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2010
08/31
Tue

2010年08月31日(火曜日) 青海チベット鉄道(delayed)

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 (23:30)すみませんね、8月31日から9月6日までの文章はほぼ毎日書きためていたのですが、中国滞在中は結局一回もアップしませんでした。いくつかの理由があります。

  1. 衛星通信用のマシンのドライバーが「7」で動かないために、古い「XP」を持ち出して行ったのだが、「C」が目一杯で、それを削って「D」に移す作業をしていたり、dropboxなどいくつかのソフトウエアの調子も悪くて(ネットサイドの問題だと思うが)なかなかうまく作業が出来なかったこと
  2. 特に初日から2日間は、ケイタイはドコモ、iphone4とも時々繋がる状況でツイッターは出来たが、とにかく青海チベット鉄道での移動中は新幹線のように無線LANがあるわけではなく、まとまった文章をアップできる環境ではなかったこと
  3. 一番長く滞在したチベットのラサは2年前の騒乱の後遺症もあって街のあちこちに兵士の数も多く、チベットの人達は特に外国人との会話に制限があり(そこら中に目と耳があるらしい)、それは私たちのガイドさんも同じ事なので、要するに込み入った話が滞在中は出来ない。となると、要するに自分の目で人々の表情、街の様子を見るしかないという事情があったこと
  4. 写真撮影にも数多くの制限があって、なかなかうまく撮れない場所もあったし、チベットからのネット通信は監視されているとの話しもあったので、そんな中で敢えて通信をするというのも気が進まなかった

 など。ネット環境そのものは泊まったホテル(アメリカ資本系)が良かったのか、非常に良好で、ケイタイもローミングながらよく繋がった。ちょっと時間が経過しましたが、各日の文章はそれぞれ移動先でその日をメドに書いたものです。

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表示は西寧発ラサ(拉薩)行き、午後10時40分発を意味している  8月31日。何と言っても嬉しかったのが「羽田集合」でした。午前6時半が指定の時間。成田だったら大事だった。国際線ターミナルが早く出来て欲しい。10月末でしたっけ。飛行機はCAで、出発は午前8時半過ぎ。9人のうち誰も遅れないのは良いことだ。北京は約3時間半後。

 窓から見た北京(数年ぶり)は、田圃がまるで山形のそれのように区画整理されていて、革命から60年たったことの成果を感じさせる。その合間に住宅街。高速道路が走っているが、車の数は日本と比べると圧倒的に少ない。

 しかし感心したのはそこまで。何よりもがっかりしたのは、飛行機の窓から見て北京の空気が相変わらず淀んでいること。それに河が緑に変色して汚いこと。これだけ見ても、北京の環境問題は深刻だ。東京の綺麗な空から来たので、余計印象が強かった。

 北京空港で3時間ほどの待ち。それを経てまたCA機で西寧(せいねい)に。私にとって初めての都市です。ここでは空港から出てバス移動して青蔵鉄道(別名”青海チベット鉄道”)の東の起点である西寧駅に。

 私の今までの中国の西の限界は成都だった。西寧が砂漠の中の都市だと思うのは、飛行機の窓から見ても下は正に街の直前まで砂漠で、砂が波打っている様子が分かる。緑がなく、無論木もない。そしてやっと西寧が近づくと緑と家が突然増えてくる。

 西寧は建築ラッシュでした。建てかけのマンションが一杯。ちょっと不思議なのは、我々が西寧に着いたのはもう夕方で、そのせいかもしれないが、どのビルも建設作業を続けている様子がない。普通、中国は時間に関係なく工事をやるんだが。

 人口230万の街だそうだが、もともとはイスラム、ウイグルの街。もしかしたら、成都あたりまで来ていたラッシュがここまで来たのか、それともブームの早い終焉でビル建設が止まったのか、その辺は不明だった。

 西寧は海抜2600メートル。5000メートルで空気中の酸素の量が海抜0に比べて半分だと言うが、とすると目の子で75%。やはりちょっと頭が重いので、急いで深呼吸をし、そして水を飲んだ。「水と10回ほどの深呼吸」が高山病の特効薬だそうで、確かに楽になった。

どえらく長い列車でした。多分17両編成  市内のレストラン(結構混んでいた)で食事をした後、バスで西寧駅に。暗い。人の顔がやっと見える程度。それに結構凄い数の人。大きな荷物を抱えたチベットの人達や僧侶もいる。さあ改札が開いたとなると、絶対に並ばない彼等は入り口に殺到する。もう夜の10時だというのに壮絶です。

 考えたら強行軍です。早朝に羽田を発ち、北京で乗り換えて西寧に。着いたらもう夕方ですよ。そこで一泊するんじゃないんです。食事をして直ぐに青海チベット鉄道に乗ってラサへの24時間の鉄道の旅に出発。「一晩出発に備えて西寧で寝て、体力を蓄えてさあ24時間列車」というのではない。まあその事情は後ほど。

 羽田は海抜0メートル。青海チベット鉄道の最高地点は5070メートル。それをほぼ一日半の間で上がる。結構強行軍でした。あとで聞いたら、青海チベット鉄道では、それが直接の原因かどうかは不明だが、かなりの数の日本人の死者も出ているという。

 青海チベット鉄道は2006年の開通です。西寧とラサの1946キロを走る。日本で言えば、北海道から九州までを時速90キロくらいで走る感覚。列車に乗り込んだら、私は荷物の整理をして直ぐに3段ベッドの2段目に潜り込んで寝ました。同室者は今回の旅の仲間4人。先に寝た方が勝ち?

 だって夜明けが見たいじゃないですか。夜の列車の窓からは何も見えない。

23:56
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