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2011
12/10
Sat

2011年12月10日(土曜日) 気仙沼の復興屋台村

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(22:53)気仙沼駅の前にあるホテルに投宿しているのですが、時々ホテルの駐車場に出て月の状態を確認しています。もう少しで全部隠れるかな、という状況。

本当に、雲一つない。薄オレンジ色になりかけた暗い月が私の真上近くにあるので、「そうか太陽は俺の足の下の方向か」と。東京で見るより、星の数が違う。月の周りの☆が明るく綺麗です。得した気分。

気仙沼は曇りの予想だったにもかかわらず、この雲のない天気。ラッキーです。皆既月食を見るのは、記憶では初めて。不思議ですね。ほんのわずかな偶然なのに、ちゃんと起こるし、それが予測できる。昔の人は、これを怖がったでしょうね。神の怒りだとか。

人が集まる良い場所が出来たと思いました ところで気仙沼ですが、4月に車で来たときには南三陸の方向から45号線で来て、右折し、そしてもう一回右折して、海が近づくにつれて見えてきた景色に震撼しながら移動していました。そして赤岩の橋で「通行止め」された。

それ以上気仙沼に入ろうとしたら、警備の方に「車が壊れても良いなら....」と言われた。道が冠水していて、その道路上の水の中にタイヤにとって致命的なものが有るかもしれない、という意味でしょう。材木から出ている釘とか。で、引き返して南三陸町に行ったのでした。

今回は初めて気仙沼の港から市場から、街から、そして駅から全部見れた。まだ海水が引いていない。だから道が本来のところから50センチくらい底上げされて、やっと冠水せずに車が走れている。警視庁のパトカーを使っている警察官がまだ交通整理をしているのが印象的でした。

道の沿道は津波に見舞われたところも悲惨だし、津波の影響がなかったところも街が人口減などで寂れた面もあって、ある意味悲惨です。駅の前の通りでも、開けている商店を探す方が難しいくらい。街は昔の面影を取り戻すところまで行っていない。というよりも、震災・津波を切っ掛けに一段と気仙沼という街が勢いを失った雰囲気がある。

それでも気仙沼は街としてところどころに息吹を吹き返しつつある。漁獲は鰹を中心に戻ってきたし、地元でとれる魚の種類も増えてきた。市場も開けるようになっている。見る魚見る魚が実に美味しそうなんですよ。

加えて11月の末に、以前の飲食街だったところに「復興屋台村気仙沼横丁」が出来た。きさくで良い横丁です。あちこちに「がんばっぺ」と書いてある。大阪組の岡崎、平田、現地組の檜野、諏訪両氏と私の5人で、取材も食事も屋台村の中でさせて頂きました。

取材する人する人が言うんですよ。「見に来て欲しい」と。ちっとも迷惑じゃないんですよね。見て欲しい、来て感じて欲しい、そして何か食べたり、買っていって欲しい、と。

日本も捨てたもんじゃないと思ったのは、大阪から大島の復興にボランティアに来ている30人ほどの学生さんの団体に会ったときでした。番組のことも知っていてくれていて彼等も我々に遭遇して嬉しそうだったし、私たちも彼等に会えて嬉しかった。10日近くボランティアをしていて、「私たちが勇気をもらった」と彼等が言うのです。ナイス。

放送は27日の朝の予定です。じっくり作り込みますよ。

23:44
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