Essay

アジア金融危機と米国の対日経済戦略~ホワイトハウスはドル高政策を変更するか~

第一生命保険相互会社(社長 森田 富治郎)のシンクタンク、(株)第一生命経済研究所(社長 森 馨一郎)では、標記のとおり「アジア金融危機と米国の対日経済戦略」と題するレポートを取りまとめましたので、ご報告いたします。

 

要点

  • 日本政府が「緊縮財政、低金利政策」のポリシー・ミックスを続ける以上、経常黒字の増加は避けられない。しかし、ホワイトハウスはドル高容認政策を継続するだろう。これは、クリントン政権が通貨政策を対外不均衡是正のためではなく、国内均衡達成のためのマクロ安定化政策として位置づけているためだ。安定成長の継続が同政権の優先課題であり、米景気が完全雇用状態にあるため、当面はドル高容認政策の継続が必要である。
  • ホワイトハウスでは、日本の政策失敗が景気後退を引き起こし、これがアジア金融危機を深刻化させたとの見方が強い。アジア危機が解決されなければ、反自由貿易主義圧力が高まり、世界経済の繁栄を脅かす。これは、経済問題を超え、安全保障上の問題でもある。 アジア各国に購買力を提供するために、日本への内需拡大圧力は一段と高まるだろう。
  • 日本経済に必要な処方箋は、大規模な所得税減税(少なくとも6兆円の恒久減税)、不良債権問題の解決、規制緩和の推進の三つであり、米国の要請は妥当である。
  • 「流動性の罠」の状態にある日本経済が回復するためには、政府が借入れを行ない有効需要を創出するしかない。成長率押し上げの観点からは、政府支出拡大が妥当だが、政府支出拡大には問題が多すぎるため、所得税減税が望まれる。減税であれば、長期的にも効率的な小さな政府につながる。
  • 日本の閉塞状況を打破するためには規制緩和の推進が必要だが、これは短期的には景気縮小圧力を高める。大規模減税を実施することで、デフレ圧力を吸収すべきであり、規制緩和の気運を後退させてはいけない。

 

   

   お問い合わせ先   

(株)第一生命経済研究所 

 経済調査部

 主任研究員 河野龍太郎

 TEL(03-5221-4517)

 

 

Ⅰ ホワイトハウスはドル高政策を変更するか

 

①ホワイトハウスがドル高容認政策を続ける理由

日本の貿易黒字の拡大が続いている。97年の貿易黒字は前年比で48.5%増、5年ぶりの増加となる。第一生命経済研究所の見通しでは、98年度の経常黒字は対名目GDP比で2.9%まで上昇する見通しだが、これは米国が警戒水準とする2.5%を大きく上回る。

日本政府が「超緊縮財政、超低金利」のポリシー・ミックスを続ける以上、対外黒字の拡大は避けられない。これは、緊縮財政による内需低迷で輸入を減少させ、低金利を背景とした円安が輸出増加と輸入抑制の効果を持つためである。「内需拡大を続け、対外不均衡は拡大させない」とした昨年6月のデンバー・サミットでの日本の公約は、間違いなく達成不可能である。

それでは、クリントン政権は日本の対外黒字拡大を阻止するために、ドル安容認政策に転換するだろうか。98年11月には中間選挙を控えていることから、ビッグ・スリーなどの輸出企業に配慮してこれまでのドル高容認政策を変更するとの見方もマーケットでは再び聞かれ始めた。

しかし、現在のクリントン政権は、通貨政策を対外不均衡是正のためではなく、国内均衡を達成するためのマクロ安定化政策の一つとして位置づけている。マクロ安定化政策とは、景気過熱や不況を避け、景気循環を平準化させるための政策である。金融政策や財政政策同様、通貨政策をマクロ安定化政策のツールとしているのである。

これまでルービン財務長官が「ドル高は国益」であるとし、ドル高容認政策を続けてきたのは、外需を抑制することによって、景気過熱を回避するためであった。これまでのところ、物価上昇は始まっていない。しかし、失業率が5%を下回った状態が続き、賃金上昇が始まっていることを考えると、米国経済が完全雇用にあることはまず疑いようがない。賃金上昇率は前年比で4%に達しており、インフレリスクは存在する。まだ、ドル高容認政策が必要な状況である。

少なくとも、現段階で米国がドル安容認政策を採用すると、以下のような問題を引き起こす。まず、ドル安は米国の輸出を刺激し景気過熱要因となる。景気が完全雇用に近く余剰生産力が小さいことを前提にすると、消費であれ、輸出であれ、総需要を刺激することは望ましい政策ではない。また、グリーンスパン議長が指摘するように、輸入増大が物価上昇を抑えているが、ドル安になれば輸入増加を阻害することになる。また、財務省がドル安容認策を打ち出せば、海外の機関投資家は米国債の保有を躊躇する。海外からの資本流入圧力を減退させることになるのである。これは、債券安、株安を引き起こし、景気減速どころか、景気後退を引き起こすリスクがある。持続的な安定成長(=国内均衡)を達成するためには、ドル高が必要なのである。

もちろん、ドル高を容認すれば米国の経常赤字は膨らむ。しかし、マクロ経済の観点からは、持続可能性(サステナビリティー)が問題になるような水準まで、経常赤字が拡大しているわけではない。現在の米国の経常赤字は名目GDP比で2%程度に過ぎないのである。東南アジアでは、経常赤字のファイナンスが困難となって通貨危機が生じた。しかし、米国の経常赤字のファイナンスが困難になるような状況が想定されるだろうか(今後、アジア金融危機が原因で米国の経常赤字拡大は避けられないが、引き続き持続可能性が問題になるとは思われない)。

確かに、80年代半ばのレーガン期には、経常赤字拡大が問題となった。ただし、この時の状況とは大きく異なる。当時、経常赤字は対名目GDPで3.6%(1987年)まで上昇していた。また、財政赤字拡大(公的部門の貯蓄減少)が経常赤字拡大の大きな要因であもあった。現在は、財政部門の赤字は減少している(ホワイトハウスは98年10月から始まる99年度予算で、財政黒字に転換すると予想)。米国の経常赤字拡大は、民間部門の最適な消費・貯蓄行動の結果なのである。

政治的に見ても、対外競争力の強化はすでに達成済みであり、優先順位はかなり低い。アメリカの企業がナンバー・ワンの状況にあることは、自他ともに認める現実である。このため、安定成長をいかに継続させるかが、現在のホワイトハウスの最優先課題であることは明らかだ。日本の経常黒字や米国の経常赤字そのものをターゲットにした通貨政策を採用することはなさそうである。

 

 

②ドル安転換はいつか? アジア金融危機の影響は?

それでは、ホワイトハウスは何をきっかけにドル安容認政策へ転換するだろうか。米国は財政均衡を目指し、景気循環に関わらず緊縮財政策を続けている。現在の日本とは異なり、緊縮財政政策を続けても、景気の拡大基調の強さが財政のデフレ圧力を吸収しているのである。しかし、仮に景気が減速局面入りするとどうなるだろうか。緊縮財政によるデフレ圧力を低金利政策とドル安政策によって取り除く必要性が生まれてくる。ポリシー・ミックスの変更である。これを放置しておくと、リセッション懸念が高まる。

現実に景気減速が始まると、連銀が金融緩和に転じるだろう。この時、金利低下によって生じるドル安を財務省は容認するはずである。これまでも、クリントン政権下での通貨政策は、常に連銀の金融政策に合致するものであった。つまり、引き締め基調の金融政策が敷かれている時はドル高容認政策を採り、緩和基調の金融政策が敷かれている時はドル安容認政策を採ってきた。つまり、ドル安政策への転換の条件は、金融緩和をにつながる景気減速である。

現段階では、アジア金融危機が米国の景気減速を引き起こす最大の要因である。昨年の11月と12月の連銀の政策委員会(FOMC)では、完全雇用下で潜在成長率(2.5%程度)を上回る高成長が続いていたにもかかわらず、利上げを実施しなかった。これは、アジア金融危機が原因であった。米国の政策金利上昇によるアジアの金融市場への悪影響が懸念され、アジア地域への輸出減少を通じた将来の米国景気の減速が考慮されたのである。

アジア金融危機の影響で98年の米成長率は0.5~0.75%ポイント程度減速する。ただ、これは97年の3.5%強の持続不可能な速い成長ペースからの減速であり、景気後退リスクが高まっているような状況ではない。インフレ・リスクが高まっていただけに、米国景気について言えば、景気減速を引き起こす望ましいショックであるとさえ言える(もちろん、アジア通貨危機は世界経済への脅威である)。

米国の長期金利は、政策金利の引き上げの可能性が消えたと判断し、急低下した。こうした米金利の低下がドルの下落につながらなかったのは、「質への逃避(flight to quality)」として、国内外から米国債市場に資金が流入したからである。アジア市場、日本市場への不信の高まり、相対的な米国市場への信認の高まりが、米国金利低下、ドル高を同時に生じさせたのである。

米国経済はまだ完全雇用の状態にある。また、将来の景気減速期待から長期金利が大幅に低下した結果、企業の投資需要、家計部門の住宅投資や耐久財購入等が今後刺激される。米国景気は金利動向に極めて感応的であることを考えると、場合によっては、長期金利の低下がアジア通貨危機による景気抑制効果を完全に吸収する可能性もある。連銀も成長率の減速がわずかにとどまり、失業率などが持続不可能な現在の低水準にとどまるリスクもまだ存在すると考えているようである。しばらくは、連銀が金融緩和に転じる可能性は小さい。財務省がドル高容認政策を転換する可能性も小さいだろう。

 

Ⅱ 米国の対日戦略  高まる日本への内需拡大圧力

 

①米国は日本をどう見ているか

アジア金融危機の救済は米国・IMF主導で進められている。そこに日本の貢献はほとんど見あたらない。それもそのはずである。マサチューセッツ工科大学のドーンブッシュ教授によれば、「日本はアジア問題を解決するどころか、日本そのものが世界経済のお荷物(大問題)になっている」のである(ビジネス・ウィーク98年1月12日号)。

ドーンブッシュ教授は、民主党系の経済学者で、クリントン政権に近いとされているが、こうした見方が米国の一般的な見方になっていることは、21日のルービン財務長官のアジア危機に関する講演でも示された。同長官は、「アジア地域の脆弱性の原因は日本にある」とはっきり指摘している。

景気縮小圧力にさらされるアジア諸国に対して自国市場を開放し、輸入を拡大することで世界経済の牽引役となっているのはアメリカだけである。本来は日本も世界景気のデフレ圧力を取り除くための機関車の役割を担うべきである(日本政府に対して国際的な危機への政治的なリーダーシップはそもそも期待できないかもしれない)。しかし、日本は緊縮財政政策を採用することで国内需要を縮小させ、結果的には輸入を抑制している。通貨危機に見舞われたアジア諸国同様、世界経済の縮小圧力の震源地の一つになっているのである。

それでは、日本は通貨危機に直面するアジア諸国と同じような経済状況にあるのだろうか。アジア諸国は、通貨危機によって経常赤字のファイナンスが不可能となり、不況政策を受忍せざる得ない。国内総投資に比べて国民総貯蓄が少なく、この差額のファイナンスが不可能となったのである。国民総貯蓄を増加させるためには、消費減少、輸入減少、(政府貯蓄を増加させるための)財政支出削減や増税などの不況政策を採るしかない。もちろん自国通貨下落による輸出増加も考えられるが、効果が十分出始めるまでには、ある程度の時間を要する。

日本経済も、株安、円安に見舞われたことや、銀行危機などが生じ、アジア諸国との類似点は多い。しかし、マクロ経済的には完全に異なる点がある。それはアジア諸国とは反対に、国内総需要が不足していることが問題なのである。つまり、アジア諸国における処方箋が不況政策であるのに対し、日本経済への処方箋は景気刺激策の採用なのである。言うまでもなく、現状の景気の落ち込みは、緊縮財政によって引き起こされたものである。1月18日のワシントン・ポスト紙が指摘するように、「日本で生じた問題は、経済的失敗と言うよりも、政治的な失敗なのである」。

 

②日本に必要な経済政策

日本の経済問題に対する処方箋は明らかである。例えばドーンブッシュ教授は次の3つを挙げた。

  1. 不良債権問題の解決(損失隠しに汲々としている現状から、前向きに貸出しができるように)。
  2. 大規模な所得税減税(少なくともGDPの2%相当=10兆円)。
  3. 劇的な規制緩和(経済活動を活性化し、雇用を創出し、成長を促進することで、財政収支均衡をもたらす歳入増加につながる。レーガン・サッチャー型の革命が断固必要)。

ドーンブッシュが挙げる政策は、第一生命経済研究所がこれまで提言してきた政策と完全に一致する。不良債権問題への解決策は出揃ってきた。しかし、肝心の財政政策の発動はまだ決定されていない。金融緩和が限界にある以上、政府部門が赤字を増加させることで有効需要を作り出す以外ない。総需要の落ち込みを大規模減税によって補うことが必要である。昨年末に決定された2兆円の特別減税は、「too little too late(小さすぎるし遅すぎ)」である。政府の掲げる98年度の1.9%成長を達成するためには、少なくとも6兆円規模の恒久減税、もしくは10兆円規模の特別減税が必要である。経済構造改革のために規制緩和が必要だが、規制緩和による短期的な痛みも、減税が相殺してくれる。

景気低迷が続く中、何もせずそのうちすべてうまく行くと官僚が主張する状況を見て、ドーンブッシュ教授は現在の日本を1929年の大恐慌を連想させると言う。当時のアメリカと異なり、ビルト・イン・スタビライザー(自動安定化装置)が働いている現在では、実質GDPが30%も落ち込むことはない。しかし、アジア各国が景気低迷を続ければ、反欧米主義、反自由貿易主義の圧力が高まるのは想像に難くない。経済的問題に止まらない、安全保障上の問題でもある。ホワイトハウスがアジア危機に対して積極行動を起こしたのもこのためである。

ドーンブッシュ教授は、「日本が成長しなければ、世界経済の繁栄と自由貿易が脅かされる」と指摘する。日本は国内景気の回復を確実にする経済政策を実施しなければならない。日本が景気を回復させることが、アジア各国に購買力を提供することでアジア危機対策となるのである。2月末のG7に向け、米国からの内需拡大圧力は間違いなく強まるだろう。そして、ここに挙げた米国からの要求は、日本にとっても、世界経済にとっても望ましい政策である。

 

 

 

③所得税減税の必要性

 第一生命経済研究所が所得税減税を支持する理由は以下の通りである。

通常の不況局面であれば、日銀が貨幣供給を増加させれば、遅かれ早かれ企業や家計は支出・生産活動を回復させることができる。貨幣供給を増加させることで、支出性向の低下(貯蓄性向の上昇)に対応した貨幣需要の高まりを満たせばよいのである。

しかし、現状はクレジット・クランチでマネーの供給も十分ではない。さらに、金融機関の破綻をきっかけに、一段と不透明感は増しており、家計や企業が手元資金の多寡に関わらず、流動性を増やそうとする、マイナスの連鎖も広がっている。日銀が金融緩和で供給したマネーが、支出されずに保有される「流動性の罠」に陥ったのである。

こうした悪循環を断ち切る方法は、政府が借入れを行い、支出を増加させることである。民間支出が増えないのであれば、政府が支出を増やすしかない。ただ、政府支出を増やすことには、問題が多すぎる。日本の抱える問題の一つは、政府支出の非効率さ、不透明さなのである。もちろん望ましい政府支出は存在する。しかし、政府支出が拡大された場合、必要な社会資本に資金が回るとは到底期待できない。これまで通り、道路を掘り返して、そして埋めるだけに終わりそうである。このため、政府支出に比べて効果が半減するが、所得税減税等の減税が選択されるべきである。減税規模が大きければ、それなりの効果が期待できるはずである。また、減税であれば、長期の経済構造改革の理念とも合致するはずである。減税の結果税収が減れば、長期的には歳出を抑制せざる得ないため、長期的にも効率的な小さな政府が期待できる。

これまで、政府は財政出動のかわりに、規制緩和で不況が回避できるとしてきた。しかし、規制緩和は、経済の効率化によって潜在的な経済成長率を引き上げる政策である。非効率な生産者が市場メカニズムによって効率化され、価格下落が生じることで、消費者の実質所得が拡大する。これが規制緩和のメリットである。効率化は規制で守られた既得権益の喪失を意味し、時には非効率産業における倒産、失業によって達成される。このため、長期的に効果があるとしても、短期的には景気縮小的に作用する。大きな効果を持つ規制緩和であるほど、短期的には景気縮小効果が大きいはずである(痛みのない規制緩和策もあるが、効果が現れるまでには長い時間がかかる)。

不況の深刻化に伴ない、規制緩和を遅らせるべきとの見方が強まるかもしれない。規制緩和によって生じる短期的な景気縮小圧力を吸収するためにも、減税を行うべきである。

 

<減税の効果試算>

 

98年度の政府目標である1.9%成長を達成するためには、少なくとも6兆円の恒久所得税減税、もしくは10兆円規模の特別減税が必要である。

 

2兆円減税の恒久化

個人消費を0.6%ポイント押し上げ

実質GDPを0.3%ポイント押し上げ

6兆円恒久減税実施

個人消費を1.7%ポイント押し上げ

実質GDPを1.0%ポイント押し上げ

10兆円特別減税実施

個人消費を1.7%ポイント押し上げ

実質GDPを1.0%ポイント押し上げ