Essay

<作者による読書ガイド―ようこそ、香西ワールドへ>

 友人であり尊敬する伊藤洋一さんのHPに間借りしているこのページへの入場、ありがとうございます。

このHPには私の小説作品が4作掲載されています。どれを読んだらいいのかわからないと思う読者のために、作者として読書のためのガイドを以下説明させていただきます。

 この作品はサラリーマン生活27年(だったかな・・・・)を迎える私の作品であり、主なる読者としては、社会人で働いている方を想定しています。仕事の傍ら思うところあって小説を書き始めて、早18年が経ちました。私小説ではないのですが、どれ位のパーセンテージかは別として、それぞれの小説の主人公は執筆当時の自分をかなりの程度反映させたものであることは否定できません。

4作は、「こころの数列」「夢の会社」「終わり、始まる」が、バブル3部作とでもいうべきものであり、残りの「レイニ―ムーン」は、バブルの崩壊を経て21世紀に入っての私の気分を投影させたものになっています。これまで、比較的今に近い時代に書かれた「終わり、始まる」と「レイニ―ムーン」だけを掲載していましたが、この度新たに1980年代後半に書かれた「こころの数列」と「夢の会社」も併せて掲載していただくこととし、バブルの生成期、真っ盛りの時代、そして崩壊後の時代の3つを味わっていただくことといたしました。

もし、時間もないし、面白いかどうかわからないから1作だけまず読んでみたいとお考えの方には、「終わり、始まる」を推薦します。私自身最も時間をかけて書いた愛着のあるものだからです。多少お時間のある方は、執筆順、つまり「こころの数列」「夢の会社」「終わり、始まる」「レイニームーン」で読んでいただき、時代の変遷と共に、一人のビジネスマンの成長、考え方の変遷について感じていただければと思います。この27年のサラリーマン生活で、私は、何ヶ月かの失業期間も含め、日本の典型的な大企業、外資系金融機関、企業再生関係の会社、ベンチャービジネスといったように色んな会社で、本当に沢山の経験をしてきました。自分自身そうした経験の中でもがき、時には苦しみ、そして比較的安らぎのある気持ちを獲得できたと思っています。これまで、私を支えてくれた多くの人達への感謝の気持ちを込め、自分の今の心境を読者の皆さんにも共有していただき、少しでも元気と勇気を感じていただければ作者としての望外の喜びです。(香西 春明 sk300827@ja2.so-net.ne.jp

「こころの数列」

香西 春明(かさい しゅんみん/はるあき)

「昨年、一九八七年十月十九日、ニューヨーク株式市場の大暴落に端を発し、世界中の株式市場の大暴落を引き起こしたいわゆるブラックマンデーは、世界経済の現在の繁栄というものが、いかに脆くて壊れやすい微妙なバランスの上に成り立っているかを改めて人々に知らしめたものだったと言えましょう。」

 「一九二〇年代、第一次世界大戦を契機として、大英帝国からアメリカ合衆国に覇権が移りその結果起こったのが、一九二九年の大恐慌であるとすれば、今また一九六〇年代のベトナム戦争を経て、西側世界の盟主の地位から徐々にその座を開け渡そうとしている老大国アメリカの現状を、象徴しているのがブラックマンデーと言えなくもありません。通常、技術革新のサイクルとしてコンドラチェフの循環と呼ばれている六〇年周期の景気循環が存在するわけですが、ブラックマンデーは大恐慌から約六〇年経った現在、迫り来る何かとてつもない大変動を予兆しているのかもしれません――。以上できょうの講演は終らせていただきます。」

 余韻を残した終り方をしようとして、かえって僕自身の頭の中では最後の部分の言葉が繰り返し何度も何度も蘇ってきた。本当はもっともっと言いたいことがあったのに。ギッチリ詰め込まれたゴミ箱が舌の後ろの方に置き去りにされた。「ブラックマンデーとその後の為替市場」と題されたきょうの講演会のテーマからは、それらが余りにかけ離れ過ぎているのは明らかだった。日本の銀行に勤めていた時から講演上手の為替ディーラーとして市場では名が売れているとは言え、三十一歳と若輩の自分が経済・金融以外の事を一流企業の財務部門の責任者や先輩ディーラー達の前で話すのはさすがに気がひけた。

 エイズの発生ですら飽くことなき人類への警鐘のように思えていること、快楽のためなら何をも惜しまぬ人達。物質に対する異常なまでのこだわり。都市は人々の欲望をすべて飲み込んでは咀嚼し、グチャグチャなガムにしてそこいら中に吐き出している。行きつく所まで行ってしまえばもうやることは何もない。あるのは破壊とそしてその後に来る静けさだ。マネーゲームは一つの象徴でしかない。浄化作用を僕は待ち焦がれているのかもしれない。

 「雨沢さん、どうも。」声をかけてきたのはユナイデッド銀行の為替ディーラー宮崎秀樹だった。

「きょうの話はなかなか哲学的でしたね。我々為替ディーラーはどうも感覚だけで物を言う癖があるけど、雨沢さんの話はいつもアカデミックで奥行きが深い。ところで今晩夜十時半には一月のアメリカ貿易収支統計の発表ですね。いくら位の赤字になると予想していますか。」

 「さぁ、神のみぞ知るという所じゃないですか。」微笑んでいると、「まあ、どんな数字が出ようと相場が大きく動いて儲けのチャンスがありさえすれば、それで我々は文句はありませんけどね。」宮崎もニヤッと笑って去っていった。

 そうなのだ。為替相場について他人に教えられることなど本当は何もないのだ。安く買って高く売る、逆に高く売って安く買い戻す、ただそれだけの単純な理屈だ。様々な理論は理論のための理論でしかない。所詮、市場といっても生身の人間が自れの欲望で右往左往している場なのだから。大衆心理、つまり自分自身の弱さというものを一歩離れて考えること、それが勝つ秘訣と言えば秘訣なのかもしれない。社会の動きとそして人々の気持ちの推移――「時代」という古めかしい言葉が好きなように、僕は「相場」というものが好きだ。いつしか東京市場の若き有望ディーラーと言われるようになっていたが、いつも醒めた視点と独特の理論的説明、これが僕のささやかな武器だ。マネーゲームがだとえ腐りかけた甘い果実だったとしても、ディーラーという職業に半ば飽き飽きしていたとしても、僕は相場を張っているという緊張感からは逃がれられないだろう。

 講演会の会場のある兜町から日比谷のディーリングルームへちょっと顔を出すために地下鉄に乗る。白いタイルに過剰なライト。曇り空のようなボ―とした感じだが、僕の心は澄み渡っている。音が不必要に反響する。もしも僕が自分の肉体に自信のある自然至上主義者で、かつ都市計画の責任者だったなら地下鉄なんか決して作らなかっただろう。

 地下鉄の車両の中を見渡す。展覧会のポスターだ。少年が草の中に座り少し寂しげな瞳でこちらを見ている。アメリカの画家であることが僕の気持ちをかきたてた。心にひっかかって突然見に行くことに決めた。どうせきょうは夜番だ。展覧会で時間をつぶすのも悪くない。ディーリングルームには夕方顔を出せばそれでいい。手に持ったスーツケースを網み棚に載せた。

 ドル相場の行方がどうなるか、アメリカという国が今後どうなるのか、それによって日本がどう変わっていくのか、いつも頭の片隅で考えている。アメリカの画家の絵を見たからといってアメリカがたちどころに解るようになるという訳でもないだろうに――。ハリウッドの俳優の芝居がかったスピーチで一時的に元気を取り戻したアメリカ。しかし、俳優の神通力が落ちてくると今度は、貿易赤字と財政赤字という双子の赤字よって瀕死の重病人にたとえられるようになったアメリカ。ドルは人々の怨嗟の声を聞きながら下落し続けている。アメリカは再生するのか、それとも世界の盟主の座を自ら手離そうとしているのか。とにかくアメリカ人のメンタリティの根幹に触れてみたかった。

 シャガールの心は子供の心だったことを思い出す。子供が大人の描くような老成した絵を描くのも難しいと言えるが、大人が子供の眼と心で絵を描くのはもっと難しいことだろう。駅から続く子供の描いた壁画を目印にして歩いた。ここも道にタイルがはめ込まれてあった。

 美術館は中産階級の精一杯の良心の中にあった。なにしろ世田谷だ。障害児の少女の後ろ姿を描いた心象風景「クリスチーナの世界」で有名なアンドリュー・ワイエスの数々の作品とその父N・C・ワイエス、息子のジェイムス・ワイエス、三代の作品が集められている。「孤独と静寂」と書かれてある。身なりの良いおばさん達が絵を見て感想を述べあっている。「冬」と題されたN・C・の一九〇九年の絵には、雪の中に浮かぶ聖者が描かれ、聖者を取り囲むように虹がかかっていた。一九六〇年代の徴兵を扱ったジェイムスの絵にはサングラスと黒の皮ジャンが時代を語っていた。しかし、「孤独と静寂」という題に最もふさわしいのはアンドリューであるに違いない。息子のジェイムスよりも今日的だ。一九八〇年代になって突然発表したスキャンダラスな「ヘルガ」のシリーズの内、僕は「秋」という絵の前で立ち止まった。

 六〇年の景気循環は技術革新のサイクルで起こるのではなく、富の偏在のサイクルだとインド系のアメリカ人学者ラビ・バトラーが書いている。六〇年のサイクルをインドのカースト制の発想から労役者の時代、戦士の時代、有識者の時代、守銭奴の時代の四つの階級闘争の推移で説明する。彼によれば景気循環だけでなく、自由と統制の度合いにも六〇年そしてその中間点としての三十年の循環があると言う。そういえば干支も六〇年で一回りする。さらに、イタリアのシステム分析家で物理学者であるマーチェッティが鉄道の長さや発電量などを用いて分析した結果、人間活動には約五十五年の鼓動とも言うべき周期があるとのことだ。

アンドリュー・ワイエスが生まれたのはN・C・ワイエスが三十五才の時、そしてジェイムス・ワイエスは父の二十九才の時の子だ。人のサイクルも三十年、六十年。時代と世代。その中で変わることのないアメリカの大自然と人々の心。僕は、N・C・アンドリュー、ジェームスと世代の順に会場を回っていたのだが、頭の中はアンドリューの「ヘルガ」で立ち止まりジェイムスでは逆戻りしてしまっていた。N・Cが生まれて約六十年後に生まれたジェイムスは父ワイエスではなくN・Cに似ているのだ。

 緑色が目に入った。株式新聞の表紙の色。僕は駅の売店で仁丹を買ってから電話をかけた。「寒田さん、雨沢ですけど五時位にはちょっとそちらに顔を出します。」仁丹は口の中でにがく広がりそのあとスーと落ちていった。思わず、ネクタイを少しきつく締めていた。

 「127円ナナマルでゴセンマンドル買い(12770銭で五千万ドルのドル買い)!。」

 「ナナコウ テイクン(12775銭でのドル売りが出来)!。」

 「ナナサン ギヴン((12773銭でのドル買いが出来)!。

 「シンガポールが4億ドル売ってるぞ!。」

 「信託が128円でドル売りリーブ300本(指し値注文三億ドル)!。」罵声、罵声、罵声。電話、電話、電話。どなるような声、飛び交う売買伝票。ディーリングルームは戦場、いつものように狂乱状態だった。各自がロイター、テレレート、時事メイン、クイックと名付けられた四つの情報スクリーンに向かい合いながら電話で市場と格闘している。「アメリカがホンジュラスに派兵!ドルが持ち上げられたらそこは売りだぞ!。」プリンターもカツカツカツと憑かれたように情報をタレ流ししている。ここでは電話をかける時にはスイッチボードのボタンを押せば事足りるし、相手の電話も点滅するスイッチボードのボタンを押すだけで受けれる。「いつもお世話になっています。」などと言っていては為替レートがすぐ変わってしまっている。会話は挨拶抜きで高射砲のようにしゃべり出す。タイム・イズ・マネー。ディーラー達は完全にマシンになり切って売買をする。人間疎外などという言葉も喧噪に叩きつぶされてしまう。シドニー・東京・シンガポール・ロンドン・ニューヨークと24時間、世界のどこかで市場は動いている。寝ている間にも海の彼方で世界を震撼させるような事件がおこり、自分のドル買いのポジションやポンド売りのポジションから急に数億円の損が発生することもあるのだ。疲れた目を癒すために目薬をさすそのちょっと目を離した五秒の間にも世の中は一変してしまっているかもしれない。「おう、雨沢君、遅かったな。」チーフディーラーの寒田が僕の存在に気がついて手を上げた。一か月前、日本の大手銀行からフランス系のこの銀行に移ってきた僕に、期待をかけてくれているのがこのチーフディーラだ。どんな美意識なのか僕には良く解らないのだが、幅広のネクタイと大きな指輪、そしてにこやかな笑顔がこの人の特徴だ。

 「僕は君みたいに理論派じゃないから一か月先や三か月先の予想にはからきし自信がない。だけどだ、一時間先に相場がどうなるかを予想させたら世界中で俺の右に出る者はいないと思っている。相場の脈動が俺の体の中に存在する琴線に触れるんだ。さぁみてろ、さっき12780銭でドルを買った奴が市場には一杯いて、12780銭以上にドルが上がったら利食いたくて仕方がなくムズムズしていると見えるから逆に12780銭より上へは行きにくいよ。皆が強気になったらそこが売り場、皆が弱気になったらそこが買い場。マーケットというのは意地が悪くできている。人の気持ちの逆へ逆へと動くものだ。それからなあ、人間には迷いがあることも忘れてはいけない。だから必ず相場には戻りがある。相場が一方向に動き出したら、そのままマーケットの行くままにさせておいて皆がもっと行きそうだと確信したまさにその時、すかさず逆バリをする。これが最もプロフェッショナルで美味しく確実な方法だ。君は君のやり方で儲ければいいが、俺は自分の感覚を一番信じている。自分が信じられなくなったら生きてる甲斐がない。そして同時に自分自身を一番疑っているのも自分自身だということだね。」寒田はドリンク剤をたて続けに二本ガブ飲みにして続ける。

「本を読み過ぎると頭が悪くなる。感覚が鈍くなるということかな。知識は物を考える時にはもちろん必要だが、知識や情報が多すぎると心の眼が曇ってくる。昔に比べて情報がこれだけ多くなっているのに人間の行動には全然進歩がないよね。俺も外国の新聞は読むが日本の新聞は嘘ばかり書いてあるので流し読みにとどめることにしているんだ。」先ほど12780銭で五千万ドルを買い、今しがたきょうの高値12830銭で売り抜け、たった15分で二千五百万円を儲けた寒田は、他の若手ディーラーにも聞こえるように一気にまくしたてている。

 寒田亮、彼は東京外国為替市場のビッグプレーヤーとして名が通っている。元々、為替の一流ディーラーと呼ばれる人間は大概、変わり者と言って差しつかえない。共通しているのは一匹狼的に個性が強く、相場が好きで好きでたまらないハードワーカーということだ。そして恐ろしく変わり身が早い。朝令暮改などは生ぬるい、右だといったその五秒後に左へ行っても悪びれる様子などない。私はドルは強くなると思うけど、今ドルを売ってみました。理由?なんとなくそう思ったからです。こういう類いの連中だ。

 寒田のハードワーカーぶりは気狂いと紙一重だ。家にも情報スクリーンがあるのはもちろん、食事中も為替レートの動きを横目で追っているし、寝ていてもニューヨークやロンドンのディーラー仲間や顧客からの電話で起こされるため、ここ五年間ほどは毎日二~三時間単位の仮眠しかとったことがない。だから、高給は取っているけど体はボロボロだといつも言っている。彼について一つ面白いのはとても信心深いということだろう。月に一度は必ず神田明神へお参りに行く。仏壇に手を合わせることを毎日欠かしたことがない。単に商売人が御利益のためにすると言うよりももっと何か精神的な物のように僕には思える。心の底に何かに対する「虞れ」がないと相場師にはなれないということか。そして、彼は非常に義理堅い。ディーリングルームに「竜二」のポスターが貼られているのには苦笑するのだが。前に一度、超一流のディーラーになるための最も重要な資質は何かと尋ねたら、少し考えて「博打が好きなこと。そして嘘をつかないことだ。」と真顔で言い切った。

 きょう三月十七日は為替市場にとって月に一度のお祭りの日、アメリカの貿易収支統計発表の日にあたる。日本時間の夜十時半、ニューヨーク時間の朝八時半に商務省より一月の貿易収支赤字の数字が発表になる。たかが経済統計の発表に過ぎないというなかれ。この数字一つで為替レートが23円ぶっ飛ぶことも珍しいことではない。しかも影響は為替市場だけでなく、全世界の株式市場、債券市場そして各国の経済政策、貿易改革、軍事改革ひいては、庶民の生活、トラベラーチェックのレートにまで影響を与えかねないのだ。きょうも発表を晩にひかえて市場は重苦しい雰囲気と共にどんな数字が出るのかという好奇心で陶酔している。気紛れな女王蜂の命令を甘美な表情で待ち焦がれる働き蜂のように。

 発表前にこの数字を入手すれば前もって売買をしておき莫大な利益を得ることができる。欲望のるつぼ、儲けるためなら何でもする人間の集るウォールストリートでは、この数字を入手しようとする人間とそれを何とかして阻止しようとする当局との間で、今も血みどろの戦いが繰り広げられているに違いないのだ。かつてサロモンブラザースという証券のある有名なエコノミストの調査レポートが市場に大きな影響を与えていたことがあった。普通出るレポートが相場が上がると聞けば人々は買い、下がると言えば売った。調査レポートをタイプする秘書が買収されて情報を前もって漏らしていたという噂もあったくらいだ。最近ではこの貿易収支数字の市場への影響が大きすぎるために、発表の24時間前に数字を知りうるのは大統領、中央銀行総裁、財務長官、商務長官の四人しかいないと言われている。しかし、生身の人間が介在しているのだからどこからか漏れてしまってもちっとも不思議ではない。発表前に不自然な動きが相場に表れることがよくある。いくつかの不自然な動きの中からリークされた真実を見出すこと、それはプロフェッショナルの仕事と言えるだろう。

 アメリカというのは強烈な消費社会だ。借金が出来る限りいくらでも借りて物を買う、車を買う、家を買う。買って飽きればすぐ捨てて、また新品を買い直す。アメリカのスーパーマーケットはこの世の楽園、そして地獄だろう。シャンプーを買いに行っても夥しい商品が何十種類とあって人を威圧している。アメリカにいた時僕も物質文明の地獄の中で幸福感を味わったものだ。あれだけの数のシャンプーにつきあっていたら僕の頭は洗い過ぎてつるっパゲになっていただろう。消費にはいつも退廃の臭いが伴っている。世紀末はすぐそこだ。今買わなければ明日は死んでいるかもしれない。無常感。そして物質なしでも暮らせるという自信を得るチャンスを人々は永久に失うことになるのだ。日本はアメリカをいつも追っている。そして悪い面だけを模倣してきた。民主主義のない議会主義、義務の伴わない権利意識。地価の高騰は人々に貯蓄の空しさを感じさせ出している。お金を貯めて何になるのか、きょうを楽しむ、今を楽しむ。アメリカ人は日本人より早く現実を知ってしまったので他国から猛烈な勢いで物を輸入し、借金をし、そして世界一の借金国になろうとしていた。

 マーケットが息をひそめて注目しているのはアメリカ貿易赤字の金額だ。瀕死の重病人の脈を調べる借金取りに似ている。貿易赤字が予想より大きければアメリカ経済への信認低下でドル売り、予想より小さければドル買いとなる。夜の仕事に備えていったん帰宅し仮眠を取ることにした。白いタイル貼りのワンルームマンション。マンションの入り口にいつもの野良猫がいた。深夜に生ゴミの袋をズタズタにして荒らし回るので近所の嫌われ者で通っている。食べ過ぎて醜く太ったトラネコ。動きのその愚鈍さが何だかいとおしくて僕は「タマ」そして名字までつけて「江戸屋珠美」と呼んでいる。ネコはトラネコに限る。タマはきょうも入り口で、寄ってくるでもなくただ何もせずに「ワーン」と一声泣いただけで座っていた。ゴミ臭い頭をそっと撫でてやる。あしたまたハムをあげようか。ドアをあけると暗がりに、ぼうーと情報スクリーンの画面から緑色の光が垂れこめていた。ガランとしてほとんど家具らしい家具のない部屋の中、蒲団と壁が緑に染まっている。ここもまた安らぎの場所ではない。戦いは24時間続いているのだ。ロイター通信社のモニター画面は世界中のニュースと今この瞬間の為替レートを映し出していた。市場の、そしてマネーゲームの奴隷―中ばのあきらめで苦笑いした口元が緩む。僕はその程度の男だ。

 

部屋には自慢できる物など何も置いていない。強いて言えば長年使い込んで黒光りのしている万能の中華鍋が一つと、去年梅雨に友達からもらった紫陽花の鉢植えが一つ。紫陽花は花はとうに枯れてしまったが今年の梅雨にまた咲くと言われ、毎日夜寝る前に水をやり続けている。

 無性に映画がみたくなった。仮眠の前にきのう借りておいたビデオを見た。アッテンボローの「遠い夜明け」。つらい映画。毎日の飽食・マネーゲームに全身をさらす時間、その一方でアパルトヘイトが人々を苦しめている。ドルを買う、ポンドを売る、貿易をする、ダイヤを買う、ウランを買う、機械を売る。自分のしたことがどこかで世界に結びついている。誰かを利して誰かを苦しめている。南アフリカは遠い、しかし、ジェット機で飛んで行けば行けないこともないのだ。マネーゲームからは直接的に人種差別も発生しないのも確かだが、人々の願いに対しても全く無力だ。アフリカのパパ・ウエンバを小さな音でかけながら眠る。起きればまた戦いが始まる。いや、枕の下で市場はまだ動いているのだ。緑の光に包まれながら浮世を忘れて夢の世界で遊ぼう。そうだ、里子に電話をしておこう。あしたは花金だから。彼女とはつき合いだして二年になる。彼女は結婚したがっているが煮えきらない僕をただひたすら待ってくれている。彼女の好きな代々木上原のチョコレートケーキを持って訪れることにしよう。―――

久しく思い出しもしなかったのに、ウトウトしながら中学生の頃のことが蘇ってきた。人のために尽くせる職業につきたい、と真剣に思っていた時期があったことを。

 無力感は向上心で覆ってしまう。体を少しずつ緊張感に慣らしていくことも必要だ。職場へ戻る地下鉄の中では英語のヒアリングテープを聞く。ミステリーを英語で聞くのも悪くはない。疲れたところでリバースボタンを押した。テープの裏には休息のための音楽が入っているという訳だ。パンクロックの孫、スミスの曲が入っていた。

 本当はパンクロックが好きだった。ビートルズもストーンズもカウンターカルチャーもヘビーメタルも、一九五〇年代から六〇年代にかけて成熟してしまったジャズも、そして安保も学園紛争もみんな、みんな兄や姉の宝物であって僕達の宝物ではなかった。さりとてポパイやメンズノンノやグルメブームの明るさとは体質が違う。そんな僕らに一つの光明らしきもの、ムーヴメントを垣間見さしてくれたものがセックスピストルズの「アナーキー・イン・u..」でありクラッシュの「ロンドン・コーリング」だった。しかしパンクの熱気もあっという間に醒め、残ったのはパンクの流れを汲んだロンドンのポップス達だった。冷たい肌合いの情熱――それは今でも快地良い。そんな気分は、会社に入って少しずつ丸くなり今九年が経ってしまった僕をなんとなく表わしているような気もしている。

 口笛を吹きながらビルの風の吹き寄せる夜のオフィス街を歩く。空を見上げると北斗七星がかすかに見えた。きょうは月に一度のお祭りの日。大手町、丸の内あたりではディーラー達が格闘する。

 きょう残っているのはチーフの寒田と僕とそれにもう一人、宮澤一郎という名の新入りだった。我々三人それぞれ統計数字が発表される前に各自売り買いのポジションを整理し持ち高をゼロにしておく。数字発表後市場の状況をみて売買をする、というのが今回の作戦だ。良い数字が出たからといってすぐにドルが買われ、悪い数字が出たからといってすぐにドルが売られると決まったわけでもない。ドルを売りたい人が多ければ、たとえ数字が良くてもドルは下がり円は上がることになる。僕の直感ではよい数字が出てドルが買われ、上へ持ち上げられたそのあとで結局また売られてしまうという筋書きを描いていた。

 「宮澤君、君の予想は?。」僕が聞くと、「124125億ドルの赤字というところかな。」という返事が返ってきた。声の調子は妙に明るい。鍛えられた体と何か悟ったような顔付きが独特なムードを醸し出している。年令は僕と同じ位か。聞いて確かめる必要はない。ディーラーは年令など関係ない実力次第の社会なのだから。

 自分から転職したかったわけではなかった。銀行に入って九年が経っていた。入社したのは二十二才の春。サラリーマンとはこんな所かと半分面白がりながらも―仕事をする、疲れが体に一日一日とたまっていく、週末になると無茶苦茶遊びまくる、疲れが取れると自分の体も心も一週間の仕事のおかげで随分痛めつけられていたことを実感する。そんな毎日だった。週末に仕事以外のことをする時に、体の中に一週間沈殿した黒い物がスーと抜けていくような気がした。ゴルフ・カラオケ・歴史小説、普通のサラリーマンなら大概好きな事に背を向け自分の世界を守ることにこだわった。会社が終って疲れ切っているのにライブハウスへ行くこと、スポーツクラブへ入って会社以外の人間とつき合うこと、そんなことを必死にやっていたものだった。

 しかし、十年目の春が訪れたこの頃、気がついてみると週末になっても体の中に何も黒い物などたまらなくなっている自分に気づいた。サラリーマンという存在に埋ずもれているかに見えた他の男達が、実は静かで小さな幸せを手にしていることを知った。九年という時間は、そのことを知るには十分な長さだった。つまり、こういうことなのだ。会社にいる自分に反発するのではなく、会社というもの、サラリーマンというものに自分をもたれかけさせても、気持ちの澄んだ自分という存在は十分維持できるのだと気づいたということだ。いつからか僕はりっぱなサラリーマン、りっぱな人間になろうと心掛けだしていた。

 事の発端は一通の手紙からだった。それはあるヘッドハンター会社からの手紙で、我々は今、有能な為替ディーラーを求めているので誰か適当な人を紹介してもらえないか、という内容だった。もちろん自分の名など書くつもりなどなく、他の銀行の知り合いディーラーでそれなりに有能だが職場に常々不平を言っていた男の名を書いておいた。しばらくして来た手紙には、よく調べてみたが、あなたの推した人物は力不足であり、適任なのはあなたしかやはりいない、となっていた。うまいこと書くものだと思ったが、そんな気はさらさらなく放っておくと、今度は電話を何度も何度も職場にかけてきた。そして気がついてみると、なんとなく職場では、あいつは外銀へ転職しそうだという話になっていた。ヘッドハンターの良くやる手口だと後になって聞いた。何と否定し弁解しても解ってもらえなかった。弁解すればするほど深みにはまっていく。もともとスペシャリスト的な仕事に特化していた自分が、会社の中での賞賛と引き換えに浮いた存在になっていたことがその時身にしてみ解った。未練はあったが事は知らないうちに勝手に進んでしまい、就職先も決まらないうちにいつしか辞表を提出していた。どんなに有能な人間だとしてもその人間が急にいなくなってもなんとか会社は回っていく。同僚が転勤していく時の事を考えればいいではないか。そう自分には納得させた。

 雀の涙の自己都合退職金をもらい、今度は自分からヘッドハンターにコンタクトする羽目になった。元の銀行にいる時は月に平均一億円は稼いでいたし、市場で顔も知れていたので就職口の外銀はいくつかすぐに見つかった。目の飛び出しそうな給料を提示するアメリカ系銀行もあったが、給料は少し悪くても自分の修行の事を考え、市場では職人芸で通っている寒田のいるこの外銀を選んだ。三千万円。多額な金額の書いてある契約書を見た時、自分が何か犯罪をしているような錯覚に陥った。父親の顔を思い出した。父親は一徹に中小企業の営業マンとして黙々と働き去年定年退職していた。父親は「清貧」という言葉を好んでいた。

 十時半に後れること三秒、124億ドルという数字がロイターの緑色の画面に映し出された。予想の下限である貿易赤字の数字を見てドルは発表前の12780銭から値段を切り上げて12850銭をつける。僕は反射的にドルを12830銭で一千万ドル買っていた。そしてその十秒あとに寒田は12850銭で三千万ドルを売っていた。あっという間に日本の投資信託と信託銀行の電光石化のドルヘッジ売りが持ち込まれた。ドルは上昇の頭をガンと押さえられ12760銭まで値を落とす。寒田はすかさず三千万ドルのドル買いを行い利食いを終えた。約三分間で二千七百万円の儲け。僕の方は高値でドルを把んでしまい含み損となっている。我々のような一本立ちしたディーラーは各自が独立採算制になっている。各人の個人成績がそのまま給料に反映される弱肉強食の世界だ。日本のプロ野球に高い契約金でスカウトされた外人選手、それが外銀に高い契約金でスカウトされた為替ディーラーだ。寒田は儲けたが、僕は自分一人で自分のドル買いポジションを何とかしなければならない。宮澤の方を向くと彼はひんぱんに売買を繰り返していた。その仕草はまるでディーリングロボットという感じがする。

 相場はしばらくややドル高気味に推移したものの僕のコストである12830銭までは戻らない。12810銭で何度も何度も跳ね返された。待てばきっと一度はドル高に行き利食えるチャンスがあるという確信めいたものがあるのだが――。

 「オイ、俺はもう帰るぞ。」大声と共に寒田は席を立った。ディーラー稼業の厳しさを呪う。マネーゲームなんかいつか足を洗ってやる。

 「雨沢さん、ドルはもう少ししたら買われるよ。心配はいらない。」宮澤がこちらをふり向いた。その声は何か人を安心させるような優しさに満ちていた。

 「どうしてそんなことを言うんだ。それにさっきの数字もピタリと当てたし・・・・・。」

 「僕の名は宮澤一郎。本当の名は宮沢賢治っていうんだ。」

 僕は一瞬息を呑んだ。

 「僕は人の顔を一目見ただけで七割方その人間がどんな人間か見分けられるし、人の名前を見ただけで六割方その人間の運命を言い当てることができる。僕はあなたに好感を持ったんだ。」

 「まずは、ありがとうと言うべきかな。好感を持たれて気を悪くすることもないからね。ところで、さっきからそのパソコンで一体何をやっているんだ。宮沢賢治君。」

 「星の位置を見ているのさ。」

 「星の位置――?。」

 「あなたなら理解できるだろう。人の心理というものはいつの時代だってそうは変わらない、ということを。相場だって上がれば買いたくなるし、下がればもっと下がるのではないかと恐怖感にかられて売りたくなるというのが人情だ。そういった人間の心理をもっと深く分析するためには、経済や政治を勉強しただけじゃ不十分だ。歴史はもちろん、天体の動きや自然界の事象を勉強しなければいけないんだよ。全く新しいことが起こっていると感じても実は同じ事が昔起こっていたということが多い。地球も月も太陽系もみな回っているということだ。歴史は繰り返す。進歩を信じているのは人間だけかもしれないね。ちっぽけな地球上のささいな物事にとらわれていると物の本質を見誤るよ。」

 「何だか話が浮世離れしてきたね。もう少し具体的に話してもらえないか、僕はやくざな一人の為替ディーラーに過ぎないんだからな。」ほほえみかけると宮澤もにこっと笑いかけてきた。

 「フィボナッチの数の事を知っているよね。」

 「あぁどこかで名前だけは聞いたことがある。11をたして22と一つ前の数である1をたして332をたして553をたして885をたして13、同じように21345589・・・・・という具合だったね。」

 「そう。11からはじまって一つ前の数をたしていく。できた数にまた一つ前の数字をたしてゆく。こうしてできたのがフィボナッチの数列さ。この数列ではある数を次の数で割ると0.618に限りなく近づいていく。たとえば55割る890.618という具合にね。この0.6182乗して出来た0.3823乗して出来た0.236、これらも互いに色々面白い関係がある。0.618かける1.6181になるとか、0.6180.382で割ると1.618になるとかだね。この数字は実は、正方形を縦に2分割してできた長方形の対角線を半径とした弧を描いてできる底辺と、もとの正方形の一辺の長さの比というわけだ。」

 「言葉で聞くとややこしいが、いわゆる黄金分割というやつだね。」

 「世の中の事象はこの黄金分割で説明できることが多い。たとえば相場で13戻しとか23戻しとか言うが、チャートをよく見ると上昇・下降局面の0.3820.618で戻しの調整局面が終わることが多いんだ。この黄金分割については建築や美術ではもっと利用されている。人が快地良いと思う建築や美術品はこの数字の比率で作られているわけだね。あなたの名刺をちょっと見せてくれるかな。ほら、こうして計れば・・・・・縦が89ミリ横が55ミリになっている。8955もフィボナッチの数で、55割る890.618だね。」

 「あぁ、君の言う通りだ。」何だか頭がパズルのようにこんがらがって、それでも彼の話は興味をひきつけて離さなかった。

 「僕も聞きかじりだがエリオットウェーブセオリーという為替分析の名前は聞いたことがある。」

 「そう、相場の上昇局面には必ず五段階の波動があり、下降局面は三段階、そしてそれぞれの波動の長さはフィボナッチの数で計算できる、というものだね。」

 「君がパソコンで分析しているのは、そのエリオット理論なのか?。」

 「それも含めて色々なチャートの理論として今、アメリカで流行っている『アストロノジー、天文学による予測』っていうやつも含まれている。黄金分割が人の感性に心地良さを与えるように星の動きも人のセンチメントに微妙な影響を与えているんだ。星の動きを知れば、今、世の中で起こっていることもさらに良く理解できるし、将来起こるであろうこともある程度予測できる。」

 「少し解るような気もするが、具体的にはどうやるのかな。」

 「色々なセオリーが存在するんだが、まず、為替について良く知られているのは水星と天王星の関係だね。長い年月にわたる観測の結果、水星は為替の星だということが解っている。もちろん他にも軍事の星だとか政治の星だとか色んな星があるんだが――。水星と他の星との位置関係によって為替レートが動いている。一方、天王星は波乱を起こす星、サドンチェンジの星と言われている。水星と天王星がある特別な角度になった時つまり、30度の倍数になったような日は為替市場が転換点を迎えることが多い。ドル高が急に終ってドル安に向かうとか、その逆などだ。ほら、これが過去一年の水星と天王星の交差日と為替チャートの比較だが、恐ろしいほど為替市場の転換日と一致しているだろう。因みに一九八五年九月の五カ国蔵相会議いわゆるプラザ合意後の急激なドル安、あの日は天王星だけでなく太陽や他の星も大きく水星に影響していたんだ。」宮澤は軽快にパソコンを叩いては画面にチャートと星間図を映し出して分析を進めていた。

 「それから、もう一つ良く知られているのは日食と月食さ。為替に限らず日食や月食の日には世の中に何かの変化、たとえば地震とか飛行機事故とかが起こることが多いんだ。」ここで宮澤は、いたずらっぽく笑って見せた。僕には、何かを彼は言いたいのだと、思えてならなかった。

 「為替市場にも何かが起こる可能性が強いことが経験的に確かめられている。あしたが何の日か知っているかい。」

 「さぁ、何か星に異常でもあるっていうの?。」

 「あした318日は、日食だ。」宮澤はちょっと間を置き、続ける。

 「それはさておき、太陽の黒点が女性のスカートの丈に影響を与えるとか、景気循環に影響するとかっていうのも有名な話だね。このフローッピーディスクにあるプログラムと星座の表を組み合わせれば、40か月程度の周期のキチンサイクル、710年循環のジュグラーサイクル、2223年のクズネッツサイクル、5060年循環のコンドラチェフサイクルについても簡単に説明できるよ。」

 「アメリカのアストロジストの分析が去年のブラックマンデーを予知していたという話は僕も人づてに聞いたことがある。でも、僕には信じたいという気持ちと同時に、そんなに世の中簡単に出来ていてたまるかという気持ちが半々だな。」言っては見たが、疑うよりも信じる気持ちの方が圧倒的に勝っていた。彼は宮澤賢治だ、僕の理解力を超えている。

 「信じる信じないはあなたの勝手だ。だけどあなたはもう信じてしまっているじゃないか。あなたの誕生日は一九五六年の八月二十七日だったね。水星人だ。そして為替をやっている。」僕は言われて心臓が止まりそうになった。前に星占いが好きな友人から、あなたは秋の水星人と言われたことを思い出した。でも、なぜ、僕の生年月日を知っているのだろう。

 「僕は宮澤賢治だと言ったはずだ。宮沢賢治は岩手県稗貫郡にて一八九六年八月二十七日に生をうけた。あなたの生まれるちょうどぴったり六十年前にあたる。」彼の表情は前にもまして優しくなっていった。僕はもう何でも信じてやろうという気になっていた。

 「見てごらん、今晩の為替レートの予想が画面に出ている。今、ドルが少し上へ持ち上がって12860銭になっているが、これが恐らくここしばらくの天井となるだろう。利食うなら今しかないよ。」僕は言われるままニューヨークの銀行へ電話をしドルを12860銭で利食った。儲けは3百万円、暗算をした途端現実にまた引き戻される。ため息をついてちょっと聞いてみた。

 「今後の為替予測を画面に出してもらえないかな。それで僕は大富豪だ。」

 「お安い御用だ。」宮澤はパソコンをあれこれ動かし、一つの画面を完成した。僕は夢中になって画面に映し出された為替レートをメモしだした。データは膨大な量だったが、十年分位メモした所で馬鹿らしくなった。そんなに長い間こんな職業をやってるとも思えないし、第一この予測が当たるかどうかも全く解ったもんではないからだ。僕は無性に喉の渇きを感じた。体がフワフワ空を飛んでいるようだ。地下の自動販売機でビールを買い込み、一本貪るように飲みほした。

 ディーリングルームに戻ると宮澤は今度はファミコンのようなものをやっている。画面ではテレビのニュースみたいなものが映っている。

 「雨沢さん、これは未来の世界をシュミレーションしたものだよ。どうだい一緒に見てみようじゃないか。」

 ファミコンのように僕がボタンを操作すると、「銀河鉄道の夜」という題名が画面に映し出された。現代の宮沢賢治が作ったファミコンゲームの名前が「銀河鉄道の夜」。僕はなんだか子供に戻ったみたいでうれしくなった。

 ゲームをスタートさせると主人公は銀河鉄道に乗って星の間を運行していく。宇宙の中で星が静かに光っている。銀河鉄道は空間の中を身をよじりながら運行し、停車駅である星々に立ち寄っていくというのがこのゲームのストーリーのようだった。

 僕が選んだ第一番目の星は、どこか見覚えのある公園、ニューヨークのセントラルパークだった。集会が開かれ、二つのグループが向き合って小ぜり合いをしている。年代については想像するしかないが、奇妙な形のマイク、ゴムのような柔らかい材質でできた車以外は今とほとんど変わりがないことから、決して遠い未来ではないことが想像された。集団の中に「K・K・K」と書かれた白頭巾を着た男達が乱入してくる。「我々は黒人の大統領を一週間以内に暗殺する。」と叫んでいたが、警官達に連行されていった。警官はほとんど皆顔に刺青をしていた。

 

ボタンで選んだ第二の星も奇妙なものだった。見渡す限りの砂漠。何万人と集まったイスラムの兵士達はアラーに祈りを捧げて「打倒、非イスラム主義者達。」と号令をし戦闘機に乗り込んでいった。イギリスやアメリカの国旗をつけた戦闘機が上空を横切っていった。

 

 「戦争ばかりじゃないよ。そう悲観することもないさ。ちょっと西のほうへ行ってみたらどうかな。」宮澤の指示を無視して銀河鉄道を東のほうへ進める。第三の星はヨーロッパの片田舎の病院だった。病室の中では遺伝子の研究が行われているのだ。死んだような目をした主任格の医者が優性種の卵子と精子を交配させようとしている。別室では俳優のように顔・形の整った赤ん坊達が整然と並べられお行儀良く眠っている。

 「僕はなんだか空しくなってきたよ。」

 「あなたは世の中を憂いていたんだったね。だけど世の中だってそう悪いことばかりじゃないよ。楽しく生きることを考えた方がいい。人間はバランス良く生きることが一番だ。心静かに一生を生きる。働き過ぎれば社会からの賞賛は手に入れることが出来るかもしれないが心には必ず歪みが生じる。歪んでくると顔まで変わってくる。人間の寿命は伸びたとはいえ高々百年だよね。人間の魂は、そう三百年から四百年の周期で八~十回生まれ変わるものだ。一時の栄達など何の足しにもならないよ。心安らかに生活を過ごし徳を積むことだ。感謝の気持ちを忘れずに自分を高めること――。」宮澤は真顔になって僕に語りかけてきた。

「僕はちょっと頑張り過ぎてきたんだね。」

「あぁ、少しだけね。」

 心が溶けていくのが感じられた。

 「ビール飲むかい?」

 「太るからやめとくよ。今ダイエット中なんだ。」

 微笑みながら二人は顔を見合わせた。

 銀河鉄道は快調に運行し土星のように帯のついた星にたどりついた。四番目の停車星は日本の未来のようだった。ある昔ながらの古い家の内側を映し出している。部屋の中はがらんとしているが真ん中に一つこたつがあった。家族はみんな口元に優しそうなほほえみをたたえて座っている。二つの点を除けば今そして20年も前の日本と違いはなかった。一つは冷蔵庫やテレビがこれまで見たこともないような形をしていたこと、そしてこたつに当たっている者、訪ねて来る者全員が皺だらけの老人であったことだ。

 土星の帯をつけた星のすぐ近くの星に降り立つ。ここも日本の未来のように見えた。切り立った崖、日本海の海岸線が続いている。どこかで見覚えのあるところだ。

 「あっそっちへ行ってはいけない!。」宮澤がこちらを向いて気色ばんだ。ちょっと画面から目を離した瞬間、ゴォーという強裂な爆音がし、画面が一面真緑になった。――緑色をしたキノコ雲がいくつもいくつも、ゆっくりとそして荘厳に空を覆い隠していく。人間が人間に与えた罰――。宮澤が僕に向かってとびかかってきて甘ったるいにおいのするガーゼを鼻に押しつけた。あたりが真黒になり爆音が徐々に引いていった。

 

 翌日の早朝、一九八八年三月十八日金曜日午前五時三十四分、東京地方は直下型地震に襲われ、住民たちは眠りから目覚めさせられた。気象庁の発表では震度三だったが、マグニチュードは六・一ということで家が軋むほど揺れは激しかった。人々は当日の職場や家庭で直下型地震について語り合ったものである。

 大きな揺れを体に感じて僕は目を覚ました。揺れがようやくおさまると、頭がガンガンしていることに気付き、深呼吸してあたりを見回した。ディーリングルームの床には昨晩のビールのあき罐が一つ転がっていた。反射的に机の上に目をやると、ロイタースクリーンの画面は相変わらず緑の数字で為替レートを点滅させていた。レートは128円ちょうど。画面の下の部分には「コロンビアで飛行機が墜落」というニュースが映し出されている。そして昨晩の売買伝票があたり一面に散乱し、見覚えのある紙片――十年分の為替レートがびっしりと書き込まれているメモ、が目に入った。なんだか朦朧としながら、そのメモを四つ折りにしてポケットにねじ込んだ。昨晩の事が、絡んだ糸がほぐれるように少しずつ蘇ってくる。宮澤のいたずらっぽい微笑が浮かぶ。そうだった、きょうは日食だったな。静まりかえった暗がりの中でウーンと一つ伸びをした。時計を見ると朝の五時四十五分、ニューヨーク市場もほぼ終了している。このあとはウェリントン市場が開くまでの間、市場はしばらく空白の時間帯となる。するめのように画面の前で力無く漂っていると、窓から光がおずおずと射してくるのを感じた。暗がりでは不気味にくっきりと浮き上がっていた緑の文字が、窓からの透明な光でボーと少しずつ溶けていった。朝が来る――。

 僕は窓の外をちょっと見やり、一目散に部屋を出て階段をかけ昇った。屋上の扉を開けると冷ややかな酸素が僕の眠気と疲労を打った。太陽。日が、まさにビルの谷間の地平線から昇ろうとしている。人間の小賢しい意図やちっぽけな悲しみを跳ねのける偉大な力。もう少し待って、昇り来る太陽を見ることが出来ていれば、一体何人の人間が死なずにすんだことだろう。ビルの下には日比谷公園と皇居の緑が広がっていた。最近は仕事に追われて、公園を歩くことすらなかった。心が空しかったので、木々の緑を美しいと感じられなかったのかもしれない。あたりの空気を一杯に胸に吸いこんで、三百六十度ぐるっと世の中を見回してみた。やっと、頭が冴えてきたな。遠くに霞むビル、明けかかる空を見ていると、きのうの事が夢のように思い出されてくる。地下鉄の中での自分、ファミコンゲーム、宮澤の言葉――。きょうからの自分は、きのうまでの自分とは何だか少しは違って生きていけるのではないか、そんな風に思えてきた。少しは人に優しくできるのではないかと思えてきた。里子の事も。すまなかった。あとで電話をしよう。お互いが寄りかかり合って生きてゆく小さな人生を選ぶのに、もう何もこだわることはない。恐れる事は何もないのだ。心がなんだか、静かで幸せな気分がする。

 JR山手線がそろそろ動き出した。有楽町駅の方に人の動き出すのが見える。朝の街は二時間もすれば、さわやかな顔で忙しげに歩くビジネスマンで一杯になるのだろう。

 彼らが疲れて見えたのは、僕の方が疲れていたからなのかもしれない。

 太陽が昇っている方角の右手には、二十一世紀に向けて変貌していくウォーターフロントが位置している。アメーバ―のように増殖していく東京。太陽が少しずつ昇り、朝日が白みを帯びてくるにつれ、僕の体の中には経済が満ちてくるのが感じられた。

 もう、こんなものはいらないのだ。ポケットから例のメモを取り出し、紙吹雪を作る。屋上から日の光を受けて、キラキラ輝きながら落ちていく紙切れを見て、僕はなんだか笑ってしまった。

 さぁ、ディーリングルームへ帰ろう。きょうは売りから入ろうか、それとも買いから入ろうか。緑の画面はシドニー市場の為替レートを点滅させていることだろう。まもなく、東京市場が始まる。

(了)

                                   以上(2005年04月記)