Essay

<収録後記―エネルギー(9月1日)>

放映日=9月1日(日)テレビ東京午前9時、日経サテライト午後5時

ゲスト=渡井 康之・三菱総合研究所産業戦略研究センター産業政策部長

「石油は有限」とばかり思いこんでいました。「あと、20年」とか「化石燃料の時代の終焉は近い」とか。しかし、そうではないようです。ゲストの渡井さんは、可採埋蔵量からみて、「現時点でもあと70年はまったっく大丈夫」とおっしゃる。しかも、技術革新が進み、新しい油田が発見される度にそれは先に延びるだそうです。ですから、実際にはほぼ無限にある、と。

 今回の番組で一番驚いたのは、この点でしょうか。誰が「有限」「あと何年」と言ってきたのか。実は日本では誰も調べたわけではなかったのだそうです。石油メジャーが言っている、産油国が言っている、と。つまり他人頼みだった。皆それを信じていた。そして日本では誰も実際には調べなかった。しかし、考えてみればメジャーにしろ産油国にしろ、「石油は有限」「限界は近い」と言っていた方が有利な連中です。欧米の多くのマスコミも、こうした調査結果を実は80年代が終わるまで信じていたようです。

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  こうした石油有限説が見直されたのが、湾岸戦争。70年代、80年代の記憶から戦争勃発と同時に石油価格は一気に上昇しました。しかし、それも長続きしなかった。直ぐに落ちて、今の今までに至る価格安定期を形成している。「それは石油市場のマーケット化の中で、先物市場が有効に働いたからだ」と渡井さんはおっしゃいます。 

 どういうことかというと、湾岸戦争が発生したとき日本の「専門家達」の中には「原油価格は100ドルにも」と予想した人もいた。無論欧米の専門家の中にもその手のアラーミングな予想を出した人は居たようなのですが、需要家は違った。現物を手当する一方で、万が一下がるときのことを予想して、先物を売っておいたのだそうです。そしてそれが結局、価格の行き過ぎを押さえた。その後は、石油価格は100ドルに上がるどころか、逆に大幅に下がった。

 実は、70年代、80年代、そして90年代では石油市場の構造が大きく違うのだそうです。キャッチフレーズ的に言うと、

   70年代    メジャーと産油国の時代
    80年代    産油国と消費国の時代
    90年代    マーケットの時代

 70年代、80年代は日本にとっても、また多くの世界の石油消費国にとっても「安定供給」が最優先課題でした。だから石油会社は「長期契約」を結んだ。その結果は、「独占・安定・割高供給」の時代でした。それが「競争原理追求型」に変わり、「競争・安値供給」の時代に入った契機が、湾岸戦争だったと言います。日本でも着実に「エネルギー競争時代」に入りつつあります。特石法は今年3月末で切れて、スーパーでもガソリンが売れる。

 世界の石油市場が「競争原理追求型」になったのは、OPECの石油供給シェアが一時の65%程度から、最近では39.8%にまで低下してきていることが背景として大きい。つまり、ガリバーはいなくなった。どこも価格決定権を持たなくなったということです。色々なところから供給がある。イギリスのエガー・エネルギー相は、

 「エネルギー源の多様化や供給の安全は、今日も将来も問題ではない」

 と述べている。今までの我々のエネルギー観とは大きな格差がある。

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  「マーケットの時代」のエネルギーの特徴は、言うまでもなく価格が「市場」にゆだねられると言うことです。その市場には無論、「投機」も入ってくる。しかし恐らくその「マーケット価格」は、安定供給の名の下に石油会社が供給者(産油国など)と結ぶ長期契約価格より安いものになるでしょう。長期契約では、安値の時に買う自由はないわけですから。もし、ある国の石油市場の自由化が進み、長期契約価格の業者とマーケット調達の業者が競争するとしたら、それは恐らく「長期契約業者」の負けになるはずです。欧米のガソリン市場などでは既にこれが起こっている。

 「安定供給」がスローガンで「長期契約」を基本としてきた日本は、市場よりも「割高な原油を買わされていた」と渡井さんもビデオ出演された小野里さんも指摘します。それは、石油市場全般に対する見方の変更が遅かったのと、世界の石油市場の「マーケット化」に日本が着いていけなかったということでしょう。その結果は、割高な原油の購入と、それの消費者への転嫁だった。消費者もそれに甘んじた。実際の所、日本のガソリンを含めたエネルギー価格の割高は世界的にも有名でした。

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  石油については長期的には需要増の見通しが立ちます。インド、中国などが急速に工業化するなかで、重要は増える。しかし、渡井さんは「価格が上がれば、供給も増える」と指摘され、「多少価格は上がるが、それほど心配はないのでは」とおっしゃる。それよりも、日本の石油業者にとって適切なリスクヘッジの場が与えられることが必要だと言います。また小野里さんは、「ドバイ原油にしろ、向こうの言い値で買わされているのは問題」と指摘されます。

 何でもそうですが、マーケット化するとそこには理不尽な投機によって価格が急騰する危険性が生まれる、といいます。小野里さんもその危険性を指摘されていた。しかし、マーケットに長く携わってきた私の直感から言うと、「投機」は最後は臆病で、市場の大きな需給関係をねじ曲げることは出来ません。「投機」というと無鉄砲な連中のやることと思いがちですが、実は「損」と表裏一体ですから、彼らは勝てる勝負しか基本的には挑みません。ですから、需給の方向に沿って、それを先取りしようとします。需給そのものを変えようとすると、必ず市場に負ける。銀でコーナリング(買い占め)をしようとしたハント兄弟もそうでした。マーケットは、普通の人が考えている以上に、「合理的」なのです。

 石油に限らず、「マーケット化」が遅れている日本。マーケットは「不安定」のように見えます。しかし指摘した通り、実はマーケットは実に合理的です。あらゆるリスクが共存するが故に。しかも、何でもマーケット化すると対象商品は割安になります。「独占」の時代に比べて、供給元と供給量が増えるからです。「独占」は絶対的に割高です。事業体がコストを抱えても許される環境になるから。日本の原油市場やその他のエネルギー市場の「自由化」は、日本全体のコストに引き下げにつながる可能性もあるとみます。そのためには、ご両人の言うように「適切なリスクヘッジ市場」の利用、さらには創設が必要かも知れません。

   (ycaster 96/09/01)