Essay

<東京マラソン2016 初フルマラソンを完走-Cyberchat>

 「時間はかかりましたが完走できたことはやはり嬉しい」というのが実感でしょうか。この文章を書いている翌日になっても体は痛い。しかし満足感はある。「やってみたら出来た」という。

2月25日の受付開始日の午後 ここ2年ほど断続的ではありますが、ずっとランニングはしていました。皇居を一周し2016東京マラソンのコースたり、去年の下半期には時に2周したり。はてまた明治神宮に行ったり。体調を整える為でもありますが、もう一つの狙いは「朝はシャッターチャンスが多い」ということです。写真は瞬間を切り取るものですが、特に風景などの写真は「その一瞬」しかない。直ぐにその景色は消える。だからチャンスを求めて動くしかないのです。

 写真は良いのが撮れるとフェースブックなどに投げていましたが、ランニングの表現のチャンスはなかった。しかし考えたらフルマラソンに出るという手があると気がついた。一年前くらいですかね。諏訪湖を従姉妹(フルマラソンを3時間台で走る)と一緒に一周16キロを何とか完走できたことで"妄想"が生まれた。無論彼女はゆっくり走ってくれましたよ。フルマラソンは16キロの3倍弱あって無謀なんですがね。出場を決めたのは2016東京マラソンの募集が始まったとき。「完走できれば良い」がスタートでした。友人と二人で「やろう」となった。

 なにせ東京マラソンは緩い。足切りは6時間50分くらい。「半分走れば足切りには遭遇しない」という読みもあった。未知の20キロからの先が心配だったのです。「30キロからは異次元」という数多の経験者の言葉もあった。ははは。でも実際に最後の「L」グループ(スタートがそもそも30分遅れ)だったので、品川とか浅草など「折り返し点」では、私が折り返してちょっと走っていると、道の反対側に黄色いハトバスが2台。その前には大会車とか警察車両とか。早くも脱落の走者を拾っているのが見えた。およよ、という感じ。あれに拾われるのだけはやめよう....と。後でラップを見たら、25キロくらいまで走っている。その後がやはり歩きが入ってしまった。「足切りにはならない」と確信した段階でちょっとへたったな。

 スタートが先頭組よりも30分遅れたこともあって、私は「回収車との余裕は30分余しかない」という状況でずっと走っていた。危なかったな。でも写真を撮る余裕はあった。余裕がなかったのは、「あいつはどんな感じて走るのだろう」と沿道に来てくれた何人もの知り合いの方々に挨拶できなかった。それが残念。キャップをかぶってサングラスをしていたし、ハデな仮装をしていなかったので目に付きにくかったのかも知れない。そもそも走者がダンゴになっているセクターでしたから。応援に来て下さった皆さん、失礼しました。そしてありがとうございました。

ヘッドソックス 一回しかフルマラソンしてないのに偉そうなことは何も言えないのですが、難しかったのはウエアかな。東京マラソンは2月の最終日曜日。つまり寒い。しかし2016年のように日中が暖かくなるケースもある。3月が近いので。で、私のように5時間以上かかる選手は「朝(新宿)が寒く 昼(銀座)は暑く 午後2時半過ぎ(台場)はまた寒い」という状況。私は品川の折り返し点の近くでウエアの一枚をお店(私のことを知っている)に預けたが、台場では寒くなった。だから難しいのです。

finish近く。ちょっとおどけて ただし持って行って良かったものもある。首が寒いだろうと思って2016年の正月にオーストラリア(アボリジニの方々の店だったと思う)で買ったヘッドソックス(写真)がそれ。とっても役立った。最初は首に巻いていたが、暑くなって取って手に巻いたら汗ふきになった。その使い方は師匠から聞いた。なんと驚いたことに、当日の「L」待合場所で私はランニングの師匠である牧野 仁さんとばったり遭遇。師匠はこのヘッドソックスを二つ持っていた。一つは手に巻き、そして一つは首に巻き。

 あとは「機能性タイツ」かな。実は東京マラソンの2週間ほど前からちょっと右膝にひっかかりが出ていた。なんとかならないかと思っていたら、「機能性タイツが良い」と教えてくれた人がいた。確かに27日にはいて移動してみたら、足が楽だった。ぶっつけ本番でしたが、普段は履かないこのタイツをはいて出たら、ずっと足が痛くならずに時間内にフィニッシュラインに入れた。うーん、やっぱり役立ったのだと思う。以下の文章は、その日その日に書いたものです。


2016年01月11日(月曜日)

 (09:40)そうだそうだこの人だ....。

 ある人の勧めで今朝8時ちょうどにFM東京前(半蔵門)待ち合わせて1時間プロの「走り方準備・実施教室」の授業を受けたのです。今まで言ってみれば自己流でしたが、靴の履き方から始まって。

 「牧野さん」というのは知っていましたが、それがどんな人か分からなかった。1時間かけて皇居一周のコーチングを終え、家に帰って「牧野 ランニング」で検索したら、牧野さんのフェースブックのサイトも出てきて、動画もあまた。

 朝一ですが、私のに比べてどえらく良い靴を彼が履いていたので、「その靴は良い靴ですね」と言ったら、「メーカーが送ってくるケースもありますし....」と。私は「.....なるほど。ITアナリストが事前にiPhoneをチェックできるようなものですね....」と。私の所には本が時々。その時から「ただ者ではない...」印象。

 確かに教え方は上手だった。ご自身ではフルマラソン3時間を切ったことはないらしいし、私よりもかなり厚着の方でしたが、「ああ、そうなんだ」と気が付くことが一杯あった。

 うーん、靴の履き方から、ストレッチの重要性、走っている時の姿勢、深呼吸の仕方、リズムの取り方などなど。あと「歩くように走り始める」というのも役立った。驚いたのは本番では「トイレの前に人がかなり並ぶ」「場合によっては30分もかかる」だったかな。それは予想していなかった。

 あとはペットボトルの持ち込み禁止かな。去年はそうだったらしい。今年の要項は今月末くらいに送られてくるらしい。なんでもそうですが、他人の意見を聞くというのは役立つ。朝の1時間に付き合ってくれた彼に感謝。


2016年02月27日(土曜日)

 (22:40)「さあ、行くぞ」と言うほどでもないのですが、「いよいよ明日か....」と。東京マラソンです。

 土曜日は午前中に一つ300人強の講演会があって、そこで1時間弱講師をしていたのですが、講演場所が東銀座だった。自分で運転して車で行ったのですが、

 「明日はまたこの近くを通過するのか」
 「(願わくば)走って」

 と。ははは。いい天気らしいので楽しめそうなんですが。結構準備があるんですが、細かい準備を始めたのは講演会終了後の午後になって。タグを靴に付けたり。

 朝が寒くて(4度前後 集合からスタートまで寒空を一時間くらい待たされるらしい)、日中は14度くらいになるとの天気予報。この寒暖の差が一つの考えどころ。着るものです。どうすりゃいいんだよって感じ。

 さらにあまり荷物は持ちたくない。というか、出来たら朝行った格好で最後まで行けたら良いと思っているのですが、なにせ初めてなので分からんことも多い。まあどうにかなるっしょ。

 何があろうと、そうは言っても東京の道ですから様子が分かった道が多い。楽しむっきゃない。知り合いにも走る人は結構居るのですが、スタート地点が違っているので会えるかどうかも不明。なにせ3万6500人。事前にミートポイントを決める程の腕前(?)でもない。

 ありがたいことに色々な方が「こうすれば」とアドバイスしてくれて、それはとっても役立っている。また「あの辺で私ボランティアしているので....」とか、「あの辺で見てまっせ」とも何人かの方に言われているのですが、うまくいくかどうか。

 何時間かかるのかも不明。その前にフィニッシュまでたどり着けるかも不明。でもま、足切りは6時間50分かな。結構たっぷりある。ゼッケンを付ける上を決めて、とっとと寝よう。


2016年02月29日(月曜日)

 (06:40)私の東京マラソン初参加 初フルマラソンの成績は「6時間14分 26154位」だそうです。36500人の参加なので、まだ私より遅い人が1万人も。それが驚き。

完走者メダル、タオル、そしてゼッケン うーん、ちょっと不満かな。うまく行けば「5時間ちょっと」とか捕らぬ狸でしたが、そうは行かない。あまりにも多くの人に「30キロ過ぎは異次元」とか言われて、「それじゃ30キロからむしろ走ってやろう」と思って20キロ台を大きく抑えたのが(半分歩いてました)良くなかった...とかいっちゃって。

 30キロ過ぎに「よし走ってやろう」と思ったのですが、そうは体が動いてくれなかった。でもかなり走る努力はしましたし、実際に5キロくらいは走ったかな。でもこれまで諏訪湖一周しかしたことがない、つまり連続16キロしか走ったことがないのだから、足切りにも会わずにフィニッシュラインまで完全・安全通過したということで満足します。はい。

 朝は寒く、走っている日中は暑く、そして到着したお台場ではまた寒く、という日曜日。終わって今はまだ体がとっても痛い。私は一番遅い「L」グループの出発だったので、実際に新宿西口の出発地点を通過したのは9時35分。ずっと天気が良かった。最初、つまり浅草に向かう前の銀座が一番暑かったかな。走りながら思ったのは

  1. ボランティアの人が大勢いらっしていて、自分の担当の仕事を見事にこなしていたし、それ以外にも本当に最後まで声をからし、ランナーとのタッチの為に片手を出して気持ち良く応援してくれたこと。お掃除隊の清掃能力が素晴らしかった。今年で10回目だそうでうが良い大会になった

    師匠の牧野さんとバッタリ スタートの前に

  2. 沿道の人達が声をからし、アメやチョコレートを用意し、道路を占拠してご迷惑だろうに暖かく応援してくれたこと。特に子供達の声援の声が響いて心地よかったこと。「定着したスポーツイベントになった」と実感出来たこと

  3. マラソン参加者でも沿道でもとっても台湾の方々が多かったこと。「ありがとう日本」とか「台湾から来ました。初マラソンです。応援して下さい」といって背中ゼッケンをした走者が多く、沿道でも台湾の人々の走者全般に対する応援は凄まじかった

 さっき見たら月曜日はなんだか台湾はお休みと出ている。そうか、台湾の人達は思う存分東京マラソンを楽しめたんだ。でもなんか「別枠」があるのではないかと思うほど台湾の人達が多かった。

finish line 道すがら for what ?という印象はずっとしていましたよ。つまり「何の為に」と言う。走っている時は結構退屈だし、決して楽ではない。でもまあ私は「just for fun」というのが実際で、「走ってみたかった」「出来るかどうか試してみた」というに尽きる。

その日の私の運動量は凄かった アップル・ウォッチから しかし代償が大きかった人は多かったようです。25キロを過ぎた当たりから、片足を引きずったり、道路の分離帯で止まって屈伸運動をする人が増えた。しかしそれでも彼等はまた走るんですよね。私はそこまで体のどこも痛くはならずに30キロ過ぎからは走ったり、歩いたりを繰り返しましたが、フィニッシュしてからの足の痛みは尋常ではなかった。

 ビックリしたのは、走り終わってアップルウォッチで「本日の運動量」を見たら3138カロリーを消化し、歩数は62210歩、そして総移動距離は60.71キロでした。スタートの前も出発エリアへの移動で随分と歩かされましたから。ウォッチの表示があれだけグングン回転するのは初めて見た。そりゃ足くらい痛くなる。その後もお台場から電車移動で、最終的には日曜日の運動量は「3267カロリー、66460歩、63.85キロ」でした。

 スタート時点で私の走りの師匠である牧野さんと偶然会った。びっくり。あの多人数の中で。彼は大和証券グループを率いていました。ところで、来年の東京マラソンは2月26日日曜日の開催だそうです


2016年02月29日(月曜日)

 (18:40)午前中はちょっときつかったが、午後になってほぼ通常通り体が動くようになったので、「よし、温泉とマッサージだ」と思って昨日に続きまたまた台場に来ています。大江戸温泉

 都内のサウナでも良かったのですが、何せ大江戸温泉は規模が大きい。スタッフも沢山いて、待たずに直ぐに出来そう。さらにマラソンのフィニッシュがそこだったこともある。品川の折り返し点の近くのお店に預けもの(暑かったので抜いて預けた)をしていたので、それも取りに。

月曜日は休みで良かった ややずれるが、台場に向かう通り道。当然ながら自分が昨日通った道の上を今度は車で通った。あまり「ここを走った」という実感はない。景色が全く違うので。昨日は人の波、今日は閑散。痕跡すらない。よく片付けたものです。

 諏訪湖を一緒に走った従姉妹の勧めもあって、ゆっくり温泉に入ると同時に、かなり時間をかけてマッサージをしました。しながら「体が直ぐ動くようになったのは日頃の鍛錬のおかげ ?」とか考える一方で、次のような事に気が付きました。

  • 考えてみたら昨日は1センチも土の上を走らなかった。ずっとコンクリートかアスファルト。あまり良い気分ではなかった。何せ、東京の道路は交通量が多い。特にトラックが通る中のレーンは荒れている。ところどころ掘れている(これは車で走っても分かる)

  • なのでごく時々ですが危うく靴が引っかかりそうになる。下が固いので、多分ランナーの多くが膝に問題を抱えたのはそれもある。私は皇居一周をするときでも、例えば代官町などでは上の土手の土の道が好き

  • そういう意味もあって、今後走るんだったらテーマがあるランがいいな、しかも土の上を走る部分がある

  • そこで思い出したのが鯖街道マラソンです。これにはウルトラ(77キロ)と38キロがある。ははは、ただ思っているだけですが、鯖街道は面白そうだ。途中で鯖寿司を食べる手もある

 それにしても大江戸温泉の外国人比率はめっちゃ高い。改めて思った。私が入った前後はコーカシアンの大行列。男も女も。帰る頃はアジアンの数が多い。これは温泉の担当者に聞いたが、「今日は外国人比率が7割くらいですか」と。

 ははは。良い事です。湯船ではタオルを頭の上に皆乗せて、結構マナーも良い。

ycaster 2016/02/29)



ALL RIGHTS ARE RESERVED.Copyright(c)1996~2020 伊藤 洋一