いったいこの団体はなんなんでしょうね。2000年の秋には、ただただ「中国の鍋」を探しに大連、青島、煙台に10人で行き、そして今回は山形県の天童市の商工会議青年部のイベントである第6回平成鍋合戦に総勢14人で東京から参戦。まあ、水木会長の哲学が「高等な動物ほど遊ぶ」というある意味では当然な、そしてある意味では尊大な開き直り的哲学が支えかもしれませんねえ.....。
とまれ2001年1月13日、全日本鍋物研究会の先遣隊12人を乗せたつばさ119号は午前12時前には一面の雪国に入っていました。外は全部銀世界。寒波襲来で山形は20年ぶりの大雪という情報は、天童市の奥島さんとのメール交換で入っていた。「行ったはいいが、帰れるかな.....」というのが一抹の不安でしたが、それに勝る銀世界の美しさ。私もそうでしたが、「山形は初めて...」という人が、メンバーの半分以上でした。
到着は午後1時11分....の筈が、雪で7分遅れの到着。駅のホームに堆く積もった雪。天童もむろん20年ぶりという大雪。山形県は東京から見ると全部「雪どころ」ですが、山形県でも普通の年は内陸で天童市と山形市は比較的雪が少ないのだそうです。駅に到着したら、なんと大会の幹部諸氏の出迎えを受けてしまいました。奥島さん、和田さん、タクシー会社の山口さん...。恐縮です。外に出ると、道まで雪が固まっていて、しかも半分氷になっている。歩いていても滑る。車もみなノロノロ運転。この雪には地元の人も驚いたというのだから、我々も驚いた。
実は、「今年の鍋大会には東京からも参戦」という情報は、天童市を駆けめぐっていたらしい。テレビ、ラジオ。向こうにすれば、手ぐすね...という状況。そうとはつゆ知らず(いや、少しは知ってました)の参戦でしたが、幹部諸氏の出迎えで、「これは容易ならざる事態」というひしひしとした予感が。この緊張感をほぐすためにも、「まずは山形蕎麦」ということで、ホテルに移動する途中でタクシーの運転手さん推薦の蕎麦屋さんに。ホテルは大きな滝の湯ホテルで、まずはチェックインのあと直ちにスーパーに買い出しにでかけました。寒くなれば、道も凍って歩けなくなるとの読みから。この時点で一つ心配だったのは、前日東京から送った食材が着いていなかったこと。
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13日夜は前哨戦。ホテルの120人くらいが入る会場でにぎにぎしく。市長の挨拶まであって、なかなか地元としては力が入っている。岡崎、金子さんが決まったのが2000年の9月。募集はもっと前ですから、半年プロジェクト。もともと初市があって、それを活性化するためのイベントとして平成になってから始めたのが「天童平成鍋大会」なのだそうです。力が入っていると言えば、ホテル到着後の買い出しの後で会場を下見に行ったのですが、大型の除雪車が3台も入っていて、ほかは一面の銀世界なのですが、会場周辺だけはきれいに片づけている。除雪車は大きくて迫力があった。しかしめちゃ寒い。帰りはホテルまで歩けば10分の距離なのですが、足下は危ないしタクシーを呼びました。ここから、私はタクシー会社では有名人になった。それもすべて雪のなせる技です。
天童市は「天童織田藩」の領地だったところ。織田の名字で判るとおり、織田信長の血を引く一族だそうです。市長が前哨戦の挨拶でえらく長く天童市の説明をする。ははは、会場の9割は天童の人ですから、その天童に関する説明は我々を主な対象にしていることは明確。でもなぜ「天童」。エンカルタにはこう書いてありました。
「歴史=市名は、南北朝期に南朝方の北畠天童丸が天童城をきずいたことに由来するといわれる。江戸時代には羽州街道の宿場町としてさかえた。1886年(明治19)に灌漑(かんがい)用の井戸を掘削中、温泉が湧出して温泉町となった。」しかし、街の人は他の説明をしていた。「天」の字は「二人」と読める。二人の童が天から降りてきて作ったのが、「天童」だと。まあ、どっちでもいい。天童よしみとは関係ないそうです。駅の売店のおばちゃんが、「よう聞かれるんですわ....」と。済みません、発想が貧弱で。
ひと騒動あったのは、食材。前哨戦は和やかな楽しいもので、過去の優勝鍋、過去の「鍋の局」賞を取った9種類の鍋(「かも鍋」「えび鍋」「鮭鍋」「チゲ鍋」「じょさね鍋」「とろべこ汁」「じょんがら汁」「大八鍋」「芋鍋」)を食べて楽しかったのですが、その時点では「食材は未着」というホテルからの説明だった。確かに雪で道路は渋滞、と伝えられていた。もし本当なら、「今回は棄権しようや」(会長)という意見もあったが、前哨戦の会場で市長やら大会関係者が「今回は東京からも参戦....」と次々にしゃべられて、さあ引っ込みがつかなくなった。夜開いているスーパーの名前まで調べて、前哨戦の後は食材の買い直しだ......と覚悟を決めたらホテルのフロントから携帯に電話.....。「着いておりました....」と。なんと、ホテルが私宛の荷物がいくつもあったので、食材の着荷を確認していなかったとのこと。いろいろありまんな。
夜は作戦会議。実は、天童に来る前から作戦は練っていた。新橋の美味しい中華料理屋「趙揚」では、食材の手配と並んで、チームカラーの出し方が真剣に<^!^>討議された。その成果で 前夜祭の写真にも良く現れているのですが、我々東京から参戦した14人は一つ共通の目印を作ったのです。赤のフリーツをネクタイ縛りして全員でクビに掛け、さらにその上に「鍋研」と書いた。ははは、これが決まりましたよ。暖色の赤。あれが青かったら、一段と寒さがつのった。これを買い揃えてくれたのは、辻、石田の両姉御。ユニクロで1000円のお品でした。天童の鍋の旗の上下も赤でよく調和した。
天童は温泉も良い。癖はあまりない湯です。そうか、この温泉を江戸時代の天童織田藩の人々は楽しめなかったのか......なんてつゆ知らずに、湯につかって13日は終わり。天童の温泉の由来を調べてのは15日でした。
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14日の新たに参戦組が二人。わが鍋チームの女性陣二人。ペットがいるので前日からは無理と言うことで、朝6時過ぎの電車で。ほんまにご苦労様です。ご苦労様と言えば、事前準備も大変で山中ご夫妻の活躍も特筆。外は寒い。会場は青空。そんなところで、手先を使う作業は大変ということで、我々の食材の重要パーツであるザーサイの塩抜き、細切りをホテルでしようと言うことになった。しかし場所は.....。ホテルでお世話になりました。適切な場所を貸していただき、セミプロの山中さんにご活躍いただき、ザーサイは見事に「ready to fight」の細切り状態に。午前9時30分過ぎに14人もいるのでホテルにミニバスを仕立ててもらって、全員でいざ会場の「天童中部小学校」に。
会場に着いたら、もうすでに他のチームはかなり作業を進行させていました。我々が最後の到着のような感じ。我々のフリーツに対抗して一部の他のチームも嗜好をこらしている。派手な戦陣服を着た連中もいましたが、我々のようなチーム全員のお揃いはなかった。うーん、「勝ち」でしたな。ファッションでは。一般の人が入れるのは午前11時30分からなのに、10時30分くらいからは人が並びだした。しかしこちとらは準備に忙しい。50人前の参考出品の予定でしたが、前哨戦の雰囲気ではそれでは許されそうもない。で、急遽食材を内藤君と木村さんに買いに行ってもらいました。おっと、何の鍋を作ったのかって。2000年度優勝鍋ですよ。名称もそのままの「癒し鍋」、レシピもそのまま。おいしいですよ。美味しかったですよ。食材とレシピは「白菜、ホタテ、豚の三枚肉、ザーサイ、ネギ、片栗粉」。作り方は以下の通りです。簡単ですよ。
うーん、小生が見直したのは「研究会」を名乗っていますが、実に規則の緩やかな団体で、役職は何を名乗っても良い。人物を見ても、個性豊かなのが揃っている。でも、何かをなすには不安がある。バラバラになるのではないか、と。しかし、遊び人、または遊び人希望者は実に良く自分の役割を心得ている。14人全員が適宜適時よく活躍しました。自主的に看板を作る人、隣の鍋のおばちゃんとの意志疎通を図る人、本部に借り物をしに行くもの、他の人を写真に収める人、見学を代行する人、我々以外の鍋を買ってきて回れない人に分ける人。まあ、それぞれの人の特技を集めると、なんとか回るものですな....。
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全体の参加者数については、主催者が発表した2万人は苦しい。しかし、そうでんな1万数千人は来ました。雪の中を。まあ結構な人出。校庭外縁をぐるっと29の鍋が並び、そこに長い列が出来る。各鍋は一杯300円から500円。考えてみれば、結構高い。しかし、勢いなんでしょうね、皆3つ、4つの鍋を食べる。
イベントもいろいろあった。小学生の音楽隊の行進、幼稚園の生徒による演舞、それに5人のギャルによるパラパラ教室。しかし、それよりもなによりも、30近い鍋が一挙に食べられると言うのがこのイベントの最大の魅力です。大部分の人はそれが楽しみで来る。調べたら天童市というのは6万人の街です。もし本当に2万人が来たとしたら、3人に一人の割合。すごい。そういえば、駅にも当日の新聞にも、「第6回平成天童鍋大会」の宣伝、記事があった。力が入っているんです。
確かに、午前11時30分の「出陣」の直後は校庭はパニック状態。一斉に食べたい鍋の前に大勢の人が押し寄せるのです。壮観でした。あれも場所の優劣がある。かどっこは人が重なってしまうので、相対的に不利です。朝方は晴れていたのですが、途中から雪が降り出して、一段と人の動きが激しくなった。実は、鍋大会の校庭の外でも出店が出て、にぎやかだった。岩魚の焼き物とか、いろいろあって楽しめました。この間寒くなってホテルに確保して置いた部屋に人を送ったりするので使っていたら、タクシー会社に電話を掛けただけで「伊藤さんですね....」と声を覚えられてしまった。おいおい、来て二日目だぜ......。
午後売り切れたのと、ちょっと寒さが全員の健康に響きそうな雰囲気になったので、ちょっと早めに切り上げて全員で午後2時前にはホテルに。かわりばんこに風呂に入って体を温め、午後3時半にはホテルを出てやはり7分遅れの新幹線で。電車の中では爆睡の人が多かったな。楽しい2日間でした。
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ところで、14日の本番では実に29の鍋が出品されました。天童市国際交流協会の傘下で、ペルー、ルーマニア、韓国、中国、ブラジルの鍋が。私の「鍋」の定義の一つは「箸の文化の結晶」ですが、ルーマニアに鍋があるのか、と最初は驚愕した。しかし、あれはスープですね。良かった。出品された全鍋を以下に掲載します。うーん、どうしましょうかね来年は。まだ相談も、決めてありません。遠方から来る我々のようなチームには、ジモチーチームに義務付けられた「500杯」はきつい。