2002
09月

2002年09月の日記

日記

2002年09月30日

 (12:35)「優衣庫」に関しては、上海の長谷川さんから早速メールを頂きました。彼とは、「消費市場としての中国」の先行きに関して上海のホテル近くのレストランで暫く議論した。矢野君も一緒だったな。私は期待大という意見であるのに対して、彼は期待薄という見方。

 一つの問題に関して意見が対立するのは、楽しいことです。彼の「期待薄」の根拠の一つは、「日本にはそれほどブランドに値するものがあるのか」という意見。しかし小生は、ソニーにしろトヨタにしろ、またいろいろなものに対する中国人のハーリー族的な嗜好は強いのでは、という意見でした。

 ただし私も、ユニクロが上海で成功するかどうかに関しては、自信はない。おそらく難しいでしょう。直感ですが。日本で勢いが良かったときの方が、はるかに可能性は高かった、と思う。香港では、サントリーがビール市場を支配するなど、日本企業の活躍は目立つものになっている。

 伊藤さん、長谷川/上海です。先週はご馳走になり有り難うございました。

 さて、掲題の件、無理矢理カタカナ表記すると「ヨウイークー」です。 ユニクロという音と意味を組み合わせておりなかなか良い中 国語名だと思います。地元の新聞にも派手に広告出ていました。

 既に安くてそれなりに市民に浸透している香港系カジュアル衣料 チェーンが中国に複数ブランドありますので、安いだけでは客はつ かない。日本ではびっくりするぐらい安いというイメージの強い価格 も中国では全く驚きに値しない(えっ、こんなに高い値段で売るの? という驚きはありましたが・・)ので、ブランド名と品質が何処まで通 用するかがポイントとなると思います。Made in Japanの最終商品がどこまで中国市場に食い込めるかという点で注目しています。

2002年09月30日

 (10:55)日本の不良債権を巡る政策の混乱は、「言った言わない」で週末日本でも大騒動でしたが、いよいよ世界的に物笑いの種になりつつある。ウォール・ストリート・ジャーナルに使われている単語を見てそう思いました。  

 With the global economy in tenuous shape, the G-7 nations desperately want to provide a boost. Instead, Japan's economic team left a trail of befuddlement through the meeting. Underlining the chaos among Tokyo policymakers, Mr. Shiokawa and his aides made contradictory statements on the pivotal issue of whether the government is prepared to bail out banks with public funds.
 30日の午前に見た記事の一部ですが、見出しが「Japan Economic Team Sows Confusion at G-7 Gathering」(日本の経済チームが、G7で混乱の種を蒔いた)のあとの文章が、この「befuddlement」入りの文章です。ブックシェルフで調べたら、このままの単語ではない。「befuddle」でやっとあって、「<人を>人を〉泥酔させる、(甘言・能弁で)まごつかせる、惑わせる」と。目を覆いたくなるような単語です。
 The confusion surprised other G-7 and international finance officials, though they long have been accustomed to the unpredictable nature of Japan's policy making and its inability to lift itself out of a slump that has lasted more than a decade.

"Clearly, the world economy would be better if Japan had a healthy economy," said a senior G-7 official. But "at some point you have to say it's something you have to work around."

 その下にはこう続いていて、混乱ぶりには他のG7当局者も驚いたと。「have been accustomed to the unpredictable nature of Japan's policy making and its inability to lift itself out of a slump」という表現も、世界第二位の経済大国の当局者に投げられてしかるべき言葉ではない。

 混乱が塩川さんという人の資質から出てきたものか、それとも日本の政策決定過程の司令塔不在から来たものか知りません。しかしそれにしても、日本の政策決定の不能は、世界的な問題になりつつある。(11:06)

2002年09月30日

 (09:50)上海の地下鉄に乗って宣伝を見ていたら、見慣れた「ユニクロ」の赤い文字。「ああ、もうすぐ開店だ...」と思ったのですが、今日朝日のネットを見たら、

 カジュアル衣料のユニクロが30日、上海市内に2店舗を開く。中国製で急成長したユニクロだが、現地出店は初めてで、英国に続く海外進出。運営するファーストリテイリングの柳井正社長は29日の記者会見で「今後10年で世界の主要市場に進出したい」と語った。

 中国での店名は「優衣庫」。同時オープンの2店は上海市中心部の目ぬき通り沿いで、売り場は約1000平方メートル。目玉のフリースは開店記念価格の69元(約1000円)だが、通常は日本とほぼ同じ129元(約1900円)で販売される。

 中国の流行先端地として欧米のブランド店が並ぶ上海で受け入れられるかどうか、中国での成否はユニクロの経営戦略を左右しそうだ。 (09:27)

 と。「優衣庫」とはなかなか良い文字ですね。中国語の発音は分からないのですが、「れた料の倉」ということでしょうか。中国の、上海の人たちにそう思ってもらえるかどうか。

 ちょっと心配なのは、「東京では、または日本ではもうユニクロは売り上げが落ちている」という情報は、今の時代もう伝わっているのだろうな、ということです。情報は世界を駆けめぐる。日本で人気のブランドにしても、海外でも高い評価だということがまた日本での売り上げ増に繋がっている。日本での評価が落ちてきたユニクロが、製造元の中国でどう評価されるかは、同社の先行きを占う上で重要でしょう。(09:55)

2002年09月28日

 (12:55)上海のホテルのIT担当に教えて貰ったことです。そして改めて思ったのは、「自分はPCの能力の一部しか知らないし、従って一部しか使ってないな....」と。そして、上海のホテルのIT担当は、日本のホテルのIT担当より進んでいるのかもしれない、と。

 何かというと、これまではいつもは海外では電話ラインを使ってグリック接続していた。日本のプロバイダーの提携先(海外現地のプロバイダー)にローカル電話して、そこからネットに入り込む方式。今回の上海の出張でも、上海のグリック先をチェックして行った。頭の片隅で、「そろそろLANカードも使えるかもしれないな....その場合は借りるかな...でももって行こうかな...」と。

 上海に着いてホテルに入ったら、机の上にADSLか光のネットワーク端子が出ている。「へえ、これが使えるんだ。これなら便利」と。電話より何十倍と早いことは分かっているからです。で、何を考えたかというと、「しまった。東京で頭をかすめたのにカードを持ってこなかった」と。LANカードの事です。3Com の10/100LAN cardbus。実は既に書いたように、東京の家を出るときもって行こうと思っていた。それを忘れたので、直ぐそれが思い出されたのです。

 そこで考えたのが、「カードは借りよう」ということです。日本のホテルでは大体がLANカードは貸してくれる。署名すれば。上海のホテルでも借りられました。これで大丈夫...と部屋に帰ってきて装着しようとしたら、出来ない。LANカードにいろいろなタイプがあるとは思わなかった。で、ホテルのITセクションに電話したら、「とにかく行くから」と。

 若いお兄さんが来た。私のVAIOのカードスロットを見て、「このタイプはここにはない」とおっしゃる。しかし、その後が素早かった。「しかし、カードは内蔵では....」と小声で言う。私もネットワーク端子口らしきものは知っていた(VAIOのSRX7では左の奥)ので、「これの事か」と言ったら、そうだと。彼はとっとと私のPCに取り付き、マイコンピューターのプロパティを開いてハードウエア→デバイスマネージャーと進み、インテルのpro/100 ve デスクトップ・アダプターを「有効」にして、コンピューターを立ち上げた。

 それだけで、カードなしでPCのネットワーク接続の完了です。そりゃそうだ、もともとカードは内蔵されていたのだから、そうなる。実は、持っていったPCをネットワークにつなぐには今まで東京でもカードを使っていた。一つしかないカードスロットをこれに使っていたのです。なんという勿体ない。

 そこで思ったのはこういうことです。「俺も知識がないから上海まで来てやっと教えて貰った。しかし、日本ではどうだったかな...」と。実は、日本ではホテルによっては貸しLANカードのカードでお金を取ろうとするところもある。無料で署名だけで貸してくれるところでも、こちらのPCをよく見て、そのお客にはLANカードが必要かどうか、内蔵かどうかの判断を示してくれたところはない。つまり、上海のホテルのIT担当は、日本の一流ホテルのIT担当者より遙かに知識が豊富だったということです。LANカードの内蔵を一発で見抜いたという点において。

 上海のホテルは水はダメだし、まだ悪いところが一杯ある。石鹸もよくなかった。全部を見たわけではないので知らないが。しかし、IT関係はメチャ進んでいる感じがする。スタバの前でインタビューに答えてくれたインド人の技術者も、「このところ進歩が凄い」と。

 PCなどの量販店に行って一番助かるのは店員に商品知識が豊富なことですが、恐らく世界のホテル利用者にとってもホテルマンに幅広い知識があればあるほど、そのホテルは魅力的になる。この広い分野の知識がないとダメ。

 電話線に、従って電話番号に依存しないネットワーク接続が世界中で出来ることは、出張先、旅先でのネットワーク利用が非常に簡単になる、と言うことです。私のような世界のどこに行ってもネットワークを必要とする人間には、非常に便利です。

 おそらくあと数年で、「電話番号依存のネットワーク」、「接続アイコンの設定」などというものは、過去の遺物になるのではないか、と思いました。PCを立ち上げただけでネットワーク接続が出来ていて、それが自宅であろうと、友人の家であろうと、そしてホテルであろうと常に接続している、ということになるのではないか。ほんま、あちこち行くと勉強になる。(13:36)

2002年09月28日

 (12:05)皆さんお元気ですか〜(井上陽水)っというセリフを思い出しましたが、ほんまにこちらから「お元気でしたか...」と聞きたい人が今朝のニューヨーク・タイムズのサイトに揃ってお二人載っていました。

 Edward Kennedy
 小野洋子

 のお二人。アメリカのマスコミでケネディという名前を聞くのは、少なくとも私は久しぶりです。出ていたのかもしれないが、目に触れなかった。ちゃんと発言しているんですな。もう大統領候補になることもない、話題にあまり上ることもない人で、ケネディ神話は昔の印象ですが、彼は何歳になったのでしょうか。以下のような発言が引用されていた。

WASHINGTON, Sept. 27 -- Senator Edward M. Kennedy said today that the United States should not go to war against Iraq until all reasonable alternatives had been tried, and that premature military action would weaken the worldwide campaign against terrorism. "There are realistic alternatives between doing nothing and declaring unilateral or immediate war," Mr. Kennedy said, becoming the latest Democrat to split with the White House over Iraq. "War should be a last resort, not the first response."
 まあ常識論を言っている。ウォール・ストリート・ジャーナルなどに比べれば、ニューヨーク・タイムズは対イラク戦争に関して一番の消極論・懐疑論の新聞ですから、この彼の発言をトップに持ってきてもおかしくない。

 小野洋子さん(69歳となっていました)は、どうも昔使っていた写真家とのトラブルがあったらしい。彼が勝手に一家を写真にとって、それを金銭に換えた。自分のカメラで自分の時間に、という主張。それは無理でしょう。裁判所はレノン・オノの全面勝利で、かつての使用人は全面謝罪をしたようです。

 そう言えば、埼玉県にあるレノン博物館には行ってないな。まだ一度も。一度行きたい。彼らが住んでいたニューヨークのダコタハウスは63のブロードウェーにいた我が家からは10ブロックぐらいしか離れていなかった。レノンが殺されたのは、帰国の2日前で夜中に2時間くらいかけて文章を書いたのを覚えています。

 小野洋子さんは蕎麦が好きで、ソーホーにあるホンムラアン(170 Mercer Street bet prince - W houston 東京では荻窪と六本木)によく出没していたのですが、今でもそうでしょうかね。でも懐かしかった。まだちょっと季節がありますが、so this is christmas....で始まるレノンとヨーコのなんていう題名だったかクリスマスソングも好きだな。(12:25)

2002年09月27日

 (16:05)上海から帰ってきて水曜日から今日まで三日連続、この局の「オープニング・ベル」という八潮さんが司会をしている番組に出ましたが、なかなか面白かった。水曜日は民主党の鳩山さん(新代表)がゲストで、今日は自由党の幹事長・藤井さん。木曜日は東京大学の神野さんとメリルのコールさんだったかな。

 この番組は政治家が来るときは私を呼びたがるのですが、それは私にとってもいつもは会えない人に会えると言うことで、ナイス。今日の藤井さんとの議論は面白かったな。というのは、自由党というのは、またはその代表である小沢さんというのは、ビジネスマンには正直人気がある。主張がはっきりしているし、どう見ても経済音痴の小泉、鳩山両氏とは違う。つまり、そういう意味では小沢さんの率いる自由党というのは、存在感がある。

 しかし一方で、その存在感(特に党首の)故に党が割れたり、連立を組んでも長続きしない。存在感の大きさに耐えかねている面がある。その点を藤井さんなどがどう考えておられるか聞きたかったのです。「小泉政策」に関しては、藤井さんがおっしゃることは分かっている。分かっていることを聞いても面白くない。

 藤井さんの答えはこうでした。「意識ある人々に評価されるのがスタートだと思っています」「強い主張をすると、なかなか支持を輪は広がらない、それは分かっている」「しかし、パフォーマンスで票を伸ばすのは本道から外れている」と。そういう意味では、非常に正攻法の政党なのです。しかし、「それでは政権は取れないでしょう」と私が畳んだら、「自由民主党と組んだのは間違いだった」「民主党との連携を考えている」と。

 民主党ね。水曜日のゲスト・鳩山さんはその日は渦中の人で、番組出演が終わった後野田さんと会って鳩山内閣への入閣(?)を要請するも拒否されたのですが、話を聞いていて、正直あまり経済政策に詳しい印象は持たなかった。何よりも、新代表として党をまずまとめる、纏める環境を作る必要に迫られているのに、それが出来ない。これはなかなか大変だと。しかし、実際にお会いできたのは良かった。

 木曜日の神野、コール両氏とのトークも面白かったな。こういう番組なら、また出ても良いと思いました。神野さんの東京大学のオフィスには水曜日にお伺いして、貴重なものを見せてもらうつもりです。
 ――――――――――
 ところで八潮さんは、いつだったか忘れましたが、来月の10日過ぎに結婚する。金曜日の昼に3日間が終わったので番組のプロデューサーなどを交えて5人で食事をしていたときにその話を持ち出したら、「大変....」と一言。呼んだ人の数が多いのだそうです。

 相手の金子さんが、彼女を評して「男っぽい...」と。まあそうですな....。σ(^^)(16:15)

2002年09月26日

 (16:45)タクシーに乗ったら運転手が面白いことを言う。「昨日が最初なんですよ、一日全くクーラーをつけなかったのは......」。なるほど。涼しくなったと言うことですが、運転手が言いたかったのは、「なんとエアコンに世話になる時間の長かったことか....」ということらしい。

 その運転手によると、エアコンを冷やすためにつけ始めたのは6月の初め。それが、end を迎えるのに、ほぼ丸4ヶ月かかった。「以前は、エアコンは付けても3ヶ月でしたが」と彼。

 そっすよね、こんなに冷やし続ける中で生きていて良いものかどうか。温暖化に直ちにつなげる気持ちはないのですが、ちょっと夏のエアコンがいる時期が長すぎる感じはしますね。(16:50)

2002年09月25日

 (06:45)今回のFOMCの最大の特徴は、1.75%でのFF金利誘導目標の維持に、二人の投票権者が反対したことでしょう。FOMCは一歩利下げに近づいたことになる。しかし、利下げだけがアメリカ経済の復活につながるかどうかについては、私には疑念がある。

Release Date: September 24, 2002

For immediate release

The Federal Open Market Committee decided today to keep its target for the federal funds rate unchanged at 1 3/4 percent.

The information that has become available since the last meeting of the Committee suggests that aggregate demand is growing at a moderate pace.

Over time, the current accommodative stance of monetary policy, coupled with still robust underlying growth in productivity, should be sufficient to foster an improving business climate. However, considerable uncertainty persists about the extent and timing of the expected pickup in production and employment owing in part to the emergence of heightened geopolitical risks.

Consequently, the Committee believes that, for the foreseeable future, against the background of its long-run goals of price stability and sustainable economic growth and of the information currently available, the risks are weighted mainly toward conditions that may generate economic weakness.

Voting for the FOMC monetary policy action were: Alan Greenspan, Chairman; William J. McDonough, Vice Chairman; Ben S. Bernanke; Susan S. Bies; Roger W. Ferguson, Jr.; Jerry L. Jordan; Donald L. Kohn; Mark W. Olson; Anthony M. Santomero, and Gary H. Stern.

Voting against the action were: Edward M. Gramlich and Robert D. McTeer, Jr.

Governor Gramlich and President McTeer preferred a reduction in the target for the federal funds rate.

2002年09月24日

 (23:59)忙しくてなかなか更新できないのですが、火曜日の午後に日本に帰ってきました。昨年は短時間ステイで後ろ髪を引かれる思いでしたが、今回は数日間滞在し、テレビのクルーの方々に引きづり回されながらでしたが、要所要所に自分のしたかったことを入れて、それなりきに今の上海でしたいことを全部してきたかな、という感じ。多くの上海の人とも話しましたし、地下鉄にも乗ったし、巨大な建設現場も見たし、ビル群も見たし、新しい発見もあったし....。うーん、食事がイマイチだったな。

 まあ一番の興味は今の上海の人達がこの大きな変化をどう見ているのか、にありました。「こんなのは良き上海の破壊だ」みたいなことを言う人がそれでもいるのでは、と思っていたのですが、少なくとも話を聞いた人の中には一人もいなかった。歓迎一色なのです。それは実に見事に。素早く上の階層に移動できた人たちはむろんのこと、まだ古びた、とても狭い、そしてどう見ても綺麗とは言えないアパートに住み続けている人もそうなのです。

 「いつか私も繁栄に乗れる」「もっと豊かになりたい」というのが、上海の人たちの願いだと分かりました。130?・1000万円ちょっとの値段で自宅マンションを買って住むある家庭で10年後の夢を聞いたときに、ご主人は明確に「上海の郊外に別荘」と言い切りました。買うお金もないが故に、別荘などを持つと邪魔なだけ、面倒なだけと思っている私のような人間には、「へええ」という感じでしたが、まあ気持ちは分かる。二台目の車、世界で活躍できる国際的に人間になって欲しいと娘に望むこの家の親。

 そうなんですな。上海の一つのキーワードは「国際化(internationalization)」です。それは、人の教育の面(子供に対する徹底した英語教育)でも、新しいものの取り入れでも発揮されている。写真に掲げたのは、上海の公共交通機関で使われているICチップ入りの非接触型乗車券カードです。日本で言えばスイカ。130元で買い、100元の乗車賃が含まれ、追加が可能です。日本より進んでいるのは、このカードの裏側(右側)で分かるのですが、上海の公共交通機関全部が乗れる、ということです。スイカはJRだけです。地下鉄は端から端の一番遠くに行っても60元(一元=16円)くらいでした。

 この技術が中国のものかどうか知りません。知らないんですが、この上海という街は「made in ?」を気にしていないように見える。リニアは来年の末には実験が始まると見られていますが、ドイツの技術を使っている。ビルの建設にでも何にでも、世界最高の技術を持つ会社が招かれているのでしょう。「国際入札」という言葉を随分と聞きました。最新技術をどしどしと入れている、起きているのは発展の中間省略です。だから上海の変化速度は、すこぶる早い。
 ――――――――――
 テレビのクルーの取材に同行した後の今の楽しみは、彼らがあれだけの時間を使って作ったビデオを、どこに視点を置き、どう編集し、テレビ的であろうともどう纏め、それが私の視点でどのくらい一致し、また違ってくるのだろうか、という点です。

 それはそれは、撮影場所は多く時間は長かった。小島さんだけのパートは別にして、私はその残りのほぼ全部に参加したのですが、私の問題意識、カメラ目線と彼らのそれは違う。それがどう出るか楽しみなのです。定番的な上海モノではないものが出てくると、面白いなと思っているのですが。私も楽しみ。

 私自身の文章は、来週の初めぐらいに少し長く纏める予定です。

2002年09月22日

 (23:59)行く先々で、スタバなどでちょこっとお茶を飲む時間を見つけて周囲を眺めたり、そこそこにある公園の椅子に座って街やそこを通る人々を見たり、街の音や臭いを聞いたり嗅ぎながら、「何が違うんだろう」とずっと考えています。むろん、日本や東京やそこに住む自分の日常、その周辺と比べて。

  1. ドイツや日本の技術であろうとも、何でも取り入れてしまおうという当局から民衆までが持つこの街のどん欲さ、そのどん欲さからくる変化の早さ

  2. 7歳から英語の勉強を始め、14歳で毎日2時間は英語の勉強をして、「もっと国を発展させたい」「サイエンティストになりたい」「ジャーナリストになりたい」と英語でしゃべる上海の中学生、高校生達

  3. すぐ両隣に見上げればクビが痛くなるほどの高層ビルの谷間に、6畳と4畳半の、とても綺麗とは言えない2部屋で、どう考えても貧しい生活(3人家族でこの3人の稼ぎを足して、年収6000元=1元16円、キッチンは3家族共用、風呂も共用でシャワーのみ)をしながら、「70年も住むこの建物も(5階建て)、早く上海市地区の開発計画の対象になって欲しい。一人一部屋の新しい家(日本で言えばマンション)が貰えるから」と開発と変化に期待を寄せる人々

  4. 夜11時を過ぎても黄浦江の両岸(ワイタン、プートン)の夜景を見に大勢の人が集まり、午前1時を回っても街のあちこちにあるレストランに集まっては食事をする、とても国是が社会主義の国の人とも思えぬ自由さを満喫する人々

  5. 日本に持っていっても「なかなか綺麗な街」(たとえば新天地)と言えるような地区から、一歩入ったところに厳然として存在する古さ、貧しさ、そして破壊と建設のラッシュ

  6. すさまじい「競り合いの運転」の波の中にあって、目的地に鬩ぎ合いながら邁進する無数の自動車と、それに横目を使いながら、しかし悠然と行き交う自転車と歩行者の群れ

  7. この街に集まる凄まじい数の日本人を含む外国人と、それだけ集まってもまだ「この街にはチャンスがある」と考える彼らの想念と、事実「高い店ほど人が入る」と言われ、ホンダのアコードがメチャ売れする車社会を迎えたこの街の持つ凄まじい富と、それを楽しむ人々

  8. しかし、にもかかわらず、人々の着ているもの、食べるもの、抱えているバッグから何から、イマイチ、イマニと思えるこの街の現実

  9. 親子、友達。年齢に関わらず、手をとりあって歩くことが多い上海の女性達と、しかし気にしていても目を奪われるような人がとても少ない上海という街

  10. タオルは少し良くなったが、まだ飲めないばかりか、風呂にためるとやや濁った水と、しかし一方で持っていった自分のコンピューターが一発で館内LANのシステムと繋がってしまう上海のホテルのアンバランスさ
 と挙げていけば数限りない。10数年前に初めて中国に来たときに比べて「何が違ったか」とも考えたら、最初に思いついたのは笑顔でした。店に入る。その時は、レストランでも女性従業員は全くニコリともせず、「何を食うんだ」という感じでこちらを睥睨し、料金を払えばおつりを投げてよこしたものです。

 しかし今は違います。レストランでも店でも、まだ日本ほどではないがどこでも女性の笑顔を見ることができ、「シェーシェー」という言葉を聞くことができる。「私が来た4年前に比べても、これは大きな違いで、それができない店はこの上海でもどんどん潰れているんですよ」とコーディネーターのゴー君(日本人です)。資本主義、カスタマー・ファーストは貫徹しつつある。

 たまたまオープン直前から取材した味千という日本系のレストランでは、開始直前に入ったばかりの女性従業員を含めて、女性従業員全員が何十回となく頭を下げ、笑顔を作って上海語と日本語なまりで「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と練習をしていました。それを女性従業員の一人に聞いたら、「挨拶はとても大事です.....」と。これは、この店が日本の店だからではない。

 実用線としてのリニアモーターカーの駅は、ある意味で衝撃でした。完成想像図があって、その上にはずらっとドイツ企業の名前が。一説によれば、日本は「まだ完成していない」とか何とか言ったのでしょう。技術の供与を断ったらしい。で、上海は浦東空港と市内に通じる地下鉄駅までの43キロ(でしたっけ)を10分で結ぶ路線に、ドイツ製のリニアを選び、その駅舎はすでに完成していた。技術開発国であるドイツでも、日本でもなく、何も技術がなかった中国で最初に実用車として走るリニア。その先進性がこの上海という街の一つの特徴です。

 上海の中学生、高校生(新聞記事を制作していると言っていました)と会ったのは、この駅舎でです。向こうから話しかけてきた。女性3人、男性一人の4人の子供達が、先生と思われる人に付き添われて。この先生は、写真を撮ることに忙しいふりをしていたな。たぶん、子供達が英語を喋れるのに、彼は喋れなかったんだろうな。(^o^)ハハハ 一人の女の子は、来年日本に来ると行っていたな。

 今年来て良かったと思うのは、なにせ去年は20時間ちょっとしかいませんでしたが、今回は時間がある。なるべく多くの人と話そう思っているし、実際取材もあるので話しができている、ということです。中国語ができれば一番良かったんでしょうが。まあ、それは仕方がない。(00:25)

2002年09月21日

 (15:00)上海に移動してきています。去年は9月の初めに来ましたが、今年は9月も下旬に入ってから。まあちょうど一年。上海蟹を食べに来たのではありません。去年は短い間しかいることができなかったので、「是非もう一度」と思っていたら、フジテレビの番組関係の取材が入って、日本が連休のこともあって今年も来ているもの。

 去年は虹橋空港に着き、そこから市内に入りましたが、今回は浦東空港から。やはり雰囲気が違う。半年前までこの地にいたひとでさえ、「もう変わっているだろうな」という上海ですから、前回来たときから一年間の変化を見るのが楽しみなのです。といっても、昨年は確か24時間も居なかったと思う。

 でも今年も思うのは、「アメリカにとってニューヨークが異質であるくらい、上海は中国にとって異質かもしれない」ということです。去年は重慶、宜昌から武漢と移動する中でインターネットの接続にものすごく苦労した。もっとも船の上が長かったので、ある意味では自然ですが。しかし、ここ上海のホテルでは inter-touch という会社の高速ネットが走っていて、?をするまでもなくネットに接続できる。見たところ、ADSLの高速バージョンのようです。東京とそういう意味でも、ちっとも遜色はない。

 上海は何から何まで、中国の中でも傑出した都市になりつつある。今回もauのグローバル・パスポートを持ってきていますが、実は今回の中国訪問に際しては、知り合いがたくさん同時に来ている。テレビやラジオの関係です。彼らと異国の地にもかかわらず、自分が日本からもってきた電話でいくらでも、いつでも電話ができるというのは素晴らしい。

 今回一緒に来ている矢野君、三島君、小島さんなどは私より数日から一日早く来ていて、私が最後の到着ですが、24日まで居る予定です。なお昨年の中国記はここにありますが、どのような訪問記になるのやら。(15:14)

2002年09月20日

 (08:50)外務省の説明は明らかにおかしい。北朝鮮の通訳から日本の通訳に非公式文書としながらも、拉致された人々の死亡年月日が記述されたリストが渡されたのは、事務当局の事前折衝が終わった直後、時間にすれば17日午前11時ごろだった、とされる。午前の日朝会談が行われている最中です。

 そのリストがどのくらいの長さだったかは正確には知りません。しかし、A4の紙一二枚だっともされる。どの言語であろうと、死亡の事実と、それに関連する年月日が複雑なわけはない。非常に短い単語で表示されていたはずです。一目瞭然の形で。おそらく交渉団の誰が見ても、それが意味するところは直ちに分かった筈だ。「精鋭を集めた」(外務省)わけだから。

 ところが外務省の説明によると、事務当局はその文書の翻訳に4〜5時間かかって、小泉首相など交渉団にリストの翻訳バージョンが渡されたのは日朝宣言調印直前、しかも対北朝鮮強硬派と見られる安倍官房副長官のいない席だったと言われる。

 二つのことを思う。

  1. 仮にその死亡年月日が記述されたリストが小泉首相を含む日本交渉団の昼食の席(午前11時半過ぎからの)に提出されて、それを小泉首相を含む日本の政治家達読んだらどうなっていたか

  2. 北朝鮮側はリストを渡しているにも関わらずの国交交渉開始への日本側の熱意を見て、「拉致問題は日本にとっても小さい」という誤った印象を持たなかったのか
 の二つである。伝えられるところによれば、安倍官房副長官は拉致された人々のうち8人が死亡した事実だけで、「調印を見送るべきだ」「席を蹴って帰るべきだ」と主張したと言われる。不審極まりない死亡年月日のリストが分かっていたら、日本の交渉団の雰囲気はもっと大きく違った可能性がある。なぜなら、このリストは拉致者の死亡が自然でないことを濃厚に物語っているからだ。特に有本さんと石岡さんの同年同日死亡は、その前後にあった彼等からの手紙の表面化とあわせると、一段と不審が募る。

 情報は翻訳しなければ伝えられないものだろうか。それが重要であればあるほど、そのまま頭で翻訳して、責任ある人に伝えるのが自然だ。もしかりに外務省が、「これが出れば、交渉が行き詰まる....」と考えたとしたら、それは則を越えたことになる。なぜなら、外交は国民から選ばれた政治家が最終決断すべきであり、外務省はその決断を手助けする立場だ。情報を操作することではない。「ころころ変わる政治家にはわからん」と考えたとしたら、越権行為だ。

 おそらく北朝鮮サイドは、自分サイドの通訳から日本の通訳に死亡年月日リストが渡ったことは知っていた筈だ。金総書記が午後の会談の冒頭で謝ったことは、死亡年月日に不審がもたれても仕方がないことを分かった上でのことかもしれない。しかし、小泉首相を始め、日本側はそれを知らなかった。もし、この認識の差があったとしたら、北朝鮮側は日本側の反応を「この程度か」と見なした可能性が強い。

 改めて言うが、仮に情報操作で日朝国交正常化の道筋を外務省が立てようとしたなら、それは間違いだ。情報が敏速に開示される中で最終決断が行われなければ、それは正しい判断だとは言えない。仮に結果が同じであっても、それは違う。

 外務省はおそらく非常に短い紙であったろうリストを交渉の責任者である首相などに伝えるのに数時間も要したのか(翻訳を含めて)、そこに許されない意図があったのかなど早急に明らかにすべきだろう。そうでなければ、拉致被害者の家族だけでなく、国民の外務省不信は一段と強まるだろう。
 ――――――――――
 国交回復交渉そのものには筆者は賛成だ。しかし、先日も書いたが、事実の公表が先行して、国民がそれを考える時間を与えられなかったら、国交は決してのちのち実りあるものにならないと思う。曖昧に出来ない問題があまりにも多すぎる。

 加えて言うならば、拉致被害者家族や国民の怒りはなるべく北朝鮮にも伝えられる必要がある。ここで冷静になる必要などない。国民の怒りも外交ファクターだ。逆を考えれば明白で、死亡年月日にまで不審がある事実を突きつけられて、それでもおとなしいような国民だったら、それこそ北朝鮮に間違った信号を送ることになる。これこそ避けるべきだ。(09:16)

2002年09月19日

 (20:50)久しぶりに、はっきりと目に見える形で増幅した梅本さんとお昼しました。松本君を連れて。彼は小生が「梅本さん」というと、酷く嫌がる。一回ラジオでそう呼びかけたら「もう後ダメ」だったそうで、まあちょっと慣らすために再びこう呼びかけることにします。ははは、いつか絶対出てもらうからな......。

 それは冗談........ではないとして、ドイツに decade 近くいる彼のドイツ、ヨーロッパ話は面白かったな。正直言って、私がいつも読む海外の新聞は英語の新聞。しかし、英語の新聞にはドイツのことは載ってはいるが、いわばアングロ・サクソンの目を通したドイツ。生粋ゲルマンの事情は分からない。

 彼はドイツ語が分かるから、我々とはドイツについては情報ベースが違う。22日は選挙だし、ドイツは国際的に孤立の道を歩みつつあるという英語新聞の指摘もあるからと思って、誘ったもの。いろいろなことを話したので既に忘れた点もあるのだが、話を聞きながら1990年の壁崩壊直後に行った東ドイツは、10年以上立った今も「昔の東ドイツ」を引きずっているという印象を強くしました。

 旧東ドイツ地域には実は今年の正月にも行っていて(ユーロのスタートを見に)、そのときは東ドイツも変わったと思った。街も奇麗だし、人も奇麗になった。しかし、梅本さんによるとそれは違うらしい。日本でも伝えられたドイツの水害は、全て旧東ドイツ域内で発生していたとは。ドレスデンとは聞いていました。しかし、旧西でもどこかで起きたのかと思っていた。同じエルベ川の流域でもドレスデンは7メートルの水に埋まり、ハンブルクは何もなし。治水にしろ、依然としてインフラの差は大きいのです。

 東ドイツは1600万の人口。有権者は1000万を超えるでしょう。この票はかなりシュレイダーに流れているような印象を彼の話から受けた。減税を見送り、東ドイツのインフラ整備に使うとの方針、それに依然としてアメリカに好意を持っていない旧東ドイツ住民のイラク問題でのシュレイダー支持の姿勢。しかし、シュレイダーは対イラク姿勢で「never return」の地点にまで自分の立場を進めている。対米、対仏、対英関係で、当選後が大変かもしれない。

 これもちょっと不案内だったのですが、ドイツの株下落の話も真剣に聞きました。そういえば、19日の日本の夕刊にもドイツの株安(5年7ヶ月ぶりの安値)が小さい記事になっていた。機関投資家と銀行が主にドイツの株を持つ。デフレ傾向の深刻化の中で、ドイツが日本と同じような状況に陥りつつあるとも言える。

 2004年にはユーロ地域は拡大する予定。東欧の多くの国が参加する。参加には条件がある。入れる条件としては良いが、既に参加している国の景気が悪くなったときには、例えば財政赤字などをどう考えるか。各国の自由にならない面が出る。政策の融通無碍さが喪失しているのです、ヨーロッパでは。これは不況から脱出する手段を探す上では、入り口の条件は、欧州にとっての大きな負担になる。

 来週ECBの理事会があるが、今のECB公定歩合は3.25%。日米に比べて異常に高い。ドイツの景況、インフレ環境を考えてもそう。しかし、ドイツの事情だけで、欧州の金利水準が決まっている訳ではない。EUの中には、インフレ圧力を抱えている国もある。金利も下げられず、財政の出動もままならないとなれば.....。ドイツの株が落ちるわけも分かる。

 まあ私がくどくど書くより、梅ちゃんのサイトは役立つ。ご高覧あれ。推薦します。ちなみに、私は今まで彼が自分のサイトを恥ずかしがっていた風情もあったので入れていなかったのですが、今日会ったらえらく rpt えらく自信に溢れていたので、このアクセス多きページに入れました。もう一人、HPビルダーとしては自信を深めている人のこのサイトも付け加えました。σ(^^) (21:07)

2002年09月18日

 (15:21)日本銀行も思い切った決定を下したものですね。日銀の18日午後の発表文は以下の通り。

金融システムの安定に向けた日本銀行の新たな取り組みについて

2002年 9月18日
日本銀行

  1. 本日、日本銀行政策委員会は、金融政策決定会合終了後、通常会合を開催し、不良債権問題の克服と金融システムの安定に向けて、以下の方針で臨むことを合意した。
  2. わが国の不良債権問題は、バブル崩壊の後始末だけでなく、産業構造の転換・調整圧力の増大に伴い新たに発生する不良債権の処理という性格も加わりつつある。したがって、この問題の克服のためには、不良債権のより適切な把握のための工夫、早期処理の促進、企業・金融機関双方の収益力強化などを軸とした、総合的かつ粘り強い対応が必要である。
  3. この間、金融機関保有株式の価格変動リスクが、金融機関経営の大きな不安定要因となっている。このリスクを軽減することは、金融システムの安定を確保するとともに、金融機関が不良債権問題の克服に着実に取り組める環境を整備するという観点からも、喫緊の課題である。こうした認識を踏まえ、日本銀行は、金融機関による保有株式削減努力をさらに促すための、新たな施策の導入を検討することとした。本件については、所要の調整を含めできるだけ早期に成案を得るよう努めることとする。
  4. また、日本銀行としては、上記の新たな施策の検討と合わせて、不良債権問題についての基本的な考え方を改めて整理し、公表するとともに、今後とも、金融システムの安定に向けて、中央銀行として最大限の貢献を果たしていく方針である。

                                以  上

 で、「金融機関による保有株式削減努力をさらに促すための、新たな施策の導入を検討」とは、具体的に何をするのか。速水日銀総裁によれば、「日銀が大手銀行10数行が持つ株式を金融機関から直接買い取る」ことだという。

 では何を、どういう形で。それについては「早期に成案を得る」となっていてつまびらかではない。昭和40年の時には、有配株(配当を行っている株)を、その配当利回りが資金コストを上回る範囲で買ったという業界の人の話を聞いた。つまり、配当している株なら利回りがあり、それが資金コストを上回るなら日本銀行の資産にしても日銀の健全性に打撃を与えることにはならないと。

 ETF(上場投信)を買う、という説もある。しかし、ETFには無配の株も含まれているから、「健全なことではない」という説もある。中央銀行の株買いなど、決して進められるものではない。民間に1400兆もの資金があっても、それが市場に流れ込まないことこそ問題である。本来リスク資金が流れ込んでいれば、こんなことにはならなかった。

 銀行が抱える価格変動リスクとしての株式が、その手元から離れると言うことは、銀行のスタンディングが強くなる。しかし、金融システムの強化がそのまま日本経済の回復につながるかどうかは、希望はするがまた別の問題だろう。(15:41)

2002年09月18日

 (01:40)北朝鮮にはまず、8人もの30代、40代中心の拉致された人がなぜ死んだのかをはっきり説明させることが必要でしょう。横田めぐみさんにしろ、有本恵子さんにしろ、亡くなるには若すぎる。30代、40代。なぜ、どうしてと思う遺族のお気持ちは当然だし、筆者も自然でない理由が存在するのではないかとも思う。他の方々も同様。

 この点を北朝鮮は何も明らかにしていない。病死なのか、他に原因はあるのか。拉致は明確な国家犯罪であるわけで、責任者は処罰はしたと言っているが、日本側がきちんと検証する必要がある。これらは非常に重要で大きな点です。今後二度とこういうことをさせない為にもです。国交正常化にしろ、経済援助にしろこの点が明らかにならなければ、軽々しく前進すべきでないとも思う。

 なぜなら、この点が明らかになり、それに関する北朝鮮の文書による謝罪・補償がなければ、国交交渉をしても日朝の間には友好関係の構築はあり得ないと思うからだ。拉致には、戦闘員が戦場で死ぬのとは違う重みがある。また「日朝平壌宣言の全文」には、拉致に関する記述も抽象的なものに留まっている。これは納得がいかない。
 ――――――――――
 はっきりしたのは、北朝鮮の金正日政権は国内的にも、国際的にも崖っぷちに立っていると言うことでしょう。その発言や約束に信憑性が持てるかという疑念は残るにせよ、拉致問題にせよこれまでの主張を大きく舵切りしてきた。欲しいのは、日本の援助とアメリカの矛収め。面子を捨てざるを得ない状況だと言うことです。

 ということは、金体制というのは状況の変化次第だが、大きく変わるか、逆に崩壊する可能性もあるということでしょう。その両方を睨んで、日米韓の連携でこの不可解で、行動の予測できない、そしてしばしば理解できない行動をする国を変えていく必要があると思う。そういう視点も持ちながら、国交正常化を考えたいものだ。

 ここは、日本が長期的視点からの外交を展開する、恐らく戦後初のチャンスでもあると思う。(02:15)

2002年09月17日

 (09:40)小泉首相が平壌に到着する約一時間前に、イラクが国連の査察団受け入れを無条件で受け入れることを発表。この二つの国を動かしている大きな要因は、「アメリカの強硬姿勢」でしょう。北朝鮮、イラクとも「悪の枢軸」の三カ国の一つに挙げられた。アメリカは特にこの二カ国に対して、強い対決姿勢を取り、場合によっては武力行使の可能性を示唆してきた。

 北朝鮮の日本への接近の一つの、そして大きな背景は、アメリカとの関係改善の必要性でしょう。イラクへのアメリカの強硬姿勢を見ていれば、北朝鮮が「次は自分達」と考えても不思議ではないし、そう思って危機感を抱いている。アメリカのハイテクを中心とする武力のすさまじさはアフガニスタンで見せつけられた。ブッシュの個人的な強い対決姿勢、性癖もある。

 イラクが査察団の受け入れを表明し、それをアナン国連事務総長が発表したのは、一種の陽動作戦でしょう。国連を味方にし、アメリカの軍事力行使を遅らせるための。しかし一方で、査察団を受け入れなければアメリカの思う壺という読み、恐怖はイラクにあったに違いない。思う壺になれば、攻撃される。だから、受け入れを決めて、あとは査察団の構成や国内での動きの制御に頭が行っているに違いない。

 従って、査察団の構成や、査察団がイラク国内でどのような自由を保証されるかが、国連にとっての今後の大きな課題となる。アメリカはこの点に強い注文をつけてくるでしょう。しかし一つ言えるのは、イラクがこれまで拒否してきた査察団受け入れを余儀なくされた背景は、アメリカの強い対決姿勢の存在だと言うことです。

 そういう意味では、「対決姿勢」は成果らしきものを挙げている。ソ連を崩壊させたのは、時間の問題という要素はあったにせよ、レーガンの強硬姿勢だった。ただしソ連崩壊のようにうまく行けば良いが、強硬姿勢での成果は裏返しでの副作用を持つ可能性がある。潜伏、潜在する強い国、具体的にはアメリカへの敵意です。敵意を持つのが、対決を表明された指導者(例えばフセイン)だけなら問題はない。それが民族レベルになると、問題は複雑化する。だから、強硬姿勢は成果を生むが、副作用もあるという点をアメリカなりがどの程度理解しているかが重要。

 今回のイラクの国連査察団受け入れに関して、ウォール・ストリート・ジャーナルは第一報の最初のパラに次のように指摘している。

 Iraq agreed without conditions to the return of United Nations weapons inspectors, a move that seems likely to at least delay U.S. military action and complicate the Bush administration's efforts to win diplomatic backing for ousting Saddam Hussein
 そうでしょうな。「complicate」。アメリカは多分査察団の構成からイラク国内での行動の自由まで厳しい条件を付けてくるでしょう。対してイラクは査察団は中立な存在にすべきだといった主張をする。しかし、アメリカが悠長なことをいつまでも言っているとも思えない。時間を区切るでしょう。

 拉致問題は、「テロ」との認識も必要でしょう。本当にあったのか、北朝鮮がなかったというなら今までの証言(「北朝鮮で見た」といった)はどうなのかを解きほぐして行かねばならない。拉致は一種のテロですから、これを認めれば自ら北朝鮮が「テロ支援国家」と認めることになるが、それはどうか。

 小泉首相の訪朝のほぼ同じ時間に、ワシントンではラムズフェルド国防長官が記者会見して、北朝鮮の核開発とミサイル開発に強い懸念を表明した。北朝鮮のミサイル技術は、もうすぐアメリカ本土を攻撃できるレベルに達すると言われる。アメリカとしては、拉致も重要だが、このミサイルと核の問題が懸念となっているのでしょう。

 小泉訪朝とイラクの査察団受け入れには、国際政治力学のいろいろな面が見える。(10:15)

2002年09月15日

 (10:40)先日紹介した中国の方々の指での数字の数え方に関しては、多くの方からメールを頂きました。まず上海の長谷川さんから

 中国数字の件、実地調査するほど暇ではない= お前やらんかいと言われているようですので、取り急 ぎご連絡。上海地区は1〜9まではまったく同じ。

 10も基本的に彼女のものと同じですが、ごくたまに中指 を人差し指に絡める(クロスフィンガーっていうのでしょう か?)方や、じゃんけんのグーを以って10とされる人を 見かけます。恐らくこの二つは他地方の表示だと思い ますが、場所までは分かりません。本日この後無錫に 出張しますので昼飯時に飯屋の店員に聞いてみます。

 次に、山口さんから台湾の関しての情報を頂きました。ちょっとmainland とは違っているようです。やはり、大陸と台湾とは違う点があるようです。
 伊藤さん

 ご無沙汰しています。ディスコ@山口です 中国式指勘定。とても興味深いですね。私は丁昨日から台湾に来ているのですが、 こちらでは少し方式が違うようです。

 3は日本と同じで親指小指以外の真ん中3本を立てるんですね。 今朝入った粥屋も宿泊しているホテルのコンシェルジェもやはりそう。 大陸と台湾は実際違う国(と言ったら怒る方も多いでしょうが)ですから 当然といえば当然なのですが、「中国圏」と言ってもいろいろです。

それではまた。

 最後に立松さんというかたから。立松さんは北京にいらっしたそうで、その時の体験をもとに以下のようにおっしゃってます。
 立松と申します(永田君の元同期です)。先日のday by dayで取り上げられていた中国の指数字ですが、少なくとも小生が96年から1年間語学研修で北京語言文化大学に留学していた時、何人かの中国人(中国語の家庭教師、カラオケ小姐、ホワイトカラーを含む北京人数名)に確認しましたが、やはり写真のような表現方法をすると回答があったのをはっきり覚えております。

 全国的にこのような表現が使われているといっても間違いないのではないでしょうか。以上取り急ぎ。

 と。つまり、大陸ではファンちゃんの示してくれた数字の数え方がプリベイルしているということだと思います。そうだとすると、これはちょっと使えますね。なおこの問題に関しては、このコーナー一本にまとめておきました。

2002年09月13日

 (10:40)朝のラジオ放送の前に読んでおく必要もあったことから、早起きしてブッシュの国連演説全文を40分ほどかけて読みましたが、なかなかうまく書かれた演説だと思いました。ラムズフェルドが朝日新聞に「私の視点」(でしたっけ)を寄稿したほど、アメリカは各国の支持を今必要としている。大統領として国連の場で喋るというのは、それなりきにブッシュとしては絶好のチャンスと思った筈だし、「失敗できない」と思った筈です。自分への支持を欲しいと。

 演説の内容は、それが伝わるものになっている。まず18年前に「運営が不透明」として脱退したユネスコに、「改革された」としてアメリカの復帰を表明。アメリカが国際社会を無視していないことを訴え、その次にはアラブ各国、民衆の一大関心である「パレスチナに国家を」の欲求に対してそれを基本的には支持する意思表示を行い....と入る。ブッシュとしては大サービスのつもりでしょう。

 そこから国連がなぜ設立されたか(世界の平和と人権擁護など)、なぜアメリカもそれの創設に参加したのかに触れて、徐々に話をポイントにもっていく。そして、フセインの体制がいかに国内で少数民族抑圧、人権抑圧をし、近隣諸国に不法行為を働いたかを指摘し、その後は「国連とイラク」の関係に絞って、いかに使命を帯びた国連がフセインに無視されてきたかを決議案一つ一つを取り上げて指摘する。この部分が非常に長い。国連よ、これほどまでにフセインにその権威を蹂躙されてきたじゃないか、と鼓舞する。「国連よ、馬鹿にされている。行動するときだ」とブッシュは主張するのです。

 そこまではうまい。しかし、この演説を読んでいた「弱いな」と思ったのは、「grave and gathering danger」と表現したイラクが、今現在どのような兵器開発を進めている、その証拠がどこにあるかを何一つ指摘しなかった点です。これがないと、「フセイン体制が続くことが地域にとってリスク」(ブッシュ)と言われても、「フセイン後のイラクはむしろ地域全体を不安定にするのではないか」と懸念しているアメリカ以外の国々を納得させることが出来ない。

 だからブッシュの演説はうまく書かれていて、国連に対して鼓舞的ではある。しかし今ひとつ説得力を欠く。やはり必要なのは、「証拠」です。でないと、決議案を無視し続けるイラクは国連の権威を踏みにじってきたし、今後もっと危険になる(gathering danger)と言っても、説得力がない。

 あと一つ、これは常套文句なのだが、「指導者はいかんが、国民とは敵対しない、連帯する」としている点。アフガニスタンに対しても使った。しかし、イラクの国民はどうだろうか。イラクに北部同盟のような有力な反対勢力がいないのが気がかり。この辺を小泉さんがきちんと指摘できていれば、と思うのですが。(11:12)

2002年09月12日

 (07:15)下に掲げるのは、中国の人たちが数字を主に指を使って表す時に、どう仕草するかを撮影したものです。モデルは、石頭楼でバイトしているファンちゃんです。撮影場所は乃木坂のコーヒーのおいしい店で、絵を背景にしたのはちょっと見ずらくしたかもしれない。大きくして見たい方はデスクトップに名前を付けて保存して見てください。

 1、2、4、5は似ているかな。日本と。6、7、8、9は大きく違う。10は日本でもあり得るが、少ない。だからどうこうということではなくて、まあこれも他国を知る一環(^-^)ニコです。でも世界中の指数字を全部こうして集めたら面白いと思う。

 ただしファンちゃんは南京の生まれで、広い中国全土でこうした指サインが使われているのかは不明。これは実地調査するしかないが、私もそれほど暇ではない。でも、南京のものだけでも残しておく価値はあると思う。


中国指数字の「1」
中国指数字の「2」
中国指数字の「3」
中国指数字の「4」
中国指数字の「5」
中国指数字の「6」
中国指数字の「7」
中国指数字の「8」
中国指数字の「9」
中国指数字の「10」

2002年09月11日

 (13:15)「なんでブラジルが地中海なんだ...」という声を無視してσ(^^)、このサイトに掲載し続けていた「SABBATH TOKYO」でしたが、実物の方が逝ってしまいました。

 少し暑かったけれども、千駄ヶ谷の駅からオフィスまでゆるりと歩いていたのです。アップルの先に新しいレストランが出来たな.....てな調子で歩いていたら、サバスの前にやや人だかり。

 何をしているんだとちょっと覗くと、どうやら店名を変えている。そこにいる人に、「あれ、サバスはどうしたの....」と。監督をしているらしい人が、「こう変わりまし」といって、店名の変更を教えてくれた。それによると、今までの「SABBATH」から「コパ」になったらしい。確か「コパ」はいろいろな料理をやっているチェーン店だと思った。「ブラジル料理も残ります....」と。「残る」んじゃ、おもろくない。

 SABBATH TOKYOは、大きなブラジル・レストランです。入ると、まず左の壁にこのレストランに来た人の色紙がたくさん飾って有る。ラモス、エドゥー、ビスマルク、三浦兄弟.....。それに、数多くの芸能人。多くの人に好かれているというのが分かる。昼は、回数券を買えば一回600円で品数限定のバイキング料理が食べられる。ボリュームはたっぷり。夜はボサノバを聞きながら。昼も夜も、とにかくダイナミックです。店の雰囲気も、そして料理も。あまり料理に繊細さを求めてはいけない。

 もう一つの特徴は、ここのトイレの綺麗さです。有名です。都内のレストランの「綺麗で特徴のあるトイレ」をある週刊誌が特集したときに、ここのトイレは確か2番目に紹介されていた。だから、このレストランに行ったらそそくさと帰ってこなくて、きちんとトイレに寄ってきてください。電話番号は、03-5411-3335。この店のはす向かいに、青山界隈では有名な寿司屋である「おけい寿司」がある。ここも有名ですし、確かに変わった寿司屋でうまい。一品一品が考えられている。

 このサイトで書いた通り、サバスは味のある面白いレストランでした。経営が代わったと言うことは、うまくいかなかったのでしょう。私がサイトで紹介している店でも、他にも逝ってしまったり、代わった店は多いと思う。その点はご了承のほどを。

 で、疲れてコーヒーが飲みたくなって、「香咲」(カーサ、casa)という名前の行きつけの店(ここのコーヒーは美味しい)に行ったら、また女性ご主人とこの辺の店に関して話題が広がった。穂積にいた樋口さんや、その樋口さんが作った新しい店の話、今のシェフのジンさんの話。たわいもない話ですが、なかなか面白かった。カーサの前には、スッポンで有名な店があるそうな。(13:32)

2002年09月11日

 (07:15)ワールドトレード・センターの眺望室に入るためのチケット掲載したチケットは、9.11のテロ発生の2日前に当たる2001年の9月9日に、今はニューヨークにいる武井君がワールド・トレード・センターの眺望室に入るために使ったチケットです。今は赴任ですが、彼はこの時はニューヨークを旅行中だった。

 チケットを見ると、09/09/01 19:15と読める。このチケットが発券されてから約38時間で事件は起こったと言うことです。日本では午後10時過ぎ。今でもはっきり覚えていますが、六本木の石頭楼での小泉君や矢野さんとの食事も終わりに近づいていたとき。確か杏仁豆腐を食べていたと思う。携帯電話にメールで通信社の速報が入った。その後何をしたかもはっきり覚えている。このコーナーを読んでおられる方、それぞれがそうでしょう。

 朝近くまでテレビとネットに釘付けになって、採録したのが一連のネットサイトの複写です。気になる画面が現れたら、コンピューターの画面コピー(CTRL+ATL+PRTSCSYS RQ)をしてワードに貼り付け、それをPDFにしたもの。よく言われているように、その時その時のネットの履歴はなかなか復元できない。私にとっては、貴重な記録です。

 まあ今日だけではないでしょう。何があってもおかしくない状況は続くし、それは青木冨貴子さんが言っているように、日本も標的外ではない。(07:46)

2002年09月11日

 (01:21)珍しいこともあるものです。一晩に二人もの久しぶりの人と会った。

 都内某所。夜。ふっと気づいたら、5メートルほど離れたところに去年の今頃上海の虹橋空港(確か)で会った中束(なかまる)さんが。向こうも気づいていて、「久しぶり」。子供の少年野球のオヤジ仲間だった。

 今月半ば以降に数日上海に行く予定なので、私よりはるかに回数多く上海に行っている彼からしばし最近の上海の話を聞いていました。彼曰く、「今、日本のモノをもっていって上海で店を開いたら、絶対売れますよ....」と。

 私は常々、「中国脅威論」に懐疑的。そういう面もあるが、豊かになった中国は日本にとって偉大な客になる可能性があると思っている。彼が同意してくれたのは、心強い。

 改めて電話番号とメールアドレスを交換してお別れ。
 ――――――――――
 家に帰り着いたら、しばらくしてどうしてもサウナに行ってマッサージをしたくなった。このところ久しく行ってないので。夜11時ごろでしたかね、「ほんじゃ」といって家をチャリで出て、いつもの高円寺のサウナに行ったら、「マッサージは午前1時30分まで一杯で空きません...」と冷たい返事。

 「そんじゃ」と中野のサウナに行こうとチャリに乗って中央線の線路の下、環状七号線を横断しようとしたら、「伊藤さん....」と。私はぎょっとしました。誰だろう。振り返ると、大泉だった。スーツを着ていて、残業帰りという感じ。

小生 なにしとんや
大泉 いえ、ダイエットで
小生 え、歩いているの。どこから
大泉 中野から阿佐ヶ谷まで
小生 へえ、凄いね。毎日
大泉 はい......
小生 長竿さんは元気.....?
大泉 はい、食事を食べさせてもらえないんです....

 ははは、彼は除夜の鐘以上の体重。新婚。相手が長竿さん。そりゃ、食べさせんわな。それにしても、夜中に中野から阿佐ヶ谷まで歩いているとは。おもろいダイエットもあるものです。そう言えば、中野からあまり距離のないところでしたが、彼の額には汗が。

 二人とも私のセクションに居たことがある。いつの間にか出来たんだろう。まだ仲が良さそうだ。そのうち、焼き鳥にでも誘って、ダイエットの中断事由でも作ってやるか。彼とも久しぶりでした。

 おもろいことが二つもあった夜でした。(01:37)

2002年09月10日

 (08:47)ラムズフェルドが日本の朝日新聞にまで寄稿するとは思いませんでした。「9.11の教訓 惨事防ぐ責任ある行動とは」というのです。読んでみると、それほど目新しいことを言っているわけではない。しかし、一事が万事。多分アメリカの広報戦略は世界中に広がっているのでしょう。

 それだけアメリカは本気だということです。恐らく、国連にイラク査察をまず促すことになる。イギリスもそれを主張していますから。しかし、だらだらした査察は許さず、非常に短い時間的期限を置く。それを満たせなかったら、攻撃....という図式になるのでは。

 それにしても、週明けに届いたビジネス・ウィークは「9.11」で、ニューヨーク・タイムズなどを読んでも特集尽くめ。今週はこんな状況が続くのでしょう。アメリカ以外の国々は今のところ性急なイラク攻撃には反対の意見が強い。しかし、こうしたブッシュのアメリカの強い働きかけにどう変化するのか。

 恐らくアメリカとイギリスはイラクが大量破壊兵器の製造をしている、という証拠をいつかの時点で示すでしょう。昨夜見たニュースには、ロンドンの研究グループが「イラクは材料不足で今後数年間、核兵器は作れない」というレポートを出していた。そうした見方を米英は打破しないといけない。

 イラクのフセイン政権が世界の平和にとって望ましくない政権であることは、世界中の主要国指導者が認めている。だとしたら、「今そこにある具体的な脅威」の強さを示せば、世界の意見も変わる可能性がある。ラムズフェルドの寄稿も、そうした大きな努力の一環でしょう。

 しかし、それにしても問題は「after the war」です。どのように政権を樹立し、民衆の支持を得るのか。負かすのは簡単。その後のイラクという国と、中東という地域の平和と安定の維持をどう図るか。それこそ問題で、一歩間違うとシラク首相が言うように、世界は危険な窓を開けてしまう危険性がある。

2002年09月07日

 (11:23)宇多田ヒカルには、「cubic-u」として売っていた時代がある。我が家にも同名のアルバムがあったと思ったのだが、さっき探したらない。どこにいったんだろう。でも、「close to you」などの曲が入っていたと思った。今の彼女の歌からは想像も出来ない歌唱方法(スローテンポ)だし、記憶では10代の前半だったにも関わらず、写真などがひどく老けていたことを覚えている。

 このアルバムはヨーロッパやアメリカで売り出されたが、それは当たらなかった。ニューヨーク生まれの彼女はまずヨーロッパやアメリカでデビューを試みた。しかし、これは失敗したと言える。今の彼女のHPのdiscography には、この「cubic-u」の時代のものは載っていない。しかし例えば、このサイトなどには、彼女の国際的歌手をまず目指した「cubic-u」の時代の名残がある。

 爆発したのはよく知られているように、16才で日本で出した「automatic」からだ。あの揺れる声、テンポ。確か「moving on without you」「first love」「addicted to you」と続く。最近の「sakura」とかいうアルバムは聴いてない。「automatic」は確かに衝撃的だったな。最近はそうでもないが、2年ぐらい前は時々サイトを眺めていた。なかなか良いサイトだった。

 へえ、結婚ね。聞いてサイトに行ったら、以下の挨拶文があって、これはなかなか名文だと思いました。

大事なお知らせ
 9月6日(金)13時00分
関係者各位の皆様へ

本日、私、宇多田ヒカルは、紀里谷和明と入籍致しました。

二年前の冬に仕事で知り合って以来、いくつものビデオやCDジャケットの作品を共に発表しながら、プライベートでも苦楽を含む様々な出来事を乗り越え、互いに絶大な信頼をおいて今回の決断に至りました。その実現に力を貸して下さった皆様に申し訳ないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。

しばらくの休養を明け音楽活動の再出発となるこの時期が新しい生活のスタートにもふさわしいと思い、子を授かるのを待つまでもなくの結婚です。

新しい力を得た私は今後も胸を張って仕事に取り組むつもりです。
これからも、よろしくお願いします。

ファンのみんなへ

たった今、上のお手紙をマスコミの皆様にファックスで送信したところです。

私、今日、嫁ぎました。
東芝EMIと事務所と親と相談しながら、できる限りみんなにとって良い形で実現させられるように、丁寧に、誠実に、準備を進めてきて今日を迎えました。

だから、心配しないでね!
なんでこの若さで妊娠もしてないのに結婚?と不思議に思う人もいるかもしれない。 でもなにが起こるか分からない世界なら、全ての確信は希望であり、また希望こそが最大の確信でもあると思うのです。愛する人と堂々と人生を歩んで行きたいという自然な気持ちからの決断です。

これからの私を楽しみにしていて下さい!!

2002年9月6日
宇多田ヒカル

 なかなか良い文章だと思う。日本の文字が好き、日本の文学が好き、芥川龍之介が好きな彼女らしい。「でもなにが起こるか分からない世界なら、全ての確信は希望であり、また希望こそが最大の確信でもあると思うのです。」などなかなか書けない。その次に進む文章は、要するに誰と何してるとかこそこそ書かれて、それで騒がれるより堂々と表に出て....ということでしょう。音楽で行くぞ...ということだと思う。

 マスコミには最近あまり載っていないが、彼女のことを記事などで読むと、ご両親はどうしたのかな....といつも思う。だって、文藝春秋にお母さんが長い記事を寄せるほど仲が良くなかった。その点が一番気になったのですが、なんとサイトにはご両親の連名で以下のような文章が載っていました。

いつもヒカルを応援してくれている皆さんへ:
マスコミ各位殿:
 9月6日(金)13時00分
人は誰もが生きていく中で、いくつかの大きな決断を下します。ヒカルも今日、とても幸せな大きな決断をしました。愛する男性と巡り会い、結婚を決意し、婚姻届を提出しました。相手は紀里谷和明氏です。彼はセカンド・アルバム「Distance」のジャケット写真の撮影を皮切りに、去年の6月、「FINAL DISTANCE」のビデオを撮影して以来、その後の総てのヒカルのビデオで監督として僕たちと一緒に仕事をしてきた人物です。僕も、彼の人間性、感性、そして才能を心から認め、ヒカルの活動に欠くことのできないメンバーであることを、ずっと感じていました。ヒカルにとっては、もう一歩入り込んだところまでの感情が芽生えていたようです。僕はヒカルを100%信頼しています。責任感のある、素晴らしい人間に育ってくれていると確信しています。そんな自分の娘、宇多田光の、そして所属アーティスト、宇多田ヒカルの決断を、親としても、プロデューサーとしても、心からバック・アップして行きたいと思います。このヒカルの決断が、皆さんからも受け入れられ、祝福してもらえたら、それ以外に何も望むことはありません。

うただ てるざね/うただ じゅんこ/U3MUSIC

 同時刻に出ている宇多田ヒカルご本人の文章と違って、段落もなく固まりとして発表された文章。一応連名になっているが、「僕はヒカルを100%信頼しています」「自分の娘」という部分から推察すると、お父さんが書いて、お母さんがどのくらい関与したか分からないままに発表したように見える。ということは、まだあまりご両親はヨリが戻っていない ? 

 だってそうでしょう。普通は「私たちは」とか、「私たちの娘」という言葉になる筈です。入籍したと言うことは、式などはどうなるんですかね。ご両親が顔を揃えるのかどうか。それにしても、19才が「私、今日、嫁ぎました。」はいいね。ちょっと笑える。彼女はこんなところに、またこんな言葉に一種の美意識を持っているのかもしれない。

 文章から推察するにご両親の仲が戻っていないにもかかわらず彼女が明るいのには、多分その性格が影響している。サイトに載っている彼女の好きな言葉というのが面白い。

着の身着のまま
諸行無常
ちゃらっぽこ
崖っぷち
一攫千金
February
maybe
love
"most people are as happy as they make up their minds to be" ??
"instead of tug of war, let's play hug of war"--Shel Silverstein
"turn a negative into a positive picture"--Laury Hill
 なるほど、とっとと決心したということです。決断すればhappy になれるという確信があって。でも、「ちゃらっぽこ」というのがおもしろでしょう。どこの言葉か知りませんが、「ちゃらんぽらん」の派生語でしょうが。要するに about ということです。「maybe」なんだけど、「make up mind」する。勢いといっても良い。

 まあもう「一攫千金」したわけだから、あとは流して「諸行無常」といくかというと、そうはいかんでしょうね。もっと才能があるのなら伸ばして欲しい。まだ世界には羽ばたいたとは言えない。一時期、この子はアメリカ人と結婚でもするのかな、と思っていた。違いましたね。(11:53)

2002年09月06日

 (12:45)夕方の日経ネットには以下の記事がある。

財務省、新証券税制の運用見直しを検討

 財務省は6日、来年1月に施行する新証券税制の運用を一部見直す方針を決めた。複雑でわかりにくいとの指摘が出ている新税制の円滑な執行に向け、国税庁、日本証券業協会と三者協議会を設け、年内に政省令を改正する。証券会社が納税手続きを一部代行する特定口座の改善などが対象になる見通し。新税制の浸透を図り、株価下支えにつなげる狙いもある。

 当然だと思う。今の日本では潤沢な投資資金を持っているのは個人だ。だから賢い個人投資家は、今までは株価が安くなると妥当な底値感で買いに出ていた。しかし今回は出なかった。だから株価がだらだらと安値を更新している。

 なぜ出ないか。株式への投資がやりにくい環境が着々と作られているからだ。国債の購入のやりやすさを進める一方で。資金が民間ではなく、国庫に流れるシステムを作ってきたとも言える。しかし経済の富を生み出すのは、民間の経済活動だ。

 今検討されている新証券税制を評価する声は、マーケットからは皆無だ。市場関係者の私でさえ、何回聞いても分からないことがあるし、その後の手続きも面倒。こんなに複雑なら「株への投資など辞めてしまえ」という人が出てきてもおかしくない。で、株価が下がる。下がればもっと誰も投資しない。待っているのは、そして半ば顔を出したのは市場の死だ。あまりに酷いので、今週の前半はあちこちにその旨メールを打った。それが効いたかどうかは知らない。

 見直しは正しい方向への一歩だと思うが、なぜこんなことが最初から分からなかったかと不思議だ。9月を控えて焦っているのなら、そして9月を過ぎたらまた直ぐに忘れるのなら、長期的見通しは必ずしも明るくない。

 願わくば、富を生み出す市場や民間経済のワーキングを妨害しないシステムを早急に組み立てて欲しいものだ。市場への容喙より、できうる限り自由な市場のワーキングを守り、育むことの方が、よほど経済を強くできると思う。(16:28)

2002年09月06日

 (12:45)昼過ぎまで特に用事がなかったので、まあ今日オープンするこのビルに関しては八月に書いたし......と思って、行ってみました。ちょうどこのビルの正面に着いたら、カウントダウンが最後の数カウントになった時だった。午前11時ですか。激しく降る雨の中を、随分の人が並んでいました。

 35〜36階と5〜6階がレストラン階で、8階から34階がビジネス棟、あとはショッピング街という構成。まあビルの中の商店街、レストラン街はあんなものかなと。でも多少工夫がしてあって、商店もいわゆるビルの中の商店らしくないところもある。

 しかし各階を回りながら、このビルの一番良いところは、店の向きによってあの趣のある東京駅の正面をまともに見ながら食事が出来ることではないか、と思いました。その面では、35〜36階の上の階のレストランよりも、5〜6階の駅側のレストランの方がよほど良いと思う。

 何を買うつもりも、食べるつもりもなく行ったのですが、ついヤマノ楽器でDVDを二つほど買いました。花火と地球のDVD。最近この手のDVDに凝っているのです。時間があるときには、このビルでも食事をしても良いと思いました。まったくざっとですが、あのビルで1時間時間を潰せといわれたら、いろいろありますから出来る。

 しかし、あの周辺は相変わらずおもしろみがない。コンクリートとガラスばかり。まあ半年は結構な人が入るのでしょう。物珍しさもあって。しかし、その後の客のリピートを取れるかが勝負だと思う。ビルの中はまずそこそこおもしろみを付けたとして、街全体が面白くなったわけではない。その辺がポイントでしょうか。

 繰り返しますが、夕暮れに東京駅を正面に見ながら軽い酒を飲むのは、結構いけるかもしれない。(12:58)

2002年09月05日

 (22:26)午後6時までアメリカ大使館の近くで用事があって、次の約束が高樹町で午後7時となっていたので、「よし歩こう」と。ははは、メドでどのくらいかかるかも分からなかった。多分50分くらいかな....と。でも暑かったので、途中で中抜けもありかな、という気分ではあったのですが。

 歩けば、いろいろなものを発見する。全日空ホテルを過ぎたところで六本木通りではなく左の道をとったら、その道の左に大きなコンプレックスが出てきた。泉ガーデンというらしい。名前から直ぐ「住友」の名前が連想できました。それを左に見ながら上がっていくと、「Hotel Villa Fontaine」というホテル。「Fontaine」ね。これも意味明瞭。8月31日オープンだそうで、そこでトイレだけ借りてまた歩行連続。

 六本木に抜ける道に出て、六本木交差点の手前で左に折れて国際文化会館の前を通って、麻布10番に。それを右に折れて麻布トンネルの方向に。しかし、そこで見たのもまた巨大なビル・プロジェクト。まあ、良くできている(建設途上)。誰が住むのか。賃貸が多いんですかね、あそこら辺は。

 しかしそこでいったん疲れて、トンネルも嫌だなと思ってちょっと楽を選び。西麻布まで。そこで降りて、また坂を上がってモンスーン・カフェまで。横断してNOBUを右に。で、約束の店に着いたら本当にちょっきり午後7時でした。遅れてきたのは、この人でしたが、特に目的があったわけではない。まあ雑談大会。店の主人も交えて。

 でも店の店主は西麻布、高樹町が長い人で、話していると共通の知り合いが次々に出てきて、面白かった。今夜だけで随分と断片情報が繋がりました。いろいろと話すと面白い。店を出てもう一軒寄って外に出たら、外気もかなり冷えてきていて、歩きやすい。残暑が消えるのももう少しです。涼しくなれば、歩くのも気持ちが良くなる。(23:04)

2002年09月04日

 (08:26)まあよく全世界的に下げたものです。昨日東京がバブル後最安値になっているときに、既に海外市場の先物・場外取引ではニューヨークなどは下げていましたから、「こうなるだろうな」という予感はしました。だから寝るときにニューヨークのダウが260ドル安でも、「まあそうだろうな」と。

 私の関心は、朝起きたときにどうかでした。午前5時頃気になって起きたときは確か300ドル安。「反発していないのか」と思って、もう一度寝て起きたら「355.45ドル安」。海外市場のすべてをチェックしてないのですが、ほぼすべての市場で「安値引け」か、それに近かったのではないか、と思えるのが気になる。昨日の東京は安値引けでした。

 世界的株安のきっかけを作ったのはバブル後最安値になった東京市場ですが、今朝の新聞には新しい証券税制などの話が出ている。昨日も市場関係者といろいろ話をしていて、その点に関しては話をしました。しかし、私はそれらとは別に、次の東京株式市場や世界の株式市場の安値追いに関して、次の3点を考えていました。

  1. 長野県の知事選挙でダムという一種の公共投資を明確に拒否し続けた田中康夫という知事が改めて選ばれたことのインプリケーション

  2. 仮に世界的にデフレが主流の物価トレンドとなったとしたなら、そうした環境下での適切な資産価格のレベルとは

  3. 冷戦後の世界構造はアメリカ一極システムになったが、今回の対イラク攻撃計画を中心に、むしろ世界情勢が不安定化しているとも取れることの世界経済や投資へのインプリケーション
 むろん、結論は出ていません。しかし、一般的に言われている株安要因以上に、この三つの問題を考えておく価値はありそうだと思っています。(08:36)

2002年09月03日

 (16:26)アメリカに居た時ですが、THE ROSEという映画を見たときからベット・ミドラーのファンなのですが、最近彼女の歌の歌詞を全て集めたサイトをここに発見しました。ほんまにネットには何でもある。

 THE ROSEは若くして死んだ天才ロック歌手であるジャニス・ジョップリンの一生を題材にしたと言われる映画で、それはそれは迫力がある映画で、アルバムもすごく良かった。先週大阪に行くときに新幹線の社内FM放送を聞いていたら、何チャンネルだったかこのアルバムを特集していて、しばらく聞いていました。

 実は私のコンピューターには、彼女のアルバムが二つか一つ入っている。必ず入っているのは「EXPERIENCE THE DIVINE」というアルバムで、どこでもよく聞くのです。結構良い曲がある。好きなのは、「HELLO IN THERE」とか「FROM A DISTANCE」とか、さらには「THE ROSE」などなどだった。

 で最近思っていたのは、歌詞を見ながら聴ければ良いのに....ということ。だって、歌の意味がもっとよく分かるでしょう。で、最初グーグルで「hello in there」と入れてみた。出てこない。そこで、bette milderと入れた。そしたら、いくつかのサイトが出てきて、その中にhttp://www.bettelyrics.com/があったという訳です。

 lyrics を進むと、アルバム別、映画別、そしてアルファベティカルに並んでいる。これで全てカバー出来るというわけです。歌詞を見ると、また曲も別のおもしろみがある。以前からある程度知っていましたが、「FROM A DISTANCE」など、どうしようもない甘っちょろい曲ですが、まあそういうこともあるかな、と。これはこれで、良い曲です。

From a distance the world looks blue and green,
and the snow-capped mountains white.
From a distance the ocean meets the stream,
and the eagle takes to flight.

From a distance, there is harmony,
and it echoes through the land.
It's the voice of hope, it's the voice of peace,
it's the voice of every man.

From a distance we all have enough,
and no one is in need.
And there are no guns, no bombs, and no disease,
no hungry mouths to feed.

From a distance we are instruments
marching in a common band.
Playing songs of hope, playing songs of peace.
They're the songs of every man.
God is watching us. God is watching us.
God is watching us from a distance.

From a distance you look like my friend,
even though we are at war.
From a distance I just cannot comprehend
what all this fighting is for.

From a distance there is harmony,
and it echoes through the land.
And it's the hope of hopes, it's the love of loves,
it's the heart of every man.

It's the hope of hopes, it's the love of loves.
This is the song of every man.
And God is watching us, God is watching us,
God is watching us from a distance.
Oh, God is watching us, God is watching.
God is watching us from a distance.

 しかし、サイトを見ていて意外な事実を発見した。アルバムの最後に「IN MY LIFE」という曲があるのですが、この曲は実はクリスマスの時に歌う歌なんですな。一種のクリスマス・ソングだとは知らなかった。サイトには「"It's Christmas time. Gonna sing a little song for you."」とある。この部分は歌われない。

 まあ、英語の歌を歌詞を見ながら聞くのは、英語の勉強にもなりますわな。本当は一回曲を聴いて、歌詞を書いてみて、あっているか見るのが一番でしょうが。もっとも、このサイトの歌詞はよく見ていくと、「too」とあるべきところが「to」だったり、結構スペリングのミスがありますが。σ(^^) (16:36)

2002年09月03日

 (07:26)夕べ寝るときにニューヨークの株価をチェックして、今朝またチェックしたらダウもNASDAQも同じ幅で下げている。珍しいこともあるな.....と思いながら.....。アレっと思って、思い出しました。そうでした、アメリカはレーバーデーでお休み。ははは、ってなもんですな。レーバーデーが過ぎれば、アメリカは秋。今年の場合は9.11が接近してきたということです。日本はまだ暑いのですが。
 ――――――――――
 ちょっと大げさに言うと、昨日は一日「政党が全く参加できなかった長野県知事選挙」について考えていました。知り合いの国会議員に電話したり、改めて田中康夫に投票した長野県の選挙有権者(もちろん知り合いですが)に電話して、「なぜ」「何を期待したの」と。まあ、だらだらと喋っていただけですが。でも、長く喋るといろいろなことが発想として浮かぶ。

 むろん結論は出ていません。しかし、日本の政治には無視できない大きな動きが出てきているように思う。これまで形は見せ始めていたが、今回は大きな、そして鮮明な形になった。昔は政治といえば、出発点は政党だった。政治家になるためには、「どの政党に所属するか」から考えた。今は、政治家になるためには政党に所属しない方がなれる。もし、県知事や市町村長になるのだったら。大きな変化だ。

 なぜこれまで政党が必要だったかというと、選挙は票の数だから、集団の力が必要だったからだ。同じ考え方の人間が集団を作る。彼らが提示したのは、理想とする社会の形と、それに到達するためのプロセスです。資本主義方式で行くのか、社会主義で行くのか。どちらも豊かな社会を理想とした。重点の置き方が平等にあるか、かならずしもそうではないか、などの違いは鮮明だったが。

 システムとしては、資本主義の方が遙かに豊かさを速やかに実現し、世界的に社会主義・共産主義は敗北した。社会主義・共産主義は豊かになるための平等な夢は売ったが、プロセスは腐敗と無駄が充満して、途中で挫折した。だから、豊かになるためのプロセスの選択では世界にはもう大きな選択肢はなくなっている。

 多分これが政党が前面に出なくなった、でなくても良くなった一つの理由でしょう。言ってみれば、政党のレーゾンデートルの一部は「done deal」なのです。特に日本は、アメリカなどと違って一つ一つの政党の存在が、思想のデパートの反映のような国だったから、その面が強い。今は、お互いが存在価値を失ったような。でなければ、第一党の自民党の支持率でさえ30%弱で、無党派が50%を超えるわけはない。「他にないから」が自民党支持の最大の理由だ。民主党の支持率など一桁だ。

 今徹底的に前面に出てきているのは、日本人の「組織嫌い」のような気がする。これはもしかしたら、今まで「組織に嫌な思いをさせられてきた日本人」の気持ちの裏返しかもしれない。自分の会社が嫌い、自分が勤めている官庁が嫌い、一度始めれば最後まで付いてくる政党活動が嫌い.......、でも抜けられない自分も嫌い....と。日本の組織は粘着型が多いから、それに所属することに安心感を求めなくなった日本人には、組織はうざいものとなった可能性がある。必ずしも全否定はしないし、存在の必要性は認めるが、とにかくうざい。

 うざい組織に所属したり、支持を受けている人よりは、無所属の方がよほどまし....というのが今の日本の選挙民の気持ちなのではないか。この点で、組織の臭いが漂った長谷川さんが当選する可能性が最初からなかった。これは昨日書いた通りだ。ではなぜ、市川でも中川でもなく、田中なのか。

 長野県の選挙民と話をしていてよく分かったのは、彼が選ばれたのは「変だけれども、面白い」からだ。いつも何かニュースを提供してくれる。タレントを膝に乗せたり、女性と海外旅行をしたり。「でもそれもいいじゃないの」と一人のおばあさんは私に言い放った。「政治にはそういうところはあるわよ...」と。副知事上がりの知事がそんなことをしたらアウトだっただろう。田中さんならその程度は覚悟の上、という意味あい。つまり、田中康夫は知事だが、長野県の多くの人は彼を単なる知事、伝統的な知事の範疇では見ていない、ということだ。上か下かは分からないが。

 選挙民にも公式の立場があるから、「改革の成果を」という声は上げる。田中本人を語るときの選挙民の顔は、半ばおもしろ半分だ。しかし、「改革の成果」を語るときの彼らの顔は真面目だ。まるで、本音と建前のようだ。だとしたら、実は選挙民が今の田中康夫に期待しているのは、本音の部分だけかもしれない。建前を前面に出するりをしながら、本音を楽しんでいる。

 多分田中康夫も「面白くない政治家」になる瞬間が来る。彼のパフォーマンスが新鮮味を失ったり、あまりにも成果が出ないときである。選挙民は今度は建前で彼を代えるだろう。ここでは明らかに政治家(田中康夫を政治家と呼べるかは分からないが)は消費財となっている。政治家はそうは思っていないかもしれないが、多分そうだろう。脱ダムなどの思想がふりかけになっている、今まではあまり見られなかった商品だが。むろん、それが必ずしも悪いというわけではない。

 自分で選んでおきながら、長野県民の県議会、県庁に対する嫌悪感は強い。「44人全員が辞めたら面白い」と言い放つ人もいた。自分が選んだ人もいるだろうに、この嫌悪感である。田中康夫の名刺を破った県庁の役人に対する嫌悪を表明する人も多かった。「あんな、恥ずかしい」と。だから、田中票には、県議会、県庁批判票が入っている。

 嫌悪感と言えば、田中康夫に対する嫌悪感もあった。しかし、面白いことに男性の彼に対する嫌悪感の方が、女性のそれより強かった。私が話を聞いた女性は大部分の人は、田中康夫に投票していた。つまり、大部分の長野県の女性は田中康夫が今の時点では好きなのだ。なぜ好きか。それは、おもしろからだ。多少のセクハラなど問題ないと。ということは、彼女らは従来の知事などの男は嫌いだったということになる。というか、関心もなかったのかもしれない。

 しかし、こうした「組織嫌い」「面白い人好き」が、日本の政治を変えていくのは間違いないにしても、何をもたらすかは実はよく分からない。今の日本の政治の潮流は、日本が危機の国になれば違ってくるのだろうし、豊かさのレベルが落ちても変わってくるのだろう。しかし、それが望ましいとも言えない。

 多少不況だと言っても、日本はまだ豊かだ。その中で、今までの日本(長野県)、今までの日本の組織(県議会、県庁)に飽き飽きしている有権者には、それに代替しうる可能性を示せる者が魅力的でありつつけるだろう。それが、小泉純一郎であり、田中康夫だと考えられる。しかし、では彼らに何が出来るかはまだこれからの問題である、とも思う。(08:45)

2002年09月02日

 (10:17)テレビは流れもしあるし、そもそも喋る時間が短いので、なかなか思っていることを理路整然と全部言えることはない。今回の長野知事選挙についてもそうでしたが、このコーナーにその辺を纏めておきましたので、興味ある人は読んでください。

 ところで、EZ!TVでなかなか良い番組を作っている制作会社にフォーティーズという会社がある。今まで知らなかったのですが、日曜日の打ち合わせの時にこの会社の東さんが「うちにもHPがあるんですよ....」というので、「じゃ、URLは」と聞いたら、「済みません、知りません....」と。仕方ないのでグーグルで調べたら、ここでした。

 まあHPとしてはやっとここにきて作ったという感じで、アクセス数もこの文章を書いている時点で「4824」とミゼラーブルなのですが、この会社の作る番組で感心するのは「発想の種」の見つけ方ですな。私のこの会社との付き合いは2001年の4月08日から。その日からこのテレビ番組に出ているからなのですが、今まで面白いと思った企画で今でも記憶に残っているものでは、「韓国サイバー戦争」「パチンコ戦争」「買い物しすぎる女達」「小児科が消えていく」「中国”誘拐”人身売買」「南京警察」「OL達の財テク戦争」などなど。

 見ていて思うのは、番組は「発想とその組み立て」がすべてだと思う。面白い種を見つけなければダメ、しかしそれを発展できなくてもダメ。若さと好奇心と、それを組み立てる知識と経験。会社にはいろいろな人種がいて、それが混ざり合って「味」が作り上げられる、というプロセスなのでは、と。これからも良い番組を、よろしゅう(*^。^*)(10:33)
 

2002年09月01日

 (16:10)ははは、ちーと実験をしてみました。週末、それほど長い時間ではないのですが、両親の関係で諏訪にいて車をころがしていましたので。

 何を実験したかというと、昼間のライトオンです。つまり、あえてあの快晴の奇麗な空の下で、昼間にライトをつけて周囲の車がどう反応するか、を見たのです。やる前の予想は、昔ほどではないが何台かはライトをフラッシュさせて、私の車のライトオンを警告してくれるだろうと。

 ところが、まったく一台も私の車のライトオンに警告してくれる車はありませんでした。それは実に見事に、無視。しばらく走っていて、その理由らしきことが判明しました。それは、タクシーです。諏訪のタクシーにアルピコ(ALPICOだと思った)というのがあるのですが、この会社のタクシーは全部昼間にライトオンしている。つまり、諏訪の車は昼間のライトオンの四輪車にはもう慣れていると言える。

 ではその他はどうかというと、佐川急便のトラックに何台も会いましたが、これはすべてライトオン。対して、クロネコヤマトの車は大部分がつけていない。しかし、同社のトラックながらライトをつけている車もありました。運転手の判断になっているのでしょうか。一般車はどうか。トンネルの出忘れかもしれませんが、何台か昼間のライトオンの車はいた。

 これは週末の前の金曜日ですが、東京無線のタクシーに乗ったら窓に「当社のタクシーは昼間もライトオンします...」と書いてある。しかし、その車は乗るときにはライトオンしていなかった。運転手に「どうしたの」と聞いたら、まあ会社はそう決めましたが.....と。ということは、機関決定しても個々の運転手によって違うと。

 まあ、ライトが付いているよというある意味では親切な、別の意味ではおせっかいな車が、運転手がいなくなったのはちょっと寂しいような.....。でも、事故がなくなるならokですが、一般車にはごく一部にしか波及してはいないようです。(16:24)