小渕さんも7月のサミットを控えて2000年3月の末に沖縄に行かれていたようですが、私も同年の3月21日から24日までTBSラジオの「森本毅郎スタンバイ」の方々と一緒に行ってきましたので、その印象をまとめておきます。短い間でしたが、いろいろな方とお会いし、また沖縄本島を最北端から最南端まで走って見て回りました。
逗留したホテルは今年7月にサミットが開かれる現在建設中の施設「万国津梁館(ばんこくしんりょうかん)」の直ぐ近くにあるBusena Terraceというホテル。良いホテルなのですが、まず話題提供と言うことで言うと、ネットワークを確保しようとして愕然とした。
県内の就業者数は57万2000人で、産業別ではサービス業(18万8000人)、卸売り・小売り業(15万3000人)、建設業(7万2000人)、電力・ガス・運輸・通信業(5万3000人)、農林業(3万8000人)となっている。サービス業には当然ホテル、旅館が含まれ、そのセクターで一番雇用が大きいという結果。小さな雇用の集まりということでもある。卸売り・小売りなども商店の寄り集まり。
沖縄経済の一つの特徴は、「公共投資依存度」が極めて高いということです。これは北海道と似ている。その部分で出てくる雇用が建設業の7万2000人になっているということである。今回も国道58号線の工事だけで、大勢の人たちが雇用されているのが見えた。工事が一巡すれば、こうした雇用はなくなる。
単一事業所として沖縄最大の雇用者は県庁だそうです。4000人以上の人を雇っている。沖縄経済の中では目立つし、「それしかない」と思うのかも知れませんが、沖縄の大学生は皆「県庁への就職」を希望するらしい。実際のところ、「県の職員は威張っている」と聞いた。
次に大きな雇用者は、沖縄電力(ここも就職人気が高いらしい)の1000数百名だそうです。それに続くのは、琉球銀行だとか沖縄銀行。沖縄には都銀は一つしか来ていない。つまり問題は、「産業と言えるモノがない」ということです。ホテルや旅館、一つ一つの商店の雇用が、県の雇用の大部分を作り出している。それ自体は問題ではない。活力があって、拡大しているなら問題はない。しかし、柱になるような産業が欲しいのも確かだ。今の沖縄にはそれがないのである。
自動車の売り上げが昨年だけで10%も増えて、「日本という国の中では景気としては先行している」状況なのは、JALなど各航空会社を中心に観光誘致が比較的うまくいっていること、サミット関連の公共投資が動いていることが背景です。サミット人気もあるし、春休みということもあるのでしょうが、空港も混んでいたし、ホテルも込み合っていた。
しかし、問題はサミット後なのです。どのようにして県の経済状態を保っていくか。いつまでも、「公共投資依存」は無理でしょう。サミットが終われば、必然的に道路、通信施設、ホテル、会場建設などへの投資は減る。サミットの投資効果は短期的なもので110億円に達するとみられる。それがなくなるのですから、大変です。
いろいろ構想はある。「マルチメディアアイランド構想」とか、「北部でのファイナンシャル・センター構想」など。前者に関しては、「コールセンターの誘致」ということで動き出していて、沖縄銀行によれば99年8月の段階で「ベルシステム24」「NTT-DO」「CSKコールセンター沖縄」など9社が進出して、844人を雇用しているという(下に表あり)。沖縄の全体計画は2010年までに「24500人の情報関連産業雇用を」ということらしいので、まだ計画は動き始めたばかりということです。 コールセンターが沖縄に誘致できる最大の理由は、
喜屋武はちょっとサイパンのバンザイ・クリフを思い出させる。あんなに景色良く、絶壁が続いてはいませんが、高さは同じ様なものです。売店も何もない。碑と展望台が有るだけです。私が着いたときには他に誰もおらず、そのあと4人組の若い女性のグループが来ただけでした。北の辺戸は、着いて直ぐにアフリカの喜望峰を思い出しました。風が強いせいでしょうか。木や草が一定以上の長さにならない。皆地面に這い蹲っているのです。しかし私たちが行ったときには、風はそれほど強くはなかった。
こちらには、大きな駐車場と売店がある。夕方だったせいか、人はここでもまばらでした。辺戸に行く途中で強く感じたのは、「沖縄の南北問題」と「東西問題」です。つまり、北の方が南より、東の方が西より開発が遅れている。だから、当然ながら北東部が一番未開発で、十分な道もないとなる。サミットがそれに拍車を掛けている。沖縄で幹線道路と言えば58号線です。沖縄本島の西側を辺戸から那覇まで走っていて、那覇から名護当たりまでは凄い改修工事が進行中で、ビルの建設も盛んです。しかし、名護を過ぎて北上すると、建設現場にはほとんどぶちあたらない。静かなものだし、車も人も少ない。
ヤンバルクイナが発見されたのは、自然が豊かな沖縄の北(山原=やんばる)です。だから沖縄の中には「北の自然は残そう」という声がある一方で、「北も開発しよう」(北部開発)という動きもある。人口は沖縄の場合は日本の大体1%だそうですが、2000年2月の統計を見ると那覇(30万人)など大部分は南の大きな都市に居る。しかも台風が直撃しない西に集まっているのです。那覇は南西部にあり、空港はその南にある。
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沖縄というと「戦争」と「基地」は忘れられない。初めてだったので、ひめゆりの塔も見ましたし、その後ろにある資料館にも行きました。正直立ち竦む。沖縄の方々は、壮絶な経験をしたと思う。資料館にある多くの方々の写真は特に印象的でした。
現状はと言うと、130万人の島民に対して正確には分からないが6万~7万(軍の秘密で公表されていないそうです)のアメリカ兵がいる。日銀の前沖縄支店長の橋本さんによれば、普天間の基地を一望できる岡のような場所があるそうですが、それは残念ながら行けなかった。しかし、58号線を走っただけでも、嘉手納など基地はいくらでも目に着くし、これはタクシーの運転手が行っていたことですが、島の20%は依然として基地だそうです。米軍は対日戦争において沖縄を「不沈空母」にしようとしてその奪取に全力を投入。これに対して日本軍も戦ったのですが、随分といい加減な戦いだったらしい。
やはり本土の人間は、沖縄に対して過重な国防上の重みが掛かっていることを考えなければならないでしょう。
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全国どこでもそうでしょうが、沖縄でも大きな商店街の移動が見られました。有名だった「奇跡の一マイル」と言われた那覇市中心部の「国際通り」は人通りも少なく、「寂れている」という表現がぴったりでした。ビルの空室も目立つ。特に、表通りでも二階、三階の空室率は異常に高いのだそうです。
代わって沖縄で最大の商店街となったのが、嘉手納の直ぐ下の「北谷」(チャタン)。米軍がヘリコプター基地を返還してきた58号線沿いにあって、大きな駐車場と大きな商店コンプレックスがいくつも出来て、人も出ている。4月から稼働する大きな観覧車が目安で、ここに並んでいる商品はなかなか魅力的でした。
もっとも、駅前の昔は栄えた商店街がすっかり寂れて、駐車場を抱える新しい商店街が道路沿いに出来るのは全国的な傾向で、特に線路が一本もない「車社会」の沖縄では、その傾向が顕著だということです。
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沖縄では、むろん「ご当地料理」も食べました。私はあまり観光本に載っている店は信用しない。大体がはずれだからです。いつもどうするかというと、「聞く」のです。例えばホテルのフロントの女性などに。男は駄目です。役に立たない。「じゃ、あなたがちょっと美味しいものを食べに行く時にはどこに行くの....」といった感じで。
でホテルのフロントの女性から出てきたアイデアが、名護では「山吹」だった。ここは確かに美味しかった。私たちが23日の夜頂いたモノは以下の通りです。店の女性がわざわざ私の求めに応じて書いてくれた。
弥生23日のお品書き
すみません突然。忘れないために、読み方を書いておきます。東(コチ)、南(ハエ)、西(イリ)、北(チャ)で、北谷は「チャタン」となるのです。
(ycaster 2000/03/28)