Essay

<エーデルワイスと、そして英雄達と(2015年夏 変貌するモンゴル)-Cyberchat>

 モンゴルは二度目です。2007年の9月が最初。そして今回(2015年8月)。メンバーは市岡さん以外は全員入れ替わりましたが、今回も楽しい、そして笑い溢れる旅でした。

 モンゴル。変わらなかった事。草原を吹き抜ける良い臭いのする風、ぽっかり浮かんだ白い雲、地平線に上ったり下ったりする度に空をピンクに染める太陽。温度が高くても"暑さ"をあまり感じない湿度の低さ。時々短く通り過ぎる草原の強い雨。晴れていれば見れる満天の星。モンゴルの人達は今回もまた純朴で、旅人に優しかった。

 変わった事もある。今回は、前回行かなかったゴビ砂漠にも行ったので、前回にも増して上がる太陽、沈む太陽が綺麗だったし、砂漠の天候変化の速さにも驚かされた。雲が足早に動き、さっきまで晴れたいたと思ったら3分ほどパラパラと降っては直ぐに晴れる天候。その雨は冷たかった。

地平線が見える国 同国唯一の大都市ウランバートルは急速に変貌している。ニョキニョキと出来る高いビル。建機が行列を作っている。道は前回見られなかった渋滞。そして安全故に世界各国から集まる観光客。泊まったゲルには北欧系、中国、韓国などなど実に多彩だった。そして8年前には「食べられるものがあまりない」印象だったが、今回は全体的に料理のレベルがとっても上がった。これは凄まじい変化だ。シャングリラなど高級ホテルも増えていた。

《すさまじい乾燥》
 とにかく日本にはないものは「乾燥」。砂、土埃まみれで真っ白になってしまったナイキのランニング・シューズを水浸しにして前の日の夕方ゲルの中に置いたら、朝までには100%乾いた。本当にビックリ。びしょびしょの靴ですからね。ましてや洗濯物など直ぐに乾く。特にゴビ砂漠の乾燥は特筆に値する。

 人生初めて行った砂漠について。荒れた乾燥地帯が続くような砂漠と、本当に砂が波打っている砂漠と。「砂漠にもいろいろある」と今回思いました。きっと名前が付いた世界の砂漠は、それぞれの個性があるに違いない、と思った。我々が「ゴビ砂漠」と一言で表現している広大な地域も、それぞれのエリアで違う。

砂漠に上がる朝陽の綺麗だったこと 最終日に我々のキャンプに移ってきた欧州の人々は、「前のキャンプは二日間激しい砂嵐。ブラウンの世界から来たが、この調子なら今夜は夜空が見えそうだけど、どう思う」と聞いてきた。ははは。そんなに天候が違うんだ。我々のゲル・キャンプ(Gobi Discovery という名前でした)はそんな事はなかった。ラッキー。

 なので前の晩に既にまずまずの星空を見ている我々は、既に夕刻空に雲が少ないのを確認していたので、「良かったね、ここに来て。今夜は満天の星だよ。この辺にミルキー・ウェーがかかるよ」と言ったら、とても嬉しそうだった。でもよく研究しているなと思ったのは、「月が上がるのは何時か」と聞いてきたこと。

夜には砂漠の演奏会 小谷野さんがヴィオラをを演奏 「月が上がれば夜空の星は少し見えにくくなる」と知っているのです。夜暗くなるのが夜の9時半過ぎ。星が綺麗に見れるのは10時から1時間くらいかな。実際のところ我々のキャンプ二日目の星空は本当に綺麗だった。雲もなく風も穏やかで。全員で何かを見付けて地面や長いすに寝そべり、暫く星空を眺めていました。

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 行きと帰りにウランバートルの同一ホテル(トイレはTOTOさんのウォシュレットでした)に宿泊した以外は、ゲル、ゲル、ゲル、ゲルの宿泊日程。最初の二日が砂漠の中のゲル、あとの二日がウランバートルからバスで一時間ほど移動したテレルジ国立公園内の山々の谷間にある広大な草原の中のゲル。「山々の谷間にある広大な草原」という表現は奇妙なのですが、そうなんですよ。

山に登るとずっと先までが見える 山々と言っても良いが、「丘丘」とも言える。高さはほぼ揃っていて麓から150メートル、200メートルの高さで、山と言えば山、丘と言えば丘。それぞれが峰や稜線を作っていて、そして向こう側は降りている。そしてかなりの幅で草原が広がり、そしてまた丘や山が出てくるという事の繰り返し。丘にも山にも必ずと言って良いほど「奇岩の行列」がある。多分太古の昔に氷河に削られた後だろうと想像できる。

 峰や稜線にアタック(小さな)して頂上に立ったときに、その先に見える起伏ある景色を見れる爽快さ。風が吹き、雄大な景色が広がる草原に白いゲルの塊(20戸前後の)が見え、そして草を食む白、茶色、黒の羊の群れや牛、馬の集団が見える。彼等はゆっくり移動する。草を食べながら。なんぼ見ていても全く飽きない。

《ゴビ砂漠を軽く30キロ ははは》

 今回は良く動きました。特にゴビ砂漠の真ん中では「記念になるな」と思ってちょっと走ってみました。でも標高が1300メートルあるのでちょっと疲れる。「ゴビ砂漠を走った実績は作った」と思ったので、その後は歩きました。車の轍の跡が歩きやすい。でも靴が真っ白。

 思ったのは、「結構走りにくい」ということでした。だってターゲットが何もないんですよ。皇居周りだったら、「ここまで来たからあとは....」といつもターゲットが入れ替わる。しかし砂漠の真ん中では同じ景色が永遠と続く。つまりターゲットを失う。一つあるのは自分のゲルからどのくらい離れたのか、「ここまで来るのに何分かかったのか」だけ。だから走りにくい。ずっと見えるのは地平線とか、もの凄く遠い山とか、そらをゆっくり流れる雲とか。あ、電柱の行列があったな。でも柱は皆同じ。砂漠のど真ん中で2日も過ごせたのは良かったな。とにかく朝晩のおひさまが凄い。神々しいのです。また行きたい。

 対して草原は移動が楽しい。砂漠よりもっと標高が高かったので、もっぱら歩きだが、景色が刻々と変わる。見えていた山が後ろになり、また新しい平原と山が出現する。色は草原の緑と、岩肌の茶色、そして白い雲。時々遠くに見れる動物の茶色い点点。時に丘や山に登り、周りの景色を堪能した後、また歩く。急な山肌に挑戦もしました。面白かった。朝は草に付いた朝露がスニーカーを綺麗にしてくれます。気になるほどではない。

 ちょっとアップルウォッチのアクティビティ(運動量を計ります)で、モンゴルに移動してからの運動量を調べてみました。

               歩数   走歩行キロ数
 8月2日(日曜日)     14,039   12.07
 8月3日(月曜日)     16,712    13.38
 8月4日(火曜日)      20,248    15.39
 8月5日(水曜日)      16,473    12.81
 8月6日(木曜日)      29,207    22.13
 8月7日(金曜日)      11,395    8.67

 4日はウランバートルから早朝にゴビ砂漠の中心の街に移動しましたし、6日も早かった。でも早朝にちょっと散歩。ということは、3日と4日の合計にちょっと足した30キロが「私のゴビ砂漠でのランニング・歩行距離」となる。やった。(その一方でそのアホ具合には自分でビックリ)。

 ゲル周りで役立つのは日本から持って言ったサンダル類です。素足が気持ちが良い。サンダル、短パン、そしてTシャツでボケーと景色を眺める。これがとっても気持ちが良い。

 ははは。夜は寒いですよ。後半二日のゲルでは午前4時にスタッフがゲル(2~3人の宿泊)の暖炉の火を付けに来た。寝ている間に。安全ですから。すると急にゲルの中が温かくなる。暖炉は一端熱くなると、その後も暫く熱い。そしてゆっくり冷める。冷めるのが嫌なら薪をくべれば良い。

山に上った全員で大騒ぎ その薪が凄い。とっても軽いのです。日本の同じ薪の半分の重さかと思う。木の種類が違うのかも知れないが、一番の理由は「乾燥」だと思う。段ボールの切れ端とか鶏卵入れの凹凸紙が少しあれば、容易に薪に火が付く。そして直ぐに燃え切る。結構大きな薪でそうなのです。要するに過乾燥なので、特にストーブに火を付けたときには人間は水分を取らないといけない。

 山あいにたたずむゲルのビレッジのいくつかのゲルから早朝に上がる薄い煙。日本にはないな。これがいいんですよ。人が今朝も目覚めて活動を開始している証拠。ゲルから聞こえてくる言葉は様々です。英語、ドイツ語、スウェーデン語、モンゴル語、韓国語、そして中国語。モンゴルのゲル(観光ゲル)は急速にインターナショナルになりつつある。

 現地の人が実際に生活を営んでいるゲルにも連れて行ってもらいました。ちっちゃな女の子が二人。一人は歩く始めたばかり。ちょっと大きいお姉ちゃん。外で両親の手伝いをしていた男の子。その近くに馬の集団が。子馬6~7頭(ロープに繋がれていた)と親馬の集団と。ご主人(この単語が良いかどうか知りませんが)が一頭の子馬を選んでその母馬に近づけ、奥さん(同)がそれによって促された母馬の乳を搾る。その繰り返し。「共同作業なんだな」と思いました。砂漠の真ん中で。

ナーダムの音楽隊は少年・少女で構成 でも彼等が時代から取り残されているかと言えば、そうではない。50センチ四方の太陽光発電装置があり、その横にはパラボラアンテナが衛星方向に顔を向けて立っていた。つまり砂漠の真ん中にいても外と繋がっている。良いとか悪いとかそういう問題ではなく、そういう世界になっていると言うことです。

 砂漠の真ん中で我々とネットの世界をか細くつなげてくれたのは、スラーヤ(UAE) Thuraya XTでした。私がWECさんのマシンの世話になるのはブータン以来二回目。でもブータンより遙かに北に来ているのにインド洋上の静止衛星と通信してネットを繋げようとしたのだから、無理があった。地球は丸いから北になればちょっと前に障害物があるだけでインド洋上の静止衛星は捕まえられない。でも砂漠では役だった。無論携帯電話の信号は砂丘の上くらいしか繋がらない。

《変貌するウランバートル》

 モンゴルの人口は増えている。前回の文章を調べたら270万と書いてあった。8年後の今回の人口は300万。8年で30万人も増えた。年当たり4万人も増えている。実際に子どもは多かった。ナーダムにも一杯子どもがいたし、どちらのゲル村にも従業員の子どもがいた。それが皆可愛いのです。男の子も女の子も小型モンゴル人(当たり前か)。日本の昔の田舎の子どもによく似ている。蒙古斑と言い、絶対繋がっている。我々とモンゴルの人は。

 景気はちょっと悪いそうだ。なにせ資源価格が低い。モンゴルは資源輸出国ですから。しかし市内の建設の多さを見ると、「悪い」とは感じない。なにせ発展途上ですから。引き続きモンゴルで凄いなと思ったのはホーミーかな。ここに動画がアップされていますが要するに低音を喉を使い、高音を口を使って出すのだそうです。まねできない。当たり前ですが。モンゴルでも出来る人は少ないのかな。

 今回も前回と同様市内の劇場で観劇しましたが、中味は変わっていなかったが、「モンゴルらしさ」が良く出ていて面白かった。うーん、また8年くらいしたら行きたい。


2015年08月02日(日曜日)

 (23:05)どえらく涼しくなりました。ウランバートルに着いたら、そこは低湿度で摂氏20度の世界。夜になったらどんどん温度は下がっている。久しぶりに「湯船に浸かろう」と思いました。

これが街の全景です。つまり小さい。人口200万ちょっとかな。でも全国で300万ですから それにしても、2007年9月に来た時と比べて大きく都市化したこと。そりゃそうですよね。東京だって8年たったら大きく変わる。ましてモンゴルは開発途上国ですから、首都が変わらなきゃおかしい。その時の写真を見ると、今の空港は当時とは違っている。

 しかし来年にはまた新しくするそうです。モンゴル、日本、韓国のジョイベンで80億ドルかけて。ほぼ全てを建て直して。今はモンゴル航空、中国と韓国の会社が乗り入れているだけですが、完成すればシンガポール、日本などいろいろな国の航空会社が就航する予定と。そう言えば私たちが乗ったモンゴル航空の便も満席でした。

 ウランバートルを「都市化」と書きましたが、ビルが出来ている以上に驚いたのは、日本車の氾濫。特にトヨタ車が多く、その中でもプリウスが多い。プリウスBの後ろにプリウスCが走り、Bの前にプリウスAが走っているという状況。一番の理由は「燃費が良い」ことらしい。冬は電源としても使える。それにしても、東京以上のプリウスの氾濫にビックリ。

日馬富士がにこやかにお出迎え 前回は席の問題だと思ったのですが、今回飛行機では右の窓際にいたので、上空からウランバートルの街並みがはっきり見えて面白かった。前回のガイドさんが「ウランバートルは盆地の川沿いに出来た街です」と言っていたのを思い出しましたが、上空から見て「その通りだ」と思いました。

 空港で我々をにこやかに迎えてくれたのは日馬富士。今のモンゴルで一番人気のある相撲取りだそうです。なぜ白鴎ではないのか。それは彼が日本の女性と結婚したこと。しかしウランバートル限定で見ると、「白鴎もそこそこの人気」とか。面白い事に、日本と今の夏時間のモンゴルは時差なし。凄く西なのに。だから夜は相当遅くなっても明るい。

 明日はゴビ砂漠の街に早朝に移動です。明日の場所は未経験の街とエリアなので、楽しみ。でもゲル、ゲル、ゲル、ゲルの宿泊予定なので、ネットは厳しいな....恐らく。


2015年08月03日(月曜日)

 (23:05)何から書いたら良いのか。砂漠は不思議が一杯なのです。四方八方遮るもののない地平線。ありえない光景です。遠くに何かの集団を見つけたら、それは人間ではなく羊や山羊の群れです。あまりにも遠くまで見えるので稲光が光っても雷鳴の「らの字」も聞こえない遙か彼方の雷。夜空に光って怪しかった。

砂漠のゲル。我々が泊まった。 夜が更けて夜空に展開する天体ショー。星空を堪能しようと仰向けになった体を優しく包む気持ちの良い風。驚いたのは、炎天下の砂漠で歩いても、走っても汗をほとんどかかないこと。乾燥しているんですよ。そう言えば、ゲルの中で何かを干すと、直ぐに乾く。

 砂漠は「そこに居る」ということ自体にワクワクする。日本にないものですから。

 「こんなところがやはりあるんだ」
 「人間はここでも生きているんだ」
 「モンゴルの人達は皆同じような顔をしている。一人の母親から分かれたのだな」

 などといろいろ思う。楽しかったのは、あちこちをトレイルしたり、少しは走ってみたことかな。標高が高いので、それほど続かない。でも「砂漠でジョギング....」ということに満足。しかし汗をかかないのです。

 ウランバートルを朝早い7時の飛行機で南西に1時間半ほど。ゴビ砂漠の中にある街ダランザドガドに移動してきました。砂漠と言ってもいろいろある。その空港がある場所は、限りない平原に、背丈数センチの草や極小さな花が間隔を置いて生えているところ。むろん、本当に砂のみで出来ている砂漠もある。空港は言ってみれば、砂漠と草原の中間の平原の中にある。

 着いた後、アルタイ山脈の東の端に当たるイーグル渓谷に。移動はランクル5台をつらねて。最初舗装を終えた道を走っていて、「これは快適」と。石炭を運ぶ巨大なトラックにも遭遇。しかし直ぐに砂利道に。それはもう「インドも顔負け」の悪路です。

 イーグル渓谷は綺麗です。日本と違って山に木がない。草やあってもごく低木が張り付いている程度、そこに時々綺麗な紫色の花が咲いている。写真のような花です。山脈の東端なので、渓谷に深く入るに従って山は高くなる。小川を流れる水は限りなく冷たい。

 写真のような小動物が一杯いるのです。小川沿いの山裾に巣をいくつも作って。動きは素早いし、近づくと逃げる。しかしゆっくり接近すると警戒はするが、直ぐには逃げない。あまり人間に悪さをされた経験はないんでしょうね。可愛かった。

 夜はゲルのある場所の近くの舞踊団が来てくれて、即席の舞台。といっても、ゲストハウスの庭で、車のライトを使ってライトアップしながら。演奏者兼歌手一人、踊り手一人の女性チーム。楽しかったな。踊りは中東のそれともまた違う。しかし中国よりも中東に近い。手の使い方に非常に特徴がある。

アルタイの東端にいた小動物 我が旅団には日本からバイオリストが一人。わざわざ日本からヴィオラを持ってきてくれていて、モンゴルの一団の部隊の後では彼女が日本の曲を数曲やったのですが、モンゴルチームの女性が「私は日本の歌が歌える」と申し出て、「北国の春」だったかな、30人ほど全員(我々に運転手さん5人、ガイドさん、その奥さん、ゲルのスタッフなど)で合唱。

 この辺の国は"時間"がおかしい。南の中国は国土があれだけ広大なのに時間帯は一つ。チベットに行けば夜が明けるのは午前8時頃(夏)だったが、モンゴルもおかしい。日本より遙かに西にあるのに、夏時間ということもあって、日本と「時差なし」。だから、今日の場合ここはウランバートルよりさらに西にあるので、夜明けが午前6時31分、日没が午後9時24分。緯度も高いので。笑える。

 明日は砂漠砂漠した地帯に行って二瘤(ふたこぶ)駱駝に乗ります。


2015年08月04日(火曜日)

 (21:05)ラクダの顔の前に日本のパスポートを提示したら、そのまま日本に連れて行ってくれました.......

 ってなことはないですよ。跪いている二瘤駱駝に乗るのも結構大変。なぜなら瘤があるので、足がぶつかる。乗って捕まるのは前の瘤です。そしてラクダが立ち上がるときがちょっと危ない。前後のバランスが崩れますから。

 肝心なのは馬と同じ。バランスを取って乗り、姿勢を良くして背筋を伸ばし、両足でしっかりラクダの胴体を掴み、そしてラクダの上では大声を出したり、バランスを崩す事をしないこと。例えば暑いからと言ってウィンドブレーカーを脱ぐと言った行為。ラクダがビックリする。

 ちょっと会得して、両足でラクダの体をしっかり掴めば、案外手を前の瘤から放しても楽。後はラクダの体の揺れに自分の体の揺れを任せれば良いのです。ラクダを引いてくれる人はちゃんといて、馬と違って「勝手に走り出す」ということはない。

 合計40分弱乗りましたかね。怖がる人が居るグループは短く。私たちのようにおもしろがるグループは長めに。ラクダは馬よりは高く、ゾウよりは低い。そしてゾウほどには左右に揺れない。だから、通常では大丈夫です。落駱駝した人はいなかった。

 ゲルから一時間ほど車で移動して、砂漠らしい砂山がいくつも連なるエリアに。砂の山を登るのは楽しかったな。砂が小さいのです。サラサラサラサラ。ガイドさんが、「ケイタイを落とさないで下さいね。砂に埋もれたら絶対見付けられませんから」と。そりゃそうだ。

 足を取られ取られしながらひたすら上に。面白い事にきちっと足場が取れるところと、そうでないところがある。上に昇って砂山を見ていたら、今度は砂漠の砂山の急斜面を降りたくなった。

 続いたのが旅団一番の若手の小尾君。彼は裸足になって駆け下りてきた。そして彼は駆け上がった。ので、私も靴を抜いて急斜面を裸足(靴下、靴を右手に持って)で上がったのですが、結構きつかった。でも面白かったな。砂粒が本当に揃っているのではないか、と思うほど綺麗で、かつ裸足で歩くとひんやりして気持ちが良い。

 「昼間の砂丘は裸足で歩くべし。ひんやりしていて気持ちよい」が今回得られた教訓ですが、経験者によると「夜になると、裸足で歩けば砂は温かい」とのこと。だから砂漠や砂丘で生きている動物や昆虫は、結構気持ちよく生きているのかも知れない。

 まず砂の山に登り、その後に駱駝に乗ったのですが、モンゴル人の運転手達が山の上でケイタイを取り出して電話している。「おかしいな、繋がらないだろうに」と思ったら、我がグループの湯浅さんが「山の上でケイタイが鳴った。上は繋がるみたいですよ」と。下では「圏外」でしたから、最初に知っていれば良かったのですが、一度靴を履いたらもう一回脱ぐ気にはならなかった。


2015年08月05日(水曜日)

 (21:05)昨夜ですが、砂漠のゲルでの最終日は羊の肉を堪能した後、キャンプファイア。羊の肉をモンゴルで頂くのは2度目ですが、今回はプロセス(一匹を頂戴します)は同じでも、お味は良かったように思いました。

 モンゴルでのお肉の食べ方は写真のようです。つまり日本人がお魚を綺麗に頂くように、本当に骨に到達するまで頂く。モデルさんには城野さんご夫妻になって頂きました。 足の部分かな。でも、城野さんご夫妻は日本でもスペアリブや、特にお魚はこうして頂くようです。猫や犬もビックリの。素晴らしい。

モンゴルではお肉も綺麗に、骨の髄までいただきます でもお肉を含めた食甚全般について書くと、前回8年前に来た時に比べて、食事は「普通に美味しい」感じ。かつての荒々しはない。残念ではあるし、しかし安心は出来る。8年前は、「これでサラダか」と思うようなものが出てきましたから。

 キャンプファイアですが、とにかく木が生えていない場所ですから、ガイドさんが「皆さんの為に遠くから木を運んできました」と。ありがたい話です。

 久しぶりだったな、キャンプファイアは。面白かったのは、運転手さん5人とガイドさん、その奥さんも加わって、日本チーム対モンゴル・チームのような形になった。キャンプファイアと言えば歌ですよね。

 で最初我々日本チームが日本の民謡を歌ったのですが、その後「your turn」と言ったら、モンゴル・チームからも歌が出てきて、その繰り返し。結局火が消えるまで大歌謡大会となりました。

夜はモンゴルの人達とキャンプファイアをしました。写真に写っているのはモンゴル・チーム うーん、どっちが勝ったかな。でもそういう問題ではなく、とにかくモンゴルの人達の声の出し方が我々とは違う。それが興味深かった。お互いに歌った後、または前に「これは何に関して歌った歌か」と説明しあった。

 日本チームが「荒城の月」を歌って、「これは城と月の歌だ」と言えばモンゴル側が「これは月の歌だ」と繰り出される感じ。面白かった。何を歌っているのかモンゴル語が分からないので不明ですが、とてもよく声の出る歌のうまいモンゴルの運転手さんがいたし、ガイドのバッドムーフさん(191セントで白鴎と一緒の背の高さ)も大きな声で参戦してくれた。

 そこにフランス人のカップルも参入。彼等はラ・マルセイエーズを歌ったのですが、あまり歌詞をしっかり覚えている風でもなかった。最初三カ国の順番でやろうとしたら、彼等フランス・チームは恐れをなしたのか撤退。結局モンゴル対日本の、時に集団での、時に個人での歌合戦。ははは。


2015年08月06日(木曜日)

 (08:05)ゲルはとっても面白い建物、家です。横を通ると「大きな鼾(いびき)」がもろに聞こえるし、「あ、ここは楽しそうに話をしているな」とか「なにけんかしているんだろう」と思う時もある。要するに中の様子がまるで外に出てしまう。

 むろん「何を話しているのか」は分かりません。私がモンゴル語が分からないから分からない訳ではない。二人くらいで何組かに分かれて泊まるのですが、我がグループの他のゲルでの会話も無論聞こえる。「あ、今起きたな」とか。後で写真でお見せしますが、簡単な格子状の木組みと布で出来ていますから、そりゃ中の様子は外に出る。

 何と言っても大きな特徴は、手慣れたモンゴルの人が数人いれば「大体1時間弱で作れる」という簡易さです。そりゃそうだ。遊牧民は回数多く移動する。ロバや駱駝やその他動物の背中に資材や家財を乗せて。重くてもいけないし、大きくてもいけない。

 その結果分解できて、かつ組み立てやすい今のゲルのような形状になった気がする。基本的に必要なモノは一番上の写真の通りです。天井部分はわっこになっていて、その周りに榛を入れる穴が一杯開いている。下を向いて。

 その榛に差し込まれる先のややとがった棒が数十本。その棒には一方に切れにくい留め糸(これも木に組み込まれたわっこです)が付いていて、これを格子状の小さくまとめられる壁(役割として)の組板に引っかける。格子状の組板はいくつもあります。

 それをうまくゆがまないように丸くし、二本の柱に支えられている天井に刺して棒が落ちないようにするのが一苦労です。結構ゆがんでいると、棒と届かなかったり、逆にうまく入らなかったり。

 私たちも手伝ったり(ほとんど役立たなかった)、ああでもないこうでもないと言い合ったりしましたが、基本的には手慣れたオジさん一人が指揮して出来上がり。ははは。面白かった。

 ゲルは8年前もそうでしたが、今でもウランバートルの街中でも見れるし、少し中心部を外れると一杯ある。どうやらモンゴルの人達はウランバートルが都市化しても、一部は「ゲルが好き」という人が多いようです。

 むろん、観光客も好き。モンゴル旅行の一つの目玉ですから、モンゴルに来てゲルに宿泊しなかったら「もぐり」と言われる。今は観光客用に「ホテル顔負け」のゲルもあるそうな。うーん、昔ながらの簡素のものが旅行が盛り上がると思う。

その1

その2

その3

その4

その5

その6


2015年08月07日(金曜日)

 (08:05)モンゴルの人達と日本人の共通の単語は「日本に来ている彼等の英雄達の四股名だ」と分かりました。今朝外を少し歩いた後、朝焼けを見るためにベンチに座っていたらゲル村の監視のおにいちゃん(ゲルを出たところで遭遇していた)が「good morning」と言って近づいてきた。

誕生会を終えて外に出たら見事なダブル・レインボー 一緒に座ったのですが、ごく短い英単語しか通じない。「rain」とか。しょうがないので、「白鵬....日馬富士....」と言ったら、向こうが「時天空....朝青龍....」と出てきた。「ああ、通じるは...」と。しかし発音はかなり違う。口の中で詰まるような独特の。だから時天空は最初ちょっと考えた。

ナーダム開始を待つ音楽隊の少年・少女達 昨日は二つラッキーがあったな。一つ目はメンバーの一人がちょうど誕生日で、その誕生会兼ディナーを終えて会場を出たら、写真のようなダブルの虹が。ダブルなので、右と左では色の並びが逆。右は薄かったが、ダブルそのものが珍しい。ラッキー。

 その前にあったラッキーはミニ・ナーダム。宿泊しているテレルジのゲル村の直ぐ目の前で開かれたこと。モンゴル航空のパイロット達が音頭を取ってイベントとして開催したもの。でもアーチェリー、モンゴル相撲、そして最後を飾る少年・少女競馬とワンセット揃っていて、妨害の幸せ。私はモンゴルと言えばまずナーダムを思い出しますから。

最後の競馬に出た少年達の一部 子ども達がみんな可愛かったな。わたしはちょっと早めに行って、雨が降ったので音楽隊のテントに入れてもらっていたのですが、日本の子ども達と一緒でふざけあって、皆楽しそうだった。女の子も混ざっていて、彼等、彼女らはその後誕生会にも特別に来てくれた。ナーダムに来たモンゴル相撲の力士達と

 競技が始まる前のホーミーも良かったな。聞くのは二度目ですが、あの声の出し方は凄いと思いました。なんであんな声が出るのか。踊り、というかピンの若い女性による曲芸もあったな。これも凄かった。

 でもやっぱりナーダムの花は相撲と競馬。ともに実物は初めてでした。勝てば鷲のように舞うモンゴルの力士。要するに勝ち抜き戦なんですよ。勝つと勝者の帽子をもらう。地面に最初に付いた方が負け。

 一番楽しみだったのは競馬。実際には凄く長い距離を走るのですが、今回は2キロ先からのミニレース。私は馬達を追いかけてスタート地点まで走って行きました。そこで、スタートからのしばらくの動画を撮った。迫力があったあ。だからゴールシーンは見ていない。聞くと、唯一裸馬に乗った少年が勝ったそうな。女の子もいたな。

 みんなモンゴル的な顔をして可愛いんですよ。年齢は聞きませんでしたが10才前後かな。当たり前ですが、馬の乗り方はめちゃうまい。ウランバートルに住む人達は「ゲルも作れない」「馬乳酒を飲めば最初は腹を壊す」と草原の暮らしから離れてきている面もあるようですが、彼等はナーダムだけは忘れないだろう、と思いました

遠征乗馬組 右は小尾君と稲村さん その後我々も乗馬。我々3人は遠征組で、ちょっとロングに乗りました。馬が時々走ってくれて楽しかったな。観光用の馬で安全ですが、逆に面白くない。今回の馬は8年前の馬より大きかった。今度はこの大きな馬でかなりスピードを出して走りたい、と思いました


2015年08月07日(金曜日)

 (06:05)街中で発生する車と路面電車の渋滞、そして少し上を眺めれば建機の行列。立ち並ぶ若者向けやその他一般向けの団地(日本式に言えば)、荒い運転の夥しい数の車と立ち上がる土埃。でもおしゃれになったモンゴルの人々。

渋滞と建機の波ー2015夏のウランバートル 8年前のモンゴルではもうありません。資源価格の低迷により海外からの投資が落ちて、今モンゴル経済は試練の時にあるらしい。ちょうど昨日、スーパー連立政権が崩れたりもした。しかし一般的な公務員の給与は月額800ドルと聞きました。だとしたら125円で計算するとちょっきり10万円。高いじゃないですか中国より。

フンナモールには恐竜博物館もある 8年前の上記リンクの文章を調べたら「国民一人当たりの所得が500ドルの国」とあった。つまり8年前に比べて1.6倍になっている。当然人々の生活は良くなった。

 それが何に現れているかと言えば食べ物と買い物です。モンゴルの食べ物のレベルは、確実に長足の進歩をした。8年前にはいわゆる「美味しいもの」がなかった。やっと見付けたイタリアンでまずまず安心した記憶がある。

 しかし今回はどこでも(これが重要です)安心して食べられたし、モンゴル最終日の夕食に行ったBluemon Center(ハンガリー大使館も入っている)のThe Bull Hotpot Restaurantはとっても美味しい「しゃぶしゃぶ屋さん」だった。羊、豚肉、牛から肉を選べ、辛いのからそうでもないものまで各種スープを選べる上に、IHで個々に鍋がセットされる。

 だから「皆でつつく」日本の鍋のそれではないが、それはそれで各人が別々のスープを選んで少しずつ他の人のをもらえばok。正直、目の前で火が通るのを見ながら食べるので安心だし、味もたれを加減しながらとっても良かった。アイスクリームが甘すぎること以外は合格。だから「ウランバートルの食のレベルはただ今急速に向上中」と判断しました。  次は「買い物」です。これも良くなっている。ちょっとした空き時間にモンゴルではモールやデパートの建設が進む今年の5月に出来たばかりというHunnu Mallにバッドムーフ夫妻に連れて行ってもらいました。二人とも初めてだというので。モールの三分の一はまだ埋まっていませんでしたが、「土日は人出が凄い」とのこと。

 並んでいる商品を見ると、カシミアの衣料品や家具、おもちゃ、ちょっとしたレストランなどなど色々揃っている。シネコンもあって、日本で上映されているのと同じハリウッド映画が一杯ありました。そこだけではなくて、ウランバートルの市内にはあちこちに「スーパー」「モール」という文字を見付けました。ルイビトンや、あと一つカルチエだったかな、ブランドショップも見掛けました。

恐竜はモンゴルでは身近です このモールが面白いのは、モンゴルは特に南部が恐竜の化石が大量に見つかる場所で、例えば名古屋で去年特別展「発掘!モンゴル大恐竜展」が開かれたようですが、建物の一角に「恐竜の常設展」があること

 だいたいが、モールの一階の中央に大きな恐竜の化石を組み立てたものが3頭分展示されている。写真の通りです。だからこのモールは、多分一年後にはウランバートルでも結構な人気サイトになっている可能性がある。恐竜好きには外せない一角なのではないでしょうか。


2015年08月09日(日曜日)

 (12:05)昨日書いたようにモンゴル経済は成長の途上にある。そのパワーは頼もしい。しかしそれでもまだ「300万人経済」で、直ぐにシンガポールのような先進経済になりそうもないことを考えると、私のような日本人からすると依然としてモンゴルは「英雄達とエーデルワイスの国」かな。

国会議事堂に鎮座するチンギスハーン 「英雄達の国」というのはお分かりでしょう。モンゴルの76人の議員の議場となっている市の中心部にある国会議事堂。ど真ん中に鎮座するのがチンギスハーン。この銅像はでかい。びっくりするほど。その前に戦士が二人馬に乗っていて、二人をよく見ると武具がかなり違う。

モンゴルでは群生するエーデルワイス チンギスハーから30メートルくらい左に行った建物の左端にいるのがフビライハーンです。モンゴル帝国第五代ハーン、後の元王朝の初代皇帝。大きいが、チンギスハーンほど雄大ではないし、ちょっと柱がじゃまでよく見えないようになっている。いや、そうしたのかもしれない。

 対極の右端に鎮座するのはオゴタイハーンです。モンゴル帝国の第2代皇帝。つまり数百年も前に生きていた人達がまだ一番偉い国なのです。チンギスハーンは空港の名前から他のホテル、ビルなどあらゆるものに使われている。広場の真ん中にやっと中国との20世紀の戦いで独立を勝ち取った英雄がいる。

 面白かったのは、モンゴルでは英雄的民族や英雄の名前がモールにまで使われているということです。昨日紹介したHunnu MallのHunnuは少し繰り返し発音していると分かるのですが、「フン族」の「フン」から来ている。どうりで「Hungary」の頭に似ている。ハンガリーとフィンランドは今でも「フン族の末裔達の国」と思われていますから。モールの中には「アッティラ」(フン族の大王)という懐かしい名前もありました。

本当に高貴で白い これは私の全くの印象なのですが、モンゴル高原にいると「人間が生態系の頂点だ」と強く思う。だって人間が見渡せる世界が広がっている。木は少なく低く、遠くまで見えるのがモンゴル高原です。明治神宮では木があまりにも大きく、人間が小さく見える。対照的です。

 その高原で人間を睥睨しながら飛ぶのは鷲です。多分昔のモンゴル人は自分達の上を飛び、行きたいところにあっというまに行ける鷲・鷹に憧れた。だからモンゴル相撲の勝者は鷲の踊りをする。まねると言うことはそれに憧れている、ということです。

 しかし鷲は人間に指図しない。独自の世界で生きている。多分冬は厳しいがそれでも羊や馬や牛を使いこなすのは人間で、人間が一番偉い。モンゴル人を見ていると実に堂々としている。それは環境もあるのかも知れない。

サングラス3人組 多分日本人はちょっと違う感覚を持つ。自分より偉いものはいくらでもあると思っている。「おかげさまで」というのはそういう意味でしょう。モンゴル人は多分違う。自分が従うのは人間のトップであるハーンだけだと。だから「横綱」がモンゴル人に横取りされた ? ははは、ちょっとそんなこともモンゴルで思っていました。

 ではなぜモンゴルが「エーデルワイスの国」か。この花を調べると「ピレネー、アルプス原産の、きく科の多年生高山植物。夏、白い小さな花が咲く。西洋うすゆきそう」といった説明が出てくる。我々の知識としても「ヨーロッパの山の花」という記憶がある。しかし実際にはもうヨーロッパにはほとんどない。「あっても、知っている人は他の人に教えない」(稲村さん)と。

 しかしエーデルワイスをもう一度調べて、例えばこのサイトを見ると、「原産地:ユーラシア大陸山岳地帯」とあって、「とすれば、モンゴルにあっても当然」ということになる。

 モンゴルには今でもこのエーデルワイスが山ほどあって、我々のゲルの近くには群生地までありました。「石灰岩地帯や岩の割れ目、草原に自生します」と書いてある。ドイツ語で「高貴な白」という意味のエーデルワイス。けなげな実物を見たかったら、ヨーロッパではなく迷うことなくモンゴルのテレルジ国立公園内のゲルに泊まった方が良い。
ycaster 2000/12/03)



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