2004
04月

2004年04月の日記

日記

2004年04月30日

 (07:59)朝の産経新聞を見ていたら、「そうだろうな」という話。何かというと、上海のリニアモーターカーが「失速」という話なのです。

 3月に上海に行ったときにリニアに乗ろうとしたが、午後の早い時間にもう走っていなくて乗れなかった、とここに書きました。その時に、「これはダメだろうな」と思っていたが、別に数字を持っていたわけではない。その数字ですが、この記事によると乗車率は約2割だという。列車によっては、ほとんど人が乗っていないケースもある、ということです。

 この新しい乗り物に対する投資は、日本円にして1157億円だったそうだが、地元紙は「投資に見合わぬ損をする商売、それも大赤字」と報じているという。私が行ったときも中国の人が、「(乗車賃が)高すぎる」と行っていたのを覚えていますが、この記事にもそう書いてある。

 値段もそうだが、上海側の駅がとんでもなところにあるのです。市の中心部から大きく外れている。あれではリニアに乗るために駅に行くのに、上海の人は大変です。設計そのものが良くない。15日からは大幅値下げするそうですが、それでもあの新しい乗り物は上海の飾り物の域を暫く出ないのではないか、と思う。

 ところで、3、4月に2回も中国に行った成果が出る番組の番宣が30日の日経朝刊の24面の中ごろにかなり大きくあります。番組そのものは5月5日放送です。結構内容は濃い。時間があったらお楽しみに。

2004年04月29日

 (08:59)日本時間の28日の夜から気が付いていましたが、同日のニューヨーク株式市場の株価は大きく下げました。ダウもNasdaqも。「よう下げた」という印象の残る下げ。債券相場も大幅に下げて、指標10年債の利回りは4.49%と最近にない高い水準になった。株安・債券安のダブル安の中で、ドルだけは高い。米金利上昇をドルは好感している。

 ニューヨークの株価がなぜ下げたんだい、とウォール・ストリート・ジャーナルをちょっと読んだら、こう書いてあった。

 "Earnings are good, fundamental news is good, but geopolitical is bad, interest rates are bad," said David Briggs, head of stock trading at Pittsburgh mutual-fund group Federated Investors. Figures for first-quarter economic growth are due today and forecasts have been rising, Mr. Briggs noted. But instead of encouraging investors, the anticipation of a strong economy is reinforcing fears the Federal Reserve will raise its target interest rates to cool things off.
 景気が良いのはよいが、それで金利が上がっているし、イラク情勢も良くない、という理由。ここには中国の話は出ていないが、他の市況記事を読むと「中国の金融引き締め→世界経済の減速」というシナリオもニューヨーク市場への打撃となったと解説がある。

 そもそもなぜ金融が引き締まる状況が生まれているかというと、景気が良いからである。上の引用した記事にも、「Earnings are good, fundamental news is good」とある。中国も景気が良いが、中国に関して言うと、良いのを通り越して「過熱」と言う言葉が使われる。先日も触れたように、私は必ずしもそうは思えないが。

 金利が上がり始めた市場に必ず出てくるのは、「景気は金利の上昇に耐えられないかもしれない」という懸念と、「投資先としての競争相手が出現する」というものだ。利回りが高くなれば、株以外の投資対象が確かに増える。つまり投資環境の変化に対する懸念先取りの動き。

 過度の金利上昇が株価に打撃になることは確かとして、景気回復局面初期の、かつ金利の絶対水準が低いところからの金利上昇局面では、一時的な株価の動揺はあってもその後は株価は上昇基調を取り戻すことが大きい。過去の例を見るとそうなる。今回もそうではないか、と筆者は考えている。

 そもそもニューヨークの株式市場で懸念された中国の金融引き締めとは何か。それは「国内の株式制銀行に新規融資の停止を求める」という内容である。では、株式制銀行とは何か。国内で11行あって、中国における中小商業銀行の一形態である。中国には、工商銀行、中国銀行、農業銀行、建設銀行の4大銀行があり、こうした4大銀行は大手国有企業への融資で手いっぱい。で、民間企業への小口の機動的な融資は中小商業銀行が担っている。(中国の銀行システムについてはこのサイトが良い)

 それでは中小商業銀行にはどういうのがあるかというと、

  1. 全国展開の免許を持つ「株式制商業銀行」(11行)
  2. 地域限定の営業だけが可能な「都市商業銀行」(112行)
 の二種類で、今回の金融引き締めはこの株式制銀行に対する新規融資の停止要請という形になっている。これに関する専門家の話が今朝の日経に載っていて、「局所的抑制策」「警告の色彩強く...」という見出しの下に話が掲載されている。中国の当局にしても本気で景気を潰す気持ちはない。筆者も経営に自己判断、政治との乖離を求める当局の金融界に対する警告だと思っている。

 29日夜のGDP統計、5月4日のFOMC、そして週末の雇用統計と注目を集める発表が続く。市場は当面神経質ではあるんでしょう。それは日本も同じ。しかし、確認しておきたいのは、景気が良くなっているから金利が上がるのだ、という点だ。

2004年04月28日

 (17:51)そういえば、昨日の大学で最初だからと思って50人以上の学生の出欠を取っていたら突然「粗」という名字の学生がいて、立ち往生しました。読めない。

 最初思ったのは、「あら」さんかなと。で「ですか」と聞いたら、違っていた。何と読むかというと、「ほぼ」と読むのだそうです。北関東の出身の方だそうで、その地域としても珍しいらしい。

 でも気持ちは分かりますよね。「粗」とは荒い、とも読めるので、正確ではないと言う意味で「about」ということで、「あらあら」というような場合の「粗」だろうし、about という意味での「ほぼ」につながるとも考えられる。

 以前ニューオータニのカプリ(本館のバー)には「温品さん」という人がいて、「ぬくしな」とお読みしたのですが、バーの名前は忘れても、この人の名字は忘れなかった。おけい寿司の「埼玉繭夢」さんも凄いのですが、この方は水曜日に昼飯を食べに行ったときも健在で、がんばって仕事をしていた。

 この埼玉さんの話を近くのコーヒー屋さん、といってもかなり良いコーヒーを入れてくれるの香咲(スペイン語のカーサ=家、casa からの発想だと思う)でその話をしたら、早速バッグバッカーの店のお嬢さんがおけいに行ったらしくて、おけいの瀬谷ちゃんが「伊藤さん、その話をしたでしょう....」。ははは、そりゃ広めますよ。

 ところで今この本を読んでいるのですが、東京の街や駅の名前も面白い。パラパラと読んでいるのですが、「秋葉原」「品川」「原宿」などの地名が今のところ面白かった。各地方にもそれぞれいろいろな地名があり、それらに全部理由があるとしたら、結構な探索先です。

2004年04月28日

 (00:49)またまたどうしようもなくなって、ブックオフの担当者に来てもらって。本を122冊も出しました。本当はそうしたくないんですよ。しかし、貯まる本は一定間隔を置いてどうしようもなくなる。で、定期的にブックオフに来てもらうのです。

 なぜそんなに増えるのか。まず買う。結構買います。それは、日経ビジネスで書評を担当していることもある。また送られてくる本もいっぱいある。ちょっと油断すると、直ぐ自分の部屋が本だらけになってしまうのです。積んでおくのですが、定期的にそれが耐えられなくなる。「どうしても少なくしたい」と。

 私の所は、ブックオフの南阿佐ヶ谷店から来てもらいます。今回もまじめそうな男の子が来てくれた。来ると10分くらいかけて本を全部見るのです。書き込みなどが凄い本は持って行ってくれない。今回は4冊を「無理です」と拒否された。あと、雑誌はダメです。漫画ならいいんでしょうな。多分CDなども良い。

 その上で、「これこれになりますが...」と料金を提示してくれる。こちとら最初から足下見られているようなもので、どういわれても「いいですよ」という気分にあるのでで、最初から勝負はついている。122冊出していくらだったと思いますか。1万2000円ちょっとだった。つまり一冊100円で持って行った。ハードカバーなどいろいろあったのですが。

 いくらで店頭では売りに出るんでしょうかね。ブックオフはフランスにも進出するそうですが、確かに良いビジネス・モデルです。思うのは、出版社はSRIの対象には、そしてCSRにはなれないかもしれない。SRIは「socially responsible investment」で、CSRは「corporate social responsibility」。今は印刷した本のほぼ半数が消費者の手に渡らずにそのまま消えている。環境に良くない。

 家電のリサイクルは実施に移された。本はどうなんでしょう。いつかやった方が良いと思いますが。

2004年04月27日

 (17:49)新年度初めての大学での授業。いや、本当は「初」は先週のはずだったのですが、例年通り水曜日だと思っていたら大学から夕方に電話がかかってきて「今年は火曜日ですが....」と。もう遅い。で、今週が年度最初の授業となった。

 私が教えているのは短大の1、2年生で、聞いたら半分以上が一年生だった。つまり3月まで高校生だった女の子達です。むこうはむこうで、「どんなのが教えに来るのか」と思っているんでしょうな。少数の子はテレビを見ている。今年も受講者は多くて、50人以上。試験の時など結構大変なのです。

 あっという間なんですよね、彼女らが大学生でいられるのは。短大ですから、直ぐに就職活動になって、卒業を迎える。4年に編入する子も多い。短い大学生活の開始、というわけです。

 それにしても今日の風は強かった。私が見かけたのは怪我をしたご老人。信号待ちをしていたのでしょう。しかし、あの凄まじい風で倒れてしまった。80才の超えているであろうお爺ちゃんでした。鼻血を出して倒れてしまっていた。もう大勢の方に囲まれて救急車も来ていましたので、私はそのまま何もしないで駅に向かったのですが、一時は私でも体をもっていかれかねない凄まじい風だった。

 日曜日には松本や岡山でつむじ風があったそうで、それも竜巻級の凄い奴だった。なんか天候が不順ですな。

2004年04月27日

 (07:49)「中国経済バブル論」が盛んだ。しかし今年に入ってだけで2回中国に行った私には、別の視点がある。それは、先進国から数字だけ見ても分からない部分が中国にはある、という点だ。

 瀋陽で「遠大」というエレベーター、エスカレーターそれに建設資材の会社の社長と話していたときだ。中国の建設市場の話しになった。彼の中国経済に見られる建設ブームに対する解説が面白かった。彼は言う。「(まっとうな)需要があるのだから、必ずしもバブルとは言えない」と。

 上海でもそうだし、他の中国の大部分の都市でも、そして地方でもそうだが、今まで中国の人々が住んでいた住居は、それはそれは酷いものだ。一昨年テレビの取材で高層ビルの足下の貧相なアパートに入っていったとき、隣の高層マンションと比べた時の、そのあまりにもの貧相さに目を奪われたことがある。

 4畳半が二部屋しかないような部屋の中はぼろぼろで、キッチンもそうとは呼べないようなものだった。そこから「食べろ」と何か出してくれたが、口に入れる気になれなかった。つまり汚かったのだ。入り口から見て奥の部屋はお嬢さんが使い、夫婦は外から簡単に覗けるような入り口の部屋に住んでいる、という。二人が寝れば一杯になるような部屋だ。お嬢さんは遅く帰ってくれば、両親を跨いで奥に入っていくのだろう。

 「隣にあんな大きなアパート(マンション)が出来て、その格差に愕然としませんか」と聞いた。怨嗟はないのか、と聞いたのだ。そしたらその家の奥さんが、「私たちもいつかああいうところに住めると思うので、歓迎だ」というのです。

 中国における需要のジャンプ(家、車などなどに対する)は、今までのそれはそれは酷い状況からの脱出の意味合いが強い。カローラをマーク?に乗り換えるのと訳が違う。

 彼等の今までの生活水準は、日本人が想像するレベルをはるかに超えて酷い。日本の戦前にもなかった光景なのです。だから上海で、「街の古い佇まいが壊されて、街の景観が高層ビルなどであまりにも急激に変わることに抵抗はないのか」という質問をしたら、「なぜそんなことを聞くのか」という顔を誰にもされた。一人残らずだ。

 中国の人にとって、「過去は、思い出したくもない惨めな生活そのもの」であって、であるがゆえに早く脱出したいものなのだ。日本人は「きっと上海の人々も古い上海がなくなるのを残念に思っているだろう」と想像する。しかしそれは全くない。これは断言できる。そしてそれは今の中国の都市全体にみなぎっている感情だろう。「過去からは早く脱したい」という。

 であるからして、中国の大部分の庶民は街の景観の変化を、将来に対する明るい未来としてのみ見なしているはずだ。日本人が行って、「あんなに作って大丈夫」と見るのとは全く違う。

 作っても作っても、中国の人はそれを「惨めな過去からの脱出」ととらえ、一方日本人を含めて海外の人間は、「ちょっと成長が早すぎるのでは」と思う。この違いは間違いなくあるのです。むろん効率の悪い国営企業さえも設備投資を急増させている、といった問題点はある。

 しかし「惨めな過去から早く抜け出したい」一心の今の中国庶民の目からすれば、「中国経済バブル論」が跳梁跋扈し、例えば中国の人々が巡航速度、それ以下だと不況と考える7%前後に落ちれば、「未来が先に行ってしまった」と考えるでしょう。中国の成長には、数字だけでは計り知れないものがある。

2004年04月26日

 (07:49)去年と今年では、朝のニュースの中味が全然違うな..面白くない..と思う日々。今朝も、アメリカからのニュースはがっかりするものばかり。

 何かというと、日本人の有力選手が所属する大リーグ・チームに関して。とにかく、不振がひどい。向こうの日曜日も、マリナーズは「イチローの13試合ぶりの打点にもかかわらず5連敗」と情けないニュース。K松井のメッツは3連敗で、彼自身はノーヒット。M松井のヤンキースも宿敵レッドソックス(マルチネスが投げたようです)に負けて4連敗。松井もノーヒット。

 去年と今年では全く違う。去年はワクワクしたし、実際に所属チームは調子が良かった。確かヤンキースもマリナーズも凄く勝ち続けた。が、今年はなんか駄目。日本人打者が所属するチームが揃って調子が出ない。何なんでしょうか。なんとか調子を選手も、そしてチームも戻して欲しいのですが。

 先の話しなのですが、3チームのうちどれかはワールドシリーズに出て欲しい、と思っているのですが、今の調子だと難しい。ま、先はありますが。

2004年04月23日

 (16:49)欧州の株式市場が始まったら、ダイムラー・クライスラーの株価は7%近い上昇。対照的だったのか、金曜日の東京市場の三菱自動車の株でした。値付かず。8000億ぐらい必要とされた資金のうち、株の37%を持つダイムラーからかなりの部分を出してもらえると思っていたら、「ノー」と。

together with the major shareholders of the Mitsubishi Group, DaimlerChrysler has tried hard to establish a solid financial structure. However, it was not possible to find a solution leading to an acceptable result for DaimlerChrysler
 つまり、どうやってもダイムラーが受諾できる計画が立てられない。だから、一銭も出せませんと。海外のメディアにはダイムラーが37%の持ち株分を売り払う、との見方も出ている。ダイムラーも本体の立て直しに忙しいのです。BMWの高収益に比べて、ひどい決算が続いている。

 三菱自動車は被害者でしょうか。私にはそうは思えない。あまりにも不祥事が多かった。あれだけ消費者の心証を悪くしたら、メーカーは立ちゆかない。どういう企業体質をしているのか知らないが、最近は三菱自動車には驚くことばかりだった。

 三菱グループとしては体面もあるのでしょうが、あまりにも重い。東京三菱銀行、三菱商事、三菱重工など関連会社の株価が大きく値を崩したのは当然でしょう。この週末のグループの決定が、今後の三菱自動車の先行きを大きく変える。しかし、重要なのは三菱自動車そのものの姿勢です。これが直らないと、先行きはどんなに資金をつぎ込んでも危ない。

2004年04月23日

 (07:49)この商品は名前がいいな。「じゃばら」と言うのです。木曜日に放送局で勧められて知った。飲んでみたが非常にのどごしが良い。「じゃばら」には「邪を払う」の意味が込められている、というのです。

 加えて、この柑橘類は和歌山県の北山村でしか出来ない、という地域限定型なのが良い。じゃばらとは何物か、というとここにサイトがあります。花粉症にも効くという。なかなか面白い商品です。

 北山村。行ったことはないが、小さい村でこの柑橘類をゆたったりと作っているのでしょう。そこから出てくる商品はおもろいかもしれない。

2004年04月22日

 (18:49)FTを見ていたら、一面に「おや」という記事。「China wants renminbi to float against other currencies」というのです。つまり、中国は人民元を変動相場制に移行させたい、と読める。

 誰が言っているのかな、と思ったら、Guo Shunqingという名前で、役職としては「4400億ドルの外貨準備の administrator」と書いてある。ということは、責任ある人なんでしょうし、FTがインタビューの相手にしているということは、それなりきの人と言うことでしょう。

 その人が、「中国は変動相場制が良いと思っており、固定相場制が良いとは思わない」という発言をしているのは、それなりきに重みがある。どういう変動相場制か。この文章によると、どうやら通貨バスケットに対する変動らしい。そのバスケットをどう組むかがまた大きな問題です。

 どうやら、中国は徐々に腹を決めつつあるように見える。FTの為替関係の記事では、社説にある「The unhelpfun recovering dollar」も面白い。

2004年04月21日

 (07:49)まあね、グリーンスパンとしてはこう言うしかないでしょう。彼の議会証言をざっと見た範囲では、非常にアメリカのバンキング・システムに対する信頼に満ちているように見える。しかし、そりゃ「金利は今後上がるかもしれないし」ということは言わざるを得ない。

 市場が一番気にしたのは以下の部分かもしれない。そりゃ、いつかは金利は上がりますよ。

That is, many banks seem to believe that as rates rise--presumably along with greater economic growth--they can increase lending rates more than they will need to increase rates paid on deposits. Certainly, there are always outliers, and some banks would undoubtedly be hurt by rising rates. However, the industry appears to have been sufficiently mindful of interest rate cycles and not to have exposed itself to undue risk.
 これを見たアメリカの株式、債券市場は「利上げは予想より早い」と見たという。株はダウで123ドル近く、Nasdaqで41ポイント前後下げ、債券市場では指標10年債の利回りが4.47%に上昇した。株は私が寝るときには上げているか、昨日の引値近辺だったが、グリーンスパンの証言以後、引けにかけて一気に下げた模様。しかし、他の言葉を多少引用しても、彼は米経済の先行き、とりわけ米金融システムの先行きに強きのように見える。
Today, with the benefit of hindsight, we can see that the weaknesses I cited then have indeed been mild for the banking system as a whole and that the system remains strong and well positioned to meet customer needs for credit and other financial services.

All told, the available data, industry and supervisory judgments, and the long and successful experience of the U.S. commercial banking system in dealing with changing rates suggest that, in general, the industry is adequately managing its interest rate exposure

 結局、低金利に慣れた市場が、金利の上昇をダイジェストできていない、ということです。どのくらい時間がかかるかは分からない。恐らくFRBとしては、「patient」の中に、上げ始めても足早ではないというイメージを埋め込みたかったのでしょう。ですから、そのニュアンスが市場に伝われば状況は違ってくると思う。

 今週は別のグリーンスパン議会証言も予定されているようで、「言葉の魔術師」と言われる彼が、この自分の発言の余波をどの程度修正、マネッジメント出来るのか、それが問われると言えそうだ。ま、市場について言えば、「どちらにせよ、調整したかった」ということでしょう。ただし香港の市場などの調整はきつい。こちらは、自国の引き締めとのダブルですから。

2004年04月19日

 (18:49)今見たウォール・ストリート・ジャーナルに掲載の

Fed Might Lean to Higher Rates, Likely Won't Act Before August
 という記事は、気は早いがなかなか面白い記事です。次のFOMCは5月4日ですが、その場ではFOMCは利上げは決定しないだろうが、声明文章を変えることによって言葉の魔力を使ってverbal tightening を行い、それによって1)自らの米経済への見方を素直に表現し 2)FRBが実際に引き上げを行う時に備えて、投資家の予想を調整する(投資家に準備させる)ーーの二つの目的をかなえる、というもの。

 では声明はどう変えられるか。一つは労働市場への認識を前向きなものにする、もう一つはインフレに対する見方を変える。後者について言えば、今までは物価が急速に低下する危険性を指摘するものだったが、今後はインフレとデフレのリスクを均衡させる、という。

 一番注目されるのが、「patient」をどうするか。これが落とされると、市場は6月の利上げを予想する。よって落とさないかもしれないが、今の予想だと8月にはFRBの金利引き上げ、つまり引き締め転換あると見る向きが増えているという。

 問題は、利上げに取りかかった後の金利引き上げのペースである。「patient」の語彙の中には、「上げるのを我慢する」に加えて、「上げ始めてもゆっくり上げる」の意味が込められているという。そうだろう。今の世界経済には、デフレ圧力は強くある。

 しかし、問題は市場対策である。金利が上げ始めた時の市場の予想は、往々にして「急速にして、足早な利上げ」である。FRBはこの市場の予想とも戦わなくてはならない。

2004年04月17日

 (22:49)行方不明になっていたフリージャーナリストなど二人の日本人もリリース。出てきて初めてやはり人質事件だったことが明らかになった。今度は犯行声明はなく、メッセージを託されての救出。

 この二人はどういう選択をするのか、と思っていたら、二人はどうやら宗教者委員会のメンバーに「大使館に行くと日本に帰されるので、大使館には行きたくない。イラクに残って仕事をしたい」と言ったそうだ。

 ここで一つ言えることは、前の3人を含めてのことだが、一度人質になったメンバーが再びイラクに戻り、そして再び人質になって生命の危険にさらされたら、日本政府は再び救出に動かざるを得ないだろうが、日本国内の世論は彼等に対して全く冷たいものになるだろう、ということです。怒りさえ噴出して来るに違いない。

 NHKの出川さんなどは今でもバグダッドから中継をしている。伝えられるところによると、ビルからほとんど出ないで取材をしているという。どうするんでしょうね。NHKは「いかなる理由にしろ、イラクには入らないで欲しい」という川口外相の発言を繰り返し報道している。しかし、記者は置いたままだ。

 話しは変わりますが、久しぶりにいろいろ英語記事を読んでいたら、「clamshell phone handsets」という単語に出会いました。話しの前後から、これは「折り畳み式携帯電話」だとわかった。「clamshell」ね。貝殻は確かに向かい合っている。開けるときは、貝殻が口を開くときのようだ。面白い表現だと思う。

 携帯電話の巨人ノキアは、携帯電話のトレンドがアイスクリームバーのような直線的なものから、「折り畳み式」になったのに気づくのが遅れて収益状況も悪くなったし、今後も悪くなるだろう、という記事の中に出てきた。

 対比されているのがサムスンで、こちらは携帯電話市場のトレンドに乗って、大きく収益を伸ばした、と記事にある。それとの関連で言うと、わずか3年前、2001年に中国に行った時には、携帯電話はすべて黒で、呼び出し音も全部一緒、むろん折り畳み式などなかった。

 しかし今回行ったら、日本ほどではないが中国の携帯電話も折り畳み式が主流で、色もカラフルになりつつあった。ノキアはそういえば折り畳み式が少ない。トレンドに乗り遅れれば、トップのメーカーでもあっという間に退潮になるという良い証拠です。まあそういう意味では、3年後の携帯電話市場を見通すのは難しい。

 また話しは変わりますが、NHKの夜9時からの「人類大進化」(でしたっけ)は面白かった。山崎努の起用が当たっている。期待できるシリーズだと思いました。彼の67年の人生が、地球の歴史から見ると半秒というのが笑えた。

2004年04月16日

 (07:49)瀋陽を出てまた列車を使って大連に入り、一泊して木曜日の夕方に日本に戻ってきました。中国で合計8時間も列車に乗ったことになる。二日で合計8時間も列車に乗るのは、日本でも例がない。

 8時間も中国の人たちを観察できたのは面白かった。グループで移動している人は少なかった。知らない人同士がベラベラしゃべると言うことはあまりないようで、結構黙って4時間を過ごして目的地を目指す人が多かったのは印象的でした。グループはトランプをしたり、中国の将棋をしたり。

 面白かったのは、ほぼ全線に渡って列車の中で小さくではあるが音楽が流れていること。日本では新幹線などの列車発射時などでしか聞けないが、結構ずっと音楽が流れていた。売り子は多い。果物、飲み物。日本では一緒に売ってくるのですが、中国では一人一人がまるで球場の売り子のように、一人一商品という形で商品を抱えて売ってくる。台車が使えないのは、中国の列車はバリアフリーではないからです。台車は通れない。二階建ても多い。

 しかし、かなり立派な、大きな列車です。日本と違って中国では昔から広軌を使っているらしい。その分だけ列車を立派なものにすることができる。日本は新幹線は別設計ですが、普通の列車は狭軌です。

 それにしても、大連は良い街だし、もっと良くなると思いました。瀋陽と比べると、同じ中国の都市かと思うほど違う。青島の雰囲気があります。街全体が茶色っぽくて。緑も多い、公園も多い。改めて、「ここの人は背が高い」と思いました。海もある。あと、そうですね、空気が綺麗にならないと。

 久しぶりに成田から都内に向けてはバスを利用しましたが、あの高速道路も道自体がかなり劣化しましたね。かなり揺れる。道路沿いの風景は緑豊かで良いのですが。

2004年04月15日

 (21:45)日本人二人が新たに居場所がわからなくなり、拘束の可能性が強まる一方で、今まで人質にされていた3人が解放。テレビの第一報ほど歓喜だけをすべき報道かどうかは私には疑問がある。イタリア人人質は死んでいる。イラクの事態が今のままなら、また危険を冒してイラクに入る日本人がいる限り(それが良いか悪いかの問題は別にして)、繰り返し起こるような気がする。

 3人について言えば本当に良かったのですが、問題は残った。解放の手順、つまり犯行グループから聖職者協会へ、協会から大使館へ、という道筋は分かった。しかし、ではなぜイタリア人が一人殺される中で日本人が3人とも解放されたのか、裏交渉はあったのか、ファルージャ情勢があったにせよ犯人グループはなぜ解放に24時間以上の時間を費やしたのか、その間どういう動きがあったのか、犯行グループの中の意見は一貫していたのか、今後こうした事件を回避するためにはどうすべきか、など問題が多い。

 一つ明らかなのは、イラク・イスラム聖職者協会という団体が、今の混乱と狂気の荒れ狂うイラクの中にあっても、あまたの武装集団に対する強いオピニオン・リーダー役を果たしたと言うことだ。全く同じ人かどうかは知らないが、聖職者協会のリーダーの一人はアルジャジーラにテレビ出演して、「3人はイラクの人々の為に働いていた」と3人を養護していた。そういう背景があり、武装グループが聖職者協会に一端は約束した経緯の中で解放された、とも理解できる。

 今夜は「よかった」というだけの報道が支配するでしょう。しかし、新たに日本人二人の行方は不明になっているし、サマワでは反自衛隊のデモも起きている。3人は解放されたが、日本が直面している問題は解決していない。その認識が必要だと思う。

2004年04月14日

 (23:45)中国の他の都市に比べて活力とか、勢いを感じない瀋陽ですが、脱北者の駆け込み事件のあった瀋陽の総領事館の周辺だけは緊張感に包まれていました。建物全体が鉄線に囲まれている、という以上に。

 例の駆け込みがあった玄関には4人の警官が立って厳戒していたのですが、メンバーの一人がカメラを構えたら、詰め所にいた警官が5人ほど一斉に声を上げて飛び出てきた。つまり、写真さえ撮るな、ということなのです。

 一緒に行動していた中国の政府関係の方が出て行ってくれて説明して事態は収まったのですが、この場所が事件から相当時間がたつにもかかわらず、相当緊張状態が続いていることが分かる。大体、あのゲートの前は通り全体に車が入れないようになっている。

 ゲートの反対側は日本で聞いていた通り商店とアパートが一緒になって建物が続いていて、そこでは今でも一階でいろいろなものが売られている。その上の二階とか三階にカメラを構えた人があの事件の時にはいたんでしょうね。中国政府ももうあのような事件を起こしたくないと考えているのがよく分かる。

 瀋陽は地図を見てもそうですが、北朝鮮との国境に近い。街を歩いても、ハングルのカンバンが目立つ。韓国の焼き肉屋も多いし、そこでは伝統に則って犬の肉を出す店もある。見て直ぐに、「ああこの街には、朝鮮半島の人が多いのだな」と分かる。脱北した人が隠れるには好都合なんでしょう。

 ただし街の様子を見て分かるのは、簡単に職が見つかるような経済状況ではない。生活も容易ではないのでしょう。だから、いくら同胞がいるにしても、韓国などへの出国を試みると言うことになる。瀋陽の日本総領事館の緊張は今後も続きそうですが、あの中で働くのは大変だ、と思いました。

 取材は、午前中にICBC(中国工商銀行)の瀋陽支店に伺って、支店から見た地域経済や経営が抱える問題点、中国のネットバンキングの実態などを聞いたり、実際に見せてもらいました。まあ、中国経済全体論、金融論を論じるには支店では無理でしょう。

 面白かったのは、支店といっても建物は日本の銀行の本店ほど大きいし、この中国でもトップに位置する銀行の総従業員数は40万人にも達し、瀋陽が位置する省の中にも1万人の行員がいる、というのです。実際に中国の街を車で移動すると、「銀行」と書いたカンバンがやたらに出てくる。「ああ、銀行が多いんだな」と思う。

 しかし、このやたらに多い銀行と銀行員が余剰だとの認識はあるようで、「構造改革の最中にある」と対応してくれた人も言っていた。まあ半分には減らせるんでしょうが、国営銀行ですからその作業は難しいでしょう。リストラのやり方を聞きましたが、なかなか興味深かった。

 面白かったのは同行のネットサイトを実際に目の前で操作してもらったこと、さらにはパスポート一つで簡単に口座を開けたことでした。しかもマルチカレンシー、つまり私のポケットに入っていた人民元、米ドル、それに日本円で。

 中国のネットバンキングを見たのは初めてでしたが、なかなか進んでいるという印象。中国でも大企業はほとんどが給与は銀行振り込みで、その口座をネットで見ている、送金もそれでやっている人が多いという。

 いろいろ見せてもらって、銀行のサイトから上海や深センの株式まで買えるのを発見しました。ユニバーサル・バンキングなのかどうか。これから調べようと思っているのです。ICBCは東京に支店があるそうで、こちらで作った口座の使い道については、今後検討する予定ですが、見ている間にマルチ・カレンシーの口座が出来る過程、中国の銀行の人たちのスムーズな作業を見ていて、「非常に能力の高い人たちだな」と思いました。これには感服した。

2004年04月13日

 (24:25)瀋陽の市内を車で移動していたら高速道路から見える大きなビルのカンバンにこう書いてあった。

 「東北大振興 瀋陽要先行」

 この中国語なら、私でも分かる。遅れている東北を大振興させる。これは中央政府のお声掛かりでもあるのですが、その振興運動の中で、我々の瀋陽が先行しなければならない、と。東北の他の都市も「先行」を狙っているが、我が瀋陽が先行しようじゃないか、という街のスローガンだ。

 「しかし」、と思う。先行するにしては、今まで見てきた他の中国の大都市に比べて、瀋陽は遅れがあまりにも鮮明なのだ。古びた、ほこりっぽいビル。人々の着ているものにも華やかさがない。全体的に言えるのは建設中のビルも少なく、「資本投下不足」の印象。この街は近代化するためには、どこからか資金を持ってこなくてはならない。なぜこうなったのか。これまでに私が理解できたことは以下の通りである。

  1. 日本が治めた40年間を含めて、この地方は資源(鉄鉱石や石炭など)が豊かで、重工業地帯だった。戦後は産業の多くが国有化され、中央政府の厚い庇護を受けたし、この地方の人々の誇りでもあった

  2. しかし、地方を引っ張った重工業は、国営企業の非効率や海外との競争で徐々に活力を失い、国も中国経済振興の柱を他の産業に移し、たとえば深センとかの南の地域や北でも大連などの港町を開放区に指定し、「豊かになれる者から豊かになれ」(?小平)という政策を取った

  3. この結果、瀋陽が位置するこの地方はかつての誇りを人々の間に残しながらも、中国の大発展の中で遅れ、資本の投下も進まず、中国の各地方の中にあっても全企業数に占める国営企業の割合が多い

  4. 重厚長大産業は改革が進まず、競争力を失ったままだが、一方でこの地方を引っ張る新たな産業が育っていない。ハイテク産業などが大きな候補だが、依然として地域産業を引っ張る存在にはたっていない。つまり、地域を振興する産業の橋渡しに失敗している。産業の端境期に嵌ってしまっている

  5. この地方の人々は「なんで」と思いながら、中国の他の地方の発展のスピードからは取り残されつつある。しかし地方としても「なぜ我々が遅れているか」の総括と新たな発展への踏ん切りができないままに時間を過ごしている
 ということのようである。国営企業は取材させてもらえないのではっきりはわからないが、国営とか公営の企業が抱える問題は世界共通である。指示待ち、顧客無視、対応力の低さ、競争意識の欠如。今の変化の早い経済の潮流の中にあっては、存在感は薄れるばかりだろう。後ろ向きの雇用の受け皿にはなっているかもしれないが、前向きな受け皿ではない。不足しているのだ。

 省の社会科学院のトップが嘆いていた。「人材はとられ、市場もなければ、資本もない」。優秀な知事がいても、他の地方にとられたりした経緯もあったようです。しかしもともと地域の発展が属人的であってはならない筈です。市場は確かに小さい。南に比べて、北は人口の希薄地帯が多い。土地もやせている印象がする。資本は国の政策もあっただろうし、資本を動かせる日本の資本の導入が遅れている、ということがある。

 日本企業にしても、市場があり、既に資本の集積がある程度進んでいる南(上海など)を投資先として考えるというのが自然である。四川省も日本企業に秋波を送っているし、そういう意味ではこの東北三省は地域間競争にも勝たねばならない。

 威勢の良い企業もありました。「遠大集団」は建材やエスカレーター、エレベーターを作っている企業でしたが、社長も魅力的で、企業としても勢いがあった。東北大学(中国の)の副学長・教授が作ったコンピューター・ソフトウエアの会社(東軟集団)は既に日本の企業との取引もあるようで、「当方は優秀、しかも安い」と日本からモジュール化したコンピューター関連作業を含めて日本から仕事を受託した、と強い意欲を示していた。日本にとって中国を、アメリカにとってのインドにしたいようだった。

 しかし、こうした勢いのある企業も、まだ地域そのものを動かすには至っていない。前回の全人代が「格差是正」を言っているのは、「地域格差」の是正もあるに違いない。中国にとって、そして遅れたサイドに属するこの地方にとって大きな問題だろう。

2004年04月12日

 (24:25)あらら、まだ拉致された日本人3人の解放は確認されないのですか。イラクの情勢は、人質を取ったり解放したり、とめまぐるしい。イラクの人々も、今後のイラク復興のために役立つ民間の人々を苦しめるのは得策ではないのに....。

 ところで、月曜日の朝成田から大連に入り、夕刻から大連の駅から列車に乗って瀋陽に着きました。4時間かかったかな。結構な長旅でしたが、中国大陸で列車に乗ったのは初めてで、それはそれは良い経験になりました。

 中国の列車は、少ない経験から言うと、思ったよりしっかりしている。時間もぴったりだったし、結構綺麗で、横揺れは大きいがスピードは踊り子号並みかな。いろいろなタイプの車両があって、ミニコンパートメントもあれば、普通のグリーン車両もあれば、一般車両もある。

 今回も日本からは4人で来ているのですが、やはり北は南と違う。土が赤茶けていて、季節の関係もあるのでしょうが、緑が少ない。かつて北京から万里の長城に向かったときに、山に気がないのに気づいて、日本は本当に緑の国だ、と思ったことを思い出しました。

 大連は綺麗な街です。飛行機を降りて電車の時間まで余裕があったので、ホテルに荷物を預けて中山広場で街を観察していたら、「日本語を勉強しています」という二人の20才の女の子が話しかけてきて、しばらく話していたら面白かった。「この街は綺麗になる」という印象。

 対して、まだ夜なのでよく分からないのですが、瀋陽はほこりっぽい、言ってみればちょっとシャビーな街です。例の事件が起こった領事館にもまだ行ってありません。明日、明後日と街を歩き、企業を訪問する予定です。上海、成都、大連とあまり変わらない活力のある印象がするが、瀋陽はちょっと違うかもしれない。

2004年04月11日

 (10:25)やはり声明には当初伝えられていた以上の内容が含まれていました。朝日の記事からですが、今後のために残しておきますが、それでも「要旨」とされている。その国の言葉が直接読めないというのはもどかしいですな。

 慈悲深く慈愛あまねく神の名において

 日本政府が3人や日本の国民を気にかけない、悲しい状況の中、我々がイラク国民のためにどうするかを考えるときがきた。高慢な日本政府の指導者はブッシュ(米大統領)やブレア(英首相)の犯罪的な振る舞いに従ったまま考えを改めず、自衛隊を撤退させようとしない。

 米国は広島や長崎に原子爆弾を落とし、多くの人を殺害したように、ファルージャでも多くのイラク国民を殺し、破壊の限りを尽くした。ファルージャでは、米国は禁止された兵器を用いている。

 我々は外国の友好的な市民を殺すつもりはないと全世界に知らせたい。なぜなら、我々はイスラム宗教者委員会が我々に殺害をとどまるよう求めたことを今晩の報道や特別な情報源から知ったからだ。

 我々は、次のことを決めた。

  1. 我々は、イラクのイスラム宗教者委員会の求めに応えて、3人の日本人を24時間以内に解放する。

  2. 我々は、親愛なる日本の民衆に対して、日本政府に圧力をかけ、米国の占領に協力して違法な駐留を続ける自衛隊をイラクから撤退させるよう求める。
 神は偉大なり。勝利するまで戦いは続く。

  ヒジュラ暦 1425年サファル月19日

     西暦 2004年4月10日

サラヤ・ムジャヒディン

 要旨でも、犯人グループが何を考えているのか、この声明から見えてくるイラクの人々の気持ち、というか国内情勢というものはある。
  1. 敵(アメリカ)の味方は敵(日本)という拉致・声明発表の当初の考え方を改め、日本政府と日本国民という形で、日本が複雑な構造を持つ国であるとの認識に立ち、政府を率いる小泉首相はブッシュ、ブレアの振る舞いに従って自衛隊を撤退させようとしていないが、日本国民は....という形の認識に改めた

  2. 第二パラはほとんどアメリカ非難に費やされ、アメリカに対する敵意が強いことが読み取れるが、その文脈の中で「米国は広島や長崎に原子爆弾を落とし、多くの人を殺害した」と、日本と米国を被害者と加害者に色分けし、その文脈の中でファルージャでの戦闘について「米国は多くのイラク国民を殺し、破壊の限りを尽くした。米国は禁止された兵器を用いている」と指摘し、「禁止された兵器」に原子爆弾をダブらせながら、日本とイラク、特にファルージャの人々との「共同被害者」認識に立っている

  3. 捕まえた3人に関して「(イラクにとって)外国の友好な市民」である認識に立って、「そういう市民を殺さないことを全世界に知らせたい」という形で広報、自分たちに対するイメージ維持にも気を遣っている点、さらに解放決定にイスラム宗教者委員会の求めが非常に大きな役割を果たしたこと

  4. それから類推するならば、イラクにまっとうな政権を樹立しようとするならば、跳ね上がりの武装集団に対してもモノが言えるこうした聖職者のグループを大切に、新しい政権の思潮作りに活躍して貰う必要があるが、聖職者グループが米国の統治にますます反感を強めているのは危機と言える
 といったことでしょうか。恐らく、日本政府はきちんと犯人グループと接触できない中で、聖職者グループと犯人グループの力関係やファルージャでの停戦の動きの中で、事態が動いた。むろん日本政府が部族の長くらいには働きかけを行ったかもしれないが、武装グループも無視できなかったのは聖職者達の意見、そしてイラク国民の「(拉致・処刑の脅しは)無謀な行動」との思いでしょう。

 声明には、「拉致された3人の家族や友人の訴え」という一文が入っているという説もある。テレビやインターネットの影響もあったのかもしれない。しかし分かったことは、混乱状態とはいいながら、イラクの中に理性が残っていたことは確かで、この理性は6月30日の政権委譲の中で生きるような枠組み構築が必要だと思う。

2004年04月11日

 (05:25)ちょっと目を覚まして携帯を見たら速報。「24時間以内に、日本人の人質は解放へーーアルジャジーラ」と。日本時間の午前3時過ぎのブレーキング・ニュース。

 何よりも、本当であって欲しいニュース。「身柄を確保できるまでは慎重でいたい」という日本政府の立場は当然として、なぜ犯人が人質を解放するのかについては、スンニ派のイスラム聖職者協会の呼びかけに応じて、となっている。

 犯人グループからの日本へのメッセージは、「日本国民に御願いがある。日本政府に自衛隊のイラクからの撤退で圧力を掛けて欲しい」ということ。声明文をテレビで見るともっと長いような気がするが、日経のサイトによれば「これまで人質はイスラム法にのっとって寛大に扱われていた」と犯人グループは説明した、とも伝えられるので、そういうことも書いてあるのかもしれない。

 ではなぜその聖職者協会は犯人グループに「解放」を呼びかけたのか。これについては何も情報がない。考えられるのは

  1. 少なくとも日本に伝えられている情報によれば、イラク国民の間でも日本人を拘束、処刑を脅迫した行為に関しては、これを非難する声が強かった。聖職者達もそう考えた

  2. それは、拘束された日本人3人を含めて、自衛隊もイラクの国民の生活向上のために来ている、ということがかなり知られていたため

  3. 過去において、英米と違って日本は中東で直接的に中東の権益に関する露骨な動きをしたことはなく、今でもアラブ世界全体の重要な顧客であり

  4. 犯人グループが指摘する「(日本への)深い尊敬と親密な気持ち」が残っていて、聖職者協会としては武装勢力の跳ね上がりを許しておくことは出来なかったし、この新興武装グループも部族内、イラク国内で人質の拘束・処刑に対する支持を得られなかったので、方針を変えた
 ということかもしれない。私の勝手な推測ですが。日本政府は犯人グループを特定も出来ず、従って交渉も出来ていない筈だから、例えば陰で自衛隊の撤退を約束した、とか、身代金を支払いを約束した、ということはないように思う。聖職者協会と犯人グループとの相互関係、それに日本とアラブとの関係、イラク国内の世論(イラクでも大きく報じられ、一般人の関心の的だったらしい)の力関係の中で決まったことだろうし、そう願う。

 もともと、テロリスト・グループの無辜の外国人に対する「人質作戦」には無理がある。あれが続けば、イラクには復興に必要な民間外国人は誰も入らなくなる。つまり、自分たちで国を作るにしても、お金ない、人来ない、という状況になる。反米感情が直ちに同盟国外国人の拘束・処刑の脅迫につなげるのは、長期的に見ればイラクという国の為にならない。

 では、もうこういうことはないからどんどんイラクに日本人が入って良いか、というとそれは違うでしょう。イラクの情勢はなお流動的だし、犯人グループが日本国民に御願いしている自衛隊の撤退も容易には実現しない。実現しなれば、こういう事件はいつでも起きうる、ということです。それにしても、3人はどういう形で解放されるのか。その3人は直ぐ日本に帰ってくるのか(まあ、そうなんでしょうな)、イラクで活動するというのか。

 うーん、このニュース。日曜日の朝刊には間に合わない。日曜日は夕刊はないし、月曜日の朝刊も休刊日システム通りだとすると、ない。ということは、日本の新聞が報道するのは月曜日の夕刊のニュース。日本の新聞社にとっては、最悪のタイミングでの犯人グループの発表だった、ということでした。

2004年04月09日

 (16:45)朝はいつもの通り、この番組だったのですが、通常と違ったのは木曜日のコメンテーターであり、中東問題にきわめて詳しい伊藤芳明さんも加わってスタッフ曰く伊藤二人の「ダブルキャスト」で番組を進めたことでした。

 面白かったな。伊藤さんは中東に詳しいだけに、推測が鋭い。聞いていて「なるほど」ということが出てくる。私は朝起きて集めた英語情報などを織り交ぜながら自分の見解を展開する、という進行。ほかにない番組作りができたのでは、と思う。

 伊藤芳明さんが番組の途中でちょこっと言ったことが気になっている。何かというと、日本では11日、日曜日が新聞休刊日だというのです。つまり12日の朝刊がない予定。しかし、イラクの日本人3人を拉致したグループが期限としている「3日」は日曜日に来る。「どうするんだろうな....」と芳明さん。

 販売店はすでに休みの体制になっているというのです。編集局はフル稼働しても、紙は外に出て行かない。ほんとうに、どうするんでしょうな。ほんまに、日本の新聞休刊システムは問題が多い。

 森本さん、遠藤さん、伊藤芳明さんと番組の進行に参加しながら、「これだけ国民世論を二分する問題に日本が直面し続けているというのは、日本が分かれ道にいるということと、今まで曖昧にしてきた問題に待ったなしに直面している証拠かな」と思いました。いわば、政治的選択を迫られる局面が最近の日本は多い。

 この局面で、きちんとした選択をしたいもんです。世界は日本を見ているし、何よりも我々の今後がかかっている気がする。

2004年04月08日

 (19:45)夕方ですが、私のケイタイメモリーにない一般電話からの?。知らない人からの電話は、「誰だろう」と思いますよね。出たら、懐かしい甲高い声。

 青山でタストバンをやっていた鳥飼さんでした。彼はその後銀座のシェ・トリガイに移り、その後赤坂の店に行っていた。第一声が、「タストバンに戻ります。店をまた元に戻します....」だった。

 私がよく行っていたころのタストバンは、なかなか良い雰囲気の店だった。それが経営が変わったのがいつだったですかね。何か違うんだな。あの店には最初から行っていましたから。知り合いの従業員も全部変わってしまって、それから一度行っただけで全く行かなかった。最近は「店を閉めた」と聞いていた。だから、私のこのサイトから数ヶ月前に削除した。

 それがまた、「タストバン」という名前で戻るらしいのです。オーナーの遠山さんという方と組んで。「今一生懸命店を戻していますから」と鳥飼さん。「良いお客さんが皆逃げてしまったのです」と。そりゃ、最初の店を知っている人はその後の経営方針にはついて行けない。

 「店を戻す...」。なかなか大変なんでしょうな。一度逃げた鳥飼さんのお客、古い店の客を戻すわけです。連絡をし、来てもらって、従業員を揃え。できたら、以前居た人たちがいいな、なんて。再来週には一度行こうかな、と。

2004年04月07日

 (19:23)紹介したいサイトを二つほど。ちょうど一ヶ月前くらいですが、ネットテレビに出たという話を書きましたが、その時収録した最終回がこのサイトで今週放映されます。松浦さんが、「伊藤さん、今週が最後ですよ...」というので、なるべく多くの方に見て頂こうと思って。

 もう一つのサイトは、私がもう何年前からですかね、いろいろ大きな金融関係の動きがあるときにはこの人のアドバイスを受ける先輩がやっている会社のサイトです。以前はあまり見てくれのよいサイトではなかったのですが、手を入れて良くなった。見てやってください。

2004年04月07日

 (07:23)珍しいテーマで話しを聞きました。「チベット人の生活と人生観」というのです。ほぼ毎月の勉強会の場ですが、今日のテーマは最近になくユニークで、ある意味で面白かった。

 青海民族学院講師で学習院大学の院生であるタシツリンさんという方が来て下さって。チベットに関してはダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトが一番まとまっていると思うのですが、これは話しを聞いた後で発見した。あとでゆっくり見ようと思っているのです。

  1. チベット人は中国側のカウントで459万人、ダライ・ラマ側カウントで600万人の人口で、分布地域はチベット自治区だけではなく四川、甘粛などのいくつかの省にまたがっている。チベット人が住む地域の平均標高は4500メートルだが、人間が住んでいるのはそれ以下の場所

  2. チベット語は主語+目的語+述語といった語順で、日本語やビルマ語に近く、主語+述語+目的語の中国語とはかなり違う。民族の由来については、インド説、北方説など諸説あり、一番栄えたのは6世紀

  3. 「ダライ・ラマ」というシステムが出来たのはここ400年くらいで、チベットの歴史の中で一貫してあったわけではない。住んでいる標高の差(4500〜3000、3500〜1700、2000メートル以下)で飼っている動物、生産している農産物などで人々の生活はかなり違う

  4. チベット人の生活の中で重要なのは「意識・命・ラ」である。葬式に関しては、活仏は火葬に、子供は水葬に、伝染病にかかった人などは土葬に、そうでない大部分の人は風葬、鳥葬にする。鳥葬、風葬の場合、人間をついばむのは鷹でなくてはならず、それによって魂は天国に行く
 などなど。途中で人生観、死生観の解説の時など何度か頭がウニになりそうでしたが、そうですねチベット、その人々の理解の入り口には立てたかな。あまり順位は高くはないが、行ってみたいところの一つに入りました。面白かったのは「自治区」といっても、「省」とあまり変わらない位置づけだそうで、中国とはむろんのこと微妙な関係にあるわけです。ま、機会があったら勉強しようかな、と。

 それから面白かったのは、「ゾ」という動物の存在です。これは基本的には「雌ヤクと雄牛の交配種である。ゾは耕作に最も適している。雄のゾはゾポ、メスのゾはゾモと呼ばれる」ということらしく、しかし種としては繁殖しない。生まれても2代目あたりには必ず死滅するそうで、その度に生産することになると言うのです。ヤクの強さを残しながらも、ヤクより乳の出が良いなど、半農半牧の地方(1700〜3500メートル)の人々の生活には便利なようです。

2004年04月06日

 (19:23)何で今ごろ思い出すのだろう、という話をひとつ。3月の下旬に成都から上海に入ってきた時です。「ぜひ、リニアモーターカーに乗りたい」と思った。日本でも乗る努力をしているのです。山梨のリニアモーターカーは「申し込み→抽選」という形で試乗者を募集している。思い出したように申し込んでいるのですが、当たらない。

 でせっかく実際にこの新しい乗り物が走っている都市に来たのだから、絶対に乗ってやろう、と。で最終日に浦東の空港から帰るときに利用する計画を立てた。飛行機は夕方なので、リニアにも十分に乗れるだろう、と。中国側のアテンドをしてくれた人が、当日の朝になってホテルのコンシェルジェに聞いてくれたのです。「タイムスパンなど運行状況」を。そしたら、リニアはなんと午後の2時までしか走っていない、と。「そりゃなんだ」ってなもんです。上海の中心部と浦東の空港を結ぶ列車が午後2時最終とは。

 まあでも、郷に入ってはということで、リニアの乗り場に午後2時には着くようにスケジュールを立てた。ところがなんですよ。その時刻に行ったら、「今日はもう終わり….」。午後12時45分までしか走っていない、というのです。「そりゃ、どうして」っていう世界ですわ。しかし駅員と押し問答したり、タクシーの運転手らと話していて分かったのは、上海―浦東の中国のリニアモーターカーは、「初の実用」の看板を上げたが、実際には「実験線に毛が生えた程度」のものなのです。しかも、実際に乗っている時間は8分。

 しょうがないのでリニアの乗り場から拾ったタクシーで空港に向かっていたら、誰も乗せていないリニアが走っているのを二回見ました。うーん速い。しかし、あまりにも高い(料金)ので中国の人は乗らないのだそうです。午前中の走っている時間帯だと、物珍しがる外人を乗せて終わり、という展開らしい。

 成都から上海に入るときの一番の楽しみはリニアだったのに、露と消えた。またの楽しみですが、上海でリニアを狙っている方は「そういうこともある」ということで、了解されて行かれた方がよさそうです。

2004年04月05日

 (23:59)うーん、このグループは聞く度に唸りますな。月曜日は夕方から日曜日のNHKBS2の日本の歌の番組(午後7時30分から)に出た岩瀬明美と東京トライブのライブ・コンサートに行ったのですが、それはそれは素晴らしいものでした。

 場所は明治通り沿い、神宮前3丁目のディーゼルの入っているビルの地下。Blue Jay Wayという店で、会社の直ぐ近くなのです。この店は、知りませんでした。以前は一階にレストランが入っていたが、今はブティック。音楽の店が増え、それがきちんと経営できることは良いことだと思う。

 彼等の持ち歌で、新たに好きな曲が一つ増えました。「月夜のばんに」というのです。日本ではまだ発売されていない彼等の「月光(Moon Blossom)」というアルバムの一曲目に入っている。ipod の曲検索が珍しく何も返してきませんでしたから、本当に新しいんでしょう。

 岩瀬明美さんとそのグループとは、今年の初めに、1月の末だと思うがキッチン5の小林優子さんに紹介されて、それ以来彼等が来日するたびに何らかの形で一つぐらいコンサートに行っている。バンドは4人で、日本人二人(岩瀬、ストーリー)、アメリカ人二人(ジェームズ、クリード)の混成。これがまた良いのです。

 岩瀬さんはパワフルな女性ですよ。声もそうですが。若くしてアメリカに渡り、ずっとアメリカを基盤に日本の民謡を中心に歌っている。ストーリーは多才です。だから、日本のか細い民謡とは違う。実にパワフルなのです。アマゾンに日本人の末裔がいると知れば、直ちに行ってしまうと言う行動力の持ち主でもある。

 以前から聞いていたのですが、日本では山形県との縁が深いらしい。彼女自身は東京の出身の人ですが。こういうグループにはもっともっと、活躍して欲しいものです。昨日は次の約束があったので、直ちに会場を後にしなければならなかったのが残念でした。また、ゆっくりと。

 あっそうと、昨日は作曲とは縁遠いような松尾さんの作詞した曲も入っていたな。うーん、ああいうのはいい。

2004年04月04日

 (24:19)今月の20日に発売になる「死の壁」という本を読んでいるのですが、最初の本より私には面白い。最初の本がどの本かはお分かりですよね。「バカの壁」です。著者は当然、養老孟司さん。

 「バカの壁」は発売から約1年で300万部を売ったそうで、確かに大ヒット。その続編とくれば、世間の注目を浴びる。かねて知り合いの新潮社の人がプルーフ本を送ってくれた。で、読んでいるのです。

 個人的な経験を言うならば、何がきっかけか、中学生の時だったか、突然「あ、人は皆死ぬんだ」という事に気づき、すごい衝撃を受けたことがある。考えれば当たり前だが、その時のことは今でもはっきり思い出すのです。で、それから物事の、物事に対する考え方がかなり変わった気がしている。

 「死の壁」は、そういう考えてみれば当たり前のことが、現代社会では認識されていないのでは、いや死の認識が忌避されている、ということからスタートする。人が死んだ時のことを考えていない団地の話し、なぜ人を殺してはいけないのかに関する考察などが興味深い。

 あと「変わる人間と変わらない情報」という話しが面白いな。通常我々は「情報は変わる」と考える。人間は変わらない、と。しかし、養老さんは「それは違う」と。言われてみれば、その通りなのです。この点は、もう少し考えよう。

 本の題名から「バカの壁」ほど売れないかもしれない。でも、完結編である「死の壁」は面白いと思う。

2004年04月02日

 (18:28)へえ、ダウの構成銘柄から慣れ親しんだATT、Eastman Kodak、International Paperが消えるのですか。いずれも、アメリカを代表する会社だったし、今でもそうだと思うのですが。でも確かに以前ほどではない。ちょっと影が薄い。

 代わりに何が入るか。American International Group、Pfizer、Verizon Communications の3社。30にしないといけないので、三つ抜いたら三つ入れる。最初の会社はAIGという表記をすると分かる人もいるかもしれない。保険です。次は例の薬で有名なファイザー、最後は通信です。

 やはり銘柄の入れ替えは、企業の社会的地位の入れ替わりを表象する。入れ替えには「特に基準はないが、常に指数の構成を見ている委員会のチェックを受ける」とされる。一気に3社が入れ替わったのは、1999年11月1日に、シェブロン(石油)、グッドイヤー・タイヤ、ユニオン・カーバイド、シアーズ・ローバックが外されて、マイクロソフト、インテル、ホームデポ、それにSBCコミュニケーションズが加えられて以来の大規模組み替え。基準はない、としながらもこれを報じたウォール・ストリート・ジャーナルには、

 "Rather, they recognize trends within the U.S. stock market, including the continued growth of the financial and health care sectors and the diminishing relative weight of basic materials stocks," Mr. Steiger said.
 という言葉が紹介されている。つまり、金融、ヘルスケア部門の成長と、産業基礎資材関連銘柄の相対的価値低下を反映させた、と。通信は入れ替わっただけです。3社が入れ替わっても、指数の継続性は維持される。これに関しては、ここに divisor というのを使う、と昔書いた記憶がある。

 代表的株価指数の構成銘柄の入れ替えは、今回は合併などが背景ではないだけに、経済における各企業の相対的比重の変化を物語っている。そういえば、イーストマン・コダックはソニーと訴訟合戦になるなど問題を抱えているし、デジタル化には遅れた。こういうところに出るんですな。

 指数構成の変化というのは、ここにあります。ダウでも100年ちょっとの指数、ということです。

2004年04月01日

 (18:28)自分の出身大学からの一度にとどまらないお声掛かりがあったし、内藤君は受講生の人数から見て人気のアップダウンはあるにせよ講義を楽しく続けているし、何よりも大妻女子大学の18〜19歳の女性達とはまた違った社会人の方々がいらっしゃるだろうし.....ということで、今年の秋に早稲田大学の基本社会人向け講座である「エクステンション・スクール」の一講座を担当することにしました。

 なんと、メールを下さった早稲田の西尾さんとは今日昼に会いましたが、彼は私が1996年にネット上にサイトを立ち上げたころからの、私のページの熱心な読者だったというのです。これだけ条件がそろえば、「ハイ、じゃ、やりましょ」しかない。

 秋開設の講座のパンフレットはもう作らないといけないそうで、実際に講義をするといっても大妻と違って年間の約束ではなく、「5回連続」とか、その季節ごとの繰り返しとか。私はまだどの程度やるか決めてない。とりあえず、面白いので今年の秋にやる、とだけ約束しました。

 まあ私が教えられると言ったら、経済とか、マルティメディアとか。といっても最近は広い。インドも中国にも行って結構研究している。何が来てくれる人に役立つかな、と思っているのです。人気がないと、講座受講生3人とか悲惨なことになるらしい。それは避けたい。だから、来てくれる人に魅力的な講座名、講座内容にしないといけない。大妻とはかなり違うんでしょうね。

 今年から大妻の講義科目を一つ減らしてもらったので、やる気が出たもの。二時限連続の90分授業は辛かった。秋の5回シリーズは、大妻と同じ水曜日にする予定です。また別に一日取られるのは辛いので。午後は大妻、夜は早稲田と。ま、近いからなんとかなるでしょう。面白い人が受講しに来てくれるといいな..........と。

2004年04月01日

 (06:28)今年はどうしようかな、と思っていたのですが、昨晩の間に一気に松井応援ページ2004年バージョンを作ってしまいました。そりゃ、あのHRには私だって突き動かされますよ。

 今まで2003年を描写していたページを今年度版として、新たに2003年度版を作った。今年も松井応援ページを作り続けますから、お楽しみに。

 一年前くらいに彼のプロ入り以来の成績をジーと見ていたことがあるのです。そこで気づいたことは、「着実に前進する奴だ」ということです。着実にタイトルの獲得が増えていく。成績が上がっている。去年は大リーグ初挑戦の年。ニューディールですから、これからが楽しみだと言うことです。

 松井は31日の試合後のインタビューで「今年は期待して下さい」と2回言った。そうなる、という予感がひしひしとする。

2004年04月01日

 (00:28)週刊文春問題での高裁判断は、1)プライバシー侵害があった 2)しかし、「暴露された私事の内容・程度を考慮すると、出版の事前差し止めを認めるほど重大で著しく回復困難な損害が出る恐れはない」として地裁の出版差し止めの仮処分命令を取り消すーーというものだった。まあ一つの、理解できるバランス感覚なんでしょう。あの記事は、

  1. 公共の利害に関するものでなく
  2. 掲載に公益目的がないことが明白で
  3. 公表されることで書かれる側は著しく回復しがたい重大な損害をこうむる
 という出版差し止めの、判例になりつつある3条件を全部は満たしていないと私も思う。離婚は今の日本ではそれほど珍しくはない。読んだ人が拍子抜けになるような記事だった。だから逆に、その価値を問われるところがあった。

 しかし高裁も地裁と同じく「プライバシーの侵害」を認めたことは注目に値する。「侵害」を認めたということは、民事上の問題になれば損害賠償の問題が生ずる、ということだ。今の大きな枠組みとして、プライバシーの侵害は被害者の環境修復不能のリスクはあるが、出版差し止めなどはせず、基本的には「事後的修復」の方法を採用し続ける、ということでしょう。まあ最高裁の判断が待っていますが。

 プライバシーの侵害は認められる傾向にあり、しかし表現の自由にとって大きな打撃となる「事前的修復」の容認条件は今まで通り厳しくしたままにするということは、事後的修復の役割が増加するということです。