Essay

<グリーンスパンの魔術-Cyberchat>

 今の世界で、アラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長ほど注目されている人間はいないだろう。

 FRBはアメリカの中央銀行であり、日本で言えばグリーンスパンはそこの「総裁」でしかない。しかし、グリーンスパンはアメリカのみならず、まるで世界経済の命脈を握っているかのように思われているし、事実日本を含めて世界中のマスコミでその発言は大きく報道される。そして、株式市場のみならず世界中の市場が彼の一つ一つの言葉に反応するのである。そこではあたかも、グリーンスパンが世界全体の中央銀行の総裁であるかのような扱いとなっている。グリーンスパンは明らかに数多い世界各国の中央銀行総裁の中で、「一人勝ち」している。(後続く)

  というのが私がこの本の最後に書いた「訳者あとがき」の頭の部分である。しかしこう書きながら、頭の中ではどこかで「では彼が去ったら、世界の金融市場はそれほど大変なことになるのだろうか」という思いが常にある。歴史の中においては、誰が去っても、そして誰が居ても起こるべき事は起こるし、歴史の流れはそうたいして変わらないようにも思う。結局は流れは市場が決めているのではないか.....と。だから、あとがきにこう書きながら、「では彼はなんぼのモノだろうか」「Does he deserve it ?」という気持ちがどこかにあるのだ。

 多分、世で言う「グリーンスパン神話」にはかなり虚像の部分があると思う。その地位に座ったら誰にでも少しは付く「権威」のようなものが増幅した形で。「無法投機」(新潮社)に出ているスイス中央銀行の総裁のように生臭くなるにはグリーンスパンは年を取りすぎているし、考えてみれば彼はまだ「新婚」である。この面から権威を失う恐れは少ない。そして、世界的な政治家の権威の喪失(クリントン大統領や小渕首相が国民にどう思われているかを考えれば分かる)の中で、アメリカ経済の命運を握っていると思われているグリーンスパンへの関心は黙っていても高くなる。市場経済を標榜するグリーンスパンは、実は実際に力を持って市場に竿させる数少ない人間の一人でもあるのだ。つまり、実際に力を持っている。そして、アメリカ経済の命運が世界経済にとっても重要であるがゆえに、グリーンスパンは世界的にも注目される。

 私が記憶している範囲で、グリーンスパン以前に彼と同様の尊敬を集めたFRBの議長は直前のポール・ボルカーだろう。彼についても「ボルカーがいなくなったら、金融市場は大変なことになる」と言われたものだ。ボルカーとは実際に会ったことがあるが、正直言って190センチをゆうに越え(170弱の私が見上げるような大男だった)、声も太く、財務省で財務次官としても活躍したボルカーが「去る」という噂が出ただけで、外国為替市場ではドルが急落したのだ。それも一度や二度ではない。そして彼は去った。しかし、世界の経済は当たり前だが、回り続けた。

 ボルカーの後任に前任者に比べればどこか冴えない、声にも力がない、強い眼鏡を掛けたグリーンスパンが就任したとき、正直言って「どうして」と思った人も多かったはずだ。ニューヨークで小さなコンサルタント会社をしていたに過ぎないのだ。この本を読めば、グリーンスパンがアーサー・バーンズの足跡を忠実になぞったこと、そしてレーガンもボルカーも後任の第一候補にグリーンスパンを挙げていたことが明らかになっているが、筆者はその時は正直「ボルカーの後任として大丈夫だろうか」と思ったものである。ヘンリー・カウフマンと同じ気持ちである。

 しかし、彼は就任後数ヶ月で起きたブラックマンデーを乗り越えて、今は飛ぶ鳥を落とす勢いである。私は実際にグリーンスパンが「成功のジレンマ」に本当に直面するのはこれからだと思っているのだが、それにしても世界の金融市場で彼が集めている尊敬は強いものがある。「なぜ ?」。

 訳者として言わせてもらえば、この本を読んで最初に感じた一番嫌いな点は、実はグリーンスパンを賞賛しすぎている点であった。特に最初の数部はそうである。しかし、読み進むに従ってこの本を著者(訳者の私ではなくて)がグリーンスパンを、そして「グリーンスパンを観察している我々」を実に冷静に観察しているのが分かったのには安心させられた。そしてその「観察」部分の文章が、実にこの本の一番の読みがいがあるところなのだ。軽妙洒脱。

 この本を読む価値はその部分に加えて言うと、グリーンスパンの「頭の中」がかい間見れる点だろう。本の概略を記す。
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  「グリーンスパンの魔術」は全部で376ページ、ビジネス書としたはちょっと厚い方である。厚くなった分もあって、本体価格は2200円。「Ⅸつの部・38の章、その他訳者解説」から出来ていて、その流れは以下の通りです。ちょっと長いのですが。

はじめにーーグリーンスパンの力

Ⅰ グリーンスパン、FRB、そして株式市場

グリーンスパンの魔術
  1.  1.世界の名士としてのFRB議長
  2.  2.FRBの政策遂行手段

Ⅱ 市場を押し上げた言葉

  1.  3.「例外的な」経済
  2.  4.繁栄のオアシス
  3.  5.「祝福すべき」売り
  4.  6.資産効果

Ⅲ 市場を沈めた言葉

  1.  7.株式市場での「根拠なき熱狂」
  2.  8.インフレとの戦い
  3.  9.労働市場に逼迫

 10.金融不安の連鎖

Ⅳ 金融機関の改革

  11.社会保障の改革

  12.商業銀行と投資銀行の融合

  13.連邦預金保険の改革

  14.デリバティブ

Ⅴ 世界の危機管理者

  15.アジア危機

  16.87年のクラッシュ

  17.湾岸戦争

Ⅵ グローバル・エコノミーでの競争

グリーンスパンの魔術

  18.アメリカの国際競争力

  19.外国の対米投資

  20.ロシア・東欧における経済改革

  21.資本主義の勝利

Ⅶ 欠かすことのできない投資

  22.アメリカの教育制度

  23.消費者の貯蓄・信用・退職

  24.企業のリストラクチャリング

  25.所得の不平等

  26.中小企業の資金調達

  27.農業

  28.モーゲージ・ファイナンス

  29.連邦財政赤字

Ⅷ 21世紀を見据えるグリーンスパン

  30.「ニュー」エコノミー

  31FRBの未来

  32.銀行システムの将来

  33.金融サービスの未来

  34.テクノロジーと未来

Ⅸ 投資家のためのグリーンスパンへのロードマップ

  35.グリーンスパン効果を解読する

  36.グリーンスパン解読のゲーム

  37.議長発言の何が問題であるのか(ないのか)

  38.グリーンスパンと株式市場の未来

 

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  訳した身から言うと、「グリーンスパンの頭の中を見る」という意味ではどの部(Ⅰ~Ⅸ)、章(1~38)もそれなりきの意味を持っているということになるのだが、訳していて楽しかったのは「はじめに」、「Ⅰ」、それに「ⅤからⅨ」でしょうか。特に最後の「投資家のためのグリーンスパンへのロードマップ」はこの著者の「頭の中」を想像しながら、彼が次に言いたいことを予想しながらのパズル解きのような気持ちで、実に知的に楽しんで読める文章になっている。経済の、しかも翻訳本にしては「文章に切れ」もあると思う。切れが良い翻訳本というのは珍しいのでは(^o^)ハハハ。

 もう一度自問してみる。読んで何の為になるか ? それは多分第一に、この本が指摘している通り最後の読みは難しいにしても、アメリカの金融政策を司るグリーンスパンの「思考回路」が自然に理解できて、自分の知識との接点の中でFRBの「次の一手」の読みがし易くなると言うことだろう。普段日本のマスコミに登場する彼は常に「金利」と「株」について語っていて、その部分だけが取り上げられる。

 しかしグリーンスパンの考え方の基本にあるのは、「より純粋な形としての資本主義」であり「市場を最後まで尊重する気持ち」である。この二つが分かっていないと、グリーンスパン理解は進まない。その点でこの本はいつもは取り上げれない多くの問題に関して、グリーンスパンの思考回路の基本に迫ろうとしている点でよくまとまっていると思う。グリーンスパンの文章をよく読む私にしても、「こことあそこが繋がっていたのか...」など、かなり勉強になった。

 第二は、グリーンスパンのみならず今の世界をリードしているアメリカという国の選良達の経済に関する基本的な考え方を理解するのに役立つと言うことである。既に指摘した通り、グリーンスパンは「完璧な市場信奉主義者」だ。「これは伸びる」と思われる産業があっても、政府はそれに対する育成策などを取るべきでないと主張する。今は政府の方が民間より情報を持っているということはないし、補助や支援は政府が経済の方向に容喙する悪しき例を作るからだという。アメリカ政府の中にはいろいろな考え方があるし、今後変わってくるかもしれないが、今はこの考え方は一つの流れを形作っている。

 戦後の日本経済の産業育成・保護政策を見てもうまくいったのはせいぜい半分だし、自動車などは完全に政府の思惑外で民間の力で立ち上がった。最近の公共投資政策にいたっては政策効果は極めて疑わしい。本当に伸びる産業だったら、民間資本が集まるはずだとグリーンスパンは主張する。政府には「教育」とか「規制の緩和」などやることがあるとする。では、ゴアの「スーパーハイウェー構想」はどうか。アメリカにも、産業の行方を見通し、政府に何が出来るのかという考え方はある。しかし、日本ほど「市場容喙的」ではない。この辺は興味深く読める。

 無論この本は他にも、金融機関と監督当局の考え方、金融機関の将来、グリーンスパンの株式市場に対する姿勢、教育と成長、IT革命に対する考え方などなど実に多様な問題をこの本は取り上げている。「世界的な権威の空白」を埋めたと理解される故に一中央銀行の総裁としてはやや過ぎた注目度を集めるグリーンスパンという人物を通して、経済全般、日米経済の先行きなどに関して理解を深められる本だと思う。
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  大都市、地方を問わず大きな書店では無論3月24日から扱います。ネットでは紀伊国屋丸善などのサイトを通じても買えると思います。また日本経済新聞社が直接設けている日経ブックプラザでも購入が可能です。ENJOY !! (ycaster 99/03/30)