日々のライブな情報ページ

2016
07/07
Thu

思うに、まだ危険だな......

day by day
EOF; } ?>

 (14:25)私は科学技術の進歩を信じる方だし、その恩恵にとっても浴していると思うのですが、以前からずっと思っているのです。「自動運転が危ないのは、実は移行期だ」と

 先日新聞を読んでいたら「自動運転を過信 国内で事故2件、昨年12月以降」という記事があって、それはどちらも追突事故。「自動にしておいたので、車が止まると思った」という事故車の運転手の証言が載っていた。つまり車に信頼に値するほどの制止能力がなかったか、運転者が車の「自動運転の能力」を過信した。それ故の事故。

 今日も『米当局、テスラ車事故で新たな調査 「自動運転モード」に懸念 』という記事がある。今回の調査は、「テスラの多目的スポーツ車(SUV)「モデルX」がペンシルベニア州の有料道路を走行中、出口付近でガードレイルに衝突し、道路を横断してコンクリート壁に当たって止まったもよう。乗っていた2人はけがを負った」と思われる事故に関して。

 テスラは、「事故時の車両の記録は通信の遮断によりテスラ側では把握できておらず、自動運転モードを使っていたかは分からない。当該顧客に連絡を取ろうとしたがつながらなかった」とのコメントを出しているが、米デトロイト・フリー・プレスによれば、警察の事故報告で運転者は「自動運転モード」を利用中だったと証言しているという。

 つまりテスラの自動運転の機能そのものに関して疑念がまずあるということ。多分これは徐々に改善に向かうと思う。筆者が懸念しているのは、機能と人間の認識とのずれ。つまり自動運転は「機能向上の途中」にあるのですが、その向上段階を我々一人一人が全て把握しているのではない、という問題。

 例えば今後出てくる自動運転車には、「高速道路ではかなり使えるが、一般道ではちょっと」といった車種が出てくる可能性がある。「かなり」も問題だが、「この自動運転車はここまで出来る」とちゃんと分かっている人が乗っている場合はまだ良い。

 問題は、「これは自動運転車だろ。任せておけば良い」と直ぐに思ってしまう知識が生半可な人が乗った場合。そこでは「思い違い」が生ずる可能性が高い。「自動で停止すると思ったら、しなかった」では、道路では怖くて最後尾近くにはいられない。

 しかし「車に関しては生半可な知識の人」である私が思うのですが、「(車は)走れば良い」と思っている私のような人間には、どうしても車についての知識は生半可です。先日もあるボタンを見付けて、「あれ、これは何だろう」とディーラーに聞きに行ったぐらい。買って一年にもなるのに、興味がなかった。つまり車は実質は下駄であって、設計した人ほどには我々はその機能を知らない。

 逆に、全車両が自動運転になれば、それはそれで事故は減る、と予測できる。しかし問題は、自動運転の機能も中途半端、それに対する人間の知識・意識も中途半端な時です。それはもう危ない時代に入ると思う。今はそういう時代だとも思う。

 街や高速を運転していてい今はまだ、「隣の車、前後の車の運転手がハンドルから手を離していた」というシチュエーションに遭遇することはまずない。しかし今後はどうなるのか。その場合、どういう法的、機能的枠組みの中で自動運転を許容し、そしてそれと運転者の知識・意識を摺り合わせしていくかのスケジュールを合わせないと、とっても危ない状況が生まれるのでは、と心配しているのです。

 特にレンタカーなどに自動運転車を導入するときは、借りる人に安易に「何でもしてくれますよ」とか言わない方が良い。それぞれの車両の自動運転の度合いが違うからだ。特に自宅でレベルの高い自動運転の車に慣れた人が、レンタカーで機能の落ちる自動運転機能しかない車に乗ったら危ない.....と。

 つまり社会的、法的枠組み作りがとっても重要だと思う。われわれの知識向上も必要だが。

14:51
EOF; } ?>
ページの先頭へ
twitter
伊藤洋一公式Twitterアカウント

サーチ


カテゴリー


最新の記事

カレンダー

キーワード