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2007
08/18
Sat

2007年08月18日(土曜日) 格差との格闘

day by day

 (13:55)今朝の新聞では朝日の「けいざいノート」の小林慶一郎さん(経済産業研究所上席研究員)の「格差問題の深層」が面白い。そして敢えて言うなら、私も「新しい経済学」が必要だと思っている一人です。政治経済学、経済政治学、社会経済学、経済社会学、社会福祉経済学.......何と呼ぶかは別にして。

 小林さんは、市場経済やグローバル化に対する見方が、それを擁護する経済学者や企業経営者と、非難・批判する論者(社会学者、政治学者、評論家)の間で激しく対立していると指摘し、その背景は、両者が「市場経済の異なる側面を見ていることだろう」と指摘する。

 その通りだと思う。経済学者や企業経営者は市場化やグローバル化故の世界的な競争での経済活動の効率化、最適化が進行し、世界経済の成長余力が高まっていると考えるし、その結果として世界的には豊かな消費者の数が増え、また消費者の選択肢も増えた。ヒト、モノ、カネが自由に動く環境が出来ていているのは世界経済にとって良きこと、と。

 彼等は社会主義の目を被うような失敗や、ブロック経済の悲惨な結末を見れば、比較相対的に市場化やグローバル化は良い結果を生んでおり、世界経済の成長にとって不可欠だと考える。私もそう思うし、インドや中国などの発展、それに伴う世界経済の活性化を見れば、それは当たっている。日本も全体としてはその恩恵を受けている。

 しかし、競争激化やグローバル化が弱者、敗者を生んできたことも確かであり、それが一時的ならまだしも固定化しつつあり、さらに世代をまたいで恒久格差化しつつあるのもある程度事実である(昔からそうだったという意見は別にして)。この点に注目する一群の人々がいて、その中には小林さんが言うように社会学者、政治学者や何人かの以前からこの論陣を張る評論家が入る。

 これらの人々も、実は多くの場合、もし生活水準を下げないと決意するなら、市場化やグローバル化が避けられないことであることを知っている。だから、市場経済やグローバル化そのものはあまり非難しない。しても、それに対する代案がない。どこをどう規制するかは難しい問題だ。日本の企業が商品を輸出できなければ、我々日本人は大幅な生活レベルの引き下げを余儀なくされる。石油を輸入するお金がない日本を想像すれば良い。

 よって実際には、「再配分政策の組み立てが悪い」「政府は何をしているのだ」という議論が展開される。敗者や弱者が出ているのは「政府の政策の故だ」と主張する人も出てくるし、それは政治的には分かりやすい。しかしそれは多くのケースにおいて、市場化やグローバル化の結果である。どの要素(市場化、グローバル化、政府の政策、個々人の能力の差を含めて)がどれだけ格差の拡大に寄与しているかは計測不可能だから、議論は止まないことになる。

 経済では格差がつきやすいが、政治は基本的には「一人一票」の平等である。格差に怒る人が増えると、時の政権は吹っ飛んだり、別の政権に取って代わられる。だから政治的には時の政府は常に格差論が高まったときには、「なぜそれが起きているのか、それを乗り越える正しい道は何か、一人一人の国民に何が出来るか、地域で出来ることは、それを政府はどう側面支援するか」を説明しないといけない。

 自民党は参議院選挙でそれが出来なかった。経済の良好さは、有権者がシェアできてこそ投票に繋がる。自民党は特に、昔は再配分政策の受益者として存在し、熱烈な支持者を抱えていたはずの地方で負けた。再配分が少なくなったのだから、説明の必要があったのにしなかった。

 面白い指摘がある。「議論がかみ合わない大きな理由は、現在の標準的な経済学では、生産技術以外の技術が全く無視されていることだ」と。ここで出てくるのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の経済学者(教授)だった故ジャック・ハーシュライファーという方の、「闘争技術」という考え方だ。

 「闘争技術」とは、「社内の権力闘争で勝つ技術、顧客の無知につけ込んで不必要な商品を売り込む技術、政治家に取り入って利益誘導をする技術」などを指すという。確かに今の経済学の本には全く登場しない。「学」の本には出てこないが、良い異性を獲得する方法と並んで、企業の中でどう生き抜くか、また生き抜かないかは雑誌が好んで組む特集だ。それだけニーズが高いという証拠だ。しかし、経済学者はそれを扱わない。

 闘争技術の中には、消費者への訴求力も入るかも知れない。生産技術が同じでも、闘争技術が違えば企業のパワーは全く違ったモノになるし、どちらが勝者になるかは明らかである。小林さんは、「市場競争のイメージは、価格の値下げ競争であり...」と書いているが、私は品質競争、広報競争も市場競争のイメージに入ると思う。今のデパートなど小売り業界を見れば、それは明らかだ。

 小林さんは、「生産技術だけを仮定した経済学の議論では(反市場主義、反グローバリズムへの)説得力のある反論にはならない。闘争技術を分析的に加えた新しい経済学を作る必要がある」という意見。賛成である。そして「格差論争自体を一種の闘争活動と見ることが出来る」という指摘もその通りだと思う。政治家が競ってそれを代弁しようとしているのは、それが政治闘争そのものだからだ。これからの日本では、そして世界ではこの闘争は相当長く続くだろう。どちらも違った側面でポイントを突いているから、何回でも論争が繰り返されることになる。

 「再配分で格差への不満を解消することは、格差を巡る政治的闘争に資源が費消されることを防ぐ」という指摘は当たっている。しかし問題は、「不満の解消」が政治的にどのレベルで出来たと言えるのか、決して回答がないことだ。私もこれだけ格差論が高まると、政治に携わる人はこの問題から逃げられないと考える。政治家だけでなく、我々も。だから取り扱わねばならない。しかし再配分政策を間違えると、成長鈍化などにより再配分の資源そのものがなくなってしまう。いかに資源を確保しながら格差を巡る政治闘争で勝つか。

 日本ばかりでなく、「格差」は世界のまっとうな政治家が真剣に考える問題となるだろう。この記事(小林さんの分析)は自分の頭をまとめる意味でも、なかなか読み応えがあったと思う。

15:05
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