(11:58)先週の半ばくらいからですかね、ソニー・ピクチャーズ・エンターテインメントの町田さんから送ってもらった「日記」を持ち歩いて時間を見つけては読んでいて、日曜日の昼に読み終えましたが、面白かったな。副題が『「ヘブン・アンド・アース」中国滞在録』というのです。本の中央に「こらえろよ!」(高倉健)とある。
何の本かというと、今日本で一般上映されている「ヘブン・アンド・アース」の主演の一人、中井貴一が合計約4ヶ月間に渡って中国、主にウルムチでこの映画を撮影したときの日記風記録本なのです。中国人にはいらいらしたとか、監督の秘密主義には頭にきたとか、これには感動したとか、最後は中国が好きになったとか。
私も3月下旬にまた数日間中国に行く予定ですが、私も含めて日本の一般人にとっての中国はせいぜい一週間。都市を忙しく回る程度。そうはいっても、周りを日本人で固めて行動する。しかし俳優・中井貴一はこの映画を撮影するために、通訳は連れているものの一人で中国の撮影隊に加わり、ギリギリと、そしてイライラと仕事をせざるを得ない環境の中で、言ってみれば孤軍奮闘した。しかも、行った場所は日本人が殆ど行かないウルムチ(実は私が次に行きたい土地の一つです)。極地です。その記録だから、面白い。
彼が中国でこの映画を撮影していたのは、9.11のテロ攻撃、対するアメリカのアフガニスタンでの対タリバン戦争の最中だった。きもい時期です。しかし、そういう情報さえ満足に行かない土地での撮影。愚痴の多さが売りの本で、中国の人々とそこまで付き合わざるを得なくない状況に置かれたことのない私のような人間には目新しい情報が入っていて面白いのです。隣の国でもえらく文化は違う、ということです。
しかし、違うから面白い、というのも確か。この本はそういう意味でも、比較文化が出来る。高倉健の「こらえろよ!」というのは、彼のイライラがピークに達したときに偶然に日本から?がかかってきた、そのことに感動したという話しの中で出てきて、高倉健の「こらえろよ!」というのが心にしみた、という話し。まるで映画みたいですな。
実は映画も見ましたが、イマイチだったな。この本の方が面白い。彼の最後のメッセージが面白い。「中国の方と仕事をするなら(特にウルムチの人かな ?)持参するもの」として、次を挙げているのが笑える。
(11:21)へえ、それは残念。何かというと、網野善彦さんがお亡くなりになったことです。76才で、まだ10年は生きられるお年だったのに。
「網野史観」は好きでした。あの日本海中心の地図が最初にある本から始まって、一番面白かったのはイトーヨーカドーの伊藤さんと共著で書いた商売の本かな。江戸時代という時代が商人の目線から語られていて、非常に興味深く読んだことを覚えている。
歴史とは、残された資料に基づき、人間という動物の本姓をベースに、しかし現代の常識の範囲を超えた想像力をもってして創造的に組み立てるストーリーだと思っているのです。全てを記すわけにはいかない。そこには捨象がある。何を記述の対象とするかは、その人の価値観です。
網野さんのような、他人が調べない事実の上に歴史を構築する姿には共感がもてました。所詮、今までの、我々が教えられている歴史は、「王の歴史」なんですよ。いつの時代にどこそこの王が何をしたとか、どんな指令を出したとか。
しかし、実際には人々の営みの歴史は庶民の歴史で、それが歴史の底流を形成している。NHKの大河ドラマがいつ見ても面白くないのは、上っ面の有名な人間しか扱わない、有名な人間をさらに有名にするだけの浅はかな役割を果たしているからです。それぞれの時代に、その人物がそれほど大きい人物だったとは殆ど思わない。彼らは、今の方が有名なんですな。あんなものはやめてしまえばいい。紅白歌合戦と一緒にです。
最近読んだ歴史の本では、「武士の家計簿」かな、面白かったのは。彼は網野さんの編み出した歴史検証、記述の手法を積み重ねられる人だと思う。
(06:58)ページ更新情報です。レストランの盛衰は早い。情報によれば、青山のタストバンは最近店を閉めたそうで、私は最近ずっと行ってなかったのですが、経営が変わってからあまり状態が良くなかったようです。
銀座の並木通りにあるシェ・トリガイも名前が変わりました。で、たまには更新をしないと見に来ていただく方に悪いと言うことで、このページを変えました。
(23:58)久しぶりに出版社の人とゆっくり食事をしましたが、結構面白かった。金原さんと綿矢さんの小説はどっちが良いか、という話になって、「私は圧倒的に前者だ」と言ったら、彼は「それは珍しい。圧倒的に綿矢さんの本が売れているので。しかし、私も才能は金原さんの方があると思う...。村上龍が出てきたときの印象」などなど。
金原さんの本は読んだ人のかなりの部分は、「気持ちが悪い」と思うようで、実際に彼女の本よりも綿矢さんの本の方が売れているのだそうです。「そうかな」と思う。だって読んでいて、私はですが金原さんの文章の方が、ピリピリする。まあこれは読む人一人一人が持つ印象の問題なんでしょうが。
最近の本の傾向も聞いたら面白かった。実用的な本には安定したお客が付くのだそうです。しかし本の業界全体を巡る環境は良くない。その事情は変わっていないようです。まあこれから人口は減るし、いろいろ考えないといけない時期なんでしょうね。
2年前のワールドカップのころの話になって、5月末に始まって7月の決勝戦まで。本の業界はえらいことになって、大変だったのだそうです。つまり、本を読む人が減った。皆サッカーに気を取られた、というのです。実は外食産業もこの時期大変だった。それは知っていた。本の業界がサッカーのワールドカップに大変な打撃を受けていたとは、知りませんでした。
そういえば、久しく本を出してないな....なんて考えていました。
(08:23)面白い店、というものは存在するものですね。店の名前は忘れてしまったのですが、一日夜一つの予約が入ると、あとは全部断り、予約してくれたお客さんのためだけに仕事をする....という。その予約がたった2人でもそうだというのだから、驚く。蕎麦屋さんです。
で、コースも3000円、4000円、5000円の三つしかない。だから、5000円のコースを二人が予約したとすると、その晩はその二人だけなので、売り上げは1万円ちょいです。
店は結構小ぶりですが、どう見ても10人は入る。でどうなるかというと、お客が「あまりにも悪いので」ということで、人数を揃えて予約することになる。店の名前「藪....」というところまで覚えましたが(^_^;)。四谷四丁目の交差点の直ぐ近くにある蕎麦屋さんです。
今回は「面白いところがある...」と呼ばれて行ったのですが(もちろんお勘定は割り勘ですが)、今度は人を揃えて自分で行ってみようと思っています。どう見ても、オヤジが道楽でやっている。
お店の話が出ましたので、ちょっとこのサイト以外に書いて評判が良かった文章を以下に掲載します。
(前略)ところで先週金曜日だと思ったのですが、夜食事に行った都内のあるカウンター中心の店で、店主が若い女性従業員に「言葉を知らん」と怒っているのです。なんだと思って聞いていたら、「一年働いて、"むらさき"も知らんのか....」と。行きつけの店なので、私も加わってしばらく言葉の話しで盛り上がりました。そこで質問です。このニュースの読者は以下の言葉をどのくらい理解できるか。あたりめ(縁起言葉)
むらさき(お店である人がある人に向かって、それを取ってと)
黒文字(同様)
湯文字(着衣の一種だが、さてなにか)一番上は知らないと周りの人にビックリされる。「するめ」の事です。「する」は縁起が悪い、というので花柳界の人々が昔「する」の反対の「あたり」を名前に付けた。だから「あたりめ」です。
次は私が教えている女子大の生徒の9割は知らない。私のこれまでの経験だと、OLでも分かる人は半分です。色が紫なことから「醤油」の雅名です。まあ寿司屋あたりでは、この言葉を綺麗に理解した方が若い女性でも店の人から「おぬし...やるな」という目で見てもらえるかもしれない。宴会が多い男性の方が知っている確率が高い。
次からがちょっと難しい。私も忘れていた。「黒文字」は「楊枝」です。ではなぜ楊枝が「黒文字」か。黒文字とは、もともとクスノキ科の落葉低木を指すと辞書に書いてある。「北海道渡島、本州、四国、九州の山地に生える。幹は高さ二〜三メートルになり、樹皮には黒色の斑紋がある。葉は柄をもち互生し、長さ五〜九センチメートルの狭長楕円形で先がとがる。雌雄異株。春、葉に先だって小さな淡黄色の五弁花を密集してつける。一〇月ごろ、径約六ミリメートルの球形の果実が熟して黒色となる。葉から黒文字油を採り香料とし、材には芳香があるので楊枝を作る。くろとりぎ。とりこしば。とりしば」とある。
つまり楊枝の素材なのです。だから、楊枝そのものを「黒文字」と呼ぶのだそうですが、「むらさき」は今でも日本中の店で使われているが、私の記憶では「黒文字」はほとんど使われない。「まあ、知らなくても」という言葉。しかし茶道をやっている人は知らないとおかしい。最後の「湯文字」は「黒文字」と一字違いだが、まったく異なった種類のものです。「女性が着物の下に、腰から脚部にかけてじかにまとう布。腰巻。湯巻。いもじ」。そう言えば、昔読んだ小説に出てきて意味が分からないで一回調べた。その後また出てこないので、忘れていた、と思う。
(20:23)すっごく遅ればせだと思うのですが、来ていた文藝春秋に掲載されていた二つの芥川賞受賞作のうち、「蛇にピアス」全部と「蹴りたい背中」の最初の方を読みました。「蛇にピアス」の方は読んで素直な印象として、あちこちにきらきら光る才能を感じる文章、というものでした。
小説の内容は自分の住んでいる世界との隔絶感はすごくあるのに、なぜか非常にすんなりと読めてしまうのが不思議な感じでしたね。金原さんの「受賞のことば」というのが、またなかなか適当で良い。
あっけない ending のようでいて、あの小説の終わり方は余韻があってものすごく良いと思う。全体的に文章がキレている。すっごくぎりぎりと切り込んでくるものがある。「他は適当、小説に対してだけは誠実に」と言っている彼女が、これからどういう小説を書けるのか知らない。しかし、すっごく才能のある人かもしれない、と思う。
綿谷さんの小説「蹴りたい背中」はまだ読み始めたところですが、文章としては金原さんの方が好きだな。
(09:45)私が週末の間には確認できなかったことを、若手が警察庁に電話までして調べてくれました。tks
何について調べたかというと、先週金曜日にニューヨーク市場で円を109円台にまで押し上げた「日本がテロ警戒レベルを最高水準に引き上げた」というニュースに関連してです。「最高水準」というなら、いくつかの階層があるはずです。
しかし私の知識には、日本にアメリカ並みのテロ警戒階位があるとは知らなかった。で、ニューヨークで流れたニュースは本当か、アメリカのメディアの思い込みでは、と思っていたのです。彼が調べた結果として私に送ってくれたメールは以下の通りです。
日本の『テロ警戒度』について警察庁に電話で確認しましたが、「日本には『警戒度』は存在しない。米国のようなオレンジや赤と言ったランキングは警察庁では定めていない。」とのことでした。つまり、日本の場合は当局が「要警戒」と言った状況そのものが「警戒」であって、その段階が直ちに、あえて言えば「最高水準」ということらしい。しかしそのレンジは、かなりワイドだということです。アメリカでは、どの段階でどう警備当局が行動するのか、国民はどうすれば良いのかが決められている。その方が良いことだとは思うのですが。また、国家公安委員会、国土交通省のHPにも、『警戒度』は説明されておりませんでした。
どの国の人間も、自分の国の枠組み、知識の中で海外からのニュースを理解しようとする。恐らく「(日本が)テロ警戒最高水準」と聞いた段階で、「日本は赤」と解釈したのでしょう。赤はアメリカでは「severe」で最高度の警戒レベルです。しかし、日本人の感覚は「アメリカの赤」と、今の日本の状況は全く違う。
アメリカではダウ・ジョーンズなどの「日本がテロ警戒水準引き上げ」の方を受けてテレビ局のアナウンサーが「日本政府がテロの警戒水準を最高水準に引き上げました」と緊張した表情で繰り返し伝えたそうだ。多分アナウンサーは、日本の主要都市でのテロを想定して喋ったのでしょう。ナレッジ・ギャップによる、情報の伝わり方の歪みは恐ろしい。
(07:45)なるほど、この記事は面白い。日経金融新聞の最終面です。『存在感増す「BRICs」』というのです。BRICsとは何か。ブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字を並べている。並びは読みやすさでしょう。関係ないがエルトン・ジョンに、「Goodbye Yellow Brick Road」という曲がある。
ポイントは、「2039年にこのBRICsの経済規模がG6(米国、日本、ドイツ、フランス、英国、イタリア)を抜き、2050年の新G6は、中国、アメリカ、インド、日本、ブラジル、ロシアの六カ国」という話し。まあちょっと先ですわね。生きているかどうかも分からない。
先日、チャイナ・クロス、インド・クロスの話しを書きましたが、その他でもクロスはあちこちで起きる、ということです。むろん、一直線に行くとは思いませんし、BRICsの合計人口は外務省の各国別HPを参考にすると26億1300万人(中国12.65、インド10.27、ロシア1.45、ブラジル1.76)人。対して、今のG6は6億5900万人(アメリカが圧倒的で2億8000万人)ですから、per capita では21世紀の真ん中でもG6とBRICsでは豊かさの差は大きい。
しかし重要なのは、市場は国力の展開を先取りする、ということだ。今日本の株は上がっているが、間違いなくBRICsの株価の上げ足の方が通常のケースでは速くなる。それは今の中国の市場を見れば分かる。それはこの記事が指摘している通りだと思う。
ところが、日本の投資家がBRICsに投資できるのはせいぜい中国くらいだ。これは証券会社やその他日本の金融機関の怠慢だと思う。国民が資産を多様化する道を閉ざしているのだから。恐らく、そこに目を付けた外国の証券会社が続々と投資多様化のスキームを持ち込むだろう。
「途上国投資にはリスクがある」は当然である。どこへの投資にもリスクがある。リスクがあるからリターンがあるわけで、それは投資家のリスク。BRICsへの投資問題などを考えるたびに、日本の投資インフラストラクチャーは貧弱だと思う。日本の証券会社にはもっと奮起して貰わないと。商売を失いますよ。
(09:45)「糸繋がり」でした。金曜日は夕方から熊谷(埼玉)に行ったのです。別に「埼玉繭夢」さんに頼まれたわけではない。今までもこの周辺を通過したことはある。ゴルフです。しかし、しっかりと熊谷駅に降りたことはなかった。
市長さんなどと話しをしていて、非常に面白いことに気づいた。市の来歴の話しをしていたときです。「カタクラ」という名前が出てきた。例えば、片倉シルク記念館などの存在です。熊谷の人達はこれを「片倉館」とつづめて言う。
その時点は私はピントきました。長野県の諏訪市には片倉館という施設がある。私が諏訪に帰ると必ず行く大きな温泉です。諏訪湖のすぐ近くにある。「カタクラ」という名前は、今でも片倉工業のような形で残っている。
つまりこうです。戦前の日本経済を支えた生糸の産業で活躍した片倉は、長野県の諏訪が発祥の地です。しかし、片倉は熊谷にも工場を二つほど持っていた。産業構造の変化の中で、今はその工場跡地は片倉シルク記念館や繊維の意味を持つ単語を付けたショッピングセンターになったりしている。フィラチャー(filature)とは、「製糸」「糸を紡ぐ」の意味です。それがショッピングセンターの名前になっている。
で話して分かったことは、戦前には諏訪から工場の管理・監督のために多くの人が転勤していた、ということです。実は私の祖先には、「製糸工場のマネージャー」をやっていた人がいる。ということは、私の祖先は私より100年近くも前に熊谷を訪れていた可能性があるのです。その話しでしばらく盛り上がりました。
ついでに言うと、私の高円寺の家は蚕糸の森公園の直ぐ近くにある。この公園HPでも指摘されている通り、この公園は蚕糸試験場の跡地に出来た。蚕糸とはまさに生糸です。そういう意味で「糸繋がり」と書いたのですが、実に奇妙のな繋がりのある一日でした。
(12:45)今盛んに使われる言葉に、「二極化」がある。しかし、これも人々が浮かべる姿と、経済の実態とはかなり違う。今の日本のこの言葉の使い方は、あまりにも「静的」「運命的」である。
この言葉が一般の人々の頭に描き出す姿は、「今の競争的な社会では、勝つ会社(人)と負ける会社(人)が出て、すでに勝負はつきつつある。ああ嫌だ.....」というものだろう。本屋に行けば、「30代、未婚、子なし」の負け組女性、といった本が売れ筋の中に入っている。今朝の新聞を見ても、儲けられる企業と儲からない企業で「二極化」と来る。
しかし、「二極化」が持つ実態は、かなり動的である。例えば2年前。ソニーは代表的な勝ち組企業だった。対して松下は完全な負け組に分類されていた。ところが今はどうか。松下が勝ち組になって、ソニーが負け組に入った。負け組は株価では徐々に盛り返しつつあるが、依然として松下に対する評価の方が高い。
私の身の回りでも、負け組と勝ち組の入れ替わりは頻繁に起こる。外資系で高い給与を貰い、高い外車を買って栄華を誇っていたような人が、突然リストラに宣告を受ける。一方で、日本の会社で地道な努力をしていた人が、抜擢に会うのを見たこともある。
マスコミの標語としては、運命論的な「二極化論」は面白いかもしれない。しかし、それは実態を言葉の壁で隠し、間違ったイメージを与える。企業の決算が「二極化現象」を顕現化したように勝ち・負けで分かれるのは、「含み経営の終焉」「企業実体をそのまま出していこうという流れ」そして「消費者消費動向変化のスピード」にある。であるがゆえに、勝ちと負けは入れ替わる。是非この点を確認しながら言葉を使って欲しいものだ。
(12:45)名字も名前も本当に珍しい人に出会いました。珍しい名字・名前が好きなのです。
昼、非常に天気が良いので、オフィスから歩いて5分くらいの「おけい寿司」に行ったのです。外苑西通り沿いの、千駄ヶ谷から行くと神宮前3丁目の手前の。いつもの瀬谷ちゃんがいて、その右側に若者。以前から顔は知っていた。
何がきっかけか忘れましたが、人の名前の話になったのです。ひとしきり話した後、、この若者に「で、お名前は....」と聞いたら、出てきた答えが「埼玉繭夢」。鈴木、瀬谷と並んで、堂々と表札までかかっている。
はは、仰天しましたね。都道府県名が名字になっている例はたくさんある。山口さんもそうだし、秋田さん、福井さんもそう。しかし、「東京」と同じように、「埼玉」は名字としては珍しい。かつ、驚くことに彼は埼玉県浦和の出身だという。出来すぎ、です。地元の区役所などでは、ちょっと困ることもあるらしい。
加えて驚愕するのは、「繭夢」という名前です。「まゆむ」と読む。うーん、女性の名前のように見えるが、前にいるのは寿司職人の埼玉繭夢さんで、若手、ちょっとかっこいい感じの男の子。
それで思ったのですが、北から都道府県の名前が付いた人がどのくらいいるのか調べるのも面白いな、と。つまり「北海道」(少なそう)から始まって、沖縄まで。まあ県名というのはどこかの地名にちなんで付けていますから、全然ないということはないのでしょうが。
でも、「埼玉繭夢」さんのように、名字・名前ともかわった人にあったのは、久しぶりでした。片方は良くある。「おけい」に行けば会えます。
(21:15)はは、良かったですね。家に帰り着いたのが午後9時過ぎで、一番良い最後の10分を見させて貰いました。ロスタイムでの日本の得点、というのはあまり見たことがないような。
もう引き分けの展望が強くなってきたところでの、一瞬の隙を突いての久保の、そしてボールを貰ってからのキーパーを前にした一呼吸置いてのゴール。一対一になったときに、「行けるかな」と思ったら決めてくれました。やはり嬉しいですね。その前を全く見ていないので分からないのですが、中村がPKを失敗したそうな。どういう状況だったのか。ま、良い発進という感じです。
(07:59)最近よく思うのです。「言葉」が良く検証されないまま、慣習的に使われて、それで済まされているな...と。投資の世界における「プロ」という言葉もそうだと思う。それに関連して、昨夜のマネックス・メールに以下のような文章を書きました。いや、本当に多いんですよ。街のトレーダーが。
正面切って「私は....」という人が少ないのが特徴で、ちょっとはにかみながらであったり、「IT関係です」というから「どういうIT関係か」と聞き進むと、実は「ネットトレーダー」だったり。てらいがあるんですよ、彼らには。しかしいつも思いますよ、「プロとは誰のことだ...」と。
最近筆者の身の回りに、「実は私デートレーダーです」という人が増えてきている。行きつけのレストランのキッチンを預かっている人もそうだし、たまたま別のレストランで席を隣にした若者もそうだった。タクシーの運転手さんにもいる。株式投資の裾野は広がっていると思うと同時に、話しを聞いていると彼らこそ「真剣勝負師」だという気を強くする。一般的には、機関投資家の体内にいて証券会社からたくさんの情報を貰い、動かせる資金の大きい人が「プロ」と評される。
しかし業界事情を少しでも知れば、そんな定義が嘘であることは直ぐに分かる。機関投資家の体内で資金を動かしている人間は大部分が定期異動で来ている。その中からプロと呼べる人間に育つ人はいるが、割合は少ない。情報の持つ意味を読める人間は、実は非常に少ない。
時間が立てば、彼らはまた別のセクションに行く。また多くの機関投資家の中では、買うにしろ売るにしろロスカットにしろ、規制ばかりである。振るえる腕を振るえない人も多い。場中に会議が多いのも問題だ。私の知っている街の投資家は、ブロードバンドの複数端末の前で、かなり張り付き型のスタンスを守る。
環境を考えるならば、自分の資金を自由に動かせる街の投資家の中に「超プロ級」が出てくるのは自然である。何せ、情報を集め、知恵を絞らなければ市場では勝てない。そして何よりも相場ではタイミングが重要だ。機関投資家の意思決定には時間がかかる。
「デートーレーダー」ばかりでなく、長期的に株式投資をしている個人もそうだが、彼らには投資に真剣に向き合っているうちに、機関投資家体内の運用者とは違う知恵と判断力が付くに違いない。それらは「オンリーワンの投資術」と言えるかもしれないから、他の人に通用するかどうかは疑問だ。投資は、情報分析力、感性、判断力、瞬発力の総和の結果であって、個性がある。
もっと街の投資家が増えて欲しいと願う。しかし一方で、相場に長く関わってきた人間として一つ言えることは、相場は「いつやめるか」が一番難しい、ということだ。利食い、損切りを含めてもそうだし、一つのポジションでももっと長い取り組みでもそうだ。これが難しいから、生き残る相場師は少ない。
(18:59)最新のビジネス・ウィークに載っていたローラ・タイソンの「Outsourcing:Who's Safe Anymore ?」を読みながら、「本当にそうだなあ」と思うと同時に、でも日本はまだ日本語の壁に守られているな、と思いました。
「アメリカの景気回復は既に2年を超える長さになっているが、職と労働者の収入は増加の兆しを見せていない。過去の回復期のケースが参考になるとしたら、今頃米国経済は民間部門で800万人分の職を創出していたはずなのに....」で始まるこの文章は、今のアメリカ経済、そして日本を含む先進国経済が直面している問題の核心を突いている。
つまり、職の流出である。日本の職も中国を初めとするアジア諸国にかなり流出した。その流出が労働者の手取りを抑えている。アメリカはもっと過激だ。メキシコがあり、そして最近ではインドがある。メキシコに流れたのは第二次産業の職だが、インドに流れているのは高賃金のソフト産業の職である。何らかの形で職が流れれば、賃金も頭打ちになる。
それは別にブッシュのせいではなく、彼が経済政策で責められるのは理不尽なところがあるが、「誰の責任」と政治的に問えば、それは現職大統領の責任ということになる。職は逃げ、一方で生産性は上がる。恐らく長期的に見れば、職の流出と生産性の上昇は日本やアメリカの経済にはプラス効果となって帰ってくるが、マイナスとプラスの効果の時間差は大きいし、個人を含む各経済体への影響はかなり違う。
サービス産業(コンピューター関連など)の職まで流出し始めたらどうするか。それは恐らく個々の働く人の技能・能力を上げるしかない。つまり需要サイドと供給サイドのギャップ(ミスマッチ)を埋める作業を地道にするのである。それには、第二次産業ばかりでなく、サービス産業でも同じ事が起きていることを政治家に知ってもらう必要がある。職業訓練の幅を広げるのである。
日本がまだ助かるのは、サービスが日本語という言語を通じて提供されることである。コンピューターのソフトでもそう。容易にはインドのプログラマーは参入できない。アメリカはそれがダイレクトだ。インドのコンピューター技術者なら、誰でも英語が喋れる。壁はある意味で邪魔だが、庇護幕にもなる。
まあしかし「浸透圧」と強い。それに備えた経済政策が必要なのだが。
(23:59)夕方から勉強会。日本電算機株式会社の本社にお伺いして、同社の超多君(超多忙な人)を見せて貰いました。これからの我々にとっての映像処理の姿を予測するために。
面白いなと思ったのは、このサーバーは自らに取り込んだ映像を、ネットベースで送られてくるタイトルと時間管理で同期させて呼び出す方式であること。そのネットデータを誰が作っているかというと、同社と提携している多分この会社。つまりアーカイブ会社。
この会社があらかじめ選んだ番組(主にニュース番組)から項目ごとにアーカイブを作り、それを時間管理の考え方でタイトルを付けて配信し、そのタイトルを見て超多君を持つユーザーがクリックすると、自宅の超多君が記録した映像を呼び出す、という方式。
呼び出し時間は短い。200ギガの容量があるので、かなりのデータを入れておける。DVDの容量は普通4.7ギガで、それで1時間とか1時間半の番組を録画できる。ということは、200ギガとは42時間から50時間の記憶容量となる。圧縮を掛ければもっと長くなる。
しかしそれでも、地上波、BSなどなど局は多い。このマシンは、ダブル・エンコーディングで二局の番組を同時に録画できる。ということは、容量の使用も早く進むと言うことだ。いろいろ話しを聞いていて、コンセプトは面白いな...と。
ただし、事前に用意されている番組の幅が、ニュース中心でこちらのニーズとちょっと的が外れている、というのが実感。もっと幅広い番組を対象に出来れば、マシンとシステムの狙いが生きるのでは、という印象。あとはマシンが現在の20万円超からもうちょっと安くならないか、という点です。
(13:59)あらら、今ニューヨーク・タイムズを見たら、あのレンジャーズのロドリゲス(A-ROD)がヤンキースに移ることがほぼ確実と。ソリアーノともう一人のプレーヤーを出しての契約だと。
Yankees Said to Be Closing Deal to Obtain Rangers' Rodriguez_(‥ )フーン、ということは来月の30、31日に東京ドームで行われるヤンキース戦は凄いメンバーが揃っての戦いになる、ということですか。じゃ、一体松井は何番を打つのか。シェフィールドが入るはずだが....。In a trade that would join the most celebrated franchise in baseball with perhaps the best player in the game, the Yankees and the Texas Rangers have agreed in principle to a deal that would bring Alex Rodriguez to New York for Alfonso Soriano and a player to be determined, according to several people familiar with the discussions. The deal is all but complete, they said.
ヤンキースの課題は、クレメンスなど有力投手が3人も抜けたマウンドだと思うのですが、それはどうなっているのか。
(21:08)春一番が吹いたそうですが、確かに良い天気だった。それに誘われて外に出て、ついでに新宿で映画を見ました。久しぶりに日本映画で「半落ち」。警察用語で、容疑者が容疑を一部自供するも、完全には自供していない状況を指すらしい。
途中から劇場のあちこちですすり泣く声。そりゃ涙ぐみますよ。あの妻殺しの男にどういう他の道があったのか、という点については回答がない。判決は社会的には厳しいものだったが、裁判官だってそれが絶対に正しいという自信はないでしょう。しかし、社会の枠組みとしてはそうして決まっていく。どうしようもないから悲しい。
映画の中に何回も出てくる言葉がある。「あなたにとって大切なもの」「誰のために」という台詞です。日頃は考えないが、まあ結局誰に一番喜んで貰いたいか、という問題でしょう。当然いた方が良いが、「誰のために生きるか」という質問に対しては、映画では「自分の為」という答えが多かった。でも、そう言った瞬間に寂しくなるのも事実でしょう。人間は、複雑な存在です。
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映画ばかりでなく、音楽もここしばらく以前より日本のものが多い。これは金曜日の深夜もそうだったし、日曜日も生のコンサートを聴きに行くのですが、この人の歌など聞けば聞くほど良くなってくる。今日本に来ていて、もうすぐアメリカに帰るのですが、実にパワフルな形での民謡の受け止め方、再表現です。RBの風情がある。
対象的に、岡本知高の「Sopranista」の二枚目に入っている歌などは、逆に非常に透明感が強い。しかし、やはり男性ソプラノですから、今まで聞き慣れた歌い方とは変わっている。しかし、それはそれで良いのです。
今まで日本の昔の音楽と言えば、由紀さおりの姉妹の歌などが透明感のある良い歌い方で好感が持てると思っていたのですが、それはそれです。金曜日の夜は恵比寿の「サンマリノ」で岩瀬さんのチームが試験的に実演をしたのですが、それにはたまたまいたアメリカの連中も聞き入っていました。同じ歌でも音楽家にはそれぞれの解釈と再表現を試みて欲しい、と心から思うのです。
(22:48)どうしたんでしょうね。以前はもっとワクワクしました。グリーンスパンの議会証言などを読むときは。だから、これを含めて、グリーンスパンの本だけで2冊も書いた。ところが、今は「ああ、またこういう論法か」といった印象。
きっと彼の論理と話法に慣れたんでしょうね。それとも、彼の話法が変わったのか。いずれにせよ、最近はグリーンスパン語も少ない。最新の彼の議会証言はFRBのサイトにありますが、本人の証言も面白くないので、それに関する新聞論調も読んで面白くない。たとえばFTの12日の社説もちょっと新鮮味に欠けた。今回のグリーンスパン証言のポイント箇所は二つですかね。
アメリカ経済の先行き、金融政策の行方を占う上で重要なのは、「2」です。赤くした部分を素直に読むと、今のレート水準が「natural」ではないこと、つまり異常に低いこと、いつかは上がらざるを得ない、と考えていることが分かる。日本のマスコミはその次の文章「However」以降に関心を集めているのですが、私はこの「eventually」がいつなのかに興味があるのです。実は分からない。グリーンスパンも迷っていると思う。この点が今のアメリカ経済、ドル相場の先行きを考える上で、一番重要です。
(23:57)火曜日もそうでしたが、水曜日も綺麗な一日でした。比較的風があって空中の塵が飛び、その一方で空は綺麗に晴れて陽の光が反射を始めた感じで。春が近いのもあるのでしょう。今は天気が非常に安定している。外を走っていて、「春は近い」と実感しました。
天気も良かったので、ちょっと間が空いてしまったこともあって、八王子の両親のところに行き、その上野毛の叔母のところに。私の父親は上野毛の叔母さんの弟に当たりますから、家系図から言うと一つ上の世代の兄弟巡り、という結果になった。
両方とも元気で良かったのですが、その間隔、間隔で岡本君の人間力のプロになるのあとは、サービスの天才たちという本を読んだのです。といっても、昨日の夕方買ってもう読み終わった簡単な本です。
なぜだか本を読むときは「つながり」がある。サービスというのも一種の人間力でしょう。後者の本には、誰からも感服される床屋、タクシー運転手、マッサージ師の話しなどが出てくる。もうちょっと文章でうまく説明してくれたら、と思える本なのですが、最初の書き出しだけはキャッチーでいい。「今、学校を出て働く人の大半はサービス業に従事する」、と。
そりゃそうだ。製造業が現場をかなりの部分国外に出して行く中で、日本という国はサービス業の国になりつつある。それなのに、日本から海外に行く人の数(年間1600万人)に比べると、入ってくる人は500万人にも満たないという屈辱的な数字はあるのですが、にもかかわらず日本という国が「サービス」を重視せざるを得ない国になってきたのは確か。
で最近「サービス」とは何か、と良く考えるのです。流行る店とそうでない店。何が違うのか。例えば今日行った二つの老人用の施設は、ともに従業員が本当に気持ちよい。挨拶が出来て、ニコニコしている。それは見事に。決して作り笑いではないように見える。そういう意味では教育が行き届いている。
全体的に言って、日本のサービスの質は高くなっていると思う。例えば、この本にも出ているのですが、かつての有名ゴルフコースのキャディー達のひどさには目を覆うものがあった。今はかなり良くなった。それはクラブサイドの経営が厳しくなって、従業員教育が行き届き始めたり、出来の悪い人間がクビになったからでしょう。いろいろな業界でそういうことが進んだ。
しかし、どうも考えて「笑顔」や「挨拶」は初歩に過ぎないような気がしているのです。最後は、「相手に与える安心」が一番重要なのではないか、と。信頼して任せられる関係。しかし馴れ馴れしくしてもいけない。毅然さと原則を曲げない、という前提があっての話しですが。
「相手に与える安心」というのは、実は簡単そうで難しい。それはサービスを提供する人間が受ける人間に身になれなければ、難しいと思う。「身になる」ということは、サービスを受ける人の経験・体験をある程度共有すると言うことだから、やはり一緒の時代を生きなければならない。ということは、時間がかかるということだ。
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全体的レベルは上がってきているが、むしろ古い業界に客のレベルから取り残されそうになっている向きが多いのも確かだ。例えばホテル業界は外資系にほとんどもって行かれそうになっている。御三家と言われるホテルが、客のニーズの変化に必ずしも追いついていなかったからだ。
そう言えば、少し前に酷いこともあった。かつては一番日本で格が高いと言われたホテルです。ある海外からの知人のために禁煙室を予約した。しかし、当日行ったらどうしても用意できない、と。どうもその後大きな団体客が入って、部屋繰りの関係で禁煙の部屋がなくなったらしい。そりゃもう、直ちにキャンセルですよ。それ以来、そのホテルには会合で呼ばれた時以外全く行っていない。「ああ、終わったなここも」と思って、それっきりです。
つまりこのホテルは、「禁煙の人にとって、喫煙の人が泊まった部屋がいかに何日にも渡ってクサイか、臭うか」「我慢出来ないか」を知らなかったか、無視した。そんなホテルは終わりです。「サービスの天才たち」には、禁煙だったが故に客の輪が広がったタクシー運転手の話が出てくる。よく分かるな。
良くなりつつある、と言っても、日本のサービス業が学ぶべき点は数多くあると思う。
(08:21)友人の岡本君がまたまた本を出版。人間力のプロになるという題名で、「誰もここまで教えてくれなかった 仕事ができる人の基本メソッド」という副題が付いている。
友人の立場として彼を知っている身としては、「おいおいそんな若くして人間力のプロになったのかい」と問い合わせをしたい気分ですが、まあ歳ではないのでしょうな。彼の書く本はこれまで「どうしてこんなに厚いの」というくらい厚かったが、今回の本は活字も大きく、ページ数も200ない。
昨日もらったばかりでまだ読み始めたばかりですが、「へえ」とか「そりゃそうだ」という部分が多い。彼も意匠替えしたのかな、と思えるのですが、気軽に読める本であることは確かです。
本と言えば、「人民元で大儲け!―切り上げカウントダウン! 」(あさ出版 2004-02-07)という本を書いた高橋さんからは、昨日の午前中ですかね、人民元の切り上げに関する情報をもらいました。といっても、上海の新聞報道。
今朝、上海の新聞(上海日報)の一面で、中国人民銀行の高官の発言として、来月人民元を米ドルに対して5%切り上げるという方向であることが報道されまし た。(先週土曜日の財経日報の報道を引用して)というもの。その後中国人民銀行はこの報道を否定。中国は何事も非常に戦略的に考える国ですから、元の切り上げも慎重に考えているのでしょう。中国は輸入も急増しているので、切り上げの実質的メリットも多くなっている。近く動きが出てきてもおかしくはない。また2005年までにさらに5%切り上げる予定で、5%の切上げということになれ ば、現行の1ドル=8.277人民元の 水準から、1ドル=7.887元へ誘導されることとなります。
同時に現在米ドルにペッグしている人民元を10通貨の加重平均でレートを決める 通貨バスケット制に移行する方向で検討中とのことです。中国側の報道で、人民 銀行が具体的に切り上げ幅、時期、等言及した記事は初めてで、一方でG8蔵相会 議を意識しての情報リークという考えもありますが、かなり注目されるでしょ う。
われわれの予測では、今年中には10%程度の小幅な切り上げをする可能性が高 まっているというものでしたが、意外に小幅で早いという印象です。とりあえ ず、諸外国の非難をかわし、さらに切り上げ期待の資金流入を抑えようという狙 いがあるようですが、はたして、5%程度で収まるのか、むしろ意外に小幅で あったことによりさらに切り上げの可能性を期待する資金流入が加速する可能性 も否定できません。
(00:13)私にとってずっと頭痛の種だった問題に、やっと解決策を見つけました。ふわふわ....と思いついたのです。そして昨日から即実施。
毎週何本もあちこちに原稿を頼まれて書いているのです。このサイトに書く文章とは別に。今まではメールで送っていた。それはそれで普通なのですが、私にとって悩みの種は相手サイドの担当者がしばしば入れ替わることです。その度に、「今度はこのメールアドレスに送ってください」とメールが来る。
これは少し苦言を呈したいのですが、最近の編集者はなってない。会いに来るでもなく突然にメールで原稿を頼んできて、そのままメールでのやりとりで済まそうとする。顔も知らない編集者の為に良い原稿を書こうという気にはならない。
そういうのは断れば良いのですが、問題は長くそのコーナーを担当しているので続けているが、向こうの編集サイドの担当者がしばしば変わることです。「この度はこの人に」「次は別の人に」と、次々と。こちとらにしてみれば、「おいおい」ってなもんですよ。そして会いにも来ない。
そうすると何が起きるかというと、一度も会ったことのない人のメールアドレスがこちらサイドにいっぱい貯まることになる。そうすると探さねばならない。向こうは「私のアドレス」でいいだろうが、こちとらまたいつ使わなくなるかもしれないアドレスをどこかに残したり、記録しなければならないことになる。それはちょっと、という感じ。
見つけた解決策というのは、ワードでもテキスト文書でもサーバーに決まったURLでぶち込むことです。そして向こうの担当者には、〆が来たらそのURLを開けてもらう。それまでに小生がFTPしておけば良いのです。ワードでもテキスト文書でもファイル名をきちんと付ければそのまま入りますから、これで問題ない。
ウィルスが跳梁跋扈している今のメールシステムにとっても負荷が少しは軽くなるでしょう。添付でメールを送るのは、システムに負荷になる。何でもメールというのは、通信量とか人的ネットワークにとってしばしば脅威になる、という気が最近はしてきている。
(23:13)ブッシュという人はいろいろなことをしますね。NBCのインタビュー番組に出たという。「Meet The Press」という番組ですが、私の記憶ではこの手の日曜の米テレビ各局インタビュー番組に現役の大統領が出るのは希有。少なくとも私がニューヨークに居た4年間にはなかったし、その後も極めて少ないのでは。それは、アメリカの新聞が「In a rare interview」という単語を使っていることでも分かる。
では何故。やはり選挙が心配になったのでしょう。なるべく国民に近づいておきたいと。しかし、最近における支持率の低下は著しい。いくつも理由がある。失業で明るさが見えない経済、イラクでの大量破壊兵器の未発見、自分の軍歴の問題。一般の選挙民に「今の時点でのテレビ出演は、ブッシュの焦り」と見られなければ良いが、と思うほど異例なことだと思う。
ブッシュのトラウマは父親でしょう。彼も湾岸戦争を戦って支持率が高かった。それがあっという間に落ちて、クリントンに負けた。日本でも「古い政治」を知っている人間にとっては理解を超える現象が起きる政治状況だが、アメリカでも政治は昔の政治ではない。現役が負けることが希有ではなくなりつつある。今回も予想外の展開になるかもしれない。
もっとも現時点での支持率の動きは、必ずしも将来を予想するものではない。見慣れた顔より、新しい顔の方が関心を呼ぶ。ブッシュへの飽きが、今の支持率の変化に繋がっている可能性がある。ケリー候補も、今後より一段と検証される中で、ボロが出る可能性はある。
ただし最近数回の選挙と違うのは、民主党の複数の大統領候補(今回はケリー、エドワーズ、クラーク、ディーンなど)がお互いを傷つけ合って共和党の候補と戦う前に戦力を使い果たす愚を今回は免れる可能性がある点だ。ケリー候補はこの週末に行われたミシガン、ワシントン、メーンなどの大きな州での予備選やコーカスで明確に勝利し、他の候補が追うのも難しい状況を作りつつある。「党内の戦いを避け、本戦に注力する」というのが民主党首脳の戦略だとも言われ、その面でもブッシュ包囲網は徐々に狭まりつつある。
ブッシュ・ゴアの選挙は近年希に見る接戦だったが、今年の選挙も同じような接戦になる可能性が出てきたと思う。
(19:58)ははは、この週末は疲れ果てました。時間を見つけては、冬のソナタをDVDが手に入ったので、全部見たのです。「おい、早くしろ....」「はい次へ」などとつぶやきながら。なんで見始めてしまったのか、と後悔。でも、ついに日曜日の夕方にThe endに到達。ちょっと ending が弱い。
私が興味を持ったのは、このドラマになぜこんなに人気が出たか、でした。韓国では若い人の支持が大きかったそうですが、日本では中年女性などが虜になっている、と聞いた。日本だけではなく、アジア各地で。主役の二人が歩く湖畔の綺麗な並木道には観光客が殺到しているという。
合計20時間近くかかった。長いんです。私の印象なのですが、画面の作り、登場人物、カメラワークなどいろいろな点から見て、日本で言う「昼の連ドラ」仕立てです。湖の撮影なのに、湖面が動かなかったり、おかしいところもいっぱいある。俳優もそれほど演技がうまい、とは思わない。じっとしていて、それをずっと写すという場面が多い。良かったのは音楽かな。もの悲しい。
このドラマでは若者達はえらく禁欲的なのに、親の世代はむちゃくちゃで、そのツケを若い連中が払わされているのが「不思議だな...」と思いました。また見ていて、「このドラマは、今の日本では出来ない」と思いました。結局何に訴えているのかというと、「初恋願望」にではないか、というのが私の結論です。そう、みんな懐かしい。
韓国の映画では「ラブストーリー」というのも来ていて、先日銀座のシャンテに行ったら凄い人でした。9割が女性。私はこの映画はまだ見ていないのですが、見た人によるとやはり親の世代がストーリーの中で大きな役割を果たしているという。「冬のソナタ」もそうです。それが分かった段階ではちょっと滑稽になるのですが。「こんなに時間を使っても得した」という気分にはなれなかった。「ラブストーリー」はどうか知りませんが。
しかし、原音を日本語字幕で見ていると、韓国の言葉と日本の言葉の共通性が多いことに気が付く。「記憶」「約束」「三角関係」「契約」........などなど、同じ感じの発音単語が出てくる。隣の国の言葉を知らないのはよくないから、勉強しようかな、なんて思いました。最近みた映画では、「ビッグ・フィッシュ」とか「シービスケット」「ミスティック・リバー」が良かった。
(19:58)米民主党の大統領候補選びは、大部煮詰まってきた印象がする。日中にアメリカの新聞をいくつか読んでいたら、「この段階でこれだけ明確に勝っていて、大統領候補になれなかった民主党候補はいない」(ヘラトリ)と。つまり、スーパーセブン(7州)で5州で大勝したケリー候補が党の正式候補になれない可能性は少ない、というのである。
今回の米民主党の大統領選挙候補選びで大きなファクターとなっているのは、「勝てるかどうか要因」である。英語では、「THE electability factor」と呼ぶらしい。英語の記事にも electability には””が付いているので、母国語としている人にも目新しいのでしょう。
スーパーセブンの特徴はケリーが圧勝した州などを中心に、「turnout」、つまり投票率が異常に高かったことだとされる。なぜか。「民主党員は、最近の共和党の大統領の候補の中でも、ことさらブッシュが嫌いである。で、ブッシュを負かせる候補を選出するに当たっては熱が入っている」という解説があって、これが面白かった。
なぜ米民主党員はブッシュが嫌いか。これは面白い問題だ。ひょっとしたら、米国民の中でも世界の他の地域、例えばヨーロッパや日本にある「反ブッシュのメンタリティー」が存在するのかもしれない。
ブッシュの支持率は、イラク問題のハンドリングや国内政治の手腕など、多くのポイントで低下しつつあり、直近のUSA TODAY/CNN/Gallupの調査ではここ一ヶ月の間にブッシュの人気は11パーセンテージ・ポイント低下して、50%の水準を割っている。経済とイラクが不人気分野だという。
民主党でバイアブルな候補として残っているのは、エドワーズとクラークだけである。ディーンは実質的に落ちた。彼の凋落は実に短時間に起きた。これは記憶に残るかもしれない。今後の日程を見ると、一番大きなのは3月2日(火曜)の、カリフォルニアやニューヨーク、オハイオなど10州の予備選・コウカス(スーパーチューズディー)だが、その天王山までにはまだ2月7日のミシガンン、ワシントン両州でのコウカス、同8日のメイン州コウカス、10日のテネシー、バージニア両州での予備選、10日のワシントン特別区コウカス、17日のウイスコンシン州予備選、24日のアイダホ、ハワイ両州でのコウカス、さらには同日のユタ州予備選などが、目白押しに控えている。
ブッシュはケリーのベトナム戦争での戦歴を評価しながらも、デュカキスとなるべくダブらせて、負け犬の印象をケリーに与えたいらしい。これに対して、民主党はブッシュの兵役拒否の疑いを争点に取り上げたい意向という。
日本では依然としてブッシュ大勝・楽勝の予想が多い。しかし、ディーンがあっという間に落ちたことでも分かる通り、「選挙は水物」である。米大統領選挙の行方は、民主党候補が最終的に誰に決まるかを含めて、依然として決めうちが難しい状況だと思う。
(23:58)更新情報です。1月18日に行った第8回鍋物コンテストの模様をこのサイトに纏めました。
もう8年もやっているんです。で、絶対最低10回はやろう、ということになっている。もうそう決めたからは、やるしかないと。お金のかからない、ささやかなコンテストです。
(07:23)パラぱらパラと、時間を見つけては三冊ほど本を読みました。それぞれ一冊につき一つのメッセージが記憶に残る本でした。貸して頂いたり、もらったりした本。
松井秀喜スピリッツは、アメリカ人記者の目から見た松井秀喜を時系列的に論じている。読んでいて分かるのは、その実績もそうだが、いかに松井がアメリカ人記者をも魅了したか。面白かったのは、アメリカでは大リーガーが担当記者と一緒にメシを食べると言うことは極めて希だ、という点など。今年のヤンキースは3月30、31日に東京で開幕戦です。
次が可憐に、そしてしたたかにで、副題が「銀座のママが教える魅せる女の十二章」というのです。現役ママの銀座などの夜の世界で働く女性に対するエール、および処世訓。なるほどな、と思ったのは「普段と違う雰囲気を職場で出せる女の子ほど、出来る」というくだり。「そのまんまじゃダメ」ということでしょう。まあ、これは男にも言える。
最後が、小田優子さんの女性のための自己破産せずに借金を返す方法という本。彼女は実際にレディースローン(女性用サラ金)を貸すサイドで仕事をしていたことがあるが、今はそれにトラップされたヒトの相談相手になっているという。「2万人の相談に乗った」と書いてあるが、それは嘘でしょう。この本で面白かったのは、「返済が繰り返し滞るような人の家に行くと、必ずと言って良いほど家が、どうしてこんなにと思うほど散らかっている、汚い」という点。
何かに心を奪われた人、奪われざるを得ない状況に置かれた人は、身の回りの整理整頓さえ出来なくなる、ということです。一つの物差しですな。
(07:25)今朝の新聞の言葉では、日経産業に出ている「チャイナ・クロス」が面白い。説明はこうだ。
中国の需要を示すカーブが日本の市場規模を抜く瞬間の二本のカーブの交差を示す言葉。そりゃそうだ。中国の人口は日本の10倍。中国の近代化とともに、このクロスはいろいろな商品で出てくる。鉄鋼使用量では中国は10年ほど前に日本を抜いたそうだ。しかし中国が石油で日本を抜いたのは2年前らしい。政策の影響もある。中国は石炭重視だった。しかし今や、中国は日本よりも大きな石油輸入国になろうとしている。
ITでは、既に携帯電話台数でGSM、PHSを合わせると中国は日本の3倍だそうだ。クロスは既に起きている。カラーテレビもそう。次にチャイナ・クロスが起きそうな大きな製品は自動車だそうだ。昨年の中国の自動車販売台数は439万台。対する日本は600万台。クロスは近い。
日曜日のテレビ朝日のサンデープロジェクトの中国企画は結構面白かった。名前が出ていたのは小松、資生堂、伊藤ヨーカドーなど。ということは、「インド・クロス」というものもあることになる。まあ日本人は、自国をあまりインドとは比べようとはしないでしょうが。世界経済的には面白い問題です。
(19:25)アメリカ最大のスポーツイベントのスーパーボールは日本時間で明日(2日)朝8時ですが、それに絡めたこの記事は面白かった。人々はなぜ十分にあると思われるものを、なお一層買うのか....という問題を考える上で。
アメリでは今、人口にほぼ匹敵する2億4000万台のテレビがあるそうだ。所帯に直すと、一般的な人口構成の所帯には2.3台がある、という勘定だそうだ。考えようによっては十分だ。にもかかわらず、平面テレビは飛ぶように今のアメリカで売れているというのだ。
当然ながら、アメリカのメーカーも日韓のメーカーに負けじとこの分野に参入を表明している。では「なぜ」。「The SUPER television」と題されたこの文章によると、アメリカで現在売れているテレビの90%が平面テレビ(液晶やプラズマ、昨年末は50%)になっている例もあるらしいが、その原因は一般的に考えられている「映像の綺麗さ」ではなくて、そのデザインにあると言う。
平面テレビを買った人のうち、「映像の綺麗さ」で買ったのは18%に過ぎなかったという調査も紹介されている。ちょっと驚きですな。では何故「デザイン」なのか。それは部屋の中に綺麗に収まる、という要因が大きいらしい。特に女性が平面テレビを歓迎するという。
面白いですね。私はプラズマテレビを買ったときに、「これは狭い日本の家にピッタリの商品だ」と思ったのですが、家の大きいアメリカでもそういう意見が出てくるとは。この中で、 面白い言葉が登場する。「The Wife Acceptance Factor, or WAF」。「奥様許容要因」とでも訳しましょうか。
まあ分からない訳ではない。従来のテレビはスクリーンを大きくしようとすればするほど、後ろが出っ張る。これはソニーのクオリアを見たときも思った。この記事によれば、男性はそれでもあまり気にせずに、大きいスクリーンのテレビを買ってスポーツ番組を見たい。しかし、女性はそれに抵抗すると。
で出てきたのが、フラット。それなら奥様も許す、ということで「WAF」が著しく向上して、大ヒット商品になっていると。なかなか面白い話しではないですか。無論、フラットになったこと自体は大きな技術革新で、一人一台ある商品でも「飽和」せずに、凄い勢いで売れている。
ということは、同じような発想で他の商品でも「飽和」を乗り越える新しいデザインの商品が今後出来るかもしれない、ということになる。