(23:30)東京は猛暑続きで悪いような気がするが、ラサ は言ってみれば夏の間は「エアコンシティー」です。これは、インドのIT都市であるバンガロール(今のバンガルール)に付けられた名前ですが、私は一日ここで過ごして直ぐに、「ここももう一つのエアコンシティーだ」と思った。
ホテルの部屋に入ったとき、エアコンががんがん入っていた。設定温度は19度だった。23とか24に上げようとしたが、21度以上には上がらない。ホテル全体の設定がそうなっているそうだ。「そうだ切ってしまえ」と思って切ったら、その後快適になった。それ以来、ホテルの部屋でエアコンは使ってない。夏でも最高気温はせいぜい22度程度。夜は10度前後。夏は「エアコン」具有の街でしょ。しかし冬は寒いらしい。雪は積もらない。紫外線が強くて直ぐ解けるという。
ラサは日中外に出ると日差しが強い。ちょっとの時間でも焼ける。空気は爽やかだが、日差しがあるところは熱い。それが普通のラサですが、9月03日は起きたら雨だった。日中の雨は極めて希だそうだ。
こうした中、市内観光で行ったのは
まずポタラ宮だが、日本に伝わっていない一番重要な情報は、前庭に作っている博物館が完成すれば、今のようにポタラ宮に入ることは出来なくなるという点だ。つまり、今後2~3年でポタラ宮は実質的に閉鎖されるということだ。見たい人は急いだ方が良い。大量の観光客を入れると城が傷むということと、かつてチベットの政治・宗教の中心だったこの宮殿を博物館化してしまおうという中国政府の意向もあるのだろう。日本で販売されている観光案内所にも書いてあるが、ポタラ宮はもともと「観音菩薩の住む場所」の意味で、よってその化身であるダライ・ラマの住む場所、つまりチベットの政治・宗教の中心地だった。しかし現ダライ・ラマ14世が亡命に追い込まれて以降は、中国中央政府の監視下に置かれていて、博物館下への道を歩んでいるとされる。
その行き着く先にポタラ宮の閉鎖と前庭への宮殿文物の移管、博物館建設があると思われる。今でも公開されている部屋は、全部で999あると言われている宮殿のごく一部だが、それでも城の中の見学は迫力がある。歴代ダライ・ラマの霊廟などもあり、それが今後見れなくなると言うのは、極めて残念なことだ。
この「宮殿」を観光客の一人として正面からつらつら見て判ることは、「この宮殿は事前に設計図を書いて建設していったのではなく、もともとの建物を継ぎ足していったら現在の形になった」ということだ。下から見ると極めて荘厳だが、実際には酷く左右が非対称なのです。そして出来上がったのは、「きっとダライ・ラマも迷っただろう」と思われる複雑な内部構造の建物だ。
もう一つ書いておかねばならない事がある。それは階段を上がって城の中に入るのだが、それが高山病の後遺症に悩む人には非常に辛い、ということだ。日本から観光に訪れる人には事前に警告しておきたい。私は他の人に手を貸すほど余裕があったが、何人かは本当に踊り場で休み休みでしか上がれなかった。苦しそうだった。
最初は全部で階段が何段あるか数えようと思っていたが、上がるのに難渋している方々に手を貸していたら数えるのを忘れた。多分350段くらいはある。海抜3600メートルのサラ市内から一番上では160メートルくらい上がる。建設された歴史的経緯などは、案内書やネットのサイトを読んで頂きたいが、一つ思ったのは「人間の余剰生産力とは凄まじい」ということだ。
ジョカン寺に行き、さらにそれを取り巻く八画街を歩いて判ったことは二つだ。
一団で寺の前を歩いていた時の事です。実際には映っていなかったのだが、もし兵士が映っていたら”削除”を要求されるのだそうだ。その場面をカメラに収めるわけにもいかないので写真はないが、「そこまでやらなくても」と思った。
実際に50メートル置きくらいに兵士の集団がいる。通りを見渡せるビルの上にも。ヘルメットをかぶり、迷彩服を着て、そしてほぼ例外なく迷彩服の兵士はサングラスをしている。顔を隠すためだろうか。
ジョカン寺はチベットの人々が一番厚い信仰を集める場所、心情が純化する場所だからか。しかし、これは長い目で見ればチベットの人々の気持ちを傷つけると考えた。あれは凄まじい威圧だ。観光客である我々も強い嫌悪感を抱く。
青海チベット鉄道の車窓からも五体投地で聖地を目指す人々を見かけましたが、私が見た限りジョカン寺が一番多かった。子供達も五体投地をしている。見よう見まねで。仏教の一番正式な、きちんとしたお祈りの方法。私もブータンでは三回やってみた。今回はスペースもなくやらなかった。
ジョカン寺の彼方此方には、延々と五体投地(グーグルで画像検索して頂ければと思います。凄まじい絵が出てくる)を繰り返す人々がいる。彼等は真剣だ。顔を見れば判る。来世を祈る人が多いという。通常は108回と言われているそうだが、聞くと「気が済むまで続ける」とも。しばし見とれてしまう光景だ。
チベットに行くに当たって聞いていたのは、「とにかく臭いが酷い」ということだ。ポタラ宮もジョカン寺も。確かにジョカン寺にはマスクをした人もいた。蝋燭をともし続けるのにバターなどを使ったりするので、いろいろな臭いが確かに混ざっている。チベット人自身もあまり風呂に入らないと聞いた。しかし、たまたまかもしれないが、私は街や観光スポットでそれほど臭いが強いと感じたことはなかった。そもそも、臭いに直面するのも彼の地を理解する一つの方法だと考えている。
この日の最後に面白い話しを。メンバーが買い物をしている間の土産物店で、そこのマネージャーや店員と私の三人で話しをしていたときだ。お互いにつたない英語で喋っていたら、突然マネージャーがチベット語と中国語が両方印刷してある新聞(8ページくらいしかなかった)を持ってきて、「日本の政治はどうなっているのか」と。その写真では、菅、小沢の両氏が頭を下げている。
私が日本人だと判っているのでこの話題を持ち出したのだろうが、彼が「トップが3ヶ月で変わる国は珍しいですね」と。こっちは、「いやまあ決まったわけではない」としばし日本の政治論議。チベット人も関心を持つ日本の政治の混迷。世界中の人が見ているんだ、と。そう言えば、イタリアの印象も首相がころころ替わったときくらいに定まった。
「商売はどうだ」と聞くと、「悪い、ダメだ」と。「なぜ。暴動のせい」と私が聞くと二人は顔を見合わせて、「世界的な景気後退、リーマン.....」と説明した後、「special situation もあったし」と。この「特殊事情」がラサの暴動を指すことは明らかだが、そうは表現しない。あの暴動は、当然だがラサに住む人々には凄くセンシティブな問題なんだと判る。
暴動以後1年間のラサでは、むろん商売は上がったり。観光客も来なかったから。「観光と農業」のラサには痛い。酷いのはその一年間は五体投地も禁止されたというのだ。チベットの人々の命なのに。