Essay

<グリーンスパンは神様か ?-Cyberchat>

 筆者が2001年の7月に出した新しい本です。グリーンスパンに関しては2000年の3月に翻訳本としてグリーンスパンの魔術を日本経済新聞から出しましたが、この本は完全な書き下ろしとして上梓した。

 グリーンスパンと私のつきあいは古い...と言っても個人的に知っているわけではない。距離にして2メートルくらいに接近したことはありますが、握手をしたこともない。しかし、社会人になってずっとアメリカの経済や金融とつきあってきた筆者には、グリーンスパンに限らずFRBの議長というのは常に頭の片隅にある存在だった。

 ポール・ボルカーは私がアメリカにいるときにFRBの議長になった。その就任記者会見(多分ニューヨーク連銀だったと思う)に同席して、その大きさ、背の高さに驚嘆すると同時に、財務省の通貨マフィアから一転して中央銀行に来て、鮮やかにマネーサプライ抑制の金融政策を奏効させた手際の良さは今でも記憶に残っている。

 グリーンスパンは、パワフルさではボルカーに負ける。体躯といい、しゃべり方といい。しかし、なかなか粘り腰のFRB議長なのです。この人の言動は1987年以来ずっと見てきた。で、調べたことがずっとたまっていたのです。

 この本を書くきっかけは、2001年の2月だったと思ったのですが、中央公論(3月号)から頼まれて「グリーンスパンと速水 優の差」という6ページものの論文を書いたこと。それを見たのが先輩のTBSブリタニカの伊藤譲さんで、「本にしないか」ということで比較的短い間に出来た。なにせそれまでもグリーンスパンについてはかなり調べていましたから、補強すれば本に出来るだけの材料はあった、というわけです。
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  書いていてどこが一番楽しかったかというと、実は第二章です。「生い立ち、そして哲学」。人には皆歴史がある。どうしてそういう人になったのか、歩いてきた道はどんなものであったか。普通は他の国の中央銀行の履歴など知らない。当然です。

 しかし、グリーンスパンはもう14年以上も世界最大の経済国の中央銀行の総裁をしている。グリーンスパンが動けば、世界経済の3割近いGDPの国の金融・経済が動き、それが日本経済、世界の他の諸国の経済にも影響を与える。世界の経済の展開を考えるためには、彼の動きを知る必要があるのです。そしてその人の動きを読むためには、生まれ育ちと基本的な考え方(哲学)を知っておく必要がある。

 グリーンスパンは恐らく非常に複雑な人間です。本に書いたように家庭には恵まれていない。早くして父親が去った。上流階級の生まれでもない。むしろ母子家庭は貧しかったと言える。大学院は途中で諦めている。今ではエコノミストの最低条件でさえある博士号を取ったのは、FRBの議長になる10年ほど前である。

 数字が好き、野球が好きの少年時代。彼が最初に目指したのは、音楽家だった。ジュリアードにも通っている。実際に、一年間ジャズ・バンドの一員として全米を興行さえしている。純粋資本主義にあこがれて一種の宗教カルトに入ったかと思えば、パーティー好きで出世欲も旺盛で、周りからは「social climber」と呼ばれる。

 実は書いていてそんな彼の「多様性」を筆者としても楽めた、というのが本音なのです。特に彼と付き合った女性のグリーンスパン評が面白い。本に書けない(いや、書ききれないという意味もあります)コメントもいっぱいあったが、一番楽しい部分でした。
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  私としてはこの本は、「このオジさんは、なぜ日銀の上をいくのか ?」にしたかった。しかし、出版社が「グリーンスパンは神様か ?」で販売店に販売促進をかけていた関係で修正がきかなかった。残念です。グリーンスパンという一般の日本人には縁遠い人を身近にしたかったのです。私としては。実際の所、グリーンスパンはなかなか味のある人間です。

 で、その前提で「前書き」は以下のようになる予定だった。

 このオジさん、いやそれは失礼だから「紳士」と言おう。"アラン・グリーンスパン"は不思議な人物である。

 第一に、ほとんど声を荒げることもなく静かに、そしてどちらかと言えば冴えない表情で話す。にもかかわらず彼は、1987年以来14年の長きにわたってアメリカの中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)の議長として同国経済の舵取りをし、「大統領に次ぐ権力」を享受している。最近でこそ米経済の鈍化にともなって批判も出てきたが、その前のアメリカでは、彼に対する賞賛の声が満ちあふれていた。

 第二に、「経済に関わる職業の最高の地位」にいる人間であるにもかかわらず、彼が最初に目指したのは実は音楽家だった。なにせ高校を終えて最初に入ったのが今もニューヨークにある名門「ジュリアード音楽院」。そこでクラリネットとピアノを学び、しかもジュリアードを2年で中退し、その後は1940年スタイルのジャズのビッグバンド「ヘンリー・ジェローム・バンド」に参加した。そして、ほぼ一年アメリカ全土を演奏して回っている。叔父二人にノーベル経済学受賞の学者を持ち、経済学の分野をひた走っているサマーズ元財務長官(現ハーバード大学学長)とは比べものにならないくらい、回り道をしている。家庭にも恵まれなかった。両親は3才の時に離婚し、その後は母親に育てられた。

 第三に、.............

  といった感じである。筆者はこの本で、「金融政策遂行に関して日本銀行がグリーンスパンFRBに学ぶべき事が数多く」と主張した。どの中央銀行にしても、実体経済でいったい何が起きているのか、企業や消費者の心理はどう動いているのか、など複雑系としてからまっている実体経済の把握は容易でなく、それが完璧にできない以上、政策も手探りにならざるを得ない。最後は裁量だ。しかし、その結論に至るプロセスや決断の時期、周囲に納得性に富むものに政策をし、その効果を高められるかどうかは中央銀行の手腕である。

 金融政策は、財政政策とともに伝統的な経済政策の二本柱の一方だ。それぞれの政策と、その組み合わせの妥当性が担保され、かつその他の政策(社会保障政策、教育政策、失業対策など)との整合性が取れたときに、その国の経済はうまく回る。従って、金融政策の妥当性というのはそれ自体では評価されずに、常に周辺政策との関連性の中で語られる。

 この本の狙いは、グリーンスパンという希有な中央銀行家の軌跡を辿り、彼の成功の源泉がどこにあって、それを批判の多い日本の金融政策との比較の中で見て役立てることがないかどうかを探ることだっただったが、足りないところは結構あると思います。読後の感想をいただければ幸甚です。 (ycaster 2001/07/31)