Essay

<Field of Dreams(夢の舞台)-Cyberchat>

 野球大好き人間で、実際に中学校まではずっと野球を続けていたし(高校には野球部がなかった)、たった一人の子供が甲子園を目指して合宿所生活をしている筆者にとって、野球場は実際にこの映画の題名のごとく「Field of Dreams」なのです。ヤンキースタジアム初見参のICHIRO

 2000年、そして2001年になってもっと、私にとっても、そして大部分の日本人にとっても、「Field of Dreams」は間違いなく海外にその場を広めた。しかもその「場」は強力な磁力をもって、我々日本人を引き寄せ続けてくれている。

 日本の野球が不振なのは既に良く知られている。視聴率である。日本テレビで好調とは言えなかった昨年に比べて平均5%近く落ちているらしい。サッカーがある来年はもっと落ちる。これは間違いない。

 当然な面がある。人間は目新しいものに惹かれる。大リーグは日本の野球より昔からあったが、日本の大部分の野球ファンにとっては「目新しい」。選手の名前を覚えるのでさえ、エキサイティングなのだ。

 例えば、マリナーズのショートストップの「Guillen」を日本人で最初から読み方を知っていて、正確に発音できる人は少なかっただろう。私もそうでした。へえ、「ギーエン」って読むのか、と。それだけで、スリリングである。

 ベース間を転がるように走るエドガー・マルチネスの姿は親しみが沸くし、オルルードといういかにもいかにもの米大リーグ4番打者に似つかわしくない選手の風貌と体型も、我々には新鮮で興味を惹かれる。つまり、少なくともICHIROの一年目の大リーグは、日本の野球ファンにとっても「o(^ー^)oワクワク」なのである。だから筆者は、日本における大リーグ野球人気は少なくとも今年一年は続くと思っている。来年また誰か日本の人気選手が行ったら、まだ大リーグ人気は日本で続く。静寂の中で

 これはナショナリズムだろうか。日本人である我々がICHIROがヒットを打ったときに感じる快感は、確かにその種のものが入り交じっていると思う。それを否定する必要はない。人間が動物である以上、生まれた場所に、そこに一緒に生きた同僚に強い愛着を持つのは当然である。日本人はICHIRO大好き、佐々木大好きでまったく問題ないのである。
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  アメリカのテレビのアナウンサーがICHIROに使った言葉で思い出すものはいくつもある。「a laser beam strike from ICHIRO......」(3塁に向かった走者を刺した送球に対して)「He has wings on his feet.....」(5月末現在で20本も内野安打を打っているイチローの足に対して)などなど。レーザービームのスローイングだったり、羽が生えた足だったり。ナイスですね。たった一人の人間の持つ魅力が、球界全体を凌駕する痛快さ。

 今大リーグに行っているICHIROや佐々木は、アメリカで生活する日本人にとっても、「夢の舞台の住人達」であるようです。先日出版社の友人と食事をしていたら、ニューヨークの紀伊国屋など日本書店に置いてある日本のスポーツ雑誌が、めちゃ売れるのだそうです。そこには、アメリカの新聞で見た日本人選手の活躍をもう一度日本語の雑誌で確認している海外在住日本人の姿が見える。

 ニューヨークにいる友人達からは、いろいろな情報が届きます。実際に球場に足を運んだ機会に撮った写真を送ってくれる人、大リーグの解説をしてくれる人。一つ一つの情報が楽しい。これだけ情報社会になっても、やはり一人一人の人間が作り出す個別の情報は楽しい。

 ニューヨークに居て球場に足繁く通っているのは佐々木君です。このページに掲載した写真はすべて、彼がニューヨークのヤンキースタジアムだったり、シェーだったりするのですが、実際に球場に行って彼が撮影したもの。僕はこの白黒の佐々木がセットしてこれから投球動作に入る直前の写真が何故か好きですね。

 新庄は面白いやつです。なぜ面白いか。彼のお母さんが文藝春秋に彼をどうやって育てたか書いてあってこれがメチャ面白い。「褒めて、褒めて、褒めて.....」育てた子供だと言うのです。成績はいつも1か2。全く気にしない。野球一筋。お父さんもプロ野球選手を目指したが、病気をして諦めた。「新庄には、コーチはいらんぞ」という阪神の選手のコメントが面白かった。メッツのファン雑誌の表紙になった新庄

 「新庄シェイ現る」という写真は、新庄がメッツのファン雑誌の表紙になった時のもの。スキャナーで読み取った。お母さんはいう、「失敗したら、植木屋さんでもタクシーの運転手でも・・・・・」と。まあお母さん、そんなこと心配せんと。彼はしばらくは、モデルで十分食べられる。俳優にしたらおもろいでしょうな。ニュースステーションに出て、その最後の言葉が「クメッチ」というのも、意味不明だったが面白かった。ワハハハハハ (^O^)
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  佐々木君とは別の、ニューヨークの熱烈な野球ファンである三浦君は以下の文章をメールでくれました。前半のイチローの記録の部分は日本でも結構報道されて騒がれていますが、後半のサヨナラの部分は知りませんでした。そのまま掲載しましょう。何を話すICHIROとカズ

 帰国準備でてんやわんやしていますが、忙中閑あり、気分転換で調べました。イチローが今のペースで打ち続けると年間安打数は273本(257本)、年間打席数は756打席(705打席)、年間得点は151点(192点)です。カッコ内は大リーグ記録です。

 史上最多年間打席はゆうゆう達成、史上最多の年間安打も濃厚、年間総得点はちょっと無理かというところです。現在の年間安打数記録は1920年の数字ですから、これを書き換えるとなると大変なことです。第二次大戦後に限れば年間最多安打数は240本。 242本でも歴代ベスト10に入ります。

 9月になってこの記録がクローズアップされるようになると日本中えらい騒ぎになるのでしょうね。私の世代では王選手の756本目のフィーバーをよく覚えていますが、イチローの258本目はそんなレベルでは済まないかもしれませんね。最多内野安打というのがあれば文句無しに大リーグ記録を作るでしょうが残念ながら内野安打というカテゴリーは記録に残らないそうです。

 知ったかぶりついでに余談をひとつ。ベーブ・ルースの生涯ホームラン本数は今の基準では714本ではありません。714本以上です。昔はサヨナラで勝負がついた場合、勝ち越し点までしかカウントしないのでホームランでも安打と記録されることがありました。

 例えば1点差で負けている状況でサヨナラの3ランホームランを打った場合は走者2名がホームインした段階でゲームオーバーとなり、ホームランは2塁打または安打と記録されたそうです。何を思うスズキ君

 勝敗がつけば個人記録はどうでもよいという大リーグの伝統は今でもあって、99年のナ・リーグ優勝決定戦でMetsのVenturaがサヨナラ満塁ホールランを打った時、1塁を回ったところでチームメートの祝福に囲まれ立ち往生、そのままゲームオーバーとなりました。従って公式記録はシングルヒット。インタビューで満塁ホームランという記録を失っていいのかと聞かれ、そんなのどうでも良いんですよと明るい表情で語っていたのが印象的でした。

 ヤンキースタジアムのリトグラフヤンキースがユニフォームの背中に選手名を表示させないのもチームの前に個人は問題ではないという伝統を重んじているからです。ですからイチローの個人記録に拘るのは野球の楽しみ方としては邪道なのでしょうね。彼がチームの勝利にどれだけ貢献しているかだけで良いのでしょう。

  なるほど。「ヤンキースがユニフォームの背中に選手名を表示させないのもチームの前に個人は問題ではないという伝統を重んじているからです」というのは、そういう事だったのですか。今のアメリカの大リーグの中では、選手名を記さないチームが......レッドソックスでしたっけ、あといくつかあったような気がしました。
ycaster 2001/06/02)

 2003年の1月29日。ヤンキースに移籍した直後の松井選手のインタビューに同席することが出来ました。インタビューアーは私ではなく、ビューアーに帯同という全くの野次馬見学だったのですが、最初から最後まで彼のインタビューを聞き入っていました。

 第一印象は、「大きい」です。写真を見ていただければ良いのですが、私より20センチ以上も頭が出ている。よって顔も大きい。次に受けた印象は、「真面目」でした。なにせこの日は、全部で40社近くのインタビューを受けたらしい。ロイヤルパークのいくつかの部屋を取って、それを渡りながらインタビューを受けていた。ホテルの下の喫茶店は、まるでマスコミ人の巣のようになっていた。

 だから、彼はすっごく疲れたに違いない。しかし、私が見ていた印象を言うと、一つ一つの社のインタビューに実に丁寧に答えていた。それがまた「またこれか」という印象も与えずに。あれだけのスターになりながら、純朴さを残している。

 ニューヨークのどこに住むかは公表していない。ニューヨークに4年もいた私としては、「たぶんセントラルパークサウスのどこかだろうな」と思っているのですが。ニューヨークは松井に合っているかもしれない。ワイルドで、前向きな人間に合う街です。

 彼はどのくらい活躍できるでしょうか。以前でしたが、彼の入団以来の成績をしばらく分析していたことがありました。気づいたのは、「着実に力を付けている」ということです。タイトルもこの数年で着実に取るようになっている。だから、ニューヨークという場の変化をうまくこなせれば、彼は活躍すること間違いない。

 「場」とは食事であり、言葉であり、そして人との付き合いです。各社は少なくともキャンプからシーズンの当初は松井番をニューヨークに置くらしい。知り合いの記者がいっぱいいるから、松井もそういう意味では話し相手には苦労しない。しかし、家の中ではどうでしょうか。だから、私は松井も嫁さんを連れて行けば良いと思っていた。どうもそのつもりはないようだ。

 食事は。ニューヨークには日本レストランがヤマほどある。そういう意味では、苦労はしないかもしれない。しかし、外食だけで栄養のバランスが取れるのか。ここでも嫁さんの必要を感じる。言葉は。まだほとんど取り組んでいないそうで、「今後の話」と。

 まあ大丈夫でしょう。4月29日には、マリナーズとの最初の対戦がある。たぶん、それまでに順調にいっていれば、彼は出てくる。イチローやハセガワ、佐々木との対戦です。良い試合を期待し、行けたら行きたい。

 なお、写真を正面から見て、左は遠藤泰子さん、私と松井の間にいるのは、TBSラジオの私の担当の矢田さん。松井のファンです。(2003/01/29) 

 「日米野球で成績が出なくて、ある意味でたたきのめされてよかった。安易な自信は、邪魔になるだけです。そういう世界に行くんですから。」(2003年2月11日の朝日新聞に掲載された松井の言葉)