私が食べ歩いたお店の紹介
私伊藤洋一が全国津々浦々を食べ歩き、見つけたおススメのお店を紹介します。

Restaurants in New York

 このページは、70年代後半の駐在時代から今までに発見したニューヨークの美味しい店のいくつかを紹介します。ニューヨークは、味の万国博覧会場。デジタル・カメラでなるべく写真もアップしてあります。

EL FARO
  スペイン料理の店です。14th と Greenwich の交差点にある。この店に初めて行ったのは、(^_^)(^_^)1978年だったと思います。「おいしいスペイン料理があるから...」と連れて行かれた。で、いっぺんに気に入って、その後はリピーターになったというわけ。

 庶民的な店です。店も綺麗ではない。98年に行って驚いた。その前最後に行ったのは93年だったと思ったのですが、要するに何も変わっていないのです。入り口のバーからテーブルが並んでいる部屋には少し降りるのですが、そこに石のステップがあって、見るとひどく凹んでいる。大勢の人がそこを踏んで、徐々に減っていったのです。店の人に「俺が最初に来たのは78年だが、何にも変わっていないぜ」と言ったら、笑っていました。

 この店が良いのは、まず料理の順序で言うと、(^_^)(^_^)普通はあまり見かけない「白のサングリア」があること。これは多くのスペイン料理屋に行きましたが、まずない。ここにはある。この店に来ている人も、あまり知らない。赤とは違って、ちょっと軽くて舌触りが良い。次がサラダにかかるドレッシングがまたおもろい味をしている。食器はもう使い古したものですが、このサラダを見ると安心します。

 メインで一番好きなのは、「Robster with green sauce」です。野菜を基調としたソースの中にロブスターが入っていて、それをバターご飯にかけて食べる。これが美味しいのです。次によく食べるのは、パエジャ。野菜とチキンの二つくらいを思い出す。後者が中身たっぷりです。私はスペインに行ったことがないので知りませんが、ここのパエジャは美味しい。一時日本人の間で有名になってかなり日本人が多かった時期がありますが、98年に行ったときは一組も来ていなかった。満足できる店だと思います。℡番号は、212-929-8210。住所は、823 Greenwich。

本むら庵
  私がニューヨークに居た70年代の後半には、この店はありませんでした。多分80年代の終わりか、90年代に入ってからできた。ニューヨークでは一番美味しい蕎麦を食べさせてくれる。入り口を入って階段を上がって二階に上がると、ちょっと不思議な空間が現れる。目の前で、蕎麦を打っているのです。多分、ニューヨークでは蕎麦を打つのを見せるのはここだけでしょう。真ん中に階段の上がりがあって、その周囲をテーブルが囲んでいるという作り。落ち着いた店です。

 98年の9月に来たときには、「鴨せいろ」と「野菜天ぷら」を食べたのですが、美味しかった。その他の品も、日本にもっていって競争できる素晴らしいものばかりである。本店は、東京の荻窪。その出店。もう一つは六本木にあって、筆者はこの六本木の店には行ったことがある。ニューヨークの店の住所は、170 Mercy street。98年の秋現在では、ちょっとわかりにくい。周囲が工事中の為。Houseton から来て Mercer に入ったところ。電話番号は、212-334-5253。本店の電話番号は3395-3434 で、六本木店は 3401-0644。ニューヨークに来てしばらくして、「もうここの食べ物には飽きた...」という人にはお勧めです。

 ソバ好きの小野洋子さんがニューヨークにいるときはたまににここで蕎麦を食べている。90年代の初めにそう聞いて友達と行ったことがあるのですが、本当にそこで食べていてびっくりしたことがある。彼女は蕎麦がとても好きなのだそうです。

合記飯店(Hop Kee)
  ニューヨークの中華街(Canal Street を挟んだ地域)には、実にたくさんの中華料理屋(^_^)(^_^)がある。中国のそれぞれの地域、料理法の味を誇っていて、それぞれの店なりきの料理を食べさせてくれる。中華街は1970年以前はこのストリートの南にだけあって、北は「Little Italy」(リトル・イタリー)だったが、1998年に行ったときには例えばカナル・ストリートとクロスするモット・ストリートはかなり北まで中華の店が進出していた。これに対して、「Little Italy」は東西に延びる通りにかつての面影を残しているだけのように見える。だから、ニューヨーク中華街の中華の店はまだ増え続けているのである。どれがどうおいしいか、比較的どの店が良いのかを判定するのは至難の技である。

 そうした中で、1970年代後半の駐在時代も、最近の出張の折りにも行き続けているニューヨーク中華街の店はここである。名前は「合記飯店」。味気ない入り口、レストランとしてはちょと異例の地下構造、汚い灰色の、しかもよれよれの制服を着た、さらに加えて言えばとても愛想の良くない従業員。知らなければ、「入りたい」とはとても思えない店である。しかし、この店は二つが美味しいと思うし、(^_^)(^_^)私はそれゆえに20年以上通っている。駐在の時は毎月のように、その後は出張の度に。

 で、何が美味しいか。「蟹の卵とじ」と「つぶ」(snail)が絶品なのである。ニューヨークに駐在していたときも、出張の時もここには大勢の人を連れてきた。中には口に合わなかった人もいる。しかし、大体が「今までで食べた中華の中で、特に印象に残る料理で、特に”蟹の卵とじ”は.....」(証券会社トレーニーの村松さん 1998年9月)という反応だった。「つぶ」(snail)は食べ方がある。つぶを手が汚れるのをいとわずに右手でつまんで、おしりの切ってある部分を人差し指で押さえる。そしてつぶの口に口を付けて大きく吸い込む瞬間に人差し指を放すのである。そうすると、つぶの中身が口の中に飛び出してくる。楊枝も用意してくれるが、この食べ方が一番ダイナミックで美味しい。これを繰り返すのである。だから、全部食べるのに相当時間がかかるが、慣れてくると面白いし、味も変わっていて止められなくなる。他の中華料理屋ではまず食べられない料理である。

 圧巻は、「蟹の卵とじ」だ。蟹みその味が染み込んだ卵の味を食べれば、私はニューヨークの中華街に戻ってきた....といつも思う。これも日本では食べたことのない味なのです。この店独特の。かっこつけずに、蟹みそをえぐり、蟹の卵をあさり、そして卵の味がしみた蟹の足の付け根にくらいついていると、その味の深さに感動する....と書けば書き過ぎでしょうが、とにかく美味しいのです。電話番号 ? 忘れました。カナル・ストリートとモット・ストリートの交差点を南に入っていくと道がカーブし始めたところの右に看板が見えてきます。写真の。70年代の後半は何時行っても混んでいた。で並ぶわけです。98年に行ったときは、夜の8時ごろで直ぐ入れた。平日だったからかもしれない。はっきり言って、「好き嫌い」が出る店だと思う。接待にも気心が知れてからでないと連れていけない。しかし、私はニューヨークで一番好きな中華の店なのです。そうそう、お粥も美味しかったような.......この二つとビール、それに好きなもう一品を注文して、全部で一人頭25ドルもしないという感じでしょうか。繰り返して言います。この店には好き嫌いがある。しかし小生は好きです。

53rd Street Deli
  今回発見した面白いデリを紹介しましょう。結構いけるのです。10ドル以下で美味しいランチが食べられる。実は98年にニューヨークに出張したときにホテルの近くで発見した。53丁目の7と6の間。何でも重さで換算しているのが面白い。果物も、パスタも、何から何まで。最近のニューヨークではこれが主流だそうですが。

 しかし出し物が充実するのは、お昼からです。近くにはヒルトン、シェラトン、リーガ・ロイヤルなどホテルも沢山あるが、オフィスもいっぱいある。なにせアメリカス街はマンハッタンでも有数のビジネス通りですから。その昼には、大変な混みようになる。ホテルに宿泊していても、たいがいまずい・高い。こうしたデリで外の景色を見ながらゆっくり食事をするのも、ニューヨーク気分を味わうのには最高です。

 デリに関しては、下でも触れているとおりスチワーデスの皆さんは「56th/ヘンリベンデルの裏のところが一番美味しいと思います」と推薦してくれている。そうですね。デリの数はマンハッタンだけで数え切れない。それぞれの良さがあると思います。

Iridium(Jazz)
  ニューヨークのジャズというと直ぐBlue Note を思い浮かべる人が多い。日本には、東京、大阪、福岡に出店がありますから、確かにこのビレッジにある店が日本で有名になる理由はある。最近、ネットワーク仲間のぼぶちゃんが行って、えらく感激したような文章を書いていた。その通りですが、ニューヨークにはその他にいっぱい良いジャズ・クラブがある。

 「Iridium」はそうした店の一つだと思います。リンカーン・センターと目と鼻の先。63stの West44。私が住んでいた 63st broadway とは目と鼻の先。(^_^)(^_^)店内は広くて、ゆったりしている。ブルーノートよりはるかに綺麗です。そうですね、ブルーノートの東京と大阪の店を足して割ったみたいな。

 この店が良いのは、ミッドタウンにある日本人がよく宿泊するホテルから歩けるという店で、私が行った98年の9月のケースでは土曜日で演奏は8時45分から始まった。だからその前に行って、食事を済ませるのが良いでしょう。だから、一時間前とかに。私がたまたま聞いた演奏は、迫力があってなかなか良かった。ニューヨークのジャズを楽しんだという印象。 Enjoy New York Jazz in Midtown !!

「Brooklyn Diner」(落書きができる店)
  で、ジャズを聞き終えたあと何をするか。お茶も良いですね。テーブルにクレヨンで落書きをしながら。あるんですよ。Broadway を渡った反対側の「Brooklyn Diner」(212-581-8900)。外では食事しか許してくれないが、中ではコーヒーとデザートだけでも入れてくれる。98年に土肥、藪中両氏と行ったときに、「俺はこの隣に22年前に住んでいた」と言ったら、「この店は26年前からある」と言われました。ウーン、そういえば思い出したけど、もっと汚い店だった。それがえらく綺麗になっていた。(^_^)(^_^)

 この店が面白いのは、テーブル・クロスにいくらでもいたずら書きが出来る店です。私も最初が分からなかった。はっと気が付いたら、テーブルの上に7色のクレヨンが置いてある。「これはなんぞ...」と言い始めたら、現ニューヨーク在住組の藪中さんが、「それはテーブルクロスに絵を書くためでは....」と。情況的にそれしかない。で、早速書いたのがこの写真というわけ。ははは、子供みたいですね。

 ニューヨークに在住の方々に聞くと、この手に店はいくつもあるそうです。テーブル・クロスを紙にしておいて、それはどうせお客が変わる度に代えるのだから、そうだったら何か書いて貰おうじゃないか....という自由な発想。なかなか良いじゃないですか。どこから出たアイデアなんでしょうね。リンカーン・センターの直ぐ近くのレストランがそれをしているというのも面白い。

 でこの店の味は ? 落書きに気を取られて、忘れてました。実はここでは、デザートしか食べてない。しかし、それから想像するにシカゴ並の量の食事が出てくるのではないでしょうか。だから、おなかが空いている夜に行くと良いと思います。

きらく
  ちょっと驚かれるかもしれない。もう、私が好きだった形でのこの店は無いのです。98年に行ったら、「暫定的に閉鎖」と書いてあった。でも、ニューヨークを思い出すとき、必ずこの店が一緒に出てくるのです。あの冬食べた鍋の味、そしてかっちゃんと奥さんの人柄。そのかっちゃんは、98年の8月になくなられた。冥福を祈るばかりです。

 ニューヨークには1970年代の後半で既に、ものすごい数の日本レストランがありました。思い出すだけでも、「稲ぎく」がウオドルフ・アストリアにあり、「新橋」があり、「レストラン 日本」があり、「初花」なんて寿司屋もありましたな。でも、私が一番行ったし、一番うまいと思ったのはこのかっちゃんの店なのです。特に冬の「鍋」は絶品だった。(^_^)(^_^)東京新聞の瀬田さんに教わったのです。この店は。そして、内田さんとかともこの店でよく会った。今まで食べた鍋の中でおそらく今でもその味が記憶に残っているのは、ここの鍋ともう一つ(石頭火鍋)です。何よりも具の数が多い。そして、最後に食べる雑炊が美味しかったこと。寒いニューヨークの冬にピッタリでした。

 この店、そしてかっちゃんとは「店主」、「客」という以上のつきあいをしました。店が終わる。片づける。奥さんは帰る。かっちゃとそこの従業員、私、もう一人で麻雀をするのです。店を入ったところの狭い場所でテーブルを用意して。何回やったでしょうか。店が終わってからやるから、大体朝までやるのです。つまり、徹夜をするのです。麻雀で徹夜は数限りなくありますが、ここの徹夜は思い出す。ニューヨークで麻雀を徹夜して.....のばからしさ。80年に日本に帰ってからも、出張の度にここには来ました。

 でももうないんです。98年の秋に出張したときは、ホテルからわざわざ歩いて(56 の Park And Lexington だったと思った)にまで歩いていきました。そして、この店が閉まっていることを確認した。再開するかもしれません。奥さんが再開するのか、他に人が買うのか。しかし、かっちゃんのいない店になることは間違いない。読者の皆さんにはすまないのですが、あの当時の「きらく」の味とかっちゃんの思い出は、私の記憶の中で生き続けるのです。

最後に彼女ら推薦の
  私はまだ行ってないけれども、行き帰りの飛行機の中でスチワーデスさんたちに教わったニューヨークのいくつかの店を紹介しましょう。彼女らは勤務でよく行くその地の店を良く知っている(筈)。だから、どのに行くにも彼女らの紹介は参考になるのです。しかし、教えてもらっても実際に行けるケースは少ない。で、忘れないようにここに書いておくというわけです。そのうち、行ければナイス。備忘録ですから、適当な表現です。

 ☆Woochon Restaurant=韓国料理でしょうか。ニューヨークは36丁目の5Wにあるらしい
  ☆Water's Edge=44th Drive at the East River
  ☆Contrapunto=場所は分からず。イタリアンの美味しい店だそうです
  ☆Montrachet=239 W Broadway(between White and Walker st)フレンチで要予約。212-219-2777
  ☆Tribeca Grill=375 greenwich st at Franlkin st. 212-941-3900
  ☆Sarabeth'S Kitchen 何料理かは不明
  ☆ル・コロニア=ベトナム料理。 57th and 3rd st
  ☆China Grill=アジア・コンチネンタル MOMA の斜め前。
  ☆デリは56th/ヘンリベンデルの裏のところが一番美味しいと思います

 (2001年秋に仕入れた店)

 ☆Carmines 212-221-3800
  ☆SAL ANTHONY'S  55 Irving street 212-982-9030
  ☆MARCHANTS  212-243-5131
  ☆Royalton  44と5と6
  ☆Bryant Park  40の5と6
  ☆杉の子 38の2の角
  ☆BAR89 mercer blooming

 ついでに言うと、どちらの年もかなりの確率で名前が上がってきたのは「本むら庵」でした。彼女らもニューヨークに来て食べる蕎麦は、あそこのようです。ニューヨークで(いやアメリカかな)で℡番号を問い合わせるのは、411 (携帯でもそうでした)です。かつては、555-1212だったような気がするのだが.....(2001年9月記)


 ニューヨークには、2003年の春にも来ました。印象としては、引き続きこのページの一番上に掲載したエルファロの人気が女性の間で高い。あと久しぶりにオイスターバー(212-490-6650)に行きました。味はちっとも変わっていない。チャウダーが美味しかった。キーラムパイは、東京ジョーズのそれより少し柔らかい印象。あと、推薦されたオイスターバー系の店としては、「Ocean Grill」(212-579-2300)があったのですが、ここには小生は行っていない。味にうるさい佐々木君もまだトライしていないと。

 ニューヨークの日本人相手の夜の店の華やかさは過去のものになり、経営は全般的に苦境になっているらしい。90年代は日本は不振だったが、アメリカは好景気に沸いた。だから、ニューヨークの日本の夜の店も同年代は活発だった。しかし、2000年代が進むと徐々に不振が浸透、特に2002年から深刻になったようで、たとえば51丁目の2や3には、客引きが登場するようになっている。他の店に行っていた客が帰るのを拿捕(?)して、それを自分の店に誘導するような。引き続き、「うさぎ」(212-935-2002)が人気があるらしい。銀座に店があって、それは6か7の電通道理沿いとのこと。女将がちょうどニューヨークに来ていた。あとはVIVIなんて店もありました。こちらはちょっと若者相手風。

 そうそう一つ不思議だったのは、オイスターバーでは「タバコを吸うか吸わないか」聞かれた。その時は何とも思わなかったが、あとでいろいろ話しているうちに、「聞かれた」こと時代がおかしいと分かった。なぜなら、ニューヨークではブルームバーグ市長が「公共の場所全てで喫煙を禁止」と宣言したからで、ニューヨークの全レストランは禁煙と聞いていたので。

 ところがオイスターバーでトイレの為にバーに入ったら、そこでは喫煙している連中が一杯いた。おそらくニューヨークのレストラン系で喫煙できるところはあそこしかないのかもしれない。でも、何故 ?。レストランではなく、その場所に限ってバーのカウントだから ? 皆食事をしていましたが。(2003年4月記)