2006
06月

2006年06月の日記

日記

2006年06月30日

 (23:59)備忘の為に小泉・ブッシュ会談の発表ものを残しておきます。まずは「新世紀の日米同盟」という文章。

 The Japan-U.S. Alliance of the New Century

 まあ仲が良かったブッシュと小泉の関係を文書にしておく必要があったのでしょう。スタンバイでも言ったのですが、アメリカは非常に戦略的な国です。こういう文書を出すときに日本もそれだけの戦略的な思考を重ねた上で形にしたのなら良い。しかし、必ずしもそうではないのが気になる。

 次に記者会見の模様を。これを読むと、まるで影の主人公はエルビス・プレスリーのようです。会談の締めが「love me tender」ですからね。その前にも、プレスリーの歌のタイトルや歌詞があちこちに登場する。最初のアメリカ人記者の質問がグアンタナモ基地ですからね。

 President Bush and Japanese Prime Minister Koizumi

2006年06月29日

 (26:59)結構素直なFOMC声明ですな。今のままの経済情勢で行けば、次の8月8日のFOMCでも利上げはありえる、と読める。むろん、8月8日は一ヶ月以上先。今回の声明でFRBが指摘している景気減速の三要素としての「a gradual cooling of the housing market and the lagged effects of increases in interest rates and energy prices」や、それ以外の要因によって景況、インフレ状況が変わってくれば見送る。

 しかし、「Readings on core inflation have been elevated in recent months」とも「the Committee judges that some inflation risks remain」とも言われれば、その「risks」を潰さないと気が済まないのだろうな、とも思う。まあ8月も利上げする可能性は6割以上ある、と今の段階では読める。

 今回の利上げは17回連続のFOMC開催時利上げ。今回の利上げは全員一致。もっとも、株式市場はずっと今回のFOMCを懸念して低迷していた後だけに、「不安材料がなくなった」「思っていたほどタカ派的声明ではない」ということで、特に声明発表後に買い物殺到となり、ダウは200ドル以上も上げている。ま、8月8日のゾロ目の日までまた「上げる、上げない」の議論が続くことになります。

Release Date: June 29, 2006

For immediate release

The Federal Open Market Committee decided today to raise its target for the federal funds rate by 25 basis points to 5-1/4 percent.

Recent indicators suggest that economic growth is moderating from its quite strong pace earlier this year, partly reflecting a gradual cooling of the housing market and the lagged effects of increases in interest rates and energy prices.

Readings on core inflation have been elevated in recent months. Ongoing productivity gains have held down the rise in unit labor costs, and inflation expectations remain contained. However, the high levels of resource utilization and of the prices of energy and other commodities have the potential to sustain inflation pressures.

Although the moderation in the growth of aggregate demand should help to limit inflation pressures over time, the Committee judges that some inflation risks remain. The extent and timing of any additional firming that may be needed to address these risks will depend on the evolution of the outlook for both inflation and economic growth, as implied by incoming information. In any event, the Committee will respond to changes in economic prospects as needed to support the attainment of its objectives.

Voting for the FOMC monetary policy action were: Ben S. Bernanke, Chairman; Timothy F. Geithner, Vice Chairman; Susan S. Bies; Jack Guynn; Donald L. Kohn; Randall S. Kroszner; Jeffrey M. Lacker; Sandra Pianalto; Kevin M. Warsh; and Janet L. Yellen.

In a related action, the Board of Governors unanimously approved a 25-basis-point increase in the discount rate to 6-1/4 percent. In taking this action, the Board approved the requests submitted by the Boards of Directors of the Federal Reserve Banks of Boston, New York, Philadelphia, Cleveland, Richmond, Atlanta, Chicago, St. Louis, Minneapolis, and Dallas.

2006年06月28日

 (23:59)ネットを見ていてちょっと面白いな、というニュース。猪口邦子少子化担当相が28日に東京・内幸町の日本記者クラブで講演・記者会見して

 2005年に1.25と過去最低を更新した合計特殊出生率について「予断は許さない」としながらも、「06年には(低下してきた)出生率と出生数が反転する可能性がある」との見方を示した
 という。それによると、婚姻数が05年12月から今年4月にかけて上昇し続けているそうで、厚生労働省の人口動態統計(速報)によると婚姻数はトレンドとして05年6月を底に増加傾向に転じており、出生数も数カ月遅れで増えている、と。

 なかなか面白い数字だと思う。日経には「ただ、結婚しているのは30歳代が中心とみられ、専門家の間には少子化傾向を変えるほどの影響はないとの見方もある」という留保がついているが、まあ私はずっと「貴重なものは社会から大事にされる」という意見で、今の日本では大事なものと言えば「あかちゃん」だと思っているのです。だから赤ん坊がエスカレーターなどに乗ってくると、私などもつい微笑んでしまう。

 まあそれは社会の空気みたいなもので、経済状態、社会状態もあるでしょうから、日本の出生率の低下傾向に歯止めがかかったとは言えない。それは確か。しかし、子供が貴重になればなるほど、社会もそれに対応した施策を採る。そういう意味では変化は出てきているのかもしれない。そういえば、去年だったか一昨年だったかクレアが、「母になる.....」という特集をしていたな。そのまえにやることがありそうですが、それをしなくても子供を認めるとしたのがフランスで、フランスの出生率は既に1.7に近いと思った。それも方法です。

2006年06月27日

 (23:59)真夜中の試合を午前2時くらいまで見ては、朝方の試合は見れずに結局8時頃起きてネットで結果を見る、ということの連続。ははは、今日も多分これからブラジル対ガーナの試合を見ちゃいます。でも、フランス対スペインというのも捨てがたい。隣同士の国の、実に厳しい対立。うーん見ようかな。

 勝ち抜き組を見ると、まるで絵に描いたような下馬評通りの展開。ヨーロッパでワールドカップが開かれるとこうなるみたいな。しかし、南米もアルゼンチン、ブラジルがしっかりしている。結局は2大陸の戦いか。いままで見ていて一番美しいシュートはやは対メキシコ戦でのりアルゼンチンのロドリゲスのそれですかね。

 左からのクロスを胸でコントロールして落とし、落ち際を左足で拾い、ゴール左上ぎりぎりを突いたあのシュートです。綺麗に弧を描いたあのシュートは当分頭から離れそうもありません。実に美しかった。何度見ても、「beautiful........」と言ってしまう。

 ところで、新幹線の中で実に面白い本を読み始めました。「貝と羊の中国人」というのです。実に面白い。「いままでかかれていない中国を書いた」と著者が書いているとおり、非常に面白い視点が並んでいる。

 今第四章まで読んだのですが、それまでの「貝の文化、羊の文化」「流浪のノウハウ」「中国人の頭の中」「人口から見た中国史」は皆胸に落ちるポイントがあって良かった。まだ読み終えていない本ですが、「是非」と推薦できる。

 ひょっと気がついたら、新幹線の中でこの中国の本の隣に持っていた本はインドの本でした。自分の関心がこの二つの国にあることが如実に示されているような。この二つの国を比較する本を書くのも面白いな、と思いました。この二つは違っていて、しかし似ているところがある。

 今6月にNHKの取材で行ったインドに関してまとめておこうと思って文章を書いているのです。本にする予定でもう半分くらい書いた。インドに関してかなり思い切った仮説を書きます。しかし、私のこれまでの取材をベースにしている。あと2週間くらいで書き終わります。

 その前に今年の春以来ちょこちょこ書いていた料理カウンターに関する本は、9月に新潮新書として出ます。これもかなり調べたり、取材したり。新潮新書は一ヶ月に4冊しか出さないと決めているそうで、9月分に入れて頂きました。原稿は最終的には今週中に出します。お楽しみに。(ありゃ、ロナウドが15点目.......)

2006年06月26日

 (25:20)今度はインドから日本に来たチャタルジー夫妻と。久しぶりの日本だろうと思って、頭をひねった末に豆乳での黒豚のしゃぶしゃぶを提案。結局、みんなでそれを食べました。鹿児島に行かなくても、東京でもちゃんと食べられるのです。

 デリーのテーラーでワイシャツを作って、滞在中にピックアップできなかったので、お二人に頼んじゃいましたから。できあがったシャツはなかなか面白い。色々な話をしました。せっかくインドに3回も行っているので、「特派員報告」として本を書き始めているので、それに関しても話しました。参考になりました。

 食の合間にロビーにいたら、突然岩見隆夫さんが現れた。お互いに「あれ、どうしたんですか」と。ちょっと言葉を交わしただけですが、家に帰ってネットを見ていたら、福田さんが政治評論家達との会合をドタキャン.....とあって、それあそこでやっていたのか、と。
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 「領」のナンバープレートについては、掛原さんが情報を寄せてくれました。私がしなかった検索をかけてくれて。結論から言うと、1952年(昭和27年)5月24日から 定められたそうで、一番分かりやすいサイトとして

 山梨県軽自動車協会のHP

 に非常に分かりやすく分類してありますと。これを見ると、「皇」というナンバーもあると分かる。勉強になりますな。1952年からあるとは。それにしては今まで目にしなかった。

 彼によると、「面白いのは、ナンバープレートという呼称は通称であって、 日本では法律による定義はない」そうで、法的には、自動車で一般に用いられるものは 「自動車登録番号標」および「車両番号標」、原動機付自転車用のものは「標識」というそうです。ありがとうございました。

2006年06月25日

 (11:20)書き残しておきたいちょっとした発見が二つ。一つは車のナンバー、もう一つはソニーの新しいマシンのこと。

 土曜日の夜にWBSでテレビ東京に向かうときでした。環七を走って甲州街道に出てところでひょっと隣の車のナンバーを見たら「領」ナンバーだった。見たことがなかったので運転手さんに「見たことありますか」と聞いたら、運転手さんもないと。「外」はいつも見ていますよ。しかし、「領」はなかった。いつできたんですかね。

 もう一つは、ソニーのコネクト・プレーヤーについて。必要があって買ったのです。買うときに、「なんだ、ネットワークウォークマンと同じじゃないか」と思って。形状はそっくりです。しかしコンピューターにインストールしてコンピューター内の音楽ファイルを拾わせたらあら不思議。podcast のファイルを読み込んで来るではないですか。

 podcast をどうやってコネクト・プレーヤーに意図的に読み込めるのかは知りません。まだ調べてありませんので。しかし思うのは、ソニーもpodcast のファイルが広がるのを無視できなくなって、自社の関連マシンが podcast ファイルを拾えるようにしたのかな、という点。いや知りませんよ。しかし、私にはそう見えた。
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 ところで、このコーナーをお読みの方にお願いがあります。ここには今中国とインドの人の指での数字の数え方が掲載してあるのですが、それをほぼ世界的な規模に広げようと思うのです。インドと中国で23億人をカバーしたので、あと40億人分。

 まあ日本の分も知っていますが、特に知りたいのはアラブ、イスラエル、パキスタン、ロシア、ドイツ、ポーランド、アフリカ各国、南米各国、東南アジア各国などです。アメリカ人やイギリス人もまだ聞いてありませんが、アングロ・サクソンは日本でも簡単に聞けそう。

 今のこのページのタイトルは「中国では指で数字をどう表現するか ?」になっていますが、少し集まったところで「世界では指で数字をどう表現するか ?」に変えようと思っています。

 お暇なときに、10枚のデジカメ・ファイル(jpeg、jpgを希望)で送って頂ければ幸甚です。ちょっと興味があるじゃないですか。

2006年06月24日

 (11:20)5割くらいの確率でG組韓国はスイスに勝って一次リーグを抜けられるのかと思っていたのですが、朝起きてネットを見たら2−0で負け。G組はスイス、フランスの決勝トーナメント進出。また欧州勢。やはり「場」はあるな....と。

 結局今回のドイツ・ワールドカップは欧州・南米勢を除けば、アフリカ勢で一つ(ガーナ)、アジア勢で一つ(オーストラリア)が残っただけ。サッカーの母国である欧州勢と南アメリカ勢の対立という構図になった。日韓大会の時に、韓国と日本が二次リーグにまで進んだのと大きな違い。まあオーストラリアも、祖先の大部分は欧州からです。自分達の「場」を感じたとも言える。大体FIFAの組み分けでは、オーストラリアはアジアじゃない。

 「場」は、選手に不思議な力を与える。韓国が日韓大会で4強にまで行ったのは、あの強烈な応援があったからでしょう。球場だけではなく、ソウル中が赤かった。日本も一次リーグ勝ち抜きの大きな力は、都市の中心スタジアムで行われた試合が多かったことが大きいと思っている。最初から注目を浴びたい選手は、「場」の中心にいて力が出た。

 逆に一次リーグを抜けた日本が初戦でトルコに負けたのは、サポーターがスタジアムを取り囲みようもないあの宮城球場の環境が大きかったと思っている。つまり「場」が悪かった。トルシエもその事を言っていた。

 日本の評論家の大部分は、「トルシエの言い訳」と聞いたらしいが、私は一理あると思った。ただの観客でしかなかった私でさえ、現場にいた人間として思ったことはあの宮城球場ある寂しい環境を見て、「これじゃ、選手はやる気にならないだろうな」と思ったことだ。特に歓声を浴びて試合をすることに慣れて来始めていた日本の選手には過酷だったし、拍子抜けだったと思う。

 ドイツという「場」は、明らかに欧州勢にとって優位である。移動も食事もベッドの硬さも、彼等には慣れた環境だ。日本選手が日本のホテルにいるときと安心感は、同じ一流でも欧州のホテルではなかなか得られないだろう。南米の選手の大部分は、ヨーロッパでのプレーの経験がある。ヨーロッパは彼等にとっても、慣れた「場」である。

 といっても、毎回の大会は世界のどこか一カ所を「場」として選ばねばならない。次は南アフリカである。80年代の初めに私は行ったが、良い場所がいっぱいあるワインのうまい場所だ。この大会では、「アフリカ勢が大躍進」する気がする。アフリカ諸国も選手強化を進めるでしょう。

 日本は今回24才のチームの中で駒野が一番若かった。イングランドには17才の選手がいるのに。ジーコはあまり若い選手を育てなかった印象がする。日本の課題は今の主力の大部分が30才代になる。次回はまごまごしていると、本大会にまで出られないかも知れない。まあ4年という時間はありますが。

 個人的には、これからも楽しみなマッチが続く。ドイツースウェーデンなんてのが当面面白い。ブラジルも、大不振だったロナウドが2点をあげて、まあ一応メンバーが揃ってきた。

 いろいろな意見があるし、私も言いたいことがいっぱいある。しかしドイツ大会を戦った日本の選手達にはご苦労様と。WBCで優勝した日本。サッカーの歴史はまだ浅い。何でも思うとおりに行くものでもない。そして最後に彼等にこの言葉を贈りたい。

Life goes on .......................

2006年06月22日

 (24:20)久しぶりに夜の街を歩きましたが、人が少ない。各種のお店も暇のようです。

 2002年の6月のことです。私の知り合いであまりサッカーを知らない人が、銀座に店を開いた。しかし、本当に人が少ない。最初なんだか分からなかったそうです。しばらくして、「あ、サッカーだ」と思ったそうです。思ってももう遅い。店を開いて一ヶ月は本当にお客さんが来なかったというのです。2002年は日韓共催だった。

 今年も同じ状況。2002年ほどではないが。4年ごとに、日本中のお店が気を付けねばならない、ということです。がんこ炎という会社が面白い発表をした。「サッカーのワールドカップのおかげで、客入りが悪く業績が悪かった」と。

 まあね、そのくらいは予想していないと。そのくらい、サッカーは国民的行事になったと言うことです。さて、明日の朝はいかに.......

2006年06月21日

 (24:15)つい見てしまいますな。朝4時ころには目が覚める。それで見た最近の試合で面白かったのは、イングランド対スウェーデンですかね。あそこでスウェーデンが追いつくとは。ジラードの2点目で決まりと思っていましたが。スウェーデンは雰囲気がある。一発決めに入る二次リーグ。ドイツ対スウェーデンはドイツにとっても正念場だと思う。

 久しぶりに岡本君からお願いが。それは、どうも彼の友人がドイツに行っているらしく、そのレポート面白いので紹介してくれと。よござんす。メールは

さて、お願いが。
世の中サッカーですよ。
友人の電通のクリエイティブ・ディレクターが、いまドイツに行って私のサイトに毎 日レポートしてくれています。
とても気合いが入っているので、できれば伊藤さんのサイトでご紹介いただければあ りがたく。

http://www.ne.jp/asahi/shin/ya/

よろしくお願いします。

 うーん、このメールだと私が世の中からちょっと外れているような。ははは。インドが濃かったので。しかし、結構見ていますよ。金曜日も早起きして見ないと。ただし、私はまだ「bigfoot」さんのところのサッカー寄稿をまだ読んでありませんが.....

2006年06月20日

 (24:15)ははは、出来ました。ReadMeに「フロッピーやUSBメモリーでプログラムごと持ち歩ける」とあったのでちょっと考えて、「壁カレ」と題した新たなフォルダを作ったUSBメモリーにダウンロードし直して、それを展開したのです。その上で、一端データを入れた「C」の「kabe3」からデータを取り入れ、デスクトップで展開してみた。

 そしたら、完璧でした。これで予定を持ち運べる。今までは物理的にノートに記帳してそれを頼りにしていた。しかしUSBメモリーやそれを複写した各コンピューターのデスクトップで管理できる。これは良いソフトをゲットできました。吉富さんに(^^♪感謝!!。他の人が自分のコンピューターの上で何をしているのかちょっと覗くのは有用かもしれない(じろじろ見てはいけませんが)。

2006年06月20日

 (23:35)2週間ぶりに関西テレビに。編集局(そう言うのかどうか知りませんが)の中をうろうろしていたら、番組のお目付役の吉富さんのPCのデスクトップに面白いカレンダーが。透明にデスクトップに張り付いている。

 面白いと思って聞いたら、「壁カレ」だと。「窓の杜にありますよ」と。窓の杜は以前は随分と立ち寄ったものですが、最近はあまり行かなかった。新しいソフトがあまりなかった印象があるので。

 もう一つ、彼が使っているエディターが面白かったな。縦書き、かつ一番上に行数の表示が出来ている。ワードでも縦書きは出来るが、やはり基本はアメリカのソフトですから、優れたものではない。ソフトの名前を聞いたら「O's Editor2」と。面白いソフトが出来ているものですな。

 「壁カレ」は直ちにダウンロードしました。そして使ってみた結果、私がまだ慣れていないせいかもしれないのですが、「データを同期化してくれないかな」と思いました。というのは、何台かのコンピューターを使っている私には、データの同期化が出来れば、これほど便利なものはない。何回もデータを入れるのは面倒です。

 「O's Editor2」についてはちょっと考えてダウンすることとしました。というのも、私が請け負っている原稿は、いずれも行数ではなくワード数で縛りがかかっている。ワードでプロバディーを開いて字数をチェックすれば簡単に判明する。新たにソフトを入れなくても良いと思っているからです。

 思ったのは、窓の杜くらいは定期的にチェックしないとな、と。

2006年06月19日

 (16:35)結局日本対クロアチアの試合は、ニューデリーの空港の待合室で大勢の日本人の方々と一緒に見ました。最後まで。私もそうですが、厳しい声が飛び交って、テレビの前をインド人が横切りなどすればブーイング。はは、それにも関わらず日本は引き分け。柳沢のあれは決めてしかるべきだったのに。

last photo I took in India チャさんがいないだけの総勢9人  日本人がそれほど多かったのは、帰りはJAL便だったからです。行きはエアインディアだった。乗り心地はJALの方が良い。直行便というのも良い。しかし何回も乗っているが、エアインディアが良いのは離着陸、特に着陸がうまいということです。インド空軍の優秀なパイロットが操縦桿を握っているらしい。

 インドのあの喧噪の中から帰ってくると、つくづく東京は静かな街だと思う。インドの中ではニューデリーは静かな方です。抜群に。しかしそのニューデリーに比べても東京は静かです。第一、成田から都内で一回寄り道してそしてまた高円寺まで。全行程で聞こえる範囲でクラクションが何回鳴るか興味を持って数えていた。そしたらなんと、わずかに二回でした。国会議事堂の前で。

 帰ってもやることはいっぱいありますな。明日はもう大阪なので、今日中にと思ってまずwindows の欠陥に対するパッチ作業から。結構件数が多い。時間がかかる。インドに居る間にマイクロソフトがらみのニュースが二つ。一つは windows の欠陥、もう一つはビル・ゲーツの引退宣言。ゲーツの宣言は、インドのニュースも大きく扱っていました。

 インドでも日本飯を二度ほど食べたせいか、帰ってもそれほど日本食という気分ではない。しかし和菓子はいいな。飛行機の中で、今回の10日間のインド紀行は何だったのかと考えていました。そして、結構まとまった考えが出来上がりました。昨日も書いたとおり、放送との関連で機会を見て発表したいと思っています。

 「日本力」が「6刷りになりました」との講談社からの知らせが郵便の中に入っていた。といっても、冊数はそれほどすごいものではない。しかし発売から一年もしてまだ増刷になっているのは、なかなか良いことだと。

 今週は新潮社と次の本の打ち合わせです。この方はほぼ出来上がっている。あとは章立てとか、タイトルなどを詰めていくつもりです。うーん、次の次の本はインドか、「都市と農村」かな、なんて考えてます。

 右に掲げた写真は、今回のインド取材の最後の最後にホテルのロビーで撮ったものです。一人欠けただけで、17日の夕食を一緒にした人全員が入っている。ヒンズー語を英語にしてくれる人、何かと取材で口をきいてくれた人。先に紹介した日本人スタッフやインド人コーディネーター以外にも、取材には大勢の人が貢献してくれていた。

2006年06月18日

 (16:35)ニューデリーの市内数カ所の撮影を終えて、いよいよ帰国。最後に乗ったのは、ニューデリーの新しい地下鉄でした。メチャ新しい。インド人の家族も車内でビデオを撮っている。観光スポットということでしょう。

ケイタイで撮ったデリーの地下鉄。新しいし、広い。まだ短いが良くできている。しかし、警備は厳しい  インドを去るのは、はっきり言って寂しい。もうちょっといたい気がする。忙しかったこともあるが、私自身にとっても新しい経験であり、刺激があったので楽しかった。「特派員」をした実感がする。何よりも、過去2回来ても見れなかったものが見れたのが良かった。

 私と林さん、それに関さんは帰りますが、あとのクルーはまだ数日残って撮影などを行うという。企画から番組が最後に放送される瞬間までを100歩に例えると、どうなんでしょう、まだ私にとっても60歩くらいですかね。番組作りに携わっている多くの人にとっては、今現在はそれぞれの歩数があるのでしょう。

 うーん、全体から言ってもまだ半分を過ぎたくらいでしょうか。関さんには膨大な翻訳の仕事があり、「D」や「P」、それにNHKエンタープライズやNHK本体にとっても編集から最後の仕上げの仕事がある。私的には、あとモノローグの最終的な仕上げと、スタジオでの司会者との対論がある。7月16日に放送されるまでは、まだ長い工程です。しかし、「特派員」の現地での取材が一つの大きなヤマであることは間違いない。

 その意味では、一つ大きな固まりが終わった。チームを紹介しましたが、江袋さん、石田さん、ドヴァルさん、鈴木さん、林さん、関さん、それに車を操り我々を誘導してくれたインドの方々には、大変お世話になったと思っています。道中、「ドヴァル、林、伊藤」の三人で一台の車に乗ることが多かったのですが、うるさかったな。よう笑いました。面白かった。運転しているインド人だけは白けていましたが。ははは。

 で、一ついいことを考えました。私は今までも数日以上を掛けた海外の取材(勝手取材を含めて)では、

 2004年・年初のインド
 中国、先進国への長い道
 苦悩する韓国と盧武鉉政権
 爆発中のインド

 などまとめの文章を書いてきた。今回も書く予定です。書いた上でアップする。しかし今回は、放送がある7月16日までアップをしません。何をしたいかというと、基本的には物書きであり、エコノミストである私が見たインドをどう書くかと、局が最終的に決める放送の流れ、採用する映像とを比較して欲しいのです。

 本来違うと思いますよ。一つの事象を見ても、人が違えば気づくことは違う。基本的には活字の媒体で来た私と、映像のテレビでは結構同じものを見ても、違うのではないかなと思っているのです。視点とか、ポイントの置き方とか、エンディングのもって行き方とか。これは結構面白いと思う。恐らく両方に目を通すと、インドの実像がより鮮明になってくると思う。両方とも真実ですから。視点が多様化する。

 私は印象記を多分数日で書き上げます。私が書けば仕上がることなので簡単。その後に、テレビ番組用のモノローグ採り、そしてスタジオと続く。繰り返しますが放送は、7月16日日曜日午後10時10分からです。

2006年06月17日

 (23:35)今日も忙しい一日でした。心配していた昼飯はちゃんとありましたが、ほぼ夕方7時まで移動の連続

  1. 優先入学枠(RS)拡大構想に反対するストとデモが起きたインド医科大学病院(AIIMS)の外からの撮影
  2. インドの著名な社会経済学者とのインタビュー
  3. インドの有名大学生5人とのインタビュー兼対話
  4. グルガオンのモールで、新しいインドの消費社会の進展ぶりを撮影
 と。4番目は2004年にも、去年から今年に掛けても私はチャタルジー夫妻に連れてきてもらっているのでその変化をちょっと見てレポートするくらいでしたが、林さんなど日本人は全員驚いていましたね。まあ、「ここがどこ」と教わらなければまるでアメリカのモールです。英語が氾濫していますから、驚く日本人が多い。しかし言っておきますが、インド人は日本人より数倍も英語がうまい。独特ですが。古いインドが好きな人は、「見たくない光景」かもしれない。

インタビュー後にインド人の学生達と  グルガオンを車で走っていると、「将来のニューデリーの中心はここになるんだろうな」と思う。仮に地下鉄などが走ればですが。グルガオンがあるのはハリアナ州といって、ニューデリーのある州とは別の、隣の州になる。スズキ自動車がここに工場を造った20年前は何もなかった。それが今では、ニューデリーからいっぱい人が買い物に来て、また周囲には高級マンションが立ち並ぶ街になった。将来値上がりしそうです。

 もしここが、つまりグルガオンがインドの代表的な都市であるニューデリーの顔になったら、その時に世界の主要都市はますます似ていくる、と思う。都市はどこでも同じです。各国で違うのは農村。対立の構図は各国にあるのではなく、都市か農村かにあると思う。

 私的に一番面白かったのは、大学生5人との対話ですかね。放送されると思うのであまり内容は言えないのですが、最後に女子学生に「おしんの時代から、日本はなぜ発展できたのか」と聞かれたのが面白かった。一つのポイントは、平等な教育と答えておきました。インドは、初等教育のレベルから行ける人、行けない人に大きく別れる。2004年に最初にインドに来た時に、街を走っているバスの後ろに「子供を学校にやりましょう」と書いてあったのを今でも思い出す。

 取材が全部終わった午後8時過ぎから、取材車を運転してくれたインド人(3人)も一緒に、合計10人(インド4、日本6)で食事をしました。日本語と英語、それにヒンズー語が飛び交う変な会食。でも楽しかったな。私は「文化人類学」と自分で呼ぶ領域の質問を矢継ぎ早にインドの人たちに浴びせました

  1. 家で財布は誰が握っているのか。亭主は小遣い制か、朝飯は誰が作るのか
  2. インドでは結婚はどういうプロセスで進行するのか、離婚はないのか、浮気はないのか
  3. インドでは一般的にどういう夫婦関係になっているのか、子供には何になることを希望するのか
  4. 官僚が偉くなるプロセスと、そこでの出世の必要条件
 日本の例を出しながら、彼らの生活が浮かび上がるように。面白かった。こうした話題が良いのは、ちょっと品は悪くなるが誰でもが参加できる問題だからです。いろいろ複雑な事情が見えてきた。一端を書くと
  1. インドでは財布は妻が握っている。亭主は必要に応じて妻からお金をもらう。そう書くと日本と同じように見えるが、実は亭主は自分のもらっている給料を全部渡してはいない。日本のように妻が亭主の銀行口座さえも管理するようなことはないから。だから、インドの男は一見妻に財布を握られているようで、日本の亭主ほどひどい状態ではない

  2. インドの結婚は今でも基本は身分や家柄などに基づく親主導の見合いで始まり、その後に恋愛になることはあるが、それでも基本は見合い結婚である。親の反対を押し切って結婚すれば、しきたりや身分が牢固に残るインド社会において暮らしていけなくなる。だから今でもインドでは、日本では既になくなった親決めによる「見合い」が結婚の基本形である

  3. 平日は子供の学校や亭主の出勤などがあって妻が食事を作るが、土日などは男が先に起きてチャイを用意したり、食事を準備する。子供が生まれるまでは夫婦で手をつないで歩くことも多いが、子供が生まれたり3年もすると手をつないで歩かなくなる。子供が生まれるとインドの女性は亭主よりも子供に関心をより多く寄せるケースが多い

  4. インドでは日本のラブホのような施設がない。ホテルでのインド人同士の宿泊は名簿管理などによって極めて厳しく管理され、正当な婚姻関係を持つ人間同士でなければ投宿できないので、結婚前の気楽な付き合いや結婚後の婚外異性交渉は基本的に難しい

  5. インドの官僚社会で出世のために一番必要なのは「ごますり」である。どこかの大学を出たからもう大丈夫ということはない。常に自分を引き上げてくれる人との関係を良好に保たねばならない
 などが面白かったな。最後が本当だとすると、IITだとかIIMなどの優秀な大学を出たがるインド人は実は幻想に取り付かれていることになるが、ドヴァルは今でもそういう大学を目指す学生に関して「彼らは田舎ものだから」と言い切った。日本でも、東大を出たことが出世を約束される時代はとっくに過ぎている。インドが最初から学歴社会ではないというのが面白かった。

 田舎からIITやIIMに入っても、また下の階級からリザーブ・システム(今でも入学特別枠がある)で入っても、「落ちこぼれて大学を去る学生が多い」というのも面白かった。ドヴァルの友人によれば、リザーブ・システム利用の入学学生の約3割が、途中で大学でついていけなかったりして大学を去るという。

 「ついていけない」には二つあって、都会についていけないと、勉強についていけない。前者については、確かに電気もない新聞もない田舎のインドの農村からの「ただ勉強だけが出来る」という学生の都会での生活は厳しいと予測できる。何から何まで彼らにはベースがない。急に都会に出たことによって、人間関係の構築も難しいだろうし、そもそもお金がないから情報の入手も難しい。最初から都会で豊かな生活で子供時代を送った連中とは差がある。

 次にリザーブ・システムでインドの有力大学に入る学生の成績は、普通の全問中90〜98%の正解で入ってくる通常入学学生に比べて、33%〜45%と極めて低い人もいる。平均は60%強らしいが、それでも乖離が激しい。そうすると、リザーブ・システムを使って入ってきても、大学でついていけない生徒がいっぱい出る。

 結局制度だけいじってもダメなんですよ。インド人の学生達との討論では、「やはり初等教育からの変革」が合意点でしたが、そんな当然な考え方をねじ曲げているのが近視眼的な政治であることも判明。ドヴァルの「インドから一回出ると、戻れなくなる」が印象に残った会食でした。

 そうそう。ドヴァルにインド式の指数字の数え方を日中に教わりました。ここにアップしておきました。インド人は指では数を数えない。彼らは一本の指で四つ数える。関節中心に。これは結構予想外で面白かった。日本人の数え方は、中国人にまだ似ている。

 明日も予定がある。夜9時過ぎのJALで帰ります。日本に。日本に月曜日朝に着く。なんか寂しい。

 クロアチア戦の結果は、日本に着いてから聞くことになるのかも。でも日本チームのメンバーにはこの言葉を贈りたい。結果がどうであれ、選手にも、日本チームにも、そして日本にも

Life goes on......

2006年06月17日

 (01:35)上の日付を書きながら、「ああ、土曜日か....」と。来たのが土曜日ですから、一週間たった。メチャ動きましたし、メチャいろいろ取材した。面白かったな。念願だったインドの農村も見たし、インドの古きカースト制度の残滓の中にまで少し手を突っ込んだ。その間一貫して「快食快便」。誰かの言うとおり、両親に(^^♪感謝!!。しかし、私以外の連中も誰一人体調不良なし。結構すごいチームです。人様の国に来てもずうずうしいというか。しかもインドですよ。

数学アカデミーの経営者兄弟に送った写真  ニューデリーに帰ってきて、「nice to be back home」という感じ。空港周りからホテルまでの話ですが、まずゴミがあまり落ちていない。道はスムーズ、人力車がない、道は普通車主体。お乞食さんが少ない。おまけに、我々が空港に着く直前に雨が降ったそうで、パトナから来るとまるで天国のように涼しい。ホテルも馴染んだホテルで、まるで我が家に返ったような雰囲気。全員の顔をそう言っている。

 夜全員で飯を食べながら、江袋さんの話を聞くことが出来ました。学生が動き出したと聞いて観光ビザで北京に入り、天安門の直ぐ近くのホテルに投宿。あの映像はそのホテルのベランダ(16階)から撮ったというのです。私は今でも覚えているのですが、絵が少しぶれながら映っていた。「遠くから撮っているのかな...」とずっと思っていた。それが確認できた。

 あの戦車は、これから天安門を制圧しに行く戦車ではなく、制圧を終えて撤収する途中の戦車だったそうです。キャプションの付け方によっては、「これから制圧の戦車の前に立つ市民」という構図になるが、「それは違う」と江袋さん。へえ、それは知らなかった。あと彼が持った印象として言っていたのは、「学生は冷静だった。市民が荒れていた」と。やはり目撃証人には話を聞くべきです。

 「映像取材で今まで一番大変だったのは」と聞いたら、アフリカでの取材に触れていました。政府軍とゲリラとの戦いがアフリカではよく展開していた。ある国の戦争取材に行き、どちらかに入らなければ取材できないので優劣を見てサイドを決め、そしてその中で撮影を開始したというのです。ところが、持ち物の中に長いナイフが入っているのが見つかって待遇ががくっと落ちた。「疑念の目で見られたんだと思います」と江袋さん。

 それから一ヶ月。紅茶はいくらでも飲めたが、食料は毎日ビスケット三枚だったそうだ。冷遇された。その時に「飢えとそれに伴う死の恐怖」を味わったという。一ヶ月間、毎日ビスケット3枚のみね。それじゃ飢えますよ。本当に。すさまじい話でした。

 夕食を終えて部屋に戻ってメールをチェックしたら、ハイデラバードからの農村取材に付き合ってくれたクマールさんが、

TILLERS IN DISTRESS
A Pilot Study on Farmers Suicide in Andhra Pradesh, India
 というワードファイルで102ページの論文を約束通り送ってくれていた。「tiller」というのは、「農夫」という意味です。だから、「TILLERS IN DISTRESS」は「苦境に立たされる農夫」という意味です。ちょっと大部なので、詳細は日本で読むことにして、これは重要な資料なので、関さんに回送しておくことにしました。彼女もネット接続しているはずなので。彼の論文の書き出しは
 The National Agriculture Policy reported that "despite technological and economic advancements, the conditions of farmers continues to be unstable due to natural calamities and price fluctuations" This had greater impact on small and marginal farmers resulting in suicides in many parts of the country including Andhra Pradesh.

 Suicide by farmers in Andhra Pradesh is a much talked about subject in the recent months..............

 となっている。貴重な資料になりそうです。あと、ラマヌジャンの数学アカデミーの学長(といっても33でした)に撮った何枚かの写真を送りました。彼は僕が持っていたパナソニックの「LUMIX」にえらく興味を持っていたな。インドは確かにITの国ですが、モノはやなり希薄なのです。どこに行っても子供達が大量に寄ってくる。いや大人もです。我々の顔を眺め、クルーが持っているカメラなどの機材を眺める。私が持って行ったPC(ソニーの比較的新しいやつ)を開けば、飛行機の中でも好奇の目で見られるといった状況。

 今日はまた朝から延々と取材が続いて、「昼飯はバナナ」(ドヴァル)だそうだ。また寝ようっと。

2006年06月16日

 (08:35)パトナのホテルとは今日でお別れで、ハイテクがウリのインドにしては部屋でインターネットも使えない珍しいホテルだったのですが、二つ面白いことがあった。

 一つは朝起きて窓の外を見ると、早朝から子供達が大人に付き添われてプールに入っていることだ。木曜日の朝見たときには、変わった子供達もいると思ったが、金曜日に再び見て「そうか」と思った。

 パトナは暑い。外を歩くと実感する。しかも湿度が高いのです。日中は40度を超える。昨日も汗が引くことなく出続けた。だから、冷房が効いていない場所でのインタビューは汗だくになるのですが、それは私が汗っかきという以上に、インドの気候なのです。特にパトナの。

 でプールにいる子供達に聞いてみたわけではないが、日中は恐らく暑すぎてプールに入れないのです。プールの周りも居られない。多分涼しくも何ともない。そこで朝の早い時間(今は8時前ですが)がプールに入る最適な温度の時間帯なのではないか、と考えた。日中ホテルの部屋にいたことがないので分からないが、多分そうだと思う。

 もう一つは、ホテルの従業員かどうか分からないが、ロビーで巧みな日本語を操るインド人に会ったことです。いろいろ聞いてくる。逆に「どこで日本語を習ったのですか」と聞いたら、「オバさんに習った」と最初聞こえた。へえ、家族に日本人が居るんだ.....くらいに思ったのですが、よくよく話したら、「日本人のお坊さんに習った」だったと分かった。

 聞いてはいました。パトナは仏教発祥の地であるブッダガヤに近い。近くのお寺には、日本からお坊さんが来ているのだそうです。彼はその辺に来ている日本人のお坊さんに習ったと。日本のお坊さんも、暑い所に来ていて可哀想。

 気になるニュースが今朝の新聞に。スリランカでバスが指向性破片地雷(claymore mine 私には知識がありません)で爆発して、それこそ仏教のお坊さんや子供を含む64人が死亡したとある。建設会社に勤めている弟が今スリランカにいる。まあ危険地帯ではないと言っていましたから、大丈夫でしょう。

 今回インドに来る前も一瞬「スリランカにも」と思ったのですが、一瞬でした。パトナは考えさせられる街でした。面白かった。書き物も一杯出来る気がする。しかし諸般の事情を考えると、ニューデリーの戻れるのは嬉しい。まあその前にまだ撮りがありますが。

2006年06月15日

 (23:35)朝起きて朝食をとった後、ホテルのビジネスセンターに行って、「このホテルは、パトナで一番とか言っているが、無線ランもないのか」と言ったら、苦しそうな表情をして、「今年中には....」と。「今年中に」では、私の役に立たない。ははは、で、そこにあるコンピューターを見たのですが、「これは無理かな....」と。

 そこにあったメインのコンピューターは、恐らく7〜8年前のコンパックのデスクトップ。ブラウザを開くと、ツールバーが上から重なり合った挙げ句で、実際の情報表示が始まるのが真ん中よりちょっと上から。つまり、表示能力も著しく落ちているのです。ホテルとしても、ネット関係にお金をかけないのが一目瞭然。結局、パトナに居る間には、朝と夜にここに立ち寄って本当に見たいページをチェックするだけとした。引き続き Airtelのパケット通信も繋がらない。

警備にあったってくれたインド・ビハール州の警察官と  日中はこの貧しい州の、貧しい家庭の若者達にもIIT(インド工科大学)などトップ大学への夢を与えているラマヌジャン数学アカデミーに。「アカデミー」と言っても、まるで大きな車庫、それも壁の片方がなくて、生徒が教室からはみ出して、一部は青空の下での授業となる。

 その授業風景を見ました。生徒がスズナリになるすごい熱気。先生が熱心に教える。全ての生徒が目を輝かせてそれを聞き、先生が何か質問をすると即座に生徒達が一斉に答える。驚きました。私も壇上に上げられたので挨拶し、なぜTVチームと来ているのかの説明を英語でして、その後生徒の前でしばらく話をしました。大部分の生徒は英語が分かったな。いくつか質問をして。面白かった。そのシーンが番組レポートに入るかどうか知りませんが、私としては印象的な場面となりました。

 その中に、「スーパー30」というグループがある。読んで名の通り、30人がグループ入りを許される。学費免除、入寮も可能で、寮費もタダ。他の1500人の生徒が支払った学費の一部がこの30人に注ぎ込まれる。今年はこの30人の中から、28人もIITなどトップ大学への合格者が出た。

 その全員の前で質問もしてみました。数人にインタビューもした。驚きました。「電気なし、自分の学習机なし、土の上で寝る貧しい村での生活」の中から、優秀であるという理由で見いだされ、このスーパー30グループで勉強し、未来への切符を掴む。

 IITへの入学が決まった瞬間に、彼らは「それぞれの地元のヒーロー」なのです。全員が、地元の新聞に自分が載ったと答えた。彼らはまず両親を、そして生まれた村を、そしてインドの生活を良くしたいと。これには感動しました。パトナ市内になる貧しい、差別を受けていた生徒の家に行ったのも印象的でしたし、取材に行ったのに逆に地元のメディア(テレビ、新聞など)が集まってきて取材を受けたのも記憶に残った。

 州知事にも会いました。短い限られたインタビューでしたが、バジパイ政権で鉄道省を担当していたそうで、そういえばインタビューの最中に「民間の力」という単語が何回も出てきました。

 パトナの街は、一週間前に大雨があって水浸しになったこともあるのでしょうが、とにかく汚い。今まで見たインドの都市では、もっとも汚い。道路はそれこそカオスです。誰がどう走っているのか分からない状況。トラック、バス、普通車、ミゼットのようなタクシー、自転車、そして人。渾然一体の動きを見せる。ドヴァルが言う。「ビハール州にないのは、law と order」だと。見れば分かる。

 今回の取材チームのメンバーを簡単に説明しましょう。

☆江袋さん(カメラ)=プール社長。数々の歴史的なシーンを撮る。一番有名なのは、1989年6月の天安門事件の際に、戦車の前に立ちはだかる市民を撮影。全世界にその映像が流れた。取材中に一回その話を聞きたいと思っている

☆石田さん(音声さん)=江袋さんに帯同し、音を採る。インタビューや街頭収録の際には上からマイクを差し出す。いつも重い機材をキャリーする力持ち。オフではなごみ系のキャラ。しゃべらせると面白い

☆ドヴァルさん(コーディネーター)=日本に10年以上住むニューデリー出身のインド人。頭の回転が速くて、話していて面白い。車の中では常に携帯電話をかけまくって、取材陣の移動と取材手順をセットし、インタビューする人との交渉に当たる

☆鈴木さん(ディレクター)=事前にものすごく準備し、6月の頭からインドに入って、製作サイドの先頭で番組を考え、枠組みを作る。頭が茫洋ソフト系。いつも「これを撮りたい、あれを撮りたい」と考えるまじめ人間。大阪出身だが、一見そうは見えない

☆林さん(プロデューサー)=チームの総責任者。歳が一番私に近い。豊富な取材経験を持つ。体の中に何十種類かのワクチンが入っているらしい。去年二つの大きな賞を取った。が、甘えん坊亭主。毎日一回は必ず東京の若き妻に電話している様子

 そのほかにあまり取材には帯同しないが、ニューデリーに陣地を構えて取材陣の全体の流れを調整し、加えてインタビュー後のおこし(翻訳の事です)なども担当する関さん(うら若き女性です)がいる。彼女のダジャレは最高らしいが、まだ聞いていない。

 ははは、取材に追いまくられて15日は結局昼飯抜きでした。まあそうなるかもしれない、ということでバナナを用意してもらっておきましたが。ホテルに帰ってシャワーを浴び、8時過ぎに全員でホテルのレストランでビールを最初に一杯飲んだときの、そのおいしかったこと。

 それがあるから、やっていられる。金曜日は朝またパトナの街に出て撮影をして、午後にはニューデリーに戻る予定。パトナで書いた文章がネットに載ったら、ニューデリーからの移動が完了したということです。ネットの社会に戻って。ケイタイのパケット通信も戻る。

2006年06月14日

 (23:45)日中三つのインタビューをこなして、その後夕方にパトナに移動。パトナは近い。飛行機で二時間弱。

日本との取引も深いビピンさんとのインタビュー風景  インタビューは、研究所の所長、政党の党首、それに日本との取引も深いIT企業の社長と言ったところ。どのインタビューでもご丁寧なことに、私がビルに入るところから撮る。それから、カメラをインタビューする部屋に持ち込みセッティング。その上でインタビューと手順に時間がかかる。ラジオは簡単ですが、テレビではインタビューはtime-consuming です。

 10時からインタビューを初めて、終わったのが夕方で、その後直ちに空港に移動という形。まあでも分かったのは、インドの抱える問題は非常に複雑だと言うことです。特に昔からのカーストがある上に、今度は所得の多寡でまた一種の階級ができつつある。富は昔の階級を横断して生じている。「クロス・カースト」です。何%成長したという話とは別に。これはまた何かの機会にまとめて書きたい。その前にNHKの番組があるでしょう。

 パトナは思っていた以上に通信環境の悪いところでした。まず空港について気がついたのは、持って行ったケイタイがパトナでインドに来て初めて「パケット通信が出来ません」と告げてきた。パトナにも AIR-TEL(ずっとインドでのパケット通信を提供してきてくれていた) の提携電話会社があるのです。だから、通話はできる。しかし、パケット通信は出来ないときた。つまり、リモートメールが機能しない、ケイタイを経由して情報が見れないということです。と言うことで、携帯経由のPCメール確認が出来なくなった。ケイタイ同士のメールもダメ。

 ホテルに行ったら「だめ押し」が待っていた。部屋でなんとかネットにつなごうと努力したが、まず無線LANの電波が飛んでいるかコンピューターを開いて見たら、なし。次にではダイアルアップを試みようとしたが、これもうまくいかない。ゲットアウトは出来るのだが、途中で雑音が入る。結局この夜はあきらめ。

 これが「パトナで一番」とインド人の友達も言うホテルでの実情ですからね。ホテルのロビーマンに、「インターネット....」と言ったら、向こうがそわそわし始めた。知らないんですよ。彼はそれがなにか正確には。まあ明日ビジネスセンターに寄ってみます。

 パトナを州都とするビハール州は、インドで一番貧しい州と言われる。今年1月にインドに来たときに、確か年初早々の一家殺しがあったところだと思う。ホテルの部屋の中にも、虫が一杯入ってきている。危ない蚊もいるらしい。体中に虫が近寄らない薬を塗って木曜日は出陣です。

2006年06月14日

 (08:45)おっと、今後2日くらいこちらからの発信は出来ないかもしれませんが、インドの携帯電話網の発達とボーダフォンさんの努力で、PCメールの受信と発信はリモートメールを通じて出来ます。ということで、日本の新聞もケイタイのネットサイトで読めます。それにしても、今週は株価が動いてますね。日本でも、インドでも。

 また、国内で使っている携帯電話には転送がかけてありますから、こちらで電話受信も出来ます。原稿関係でお急ぎの方はどうぞ。ただし、多分代金はそちらもちとなります(^-^)ニコ。

2006年06月14日

 (02:36)火曜日は、何時でしたかね。午前5時ホテルロビー集合くらいでハイデラバードを出発。また2時間強の空路を経て、午前10時にはニューデリーに戻りました。次の目的地であるパトナに行くためには一回ニューデリーに戻らねば行けないこともあるし、インタビュー予定もあったため。

 インタビューが午後2時過ぎだったので、昼はニューデリー在住のチャタルジー夫妻とホテルで昼飯を食べました。オリエント・エクスプレスというレストランで。私がインドを訪問するときにはずっと付き合ってくれていたご夫妻です。彼らは20日過ぎに日本に来るのですが、「昼飯でも」と私が誘った。夫人の久美さんは今年1月に会ったときより「ジムに通ってます」ということで、少しシェープアップしていた。逆に彼はちょっと太ってましたが。

 チャタルジーは相変わらず面白い。変なインド人です。インドでは直ぐに略語が出来る。今回彼が使ったので一番傑作は「USP」。ドヴァルを見ていてもそうなのですが、インド人はよく鼻を指でほじくる。で、「伊藤さんもそれを日本のテレビの最中にやったらUSPになりますよ」とチャタルジー。「なんだそれは」と私。ははは、「unique selling point」の略だというのです。「企業にも個人にも必要だ」と彼。

 そりゃ分かる。しかし、なんで鼻をほじくるのが「USP」になるのか。彼は「集中できる」というのです。「じゃ、あんたはいつも自分の部屋で鼻をほじくっているのか」と私。「そうです。集中できます」と彼。「へッ」てなものですな。これには久美さんも大笑い。変わった奴だ.....。とまあ、話の半分はばかっぱなし。

 午後一番で会ったのはインド政策リサーチセンターの所長(英語のタイトルは president です)のPratap Bhanu Mehtaさんです。彼はつい最近まで国家知識委員会の8人の委員(member-convenor)の一人だった。同委員会のHPにある通り、21世紀をインドが経済的にも社会的にも進歩を続けるためには何よりも「ナレッジ(knowledge)が必要」との考え方から設立された委員会。

 日本でも報道されていますが、今インドでは政府を中心に優遇されていない階級出身の生徒に、インド工科大学(IIT)やインド経営大学(IIM)などエリート校への入学で、割り当て(quota)をさらに拡大しようと言う制度が検討されている。今は最下層に22.5%が与えられているが、今回政府はさらに27%のクオタを最下層より上だが、それでもまだ恵まれていない層に与えようとしている。ということは、インドの優秀な大学の入学枠のほぼ半分は、恵まれない層の子弟に与えられることになる。

 日本で聞いていると、「いいじゃない」と思う。しかしインドで話を聞いてみると、クオタで入ってくる生徒の成績は、正規の試験を受けて入ってくる生徒の成績と愕然とするほど差がある。聞いて驚きました。だから、インドの学生は反対する。国民のかなりの部分も反対です。しかし政治家はそれをウリにして、貧しい層の票が欲しいし、その他の思惑もある。インドは最大の民主主義国家です。Mehtaさんは最近他のもう一人の委員とともに、この委員会を辞めた。そこでインタビューに行ったというわけです。放送前でむろん内容は明かせませんが、面白かった。インドの抱える問題がよくわかった。外で正義感だけで見ていると間違う。

 その後はオールドデリーを歩き。まあ人が寄ってくる。しかし、田舎とは違う。何人かが、「これは何の撮影か」と聞いてくる。丁寧に、「これこれこうだ」と言うと、「そうか」と言って手を差し伸べてくる。反感もかわずに、最後はいつも握手です。インドの人たちも自分たちが世界で注目される存在になっていることには慣れてきているようにも見える。特に都市では。撮影が終わったのは7時前ですかね。

 14、15日と、今度はパトナに行く。インド人が、「危険ですよ」とポツリという都市です。インドで一番貧しいビハール州の州都と聞いた。そういえば、インドに来る直前に日本で会ったインド人は、貧しいビハール州の中にあって比較的豊かな南の出身だと言っていた。半分冗談ですが、機関銃を構えた4人の警官が撮影などには同行する.....そうですが。ははは、半分は冗談でしょうが。楽しみ。

 それにしても、インドは暑い。インド政策リサーチセンターでのインタビューの直前に停電した。Mehtaさんが「この辺は大使館街で、あまり停電はないんですが....」とぶつぶつ言っているが、ちっとも回復しない。事務所の女の子達も暑いので外に出てくる。外は少し風がある。そんな中で、館内の自家発電機でカメラ照明の電気だけは確保してインタビュー。メチャ暑いので汗をかきかきです。

 今日これから行くパトナのホテルには、再びネット設備がないという話も聞く。だとしたら、ここがアップできるのは少し先ですな。

2006年06月14日

 (01:36)つくづく「今は便利だな」と思う。以前は、「取材」というと、それが一つの固まりのようになって、その間に会った人にお礼の手紙を書くにも何をするにも、「終わってから」が原則だった。海外取材だったら、帰国してから手紙を書く、のような。しかし私はネット接続がどこでも出来る時代になってから、この考え方を改めた。今回のインドでは徹底してそれをやることにしたのです。

 大体会った人からは名刺をもらうのですが、今は世界の誰でもそこに自分のメールアドレスを入れている。例えばワランガルを案内してくれたビジャイ・クマールさんから名刺をもらう。彼には二日付き合ってもらいましたが、その二日間が終わると彼とはお別れする。しかし、撮った写真、彼が写っている写真をその日のうちにもらったメールアドレスに送ってやるのです。今のカメラのデータをPCに移すことなど容易な話です。それをメールに添付して送ればよい。

 まあ今のデジカメは性能が良くなった分、メールに乗せると重い。で、ちょっと軽くしてやるのです。何枚も送る時は。そうすると、向こうは喜ぶのです。だって今日、遅くとも昨日の写真が自分に届くのですから。

 プリントしたい場合は、富士フイルムでしたかね、サイトからデータを送っておく。そして、近くのコンビニで受け取るのです。そうすると、帰国したときにはもう写真が出来ていることになる。便利です。誰かに渡したいときには、その人の近くのコンビニを指定します。そうすると、その相手は自分の近くのコンビニで受け取れる。まあ、帰国してからの「写真交換会」もいいんですがね。クマールさんから直ちに返ってきたメールのごく一部は

Dear Prof. Yoichi Itoh

Thank you very much for giving me a chance visiting
along with the NHK team in Warangal District. It was
really a good experience for me and I spent good time
with the team members. Even though I dont know the
japanees language the reception and coordination of
the team members helped me to work full time in the
field. In future too I would like to associate with
the team in such assignments in Andhra Pradesh.

(中略) Thank you for sending me the photographs. (後略)

 ははは、「Prof.」は彼の勘違いですが、このように直ぐに返信が返ってくる。結構これが楽しい。Mehtaさんにもパトナに行く前にはお礼のメールを出す予定です。クマールさんは、彼が研究しているインドの農村問題に関して論文を送ってくれるそうで、それが楽しみです。

 「the reception and coordination of the team」というのは、嬉しい印象ですね。彼は現地語を英語にしてくれる役割だった。番組製作の全体の流れはすごく楽しくやっているのですが、しかしそれが非常に必要だし、重要なことですが、取材チームというのはある意味では「神経戦」のところもある。

 例えばカメラマンとディレクターではやはり視点が違うので、どう撮るか、何を撮るかで微妙な意見の相違が出る。重要なのは、その緊張関係が良い絵を生み出すと言うことです。現地のコーディネーターとディレクターの関係も、見ていると結構微妙です。ディレクターは「あれをしたい、これをしたい」と考える。しかし、現地の事情を知っているコーディネーターは、「D」(ディレクター)の希望を叶えようとするが、出来ないことは出てくる。

 番組を立案し、企画するサイド(放送局やプロダクション)は、番組に対するある方向性を持っているから予算も確保して番組を作ろうとしている。だから、番組のプロデューサー(しばしば「P」と言う)やディレクターは一生懸命頭を作るのです。取り扱おうとする問題に関して資料を読み、事前に調査し。僕のような出演者には、これも言って欲しい、あれも言って欲しい、と彼らは思っている。

 しかし、私は私で彼らの想像を超えたり、知識を超えたところで番組に貢献したいと思っている。なぜなら、インドについて、その経済については私の方が何回も来ているし、知識もあるし、世界各国との比較も出来る。だから半分出来上がっている「P」や「D」の頭をどう壊し、新しい視点を入れるかを常に考える。ただ製作サイドの方向性に乗っているだけでは、来た意味がない。

 何を聞いて欲しいかとか何かと彼らは言うから「へえ」と聞いているのですが、そのほとんどを一回頭に入れながらあと流して、喋りとかインタビューは必ず全部自分で考える。考えても、相手のあることで、常に流れは変わる。口から出てくるのは私の印象であり、質問ですから、彼らから情報はもらうが、最後は自分でダイジェストし、クリエイトする。

 この緊張関係がいいんですわ。押したり引いたり。押したり引いたりしているうちに、面白い化学反応が起きる。ぶっちゃけ、番組は最後は放送局のものですよ。これだけ長い時間カメラを回して、実際に放送に使われるのは35分ですからね。あとの15分はスタジオトーク。編集権は彼らにある。

 でも、いつも思う。放送権、編集権は彼らにあるが、見ている人にとっても驚きであり、情報であり、新しい考え方であるところは、現場を見ている人間としてなるべく伝えたいし、その部分が最後まで生き残って視聴者に届いてくれたらいいな、と。それには、私自身が一番驚かねばならないと思っているのです。まあそういう意味で、今回は発見だらけの取材。ハードだが面白い。

2006年06月13日

 (03:36)月曜日は朝から再びワランガルを出発して、インドの村の小学生と。制服を着ていてかわいい前日行ったパンタルパルにバス移動。昨日の写真のバスです。雨が降ればインドの農村の種まき風景を撮れるというので。朝7時に出発。一人出発に遅れそうになった人がいましたが(笑)。

 村に行けば、必ず人が集まってくる。しかし彼らは、「何かくれ」とは絶対言わない。子供達もそうです。子供も大人も好奇心から集まってくる。我々が持っているものを興味深そうに見る。そして子供は、どこにでもついてくる。

 スラムや大都市の貧しい人々の子供達は、集まってきた上に一部は必ず「何かくれ」と物乞いをする。田舎と都市、さらにはスラムとの差です。午後に行ったハイデラバードにはそういう子供が居た。もっとも印象に過ぎないが、過去2回のインドの旅と比較してみると、この国の物乞い数は着実に減っている。

 村には学校もありましたから、村の子供達はどの程度かは分かりませんが、きちんと字を読める存在になるのでしょう。親の世代が「こうした村では、大人が100人いたら文字が読めるのは5人」(ドヴァルさん)という状況からは、ちょっとは違ってくる。

 結局お湿り程度で種まきは出来ないという村人の判断で、種まきの撮影は中止。昨日会った村人に再びハイブリッドの種の話を聞いたり、夫が自殺した女性の土地のその後の話を聞いたり。

 聞くも涙。放送で取り上げるでしょうからここでは詳しくは書きませんが、本当に彼ら(インドの農民達は)は多国籍企業と金貸しの為に働いているようなものです。彼らは、年収のかなりの部分を占める額を、バイオテクの種を購入するために使わねばならない。使わなければ使っている畑から虫が集まって来てしまう。結局一人が使うと皆使わざるを得ない。種まきの時にはお金がないから、金貸し(銀行のローンだけでは足りない)から高利で借金して種を買う。収穫で返すのですが、そこから目の飛び出る話が続くのです。聞いていて怒りがこみ上げてきた。

ハイデラバードのど真ん中での撮影風景  昼に再びワランガルに帰って、そこからハイデラバードに。再び悪路。まあ、インドの悪路には慣れていますが。途中でスラムに立ち寄って、再び撮影。再び子供達のすごい数。まあでも、底抜けに明るいのです。「学校に行っているのか」と聞けば、「行っていない」という話。インドのスラムとしては新しい印象。ハイデラバードのハイテク都市としての誕生とともに生まれ、そして農村からの人々を受け入れて大きくなった。

 ハイデラバードは、すさまじい都市です。騒音、活気、そして人と車。その街のど真ん中での撮影風景が左です。「実にインド」という印象があって楽しめた。いままでインドで見た中で、一番インドらしい。コルカタにある風景ですが、ニューデリーにない。

 ハイデラバードは、ムガール帝国のインド侵略時にイランから来た王がここまで南下して作った街だそうで、今でもシーア派イスラム教徒の信者が多い。見れば分かります。黒装束の女性が街を歩いている。人口は700万人。今年の初めに行ったバンガロールよろもかなり暑いそうです。

 一緒にいたインド人に、「日本人は来るのか」と聞いたら、「来ない」と。じゃ、「韓国や中国は」と聞いたら、「来ない」と。ルフトハンザが入っているそうで、その面からもドイツ人などヨーロッパの連中が良く来るという。いかにもインドらしい街。確かに異国情緒はある。市の中心街を歩きましたが、面白かった。明日も午前5時出発です。ニューデリーに一端戻るために。

2006年06月12日

 (24:25)とりあえず、インドのハイドラバードから「ニッポン」と応援していたのですが、「それはないよ」という終わり方。ホテルの部屋で4人の日本人と一人のインド人で応援していましたが、ダメでしたね。まあ、終わったわけではない。最後まで頑張って欲しいと思いました。

2006年06月11日

 (24:25)朝4時に起きて、移動開始。早朝のうちに再びニューデリーの空港に行き、中部の都市ハイデラバードに。2時間の所要時間でした。そこからキャラバン総勢8人ほどを乗せたバス移動。悪路を4時間。ワランガルというちっちゃな町に行き、実にきったないホテルにチェックインがてらに昼食をし、そこからさらに一時間バス移動。

 そこは、去年末から今年の初めに自分で勝手取材に来た時に

 デリー、バンガロール、コルカタ(カルカッタ)、そして再びデリー。主要都市を巡りながら、「ああ、見れていないところがいっぱい残ったな.....」とずっと思っていました。インドに二回来たと言っても、セキュリティーのためもあって大都市の名前のあるホテルに宿泊して、都市の一面と歴史的建造物を見、そして少数の人と交わっただけだ。私の取材には限界がある。
 と感じたことを一気に払拭するような場所でした。行ったのはワランガルからさらにパンタルパルという中部インドの典型的な農村。戸数は200戸、500人と言っていた。「戸」と言っても、訪ねたのは全て土間の部屋。全部合わせても8畳もないだろう。とにかく座り椅子とてない。多分土間にそのまま座って生活している。「どこに寝ているのか」と聞いたら、土を指さした。

 部屋数は三つ。電気は家の中にたったハダカ電球で一つ。キッチンと言っても、薄手の鍋数個が火鉢のようなところに置いてあって、どれがまな板なのかもわからない。汚い根野菜がいくつか転がっていて、そこではランプで仕事をするのだそうです。あって一畳。

 あとは入り口の小さな土間。そして今は倉庫代わりになっている祈り部屋。あるものを挙げることさえ出来ない。テレビなし、ラジオなし、ましてインターネットなし。そして彼女には亭主なし。子供二人。2才(男)と5才(女)。彼女の境遇に何が起こったかが、番組の一つのテーマです。彼女の亭主は自殺した。

 理由はここでは書きません。7月16日午後10時10分NHK衛星第一だったかな、その放送で見て頂ければ良いのですが、今まで私が回ってきたのもインド(大成長するインドの都市)、そして「農村のこれもインドの現実だ」と思いました。逃れようもない貧困との闘いを続けるインドの農村。今年の初めに ロケバスとアマゾンの林さん

 これらインドの主要都市の人口を集めても、2億人にもならない。インドの人口10億のわずか五分の一。大部分の人は非都市、もっと端的に言えば非常に貧しい、カースト制度の名残もはっきりしている農村に住んでいる。中国農民調査を読めば、我々が都市で目にする中国の姿と、この本で読む中国の農村の姿の違いに愕然とする。都市と農村は、主要先進国ではなく途上国において全くかけ離れた存在なのです。だから、前回に引き続き主要なインドの都市を巡ったからといって、インドをかなり理解したとは言えない。
 と書いた、まさに行いたかったインドの、言ってみれば「インド農民調査」です。悲しすぎる現実がありますよ、ここには。で私はここまで来て初めて、2004年の初めの時に当然視して書いたバジパイの勝利がなぜならなかったのか、の一端が分かった。

 番組の中でも言うと思うのですが、わたしにはずっと忸怩たる思いがあった。私の身の回りのインド人はすべて(今までの二回の旅でお世話になったチャタルジー、彼の友達、今回の旅のコーディネーターのドバルさん、東京で出会ったり、知り合ったインド人全部)が、「バジパイが勝たなくて残念だった」という連中なのです。じゃ誰がいったいバジパイに「ノー」を突きつけたのか、と思っていた。自分が付き合っているインド人は、インドの政治の主流には居ない。確か2004年の6月だと思ったのですが、インドのマスコミも選挙結果の予測で間違いましたから、「なんだ、インド人だってインドの事を知らない」と思った。

 見たと言っても、数時間。しかし見ると見ないとでは大違い。村人達が集まってくるのです。日中だというのに。そしてじっとこちらを見ている。子供達は全員が裸足です。そしてその数の多いこと。聞いた範囲で言うと、このムラでバジパイに投票した人は皆無でした。都市と農村、豊かさの潮流をつかんだものと、貧しさの中に突き落とされる人々。「そうしないと、世の中回らない」というインド人もいましたが、少なくとも政治的にはインドは分断されつつある。私はその一方とだけ今までは付き合っていた。都市のスラムを除けば、今回が「別のインド」との初顔合わせというわけです。

 その二つを橋渡ししうるものは、中国よりも希薄だと思った。少なくとも中国の農民達は怒っている。インドの農村には中国の農村が内包するほどの怒りもない。それはなぜか。中国にはあった貧富の差の拡大(日本で言えば格差社会、韓国で言えば両極化)がインドではあまり議論にもならない。それは不思議なことです。このことに関しては、取材に付き合ってくれたインド人とも議論しました。

 彼らの言うことも分かる。しかし、あくまでインドの政治が、経済的弱者に握られているという現実もまた変わらない。一人一票ですから。私が付き合っているのは、そして今後も付き合うのは経済的には強いが、まだインドの政治の主流を形成できない人々です。

 明日はまたバスで4時間以上移動してハイデラバードに戻って、スラム街などを取材の予定。ハイデラバード泊で翌日にニューデリーに戻ります。

2006年06月10日

 (24:25)笑えました。ほとんど直行便にしか乗ったことのない私は、成田→バンコク→デリー→ムンバイと乗り継ぎ乗り継ぎの飛行機のちょっと滑稽さに。なんと、東京を昼頃出て、ニューデリーに着いたのが12時間後。驚き。

 途中も面白かった。バンコクに着いたら、突然乗務員が変わった。変わっただけではない。我々がまだ機内に居るというのに、掃除隊が入ってきて、電気掃除機は使うし、空いた座席は全て掃除し始める。そのうち、ボーディング・パスを改めてチェックされるし。

 加えて、バンコクで乗客が一杯乗ってきた。東京成田からバンコクまではがらがらだったのに、バンコクで大量の人が乗ってきて満員に。座席の横に置いていたものも、撤去を余儀なくされた。まあでもこれも面白い。

 それにして、サッカーのドイツ大会もあるから成田は込んでいるかと思ったら、第二ターミナルはがら空き。「こんなのは過去に例がない」とアマゾンの林さんと話していて、「なんでだろう」と。出獄、おっと「出国」の時に女性の係官に聞いたら、「全日空さんが......」と。そうだそうだ、ANAが空港第一ビルに引っ越したっけ。ということは、JALだけになるとこの空きよう。

 バンコクで一時間以上止まっていたので、直行便よりもえらく時間がかかってニューデリーに到着。考えたらつい半年前にここに来ていた。あの時は冬でしたが、今回は夏。日中は45度になったとか。明日から過酷なスケジュールが始まる。

 ただし嬉しいことが一つ。いままで一発でインドでワイヤレスランが繋がったことがなかったのに、今回のこのホテルでは成功。全くホテルの人を呼ばずに快適にネットが出来ている。しかし、明日からは多分ランがないところに移動する。このサイトもアップできるかどうか。まあ、念願のインドの農村地帯取材ですから、ランが繋がらない程度は我慢しないと。

 インドもサッカーのドイツ大会一色。スエーデンがトリニダードと引き分けして、スエーデンファンの呆然とした顔がテレビに映し出されている。日本戦は見れるかどうか。

2006年06月09日

 (24:25)木曜日の夜です。渡辺君のタイムリーな計らいによって彼の働く会社からインド人が一緒に来てくれたのです。しばらくたったとき、彼の電話が鳴った。そして彼はベンガル語で喋った。

 終わった後、彼が会話の内容を説明してくれた。別に求めたわけではないが。彼の奥さんの、インドにいるお父さんから電話があったというのです。インドの株もSENSEXでつい2週間前までは12000台にあったのが、今週に入って9000台に落ちた。「(インドの株を)買ってもいいのか」という電話だったというのです。

 ははは、本当に買ったかどうか知りませんよ。しかし、金曜日のSENSEXは今見たら500ポイントくらい上昇している。昨日のうちに買っていたら、彼のお父さんは今日は嬉しそうな顔をしているのでしょう。日本だけではない。世界中の人が、株価の動きを見ているのが今だと思いました。

 ところで、もうすぐドイツーコスタリカ戦が始まる。開幕式は、ドイツらしいあまり派手でない良い式でした。ははは、今日は珍しく早めに家に帰って一回寝たので、初戦は全部見てしまうかも知れない。インドでどうやって日本ーオーストラリア戦を見るか考えて、「ロケフリ」にターゲットを絞りました。しかし、まだ設定が終わっていない。明日の朝までに間に合うかどうか。

 NHKからもらった過去2回の「地球特派員」のDVDを見ましたが、「食育」の服部さんのDVDは面白かった。私の分はどんな番組になるのか。インドの田舎が見れるのが何よりも嬉しい。

2006年06月08日

 (16:25)それにしてもよう下がりましたな。下げ幅は一時600円に接近していた。引けは前日比462円98銭(3.07%)安の1万4633円3銭と、連日で年初来安値を更新し、2005年11月18日以来の安値水準。売買代金は概算で3兆4300億円、売買高は同26億5245万株。ともに多い。

 まちょっとセリングなんとかに近いですかね。みんな売ってしまえば、あとは買いが出てくる。買うしかなくなる。マーケットはその繰り返しです。今までは株をやる人がちょっと身近に多すぎた。「え、この人が」と思うような人が株の話しを急にするのを何回も目にした。市場に熱があったと言うことです。熱は冷めた。

 しかし全体的に見て、「市場は新しいアメリカのFRB議長を試している」と感じました。グリーンスパンの時はブラックマンデーだった。彼はそれを乗り越えた。バーナンキはどうでしょうか。彼のこれまで数ヶ月の行いを見ていて、正直だが市場の複雑なセンチメントを分かっていないように思う。

 一番問題だと思うのは、バーナンキが「見解をしばしば大きく変える」ことです。彼は就任したときにアメリカ経済にめちゃ強気だった。しかし、今週の初めに書いたように、それを大きく変えた。インフレに対する見方もそうです。今までは「これから出てくる統計次第」といっていたのに、今週初めの演説では「インフレ率はもう限界に近い」と言った。これではマーケットが落ち着きようがない。

 インドも香港も安い。まあでもマーケットというのは、今日のような状況でも、ちゃんと値上がり銘柄があってそれが40以上に達する。1600以上下げているんですがね。MBOを発表した「すかいらーく」が典型。フィスコは三木ちゃんの会社じゃないかな。

 ところで、10日からのインド行きが近くなって、「ちょっと用意せねば」とようやく思い始めました。といっても、金曜日まで予定がびっしりで、ネットでちょこっとインドの新聞を事前に見るくらいですが。

 どこかに行くとなると、逃すチャンスも出てくる。テレビ東京さんは土曜日に「村上ファンド」に関する特番をやるらしい。「どうですか」ということでしたが、物理的に無理。その特番は出たかったな。インド行きのテーマは、「クロス・カースト」。まあ詳細は述べられませんが、ロケ隊は既に6月の初めから行っていて、取材予定の一カ所は「洪水」だそうです。靴の代えを持って行かないと。放送は7月の中旬だったと思った。NHKです。

2006年06月08日

 (01:25)7日というのは、面白い日だったんですな。プロ野球の交流戦の成績を見ると、ぜーんぶパリーグの球団が勝っている。こんなことは過去になかったのでは。セリーグ全勝でも良いのですが、どちらかのリーグチームが全部勝ったのは確か去年もなかったような。くだらない「?」ですが。

 ところで、日本の三大珍味、世界の三大珍味と言えば、日本では

ウニ(塩うに)
カラスミ(ボラの卵巣の塩漬け)
このわた(なまこの腸の塩辛)

であり、世界では

キャビア
トリュフ
フォアグラ

 ですが、最近ばちこという珍味中の珍味を食べました。「このわた」はなまこの内臓を塩漬けしたものですが、「ばちこ」とはなまこの卵巣を干して乾かしたもの。干した時の形が三角になっているおり、その形状が三味線のバチに似ている事から「ばちこ」とよばれるようになったそうだ。

 いろいろな呼び方があるそうです。「ほしこ」とか「このこ」とか「干口子(ひぐちこ)」とか。ようするに「こ(子)」なんですよ。能登地方ではなまこのことを「こ」と呼んでいたらしい。「こ」の「子」だから「このこ」。

 たしか、「ばちこ」はいままで何回か食べている。そのたびに説明を聞いて、そのたびに忘れていたので、ちょっと書いておこうと言う感じ。楽天市場に出ていますが、ちょっと高い。うーん、「なまこ」はなかなか偉いんですな。珍味を生み出すと言うことでは。br>

2006年06月07日

 (05:25)またニューヨークの株は大きな下げ。ダウはこれを書いている引け前の段階で62ドル安で11000ドルの水準割れ。これは今年3月以来。今の世界的な株安はニューヨーク市場、それにアメリカ経済に起因しているところが多いので、中でも今週に入ってからの株安の原因とされるバーナンキFRB議長の5日の発言をまじまじと読んだのです。

 彼がこれからどのような講演をするのかは予測が出来ませんが、比較的短かった。そして読んだ印象は、「ああ、彼はアメリカ経済に対する見方を変えたな」というものです。FRB議長就任からしばらくの間の彼の米経済景況感は、非常に強いものだった。「強気が過ぎるのでは」と思ったこともある。しかし今回の講演はかなり違う。

 まず最初から、「U.S. economy is entering a period of transition」と言っている。つまり、自分が強気だった時期からみて、「移行期に入りつつある」と言っているのです。「移行期 ?」と思いますよね。問題は「どの方向に...」です。彼は、景気とインフレについて、「それぞれ悪い方に」と言っている。株が下がるわけです。

 まず景気については、「the anticipated moderation of economic growth seems now to be under way」と言っている。つまり、景気は鈍化しつつある、と言っているのである。理由は、

  1. ガソリン価格の上昇による消費支出の減少。米GDPに占める消費の割合は三分の二で大きい。ガソリン価格は実質所得と消費センチメントの両方に打撃になった
  2. 住宅市場の軟化。「However, overall, housing activity has softened relative to the high levels of last summer, and the rate of house-price appreciation appears to have lessened.」
  3. 雇用環境の相対的悪化。「Gains in payroll employment in recent months have been smaller than their average of the past couple of years, and initial claims for unemployment insurance have edged up.」
 まあこれだけ要因を挙げれば、アメリカ経済の先行きと、よってアメリカ企業の先行き、つまり株価に警戒感が生まれても仕方がない。

 では「インフレ」をどう見ているのか。アメリカ経済は鈍化しても、「世界経済は4年連続で4%を超える成長で強いが、まさにこの強い世界経済が問題」と指摘する。それは「強いが故に、石油を初めとする主要一次産品の価格が上昇してしまった」として、次のように述べる。「The buoyant global economy does present some challenges, however.In particular, the increased world demand for crude oil and other primary commodities, together with the limited ability of suppliers to expand capacity in the short run, has led to substantial increases in the global prices of those goods」

 そしてインフレ率の現在の水準に関しては、日本のマスコミが一番引用しているところだが、「 While monthly inflation data are volatile, core inflation measured over the past three to six months has reached a level that, if sustained, would be at or above the upper end of the range that many economists, including myself, would consider consistent with price stability and the promotion of maximum long-run growth」と述べている。

 「景気が悪化して、しかし逆にインフレが高まる」となれば、我々が直ぐに思い出す言葉は、「stagflatio」である。景気が停滞し(stagnate)、インフレが高水準で続くという状況。金融政策は難しくなる。景気を重視すれば緩和、インフレを見れば引き締め。彼はいったいどっちを向いているのか、と見れば、これが明確なのです。だから市場は心配する。

 彼が示した方向は、インフレに対してより厳しくです。彼は「Therefore, the Committee will be vigilant to ensure that the recent pattern of elevated monthly core inflation readings is not sustained.」と述べている。「stagflation」という単語が頭にちらつき、「ガソリン価格はまだ高く、消費は今後低迷し、住宅市場も軟化した」となれば、投資家は当然株買いを控える。

 もっとも、市場を長く見ている人間の直感から言うと、「ニューヨークのマーケットは自分で水準訂正したがっているのではないか」とも思う。つまり、今までが少し高すぎたのである。ちょっと無理をしていた。だから、バーナンキ発言にかこつけて水準訂正をしていて、結構来た感じ、ということだ。

 そうこうしているうちに、今引けてニューヨーク・ダウは「11002.14 -46.58 」という結果。辛うじて11000ドルの水準キープ。まあでも「stagflation」なんて言葉が消えないうちは、ニューヨーク市場の底意は弱いでしょうな。問題は、「stagflation」なんて心配がない日本の市場がどこまでニューヨークに付き合うのか、です。

2006年06月06日

 (25:25)原稿に追われたり、大阪に移動したりでなかなかゆっくり書いていられない、という中で考えたのは、まず村上代表の「プロ中のプロ」という発言ですかね。

 どこの世界でもそうですが、プロになるほど自分のことは謙遜して「プロ」という単語は使わないと思う。村上さんは役所を辞めて投資の世界に入ってまだ7年。ご自分のことを本当に「プロ中のプロ」と思っているのだとしたら、随分と自信のある方だな....と思いました。投資の世界で何十年と格闘している人は一杯いるのに...と思うのです。

 その話をある靴磨きのオジさんと話していたら、靴磨きの世界でも「わしは芸術家」と自称している人がいて、あまり汚い靴を履いている人がいると、「自分はこんな靴は磨かない」というのだそうです。その靴磨きのオジさんが、「汚い靴を磨くのが靴磨きなのに....」とあきれ顔で話すのです。私は両方を知っていたから、自分の事を「芸術家」と言わなかった人の方が、よほどプロだと思った。

 会社でも従業員が100人以下か、それを超すかで社長の役割は全く変わって来るという。100人以下なら顔まで全部覚えられる。従業員のです。しかし100人を超えてくると顔さえなかなか覚えられない。同じ社長でもやることが全く違ってくる、というのです。考え方を変えないといけない。

 30億円の当初預かり金から、最近では4000億円の預かり金になった。恐らく、そのどこかの時点で、客に保証する利回り、客が心証として期待した利回りの水準を大きく引き下げる必要があったのでしょう。同じ投資でも。日本の機関投資家の姿を見れば、巨額の資金に高い利回りを保証するのは至難の業です。彼は無理もをしたかもしれない。

 「コップの中の恐竜」という話は5月下旬に既に書いた。加えて筆者は長く金融市場を見てきた人間として、「名前が華々しく前面に出る投資家の末路は、芳しくない」ということが言えると思う。なぜなら、その人が動くこと自体が相場材料になってしまうからです。ということは、格好のターゲットになるということです。相場という誰が取り組んでも難しい代物を思いの通りに動かせる人はいない。これは断言しても良い。

 それを動かそうとしたら、「どこか無理をする」ということになる。伝えられるところに寄ると、村上代表はライブドアにも、そしてフジテレビにもニッポン放送株の買収を持ちかけたという。ライブドアの社内にも、「村上は裏切った」という声があると聞く。則を超えていたとも言えるかもしれない。検察と村上代表の言うことは違っている。物証がどちらが正しいかを示してくれるでしょう。

 関西テレビの放送が終わってから、法善寺横町へ。吉冨、村西両氏と三人で。法善寺横町は2〜3年前に大きな火事があって。その時に行った店も焼けた。そのときのご主人の話が面白かった。大事にしていた器が失われた。「もう店は辞めよう」と思ったそうです。しかし「もういっちょやってやろう」と心に火がついた、というのです。

 それは二つ。一つは、「ご主人の店で食事をするのが生き甲斐」というお客さんの言葉。もう一つは、「もうこいつはダメだろう」と河岸で挨拶もしなくなった一部の同僚、後輩や出入りの業者に対する怒り。火事のあったその日に集金に来た業者がいたのには怒り心頭だったという。「だったらやってやろう」と思ったと。

 実は、ほぼ書き終えつつある本の取材もあったのです。16才から奉公に入り.....から始まった彼の話は面白かったですな。法善寺横町のこのご主人の話は、私が今度出す本にも登場しますから、お楽しみに。

2006年06月05日

 (11:25)NHKや日経CNBCが中継する形で、村上世彰氏(46)の記者会見が行われている。日曜日のテレビ番組では、彼と親交があるとする人々が「村上さんは通産省にいたときからインサイダー取引には非常に詳しいし、よって軽々しくそんなことはしないかも」と言っていたのですが、どんな事を言うのかと聞いていたら

  1. 今回のインサイダー疑惑、騒動について皆様にご迷惑お掛けした。お詫びする。しかし内容もお話ししたい。東証でお話しするのが、私の責務

  2. 今回の事実について最初「インサイダー取引」と言われた時は、最初は全く何のことを言われているのか分からなかった。しかし、徐々に話を聞くとライブドアが2004年の後半にニッポン放送の株を欲しいと私に言ってきたことは確かにあって、その時以降に何回か会う中で、宮内さんが「(ニッポン放送買収に関して)一緒にやりましょうよ」「よろしくお願いします」と言うのを確かに聞いてしまっている

  3. 聞いたことが証券取引法167条のインサイダー取引の構成要件からはみれば「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」と思うが、私はいろいろ考えて最低2年間も従業員や投資家を抱えて裁判をやることはできないと考えた

  4. 今回の事に関しては、「自分にとってミステークがある」と思いますし、「罪を認め、甘んじて受ける」のが私の責務であると思います

  5. 「私は起訴される」ことになるでしょう。ライブドアの計画をあまり気にはしていなかったが、「聞いてしまったことは確か、深くお詫びします」
 と述べた。まだ会見は途中ですが。彼のファンドのHPには、阪神電鉄に対する株主提案権請求.....取り下げという文章がアップされている。  自分の身の振り方については、「プロ中のプロが証取法に抵触したのは言い訳が出来ない。よって今日限りで、この世界から身を引く」とも述べている。「会社は今の従業員がやるのなら、株は譲渡する」とも述べた。用事があるので、出掛けます。詳細は後日。

2006年06月04日

 (23:35)勝ったのに、選手も日本で見ている人も「負けた」ような気分になった試合でしたね。点を挙げた玉田さえも、試合後のインタビューで冴えない顔をしていた。まあ私も試合を見ていましたが、「イライラした」という試合だった。本番でなくて良かった、と。

 試合後の中田英寿などは、記者団の質問にまるで怒っているのではないか、と思うような受け答え。まあいつもああなんでしょうが。「(みんなが)走らなきゃ話にならない」「気持ちがなっていなかった」というようなことを言っていたと思った。

 「マルタだから3〜4点」というのがスタート台だったから、それを下回る僅か1点というのもあったが、見ていて不満だったのはパス回しも良くなかったし、再び決定力にも欠けた。「大丈夫かい」と思う。

 ジーコが比較的、「相手もいて....」みたいなことを言っていたのが印象的。初戦までの一週間にきちんと修正してきて欲しい。まあ、マルタと言ってもそんなに弱くないのは事実。実際、クロアチアは引き分けだった。

2006年06月03日

 (23:35)二日酔いの頭を抱えながら、諏訪に。金曜日は福岡からかねて友人のB君が来ていたのと、今書いている本の取材もあったので、ちーと深酒をしてしまいました。反省するのですが、しかしその反省があとで生きたことは余り無い。

 諏訪には5月末に親の一周忌で帰ったばかりですが、今回は青年会議所から頼まれてスピーチをしに。あまりにも天気が良く、開始時間も午後1時というちょっと中途半端な時間でインティメートな会合に。

 諏訪も悩みが深いんですわ。上諏訪駅の降りたって駅の周辺を歩くと、「この街は終わっているのではないか」と思うほど寂れている。狭い間口の店が並び活気がない。歩道も細い。天井も低い。下諏訪も岡谷もそうです。岡谷の駅回りからは、最近だけでイトーヨーカドーと東急が撤退した。

 これに茅野や原村を加えた諏訪圏の人口は20万人以上になるそうです。だから決して小さくはない。世界にとどろく企業や産業もある。一緒になにかしていけば、もともと製糸産業があったし観光資源は豊か(湖、温泉、霧ヶ峰など山、蓼科など別荘地など)だし何とかなるのではないかと思うが、それも意のままにならない。

 地元の人達だって賢明に努力しているわけで、私が何かとんでもない解決策をもっている分けではない。しかし、今の日本は世界の中でこうなっていますとか、日本の相対的力はこうで、歴史的には人口が横ばいになったときにこういう動きもありました、といったことは説明できるし、してきました。

 皆さん、熱心に聞いて頂けたと思います。私は喋り終えた後に、質問が出るのがいつも嬉しいのですが、諏訪では司会者が促さずに数多くの質問が出て良かった。皆さん熱心な、真剣な証拠です。今年は特に夏の間は何回も諏訪に帰ることになる予定になっています。

 会の最後に新鶴の塩羊羹をもらいました。ラッキー。この羊羹はうまいんですよ。

2006年06月02日

 (22:35)そういえばホリエモンがテレビで堂々と、「村上さんとはお友達で、よく食事をします」と言っていましたね。容疑が本当かどうかは知りません。しかし、検察はライブドアを調べるプロセスで、ニッポン放送買収を巡る争いの中で村上ファンドがどう動いたのか、というのはある程度掴んだのでしょう。

 村上ファンドについては、筆者は5月30日に書き込みを行っている。その時の判断は正しいし、新しい動きを考慮すれば、村上ファンドが阪神株を阪急に対して手放す可能性は高まったと思う。

 今朝のラジオでも言いましたが、本当にインサイダー取引だとしたら、日本の資本主義や企業のあり方に一石を投じてきた裏での所行ということで、極めて残念な気がする。

2006年06月01日

 (22:35)久しぶりでした。多分5年ぶり。ワシントンから一時帰国している山広君と。ちょうど財務長官が代わったりしたので、その話から始まって「その後」についても。

 ほんまに何にも変わっていない。まあ多少後退したかな。なにがとは言いません。ちょうど同じ場所で講演をした直後で、ホテルのレストランで食事をしましたが、話すことはつきなかったですな。今度彼が帰国するか、私がワシントンに行ったときに再会しようと約束して分かれました。

 ところで、ワシントンの話が出ましたから今週決まったこととしては、ちょうどワールド・カップの最中ですが、インド行きの詳細が決まりました。10日に出て、帰りは18日か19日の朝。その間に、ニューデリー、ハイデラバード、パトナなどに行きます。ハイデラバードとパトナには行ったことがない。楽しみです。

 前二回は勝手に自分で行って自分で取材して印象を深めてきたのですが、今回はNHKの地球特派員という番組のためのインド行き。これだけ長期のロケは私としても初めてですが、狙いの取材はなるべくしてきたい。変化しつつある、中国並みの成長をしている国です。「2006年のインド」を目に焼き付け、良い番組ができるように。ははは、楽しみ。中身は番組ができあがったときのお楽しみ。

 人口について二つの興味深い発表あり。一昨年1.288だった日本の女性の生涯出生率が1.25に低下。まあ予想していましたが、いつになったら低下が止まるのか。日本は実は北東アジアで出生率が一番高い国で、そのことは今日の講演会でもお話ししたのですが、あまり急に減るのはね。

 今日分かったことは、ポッドキャストを聞いていてくださる方が非常に多いと言うことです。私の場合、日経のサイトでやっているやつ、ラジオ日経でやっているやつ2本と、考えたら3本もポッドキャストをやっている。どのキャストをお聞きになっているのか聞きませんでしたが、今日の講演会の本のサイン会には、「ポッドキャストを聞いています」という方が非常に多かった。

 中にはジョギングをしながら聞いているという人もいた。どうやって聞いているんでしょうね。電車のなか、車の中の方が多いのですが。ポッドキャストはしゃべり流しではないのが気合いを入れて喋らなければならない理由。今日は久しぶりに自分の入れた番組をPCから聞きました。過去データになっていくのが良い。日経サイト上のそれは、前回で既に35回。今日、36回目の収録をしました。御手洗さんの経団連会長就任に関して。