Essay

<2004年・年初のインド(加速する成長、株高、貧困、そしてカオス)-Cyberchat>

 私にとってずっと「行ってみたい国」の筆頭だったインドに、2004年の年初の一週間行ってきました。1日午前のJALの「成田→デリー」の直行便に乗り、インド6日夕刻の帰り便で7日の早朝に日本に帰って来るという日程。デリーに入り、行った都市はタージ・マッハールのあるアグラ、ピンク・シティーのあるジャイプール、そして以前はボンベイと言っていたムンバイ。

ムンバイのデパートガール  観光もしたが、主目的ではなかった。中国を接近追尾して経済成長しているインドの現状、抱える問題点、成長のポテンシャル、投資チャンスなどを見るのが目標だった。その目的はある程度達成できた気がする。インドは、言ってみればカオスの中にある。凄まじい貧困がある一方で、大都市での高級デパートの出現など富が明らかに集積し始めた状況が見られる。まだ大衆消費社会には行かないが、一部で豊かな消費社会が生まれようとしている。

 近代化も急ピッチだ。アグラからジャイプールには車で移動したが、その決して良好とは言えない幹線道路の脇では、大勢の人が鍬をもって何かの敷設工事をしていた。何をしているのかと見ると、それは光ケーブルの敷設であった。インドを案内してくれたチャタルジーさんが、「工事をしている人達は、自分達が何を埋めているのか分からないでしょうね...」と。どう見ても、痩身の、貧しい人々の手になる工事だった。見事なコントラストで、今のインドを象徴する光景だと思った。

 このコーナーでは、筆者がインド滞在中に書き、その都度ネットに掲載したデイリーの文章をそのまま掲載すると同時に、帰国後に書いた同国の政治状況に関する文章などとともに総括する。今のインドの躍進は、98年にバジパイ政権が成立して以降のことだ。中国よりは近代化への着手は遙かに遅れた。しかし、その成長のペースとポテンシャルは高い。

 恐らく中国の成長が沿岸地方中心の「area-driven」だとすれば、インドのそれは「class-driven」だろう。インドの中でも、教育を子息に与えられる階級が成長のコアを形成し、インドの奇跡の原動力になっている。その階級の子息達がIT産業(今のインドでの一番人気)を中心に才能を発揮し、それ故に海外の資本が集まり、それが株高など富を国内に生み、その富がまた富を生む、産業を育て、教育を受けた人々を吸い寄せる、という経路。

 中国でも内陸部の農村地帯など、今の高度成長に乗れない人々はいる。これも地域中心だ。しかし、インドで成長に乗れない人々とは、「子息に教育を与えられない人々」である。なにせインドの識字率は65.4%(01年国勢調査)という低さなのだ。これは80%台の中国を大きく下回る。字が読めない人々が富を掴むのは難しい。ITには識字が不可欠だ。インドが「class-driven」というのは、そう言う意味もある。インドでは富と貧困が階級に付きまとっている。中国はそれが地方だ。

 貧困が解消しなければ、インドの成長に行き詰まりの危険性があることは明らかだ。しかしそれは、ずっと先の話しだろう。インドの貧富の差を非難するのは容易だ。しかしこの人口10億を抱えるアジアの大国、人口で中国(13億人)に次ぐ大国は、たった四年のバジパイ政権で動き出した。そして、その輝きは今増している。

2004年01月01日(木曜日 成田からインドのデリー着)

 (20:55)明けまして、おめでとうございます。日本は既に2日になっているようですが、デリーは1日の午後の8時55分です。どうやら3時間半の時差。シンガポールよりちょっと遠い感じですかね。でもあっという間に着いた。

 空港に到着して、ホテルからの迎えの人と落ち合って、車で空港からホテルまで送ってもらって手続きをして、部屋に落ち着いて、そして今インターネット・アクセスを終えたところ。で、FTPの状態を調べるためにもこの文章をアップしているというわけです。

 到着したらもう暗かったので、何がどうなっているのか分からないのですが、迎えに来たインド人が「インドは危ない、人が多い、ホテルの近くでも夜は出歩くな...」と警告の羅列。「あ、そう」ってなものです。しかし実際に、道には数多くの人が何を待っているのか立っている。車が止まると新聞売りの涙を流した少女が近づいてくる。空港の中はそうでもなかったのですが、外にはすごい数の人。

 何を飲めて、何を食べられるのか。しばらくは試行錯誤ですが、まあ2日の朝に日本から手配しておいた人と打ち合わせをして、どう行動するか決定する予定。空港からホテルに送ってくれたインド人のラビンデルさんはシーク教徒で、頭にターバンを巻いている。その中の髪の毛の長さは7メートルだと言っていた。確認していません。英語でしゃべったり、日本語で喋ったり。「俺に任せれば、インドの裏表も案内できる」と早速セールスが始まった。

 ホテルのインターネットの接続を確立するときに、技術者という名前の人だけで別々に5人来たのには驚いた。電源のコンセントのサイズをあわせに来た人、小生のPCをチェックしに来た人、電話線を持ってきた人、そして最後に無線LANを設定しに来た人。結局これはホテル内の無線LANとコンピューター内蔵のwireless lan を接続して使っている。

2004年01月02日(金曜日 成長への自信を深めるインド)

 (07:55)到着したのが元旦だったのが良かったのか、この日のインドの新聞はなかなか面白い。ホテルに着いて直ぐにビジネス・センターに行ってその日の英語新聞をもらってきたのです。一つは、「The Pioneer」で、これには「Happy New Year」というインド政府からのメッセージがページ全面を使って載っている。面白いので全文掲載しますね。

You are now stronger and prouder with $100billion shining.

Our foreign exchange reserves have raced past the $100billion mark.We have never been more robust, healthier and radiant.

It's moment that makes every Indian stand proud and tall. From the days of dreaming self-reliance, we have traveled a long way.

It's a figure that inspires the world to applaud our resolve.From just being the world's second populated country, we have now become a major driver of the world economy.

It's a fact that brings a prosperous future closer to us. From a country that needed global aid, India's reserves now cover all outstandings, and even offer scope for financial support to the IMF.

It's a truth that underlines our consistent and rapid progress. From a timid economy and a weak rupee, we now have the fourth largest Forex reserves in the world, with a currency that is stronger than ever.

It's a resource that lends stability and resilience. It's a beacon that imparts confidence and attracts more foreign investment. And, it allows you more Forex as you travel, easier loans to study, medical treatment abroad, and finance to set up business projects.

But above all, it is a sparkling sign that India is shining, and shining brighter than ever. So go ahead, gain from these good times, have a splendid new year, build your dreams by investing, building and creating. Spread the enthusiasm and make India stronger and shine even brighter.

  要するに「近くは1991年に外貨危機を経験した我が国だが、過去における、ただ人口が世界第二位の国ということだけが注目される惨めな(timid という単語は強烈ですね)存在から、1000億ドルという世界第四位の外貨準備を持つ国、世界経済を駆動する(driver)国になった。インドは今や光り輝いている。この輝きを2004年に繋げ、一段と強くなり、もっと輝こう」というのである。

 むろんこれは、今年4~5月に総選挙を控えているアタル・ビハリ・バジパイ率いるインド人民党(BJP)の宣伝の臭いがするものだ。しかし、外貨準備が1000億ドルを超えた(私の記憶ではほぼ日本は6500、中国は4000、三位はドイツの3500)ことの嬉しさは良く伝わってくるし、インドの人々の高揚した気分も良く分かる。実際のところ、インドの新聞を読んでいると、「feel good」とか「feel nice」という単語が多い。なぜ彼らは高揚しているのか。

 インドにとって2003年はどういう年だったか、という分析を見るとそれも分からないではない。The Indian Expressの社説には、2003年を総括して「a year of relative quietude」とある。つまり「平穏な年だった」というのである。その理由は、「めざましい、凄まじい事件、事故は国境の外で起きた」というのだ。イラク戦争、フセイン拘束、SARS、コロンビア号の事故、そしてバムでの地震。知らなかったのだが、インドでは2002年までは大事件、惨事が毎年のように起きていたという。2002年のGujaraでの暴動、その前の年の大地震などなど。

 それらに比して2003年は「a period of consolidation and touchy-feely optimism」(touchy-feelyは「気恥ずかしくなるような」)だったと。どうconsolidate してなぜ気恥ずかしくなるような楽観論が生まれたのか。一つは経済。年末に2003年7~9月期のGDP統計が発表になって、それは8.4%という過去5年間で最高の伸びになった。主因は農業で、良いモンスーンに恵まれたから、という。インドのGDPの25%は農業が占めるから、この天候条件は大きかったと言うことでしょう。これはインドの労働力人口の三分の二を占める農民にとって喜ばしいことです。

 インド政府の見通しでは、今年度(インドの場合は4月始まりの3月終わりのようです)の同国成長率は6.5~7.0%になる見通しという。前年度が4.3%だったことから考えると、大きな前進と言える。しかし農業が好調だったと言っても、7-9月の伸びは7.4%しかなかった。その他の部分は主にコンピューター関連などのサービス部門の伸びを反映したもの。

インドのエンターテイメント産業の人々
 産業やサービスの伸びを好感したのが、インドの株式市場だ。2003年にはSENSEX(BSE Sensitive Index)で見て72.9%も上がったという。これはアジアでもタイ(116.6)に次ぐ二位。ちなみにそれ以下は、パキスタン(65.5)、インドネシア(62.8)、中国(シンセン 45.5)、フィリピン(41.6)、香港(34.9)、台湾(32.3)、シンガポール(31.6)、スリランカ(30.3)、韓国(29.2)とくる。その次が日本で、24.4%の上昇。日本の下はマレーシア(22.8)、ニュージーランド(17.1)、オーストラリア(9.7)、そして中国でも上海市場の-7.6となる。インドの通貨であるルピーも、2003年一年間に対ドルで5.4%上昇したという。

 SENSEXの2003年の年末の数字は5838.96(2000年2月22日以来の高値)だったそうで、これは年間にして2461.68ポイントの上昇だという。日本の株が少々上がったと言って喜んでいても、世界は広いということでしょうか。で、2004年はどうなるのか。2日早朝現在では、

MUMBAI, JANUARY 1: Dalal Street is now waiting for that special occasion. The benchmark Sensex is just 85 points short of the landmark 6,000-point, three years after bulls rigged up stocks to that level in February 2000. It may also turn out to be a dangerous level, a balloon that is waiting to burst a la the 2000 bull run.

The magical figure could come in a day or two despite warnings from market regulator Sebi against the unbridled rally in stocks. The market made another scintillating gain on Thursday, the first day of trading in 2004, amid hopes that inflows from foreign funds will continue at the hectic pace witnessed in 2003 and the economy will grow at a faster rate.

  という記事があって、これで分かることは6000ポイントは目前で年初に付けるかもしれないが、この高騰と高値に対して懸念も増大していることが分かる。外資の流入が主な株式相場の押し上げ要因になっているという。インドに投資するならこのバブルがはじけた後の方が良いかもしれないが、それにしても高い伸びだ。

 The Indian Expressは「Four Themes for the next 24x7x365」という社説の中で、その四つのテーマとして

  1. neihggourhood connectibity(近隣諸国との関わり)
  2. 来るべき総選挙
  3. グローバライゼーションと経済
  4. 疑惑やスキャンダル
  を挙げていた。これらについては、これから徐々に調べますが、第一のテーマについていうと、9.11後にアメリカとは関係が良くなった、ロシアとはソ連時代の暖かさが戻った、中国との関係も改善している、ドイツやフランスとの関係も良いというなかで、やはりパキスタンやバングラデシュとの関係をどうするか、どう connect していくのか、というのがインドにとっても大きな課題なのだろう。南アジアで共通通貨を持とうという動きもあるようですが、それがどのくらい具体化しているのかは分からない。

 まあ、インドの元旦の新聞から読めることは以上のようなことです。

2004年01月03日(土曜日 育ちつつある消費社会)

 (00:55)2日はもっぱらデリー市内を車で移動しました。案内をしてくれたのは、XEBEC INDIA(同社サイトの日本語バージョンはここ)の経営者ジャイヤンタ・チャタルジーさんの奥さんであるクミ・タナベさんで、彼女は当然ながら私が見たい「新しいデリー」「新しいインド」をよくご存じで助かりました。夕食にはチャタルジーさんも加わり3人で夕食を一緒にしましたが、3日からはご主人と一緒に行動する予定。

 タナベさんと一緒に7時間以上市内のあちこちを見ながら思ったのは、インドが豊かな人間を中心に西欧型、または日本型と言っても良い「消費社会」に移行しつつある、ということです。しかし、「大衆消費社会」というにはまだ遠い。

 その何よりの証拠は、市内のあちこちに見ることが出来るデパートやモールの登場です。まずは、最近になって初めてニューデリーに出来たデパートというところに案内してもらいました。日本のデパート、あの巨大な建物を予想したら間違いです。佇まいも小ぶり。しかし、他のインドの都市部とは突出した奇麗な出来上がりです。大きな駐車場があり、そこに多数の車が押し寄せる。週末は大変な混雑だそうです。

 商品の揃いはかなりのもので、中を歩いている分には、それほど違和感はない。違和感があるとしたら、エレベーターに乗るとエレベーターガールではなく、エレベーターボーイ(時にオジさん)が居る点ですが、これには数回乗ると慣れる。タナベさんの話によると、「デパートがデリーにも出来た....しかもそこにはエレベーターなるものがある...」ということで、わざわざデパートを見に、そしてエレベーターに乗るために足を伸ばす人もいるらしい。

 デパートで買い物をしました。日本出発前に、インドを、そしてデリーを温かいところと勝手に決めていた部分があったのですが、夜は寒い。で、厚手のパジャマを買ったのですが、買って分かったことはまだサイズは揃っていない、ということです。しかし、レジの女性はよく教育が出来ていましたよ。「あなたはここの会員か....」「入ったらどうだ...」と商売熱心。

 レジのシステムは日本と全く同じです。そのほかにもモールをいくつか見て回りましたが、近代化されている。日本でも見慣れた名前の店が多い。ドッカーズ、リーボック、マックなどなど。音楽ショップに寄ってみたが、内容はかなり日本に近い。DVDソフトもかなり揃っている。

 こうしたデパートやモールが出来る前、インドの豊かな人々が買い物をしていたのは3~4階建ての商店がこの字型になって道路沿いに出来ていて本当に小さな商店街。日本やアメリカでもある真ん中に小さな駐車スペースのあるやつです。そこから一気にインドの人々の買い物の場所は、デパート(まだ数少ない)やモールになってきている。

 印象として言えるのは、インドが足早に消費社会に足を踏み入れている、ということです。彼らにとってのウィークデーだったからでしょうが、家庭の中年の主婦と思われる人が多くの場合娘さんを連れ立ってデパートやモールに来て日用品や絨毯などを一杯買って、買い物を大量に載せたまま手押し車に乗せ、駐車場の自分の車まで持って行っている。光景としては、埼玉のモールやニューヨークの郊外のそれと何ら変わらない。

 そうしたデパートやモールでの買い物の特徴は、インドでは極めて珍しいことに正価販売ということです。値引き交渉する相手もいない。モノをカゴに入れレジに行くだけ。一方、伝統的というか、昔ながらの商店街もむろん残っている。そこでは、私もやりましたが、あるのは「値引き交渉」です。私は値引き交渉が大好きな人間で、東京の街の電気店でもよくやるのですが、インドでもやって楽しかった。

 こうした小さい店が軒を並べ、通りかかると大勢の売り子から声がかかる風景は、中国の田舎にもある。懐かしいとも思う。しかし、インド社会が豊かになるに従って、人々が買い物をする場所は急速にモールやデパート、スーパーに移るんでしょう。

 タナベさんや、その後の夫のチャタルジーさんから聞いたことや、私がもった印象で面白かったことを備忘のために記しておきます。

  1. インドのIT技術者の大部分はIITという全国に六つほどある工科大学の出身者である。IITのフルネームは Indian Institute of Technologyで、彼らの出身階級はカースト4階級の上から三番目(バラモン、クシャトリヤ、バイシャ)まで。最下級のシュードラがIT技術者になることはまずない。今の世界のどの国でも、比較的高い所得を得ているのはIT技術に通じたものたち。ということは、インド社会のモービリティーのなさが将来は問題になる可能性がある、ということか
  2. 今のデリーを一日車を使って市内を移動し続けて一番驚くのは、一カ所として工事をしていない主要道路はなかったということ。掘り返し、拡幅しようとしている。その工事の多いこと、年度末の日本の比ではない。ということはインドは中国と並んで「実に巨大なインフラ整備中の国」ということになる。何をしているかというと、道路では中央分離帯の設置とそこへの植物の植え付け。加えて、道路そのものの拡幅がいたるところで続いている。まるで来年デリーでオリンピックがあるかのような喧噪である。
  3. しかしニューデリーの天候はいただけない。とにかく霧とスモッグで日中でも視界がはっきりしないのである。車についてはデリーのある州では数年前にディーゼルが使用禁止になってCNGと呼ばれる燃料が使われているが、それでもけたたましく走る車の出す排気ガスは凄まじく、加えての霧気味の気候が、ニューデリーの冬を重いものにしている。加えてこの霧故に、デリーを発着する飛行機の予定は極めて不安定である
  4. インドの人々の話を総合して言えるのは、バジパイという今のインドの首相は「中興の祖」だということだ。1990年代後半からの彼の時代になってインド経済のグローバライゼーションが始まり、それに伴って大きな経済発展が始まった。その時から世界の資本がインドにも集まりだし、それにともなって経済が活性化し、その活性化がさらに資本を国内に誘導する、という好循環が生まれた。加えて、IT関連でアメリカなどから職が大きく流入して、それがインド経済発展の原動力になっている。昨日も紹介した成長率を見れば、インド経済の発展ぶりは明確である
  5. 経済発展の中で、インド社会が今まで拒否していた事象に対する受容度をかなり変えてきたと思える部分がある。例えば女性の肌に対する許容度。日本で見るインド映画には、女性の肌はほとんど登場しない。しかしこちらに来て見るテレビには、平然とインド女性の水着姿、またかなりきわどいラブシーンを含めて、女性の肌の露出が見られる。「二年前には想像も付かなかったこと」なのだそうだ。飲酒もかなり平然と行われているようだ。つまりリジッドだったインドのシステムもかなり変わりつつある、ということだ
  3、4日はアグラやジャイプールなど、古いインドを見る予定です。
2004年01月04日(日曜日 でこぼこ道の隣では光ケーブル)

 (23:55)  3、4日の二日掛けて、チャタルジーさんの案内でアグラ(タージマッハール、アグラ城など)とジャイプールを回りましたが、美しさでは前者が写真を上回り、後者は写真を下回る、といったところでしょうか。もっとも簡単に言うが、この二つはかなり離れていて、自動車で飛ばしに飛ばして5時間はかかる。だから、3日にアグラにデリーから4時間かけて行ってタージなどを見て、そこで一泊して次の日にジャイプールに行く、という行動。もうおしりが痛くなるほど車に乗りました。

インド象とピンクシティで
 タージマッハールは、実物の方がはるかに迫力がある。美しいのに加えて、往事の今は数倍上回るであろう美しさが忍ばれるからです。建設物としても秀逸で、よく考えられていると思いました。これを最初に見たイギリス人が何を考えたか知りたかった。ジャイプールは「ピンクシティー」の名にちょっと恥じる。確かにピンクに統一されているのだが、ピンクという色から想像される艶めかしさはなく、喧噪と猥雑さの集積のような街です。しかしこれも、「往事はなんと素晴らしい城だっただろう」と思わせられるものが多い。

 象なるものにも乗ってみましたが、あれはなかなかスリリングです。象同士が喧嘩して、昨年だかに日本人が一人死んだそうで、リスクもある。崖っぷちの細い道をいくのですから、象同士が喧嘩したらそりゃ上に乗っている人はひとたまりもない。まあ、良い経験ではありますが。
  ――――――――――
  今回の旅は、「インドはやっぱしそうか」という私の中にある既存情報の再確認だけの作業はなるべく避けよう、新しい面を見ようというもの。ですから、良く言われる「インドの貧しき人々」に関しては聞いていた通りの凄まじさ、数の多さであって、それについてあまり長く書く気はないのですが、一つ思うのは「(これらの人々の存在は)インドにとっての大きな重荷なんだろうな」という点です。

 「重荷」という意味は、こうした超貧困で、よって子供達を学校にも行かせられない、よって今後も識字も出来ないであろう人々を、うまく経済発展の渦の中に入れて、国全体の発展に繋げるのは容易なことではないだろうな、という意味です。

 私が見た限りでは、貧しき人々はインドのどこに行っても目の当たりにすることが出来る。主要道路の交差点で車が止まると、時として10才に行くか行かないかの、もう何年も風呂に入ったこともないであろう、しかし目は非常に澄んだ子供達が近寄ってきて、車の窓を叩きながら「何かちょうだい」という。

 目線があったら、確実に近寄ってきます。信号待ちの時間を利用して近寄ってくるので、しばらく無視すると次なる目標に移動していなくなるのですが、うっかり窓を開けていたりすると女性の場合はイヤリングをむしり取られることもあるらしい。当然怪我をする。

 デリーからアグラに通じる高速道路(といっても日本の感覚ではない)を通ったのですが、その沿線には名だたるハイテク企業や世界的企業の工場等々が並んでいるところもあるのですが、一方で凄まじい貧しさと人口の異常な多さを感じる場所がいくつもある。恐らくこの人達も「feel-good」と感じるのは、そしてその意味が分かるのにはそうとう時間がかかるだろう、と思える。

 チャタルジーさんによれば、インドでは大学を出ても国内で職を得るのは容易なことではない、ということで、それはインドの出来る人たちが海外に職を求めて出ていることでも(日本のIT企業にも大勢居る)分かる。独特の身分制度、氏姓制度でやることが決まっていると言っても、それで十分な生活は難しいわけで、これらの人々の所得を上げ、子供を学校にやり....というのは至難の業に見える。かなり長期目標です。

 見かけたインドの乗り合いバスの後ろの宣伝には、「子供を学校にやろう」と書いてある。「子供を学校にやる。しかも全員」というのが、インドにとっての大きな課題であることが分かる。上がる株と大企業に勤めて一気に世界的所得水準に達する人々がいる一方での、子供を学校にも行かせられない貧困な人々の、同じ国の中での共存。

 鄧小平が取った「まず豊かになれるものから」という政策は、恐らくインドでも当たっている。皆貧困だったら、経済を牽引する力がなくなってしまう。しかし、それが固定化すると、つまり貧富の差が固定化し、そしてしばしばそうなのですが拡大すると、今度はそれが社会の活力を奪う。インドの凄まじい発展、モノの横溢の兆しを見て、「この国は発展する」と思う一方で、「長期的にはどうなんだろう」といつも自問せざるを得なかった背景はここにあるのです。

2004年01月05日(月曜日 活況だったインドのウォール街=ダラーラ街)

 (23:24)朝早くに国内線でデリーからムンバイ(昔ボンベイと呼ばれた人口1600万の大都会)に行き、ポイントを絞ってデリーと並ぶ大発展途上の街を見て、夜には帰ってくるというせわしない一日。飛行機で片道二時間ですから、そうとう南に行く。そして降りた瞬間に、「これぞ日本人のイメージにぴったりのインド」と思いました。

 デリーより整然とした町並み、工事もはるかに少なく、古い建物が多い。スラムはどこにもありますが、それはそれで定着しているように見える。何よりも、南国気分で木が大きく立派なのが良いし、海沿いの街なので潮の香りがして、水があるが故に街に潤いがあるのが良い。この街について言うと、空港に降りてドライブし始めて直ぐに、「また来たい」と思いました。

 言ってみれば、デリーは冬は日もあまり差さない寒いハンブルクといった風情なのに対して、ムンバイはもう南スペインの暖かい太陽がいっぱいの海辺の街、といった雰囲気です。そりゃまた行きたくなるのは後者でしょう。デリーよりはるかに洗練された(?)都会です。

 ポイントとはどれか。まずバンダナ・クッラーという新規造成中のオフィス街を見ました。世界の主要企業の大きなオフィスが出来始めていて、その中でひときわ目立つのはまだ建設途上なのですが、世界最大の「ダイヤモンドの取引所」になる予定の大きなコンプレックス。インドは昔から、ダイヤを含めてエメラルド、サファイアなどの宝石の故郷であり、今でも良い店が多い。

チャタルジーなどインドの友達達と
 次に行ったのはニューヨークのウォール街に相当するダラーラ街です。チャタルジーさんによれば、「ダラーラ」とはブローカーを指すそうで、文字通り「株やの街」という意味です。セキュリティーが厳しかったのですが、彼が交渉してくれて建物(取引所)の中に入って、取引所の主任エコノミストと言われる人と暫く話しました。まあ、自信に溢れる表情でした。日本の証券会社がこうした発展しつつある市場にあまり参加する道を持たないのはいかにも勿体ない。

 あとは、「インド門」ですかね。タージという歴史上も重要なホテルの前にあって、近くには船がいっぱい係船されている。潮の臭いのする良い場所です。物売りの多さもあまり気にならない。

 しばらく佇んでいて、この街ならしばらく居て良いな....と再び思いました。冬にこの気候ですから夏や熱いんでしょうが、海の近くにある分だけそれほど温度は上がらないとのこと。デリーの方が暑いそうです。ということは、デリーという街はつくづく魅力のない街ということになる。

 忘れていました。ムンバイではデパートも視察しました。これが面白かったのは、入り口で案内の女性が私たちを見つけて、何階には何があると説明したあとで、上に行く我々についてきて、売り場でもずっと「あれが良い、これが良い」とずっと説明してくれることでした。売り場の男性との共演。これには驚きました。「ほかにお客さんもいるだろう....」といったところですが、実はあまりいなかった。

 デパートの名前は、Saga Department Storesというのです。デパートと称していますが、日本の感覚でのでのデパートではない。規模が小さいのです。つまり、何でも揃うわけではない。例えば食料品売り場がない。最上階から何があったかというと、絨毯、家具、女性用医療、宝石、化粧品などなど。つまり、貴金属店に高級家具屋がひっついた感じ。しかし、それはそれは従業員が販売熱心で、あれに捕まると逃げるのは大変です。

2004年01月06日(火曜日 楽しい値引き交渉)

 (08:24)インドで何が楽しいかと言って、「値切り交渉」を置いて外にはない。主な値切り交渉だけで3回やりました。「ダメだ、ここは正価だ」と言ったのはデリーの Saga Department Stores だけ。ムンバイの同じ名前のデパートでは堂々と値切り交渉が出来ましたから、もしかしたら同デパートも欧米や日本のデパートと同じ正価販売主義を取り入れようとしているのかもしれない。デリー店はその一号かも。知りませんが。

 さて、現場再現です。店に入り、少しでも買いたいそぶりを見せると、彼らはあらゆる手だてを使って買わせようとしてきます。まあ良く喋ること。それが日本と違う点。私は日本でも値切り交渉(例えば街の電気店などで)が大好きで、家族に嫌がられる程なのですが、日本ではどうやっても店側の相手は一人です。しかし、例えばインドではこれでもか、といろいろな店員が登場して、次々に商品を披露する。一回買った買い物客に「ありがとうございました」という意識はない。次も、次も買わそうとする。ははは、これと戦うのはタフでないと。

 彼らが何を言うかというと、ある商品に私の目が止まったとする。そうすると、「これの本当の値段はこうだが、もうあなただから一割まけてこれだ....」と電卓で値段を示すのです。私のネゴ方法は、その電卓を「寄こせ...」といって取り上げて、こちらのプライスを示すことから始めるのです。彼らが最初に提示してきたプライスの絶対に半分以下を電卓に打って、それを突き返すのです。

 そうすると彼らは何て言うかというと、「Oh, You Are Cutting My Neck.....」とか何とか言う。それに対しては、「Yea, I Want To Kill You ......」とか笑顔で軽く返して、相手の提示を待ちます。そうすると、もうちょっと下げてくる。なにかぶつぶつ言いながら。それには、「ノー」とはっきり言うのです。それを暫く繰り返す。何か日本語でぶつぶつ言っても良いし、「旅行者だからカネがない」と言っても良い。

 そうすると彼らは、現金でもカードでも何でも支払い方法は良いと言う。これでいっぱいだとか。交渉の途中で、軽く冗談を交ぜると良い。何でも良いのです。相手が驚愕したり、驚くことを言えば良い。ニヤニヤ笑う。その間にも彼らは、「これは売り物ではないが、凄いだろう」.....とか言って、いろいろなものを見せてくる。「この商品は priceless だ」とか言って。へえ、「priceless なら俺にクレ.....」とか言って、ジャブを繰り返すのです。ジョークは彼らは軟化させる有用な武器です。

 しばらくそれを続けると、そのうちに彼らは「ボスと相談してくる....」とか言って奥に入る。「どうぞ....」といった感じです。そこにとどまっていると「買いたい雰囲気」が出過ぎてしまうので、席を外す。店内の他の商品を見たり、他の店を見たり。この段階で既にある特定の店員と交渉をしているということを他の店員も知っているのには、「これはどうだ、あれはどうだ」と寄ってくるのが笑えるのですが....。

 しばらくすると店員は戻ってきて、少し歩み寄ったプライスを電卓に提示する。それでも「ノーノー」と言って、電卓を取り上げこちらのほんの少し歩み寄ったプライスを出す。そうすると彼らはだんだん興奮してくる。ごちゃごちゃ言うのです。その場合は「じゃ、いらん」と言って席を立ち、店を出ようとするのが良いと思う。そうすると彼らは、「本当に帰るのかな.....」といった雰囲気でこっちをしばらく見る。重要なのは、本気で店を出て行く雰囲気を作り出すのです。

 そうすると、大体において最後の最後になって「わかったわかった」と言って、かなりこっちに接近したプライスを出してくる。直ぐに席に戻らずに、その場でまた電卓を取り上げて、ほんの少し近寄ったプライスをこちらから提示する。そうすると、「oh, no....」とか言って、「じゃ、俺のプライスとお前のプライスのちょうど真ん中でどうだ」と言ってくる。

 それでokしてはダメで、そのプライスと自分の提示したプライスのまた中間を提示するのです。そうすると大体、ちょっと考えたふりをして向こうは「握手を求める仕草」をする。その手は握らずに、確認の意味でその中間のプライスを電卓に提示して「これだな」と確認し、それで良かったら彼の手を握る、という方法です。

 本当の価格がどこにあるのかは知りません。多分それでも店は儲けているのでしょう。しかし、これはゲームですから、十分に楽しむ、ということが重要です。十分値切りを楽しめた、と思ったら買えばよいのです。そう割り切る。私は大体ドル建てで交渉しました。どんな激しい交渉をしても、終わると友達です。まあ一種の演劇を共演したような関係。

 しかし、終わると直ぐに、「じゃ、他にこういうのもあるが....」と必ず別の商品を勧めようとする。私の経験だと彼らは「これが買えたのならもっと高いものを買えるだろう...」と思うらしくて、高いモノをもってくる。そこでも冗談交じりに、「それってタダ....」とかジョークを交わす。これが結構長く続きますよ。

 彼らもこちらがもう買わない、と判断すると、「お前はどこから来た」とか、「あそこには行ったことがあるか」とか、「この前日本の有名な女優が来た」とか、聞いてもいないことを喋る。結構面白い情報が入ることがあるのです。本当かどうかは知りませんが。

 「値切り交渉」という点で言うと、短い滞在ですが結構楽しんだ...という印象。高いものを買ったわけではなくて、おみやげ品程度のことですが、やはり交渉しないと....。私の感覚だと、インド人は商売人です。もちろん、いろいろな人がいますが。
  ――――――――――
  あと思い出したいくつかの点。インドでは、例え高級ホテルでもしばしば停電が起きる。冗談ではなくて、です。停電があるのは、上海ばかりではない。途上国共通の現象です。ですから、ホテルにはろうそくとマッチが置いてあるケースが多い。

 私も滞在中に何回か停電に会いましたが、長くは続かない。ホテルはだいたいにおいて自家発電がある。それが駆動するのです。しかし、その間1分とか2分は明かりが全くなくなり、部屋は真っ暗になる。長いのでは5分近いのがあった。ホテルの場合、まず回復するのが廊下で、その次に部屋が回復する。

 しかし部屋の中に一つだけ停電になっても光っているものがあった。ラップトップです。電池を持っていますから。真っ暗になると、ラップトップの光が相当明るいことに気づく。部屋の中を動き回ることぐらいは出来る。途上国のホテルに行ったら、ラップトップを常に付けておくことを勧めます。あとは、日本で売っている携帯のストラップ仕様のライトをもっていくことですかね。

 インドでもチップは必要でした。大体が10%。しかし、この国は日本の一万円札がそうなのですが、500ルピー(1500円弱)以外のお札があまり手に入ってこない。旅行者だからそうなのかもしれませんが、とにかく財布の中はインドにおける高額紙幣のみという状態になる。だからチップには困るのです。「500はちょっとやりすぎだな...」というケースが多い。

 しかし小さい紙幣が欲しいと思って例えば駅の売店などで500を出すと、「ない」と言われる。まあ一番細かい紙幣(5、10、20、50)があるのは、ホテルのレストランですかね。でもそれもチップに直ぐになくなる。
  ――――――――――
  ボンベイ(ムンバイ)で買ったMIDDAYという新聞(夕刊紙ですかね)の一面ど真ん中の記事は、女子大生の売春に関するもの。さらに中を見ていくと、新しく市内に出来たショッピング街で若い女性の万引きが多発して困っている、といった記事も。

 良い悪いの問題ではなくて、「世界まあ、同じようなことが起きているな」という印象。宗教よりは、モノの力が増している現実がインドと言えども強いことが伺える。

According to Raja, many girls are tempted into prostitution by observing the lifestyles of some of their more affluent classmates.

“They are overawed by the spending capacity of their friends and classmates and look for ways to make easy money. Most are addicted to cigarettes, liquor, cough syrup or even gutka,” he said. Raja explained that the girls are usually approached at beauty parlours. The college girls usually work part-time and are only accessible through mobile phones.

  赤くしたところがちょっと変わっているな、と思うのですが、こういうモノに取り憑かれて、友達をうらやましく思ってなんてのは、世界共通の話です。インドの社会も良い意味でも悪い意味でも変わってきている、ということです。
2004年01月06日(火曜日 神話化が過ぎるインド)

 (12:24)インドは多くの日本人にとって「神話化されすぎている」というのが、今回の旅の一つの結論です。確かにインドは日本から遠い。中国や韓国からは比べものにならないほど遠い。また、中国や韓国のように生々しい、相まみえる歴史の事実を重ねたこともない。訪れた日本人もまだ数少ない。未だかつて日本人にとって「遠い国」なのです。

 もっとも、日本には昔からインドの情報は入ってきていた。しかし、日本人が接したインド情報は間接的な、人伝のものです。言ってみれば、日本人にとってインドは、遠くから蜃気楼の中で見ているような国だった。そして事実として、インドでは数多くの宗教が生まれ、悟りを開いた人々の話が伝わってきていた。日本人とは違った環境の国、という意識が最初から強い。

 椎名誠の「わしもインドで考えた」という本の表題に現れているように、「インドで考えると、別のアイデア、人生観が生まれる」という一種の神話が日本にはあったし、今もあるように思う。「そうだろうか....」というのが、この国を短いながら歩いていて思ったことでした。

 正直言って、インドは日本から来ると異質な国です。多様な民族、多様な言葉、そして多様な習慣。追い払っても追い払っても近寄ってくる物売り。加えてガンジーが「神の子」と呼んだ、日本人が言うことを憚る最下層の人々の存在。そして国全体を覆う目を覆いたくなるような貧しさ。それに対峙するかのように存在する豊かさと、経済の活力。卑近な例で言うならば、「インドに行けば、必ずおなかをこわす」という”神話”も聞いた。

 この国には、人々が宗教的にならざるを得ないような状況は確かにある。しかし、この砂漠に近い環境の世界の住民達、例えばアラブやユダヤの人々にしても、そういう厳しさはあったのだと思う。別にインドに限らない。厳しい環境に住んだ人々は宗教を生んだ。世界共通です。

 「行けば腹をこわす」というのもインドだけではない。メキシコもそうだし、その他の途上国に行けば、柔な日本人は大方体調を崩す。それは例外的に日本という国が急流として流れ落ちる河川を数多く持っている、世界でも特異の、水に関してはほとんど悩むことがなかった国だからです。世界では飲み水にも困る国はいっぱいあるし、それは増えている。

 インドが目指しているのは、西欧が生み、日本もその仲間入りをした「文明」です。「文明の衝突」という誰かの本は間違いだ、という意見をどこかの本で読んだ。文明は「文明の利器」と言う言葉でも示されるとおり、利用する利器であって、イスラム教徒でも、ヒンズー教徒でも誰でも利用できる。インドは超貧困の民達の家の直ぐ近くを、光ファイバーが走る国です。お互いに受容されないのは、相容れないのは「文化」です。確かに日本の文化とインドの文化ではかなり違う。

 しかし、「文化」が大きく異なっているのは、別に日本とインドの間に限らない。隣の韓国とだってお互いにびっくりするほど違う。飛行機に乗っている時間が長いと本が読めるのですが、「韓国人から見た北朝鮮」(PHP新書)という本を読んで、その思いを強くした。

 急速に道路作りが進むデリーの街、高層ビル群が出来つつあるムンバイの街。作り方は違うが、世界のどこでも見られる光景だし、今回ガンジス川の沐浴を見れなかったのは残念だが、それほど神秘的なものだろうか、という疑念が私にはある。それを言うなら、中国の寺院でも熱心にお祈りする民衆の姿を見ることが出来るし、浅草の観音様にだって熱心な信者は押しかける。中野の新井薬師だってそういう意味では信者が多い。貧しき人々の群れも、中国の農村、ブラジルのスラムなど世界中で見いだすことが出来る。

 その国以外の人間にとって、ある国は二つぐらいの象徴的なものでしか覚えられないのではないか。日本は「富士山、芸者」です。日本人にとってインドは「タージマッハールとガンジスの沐浴」でしょうか。そうした代表的事象は誇張される。時に酷く。韓国なら今は「焼き肉とエステ」か。

 しかし当たり前だが、人々の生活はそれだけでできあがっているわけではなく、日本人が「富士山、芸者」と言われると迷惑なように、インドの人々にとっても「タージマッハールとガンジスの沐浴」と呼ばれるのは迷惑ではないのか。タナベさんが、「新しいインドを見たいといったのは、伊藤さんが初めてです」と言っていたが、大部分の日本の方々は自分の既成概念にはまるインドを確認の為に来るのでしょう。

 誰にもそういう面がないとは言えない。私にもそういう面があるのでしょう。しかし、インドを蜃気楼の国、神秘的な国とだけ考えるのは全くの間違いだと思う。そこは実に生々しく多様だし、いろいろな人間がいる。インド人自身が「インド人はずる賢い」という。まあそういう面はあるのでしょう。決して蜃気楼の国、神秘の国ではない。しかし、「ずる賢さ」は逆に言えば商売のうまさに繋がる。それがインドを発展させるとしたら、ガンジス川での沐浴はインドのほんの一部、ということになる。

 「違っている」のは当たり前で、それは日本と世界各国を比べた場合の共通事象なのだが、決定的に言えるのはインドという国が日本と違っているということに加えて「実に面白い」ということです。めちゃめちゃな面がある。車の運転もそうだし、「混沌」と言える社会状況もある。しかし、ケイオスであるが故に、生まれてくるものもあるのだろう。だから私のインドに対する結論は、非常に単純に「メチャ面白い」です。

2004年01月08日(火曜日 成果あった下痢対策)

 (15:24 インド時間)インドに関する日本人の間の神話の一つは、「そこに行くと必ず下痢をする」というものだ。これは来る前に何人もの人に、そしてものの本で聞かされた。

 しかし正直言って、私は無縁だった。完全でないと思う面もある。それは若干腹がおかしいかな、という日はあったからだが、それも一日きりで後は大過なく、すこぶる順調だった。メキシコに行ったときもならなかったので、小生の腹は特に強いのかもしれない。

 しかしコツはある。いつも信頼できる水を持ち歩くこと、余計なものを食べないこと、むしろ空腹を保つこと、そして火の入ったものしか食べないこと、である。中華やイタリアンは良い。当然ながらカレーはあちこちで食べたが、問題はなかった。

 しかし、意図的に生のサラダや野菜は食べなかった。多分大丈夫だが、何かあれば旅が台無しになる。野菜などいつでも食べられる。水は成田を出るときに二本ボトルを買って、最初はそれを飲み、あとはホテルの用意したボトルを飲んだ。

 レストランでは普通に食事をしたが、必ずミネラルウォーターをもってこさせた。これくらい気を付ければ、後は心配ない。食べ過ぎると下痢をする、疲れると下痢をする、冷やすと下痢をする。余計なものを食べず、水に気を付ければ大丈夫であった。少なくとも、私はそうだった。

 ただし一つ思ったことがある。インドでは結局一回もトイレでウォッシュレットに出会わなかった。ホテルも昔ながらのそれ。TOTOの便器には会いましたが、日本でウォッシュレットに慣れると、紙を使うのが怖くなる。インドでは紙もないと聞きましたが、これはどこに行ってもありました。しかし、かたい。確かにウォッシュレットは便利で気持ちがよいか、海外での、それがない生活が不安になるという意味で、ははは、民族の弱体化(?)に繋がるかもしれない。尾籠な話で恐縮ですが。
  ――――――――――
  つらつら思い及んだことが一つ。それは、デリーに一番足りないものは公共交通機関だ、ということです。凄い勢いで人口が増えているのに、圧倒的にバスが公共交通機関になっている。だから、バスからはみ出て人が乗っている。地下鉄も出来たらしいが、まだ市内のごく一部。

 今でも車は多いから、このまま人口が増えたらこの街はパンクしてしまう。解決策は公共交通機関ですが、それがまだ具体化していないようなのです。カルカッタとデリーの間には新幹線の計画はあるらしいが、「予定は未定」。

 この街のすさまじい排ガスを見ていると、この街には「都市計画が必要だ」と強く思いました。それがないと、ディーゼルを走れなくしたくらいでは、この街の環境は壊れてしまう。内陸ですから、空気が動かない。それが問題です。

難問抱えるインドの外交・内政

 インドが抱える最大の問題の一つが、近隣のイスラム教国であるパキスタンとの関係です。カシミールというお互いに領有権を主張する地域で、繰り返し紛争、戦争を繰り返してきた。

タージマッハールで 私がインド滞在中に南アジア首脳会議の為にカラチに赴いたインドのバジパイ首相が、表敬訪問という形ながらパキスタンの最高指導者ムシャラフに一時間以上会って、今後の相互信頼関係の構築に向けて何が出来るかを話し合う、というインド、パキスタンにとっては非常に大きな外交的動きがあった。

 なにせこの二カ国は2年前にカーギルという場所で戦端を交えたばかりで、それがインドで「LOC」(Line of Control)という映画になって、そのサウンドトラックも売れていた。この二カ国のカシミールを巡る対立は、イスラエルとパレスチナの問題にも似て、未だに解決の道筋すら見えない。今回の両国首脳の会談も、「話し合いのベースに乗る」というだけで、何か具体的な進展があったわけではない。

 インド・サイドの立場を代弁して、チャタルジーさんが面白いことを言った。「インドの子供達が全員で小便をすると、パキスタンは洪水になる」。人口差を言ったものだ。インドは10億、対してパキスタンは1億4900万人。圧倒的にインドが有利。しかし、それだけでは片づく問題ではない。インドにとって、パキスタン、それに東のイスラム教国バングラデシュとの関係は、極めて重要だろう。それはインドの新聞が指摘する通りだ。

 インドは国内も複雑だ。人種はインド・アーリヤ族、ドラビダ族、モンゴロイド族等あり、宗教はヒンドゥー教徒82.7%、イスラム教徒11.2%、キリスト教徒2.6%、シク教徒1.9%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.5%と数多い。言葉はインドのお札に印刷されている通り、主要なもので15ある。それだけでインドが巨大な国であることが分かる。

 10億の人口に対してイスラム教徒が11.2%いるということは、1億を超えるイスラム教徒人口がインド国にはいるということである。これは、インドネシアやパキスタンに次いで多いイスラム教徒の数とも言える。しかも、イスラム教徒は人口抑制策をしないために、ヒンズー教徒より人口増加率が高いとの声も聞かれた。異教徒間でのテロもしばしば起きる。

 あとは貧困と教育がからんだ問題である。これには触れた。それだけではない。古き社会との戦いもある。例えば、ムンバイはヤクザ社会だと聞いた。古い街だけに、何もかもが繋がっている(警察ーヤクザ)。証拠には、ムンバイでは一定金額以上の車を買うと電話がかかってくる。そんな買い物が出来るのなら、こちらにいくら支払え...と。

 断ると、お宅の息子は、娘は何時頃学校から帰ってくる、どこを通る....というのだそうだ。つまり「ここで暮らすなら、お金を支払え」と脅迫しているのだ。そうでなくても、インドは危険な国だ。何せ、職なき人間が多いのに加えて、既述したようにいろいろな対立が多い。宗教、地域対立等々。盗賊も多い。珍しいところでは、陸賊。幹線道路を走っている車を止めて、金品を取ったり、運転者を殺害する。そういうことが起こる地方、道路区間もある程度決まっているそうだ。旅行者が簡単に動ける社会ではない。

 「たとえ一流ホテルの周りでも、夜間は出歩くのは良くない」とツアーガイドが言う。街には乞食、物売りが溢れているが、彼らも時には暴力を振るう。車の窓を開けておくのは良くない。手を突っ込まれて、金品を取られる。時には女性のイアリングも狙われる。引っ張られたら、血が出る。

 しかし繰り返すが、インドは今面白い。危険なのは、世界各国共通事象だ。日本だって危ない。どこの国でも、ある時間帯には行っては行けない場所、常にしてはならない事がある。海外で口にしてはならないものがあるのも常識だ。そういう当然の注意義務を払えば、インドも十分楽しめるし、そこには魅力的な活力がある。

 行って分かったことは、インドはこれから10年が面白い国だ、ということだ。
ycaster 2004/01/13)