作っている人間ですから、自然と強い鍋を回避する投票行動を行いがち。

 つまり、投票といっても全員利害関係を持つ人間ですから、純粋な「おいしい鍋への投票」ではなくなる。今年も誰もが失敗で、作った本人達も失敗と思っている鍋がかなりの投票を集めた。「あそこなら入れても大丈夫」という投票行動の集積。本当にうまい鍋はどれか、ということを選べる投票パターンが良いのですが、そうはなっていない。

 まあ、そんなことはわかっているのですが、最近思うのは年のこの時期に一年に一度しか会わない人にあうことの楽しさです。これがあるから、行っている。あとは、どんな鍋が発想されるかです。

 ところで、このセンターは今年いっぱいで閉鎖されるようです。東京都のリストラの一環で。その後は何ができるのか知りませんが。二つのグループが新規参加してくれたことが嬉しいですな。名塚・平子・みずほ軍団チームと、内藤君の友達チーム。2チームとも成績はあまり良くなかった。「来年を期す」ということで、楽しみです。

2002年01月24日

 一端広島から福岡に行って、そこから福岡発仙台行きの飛行機を使って仙台に。講演を一つして、夕方に東京に戻ってきました。広島から福岡は1時間ちょっと。博多駅から福岡空港は非常に近くて10分で行きますから、楽勝のペース。本当は広島から仙台に行きたかったのですが、良い飛行機が無かった。最近一便減らされたらしい。旅程としては、変な一日。

 福岡から仙台の飛行機は空いていると思ったら、まったく当てはずれ。多分スキー客なんでしょうね。満員。若い人が多かった。仙台が近づいて下を見ていた連中が、「雪だ....雪だ....」と騒いでいました。蔵王当たりで九州からスキーを楽しみに行くのでしょう。ええですな。

 仙台の空港は初めて使いました。仙台に東京から行くので空港を使うことはない。なにせ1時間38分にまで時間が短縮されましたから。仙台の空港は、市の中心部から45分ほど離れている。これでは、空の便を使う価値がない。

 日本のいろいろな都市に飛行機で行きましたが、とにかく福岡が最高です。なにせ、博多駅から地下鉄で2駅で福岡空港がある。これは素晴らしい。どうしてこんなことが出来たのか調べたい気持ちです。広島でも、大分でも、仙台でも札幌でも、大体空港は市の中心部から30分以上離れている。博多だけは違うのです。

2002年01月23日

 広島に移動してきています。毎年念頭ということで、この時期に講演会が組まれているケースが多い。来月は松山に行きます。おかしな事が二つ。東京は暖かくて快晴だったのに、岡山から急に雲行きが怪しくなって雪が降り始め、広島に降り立っても雪が止まず。しかも寒かった。どちらが南の国なのかわからない。

 もう一つ。東京ではとっくに売り切れてもう店頭にないソニーのVAIO SRX7(多分こういう名前)がこちらの店頭にはまだ在庫ありで売られていた。3週間ほど前に、「メーカー製造中止」と札が出ていた奴です。聞いたら、「うちは結構入れましたから」という解説。広島のデオデオという店です。

 今ラップトップに使っている SR9/K が非常に調子が悪い。多分OSのどこかに欠陥がある。その欠陥が広がっているように思うのです。全体の調子から言って。ソフトを入れすぎたせいもあるのですが、起動も遅い。本当はハードディスクを入れ替えて、メモリーを増設して最初からプロダクト・リカバリーに掛けたい。

 その間のつなぎの機種を探していたのですが、なかなかいいのが出ないんですな。それで、もうなくなりかけたころから仕方がないのでX7を探していた。メモリー・スティックにカードスロットを取られるのがいやなので、それでどうしてもソニーのマシンになってしまう。

 それにしても今は欲しい機種がない。メーカーは売れないとか言っているが、欲しい機種がでないのだから、買わない。X7にしてもOSはホームエディション。しかし、今使っている機種が調子悪くなったら仕方がない。

 で、X7を再度探し始めたのですが、東京にはなかった。広島にあるとは思いませんでした。広島出張の最大の収穫でした。藤井さんとか、何人かの知り合いに会えたのも無論良かったのですが。

2002年01月22日

 京王プラザに勤めている先輩と久しぶりに食事をしましたが、なかなかチャレンジングな時代のようです。このホテルは、出来たときは衝撃的でした。私も覚えている。東洋一の最初の高層ホテル。それまでは高層ホテルというのは、コスト高でワークしないというのが業界の常識だったそうです。

 例えば、キッチンを考えてみても一、二階にレストランを集めれば、そうするかどうかは別にして、一カ所に集中することも可能。しかし、高層階にレストランを設けると、上の階にキッチンを別に設けて、そこに資材の運び込みをしなければならない。

 ですから、それまではホテルというのはせいぜい10数階で、上の階はバー程度というのが多かったそうです。しかし、京プラはそれを変えた。それ以降、高層ホテルというのはあちこちに作られた。高層になればなるほど、上の階にレストランを作らないと構造上おかしくなる。今の京王プラザには、キッチンが22もあるそうです。

 しかし高層にしたが故に問題もあったようです。一番の問題は携帯電話。昨年の半ば過ぎまで19階以上44階では、満足に携帯電話は使えなかった、というのです。つまり、電波が届かない。それは聞いたことがある。例え繋がっても直ぐ切れる。

 これに同ホテルが危機感を持ったのは、「政治家の会合」が相次いでキャンセルされて別のホテルに流れたからだという。政治家ですから、緊急の電話がかかってくる。しかし、高層階で宴会やパーティーをしていると携帯電話が通じない。「携帯が通じないホテルはダメ」ということで、パーティーが外に流れた。

 どうしたかというと、電話会社とかけ合って特別にアンテナを付けて高層階でも携帯電話が使えるようにした。電話会社がサービスとしてやったのではなく、ホテルが経費を支払ったそうです。今は「携帯電話=命」のような人が多いから、確かに電話が通じないビル、店などは、緊急要件がある時には回避したくなる。ホテルは必要でしょう。若い女性は、携帯電話が使えないとなると、ほとんどパニックの人が多い。

 新宿はホテルの激戦区です。加えてあと2〜3年で東京ではホテルが部屋にして5000も増える。六本木のグランド・ハイアットなど。パーティーや宴会自粛のような今の時代には、特徴が必要。温泉付きのマンションが売れるようなものです。京王プラザはハイテクでは進んでいるようです。オークラにしろオータニにしろ、館内LANを使うには1500円とか2000円を一泊当たり取る。しかし、それがタダだというのです。

 まあ私に言わせれば、当然でしょう。今館内LANで料金を取っているようなホテルは、5000室も増えるような競争激化の、そしてネットが当たり前の環境になる状況下では「当然のサービス」が出来ないダメホテルの烙印を押されることになる。多分まだホテルでLAN接続を望む客は少ないのでしょう。しかし、ネットに慣れた客が増えるに従って、LAN接続を当然の無料のサービスとして求める客は増える。有料なホテルは今から下げておく必要があると思いますが.....。

2002年01月20〜21日

 ほう、週明けのウォール・ストリート・ジャーナル紙は、ワシントン・ポストの記事(解説)より更に具体的ですね。

 Federal Reserve officials started the new year describing the economy as showing tentative signs of hitting bottom, but still facing numerous risks. Last week, in public and private they indicated the markets may have read too much pessimism into those remarks. In shifting their tone, the officials appeared to signal that they are leaning toward not cutting rates at the end of the month, but also may not raise them for at least several months.

 A decision to stand pat is by no means certain, but it would mark the end to one of the most aggressive rate-cutting campaigns in the Fed's recent history.

 月末の利下げはないかもしれませんな。これだけ言うのなら。一番具体的で面白いのは「appeared to signal that they are leaning toward not cutting rates at the end of the month, but also may not raise them for at least several months」という部分です。アメリカの金利が数ヶ月間「保合」の期間に入る。ポイントは長期金利でしょう。上がり続けるとFRBのシナリオが崩れる。

 あと、やはりFRBの連中が気にしているのは、最近の株の下げでしょう。3連休の間に主要な新聞に語りかけて、アメリカ経済の先行きに対するパーセプションを悲観的なものから実体にあったものに変えようとしているとも考えられる。

2002年01月19日

 今年2回目になるのですが、諏訪に来ています。両親を連れて、下諏訪から和田峠に入ってしばらくの温泉宿。ちっちゃな温泉宿で、こういう旅館は久しぶりですな。バリアフリーを第一条件に選んだら、ここにぶち当たった。

 諏訪にはたくさんの旅館があるのですが、親戚に調べてもらったら大部分の諏訪の旅館はちょっと身体が不自由になった老人用にはまだ出来ていない。バリアフリーだけではなく、例えば廊下には手すりなどが必要になりますから、景観は悪くなる。一流の旅館が景観の悪くなるバリアフリーを完備しようとしたら、大きなリスクです。お金をかかるし、健常者には余計なものに映りますから。

 こういう形で、いろいろな宿を試そうと思っているのです。どのくらいの施設が必要か。両親も目先が変わっていいでしょう。もともと温泉宿ですから、温泉は良い。信玄の隠し湯だとか、何とか様が休んだところだとか、いろいろ解説がある。しかし、温泉は入ってみればその良さが直ぐに分かる。

 失敗がありました。夕方に入った湯に、朝起きてまた入ったのですな。いい気持ちで。上がろうと思ったら女性が入ってきた。「あれ...」ってなもんですな。思い出しました。温泉にはよくあるのですが、前日の男湯を女湯に、女湯を男湯にするのです。ですから、前日入ったところは女湯になっている。

 大きく暖簾を入れ替えてある温泉もあれば、小さく札を入れ替えただけのケースもある。入ってきた女性には「すみません....」で許してもらいました。まあ、湯気でお互いによく分かりませんでしたから、良かった(^-^)ニコ。

2002年01月18日

 ははは、この三兄弟、今朝食べました。スタンバイの女子部の方々から頂いて。普通のシューと違って、要するに皮が厚いのです。串として形が保てるように。

 彼女らの説明によると、「流行の兆し....」と。朝日の記事もそうなっている。そうでんな。かなりボリュームがある。一つ食べると、相当おなかがふくれる。発想の原点は「焼き鳥」だと。面白いものが出来る。私が食べたのは「雪だるま型」でした。

2002年01月17日

 世界のコンピューター産業を牽引してきたマイクロソフトが、同社とコンピューター業界にとっての第一優先課題を「trustworthy computing」に置くことを決めたようである。ビル・ゲーツの社員向けのメールの中に記されているという。これまでは新機能付加がマイクロソフトの最優先課題だった。

 きっかけとなったのは二つ。一つは同社が鳴り物入りで売り出した新OS=XPにおける欠陥、セキュリティー・ホール問題。この穴を突かれると、PCがハッカーの手に握られてしまう。もう一つは、9月11日のテロ。航空機(または空のシステム)もコンピューター・ネットワークも同じようにインフラストラクチャーだという考え方に立って、「コンピューターの世界でナイン・イレブンが起きないように.....」ということらしい。

 ビル・ゲーツはメールの中でこう言っているという。

Mr. Gates went further, saying that "when we face a choice between adding features and resolving security issues [in products], we need to choose security. Our products should emphasize security right out of the box."

 Mr. Gates also referred to the Sept. 11 terrorist attacks as another impetus to stress security. He noted that events from last year, from the terror attacks to the virus outbreaks, "reminded every one of us how important it is to ensure the integrity and security of our critical infrastructure, whether it's the airlines or computer systems."

 歓迎すべき事ですな。もう機能としてはかなりコンピューターも揃ってきた。成熟産業の域に達しつつある。コンピューターにやってほしいことはまだいろいろあるが、それは「安全である」という前提の下での付加である。

 問題なのは、「trustworthy computing」にしたときの儲け方の問題だろう。安全の売り方によって儲けられるかどうか。マイクロソフトの場合は、自分の作った製品の不具合から生ずる安全問題での修復でお金を得ることは出来ない。

 ウィルスの増殖のスピードから言っても、コンピューターにとっての第一課題が「security」になるのは十分理解できる。世界の航空機産業が伸びたのは、事故率で言って車よりも安全であるからで、コンピューターでもそれは言えると思う。お金や貴重な情報を移動させるシステムとしては、今のネットワークはあまりにも問題が多い。

2002年01月13〜16日

 新年会やら、締め切りの原稿に迫られてちょっとご無沙汰しました。毎月書いている数本のエッセイ風の文章はいいのですが、ブッシュ政権の経済政策に関する大きな本の一部がなかなか進まない。

 いろいろな大学の先生達と一緒に書く本の一節を書くのですが、分量は少なくても調べなければならないことが多い。ネットでちょっと調べてみたら、「レーガノミックス」についてはサイトが山ほどある。クリントノミックスもある。しかし、親子2代のブッシュを経済政策の単語にして「ブッシュノミックス」はほとんどない。

 これがブッシュの経済政策の発想の貧困を物語っているのかどうかについては、今調べているのですが、どうもそういう面がありそうだ。だとしたら、そうしたブッシュの経済政策についてまとまった文章を書くのはなかなか大変ということになる。
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 17日の朝読んだ新聞の記事では、「ニュースは見たい時に見る」(日経産業)が最近気が付いていなかったので面白かった。この記事に書いてあるとおり、映像、音楽は著作権があって、ネットでの配信はなかなか難しい。

 しかし放送局にとっては、自局で作成したコンテンツはいかようにも処理できる面がある。そのコンテンツを使わない手はない、ということだろう。テレビのニュースがかったるいのは、一定時間を見ていなければならない、ということ。そういう意味では、一覧性のあるサイトや紙の方が便利なのだが、まあ種類の違うメディアという面はある。

 今一番効率的と思っているのは、ラジオをかけながらネットを使うという奴ですが、テレビ番組が on demand になるのは時代の趨勢で、当然でしょう。局サイドとしてはそれをいかにして収益源にするかということで、ネットの場合はいかにして「収益源」にしていくかが依然として大きな課題と言うことでしょう。

2002年01月11〜12日

 土曜日にテロから数ヶ月がたったニューヨークの模様を、家族を失った人を中心に置いて報道していたテレビ東京の番組を見ていて、一冊の本を思い出しました。NEW YORK SEPTEMBER 11という写真集。

 正直言って、事故の時の写真はもう見飽きた。何がよいかって、まだツインのタワーが慄然と建っていたときの写真です。考えてみれば色気のないビルです。しかし、住んでいたときに何回も通ったビルだけに、懐かしい。

 ニューヨークの人たちもそうなのではないでしょうか。グラウンド・ゼロは既にかなり綺麗になったようです。何が建つんでしょうかね。新しい建物が出来たら、また行って見てみたい。

2002年01月10日

 成層圏紳士を読んでいる。ひょんなことから、友達の友達という形で最近知り合いになって、二三度食事をしたが、この本は大体自分と同世代の人間が何を考えて生きてきたか、自分との比較対照で興味深く振り返ることが出来る。

 ものすごく分厚い本ですが、一節一節は非常に短いし、文書もうまいので楽に読み進める。松本さんについては知らないと言うことはなかったが、特に知識があったわけではない。この本を読むと、共感とそうだっただろうかという感情が交差する。時々ハッとするような意見、心象風景にぶち当たるのが楽しい。

 彼は日経の夕刊に定期的にエッセイを書いているのだが(もうすぐ終わるらしい)、そこに登場したら、何人かの人から「あの伊藤さんは.....」と。ハイそうです。彼のエッセイがあんなに読まれているとは知らなかった。

 ホームページも立ち上げた。ホームページのタイトルもそうだが、彼のキーワードは「風」である。「風街」「風待ち」などなど。「成層圏紳士」はなかなか面白い。ちょっと経済の本に疲れた人、今までの20年をちょっと振り返りたい人には推薦です。

2002年01月09日

 懐かしい人に会いました。向こうもそう思っているのでしょうが。ソニー・ピクチャーズエンタテインメントの町田さん。1970年代にニューヨークのアパートで隣同士だったことが付き合いの始まりで、その後頻繁に会っているわけではないが、なぜか要所要所で縁があるのです。

 この会社は、聖路加タワーにある。初めて行きましたが、東京駅から近いのですな。会社は30何階かにあって、入るとそれらしい雰囲気でちょっとあっとうされる。つまり、そのまま映画の世界です。雰囲気が違うのですな、普通の会社と。いろいろな色の髪の毛の方々が。いいですね。

 販売だけだと思ったら、製作部門もあってなかなか幅広く仕事をしているようです。ははは、魅力的なことは新しいの古いの会わせていろいろ映画があること。DVDでチャーリーズ・エンジェルズをもらいましが、これは昔ニューヨークで見て懐かしかっただけで、たいした映画ではない。

 しかしその中に出ていた「Drew Barrymore」はなかなか魅力的な女性でした。
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 10日の朝の新聞では、日経産業新聞が面白い。特に最後のページの安藤忠雄さんの話と、22面の「男の色気」がなかなか読ませる。安藤さんというのは名前は知っていましたが、そういう人だったのですか。イントロの部分の東大生の話が笑える。
明けましておめでとうございます

2002年01月06〜08日

 時間を見つけて年末・年始に行ってなかった諏訪に行っていましたが、やはりベルリンより暖かい。全然違うのは日照時間ですね。ベルリンははっきり覚えていないが、午前9時近くにならないと明るくならない。夕方は午後3時半過ぎには暗くなる。

 午後1時の太陽の位置も驚くほど低い。それに比べれば、日本などは北海道を含めて南の国ということでしょう。朝が遅く、早く夕方になるあの国では、音楽とかオペラとかを鑑賞でもしていなければ、夜の時間が潰せない。今回のベルリンについては、時間が出来たらまた一本にまとめる予定です。
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 土曜日に番組をした富山テレビの松島さんからメール。「視聴者からのメールやFAXも比較的固く、地味な番組にしては予想以上寄せられ喜んでいます」『また、社内からは「伊藤さんの司会進行は、局のアナウンサーには出せない独創的でソフトな感じがして 大変良かった」と言う意見が体勢を占め、推薦した私も胸を張ることが出来喜んでいます.....』と。

 ほんまでっしゃろか。3時間もの番組を受け持ったのは初めてでしたが、まあまあのようで良かった。しかし、私としてはかなりきつい意見も交えてしゃべりを入れたつもりで、「ソフト」というのは予想外でした。自分としては「ああすれば」「こうすれば」というのがいっぱい残った番組だった。まあ、勉強ですわ。

2002年01月05日

 やはり3時間生番組のコーディネーターというのは大変でした。CMの本数をこなすために、指示まで出さねばならない。最後にはケツカッチンはある。出演者にはなるべくですが、偏りがないように話してもらわねばならない。バランスを考えすぎたのかもしれないが、いろいろな重石があるのです。

 パネリストとして出て頂いたのは

 蝋山昌一さん
 宮口としみちさん
 ロバートソン黎子さん
 沢樹 舞さん
 寺島圭吾さん

 番組そのものはまずまずの流れだったと思います。会場にいた出演者には全員に発言してもらいました。問題だったのは、「富山県に元気を」という題材なのですが、元気がないのは特殊富山県的な問題ではない。日本全体です。その中で富山県の問題を抽出するということ。多くの人が教育県について、その中味が問題と言われていたのが印象的でしたね。

 二番目は、私など富山県に実質初めて行くような人間がコーディネーターで出て、「ほっといてくれ」という意見が出はしないか、ということ。実はこの二番目の問題についてはなるべく早く出て、ではなんでこんな番組をやっているのか、元気になる必要はあるのか、現状ではいけないのか、富山県とは、富山県人とは何かといった問題意識が浮き彫りになることが良いと思ってもいました。番組は乱れた方が面白い。

 しかし、私の感覚では少し物足りない印象で終わった。JCとかフリークポケットの人がもっと「富山県は元気がない」といった意見に反発してくると思ったのにそれがなかったからでもありますが、それは私の司会術の不足かもしれない。

 実はそういう意見は出たのですが、前半に少し時間を使いすぎてCMを入れなければいけなくなって、尻切れトンボに終わってしまった。あの議論はもっと深めておけば良かったと思う。宮口先生も何か言いたそうだったし、あとでそうおっしゃってました。

 まあいろいろ反省はあります。出演者の方々にはお疲れさまでした。蝋山先生は宮口さんより学者らしい人で、ロバートソン黎子さんは私の大学の先輩。ブロキャスで見ていたとおりの人でした。

 沢樹さんは魚津市出身のモデルだった人で、175センチ。寺島さんからは、このお酒を頂きました。私の隣にいた松岡さんは最初ちょっと緊張してましたかね。最後にふったのは狙いどうりだったのですが.......

2002年01月04日

 雪のベルリンから雪のない東京に来て、また大雪の富山に来ています。5日に富山テレビが「元気!! とやま2002」という番組を3時間に渡って放送するのですが、その関係で。

 はっきり言って、富山に来たのは2回目です。金沢行きの飛行機を羽田でミスして、富山に来て車で金沢に回った時以来。観察していましたが、雪は確かに降ってはいる。しかし、聞いていたほど雪が富山の人々の障害になっている様子はない。

 空港の周辺の道は、ずっと水を出して道路が凍結しないようにしている。富山テレビの松島さんが言ってました。「雪が降ると東京の局から”大変でしょう”。関連の映像をくれませんか....」と。向こうが大変そうな....というのだから、わざと雪が積もっている小路など滑りやすい所に映像を撮りに行って、それを送っていた。これまでは。

 しかし「やめた」と。そんな映像を送れば送るほど、「雪国=富山=冬は生活大変」という実態とかけ離れた印象が日本全国に広まる。確かに雪国だが、対処が進んでいて雪でそれほど日常生活が乱れているわけではない。「自分で自分のクビの絞めるのは止めようと思った」と。

 そりゃそうだ。私もずっと思っていた。テレビの映像には「定番」というものがある。例えば、「ニューヨーク=危険」「年末=アメ横」「天気の良い連休の昼のテレビニュース=まず”好天に恵まれ....”」となる。決まり切った映像と説明。かなりの部分が日本のテレビはそれで出来上がっている。

 世界でもそれは言える。必ず出てくるのは「日本=物価高」。現地の日本の特派員が「日本でも価格破壊」という映像を送っても、最近の日本を知らない向こうのデスクは「いやそんなことはないはずだ。日本はまだ物価高だろう...」という映像を要求する。だから、一回つきまとったイメージはなかなか剥がれない。

 まあ私にとって今回は富山に対する従来のイメージを剥がす良い機会になるかもしれない。長丁場なんですわ。3時間。

2002年01月02〜03日

 3日の午前中には成田に着いているはずが、帰着は同日の午後4時前と7時間近く遅れました。ベルリンからフランクフルトへの飛行機が2時間以上も遅れ、予定していたルフトハンザ(成田行き)に乗れなかったので、フランクフルトで7時間近くも待ってANAに乗り換えたため。こんなことは初めてで、二つほどある4日の予定に間に合うかと思いましたが、3日中に帰ってこれて良かった。
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 短い移動でしたが、最近の欧州の様子は少し分かった。何せ欧州は広いので、欧州の中心であるベルリンといえども全体の空気を反映しているとは限らない。しかし、10年前との比較(特にシュベリーンの)は十分に出来たし、現状に関する理解も、日本にいるよりはかなり進んだと思うので、良かったのでは。

 BBCにしろCNBCにしろ、次々に欧州各地からの記者のレポートを放送していたが、それらを見ていると、ユーロを巡る欧州の他の地域の雰囲気もかなり分かる。これを自分がベルリンにいて実際に動いて実感できたことと摺り合わせればいいわけです。

 欧州はユーロの登場を全体的には「静かに歓迎」した、と言える。周りが大騒ぎするので「そんな大変なことをしているのか」とびっくりしながら、そして実際に見知らぬ通貨の扱いにとまどいながら、しかし今までとは違う欧州を楽しむ雰囲気になっているということです。

 通貨が同一になったと行っても、欧州は依然として人種、文化、税制、雇用環境等々いろいろな意味で多様です。通貨が同一になっただけで、欧州が全ての違いを乗り越えられるとはとても思えない。だから、ユーロの登場で直ちに同通貨が対ドル、対円で強くなるとは限らないでしょう。イニシャル・リアクションは別にして。

 投資に関わるお金が動くのは、税制、雇用環境の方が要素としては大きい。成長率格差も大きい。よって、今後ともお金は欧州よりアメリカに対して動くと見ることも可能です。しかしそれとは別に、欧州は一つの夢を共有しているように見える。そこが重要なのです。日本やアジアにはそれがない。少なくとも今欧州の連中は、世界の他の地域の人々が出来なかったことが出来たことで、自らを誇りに思っているように思う。

 不要になったビザ・パスポート、欧州何処に行っても使える携帯電話、それに加えての共通通貨で、欧州は政治統合は長い道のりだとしても、その方向に一歩接近した。そこに欧州の人々の夢があると思う。今の欧州での合い言葉は、「We are Europeans.」です。
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 それは喜ばしいことだと思いながら、しかし訪れる身からすると残念な気もする。11年前のシュベリーンはとてもドイツとは思えない異様な街でした。しかし今度行ったらまるでケベックのように西側的街になっていた。ある意味では、多様性が失われて寂しい。

 その昔、「壁は墜ちたが心に残った壁」として「a wall in the head」と言われたものが今はどうなっているかは分かりませんでした。多分これはまだ残っている。もっと時間があればドイツの人たちと話したかった気がする。例えばシュベリーンの人たちと。まあ、話したくない経験もしているのでしょう。

2002年01月01日

 年が改まってからホテルのフロントに問い合わせても「ユーロ紙幣がまだ入手できない。朝7時頃」とか言うので、頭に来てタクシーを拾ってホテルに一番近いシティバンクの支店に行きました。早く欲しかったということもありますが、キャッシュ・ディスペンサーを通して東京の自分の口座から新ユーロ紙幣が引き出されるのを実感したかったということもあります。「あの銀行なら対処は早いだろう...」と思ったからで、実際にその通りでした。

 日本のシティバンクのカードを入れると、日本語を中心に案内言語を選べる。最初日本語の案内を見たら引き出し通貨の所にユーロがない。マルクともう一つわけの分からない通貨があった。もしかしたらあれがユーロで、表示がうまくいっていなかっただけかもしれない。しかし変な通貨が出てきても困るので、「英語表記の対処はうまく行っているかも」と英語の案内に行ったら、最初が「Mark」でその次に「Euro」があって、そこを進むと100ユーロから500ユーロまでの引き出しを選べた。

 500ユーロを引き出すと、50ユーロ紙幣と20ユーロ紙幣で500ユーロ分が出てきた。実は、全種類の紙幣を揃えたいと思ったのですが、他の金額をやってみても50マルク紙幣と20マルク紙幣の組み合わせでしか出てこない。まあそうでしょうね。一つのキャッシュ・ディスペンサーの中にありとあらゆる種類の紙幣を入れるわけにはいかない。まだマルク紙幣も吐き出すようにも出来ていますから。

 で、一つ実験をしました。出てきたばかりのユーロ紙幣でタクシー代金を支払おうとしたのです。そしたらドイツ人の運転手が初めてだったのでしょう20ユーロ紙幣をまじまじと見た後、「うーーー」とか言って、突然ドアを開けてトランクを開けに行った。「おかしいな、何も預けてないのに....」と思ったら、トランクから持ち出したのは電卓で、計算を始めたのです。そりゃまあそうだ。タクシーのメーターは依然としてマルク建てですから、計算が必要。

 ものすごく時間がかかりそうだったので、「じゃ、そのユーロ返して....」と言って、マルク紙幣を出したらものすごく安心したように、おつりをよこした。まあそうですね。慣れるまでは大変だし、タクシーのメーターなどが全部ユーロ建てに変わらないと、経済活動には若干の混乱が起きそうで、慣れるための時間が必要でしょう。

 マルクとユーロは比較的楽ではないかと思う。マルク建てを半分にすると大体ユーロ建てになる。1ユーロ=1.95マルク強ですから。しかしシティバンクは切り替えを敏速にした方です。ベルギーだかのある大手銀行は、複数種類の紙幣を同一のキャッシュ・ディスペンサーには入れられない、ということで1月1日はユーロ紙幣を顧客に提供できないらしい。こう言うときに銀行の力が出る。

 1日、2日と二日かけて全種類のユーロ紙幣をゲットする予定です。
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 31日は、杉岡さんの車に乗せてもらって朝から11年ぶりのシュベリーンに行きました。行き帰りで500キロ以上あった。しかし全く変わっていました。長くなるので別の機会にしますが、「これはお金が掛かっただろう」という変わり様。なにしろ朽ち果てそうだったお城は立派にリノベートされている最中で、街並みはまるでケベックのようになっていた。

 ライプチッヒからの観光客の団体の一員として来ていたドイツ人のオジさんと何度か言葉を交わしました(お互いの下手な英語で)が、シュベリーンは城もあり観光地への脱皮を図っているように見える。団体客が多かった。湖には観光船も浮かんでいた。ケベックにも城のようなホテルがある。小林君、シュベリーンは変わりましたぞ。

 ブランデンブルク門の新年は凄まじいの一言です。ひっきりなしに花火が上がり、爆竹が爆発し、ビールやシャンペンを片手に肩を組み合って。一言で言えば「騒ぐ」新年。午後10時過ぎにホテル(門に近い)の中にいても聞こえるほど騒ぎが激しくなり、私が一眠りして起きた午前5時過ぎまで続いていた。長期戦の新年で、ニューヨークのタイムズ・スクエアのそれの方があっさりしていたと思う。

 門には食事をした後、杉岡さんと彼のモスクワからの友達であるオルガさんと3人で行ったのですが、当然予想されたように途中ではぐれたりして。ビデオを撮っていたのですが、何人も何人もドイツ人が突然カメラの前に顔を突き出す。「俺(私)を撮れ....」というわけです。あとでビデオを回したら、とんでもないものになっていそう。ビデオを撮り続けるのもバカらしいので、午前零時を過ぎたところで止めました。

 A Happy New Year To You All !!