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2007
11/20
Tue

2007年11月19日(月曜日) 見本市発祥の地

day by day

 (23:54)「見本市」の発祥の地・ライプチッヒは実に綺麗な、そして落ち着いた街です。歴史の臭いがぷんぷんする。ベルリンでの1989年末の壁崩壊当時はどうだったか、私は想像することしかできない。しかし、壁崩壊後に確か梅本君と行った同じザクセン州のドレスデンから想像すれば、今よりは多分かなりシャビーな街だったに違いない。

聖トーマス教会のバッハ像の横で  しかしそれでも、この街はもともと商人の街として出発している。だから、街並みなどはずっと綺麗だった筈だし、「見本市」に多くのお客さんを迎える準備が出来ていた筈です。歩くと「メッセ」(messe)と名前が付いているビルがいっぱいある。東独時代もああいう建物の中で、見本としての商品が展示され、その見本をベースにして規模の大きな商品の取引が行われていたのでしょう。

 街は歴史そのものです。何よりも、ヨハン・セバスチャン・バッハがトーマスカントル(教会音楽を取り仕切り、その付属小学校の教職にも当たり、さらにはライプツヒィ街全体の音楽監督も兼ねる役職 1723-1750年)をやった聖トーマス教会がある。最初の写真がバッハ像です。中に入ってみると実に荘厳な感じがする教会です。また東独からの民衆解放の発火点になったといわれるニコライ教会が直ぐ近くにある。この教会でのミサをきっかけに、汎ヨーロッパ・ピクニックが始まったとも言われる。その他にも、有名なパッセージやケラーなどがこれでもかと街の中心に並ぶ。

 日本との関係も深い。森鴎外の独逸日記には、このライプチッヒを初めとするドイツでの4年間が詳細に記されている。ライプチッヒの下宿の寡婦の話から始まって、彼が観察した当時(18884-1888年)の独逸が記されている。ライプチッヒに関する彼の面白い記述がある。明治17年10月24日のところです。

 おほよそ独逸の都会のうちにて、ライプチヒの如く工場多きはあらじ。煤烟空を蔽ひて、家々の白壁は日を経ざるに黒みて旧りたるやうに見ゆ。(なるべく原文)
荘厳な教会の内部  つまり、当時から大工業地帯で煙突が林立していたということでしょう。直ぐ近くのビターフェルトが一大化学工業地帯で、その後「世界で一番汚染された街」に指定されたことは先に書きましたが、要するにドイツのこの辺はルール工業地帯と並んでドイツの産業の核だったということです。この地方もそうですが大量の褐炭が出る。露天掘りだった。その穴が今は池になっている。

 ルールでも大量の石炭が出来るし、「ルールに青空」が当時のブラント首相が掲げた政治的スローガンであることは良く知られている。鴎外の日記を見るまでもなく、ドイツは昔から汚染に悩んできた、ということです。東独時代は、経済力や技術がないのに、西ドイツに負けるなでその国土全体で汚染が進んだ。だからこその環境保護運動の活発化です。まあライプチッヒはそういう意味では、商人の街であると同時に、工業都市でもあったということです。

 「50万前後の街にしては商店が多すぎる」というのが原田氏の感想ですが、確かに街の中心部は、これでもかと綺麗な商店が軒を連ねている。カウフホフやカールシュタットなどドイツを代表する百貨店もあるし、中央駅には安売りで伸びたスーパーもあって、ここにも行ってみましたが、アメリカとコストコと日本のスーパーの中間のようなビジネス形態をとっていて、非常に面白かった。

 取材の関係でも、あちこち行きました。いろいろ思うところありですね。明日も一日ライプチッヒの周辺を取材します。

11:20
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