Essay

<スイス・フランと円、そしてダウ-Cyberchat>

 社内メールで、「伊藤さんはご存じだと思って....」と次のような質問。通貨の略称でスイスフランは「CHF」と書きますが、これは何の略でしょうか.....と。ははは、虚を突かれましたね。昔一回調べてうろ覚えになっていたのですが、改めて聞かれたらはっきりしない。何せ10年以上為替の仕事をしていましたから、知らないのはちょっと問題。

 そこで今回は徹底的に調べました。通貨の略称は、「USD」「GBP」「AUD」「DKK」など比較的容易に想像できるものが多い。順番にアメリカ・ドル、英国ポンド、オーストラリア・ドル、デンマーク・クローネです。フランス・フラン(FFR)、ドイツ・マルク(DM)などはもうなくなった。少なくとも、為替レートのクロス表からは。そうした中にあって、スイス・フランだけは「CHF」と容易には想像できない表記になっているのです。多分、東京外国為替市場の為替ディーラーの9割はその理由を知らない。(笑)

 スイス大使館にも聞いて調べたらラテン語の以下の頭を取っていることが判明しました。

「Confoederatio Helvetia Franc」

 最初の「Confoederatio 」はラテン語で「連邦」とか言う意味だそうです。我々は「スイス」「スイス」と呼んでいますが、スイスの正式名称は「スイス連邦」です。では次に「Helvetia」とは何か。これは切手集めが好きな人は知っているらしい。スイスの切手にはそう書いてあるというのです。確かに、研究社の英和辞書には、「1.ローマ時代のアルプス地方:今のスイスの北部、西部地方 2.スイスのラテン語名(郵便切手に表示されている公式名でもある)」とある。つまり「CHF」というのは、「スイス連邦フラン」ということなのです。スイスの切手を持っている人はいませんか。

 次に、ブルームバーグに入っているオックスフォードの辞書には「Helvetia」について、こう書いてある。

「an ancient region of central Europe between the Alps and the Jura mountains」
  ここでまた聞きかじった単語が出てくる。「Jura」です。ジュラ紀とか表記される。「Jura」を辞書で引くと、「1.フランス東部のスイスに接する県 2.(地質)ジュラ紀」とあって、派生語には「jurassic」「jurassic system」などがある。ははは、映画に「Jurassic Park」というのがありましたね。ジュラ紀の地層からは恐竜の化石が多く出る。もともとはこの単語は「Jura Mountains」から来たものだったのです。
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  マイクロソフトのエンカルタには、「ジュラ紀」に関してその前後を含めると次のような説明がある。

中生代 ちゅうせいだい Mesozoic Era 地質時代区分のうち、古生代と新生代にはさまれた時代をさす。中生代は約2億4700万年前から約6500万年前までで、爬虫類の時代として特徴づけられる。中生代は三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の3つの紀に細分される(→ 地質学:古生物学)。恐竜とアンモナイトが繁栄し、末期には絶滅した。最初の鳥類、哺乳類、花をつける植物がこの時代にあらわれた。

三畳紀(トリアス紀)→省略
ジュラ紀
約2億1200万年前から1億3000万年前までをさす。この名前はフランスとスイス国境にあるジュラ山脈の岩層にちなんで名づけられた。爬虫類が動物の世界を支配していた海には、イクチオサウルスのような魚竜やプレシオサウルスのような首長竜、また空には翼竜がいた。地上では恐竜がさまざまな形に進化し、肉食のものではアロサウルス、草食のものではアパトサウルスなどが、ひじょうに巨大化した。ステゴサウルスやブラキオサウルスも知られている。海中にはイカに似たベレムナイトやアンモナイトが生息していた。鳥類の祖先である、始祖鳥も、ジュラ紀の地層から発見された。哺乳類は、三畳紀の終わりに出現していたが、恐竜が繁栄しているジュラ紀では、まだ小さく、ネズミのような体をしていた。
日本のジュラ紀の地層は北海道、中国山地、美濃、北上山地、それに西南日本外帯の秩父帯などに分布している。これらの地層は、石炭紀から三畳紀にかけて、当時の太平洋やテチス海で堆積した石灰岩、チャートなどがプレート運動によってはこばれ、ジュラ紀にはアジアの東の縁辺でしずみこみ、ジュラ紀の砂や泥などとともに、陸側に付加したものである。この時代に日本列島の土台をつくっている地層がまず形成された。
白亜紀→(省略)
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  スイス・フランはそれで良いとして、では今の日本の通貨はなぜ「円」と書き、「えん」と読むか。これに関して日本銀行金融研究所貨幣博物館に聞きましたので、それを紹介しましょう。実はスイス・フランの件を調べて若手に教えたときに、ある程度私は知っていたのですが「ではなぜ円は”えん”と言うか」について問いを発しておいたのです。これには定説がないのは知っていました。で、若手の一人が日銀に聞いたのです。その問い合わせに対する博物館の答えが以下。

 実は「円」という言葉は明治4年5月10日の新貨条例によってさだめられました。語源についてはいろいろな説があり、これといった定説はありませんが、有力な説としては以下にあげる4つの説がありますのでご紹介いたします。
  1. 明治維新後、わが国は洋式近代貨幣製造のため、遊休設備となっていた香港造幣局の機械を譲りうけた。その際、香港造幣局長のウィルアム・キンドルを招いて貨幣の製造にあたらせたが、香港造幣局が製造していた貿易用銀貨に「ONE DOLLAR、壱圓」、「HALF DOLLAR, 半圓」との額面表示がされており、この「圓」がそのままわが国の最初の貨幣に使われ、これが単位になったという説。
  2. 新しい貨幣を鋳造する際に、その形をそれまでの方形から円形にしたので、その単位も丸いという意味で便宜上円としたという説。
  3. 江戸時代末期に一部知識層の間で、金貨の単位の「両」を「円」と呼ぶ習わしがありこうした呼称を明治政府が正式に採用したものであるという説。
  4. 貨幣を造るときに、大隈重信公が「親指と人さし指で丸をつくれば誰でもお金であることがわかるのだから、その形状を丸いものに(円形)にする方がよい」と主張したことから、その単位も便宜上、「円」としたという説。
  また「文」についてご参考までに申し上げますと、「文」は中国から伝わり、奈良時代から使われたわが国の貨幣単位の始まりであったといえます。ただしこの「文」は銭一枚(1個)を1文というもので、もともと数字を冠してものを数える語にすぎず、厳密な意味での貨幣単位ではありませんでした。その後、時代を経て、江戸時代後半には、銭の額面単位的扱いに変わりました。
  要するに、なぜ「円」で「えん」なのかは明確には特定出来ないと言うことです。普通に使っている言葉でも、その語源がはっきりしないものも多いと言うことでしょう。
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  ところで、もう一つの金融市場の謎解きをしておきましょう。ダウ工業株30種平均と言いますが、この数字はどうやって算出されているか。APの記事がありますから、それを参考に。ダウジョーンズ社の株価指数に関するホームページは以下にあります

NEW YORK (AP) -- The Dow Jones industrial average actually isn't an ``average'' of the 30 stocks it represents -- although it started out that way.

 When it was first devised in 1896, the Dow's value was calculated by adding up the stock prices of 12 major companies and then simply dividing by 12. The resulting average was expressed in terms of points, rather than dollars.

 The formula remained the same in 1916 when the editors of The Wall Street Journal -- which created and still controls the Dow -- expanded it to 20 companies.

 But when the Dow was expanded to 30 companies in 1928, the editors began using a new ``divisor'' rather than the number of stocks, to keep the average stable even if one stock was substituted for another or if a company split its stock.

 Stock splits occur when a company cancels its shares and issues a larger amount of new shares, but at a lower price. For instance, in a 2-for-1 split, the price would be cut in half, but the number of shares would double. Splits create the perception that a stock is cheaper to buy, sometimes increasing demand.

 After years of shrinking with every stock split, the divisor actually dropped below one in 1986, and now it sits at just 0.225.

 So, if the Dow is at exactly 10,000 that means the share prices of all 30 stocks adds up to $2,250. Dividing 2,250 by 0.225 equals 10,000. Using similar math, every time one of the 30 stocks moves up or down by $1, the Dow moves 4.5 points in the same direction.

 With both Wal-Mart and IBM due to split their shares 2-for-1 in the near future, the divisor will shrink to about 0.215. Before long, each $1 move by any of the 30 stocks will be equivalent to a 5-point move by the Dow.

 
 最後にニューヨーク・ダウの10000ドル(引値ベース、1999年3月29日達成)への道を振り返って。ダウ・ジョーンズの指数に関するページはここにあります
The Climb to 10000

1896年05月  米ダウ・ジョーンズ通信社、12銘柄でダウ工業株平均の発表開始。
           その日のダウ平均(最初のダウの数字)は40.94。
1906年01月  ダウ平均、100ドル乗せ
1928年     ダウ平均の構成銘柄を30に増加
1929年10月  2日間で23%の大暴落
1956年03月  ダウ、500ドル乗せ
1963年11月  ケネディ大統領暗殺、ダウ平均3%急落
1966年01月  ダウ、瞬間的に1000ドル突破
(あとは1000ドル刻みの記録)


   (以上の日付は新聞日付で、高値達成は前日)

 一方、NASDAQのこれまでの展開は次の通り。

 On the Rise

Milestone  Date Reached

 100    02/08/71
1000    07/17/95
2000    07/16/98
3000    11/03/99
4000    12/29/99
5000    03/09/00

  ちょっとした統計。(99年4月初め現在)
  アメリカ株の PER =25.6(過去一年の収益に対する)  これまでの平均は16.8
  アメリカ株の配当利回り=1.6% 戦後平均=4.4%
  世界の株式市場に占めるアメリカ株の割合=53%(1988年は29%)
  1999年末で米家計の全資産の31.7%は株(98年は28.34%、84年は8%)
  アメリカ株の対GDP比=150%(1988年=50%)

ycaster 99/03/30)