(20:56)ははは、午前中に大阪のスタジオで「大雪になっているし、吹雪いている」と聞いたときには、帰ってこられるかどうか一瞬不安になりました。聞いたら、連休で大阪のホテルはいっぱい。だから帰らないわけにはいかない。
終わって直ちに新大阪駅に向かい、着いたのが正午過ぎの25分くらい。多分座席の位置から最後だったのかも知れない席が空いていて、12時30分に乗ろうとしたら、その時点でもう列車は5分くらい遅れていた。まあ行く手でつかまったらしょうがないな、と覚悟。閉じこめれたらと思ってサンドイッチまで買って乗ったら、大阪と名古屋の間ではスピードを落としましたが、東京には17分遅れだけで着いた。まあラッキー。
名古屋を過ぎるまでずっと雪が降っていました。それもかなり大きなぼた雪。前原の辺も凄い雪で、スピードを落としたという割には東京に17分遅れで着いたのは、どうやって運転したんだろうとちょっと不思議な気持ち。新幹線もちょっと雪に強くなったのか ?
新幹線の中ではなるべくそうしているのですが、本を一冊読みました。「日本人の祭りと呪い」というのです。祭り好きで、すっと手が伸びていつか読もうと持っていたのです。
まあはっきり言って何かを主張しているいう風情の本ではなく、一種の解説本だが、ああそうだったのかと思い付く話がいっぱいあって面白い。たとえば、ずっと「山車」をなぜ「だし」と読むのか不思議だったが、この本にはその理由が書いてある。
それは、『山車の中央には、神霊降臨のまじないである鉾が立ち、その先端は編み残した竹が垂れている。それを「出し」といい、山車の語源になった』と書いてある。もっとも念の為に広辞苑を引いてみたら、「出し物」の意味と書いてある。まあでも、竹のことは知らなかったので、「なるほど」と。ということは、「出し車」「出し物車」の詰まったもの。
「競馬」は今は普通「けいば」と読みますが、日本には古代からこの漢字で「くらべうま」という神事があるらしい。流鏑馬がそうであるように、スピードを競うものではなく、神事としての「くらべうま」。優雅でいいじゃないですか。ということは、「競馬」を「けいば」と読むようになったのは何時 ?
今年問題となった「ナマハゲ」とは一体何か。それは囲炉裏(いろり)などで火に当たりすぎて腕や脚に出来る火斑=なもみ(不精者の象徴とされるという)を剥ぐことに由来する、と書いてある。だから本来は「なく子はいないか」ではなく「怠け者はいないか」という祭りだったらしい。最近は余計なこともするようだし、監視のナマハゲも登場するようですが。
祭りの掛け声も色々ありますね。
ワッショイ ワッショイ
セイヤ セイヤ
オイサ オイサ
ホラッシャ ホラッシャ
ドッコイ ドッコイ
ソーリャ ソーリャ
エイサ エイサ
ヨイヤセ ヨイヤセ
と実にいろいろある。ワッショイは「和一緒」という説が載せられているが、まあ心を一つにして、という意味だとしたら分かる。「セイヤ」はアメリカのプロ野球のアナウンサーがホームランについて言う言葉でもある。
自分が知っている祭りもいっぱい出てくる。面白い本です。