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2007
11/18
Sun

2007年11月17日(土曜日) オスタルジー

day by day

 (23:54)早くも取材開始で、特に午前中は興味深い人、動きに遭遇しました。今まで持っていた自分のエネルギーの今後に関する考え方を変えなければならないと思うような事実にぶち当たりましたが、それはまた元旦午後7時からのNHKBS1の番組を見ていただければと思います。

今もベルリンの旧東地区に残る旧共産圏を感じさせる商店の棚  取材の途中の車の中やレストランで、運転手さんとか取材相手のドイツ人と話しをしていると、1989年の末まで分断されていた街の歴史が、この地域に住むドイツ人一人一人の履歴、経歴や人生に落としている大きな陰、実に大きな影響力にしばし愕然とする。運転手さんは物静かな芸術家タイプなのですが、話しを聞くと壁が落ちるわずか3ヶ月前に1才の子供と奥さんを連れてリスクを承知で東ドイツから西ドイツに逃れた経験を持つというのです。

 日本でも何回も放送されましたが、ベルリンの壁の崩壊に最後はつながったと言われる汎ヨーロッパ・ピクニック(パンヨーロッパピクニック、ハンガリー語: Paneuropai piknik、ドイツ語: Paneuropaisches Picknick、1989年8月19日、オーストリア共和国ブルゲンラント州に食い込むハンガリー領ショプロンで開かれた政治集会)に参加して、「もう遅いかも」と思いながらも、西ドイツへの移動を敢行した。

 勇気が必要だったと思う。しかし、その3ヶ月後にベルリンの壁には若者がよじ登って、あっけなく、そして皆が「いったい何が起きたんだ」と言っているうちに壁も、そして東ドイツも崩壊し、時間を置かずにドイツは統一された。「自分がリスクを犯したわずか3ヶ月後に壁が崩壊してどう思ったか」と聞いたら、「こんちくしょうと思った」と正直に語ってくれた。

 今日一番取材に長い時間を使った環境NGOの事務局長は、奥さんが旧東ドイツの出身。ポーランドを旅行中に奥さんと知り合い好きになったが、結婚する決意をしたものの、東ドイツの奥さんが西ドイツの彼とすんなり結婚できるわけもない。1年以上も西と東の政府を巻き込んで交渉した結果、彼は奥さんと正式なルート(といっても西と東のバーターのような交渉結果)で結婚したという。彼は仕事でフランスで当時働いていたのですが、壁が崩壊したと職場の友人から聞いたときには、「冗談だろう」と思い、本当に壁が崩壊したと確信したのは翌朝に新聞を読んだ時だったという。

 ベルリンで生きている多くのドイツ人一人一人に、「あの時代」「あの時」に関する思い出があるんでしょうね。「壁」が落ちても、1990年の西ベルリンと東ベルリンはまるで別の国(一方は先進国、一方は貧しい貧困国)だったので、雇用の問題、西の人の東に対する偏見など、ドイツ人には「心の壁(wall in the head)」が残っているとずっと言われた。

 私は東ドイツ出身のメルケルが首相になったとき、「これでドイツ人の心の中に残ったもう一つの、そして最後の壁もなくなったのかな」と日本に居て思ったものです。ギャオの番組の最後の言葉に「心の壁崩壊か」を使ったこともある。しかし壁崩壊のわずか3ヶ月前に西ドイツに亡命した運転手さんのこの問題に関する意見は、「確かにメルケルも、もう一人の野党の代表も東出身で、そういう意味では大きな前進だ。しかしだからと言って、ドイツ人の気持ちの中に刻まれた心の壁がなくなったかといえば、そうは言えない」ということでした。

 再来年には、「壁崩壊20周年」があり、その後には「ドイツ再統一20周年」がある。もう壁の崩壊というあの衝撃的なシーンをこの目で見たことのないドイツ人も増えているのが現実です。

 2001年の年末から2002年の年始に来たときに泊まったウェスチン・グランドというホテルの周りにも行ってみました。ホテルからフリードリッヒストラーセをしばし歩きながら、そしてホテルの前からブランデンブルク門の前へ車移動で。懐かしかったですね。街も綺麗になって東の面影はかなり消えた。しかし、この上の写真の商店の棚のように旧東を感じさせるシーンは、ベルリンのかつての東側に色濃く残っている。下の写真は、ドイツ・ワールド・カップを目指して作られた新しいベルリン中央駅です。ガラス張りで中にも入ってみましたが、綺麗な駅でした。

去年完成したベルリン中央駅  ノスタルジーという英語がありますが、ドイツには「オスタルジー」という言葉があるそうです。東を意味する「オスト」と合わせて「オスタルジー」。かつての東ドイツを懐かしむ心と言うことでしょうか。

 私にとってオスタルジーは、当時走っていたトラバントという車とか、シュベリーンで鮮明に刻まれたまるで中世のよみがえったようなシャビーな街並み、痩せて無精髭を伸ばしたドイツの男性、薄汚いビルなどですが、その多くは消えつつあるように見えた。そういう意味では、旧共産圏を思い出させるような商品展示棚などは、私にとっての数少ないオスタルジーだ。もっとも1990年の東ドイツ側の商店には、こんなにモノが置かれていなかった。シュベリーンの商店に入ったときには、昔の農家の土間のような印象だったし、棚には数えるほどの品物しかなかった。

 一方、12月のインドネシアでの気候変動枠組み条約の締約国会議にも報告され、京都議定書に定めのない2013年以降の温暖化対策の議論に大きな影響を与える「統合報告書」が、バレンシア(スペイン)での「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」で採択された。地球温暖化の被害を小さくできるかどうかについては、「今後20-30年間の排出削減努力と、それに向けた投資が大きく影響する」などを内容とするもの。

 報告書は、「温暖化の影響を小さくしようとすればするほど、温室効果ガスの排出を早い時期に減少に転じさせなければならない」と述べ、一刻も早い行動が不可欠なことを訴える内容となっているという。同報告書は、公表済みの3つの作業部会報告を基に、20世紀半ば以降の温暖化は、人間活動が原因である可能性が「かなり高い」と結論して、今世紀末の平均気温は20世紀末より最大6・4度上がるとも予測しており、さらに温度上昇が加速するなどに関し、近年懸念が高まっていることに言及しているという。

 11月のベルリンはどんよりと雲がたれ込め、いつも霧雨のような雨が降っている天候でみれば日本から見た我々には温暖化とはほど遠いように思えますが、確かに地球全体を見ればその兆候は否定しがたい。行動の必要性は高まっている、と思う。

09:08
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