一般物価の大きな下方修正が続く中で、一人値下がりを回避できている本、雑誌。技術革新も続き安くできる筈なのに、いっこうに安くならない。再販制度に守られているからだが、ではそれが業界にとってすべてプラスかというとそういうことはない。本や雑誌の割高感が高まる一方で、業界に革新への努力不足は蔓延し、雑誌、本の両方で業界の売り上げは大幅に落ち込んでいる。存亡の危機の会社も多い。
今後を見ても状況は厳しい。日本語を扱う人間の数は今後着実に減少する。2007年には日本の総人口は減少に転じ、2050年には楽観でも悲観でもない中間的な見方で1億人になると予測されている。最新の国勢調査による日本の人口は2000年の時点で1億2691万人だから、21%も減少することになる。50年の間に日本語マーケットは21%も縮小するのだ。日本の雑誌、本は「日本語マーケット」そのものである。
おそらく「英語の進出」は続くだろう。筆者の場合は、総読書量(時間、分量を含めて)の恐らく3割は英語だ。インターネットで文章を読む時間は着実に増えているが、そのかなりの部分は日本語ではなく、英語である。英語の本、雑誌を読む時間も増えてきている。日本のビジネスマンが読む対象言語は今後も依然としてかなりの部分は日本語ではあるだろうが、それでも徐々に外国語(主に英語)の分が増えて行くであろう。日本のコンテンツ業界でこの問題に真剣に取り組んでいるのはごく一部で、大部分は日本語人口との運命共同体にとどまっている。 50年も先を見なくても、別の危機がある。読売新聞が最近活字を大きくしたが、それは本、雑誌、新聞を含めて活字を好んで読む人間の「高齢化」が著しいことだ。文藝春秋の平均読者年齢を聞いたら、ほとんどの方が驚くだろう。部数は多く出ているが、極めて高いのである。他の大部分のまともな、漫画以外の本の平均読者年齢は高い。読売新聞はそこに対応せざるを得なかった。今は分厚い高齢読者層は、時間の経過とともに着実に薄くなる。人口動態以上に、急激な落ち込みに直面する雑誌が今度出てくると言うことである。本の購買者層も薄くなる。
内容の問題もあると思う。大部分の一般週刊誌の販売部数の落ち込みは酷いが、これは「漫然としたコンテンツ作成」のとがが来ていると言える。2001年早々に「週間宝石」は休刊する。あとも噂されている休刊、廃刊は大手新聞社系の雑誌など。部数が急激に落ちてきているのである。雑誌、本を読む次の世代を作る、捕まえる努力がないのである。新しい雑誌は次々に生まれているが、たぶん出版業界は日本の産業界の中で一番デジタル化が遅れた業界(業界人にはデジタル音痴が実に多い)であるが故に、急速にメディアとしての重要性を増しているネットといかに共存するかの発想がない。デジタル化は他の業種の会社でもそうだが、社員全員のナレッジベースがある一定のレベルに達した段階でしか、効率と発想を生まない。日本の会社のかなりの部分がそうであるように、日本の出版業界の会社は大部分が依然としてネットとの付き合いに関しては learning process の途上にある。
電車の中で吊革広告を見る。うまい見出しが多いから一瞬読む気が起きるのだが、しかしそれでも大体記事の内容が予測できること、そして実際にそれを読んだときの「がっかり感」が常に大きいことを思い起こして、大体買うのは止めてしまう。よほど時事問題を扱う人間として読んでおかねばならない記事や写真だけである。記事は大体において覗き見趣味丸出しで、読後感は極めて良くない。満足感がないし、読んだら直ぐ捨てたくなる。これでは飽きられてしまう。最近の日本の週刊誌の記事を読んでも、一つも楽しい気分にならない。心がスッーとしないのである。
楽しくないという点に関して言うと、雑誌の世界にはこういう議論があるそうだ。
我々が極めて悲観的な記事を書く→消費者心理が冷えて→景気も悪くなる→広告収入も落ちて→雑誌も売れなくなって→我々(雑誌社)自身も自らクビを絞められることになる→そして我々(雑誌人)もいつかクビになる。悲観的な記事が悪いわけではない。事実日本の経済は誰が見ても悪い。しかし、展望なき悲観論はある程度の段階に行くと行き詰まる。なぜなら、人間はそれでも生きていけないからで、どこかに出口を探る。しかし、今の日本の雑誌、本の記事に「出口」を探そうにもない。「ちゃかし」と「どこか他人事」「高見の見物」「遠くからの薄ら笑い」の印象があるだけである。これでは見飽きられる。
「24時間」を巡る戦いもある。一人の人間が一日で持つ時間は、どうやっても24時間。今後それを巡る争いはいっそう厳しくなる。筆者の場合でも、本を読む時間が良くない傾向ながら徐々に減ってきている。ネット記事など、他に読まねばならないもの、読んで楽しいものがいっぱいある。まあ、日本の出版業界も考えなければならない時点に来ている。再販制度に守られていると思っているうちに、足下はガタガタになってきた。
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と能書きをこれだけにして、では再販制度下の日本でいかにして本を安く買うか。もっとアイデアがあったらどしどし紹介してほしいのですが、今時点では次の二つがあることが分かりました。カードと大学です。カードにチャージされる本の値段は変わりません。正価ですが、その決済に際してカードの割引の対象として残るカードがあるらしい。以下に紹介するメールの中にいくつか出てくる。
次が大学というフィルター。たぶん業界から特別に認められているのでしょう。大学の生協では本が安く売られていて、学生証の提示を経なくても買える生協がいくつか報告されている。そういうところで買う。あとは、特別の本屋さんです。以下に2000年の暮れに集まった情報を集めておきます。断っておきますが、それが望ましいのでしょうが筆者が自ら自分の足では試していない。しかし、信頼できる方々からのものであろうと思われる方からのメールです。
もっとも、購入時点で値引きになるわけではなく、クレジット引落しの際に、3%割り引かれる形になります。たいした事のない割引率ですが、2000円すれすれの買い物の時などは、ついもう1冊買うケースもあります。
本来の書籍の値引きではないのでしょうが、流通経路で割引いた分を私のような衝動買いによる増分で賄っているのでしょう。。
なによりこの大学は、社会人大学院もあるので、元々ビジネススーツでうろうろしている連中が多く、おじさん一人でも入りやすいのがとりえですね。