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2009
10/25
Sun

2009年10月25日(日曜日) 契約とは何か

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 (07:58)今年のプロ野球の隠れた一つのキーワードは、「契約」であり、「契約をどう考えるのか」がポイントだったような気がするない。今朝の日経新聞には、落合監督の

 この世界は契約社会。選手が時に社員のように扱われるのはあり得ない
 という言葉が紹介されている。中日にとってのシーズン終了時に、シーズンが始まる前のことをあえて口にする。落合監督自身が、WBCに選手を出さずにいたことを引きずっていたことを示す証拠とも言える。

 「今年の中日には優勝させるべきでない」という主張の人は私の身の回りにも結構いました。落合監督は「契約にはWBCへの出場を選手に強制できるような条項はない。だから選手をWBCには出さない」と決めてその方針を貫いた。しかし私の印象では、落合監督は周りの批判もあってかそれを気にかけ、そして今年はそのことに終始批判的だったマスコミ対応も従来とは変わったような気がする。

 私は、中日の選手の中にも「自分のチームは国民的な人気となったWBCに選手を送らなかった」ことを気にかけていた選手がいたと思うし、そうも聞いている。そりゃそうでしょう。巨人に1.5ゲーム差になったときも、今回の第二ステージでアドバンテージ以外で初戦を制した時にも、中日にはWBCで監督をし、優勝した原監督率いる巨人を追い抜いていく気迫がなかった。「今年の巨人は強かった」(中日の選手たち)という事実はあったにしても。最初から劣位に置かれていたように思う。

 私の印象では、WBCへ選手を出さず、親会社を含むマスコミと距離を置いた落合監督のへ批判はシーズンを通じて引くことはなかったし、今後も続くだろう。二位になってもです。彼の「契約」に対する姿勢が、「契約とは本来そういうものだ」というそもそも論から言えば正しくても、だ。

 一方楽天の監督問題については、『そもそも今年楽天で野村さんが監督をやったのは、「成績の善し悪しにかかわらずあと一年」という契約に基づくものであり、「もう一年やりたい」という野村監督の主張はおかしい』という意見がある。

 契約的にはその通りで、「成績のいかんに関わらず今年限り」という契約を野村さんは結んでいたのだから、「その通りにすべし」というのはまっとうであり、三木谷さん率いる楽天は合理的な会社だからそうした。

 しかし今朝のスポーツ・ニュースでは、日本ハムや巨人の優勝を押しのけるように、「引退する野村監督を、楽天の選手ばかりでなく日本ハムの選手も胴上げした」という事実が重くなっている。楽天球団は野村監督との契約を忠実に履行しただけなのに、世間からはむしろ冷たい球団と見られている。

 「人を残した」という野村監督の言葉は、契約の範疇を超えているようにも見える。確かにそうで、野村学校の生徒は古田、池山を初め、稲葉.....と多い。そういう意味では、日本人の監督の中でも異色であり、ファンが野村さんを応援するのは分かるような気がする。

 そこで、「契約とは何か」ということです。落合監督と楽天球団の主張は契約的には正しい。正論だ。しかし世間ではむしろ批判が強い。例えば来年の中日の成績が少しでも悪くなれば、落合監督への批判は強まるでしょう。来年の楽天がどうなるかは全く不明だし、ブラウン監督で仙台の楽天人気が維持できるかどうかも分からない。

 ということは、日本という社会では「もちろん契約は重要」だとしても、それを前面に出すことは嫌われる、ということかもしれない。それが良い悪いは別にして、日本の社会では契約をベースにしながらもそれをやや超えるものを人々は欲している、ということになる。そういう気がする。今年の日本野球を見ている。

 それは政治にも言えるかもしれない。「マニフェストは国民との契約」との見方を民主党は取っているし、それは事実である。しかしすべてを契約の一種であるマニフェストから判断すると、国民の反応は予想外のものになるかもしれない。ここ二日ぐらいの動きを見て思いました。

08:33
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